事故ったのは玲奈だった 〜社長夫人はずっと離婚を考えていた〜【原作伏線回収・再構成】   作:山本山 

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70話 現在編

自動ドアが左右に開き、到着ロビーの喧騒が全身に押し寄せてきた。

 

 5年ぶりの本国の空気。飛行機を降りた瞬間から、この国特有の匂いが漂っている。

 

 辛いことが多かったこの国を懐かしく思っている自分に気がつく。

 

入国ゲートを進むと、馴染みの顔が出迎えてくれていた。

 

「玲奈、お疲れさん。時差は大丈夫か?」

 

「ええ、少し疲れたけど大丈夫よ。出迎えはよかったのに……ありがとう。礼二の方こそ疲れてるんじゃない? ここ数日のマスコミ対策、任せっきりでごめん」

 

「本当だよ、全く。……頑なに顔を出さない謎のREINAさんのおかげで、俺は寝る時間もないよ」

 

「……ふふ。嘘ね、翔太の露出の方が多いわ。彼、今、まともに外も歩けないんじゃない? わざとでしょ」

 

「……バレてたか。あいつは生粋のアイドルも顔負けの人気っぷりだよ。毎日、社長の俺に小言のメールが届いてる。知ってると思うが仕事もとんでもない速さで成長してる。とうとう、あの真田教授が目をかけ始めたよ」

 

「?! ……本当に? 凄いわ、翔太。いつか追い抜かれる日がくるかもしれないわ……」

 

「……冗談か? 玲奈は十馬身先を独走状態だよ。ま、この世界は突然のブレイクスルーでどうにでもなるから、これからも頼むよ?」

 

「、、何を言ってるの、、貴方の手腕がなければ『長墨ソフト』も『技術者RENA』も、とっくの昔に荒波に飲み込まれていたわ。礼二という強固な要石のおかげよ。本当にありがとう」

 

「これは、ありがたいお言葉だな。おかえり、玲奈」

 

「うん、ただいま」

 

かつてこの国を去る時の清々しさに代わって、今は達成感の中で同じ空港を歩く。

 

 ふとロビーを見渡せば、巨大なビジョンに「藤田グループの新体制、新社長に藤田悠馬氏が就任」というニュースが映し出されていた。

 

「……悠馬が社長に。変わったのね」

 

「智昭は藤田グループを自ら退いたようだ。半ば強引に悠馬くんを社長に据えたような気がするが……藤田家は優秀な遺伝子の塊なのか? 彼は彼で人心掌握の達人だよ。全く食えない人間ばかりで嫌になる」

 

「あは、貴方もそのうちの一人じゃない」

 

玲奈のスマホが震えた。確認すれば、翔太からだ。

 

『玲奈さん、おかえりなさい。お迎えに行けなくてスミマセン。我が社の社長命令で各メディアから取材されています。本当にうっとうしいです。早く玲奈さんに会いたい』

 

「礼二、翔太が……。ま、、いいわ。」

 

『翔太、ただいま。取材頑張ってね』

 

短く返信する玲奈。

 

「玲奈、送るよ」

 

「ええ、青木家までお願いしてもいい?」

 

「わかった」

 

 

 ーー

 

 

玲奈の帰国を待ちわびていた青木おばあさんが出迎える。以前よりも艶やかな顔色で、柔らかな表情の中にも万感の思いが溢れていた。

 

「おかえりなさい、玲奈。その美しい顔をよく見せて」

 

彼女を優しくも力強く抱擁する。

 

「ただいま、おばあさん。長い間留守にしてごめんなさい。……会いたかったわ」

 

離れていた時間を埋め合わせるように抱き合う。言葉を必要としない、慈しみあう家族。玲奈はようやく、帰ってきたことを実感していた。

 

「湊さん、わざわざありがとうございました。またいらしてね」

 

「礼二、ありがとう。会社でまた会いましょう」

 

 礼二は二人の挨拶に頷き、青木邸を後にする。

 

