事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】 作:山本山
アカデミックガウンに身を包んだ優里は、誇らしげに壇上に立っていた。
スミス教授から授与された学位記の重み。それは彼女にとって、世界から「天才」としての承認を得た証だった。
ホールの喧騒から少し離れたテラスで、スミスは満足げにワイングラスを傾け、優里を見つめた。
「おめでとう、優里。君の論文は、我が門下生の中でも群を抜いて素晴らしい出来だったよ。特に、あの自己進化アルゴリズムの最終的な『論理の穴』の埋め方は見事だった。……あれこそが、次世代のAIの鍵になる」
「ありがとうございます、先生。……すべては、先生のご指導と、智昭さんの支えがあったからですわ」
優里は傍らで静かに微笑む智昭に視線を送った。
スミスは智昭を一瞥し、優里に顔を近づけて声を潜めた。
「……優里。本国にある『長墨ソフト』を知っているね? 湊礼二が立ち上げ、今や時代の寵児となったあの会社だ。私の推薦があれば、君は即座に開発部長の席に座る事も可能だろう。その暁には私とディスカッションしてくれるかい?」
「長墨ソフト……。先生のご推薦があれば、これ以上のキャリアはありませんわ。よろしくお願いします。先生とディスカッションだなんて、光栄です。」
優里の瞳に、野心が灯る。
智昭は笑みを浮かべたままそのやり取りを聞き今もなお、お踊らされている人間を見つめ続けている。優里とスミス、二人の会話だけが浮き足だっていた。
「さあ、優里。最後の修正データも、今のうちに先生のサーバーへ送っておきなさい。それが受理されれば、君の博士号は完璧なものになる」
智昭が促すと、優里はあの日贈られた銀色のノートパソコンを開いた。
智昭の指が、優里の手の上に重なる。
「……君の研究が、これで形になる。誇らしいよ。卒院おめでとう」
智昭が優里の耳元で甘く囁く。優里は智昭の急な接近に高揚しつつ、智昭の指が重ねられたエンターキーを静かに押しこんだ。
データがスミスの端末、そしてその背後にある大学のメインサーバーへと吸い込まれていく。
優里の隣で、智昭の口元はにわかに緩んだ。
同期の遅延、0.1秒以下。
愛理の仕込んだ「毒」は、今、スミスの最も信用するライブラリの奥深くへと潜り込んだ。
それは今すぐ牙を剥くことはない。
数ヶ月後、あるいは数年後。
スミスが「自らの功績」としてそのコードを長墨ソフトのシステムへ強引にねじ込み、中枢を支配しようと画策したその瞬間――「毒」はスミス自身のアクセス権限を起点に暴走し、彼のこれまでの不正ログインや盗用の証拠を全世界にばら撒く【自爆装置】へと変貌するのだ。
長墨ソフトを汚すことなく、そこに寄生しようとするスミスだけを確実に仕留める、緻密な計算。
智昭の端正な顔立ちの極上の微笑みを惜しげもなく優里に捧げる。
( あとは爆弾が弾け飛ぶまで…ハリボテの関係だ。)
ーーーー
授与式から数日。帰国を二週間後に控えた優里のもとで帰国準備を手伝う母・佳子がA国に滞在している。
「優里ちゃん、貴女わすれものは無い?」
佳子が訪ねる。
優里は身支度をととえながら、
「無いわよ。このあと智昭と茜と会う約束があるのよ。もう……。まだ帰国まで時間あるじゃない。そんな急かせないで。」
「あら、だって貴方がやっと本国に帰国するのよ。楽しみで仕方無いわ。それから、智昭さんとも上手くやってるみたいね。安心したわ。」
「えぇ、じゃぁ行ってくるわね。」
「いってらっしゃい。」
玄関を出てしばらくした後
優里はスマホを取り出し茜に電話をかける。
呼び出し音が3回
「もしもし優里おばさん!」
「ふふ茜ちゃん元気ね、ねぇ、お昼ご飯一緒に食べない?パパも誘ってみてよ。」
「うん!わかった。優里おばさんこの間のフェンシングとっても楽しかった!また、面白いところ連れて行ってね!」
「勿論よ。さっ、早くパパに連絡してご飯一緒に食べましょう」
優里は乾いた高く響く靴音を立てながらレストランの扉を通り抜け、ウェイターに案内された。そこには白いカバーが掛けられたテーブルと既に到着していた智昭と茜の姿があった。彼女は口角を僅かにあげ智昭へと焦点を合わせた。
少し早足で近づき、ウェイターに椅子を引いてもらいカタンと音と共に着席する。
「お待たせ。待った?」
着席した際テーブルにあった透明の花瓶の水が横に揺れた。
智昭は花瓶の水の横揺れが収まるのを待ってから、視線を優里へと合わせた。
「今、来たところだよ」
甘い声色と、整えられた微笑みを添えて彼は答えた。
「そう、よかったわ。もう注文はした?お肉?それともお魚?茜ちゃんはどうする?」
畳み掛けるように質問しながら思い出したかの様に茜に問いかけた。
「茜はパパにまかせてるよ?」
茜の返答に優里は微笑みを添えて軽く頷いた。