この世で最も攻撃性の高いものは何か、と聞かれたら、俺は『自分を弱者だと思っている、行動力のある人間』だと答える。
本当に弱いかどうかは関係ない。大事なのは、本人が自分を虐げられた側だと信じていることだ。自分たちは奪われてきた。踏みにじられてきた。だから取り返す権利がある。抵抗することは正義であり、その過程で多少乱暴なことをしても、それは社会が先に自分たちへ与えた痛みの返済にすぎない。そう信じた人間は、自分の手にした暴力を暴力だと認識しなくなる。
俺の可愛い恋人を思い返して欲しい。弱者自認は無いけど、被害者自認は凄いぞ。凄すぎてこんなことになってるんだからな、俺の説はわりと正しいと思う。
弱者自認のみなさまは、普段から本物の暴力が飛び交う場所にはなかなか出てこない。自分が傷つくのは理不尽だと思っているからだ。けれど、同じ怒りを持つ人間が周りに集まり、誰かが理由を与え、空気が「やっていい」と背中を押した瞬間、彼らは途端に暴徒になる。責任の所在が薄まり、罪悪感が分散し、自分の怒りだけが正義として膨れ上がる。
たちが悪いのは、彼らが加減を知らないことだ。初めて人を殴る人間は、自分の拳がどれだけ危険かも、相手がどこまで耐えられるかも、怒りが引いたあとに何が残るかも分からない。ただ、自分は正しい、自分は被害者だ、だからこれは許されるはずだと信じて、全力で振り下ろす。その結果、簡単に人を殺す。
異能解放軍にとって、今日はおそらく、全軍で臨むべき大いなる第一歩だったのだろう。長く潜み、耐え、牙を隠してきた者たちが、ようやく歴史の表舞台へ躍り出る日。自分たちの思想が、単なる地下の熱狂ではなく、社会を塗り替える力なのだと証明するための日。
だからこそ、泥花市という街ひとつを丸ごと舞台に選んだ。逃げ場のない劇場。観客も出演者も、土地も建物も生活も、すべてを呑み込む巨大な胃袋。
けれど、街ひとつという“生活の場”を戦場にする以上、どうしたって戦えない者が出る。
年寄りもいる。病人もいる。妊婦もいる。まだ個性も発現していない子供たちもいる。いまが戦いの時! と号令をかけたとしても、生活の中にいる人間すべてが、都合よく戦力へ変わるわけではない。
四ツ橋────リ・デストロも、さすがに「戦士全軍出撃! 子供たちにも竹槍を持たせろ!」とは言わないだろう。
慈悲深い指導者。未来を担う子供たちを守る強きリーダー。そういう姿を見せるためにも、子供や非戦闘員は保護される側に置かれるはずだ。だが、戦えない者だけを街の外へ逃がせば、安全に見えて、信仰に酔った人間には排除と受け取られる。守られたのではない。外された。役立たずの烙印を押された。そう思った瞬間、熱狂は同じ温度で屈辱に変わる。
信仰は、必要とされているという実感で繋ぎ止められている部分がある。弱者自認の者ほど、自分の尊厳に対して異様に敏感だ。取り扱いを誤れば、あっという間に信者から反転アンチへ早変わり。
見てご覧なさいよ我が実兄を。お父さんだいすき! の火力が、お父さん俺を見て死んで!! になって、もはや手が付けられない。どうしようもないね、これが間違えた指導者の生み出した化け物だよ。責任取って死んでもらおうね。
リ・デストロがここを戦場と決めた以上、戦えない者たちも丸ごと街の中に残されているだろう。後方支援とか、歴史の証明者とか、そういう良い感じの言葉で言いくるめられて。
前線には立たせない。けれど、戦いから完全には外さない。守られる側でありながら、参加している気分だけは与える。信仰を薄めず、プライドを傷つけず、責任感と高揚だけを都合よく残すために。
だって俺ならそうする。
なので正直、最初の一歩はとても怖かった。
