事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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65話 現在編

 翌朝目覚めた玲奈は、翔太の部屋を訪ねて朝食に誘った。ホテルのレストランへと向かう。

 

「玲奈さん、調子はどう?」

 

「うん、大丈夫よ。心配ありがとう」

 

「昨日より顔色はいいね。よかった」

 

翔太は両手を頭の後ろで組み、玲奈の顔を覗き込んだ。ほぼすっぴんの玲奈の美しさに一瞬動きが止まる。邪な気持ちがバレないうちに、慌てて半歩距離を取った。

 

「翔太、午前のうちに一度、青木邸に寄りたいの。構わない?」

 

「仰せの通りに」

 

昨日とはうってかわって、

若干浮ついた返事だった。

玲奈は彼に反応せず、翔太が引いてくれた椅子に座る。翔太も頬を緩ませながら席についた。

 

「昨日、豪華客船の資料は集められるだけ集めておいたよ。さっき部屋を出る前にPCに送っておいた。計画書は辰也さんから送られてきたものも添付してるから」

 

玲奈は首を少し傾げながら、彼を見た。

 

「翔太、本当……成長したね。立派だよ」

 

翔太の耳がほんのり色づく。

 

穏やかな会話の裏側で、玲奈の頭の中はずっと演算を続けていた。この集中とは別に、勝手に同じ思考を繰り返してしまう状態は、ある種のバグだ。

 

リセットのつもりで青木邸に向かう。

母の、祖母の、青木家の人々が愛した、

始まりの場所へ。

 

 

 

 

ーーー

 

Y市の高台に佇む「青木邸」は、玲奈の記憶にある通りの威厳を保っていた。けれど、長く人が住まない家は、定期的に手入れをしていても生気が失われるのか、あちこちの老朽化は止められない。

 

玄関ポーチに、泥が乾いた靴跡を見つけ、玲奈の眉間に力がこもる。

 

(……前回の掃除の時のものだろうか?)

 

鍵を開けて中に入ると、ひんやりとした空気の中に、埃とわずかなカビの匂いが混じっていた。時折、最後の力を振り絞るように、古い木の香りが漂ってくる。

 

主を失った家は、こんなにも空虚なものなのか。朝陽が差し込むリビングで、玲奈はそう感じていた。

 

父の代から愛用している、重厚な革張りソファに目が留まる。

 

「……翔太、ここ」

 

玲奈は人差し指で、絨毯に深く刻まれた長年

「定位置」から、外側に数センチだけズレている場所を指し示した。

 

「あっ、本当だ……」

 

「業者がソファを動かす事は無いと思うの。……こんなに重い家具がズレたままなのは、誰かがここで強い力で踏ん張った証拠だわ」

 

「翔太、押してみて」

 

翔太が力任せにぐっと押してみる。毛足の長い絨毯の上を、ソファが鈍く動いた。

 

「えっと……結論、物凄く重たいよ」

 

「うん。わかった」

 

 

玲奈は二階へ上がり、母・静香の私室――かつての鑑定室のドアを開けた。静香が入院して以来、手付かずのまま保存されている聖域だ。

 

「あ……」

 

玲奈の視線が、部屋の隅に置かれた宝石細工用の作業机に釘付けになった。

 

母の人生がつまった場所。

 

机に備え付けられた古い天秤秤。

その重り(分銅)を入れるケースの蓋が、

わずかに浮いている。

 

玲奈がそっと蓋を開けると、そこには分銅が並んでいた。本来なら最も使用頻度が低いはずの「大粒の重り」が、手前に入れ替えられている。

 

(……誰かが、ここを開けた。誰が?)

 

「翔太、100カラットのダイヤってどれくらいの大きさになる?」

 

翔太がスマホを取り出し、検索をかける。

 

「クルミくらいの大きさだって」

 

「うん。そうだよね。わかった」

 

脳をリセットするつもりが、新しい情報のせいで、果てしない演算が加速していく。

ぼんやりと見えている輪郭が、

一つのブレイクスルー的な直感へと変わる。

 

(……誰かが、ダイヤを持ち去った……)

 

青木邸を後にする玲奈の瞳には、ある仮説の確信率(パーセンテージ)が増えていく様が見えていた。

 

「翔太。ホテルに戻ったら、『豪華客船の摘発計画』の全工程を検討しよう。時間はまだあるよね?」

 

玲奈は翔太を真っ直ぐに見据え、そう告げた。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

離陸の重力に背中を預けながら、玲奈は窓の外に遠ざかるY市の街並みを見つめていた。思考の演算は、やがて母・静香がなぜ大森正雄という「欠陥」に惹かれたのか、という一点に収束していく。

 伏し目がちに、あの透き通る声で父を語る母を思い出す。

「正雄さんはね、母さんの話をちゃんと聞いてくれてね、わからないことは質問してくれるし興味を持ってくれたの。いつも優しく微笑んでくれる人なのよ」

 静香という人は、宝石鑑定という孤独の中に生きていた。正雄はその孤独を埋める「唯一の理解者」のスクリプトを演じきった。静香が語る石の情熱を、まるで自分のことのように感銘を受けて聞き、静香の専門性を崇拝する弟子のように振る舞う。その「過剰なまでの同調」は、孤独なプロフェッショナルにとって、最も依存性の高い麻薬だったに違いない。

 

(……母さんは、彼を愛したんじゃない。彼が演じた『鏡』を愛したのね。父は母さんのエコー。母さんが自分の愛を叫べば、彼はその通りに響きを返した。母さんは、自分の鏡合わせの残像を愛して……。父の裏切りは、そう、自分が自分を裏切るのと同じね……。保てなくなるわ、そんなの……)

 

 

(男を見る目のなさは母譲りなのね……。

            ねぇ…、母さん)

 

 

 

 

 

玲奈のノートパソコンには

智昭が書いた

 

「豪華客船人身売買摘発計画のシナリオ」

 

が、保存されている。

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