事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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47話 過去編

A国の晴れ渡った空港に降り立つ智昭たち。観光客で賑わう昼間の空港は、本国で過ごした濃密な時間に反して平穏そのものだった。智昭の視界の端に入り込んだ右腕の銀色のブレスレットは、そのままそこにある。

 

「賢志、康明、ご苦労だった。心配かけたな」

 

無意識に右手首をさすりながら、智昭が声をかける。

 

「まだ、終わっていません。頼りにしてください」

 

康明は、自分よりはるか年下の男が背負う荷の重さと業の深さに、それ以上の言葉が出なかった。賢志も同じだった。

 

「身体だけは気をつけてください」

 

「……あぁ、わかってる。ありがとう。何かあれば連絡をくれ。スミスと正雄の動きは把握しておいてくれ。それと、康明。政府に情報を渡すタイミングは君に任せる。連絡だけくれ」

 

「了解です」

 

 

 

ーーー

 

 

半月ぶりに帰り着いた邸宅。車が停車して程なくして、幼子が駆け寄ってくる。

 

「パパ〜おかえり〜!! おかえりなさぁ〜い!」

 

何の疑いも憂いもなく、全身で喜びに跳ねる茜を真正面から受け止める。

 

「茜、遅くなったね。ただいま。いい子にしてたかい?」

 

柔らかく包み込む姿は、紛れもなく父親のそれだった。

 

「うん!! 茜にはね、優里おばさんがいたから大丈夫だよ! パパに会えて嬉しい!! あれ? ねえパパ、ママは? 一緒じゃないの?」

 

「……ん、ごめん。忙しくてお家に行けなかったんだ。ママからビデオ電話はなかったかい?」

 

「あるよ! でもいっつも優里おばさんと遊んでる時だったから、すぐ切っちゃったけど、またかけ直してお話ししてるよ! ママも茜に会いたいって。だからパパと一緒だと思ったのに」

 

「……そっか、ママと話せてるんだね。ママはいつものママだったかい?」

 

「? いつものママだよ? なんで?」

 

「ううん、なんでもないよ。茜もママも元気そうでよかった」

 

茜を抱きながら、智昭は当たり前の日常を噛み締めていた。

 

「あら? 智昭さん、おかえりなさい」

 

優里が待ち構えていたようだ。背後からの声に、一拍の間を置いて振り返る。

 

「……随分、茜の相手をしてもらったみたいだ。ありがとう。さあ茜、お客様にご挨拶して」

 

優里の動きが一瞬止まる。

(……お客様。そうね、まだこれからよ)

 

「優里おばさん! いらっしゃい!」

 

茜には一点の曇りもなかった。その時、ザァッとビル風のような風が人々の間を通り抜けていく。茜は砂埃が目に入らないよう、智昭にギュッとしがみつく。茜からは洗いたての服の匂いと、幼子特有の匂いが混じり合って智昭を刺激した。彼の腕に、知らず知らずのうちに力がこもる。

 

「パパ、痛いよ。あれぇー、この輪っか綺麗だね」

 

茜が言い終わる前に、智昭は腕をそっと茜から外した。

 

「そうか? こういうのが好きなのか?」

 

「んー、わかんないけど、綺麗だから好き」

 

「……そうか」

 

「まあ、茜ちゃん久々でパパに甘えてるのね」

 

優里が歩み寄ってくる。

 

「智昭さん、お家に入らなくていいの? 茜ちゃんのお目々にホコリが入ったかもしれないわ。……私も一緒に入っていいかしら?」

 

「いいよー! お目々大丈夫だよ、おばさんいらっしゃい」

 

「智昭さん、構わないかしら?」

 

「あぁ……勿論だ。歓迎するよ」

 

ひたすら甘い声色で返事をする智昭に、控えていた田代の焦燥は募るばかりだった。

 

智昭の留守の間、頻繁に訪れていた優里。恩人という肩書が与えた立場と称賛は、自惚れるには十分過ぎた。邸宅内で見せる彼女の、常に値踏みするような視線に田代は辟易していた。

 

「おかえりなさいませ、旦那様。奥様もご一緒かと思っておりました。茜お嬢様が首を長くしてお待ちでしたよ。出張、お疲れ様でした」

 

「……あぁ、そうだな。……君の出迎え方は、彼女によく似ているんだな。……これ、頼む」

 

優里が聞き逃すはずがない。同時に田代へ視線を向けた。田代は意図的に視線を外す。

智昭の土産を手に、田代は智昭に抱かれた茜と優里の後に続いて邸内に入っていった。

 

「茜、パパは着替えてくるよ」

 

「わかったぁ〜。優里おばさんと待ってるね」

 

パタパタと軽い足音が階下へと向かった。

 

彼は右手首をさすりながら、思案に耽る。

 

(茜を本国に戻した方がいいか……? いや、リスク分散が鉄則だな)

 

智昭はスマホを取り出した。

 

「賢志、邸宅の警備を強化してくれ。使用人に扮してボディガードも手配してくれ」

 

階段を下りる間に、リビングから茜と優里の楽しげな声が聞こえてきた。手すりを掴む指先に力がこもる。

 

「パパァー!」

 

茜が智昭の手を引いてリビングのソファに座る優里の側まで連れていく。智昭の眉毛が僅かに動いてしまった。

 

「智昭さん、出張お疲れ様」

 

「うん……今日は何か他に用事があったかい?」

 

優里は視線を一度下に向けてから、智昭に向き合う。

 

「……この間、提案してくれていたことあったでしょ? その、勉強の方を教えてほしいの」

 

「……そんなことか、いいに決まっているじゃないか」

 

先程にも増して甘い声色を使い、智昭は極上の笑顔を向けた。

優里は、その表情を真正面から受け、胸の奥に熱が灯るのを感じていた。

 

「いつ頃、教えてくださる? こちらに伺えばいいかしら?」

 

「勉強は環境も大切だ。俺が大学に行こう。スケジュールを調整して連絡するよ」

 

「ええ、わかったわ」

 

智昭のスマホが震える。

 

「すまない」

 

一言だけ残して、智昭はリビングから離れた。

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