いきてきたるものがたり   作:かに3

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【噛み合わないままの共鳴】

 

 最後の診察を終えた帰りだった。

 

 病院の自動ドアが背後で静かに閉まり、建物の中に満ちていた消毒液の匂いがようやく薄まる。

 夕方にはまだ早いはずなのに、空はもう白く疲れた色をしていて、ガラス張りの外来棟も、駐車場の白線も、どこかくたびれた光を返していた。病院の前を行き交う人間の足取りは総じて控えめで、声を張る者はいない。見舞い帰りらしい家族連れ、会計を終えた老人、薬袋を持った会社員、疲れた顔でタクシーを待つ女。誰もがそれぞれの事情を抱えていて、ここではそれを大きな音にしないのが暗黙の礼儀だった。騒ぐには向かない場所だし、騒ぎの中心になりたい人間もそうはいない。

 

 爆豪勝己は片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で鬱陶しそうに首の後ろを掻きながら歩いていた。

 包帯もギプスも取れて、見た目だけならだいぶ元に戻っている。だが、元通りに見えることと、本当に元通りであることは、まったく別の話だった。

 本人はそんなことを認めたくもないだろうし、認めるくらいなら噛みついて黙らせる方を選ぶ性格だが、退院明けというのはそれだけで妙な視線を集める。周囲は勝手に気を遣い、勝手に腫れ物を見るような顔をし、勝手に「大変だったね」と言いたげな空気を纏って近づいてくる。その全部がひたすら鬱陶しいに決まっていた。

 

 だから、背後から不意に声を掛けられた瞬間、爆豪は反射的に振り返った。

 

「いま、繊細な気持ちだったりするか」

 

 そこに立っていたのは、轟焦凍だった。

 

 言葉の内容も、タイミングも、声音も、全部がおかしい。

 気遣おうとしているらしいことだけは伝わるのに、配慮の回路がどこかでねじ切れ、結果としてもっとも神経を逆撫でする文面になっている。

 そういう器用なのか不器用なのか分からない真似を、悪意なく平然とやってのけるのが轟だった。ただでさえ常時機嫌が悪い爆豪は、その一言で瞬間的に激怒した。理屈はない。なんだテメェ喧嘩売ってんのか、とチンピラも真っ青な速度で脳内が因縁をつけ、呼吸より先に眉間へ皺が寄る。

 

「は? 舐めんな」

「そうか」

「そうか、じゃねえんだよ。なんで背後から急に出てくんだてめぇは」

「驚かせるつもりはなかった」

「驚かせとるだろうが。つーか病院前で待ち伏せとか陰気すぎんだよ」

「待ち伏せはしてない」

「今の状況でそれ通ると思ってんのか」

 

 轟は少し考えるように黙ったあと、妙に誠心誠意という顔で、病院横に設置された自動販売機の方を指さした。

 

「そこにいた。お前が出てくるのを確認してから来た。堂々としていたと思う」

「待ち伏せより気持ち悪ィわ!! ストーカーのやり口だろそれは!!」

 

 爆豪の声が一段大きくなり、すれ違った中年夫婦がびくりと肩を揺らしてこちらを見る。

 爆豪は舌打ちして、追い払うように片手を振った。ここで大騒ぎして他の患者や見舞い客に迷惑をかけるのは本意ではない。腹が立っているのは事実だが、だからといって場所を選ばず爆発するほど子供でもなかった。

 いや、性格だけ見れば十分に爆発しうるのだが、少なくとも今は病院の前だ。そこまで馬鹿ではない。爆豪は怒りやすいが、決して短慮な少年ではない。考えた上で、その考えを怒りが追い越してキレているだけだ。

 

 轟もそれを分かっているのか、距離を詰めすぎず、横に並ぶでもなく少し後ろに立っていた。

 その立ち位置もまた妙だった。引き止めたいが、露骨に足止めはしたくないという気配が中途半端に出ている。逃がしたくないくせに、追い詰める意思はない。そういう半端な遠慮がかえって轟らしかった。とことん爆豪の性質と相性が悪い。

 

「で」

 

 爆豪が低く言う。

 

