いきてきたるものがたり   作:かに3

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フェイタル・スタディ

 自宅兼拠点は地下にある。だから電気がついていないと、本当に闇しかない。俺がいる時は気を使って電気をつけてくれる燈矢くんも、自分しかいない時は、テレビとかパソコンとか、手元で最低限ものが見えればそれでいいらしい。

 

 本人にとっては不便がないのだろうが闇の中にいる燈矢くんはかなり怪異っぽい。

 火傷の跡は光の加減で妙に浮くし、もともと歩き方に無駄な上下動が少ないから、暗い場所だと足音より先に気配だけが滑って、ス────と平行移動しているみたいに見える瞬間がある。

 

 初見の人間が廊下の先であれと鉢合わせたら、たぶん「いた」じゃなくて「出た」と言うと思う。

 

 俺はもう見慣れたけど、それでもたまに、うわ怖……となる時はある。

 とはいえ、あまり率直に言うとただの悪口なので黙っている。怪異っぽい本人は、俺がそう言ったら『酷いことを言われて傷ついた可哀想な俺』として慰めを要求するくらいで、別に気にしたりはしないだろう。気にしないからといって、言っていいことと悪いことがありますからね。言いません。

 

 そんな燈矢くんが、今まさに闇の中で無表情のまま淫夢MADを見ている。

 

 パソコンだけがついた地下拠点の薄暗い部屋、青白いモニターの明かり、火傷の跡を照らす液晶の光、そして無音に近い顔で動画を眺める実兄。

 

 ひとつひとつの要素だけならまだしも、組み合わせた瞬間に急に意味が分からなくなる。

 

 昔のゲイビデオの音声を差し替えたり、妙な編集で魔改造したりしてネットに上がっている、あの妙にしぶとく知名度だけ生き残っているやつだ。

 だいぶ前に流行ったはずなのに、なぜかまだネットで息をしているタイプの文化遺産である。遺していい文化遺産かは知らない。

 

 これで笑ってたりしたらまだ「なにか琴線に触れたんだなあ」と思えるが、ずっと死んだ目だ……。常に光を失い気味の目をしている我が実兄だが、本当に興味が無いんだなということだけはよくわかる。

 猫ミームの方がまだ楽しそうだった。「この猫が跳ねてるやつ、可愛いな」とか言っていたし。

 なお内容は、彼氏に五股された女の不幸話だった。燈矢くんはそのへんの事情には一切触れず、猫がぴょこぴょこしているところだけを見て可愛いと評していたので、たぶん本当に猫しか見ていなかったのだと思う。俺が情操教育の一環として、動物番組を延々流して育てたせいかも。

 

 現実逃避していても仕方がないので、俺はドアの横を軽くトントンと叩いた。可愛い俺が帰ってきましたよ、の合図だ。

 

「ただいま~………」

 

 部屋の中に向けてそう声をかけると、燈矢くんはようやく顔を上げた。暗がりの向こうで、青白い光を受けた顔がこちらを向く。

 

「おかえり、いつ帰ってきてたの? 電気つけな、眼ぇ悪くなるよ」

 

 優しいことを言ってくれる。

 その優しさ自体は本物なのに、顔面にはパソコン画面に映し出された淫夢MAD由来の光がきっちり反射している。言葉は穏やかなのに、照明が最悪すぎる。なにこの図。家族愛とネットの澱が、こんな一点で交わることあるんだ。

 

 俺は近づきながら、できるだけ穏やかな声で尋ねた。

 

「なんでそれ見てるの……?」

 

 燈矢くんは一度画面に視線を戻し、それから少し考えるような顔をする。何かを選ぶみたいに言葉を探して、次の瞬間には、口をぱかっと開けて、口の前に親指と人差し指で円を作ってみせた、あまりにも率直すぎるジェスチャーだ。

 

「陽火くんにやってあげたくて、勉強してた」

「無理をなさらないで……お気持ちだけで結構ですので……」

 

 無から考えたにしては直球すぎる。人間ってほぼゼロの状態から的確にフェラチオのジェスチャーを生成できるんですか!? これは“偶然そう見える仕草”ではなく、意図を持ってやってるやつだ。

 

 咄嗟に出たのは猛獣を前にした丁寧な拒否だった。食いちぎられる恐怖でたぶん勃たないからやめよう……。

 

 検索履歴を見たら、単語を知らないせいでめちゃくちゃ率直な文言で調べていたらしい。

 深刻な検索汚染の淫夢ネタにことごとくひっかかってしまったみたいだ。うちのオニイチャン、Googleでスペースあけながら単語検索しか知らないんです……。だいたいの調べ物は全部俺がちゃちゃっとやってあげてたから……学ぶ機会が無くて……!

 

「陽火くん、俺の言うこと聞いて悪い遊び全部やめてくれただろ。ご褒美あげたいなあって。

陽火くんの好きなえっちなこと全部俺がやってあげようって思ったんだけど、多分そういう動画ってこの世にこれしかないみたいだ」

 

「ごめんな、よく分かんなかった」としょんぼりしている燈矢くんに、再度「お気持ちだけで十分ですよ……」とハグしながら応える。というか、俺の好きなことってえっちなことだと思われてるんだ……。そこだけちょっとショックだった。俺の好きなこと、他にもあるよ!? ゲームとか……読書も好きだし……。

 

 本当に、変な知識入れなくていいです。知識は不可逆的なものだし、無知シチュって俺の需要あるから。

 八歳年上のオニイチャンの無知シチュは、希少価値ありますので、はい。

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