俺の個性で何とかしてやるぜ! という気持ちはあったけれど、相手が対話可能な人間である保証なんてどこにもない。扉の向こうにいるのが、話を聞いてくれる市民なのか、解放思想で仕上がった気狂いバーサーカーなのか、開けてみるまで分からない。対話が通じない相手には最終的に物理攻撃しかないが、今の俺には手持ちの武器もない。ステゴロに持ち込まれたら、普通に雑魚だし逃げ足も遅い。可哀想な非戦闘員だ。
運が良かったのは、最初にエンカウントしたのが赤ん坊とその母親だったこと。
子持ちの母親は強いが、俺のかわいそぶりっ子灯火がめちゃくちゃ効く。庇護欲に対する特効で相性がすこぶる良い。「すいません、助けてください!」の一本勝負で家の中まで入り込めて、入り込めたらもうこっちのものだった。
いや、本当に、知らねえ男を家に招くのはやめた方がいい。俺が言うのもなんだけど、本当に危ない。赤ちゃんが心配になるから……。
今回は俺だったから良かったけど、世の中には普通に危険人物がいる。助けてと言いながら襲ってくるやつもいるし……。何やってんだよ、リ・デストロ。こういう層を守護れよ。あの役立たずのデコッパチがよ……。隙あらばヘイト。隙あらば殺意。
俺は武器はない、敵意もないと証明するように両手を見せたまま、できるだけ弱々しく笑った。
「こんなことになって……話を聞いて欲しいだけなんです。リ・デストロの言う“誰もが個性を隠さず生きられる社会”は、正しい。持っているものを恥じろなんて、そんなの間違ってる。俺もそう思います」
バウンサーの中で、赤ん坊が小さく身じろぎする。俺はその子を見て、声を落とした。
「でも、だからこそ分からないんです。同じものを目指しているはずなのに、どうして俺たちはこの街に呼ばれて、殺し合わなきゃいけないんですか。ここには、この子みたいに、まだ何も選べない子だっているのに」
女性の視線が、俺から赤ん坊へ落ちた。腕が、守るようにバウンサーの縁へ伸びる。
「……でも、これは解放のためで」
「はい。だから、守らなきゃいけないんです」
俺はすぐに頷いた。否定しない。否定されたと思った瞬間、人はそれから先の言葉を全部聞きたくなくなる。聞く価値のある言葉であると誤認させてからがスタートだ。
「子供たちが、何に縛られることもなく自由に生きられる未来のために。それが解放軍の理念でしょう」
まあ、絶対そういう意味では無いだろう。好き放題ヒャッハーしようぜ! というのが異能解放の根底だろうが、この人にとっては“そう”なのだと目星をつける。
子供の傍から離れない親には子供をネタにするのが一番だと、前世の仕事仲間も言っていた。カスのライフハックだと思ったが、まさか使える日が来るなんてな。
「あなたが信じた願いは、きっと正しい。だからこそ、俺はあなたに頼みたいんです。戦える人じゃなくて、この子を守っているあなたに。今、解放の本質を守れるのは、前にいる戦士じゃない。後ろで子供の泣き声を聞ける人です」
俺の胸元にある“灯火”が、一度、ほとんど消えかけるほど小さくなった。ふ、と息を吹きかけられた蝋燭みたいに光が痩せて、部屋の中の温度まで一瞬下がったように感じる。
「ひっ」と、女性の喉から小さな悲鳴が漏れた。
その声を合図にするように、俺は“灯火”を元の大きさへ戻す。淡い光が胸元で揺れ、赤ん坊の頬にやわらかな色を落とした。ほんの一瞬のブレ。けれど、その一瞬が、彼女の中にあった理由のつかない恐怖を、確信へ変えたのだと思う。
失われるかもしれない。奪われるかもしれない。守らなければならない。自分が動かなければ、子供の未来まで戦場に呑まれてしまう。
……と、信じてくれているような眼。
使命感と、高揚。それが簡単に見て取れる。やっぱ俺の個性強くなってるなあ? たすかるが、ドクターとの陰惨な濃硫酸水掛けで個性強化が出来たのは素直に嫌すぎる。
しかし素晴らしい! やっぱり掲げる思想は美しくなきゃな!
