事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】 作:山本山
都内最高峰のホテルの大宴会場は、シャンデリアの眩い光と、選び抜かれた千人の賓客たちの熱気に満ちていた。
【藤田総研代表取締役就任パーティー】
入口では、大森正雄と佳子が、まるでこの場所の主であるかのように振舞っている。藤田総研の社員たちが向ける冷ややかな視線にも気づかず、正雄は重鎮たちに「娘が、智昭君を支えることになりまして」と、人生の頂点を謳歌する笑みを振りまいていた。
優里は、智昭の秘書にエスコートされて登場した。
急ぎの仕事を終わらせた智昭が会場に現れる。会場の視線を一斉に浴びながら、来賓たちと軽く挨拶を交わして主賓席に座る。
彼の浮かべる表情はいつもの隙のない微笑みだが、会場の一角を捉えた瞳には、嫌悪がはっきり読み取れた。
そこへ、一瞬にして静寂が流れ込む。
湊礼二にエスコートされる青木玲奈、その後ろに控える翔太。三人の姿は、レッドカーペットを闊歩する主役そのものだ。
玲奈の纏うドレスは、ホルターネックのクロスフロントから裾に向かって、深いパールグレーから漆黒へと変化するマーメイドライン。その指先が握るクラッチバッグには、鋭利に光る蜘蛛のモチーフがあしらわれていた。
礼二は漆黒のスーツの襟元に蜘蛛、翔太はパールグレーのスーツの襟元に蜘蛛の巣のブローチが鈍く光っている。
礼二はあえて、有頂天な正雄と優里の前へ歩み寄った。
「本日はおめでとうございます、大森さん」
礼二の慇懃(いんぎん)な挨拶に、正雄の顔が一瞬引きつる。後ろに無言で立つ玲奈の圧倒的な存在感に、佳子は虚勢を張るように扇子を握りしめた。玲奈は、彼らに言葉を投げかけることさえしない。
ただ、その瞳で「実証」の結果を見極めようとしていた。
智昭が静かに席を立ち、壇上へ上がる。
彼は淡々と、優里を「新社長」として紹介した。優里は再びマイクの前に立つ。「スミス」という心の支えを失った不安など、智昭に選ばれたという全能感が全てかき消していた。
「私が、藤田総研をさらなる高みへ導きます」
優里が自信に満ちた声を響かせた瞬間、背後の巨大モニターが切り替わった。当初、それは彼女の「実績」を称えるための映像のはずだった。
映し出されたのは、数ヶ月前の昼間の開発室。
「アルゴリズムの天才」と称された優里が、メインPCの前で凍りついている。画面上のコードは一行も進まず、カーソルだけが虚しく明滅を繰り返す。理論の壁を突破できず、自らの無能に押しつぶされるようにして、優里が椅子から滑り落ち、床に崩れ伏す様子が冷徹に記録されていた。
駆けつけた智昭が、意識を失った優里を無言で抱き上げ、画面から去る。主を失ったままの静かな画面。
巨大モニターが2画面に分かれて同じコードをPCが映し出している。そこへ、優里とは違う別の「手」が伸びる。
迷いのない打鍵音。優里が数日かけても突破できなかった論理の階層が、鮮やかに解体され、再構築されていく。その指先には、ペンだこや小さな作業傷……長墨ソフトで叩き上げられた玲奈特有の、エンジニアの指があった。
画面に【SUCCESS】の文字が躍った瞬間、カメラが引いた。そこには、固唾を呑んで見守っていた藤田総研の若手社員たちがいた。彼らは、優里ではなく「その指先の主」と手を取り合い、飛び跳ねて、心からの歓喜を爆発させている。社員たちが心酔し、共に汗を流す「真のリーダー」が誰であったかが、セリフなど無くても、その笑顔と熱量だけで証明されていた。
会場から、言葉にならないどよめきが上がる。
巨大モニターが映し出すシーンが切り替わる。
そこには、藤田総研の社員とは思えない装いの婦人が、作業中の長墨ソフトの名札を掲げる技術者・玲奈に向かって、何かを問い詰める様子が映し出された。
その様子を止めるでもなく眺めている優里。何もしない彼女に詰め寄る玲奈。その後、現場を後にする玲奈の姿。
ーこの騒動が意味するものー
それを知らない者はいない。この業界で長墨ソフトから契約解除された唯一の会社。真相が、社員でもない人間からもたらされた損失。
その、おろかな行いにざわつきを通り越して沈黙が訪れる。
優里は顔の色を無くし、一歩も動けずにいる。
すがる思いで智昭を探すが、彼の姿はどこにもない。
智昭はすでにモニター室で、この一連の流れをコントロールしていた。
最後の仕上げに、再び巨大モニターのシーンが切り替わる。
〜 ニュースの緊急速報 〜
大森正雄と佳子の罪状――不正蓄財、違法薬物販売【美容サプリメントにコカイン】、人身売買ルートへの関与。
会場の扉が開き、辰也率いる捜査員たちが雪崩れ込んできた。
「嘘よ! 何かの間違いよ!やめて!触らないで!私はなにもしてないわ、そうでしょ優里…貴方からも説明してちょうだい!!……智昭は?智昭はどうしたの?、優里!」
「佳子だ、全部コイツが、俺は仕方なく、クソっ離せ!離せ!」
悲鳴を上げる佳子。
見苦しく責任を擦り付け合いながら
手錠をかけられる正雄。
その醜態を、マスコミのフラッシュが容赦なく切り取っていく。会場は怒号と大森家の人間の叫びとが飛び交うカオスと化していた
優里は、糸の切れたマネキンのように壇上で立ち尽くしていた。
どれ程経っただろうか?騒乱が少し落ち着きを取り戻してきた頃、玲奈は静かに、壇上から動けない優里へ歩み寄った。
黒いマーメイドの裾が、崩壊した帝国を掃き清めるように床を滑る。
「……残念ね」
玲奈のひと言は、優里が見ていたものが蜃気楼そのものだと告げた。
玲奈が会場を後にしようとした時、出口の重厚な扉の前で、智昭が待っていた。
7年の時を隔て、データの裏側で真実を共有した二人の視線がぶつかる。
「明日、時間ある?」
玲奈が微笑んだ。その手に収まるクラッチバッグの「蜘蛛」が、シャンデリアの光を反射する。
「受領期限だわ。役所で会いましょう」
智昭は目を伏せて静かに、けれど確かに応えた。
「あぁ、何とかする」