「何の用だ。無駄話なら爆殺するぞ」

「お前をさらった奴らの中に、俺の兄がいなかったか聞きたい」

「……は?」

「こういう、俺みたいな顔のやつだ」

 

 轟は自分の顔を指した。相変わらず無駄に整っていてむかつく顔だ、とまず思う。

 その上で、言われた内容を頭の中で反芻する。ヴィラン連合の中に、こいつみたいな顔のやつがいたか。そんな訊き方をされても普通は困る。

 だが、轟の表情は冗談でも気まぐれでもなく、ただひどく真剣だった。暫く考えてから、爆豪は鼻で笑うように息を吐く。

 

「スカしたツラのやつは多かったけど、お前みてえなのはいねえ」

「そうか」

「……いや」

 

 そこで爆豪は言葉を切った。轟の目がわずかに上がる。変化と呼ぶには小さすぎるが、期待したのは分かった。

 こいつは感情が薄いわけではなく、出方が薄いだけだと、こういうときだけはよく分かる。

 

「お前みてえな変なやつはいた」

「変?」

「顔が似てたってワケじゃねえ。中身のウザさは似てたかもな」

「どう似てたんだ」

「説明しづれえんだよ」

 

 爆豪は露骨に嫌そうな顔をした。思い出したくもない、というより、思い出すと腹が立つ記憶だった。見た目の話なら簡単だ。全然似ていない。だが、あの手の“人の話を聞いてるようで聞いてねえ感じ”は、顔立ちより先に印象へこびりついていた。

 

 敵として分かりやすく嫌なやつならまだ整理がつく。だが、そいつはそういう単純な不快さではなかった。連合の中でもどこか浮いていて、悪意の向け方が普通ではなく、なのに本人だけは別に狂っているつもりもふざけているつもりもなさそうな、妙な温度のやつだった。

 

 やられたこと自体も腹立たしいが、その直後のやり取りがさらに意味不明だった。

 爆豪が呆然としている目の前で、そいつは死柄木から「お前このパーティから追放な」とあまりにも雑に放り出されていた。それに対して「連合の会計を一手に引き受けている俺を追放していいんですか?! ~あとから戻って来いと言われてももう遅い~」と、やけに丁寧な言葉で内情までつけて説明していたのは何の意図があったのか。ふざけていたのか、聞かせたい情報だったのか、それともその両方か。直後に死柄木から追加で叩かれていたあたり、少なくとも死柄木視点では後者ではなかったのだろう。あれは本気で鬱陶しがられていた。

 

 轟は黙って続きを待っている。急かしはしないが、引きもしない。短い付き合いのうちでも分かってしまった頑固さだった。

 

「話聞いてるようで聞いてねえ感じの」

「……」

「まともじゃねえことを、まともっぽく言う天然ヤローだ」

「天然……?」

「なんで自覚がねえんだよ」

 

 轟は少しだけ視線を落とした。考え込んでいるときの顔だ。爆豪が歩き出すと、轟も当然のようにその隣ではなく半歩後ろをついてくる。追いかけているというほど近くないくせに、話を終える気はないらしい距離だった。病院前の歩道を二人で進みながら、特に急かすこともなく沈黙が続く。

 

「陽火の可能性はある」

「知らねえよ」

「顔は本当に“こう”じゃなかったのか」

「全然似てねえよ」

 

 爆豪は即答した。そこだけは迷いようがない。並べてみても似ているところは「目が二つ鼻が一つ口が一つ」くらいだろう。

 無理に共通点を捻り出すなら、髪の赤い部分の色味くらいだ。だが向こうはもっと真っ赤で、印象もまるで違った。

 

「馬鹿みてえにデカかったしな」

「……そうか」

 

 目に見えて肩を落とす。その顔を見て、爆豪はますます苛立った。

 勝手に聞いて勝手にしょげるな。こっちに処理させんな。だが同時に、こいつが何を拾って、何をひとりで抱え込んでいたのか、その輪郭だけはなんとなく分かってしまう。

 轟はたぶん、最初から「兄がいた」と確信していたわけではない。ただ、否定しきれない材料を二つ持ってしまった。だから頭の隅から追い出せなかったのだ。

 