まあ、異能解放軍の方から喧嘩を売ってきたので、遠くの方ではすでにドンパチが始まっておりますが……。あとでギガマキくんを街全体にぶつける予定でもありますが……。最初に殴った方が悪いので仕方ないです。こちらはあくまで、正当防衛と平和的対話のハイブリッドでやらせていただいております。弔くん達が正当防衛、俺が平和的対話を担当です。
リ・デストロからの解放戦士寝取り第一歩として、人妻を陥落させられたのは大きい。
主婦は概ね、地域コミュニティに属しているからな。近所の顔を知っている。どこの家に子供がいて、誰が話を聞いてくれそうで、誰が面倒くさいかを知っている。こういう生活圏の生きている情報はいくらあっても良い。前世でも今世でも戦場で一番ありがたいのは、土地勘と人脈を持った現地協力者だ。
「誰かほかにも、俺の話を聞いてくれる人はいませんか? 話し合いたいんです」
「公民館なら、他の人も集まっているはず……。わ、私が案内してあげる」
使命感を帯びた人妻、たすかる。
俺は彼女に連れられて、近くの公民館へ移動した。場所はそう遠くない、ほんの数分歩いただけでたどりついた。この数分の間に俺は見ず知らずの赤ん坊を抱っこしていたので、ちょっと自分の“個性”が怖くなったな……異常だろ、こんな不審者に自分のベビを抱かせたくないだろ……。本当に、俺が攻撃性低いから助かってるだけなので気をつけてほしい。精神攻撃を仕掛けているはずの俺の方がハラハラしてしまう。
公民館は、避難所というより戦場の外縁に置かれた待機場所だった。畳の大広間に、子供を抱いた母親や、腰の曲がった老人、車椅子に乗った男、顔色の悪い妊婦、所在なさげに壁際へ座る少年少女たちが集まっている。みんな外の音に怯えているくせに、怯えている顔をしてはいけないと思っているような、妙な強張り方をしていた。
解放軍の一員であるという誇り。戦えない場所に置かれているという不満。自分たちもこの歴史の一部なのだという高揚。それなのに、いざ音が近づくと身を竦ませてしまう恥。いろいろなものが空気の中で混ざっている。
抱きあげていた赤ん坊を母親に返す。その小さな手の中には、プラスチックでできたクマのケース。元はビーズを入れて、振ると音が鳴る手作りのおもちゃだった。透明な腹の中に、今はビー玉ほどの“小さなあかり”が入っている。俺の個性は鎮静作用があるから、赤ん坊が避難所で泣かない効果があるかもよ。と手渡した“あかり”の末路です。可愛いおもちゃになりました。
赤ん坊はそれを握って、機嫌よく手を動かしていた。からころ、とは鳴らない。代わりに、光だけが揺れる。
それを見た大人たちの目が、少しずつこちらへ集まってくる。怪訝そうな目。警戒する目。すがるものを探している目。怒りに支えられた目。自分たちはここにいていいのだと、誰かに証明してほしい目。
うん。たいへん、やりやすい。
俺は母親に支えられるようにして、部屋の中央へ立った。わざと少しだけふらつく。疲れているのは本当だし、怖いのも本当だ。だから演技ではない。演出である。見て! 可哀想な俺が来たよ。アウェーの中で頑張っているよ。
ざわめきの中、俺はゆっくり頭を下げた。
「すみません。急に来て、驚かせました」
最初は謝罪。人は、自分より弱そうな相手が先に頭を下げると、少しだけ強くなった気がする。強くなった気がすると、次に寛大な自分を演じたくなる。自分は話を聞いてやれる側の人間なのだと思いたくなる。
俺はその沈黙を待ってから、顔を上げた。
「俺は、あなた達の敵だと言われました。ヴィラン連合の者です」
部屋の奥で、誰かが小さく息を呑んだ。警戒。嫌悪。恐怖。けれど、その全部の下に、話を聞く理由を探しているような沈黙があった。
「でも、たぶん俺たちは、同じものを見ています」
その言葉に、何人かの顔が強張った。敵だと思っていたものから「同じ」と言われると、人は一瞬、反論の足場を失う。
