事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】 作:山本山
礼二の問いに、玲奈は静かに頷く。
「ええ。脳震盪の後の霧も晴れたわ。……それより辰也さん、事故の映像は見つかった?」
辰也はタブレットを操作した。
「……智昭の秘書から強引に手に入れたんだが、『適切な処理』を終えたはずの映像だ。僕にはよくわからないんだが、会社のエンジニアに聞くと、オリジナルデータに不自然な上書きの形跡があるらしい。誰かが意図的に特定のフレームを潰そうとした……あるいは、隠そうとした形跡があると言っていた」
「わかったわ。辰也、これはオリジナルデータよね? 礼二、別の角度から攻めた方がいいわよね。何か案はある?」
辰也が返答する。
「オリジナルはオリジナルだよ。ただ、慎也に返さないといけない」
「急ぐわ」
礼二が提案する。
「この車、レンタカーだろ? そこから辿ってみるのもありなんじゃないか?」
玲奈は頷く。続けて、
「辰也、清司ってこういう時どうしてるの? あなたたち、智昭が首都にいる時は何かとつるんでいたでしょう?」
「あぁ……たしかに。探ってみるよ」
辰也はすぐに清司にメールを送る。
《今日、時間ができた。夕飯はどうだ?》
「分かったら連絡するよ。他に何か調べることがあるなら頼ってくれ。俺の名前も、まあまあ使えるからな」
辰也は余裕の表情を見せる。礼二が口を開いた。
「この道をこの方向で走ってきたなら、どこかの防犯カメラにも映っているはずだ。レンタカーのナンバーがわかれば……。玲奈、この道路に設置されている防犯カメラを辿っていってみよう。侵入は君の方が早いだろう?」
カタカタと、静かな部屋にキーボードを叩く音だけが響く。
翔太はレンタカー会社から情報を集め出した。
「……待って、この事故映像、もっと単純だわ。どこだろ? どこかに不自然さが。……ここ、ここだわ。光の屈折と、フレームのノイズの乗り方が違うわ。運転手の手の甲……。ごく自然な肌の色で上書き(パッチ)されているけれど、元のデータには『何か』があったはずよ」
玲奈の指先が、キーボードの上でわずかに止まる。
一見、何の変哲もない「前方不注意による追突事故」の映像だが、玲奈のエンジニアとしての瞳は、わずかな**「情報の欠落」**を捉えていた。
「どうした、玲奈。何か見つかったのか?」
礼二がコーヒーカップを置き、モニターを覗き込む。
普通の人なら見逃すような、数ピクセル単位の違和感。玲奈は、上書きされたパッチの下に眠る「ゴースト(残像)」を復元し始める。
「……出たわ」
復元された数フレーム。そこには、ハンドルの上で白く光る、不気味な蜘蛛のタトゥーが浮かび上がっていた。
「これ……タトゥーをわざわざ消したの?」
礼二と辰也、翔太が画面をみつめる。翔太が口を開いた。
「A国ではわりと入れてるよ。それにしてもこの蜘蛛は精巧に入ってるね。すげー」
「翔太、たしかにA国ではタトゥー自体が手軽に彫られてるな。そんなにこの蜘蛛のタトゥー凄いか?」
礼二が腕を組みながら問う。
「ええ、ここまで精巧なのは初めて見ましたよ。陰影の付け方と、脚の関節の描き方……。これ、一筆書きに近い特殊な技法で、A国の特定の組織、あるいはそのコミュニティに属している連中しか使わないと聞いた事あるよ。それも、ただのファッションじゃない。身分証明に近い意味を持つヤツだ」
翔太の説明を聞きながら、玲奈はキーボードを叩き、さらに深層の階層へと潜っていく。一つの検索結果が警告音と共に画面に固定された。
「……ヒットしたわ」
表示されたのは、国際警察のデータベースの断片と、ある犯罪シンジケートに関する機密報告書。そこには、復元されたものと酷似した蜘蛛のエンブレムが、組織の紋章として記載されていた。