「てか、それ八年前からいねえやつだろ」

「……ああ」

「双子でも二卵生なら顔だって変わるだろうが」

「それは」

「そもそも、俺に聞く前に頼れる大人に相談しやがれ」

 

 そう言った瞬間、轟が顔を上げた。ほんの少しだけ目を見開いて、それからなぜか、ほっとしたような顔をした。人の神経を逆撫でする受け取り方の天才である。

 

「気にかけていてくれたのか」

「はァ?!」

 

 爆豪の声がまた一段上がる。通行人がちらりとこちらを見るので、舌打ちしながら音量を押し殺した。声音だけならカツアゲの恫喝に近い。

 

「ちげえわ!! 事件になってんだから頭に入れとるのは当然だろうが!! ヒーロー志望だぞ!!」

「なるほど」

「何がなるほどだ!!」

「お前なりに整理して覚えてくれていたんだな」

「爆殺すんぞテメェ」

 

 ヴィラン顔負けの眼光で睨み上げても、轟は少し首を傾げるだけだ。

 怒らせた自覚があるのかないのか分からない顔で、病院の白い外壁を背にして立つその姿は相変わらず変に整っていて、毎秒ムカつきを更新していく。

 

「お前、林間合宿んときからそのこと考えてたんか」

「……ああ」

「なんで今さら言う」

「その時は、お前のことを優先するべきだと思った」

「は?」

「連れ去られたのはお前だった。あの場で別のことを言うのは違うと思った。俺の“かもしれない”で、話をずらすのは余計なことだと思ったから」

 

 爆豪は一瞬、言葉を切った。こいつがそういう基準で黙ることは、なんとなく理解できる。理解できるのがまた面倒くさい。

 

 轟は続ける。

 

「それに、確証もなかった。布を被ったみたいな、海外の幽霊みたいな姿のヴィランがいた。コスチュームというより、異形型個性に見えた。そいつに、陽火くんに謝って、と言われた」

「謝って」

「ああ」

「なにを」

「俺が聞きたい」

 

 妙に静かな声だった。爆豪はそこで初めて、こいつがただ不器用なだけではなく、ずっとひとりで考え続けていたのだと悟る。

 誰にも言わず、整理もつかないまま、頭の隅に刺さった棘だけが抜けなかったのだろう。しかも轟にとって「親や大人に相談する」という当たり前の選択肢は、最初から当たり前ではない。実父への信頼がない。相談すれば正しく扱ってもらえるという前提がない。だから抱え込む。爆豪にはその歪さが、腹立たしいくらい自然に思えてしまった。

 ヒーローとしてのエンデヴァーは『好き』な方だが、あれが親父なのは素直に可哀想だと思う。体育祭で見た時から既にキツかった。息子の体育祭ではしゃぐ他人の父親を見て、うちの親父は大人しくて良かったなと勝手に評価が上がったくらいだ。

 いつもは情けねえと思っていたものが、いつの間にか『穏やか』にまで言い換えられた。

 

「それと、廃倉庫」

「……ああ」

「壊れた壁の影に誰かいた。顔は見えなかった。でも、確かに俺の名前を叫んだ」

「お前の」

「連合の中にいた」

 

 爆豪は眉を寄せた。あの時の混乱は、自分の中でもまだ完全に整理しきれていない。

 戦闘の熱、怒声、崩れる壁、爆音、煙、焦げた匂い、血の気が引く感じ。その全部の中に、断片だけが妙に鮮明に残ることがある。轟の言っているそれも、きっとそういう種類のものなのだろう。全体像は曖昧なのに、そこだけは輪郭を失わない。

 

「声、分からんかったんか」

「分からなかった」

「男か女か」

「それも」

「使えねえ記憶だな」

「そうだな、俺もそう思う」

 

 あっさり認められて、逆に言葉に詰まる。もう少し食い下がるかと思ったのに、轟は無理に意味づけを足さない。ただ事実だけを置く。

 

「でも俺の名前を、知っている呼び方だった」

 

 知っている呼び方。家族か、昔からの知人か、あるいは長くその名前を胸の内で扱ってきた誰かか。ただの敵が偶然呼んだものではない、という確信だけがそこにある。

 