「自分の持って生まれた力を、恥じずに生きられること。危ないから、迷惑だから、普通じゃないからと、誰かの物差しで押さえつけられないこと。自分の異能を、自分の意志で使えること。俺にも分かります。持っているものを否定されるのは苦しい。生まれた形を、間違いみたいに扱われるのは、あまりにも苦しい」
赤ん坊が、クマのケースを振った。淡い光だけが眠たげに揺れる。ドクターの元で何度も消したせいか、なんとなくわかるようになってきた。このクマ以外にも、俺の“あかり”がある。やっぱり戦士と教徒の一部が被っていたみたいだ。ありがたい。
「だから、俺はあなた達の怒りまで否定しません。怒っていい。黙れと言われた声がある。隠せと言われた身体がある。誇りになるはずだった力を、危険物みたいに扱われた記憶がある。その痛みを、なかったことにしろなんて言えない」
何人かが、ほんのわずかに息を吐いた。怒りを肯定されると、それだけで仲間意識が生まれる。かわいいね。人間ってやつは。単純で愛おしい。
「でも、考えてほしいんです。その怒りを、誰に向けるべきなのか」
俺は声を落とした。大きく言い切るのではなく、秘密を分けるように。あなた達だけが、これに気づけるのだと、そう思わせるように。大切な話はいつだって内緒話からはじめるものだ。あなただけに特別な情報を、という売り方。
赤ん坊に視線を向けると、皆も見る。小さな、まだ何も知らない、理解できない赤ん坊。“未来”ってやつだ。無限の可能性でもある。
「この子が、強すぎる個性を持って生まれたら。弱すぎる個性だったら。人に見せづらい個性だったら。もし、何も発現しなかったら」
そこで、部屋の空気が変わった。
個性の自由を掲げる者ほど、無個性という言葉には一瞬だけ反応が遅れる。持っているものを誇れという思想の中で、持っていない者をどう扱うか。そこを突かれると、弱い。
「その時、この子は欠けた子ですか。可哀想な子ですか。劣った子ですか。解放される価値のない子ですか」
俺は、できるだけやわらかく笑った。
「違うって、思いたいですよね」
断定しない。人は押しつけられた結論より、自分で辿り着いた気がする結論を大事にする。たとえ、そこまで手を引かれていたとしても。
「強ければ危険物。弱ければ不良品。目立てば異物。役に立たなければ荷物。持っていなければ欠陥。名前を変えているだけで、人を測る秤は何も変わっていない。皆さんが壊したかったのは、そういう社会だったはずです」
誰かが、かすかに頷いた。
「なら、今この街で起きていることは、本当に解放ですか」
沈黙が落ちた。
ここで「間違っている」と断じると反発が来る。だから疑問形で置く。疑問は、相手の頭の中に勝手に根を張る。俺は水をやるだけ。大きく育つように栄養剤も混ぜて水をかけて太陽光が当たるようにするだけ。
「自分の異能を、自分の意志で使う。それが解放なら、誰かに命じられたから戦うことは、本当に解放ですか。歴史のためだと言われたから、未来のためだと言われたから、戦えない人まで街に残され、子供の泣き声を聞きながら、怯えていないふりをする。それは、本当にあなた達が望んだ自由ですか」
顔を伏せる者がいた。唇を噛む者がいた。怒りを持っている人間ほど、「自分は利用されているのではないか」という疑いに弱い。だって尊厳の話だから。
「デストロの理念は、唯々諾々と従うことですか」
その名前を出した瞬間、空気がひとつ硬くなる。だが、逃げない。
「上から言われたことに黙って従い、自分の恐怖を押し殺し、自分の疑問をなかったことにして、子供のいる場所を戦場にする。それは、抑圧と何が違うんですか」
奥にいた男が、低く唸るように言った。
「……なら、リ・デストロが間違ってるって言うのか」
来た。