「玲奈、さあ、温かいお茶と貴方の好きなベリータルトを用意したわよ。これね、翔太さんが朝早く届けにきたのよ。彼、可愛い子ね」

 

「……翔太らしいわ」

 

「それと……ちょっとお茶を飲んで待ってて」

 

 そう言うと、おばあさんはいそいそと部屋を後にしたが、すぐに玲奈の所に戻ってきた。

 

「玲奈。貴女がいな間、智昭さんは何度もここへ足を運んで、茜ちゃんを連れてきてくれていたわ。……そして、これを貴女が海外へ行った日の夜、渡してくれたのよ」

 

おばあさんが差し出したのは、ベルベットの生地に包まれた小さな箱。開けてみなさいと促され、玲奈はその通りにした。

 

箱の中には、100カラットのダイヤモンドが部屋の照明を反射し、キラキラと輝いている。静香が鑑定した、本物のダイヤだった。

 

 

―― それと 

二十数年前の、父親の欄が空欄のままの玲奈の出生届の写し。添えられていたのは、一枚の古い写真。生まれたばかりの赤子を抱く男の腕。そこに巻かれた限定品の時計。智昭が調べ上げた腕時計の購入者、青木静香の名前。母が正雄の裏切りを知った経緯だった。

 

「お母様は……これを隠していたの?すぐ教えてくれたらよかったのに…」

 

「ごめんなさいね…あの頃は余りにも沢山の事が…整理がつかなかったのよ。それに貴女も邁進し始めていたから、事実が逃げるわけじゃないから、落ち着いた頃にと…。

それと、静香は貴女をあの大森正雄という男の業から切り離すために、気が病む前に手続きを済ませていたみたいね。……智昭さんは、それをダイヤと共に見つけ出してくれたみたい。…………不器用な人だこと…。」

 

青木おばあさんは静かに玲奈の瞳を覗き込む。おばあさんの微笑みに少し哀れみが含まれてた。玲奈もきっと同じ顔をしていた。

 

 

 

玲奈の胸の奥で、無くしたはずのパズルのピースがはまる音がした。

 

 

ーー

 

 

玲奈は、Y市の旧青木邸へと向かった。

以前訪れたときは空が低く重苦しく感じていたが、今回も同じ曇り空であることに、ふと気づく。なのに、不思議と気にならない。あの時、自分がいかに心身を削り、追い詰められていたかを今更のように実感した。

 

前は玄関に泥が乾いた跡があったり、家全体の老朽化が目立っていたが、今は違う。玄関のタイルは綺麗に保たれ、カビや埃の匂いもしない。補修作業が進んだ屋敷は、まるで生き返ったかのようだった。

 

リビングを抜け、二階の静香の作業部屋へと進む。母が多くの時間を費やした作業台の前に、玲奈は静かに座った。

 

出生届の父親欄を空欄にした母の英断。愛する人の、そして親友の裏切り。母は失ったものの大きさを、鑑定という仕事で埋めていたのかもしれない。

 

 目の前にある天秤の、片方の皿をカタンと指で弾く。天秤はバランスを取り戻そうと激しく揺れ、やがて止まる。それを数回、繰り返して眺めていた。最後には同じ形で静止する天秤。

 

 

 母はここで、ふたつの裏切りの痛みと戦いながら、たった一枚の「空白」に娘の未来を託した。

 

 智昭は、新田が隠したダイヤを探し出し、同時に、静香の娘への想い――「母の最後の決意」をも見つけ出したのだ。

 

 

 

結局、具体的な隠し場所は分からなかった。

けれど、この部屋の隅々にまで行き届いた手入れの跡が、誰かがこの数年、どれほど泥臭くこの屋敷の「想い」を繋ぎ止めようとしてきたかを無言で語っていた。

 

「……不器用な人、ね……」

 

 玲奈は、誰に言うでもなく呟くと、母の部屋を後にした。

 

 

 向かう先は、祖父が眠る墓所。

 

 

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