事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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52話 過去編

優里と智昭たちが本国へ帰国して数日が過ぎた。

 

彼らは大規模なクルージング・イベントに参加していた。夕方の海は、波が夕陽を反射して華を添えている。その一方で、光の届かない波は濃く、深く、黒へと変貌を遂げていた。

 

船内から漏れ聞こえるジャズの旋律と人々の喧騒を背に、智昭は最上階デッキの手すりに寄りかかっていた。手元のタブレットには、海図と潮位データが青白く映し出されている。

 

智昭のシャンパングラスからは、気泡がすっかり消えていた。

 

彼は特定の座標を無機質な目で見つめていた。海流の速さ、沿岸警備の死角。新田の死を「完成」させるための舞台を、彼は一人、静かに検分していた。

 

「パパ、お星様が綺麗だよ」

 

不意に服の裾を引かれ、智昭は表情を戻しタブレットを閉じた。

 

傍らには、ドレスアップした茜が立っていた。

父はいつもの父で、冷徹で厳密な合理的主義者の顔など微塵も映っていない。

 

「あぁ、そうだな。茜がもっと小さい頃も見た事があるんだぞ。覚えているか?」

 

「んー……わかんない。ママもいた?」

 

「あぁ。もちろん。さぁ、茜、風が冷たい。中へ戻ろうか」

 

智昭が茜の肩を抱き寄せた時、背後の自動扉が開いた。

 

「おい智昭! こんなところで娘とサボってんのかよ!」

 

直情的な声の主は清司だ。その後ろから、沈着な面持ちの辰也が、ゆったりと音もなく続く。

 

「清司、声が大きい。茜ちゃんが驚いているだろう」

 

辰也が静かに嗜めるが、清司は構わず智昭の肩を叩く。

 

「これくらいいいだろ! めでたい夜なんだから! ……茜ちゃん、パパを独り占めにしないで、おじさん達も混ぜてくれよ」

 

「プッ、清司おじさん、辰也おじさん、こんばんは」

 

茜が丁寧に頭を下げると、清司は豪快に笑い、辰也はわずかに口角を上げて頷いた。

 

二人は智昭がこの本国で、唯一と言っていいほど普通に接することができる幼馴染だ。

 

「智昭、紹介してくれよ。スミスの愛弟子さんを」

 

清司の視線の先には、遅れてデッキに現れた優里がいた。彼女は智昭の幼馴染たちの視線を浴び、その「選ばれた」立場に酔いしれ微笑んだ。

 

「あぁ。……清司、辰也。彼女が優里だ。A国で僕を公私共に支えてくれた、パートナーだよ」

 

智昭の言葉に、優里は満足げに目を細めた。

 

「へぇ、智昭もついに本命の人を見つけたんだな? おまけに美人だな!」

 

清司が人懐っこい笑顔で優里の手を取り、辰也は重みのある挨拶を交わす。

 

「智昭が信頼する方なら、我々にとっても大切な客人です」

 

「ありがとうございます。智昭さんからは、お二人のことをいつも伺っていましたわ」

 

優里の嘘が、夜風に乗って軽やかに流れる。

智昭はその様子を、完璧な微笑みの下で観察していた。清司の熱量と、辰也の信頼。幼馴染という

「本物の絆」に触れさせることで、優里の承認欲求を満たす。これで彼女の無駄な動きを抑えられるはずだ。

 

茜と優里は立食のデザートを楽しんでいる。それを眺めながら、男三人は現在の任務の話へと移った。

 

「例の件、政府の特殊部隊が動き出した。摘発はあいつら国の仕事だが、俺たちが最終のデータを待ってる」

 

清司が粛々と語る。辰也も静かに頷いた。

 

「……私の潜入ルートも確保した。事前の現場特定と、現場の証拠をすべて押さえる。智昭、お前は上層部とのパイプを頼む。これが片付けば、本国も少しはマシになるだろう」

 

「あぁ、わかっている。……この人身売買の摘発は、あくまで政府の公務だ。僕たちはその道筋を整えるだけでいい」

 

智昭は淡々と応じる。

智昭だけは、もうひとつの契約の完遂のために黙々とパズルを組み立てていた。

( 新田の偽装死 )

政府さえも欺く「罪」は、他の誰にも触れさせない彼なりの誠意だった。

 

「……おっと、もうすぐ時間だな」

 

清司が腕時計を見て、優里に向き直った。

船内のラウンジで、ささやかなバースデー・セレモニーの準備が整った合図だ。智昭は優里の前に腕を差し出し、エスコートする。

 

「おめでとう、優里。君にふさわしい輝かしい誕生日だ」

 

智昭の声は優しく、しかしその指先が彼女に触れることはない。

 

優里は幸福の絶頂にいた。自分が玲奈を排し、智昭の隣で彼の仲間にまで認められたのだと。

 

背後で、船が通り過ぎたばかりの海面に、白く泡立つ航跡が長く伸びていた。

智昭は振り返らない。

派手な舞台となる、暗い海域を見据えていた。

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