俺はすぐには頷かなかった。ここで「そうです」と言うのは簡単だが、それでは彼らにとって俺は外部の敵になる。大事なのは、彼ら自身に“正しさを取り戻させる”ことだ。
「いいえ。俺は、あなた達の信じたものが間違いだったとは思いません」
男の眉が動く。
「しかし、正しい理念を掲げているなら、正しくないやり方を見過ごしてはいけない。解放を名乗るなら、誰かの命令に自分の判断を明け渡してはいけない。真の戦士とは、ただ前に出て戦う人のことじゃないはずだ。自分の中の正しさを、誰かに預けない人のことです」
母親が、赤ん坊の背を撫でた。その指の動きが、さっきよりゆっくりになっている。彼女の呼吸が落ち着けば、周囲の空気も少しずつほどけていく。最初に俺を入れた人間が怯えていなければ、他の人間も安心する。
「皆さんは、守られているだけの弱い人たちじゃない。今、この街で一番大事なものを預けられているんです。子供。老人。病人。怪我人。まだ自分で旗を選べない人たち。戦いの熱に呑まれた前線では、もう見えなくなっているものを、あなた達は見ている」
赤ん坊が笑った。何が面白かったのかは分からない。俺の顔か。クマか。あかりか。とにかく、赤ん坊が笑うと、大人たちは一瞬だけ弱くなる。あらゆる思想より、赤ん坊の笑い声の方が速い。人間は愚かで、優しい。
「この子はまだ、自分の旗を選べません。解放軍に入るのか、ヒーローになるのか、個性を誇るのか、隠すのか、あるいは何も持たないまま生きるのか。まだ何も選べない。だから大人が、選べる場所を残さなきゃいけないんです」
そこで、赤ん坊の握るクマの腹の中で、小さな“あかり”が、ちか、と揺れた。
俺はその光を見て、もう一段だけ声を落とした。
「この戦いは、たぶん誤りです」
息を呑む音が、今度ははっきり聞こえた。畳の上に置かれた誰かの手が震える。怒りではない。怯えでもない。信じていたものの真ん中に、細い亀裂が入る音を聞いてしまった人間の震えだった。
「でも、理念まで誤りにする必要はない。間違った戦いを止められるなら、あなた達の正しさはまだ死んでいない。命令に従って流されることが忠誠なんじゃない。間違っていると分かった時に、理念のために踏み止まることこそ、信じたものへの忠誠です」
ちか、と、小さな光が揺れた。最初に光ったのは、赤ん坊が握るクマの腹の中だった。透明なプラスチックの内側で、ビー玉ほどの“あかり”が瞬く。次に、母親の胸元で揺れていた別の“あかり”が応えるように光った。誰かの鞄につけられたもの。老人が掌に包んでいたもの。少年がポケットの中で握りしめていたもの。それぞれの場所で、ちか、ちか、と小さな火が呼吸を始める。
そのたびに、空気が変わっていく。怯えがほどけ、疑問が熱を持ち、屈辱が役割へ姿を変える。自分たちは置いていかれたのではない。外されたのではない。守られるだけの弱者ではない。今この街で、もっとも大切なものを預けられている。そう思い込むには、十分すぎる光だった。
「皆さんは、ここで終わりを待つ人たちじゃありません」
俺は声を強めた。震えを隠すような強さではない。背中を押すための強さ。俯いていた人間が、顔を上げるための声。
「前線にいる者たちは、もう戦いの熱に呑まれている。怒りを振り上げ、敵の顔を見ている。けれど、あなた達には、まだ未来が見えている。子供の泣き声が聞こえている。仲間の震える手が見えている。まだ何も選べない命が、ここにあると知っている」
誰かの手から、別の誰かの手へ、“あかり”が渡った。光を持っていなかった女の子が、隣の老人から小さな光を分けてもらう。妊婦の膝の上に、母親がそっと“あかり”を置く。少年が自分のポケットから取り出したものを、車椅子の男の掌へ押し込む。誰も、それを奇妙だとは思わなかった。誰が作ったものなのか。どうして数が足りるのか。なぜ自分たちは、こんなにも自然に光を分け合っているのか。誰も考えない。ただ、持っている者が持っていない者へ渡す。それはあまりにも正しく、あまりにも優しい行為に見えた。
