事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】 作:山本山
Y市の喧騒から離れた一角。新田は、智昭が燃やした自車の残骸を報じるニュースを眺めていた。
「バッテリーの不具合、か。なるほど、よくやる。お前と交渉して正解だったな」
期待以上の動きを見せる藤田に、新田はますます希望を見出していた。酌(つ)いだ酒が旨い。あの爆発が智昭の仕業であることは百も承知だ。だが、スパイダーの上層部に対して「事故」という名目が立てばそれでいい。藤田が現場にいた証拠が消え、組織の追及が止まるなら、何の問題もない。
新田の思考は、自身の「死の偽装」へと移る。藤田という男は、目的のためなら肉体も資産も平然と投げ出す。その狂気は、新田にとっても好都合だった。
「……藤田。俺を殺す準備、完璧に頼むぞ」
もう一度酒を煽ると、新田はそのままスミスに、以前とは違う茜の動画を作成するよう依頼した。
ーーー
一方、Y市の老舗料亭。
その近くに停めた黒いセダンの中で、賢志と康明は室内の音声を傍受していた。智昭は、右腕の傷を隠すために厚手のジャケットを羽織り、幼馴染の清司と辰也に向き合っている。
清司からのグループチャットは急だった。
『智昭、今どこだ? 本国にいるなら、辰也も時間が取れた。三人で話そうぜ』
A国に戻る前の誘い。智昭はそれを拒まなかった。レシーバーからは、清司の刺々しい声が漏れてくる。
「……智昭、お前まだあの女とこのまま一緒にいるのか? 卒院パーティーでお前に薬を盛ったのは、あの玲奈だろう。証拠はなくとも、状況を見れば明白だ」
辰也も重苦しく続く。
「俺たちはお前の味方だ。だが、藤田家に泥を塗るような女を、なぜそこまで庇う? やってない証拠があるなら出せ。ないなら、いい加減にしろ」
智昭の声は、凪のように静かだった。
「……玲奈じゃない。それだけは、断言する。それに茜の母だ。」
「…ッ…なら、誰がやったんだ! どう見たってあの女じゃないか。元々お前に好意を持っていたことは、誰もが知っていることだぞ」
「そうだぞ智昭、たしかに茜ちゃんの母親だけどこのままでは茜ちゃんの将来に影を差す事になる。藤田家の後継者なんだぞ。」
智昭はそれ以上話す事はなかった。否定はするが、真犯人の名も、玲奈を陥れた計略の全容も口にしない。曖昧な言葉で、ただ幼馴染の追及をいなしていく。
車内。賢志が、拳を膝に叩きつけた。
「……何故なんだ。何故、本当のことを話さない。ボスの手元には、正雄が犯人だと示す証拠が揃っているのに」
隣でモニターを見つめていた康明が、静かに答える。
「……『藤田智昭の妻』という肩書きに、誰も価値を感じさせないためだろう…多分な」
「なぜ、無価値にする?」
「清司さんたちに真実を話し、玲奈さんの潔白が証明されれば、彼女は名実ともに『完璧な藤田の妻』として社交界の表舞台に立つことになる。それは、敵にとっての格好の標的になるということだ。藤田家は盤石だが、足元をすくおうと待ち構えている連中など履いて捨てるほどいる。ましてや玲奈さんは、学生からそのまま藤田家に嫁いだ。正直、俺も危なっかしいとは思う。ボスが常に側にいられるなら問題はないが、それも難しい。それに…彼女のバックボーンは弱いんだ。」
康明は、画面に映る智昭の、微動だにしない背中を見つめた。
「彼女を『薬を盛った疑いのある、疎まれた妻』のままにしておくことで、智昭さんは彼女を組織の関心から遠ざけている。……彼女の、、彼女を守る最悪で強固な道を選んでるんだろう…。」
「……そんな。何も知らない玲奈さんの傷を深くするだけじゃないか。他にやりようがあったはずだ」
賢志の声が震える。
「彼女は、ボスのために自分の才能さえ封印した人だ。理不尽を嘆かず献身的である道を選んだ。藤田家を利用するくらいの気概があれば、あの魑魅魍魎(ちみもうりょう)な社交界を立ち回れるかもしれないが、彼女はあくまでも受け身だ。それも己の身ひとつで……。きっと、ボスに相談もしていないんじゃないか? 彼の幼馴染にさえ文句ひとつ言わず、微笑んでいたんだろうと俺の職業柄推測するよ。」
「だからって彼女が、親友たちにまで軽蔑され、孤立していくのを……ボスはただ黙って見ているっていうのか。彼女がどれだけ辛いか、アイツは分かっているのか!」
賢志は部下の立場を忘れ、一人の男として憤っていた。
インカムからは、なおも続く幼馴染たちの詰問が流れている。智昭は一度も声を荒らげない。冷徹な仮面を被り、親友たちの不信感を一身に浴び続けている。
「……賢志、分かっているはずだ。あの人の立場も、……恐ろしい程の執念を燃やしていることも」
「……あぁ、分かってるよ。賢いのか馬鹿なのか、時々本気で分からなくなる。アイツの本心を伝えることが何よりも玲奈さんの盾になれるのに……ただの大馬鹿野郎だよ」
賢志の言葉は、空調の音だけが聞こえる静かな車内に響いた。
料亭から出てきた智昭は、一見穏やかに楽しんでいるように見えた。だが、車内から見る彼は「笑顔を貼り付けた」ような顔であり、その鉄壁さは少しもズレてはいない。
彼は車に向かって歩く最中、右腕を確かめる様に手を握りしめる動作を繰り返していた。
一度だけ夜空を仰ぐ。
見上げるその姿は誰の理解も必要としない。
自惚れに似た孤独と守り抜こうとする者の果てしなく傲慢な決意だけが宿っていた。