「組織名、『スパイダー』。A国を拠点にした広域犯罪組織……。主な活動内容は、麻薬取引、高度な技術を持つ人材の拉致、およびその身柄を担保にした企業への脅迫と資金洗浄」
礼二が眉をひそめる。
「拉致……? 玲奈、この事故は君を殺すためじゃなく、無理やり身柄を確保するためのものだったのか……?」
「……まさか……私の情報が漏れた? 考えにくいわ。当時、犯人は何もせず帰国したのよ。ぶつけただけよ? あ、それより見て。スミス教授が関与している疑いのあるフロント企業の名前がいくつか並んでいるわ」
玲奈はモニターを睨みつけたまま、数字の羅列を追い続ける。
「スミス教授のアルゴリズムを使った資金洗浄のログ……。その末端に、大森正雄の名前がある。その資金調達の過程で、スパイダーの監視役に自分の身内――つまり私の情報も漏らしていた可能性もあるわ」
「正雄がベラベラとお喋りした結果、スパイダーか、あるいはスミスか……そのどちらかが『藤田の妻という君』、もしくは『君という商品』に目をつけた……。スパイダーなら前者、スミスなら後者か? もしかしたらスミスは、それを智昭への揺さぶりとして利用したのか? スパイダーでも同じ事だな。共通するのは『玲奈』が目的なのは確実だ」
「私が目的……。『商品』、いえ、私の情報は固く守られてるわ。他国に渡る事は考えられないし、正雄も私の事何も知らない……。そうだわ、あの論文は私が執筆したことは公表されてるわね。アレが私の商品としての価値……無くはないけど、何も盗まれてもいないのはどういう事? 智昭の揺さぶりで、なぜ私を狙うの? 優里なら彼は全力で守るでしょうけど、以前あった藤田総研での暴漢……あれは智昭を狙っていた、それを優里が庇った。どう考えてもあの二人の絆の方が深いでしょ?」
翔太が、モニターに映る蜘蛛の足を指先でなぞった。
「……この蜘蛛なんなんだろうね。A国で彼が優里を側に置いていた時、彼は二人きりになることなかったんじゃないかな。優里を優先しているのに、優里からの話を聞いた感想になるけど、いつも茜ちゃんが居たんじゃないかな。ふとした瞬間、優里を見る彼の瞳に鋭さがあったよ。優里は気づいてないし、藤田さんも無意識だったと思う。ほんの一瞬だからね。僕はある意味第三者だし、優里をほんの少し好きだったからね。二人をよく見てたんだ。勿論、今は玲奈さんひと筋だからね」
「……翔太、この前も智昭が優里を利用していると明言していたわね。根拠は何なの?」
「……今はわからないけど、A国にいた時の根拠なら、俺も男だからわかったんだ」
礼二も辰也も、一瞬、身体が揺れた。二人も翔太に注目する。
「どういうこと? 彼はいつでも優里を優先しているわ。惜しみない愛情を注いでいるじゃない」
「今は知らないよ……。あくまでも、A国でのこととして聞いて。玲奈さん。愛情があるなら、触れたいと思うものだよ。しかも優里からは、そんな雰囲気を出し続けていた。だけど、僕が見る限り藤田さんから彼女に触れることはなかったよ。愛情が本当にあるなら……正常な男ならあんな長期間、耐えられないよ。藤田さんはノーマルなんだろう? それとも機能不全なのか?」
「…………翔太の知らないところでは、仲良くしていたかもしれないわよ?」
「……ないよ、玲奈さん……。男って単純だよ。俺だって、いつでも玲奈さんに触れたいんだよ。必死に抑えてる。嫌われたくないから。そして、ここにいる礼二さんと辰也さんには、俺の魂胆なんて見抜かれているよ。それから、俺も二人のことを見抜いてる。ブレイクスルーする時も、理屈じゃないはずだよ。勘でしょ? それに何かあれば、二人が醸し出す雰囲気もおのずと変わるし、それに気づくよ。鈍感でなければの話だけど」
礼二と辰也は顔を見合わせて固まっている。