ちか、ちか、と、部屋のあちこちで“あかり”が増えていく。星座みたいだった。畳の大広間に座る人々の手元で、胸元で、膝の上で、小さな光が線を結び始める。俺の胸元にある“灯火”が、そのすべての中心で静かに揺れていた。
「真の解放戦士とは、命じられた場所で命じられた敵を殴る者のことですか。違うはずです。自分の異能を、自分の意志で使う。自分の人生を、自分の判断で選ぶ。それが解放なら、あなた達は今こそ選ばなければならない。誰かの命令ではなく、あなた達自身の正しさで。この街を、子供たちを、未来を、解放の名に相応しい形で守るんです」
部屋の奥で、老人が杖を握り直した。白く骨張った指に力が戻る。
「……ここを戦場にしてはならん」
低い声だった。けれど、その一言は畳を這うように広がり、部屋の隅々まで染み込んだ。誰かが頷く。別の誰かが、息を吸う。母親が赤ん坊を抱き直し、顔を上げる。さっきまで怯えを隠していた目に、別の光が宿っていた。恐怖ではない。使命感だ。人間は使命を与えられると、少しだけ強くなる。かなり面倒な方向に。
「デストロ様の理念は、子供の泣き声を踏み越えて進むものではない」
車椅子の男が、はっきりと言った。
「異能を解放するために、未来ごと潰すなど本末転倒だ。そんなものは解放ではない。ただの暴走だ」
ちか、と、彼の掌の“あかり”が光る。その光を見た少年少女たちが、まるで合図を受け取ったみたいに背筋を伸ばした。壁際で小さくなっていた少年が、立ち上がる。自分の手を隠していた少年だ。その指先には、うっすらと硬質化した皮膚が覗いていた。隠す癖のついた手。その手が今、握りしめられている。
「俺、走れます。近くの家なら回れます。ここに人がいるって、戦う場所じゃないって、伝えます」
それを皮切りに、空気が一気に動いた。誰がどの家の鍵を預かっているのか。どこの路地を通れば前線に近づかずに移動できるのか。どの家に年寄りが残っているのか。どの子供がまだ迎えに来られていないのか。堰を切ったように言葉が流れ出す。悲鳴ではない。混乱でもない。役割を見つけた人間たちの声だった。
膝に力の入らない者は隣の肩を借り、歩けない者は地図を広げ、子供を抱いた者はさらに小さな子供を呼び寄せる。光はその間も、ちか、ちか、と揺れていた。高揚が伝播する。使命感が感染する。あかりは、持っていない者へ分け与えられていく。それが侵食なのか祝福なのか、もう誰にも分からない。いや、誰も分かろうとしていない。
「証明しましょう。あなた達の解放が、ただの暴力ではないことを。あなた達の誇りが、命令に従うだけの兵隊のものではないことを。あなた達が信じた理念は、弱い者を置き去りにし、子供を戦場に残し、疑問を持つ心を押し殺すようなものではないと、今ここで証明してください」
光が揺れる。ちか、ちか、ちか、と、呼吸が重なる。部屋にいる全員が、同じ火を見ている。
「仲間たちへ伝えてください。ここは守るべき場所だと。子供のいる場所で戦うことは、解放の理念に反すると。怒りに呑まれるなと。正しさを見失うなと。あなた達こそが、異能解放軍の正しさを全うする最後の砦なんです」
母親が、赤ん坊の手を包み込んだ。クマの腹の中で、“あかり”が一際強く光る。
「……止めなきゃ」
彼女が言った。
小さな声だった。けれど、その声はもう怯えていなかった。
「この子たちのために。私たちが、止めなきゃ」
その瞬間、部屋の熱が決まった。
人々は、もう逃げる相談をしていなかった。避難だけを考えている顔ではなかった。自分たちは正しさを預かったのだという、熱に浮かされた目をしていた。戦場の外縁に置かれた非戦闘員たちが、自分たちこそ理念を守る真の戦士なのだと信じ始めている。
よっしゃ!! 釣れた!!!!