「……で、それで俺に聞きに来たわけか」

「お前はあの場にいた」

「捕まっていたからな」

「見たものも、聞いたものも、俺より多いと思った」

「買いかぶんな。あん時の俺は自分のことで手一杯だ」

「それでも、爆豪はよく見ている」

 

 その言い方が妙に真っ直ぐだった。爆豪は露骨に顔をしかめる。

 

「褒めても何も出ねえぞ」

「褒めてはいない」

「より悪ィわ」

 

 軽口というには親しみのない温度だが、突き放すほど冷たくもない。風が吹いて、病院前の植え込みがかすかに鳴った。遠くで救急車のサイレンが細く響く。轟は少しだけ目を細めたが、帰る気配を見せない。爆豪もまた、さっさと立ち去ればいいのに、その場に残っていた。

 

「その、陽火ってやつ」

「俺の兄だ」

「知ってる。ニュースで見た」

「そうか」

 

 一時期、どの番組をつけても流れていた事件だ。

 行方不明の子供。謝礼金。顔写真。年齢。特徴。轟家の、エンデヴァーの三男、報道によって表現はぶれたが、とにかく“失われた子供”として扱われていた。

 同い年だったこともあって、爆豪の記憶にも残っている。幼い頃の自分は、テレビの前で、俺がヒーローになったらさっさと見つけてやるよ! と、誰に向けるでもなく胸を張っていた。

 自分はなんでもできると思っていた頃の、根拠だけはやたら強い宣言だ。だから覚えている。覚えているし、まさかその家族がクラスメイトになるとは思っていなかった。

 

 轟は爆豪の横顔を見たが、そこを掘り下げようとはしなかった。そういう無遠慮さは案外ない。代わりに、少し考えるように間を置いてから口を開く。

 

「俺は、陽火が死んだとは思っていない」

「根拠は」

「ない。……ないが、そう結論づけるには、情報が半端だ」

「勘で探してんのか」

「勘だけじゃない。少なくとも、林間合宿で俺に言葉を向けたやつは、陽火を知っていた。倉庫で俺の名を呼んだ誰かもいた。繋がっているとは限らないが、無関係とも言い切れない」

 

 そこで轟はほんの少しだけ言い淀んだ。珍しく、口にすること自体を迷っている顔だった。

 

「それに、もし本当に連合の中にいたなら……」

 

 続く言葉は、喉の奥で一度止まる。生きていたなら。見ていたなら。敵側にいたなら。そういう仮定は、一つ口にするだけで別の重さを持ちはじめる。轟自身、それが分かっているのだろう。

 

 爆豪は苛立たしげに息を吐いた。

 

「いたなら、何だよ」

「俺は、何を知っていて、何を知らないのかを確かめたい」

「面倒くせえ言い方だな」

「面倒なのは分かってる」

「だったらもっと単純に言え。兄貴が敵かもしれねえって疑ってんのか」

「……疑っている、というより、その可能性を捨てきれない」

 

 爆豪は眉間を押さえたくなった。重い。話の内容が普通に重い。

 退院明けに病院の前でやる話じゃない。けれど、こいつが今ここで来たのも分かる。ずっと抱えていたからだ。考え続けて、考え続けて、それでも一人の頭の中では回り続けるだけで、どこにも進まなかったのだろう。

 

「だから頼れる大人に言えっつってんだよ」

「……親父には言いづらい」

「知ってる」

「教師にも、証拠が薄いまま話していいものか迷った」

「そこを決めんのが向こうの仕事だろうが。お前が一人で“話す価値あるかどうか”まで選別して黙ってんじゃねえよ」

「そうかもしれない」

「そうかもじゃねえ。そうだ」

 

 轟は素直に反論しなかった。ただ、その沈黙は叱られて黙っているというより、たしかにそうだと噛みしめている沈黙だった。

 

「あと、お前」

「なんだ」

「最初の声かけは二度とやるな。退院明けの相手に“いま、繊細な気持ちだったりするか”は、配慮じゃなくて煽りだ」

「煽るつもりはなかった。どう言えばよかった」

「普通に“少し聞きたいことがある”でいいだろうが」

「それだと、お前が断りやすいと思った」

「ざけんな断るに決まってんだろ」

「だから、断りづらくならない程度に気を遣った」

「失敗してんだよ全方向に何もかもがよ」

 

