事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

55 / 69
55話 過去編

豪華客船の喧騒から遠く離れた、漆黒の海。

「死体」として運び込まれた新田篤を乗せた医療高速艇は、重く冷たい飛沫を上げながら、暗闇の中の待機場所へと到着した。

 

もう一艘の小型ボートが、静かなエンジン音を響かせて近づき、やがて横付けされる。

現れたのは、藤田智昭。

 

清司と辰也には「後処理を部下に任せる」とだけ告げ、独り、新田が待つ「境界線」へと足を踏み入れた。

 

「……ッ……来たか、藤田」

 

艇内のストレッチャーの上で、新田が重い瞼を開ける。

 

愛理の手によって血糊を拭い去られた彼は、防弾ベストを貫通せんばかりの衝撃に耐えながら、目の前の男を冷ややかに見上げた。

 

智昭は何も言わず、自らの右腕を新田の前に差し出す。

約10ヶ月間、彼の右手首に在り続けた異物。金属製のブレスレットが、深く手首に食い込んでいる。

 

新田が自分のコレクションの中から選んだ、智昭への「呪縛」。智昭にとって、行動を縛り、監視するために嵌められたその腕は、屈辱以外の何物でもなかった。

 

「ブレスレットを外せ」

 

智昭は一旦右腕を下ろし、続けて問う。

彼の声は、黒い海の波音を背に、新田の耳元で低く響く。

 

「……ダイヤの在り処と、本国のスパイダーと取り引きしている人間を言え」

 

彼は左手でナイフを握り、その刃先を新田の頸動脈へとあてた。

 

「……ハイハイ、降参だ。わかってるさ……」

 

新田は首元の冷たいナイフに意識を向けながら、腹の底から声を出す。

 

「てめぇ……このナイフどけろや。できることもできねーじゃねぇか。あ?」

 

智昭と新田の距離は、拳一つ分。

互いの息遣いが聞こえるほど間近で、二人の視線は一切逸れることはない。

瞬きさえも許されない時間が流れる。

 

背後に控える愛理たちは、その殺気に身動きができずにいた。

 

智昭はすんでのところで理性を働かせ、左手のナイフを新田から外した。

 

賢志が後ろから新田の後頭部に銃口を突きつける。新田は両手を挙げたまま、片手をヒラヒラさせながら、ゆっくり首から下げているネックレスを引き出した。先端には、小さな鍵がぶら下がっている。

「俺にしかできねーぞ。邪魔すんなよ」

どこまでも不遜な態度の新田に、賢志は眉間の皺を深くし、拳銃を握る手に力を込めた。

智昭はそれを目線ひとつで制止した。

 

新田は背後の様子など気にも留めず、智昭の右手首を引き寄せ、鍵を回した。

カチッという音と共に、重厚な金属塊がガシャンと音を立ててボートの床に落ちた。

 

「あーあ。これ、億超えなんだからな?」

 

新田がふざけた態度を見せる中、智昭は問いを重ねる。

 

「ダイヤはどこだ。スパイダーと取り引きしている人間は?」

 

新田の顔が一瞬緩んだ。

 

「……お前、本当はダイヤだけで充分なんだろ? 取り引きしてる人間なんて、どうでもいいんじゃねぇのか?」

 

智昭は何も反応しない。

 

「……案外、つまらん男だな。100カラットの原石は……Y市の旧青木邸だ。静香の部屋にある。後は自分で探せ」

 

「スパイダーと取り引きしている人間は?」

 

智昭は再び、左手を新田の前に突き出した。

 

「焦るな。A国の俺の家だ。もう場所は掴んでるんだろ?」

 

「家のどこにある。言え、煩わせるな」

 

「ハイハイ。つまらんうえに、やかましい男だ。テーブルの裏確認しろ。外れるようになってる。……俺は親切な人間だな」

 

新田は嘲笑うようにそう言った。

 

「……賢志、康明。聞こえたな」

 

智昭の命を受け、二人は無言で頷くと、闇の中で即座に情報の裏取りを開始した。その間、愛理も智昭の傍らへと移動する。

 

智昭は新田の足元に、一つの包みを投げ込んだ。

 

「中に新しい身分証とパスポート、新しいスマホを入れた。本国から一番遠い国の航行チケットと、新しいクレジットもある。スマホの位置情報は、こちらから常に確認できるようになっている。不穏な動きを確認すれば、その新しい身分も即座に抹消する」

 

「おいおい、横暴だな。俺の金を取りに行かせろよ」

 

「何だ、お前。あんなはした金のために、このチャンスを無駄にするのか?」

 

「……ッ……テメェ……!!」

 

新田は一瞬、怒りで襲いかかりそうになったが、不安定なボートの上であることが新田の立たされている状況を思い出させた。

 

「……チッ……しゃーねぇか。他人の手に渡るくらいなら、オヤジにやってくれ」

 

「それは契約には無い」

 

「……お前、本当に面白くない男だな」

 

智昭は冷たく言い放った。

 

「……お前は、この瞬間からこの世に存在しない。二度と、私たちの前に現れるな」

 

智昭はボートへ戻ろうと背を向けたが、最後に新田の足元へ、港までの航路を示す小さな端末を投げ入れた。

 

「……後は自力で行け。」

 

愛理たちは智昭のボートに飛び乗り、再び闇の中へと消えていった。

 

残された新田は、遠ざかるボートをいつまでも凝視していた。まだ自由を確信したわけではない。ダイヤが彼らの手に渡るまで、自分の安全など保証されないことを悟っている。

 

ただ、智昭が見せたあの異常なまでの執念に、新田は自分と同じ匂いを感じ取っていた。

 

「……あいつも、狂ってんだな。」

 

暗闇に漂うボートの上で、新田は港までの航路を示す青白い端末を拾い上げた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。