綺麗な思想は、美味しい餌だ。一匹釣り上げたら一網打尽、もう止めたくても止まらない段階に来た。勝手に盛り上がる集団に、都度合いの手を入れながら肯定肯定全肯定だ。ヨッ! 凄いぞ! アッパレ! ……とは言えないので、神妙な顔でコクッ……! と頷いておく。前方理解者面だ。
「異能解放軍のために」
老人が言った。
「子供たちの未来のために」
車椅子の男が続ける。
「デストロの理念を、暴走で汚させないために」
部屋のあちこちで頷きが生まれた。拳を握る者。涙を拭う者。子供を抱き寄せる者。立ち上がれない者でさえ、掌の中の“あかり”を強く握っている。
ちか、ちか、と、光が揺れる。もう誰も、それを俺のものだとは思っていない。自分たちの光だと思っている。自分たちの正しさの証だと思っている。すごいな。それもともと俺のなんだけどな。所有権の移転があまりにも滑らか。
やがて、公民館の中にいた人々は動き始めた。近くの家へ声をかける者。避難経路を作る者。前線に近い道を塞ぐために机や椅子を運ぶ者。子供たちを奥の部屋へ集める者。外へ出る少年たちに“大人の言葉”を持たせる者。戦えない者たちは、戦えないまま、けれど戦いの意味そのものを奪いにいく。
反戦と離反と情報網が、正しさの顔をして産声を上げた。
よし、まあこんなところでいいだろう。
リ・デストロからの解放戦士寝取り、順調です。しかも本人たちは裏切ったと思っていない。むしろ、いまこの瞬間こそが最も忠実で、最も誇り高く、最も理念に沿った行動なのだと信じている。正しさで熱狂している人間は危険に気付けない。
あのね、弔くんたちそんなに優しくないので普通に皆殺しにされると思う。
前線に走ったら死んじゃうので、まずはこの付近の人たちを集めて説得するようにと流れを誘導しながら口八丁で足止めを続ける。
大丈夫! 俺とあなた達はこうやって分かり合えた! 世界はラブアンドピース、同じ理想を持つものたちで力を合わせて戦おう! 俺たちは仲間! 真の敵はこの国の制度! 特に公安!!
俺の“灯火”が、少しずつ感染していく。理由もなく、意味もなく、ただ当たり前みたいな顔をして、人の手から手へ分け合われていく。
なんなんだろうな、これ。本当に怖いな……。軽く現実逃避をしていたら、ちょんちょん、と袖を引かれた。見下ろすと、小学生くらいの女の子が胸の前で両手を握りしめてもじもじしている。しゃがんで目線を合わせると、彼女は恥ずかしそうに俺を見上げて、「……あかりさま?」と聞いた。
お、本物のあかり教信者か。「そうだよ」と答えると、女の子はぱっと顔を明るくして、「やっぱり、神様は私たちについてるんだ!」と笑い、友達のところへ走っていった。
彼女の口から、また話が広まっていくのだろう。あかり様は解放戦士の味方。神様は、正しい人たちを見捨てない。そんな感じに。ふふ、こわ~い……。と、アルカイックスマイルをきめていた時。
ピ、という電子音が耳元でした。
辺りを見回したが、音の発生源は見当たらない。……と思った瞬間、『おお、聞こえるかー? 元気でやっとるようじゃな』と耳元でドクターの声がした。
え! 不愉快! そういえば通信機があったな。必要ない生活をしていたから、完全に忘れていた。
「何?」
『なんじゃその嫌そうな声は。悲しいのう』
要件を言え、要件を。なんだか嫌な予感しかしない。聞きたくないが聞かないといけない類の情報な気がする。
『おまえに言うのを忘れておった。少し早めたから、もう着くぞ』
「は?」
その瞬間、これまでの戦闘音とは明らかに違う音が、街全体を叩くように響き渡った。公民館にいた全員が、音の出どころへ顔を向ける。
おい!! ギガマキくん来るの予定より28分はええぞ!!!! なにしてくれてんだこのカスジジイ!!!!