 轟はそこで、本気で少しだけ考え込んだ。言葉選びの失敗を反省しているらしい顔が妙に真面目で、爆豪はさらに苛立つ。

 こいつはこういうところが妙に素直だ。悪意がないくせに最悪の角度から人の神経を撫でてきて、指摘されるとちゃんと学ぼうとする。突然妙に“聞き分けの良いガキ”のような仕草をする。許さないこっちが悪人にされる仕草だ、そこが面倒くさいし、爆豪はこのような行為を決して許さない。普通にムカつくので普通にキレるし許さない。無限に舌打ちが出る。こちらの『不快』のアピールを全く気にしないあたり、轟が被害者であることは決してない。鈍感で無神経で天然ヤローというだけだ。ツラの良さで上向きに誤認されているだけである。

 

「……次からはそうする」

「次があんのかよ」

「ある可能性は否定できない」

「否定しろや」

 

 病院前の坂を少し下ったところで、歩道の端に落ちた枯れ葉が風に転がった。

 午後の光は薄く、白い。治療を終えて出てきたはずなのに、何も終わっていない話だけが二人の間に残っている。

 轟は前を向いたまま、低く言う。

 

「お前が見た“変なやつ”は、何か言ったか」

「勝手に喋ってたな、内容はトチ狂ってたけど友好的とか冗談で済ませるように話の流れを作るのが上手かった」

「怒っていたか」

「怒られてた方だ」

「そうか」

 

 轟の目が少しだけ細くなる。考えている。頭の中で情報を並べ、繋がるものと繋がらないものを分けている顔だ。

 

「……もし陽火じゃなかったとしても、その人物は何か知っている可能性がある」

「だから一人で追うなっつってんだろ」

「…………………………………………追うつもりはない」

「今の間で信用できると思うか?」

「努力はする」

「曖昧だなオイ」

 

 轟はわずかに息を吐いた。笑ったわけではない。ただ、頑なに張っていたものがほんの少しだけ緩んだ気配がある。爆豪はそれを見て、勝手に落ち着くなよと内心で毒づく。

 

「……お前に聞けてよかった」

「勝手に納得して締めるな」

 

 爆豪は乱暴に頭を掻いた。退院したばかりの身体に、疲労がじわじわ戻ってくる。それでも立ち去れないのは、この話がただの無駄話ではないと分かっているからだ。

 轟の兄のことも、連合の中にいた妙な奴のことも、倉庫で名を呼んだ誰かのことも、全部まだ断片でしかない。断片のままだからこそ気持ち悪い。そして気持ち悪いまま放置するのは、たぶん二人とも性に合わなかった。

 

 轟は少しだけ視線を巡らせ、病院の前を出入りする人の流れを見た。誰もこちらには興味がない。けれど、こういう場所で立ち話を長引かせるには内容が重すぎる。

 

「相澤先生には話す」

「最初からそうしろ」

「ただ、その前に、お前から聞いたことを整理したい」

「メモでもしろ」

「する」

「あと、お前の記憶も出せるだけ書き出しとけ。林間合宿のときも、倉庫のときも。声とか言葉とか、使えねえと思う断片もだ。後から見返すと引っかかることがある」

「親身になってくれてありがとう」

「死んどけ」

 

 端的な暴言に、それでも轟は、また少しだけほっとしたような顔をした。そういう顔をされると、こっちが余計なことを言ったみたいで腹が立つ。爆豪は舌打ちして顔を逸らす。

 

「勘違いすんなよ。俺は別にお前の相談役になる気はねえ」

「分かってる」

「分かってねえ顔してる」

「助かったとは思ってる」

「勝手に助かってんじゃねえぞボケ」

 

 空は相変わらず白く、病院の壁は冷たく、風は少しだけ乾いている。治療を終えたはずの午後に、治療ではどうにもならない話だけが残っていた。その重さが二人のあいだに落ちたのは、ほんの数秒だけだった。先に耐え切れなくなった爆豪が、鬱陶しげに舌打ちを鳴らす。

 「……で、いつまで繊細な空気やってんだ」自分で言っておいて苛立ったように眉を寄せると、そのまま轟を置いて歩き出した。

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