実に三年ぶり……。
ええと、ご存じの方はご存じかもしれませんが、ちゃんと生きてます。はい。
今回は、前回からちゃんと3年の月日が流れております。
私、祥鳳の朝は、特別早いということは、ないと思います。
毎朝六時きっかりに鳴る目覚まし。それよりも十分ほど早く、私は目を覚まします。寝ぼけ眼で時計の針を確認して、布団の中でもぞもぞ。何とか睡眠に踏ん切りをつけて、薄くした掛布団を剥ぎます。上体を起こして、朝陽が一本差し込む部屋に、伸びをします。
「……よしっ」
うん、大丈夫です。目がしっかり覚めてくるのを感じて私は布団から這い出ました。まずは、カーテンを開けないと。
夜の
今日もいい天気です。昨日の天気予報だと、一日通して快晴みたいですし。また、本格的に雨の日々が始まる前に、洗濯物を干してしまいましょう。
ああ、それから、お買い物もしないといけませんね。いつもの商店街に、しばらくの間の食品と、後生活雑貨と、それから今夜の準備も。
車があるとはいえ、忙しい一日になりそうです。ふふ、でも、何もやることがないより、いいかもしれませんね。今の私は、油断すれば、運動不足になりそうですから。健康のためにも、美容のためにも、適度な運動は欠かせません。
何はともあれ。まずは朝食を作らないと、ですよね。今朝は一人ですから、パンを焼いて、目玉焼きとベーコン、ほうれん草のソテーあたりが良いでしょうか。
そうやって、今日一日の予定を、身支度を整えながら考えます。髪を梳かして、服を着替え、軽いお化粧も。
そうして、いつも通りに、一日が始まります。唯一あった問題といえば、切り忘れていた目覚まし時計が鳴って、驚きの余り素っ頓狂な声を上げたことくらいです。
「ごめんください」
朝食と洗濯掃除を終えた私は、馴染みの商店街へとやって来ました。うどん屋さんできつねうどんを食べ、生活雑貨を買い終えて、最後に顔を出したのは、いつものお肉屋さんです。
牛、豚、鳥。それから、唐揚げやメンチカツ、色んなものの並ぶショーケースの向こうで、お肉屋のおじさんは、丁度ハムカツを揚げているところでした。じゅわじゅわとおいしそうな音が、ここまでよく聞こえてきます。
油と睨めっこしていたおじさんが、振り返って笑います。
「いらっしゃい。ちょっと待ってて。もうすぐハムカツが揚がるから」
「わかりました」
頷いて、私はショーケースを覗きます。百グラムで測り売りされているお肉たち。どれもおいしそうです。今日は私の得意料理、肉じゃがにするつもりでしたけど。チキンソテーや、それこそステーキなんかも、おいしそうですね。うう、いつでも、このお店に来ると迷ってしまいます。
「お待たせ」
私が散々迷っているうちに、ハムカツを揚げ終わったおじさんが戻ってきます。私の前に立ったおじさんは、「どれにする?」と尋ねました。
「ええっと、豚こまを八百グラムください」
「はいよ。――肉じゃがかな?」
「はい。今日は、鹿屋基地の皆と、食事会なんです」
「そうかい。賑やかで、楽しそうだね」
おじさんがお肉を計る間、そんな風に話をします。私が鹿屋基地に着任した時から、本当にお世話になっているおじさんです。私のことはもちろん、鹿屋基地の皆のことも、よく知っていますから。それに、皆でパーティーをやろうなんてことになると、真っ先におじさんのお店に来ますしね。
「豚こまだけでよかったのかな?」
計り終わったお肉を包みながら、おじさんが尋ねます。どうやら、ハムカツを揚げている間に、散々迷っていたのがばれてたみたいです。
家計を預かる者として、お財布の紐の緩め方には気を付けているつもりですが……。
「……か、唐揚げも、お願いします」
「毎度あり」
誘惑に負けた私は、食事会特別補正予算の審議をいかにして通すか、頭の中で考え始めます。おじさんの唐揚げなら、皆とても喜んでくれると思いますけど。……ううっ、お財布担当としては、負けな気がします。
人数分の唐揚げも、おじさんが詰めてくれます。揚げたてはもちろん、冷めてもおいしい唐揚げです。しかもなんと、おじさんから美味しい唐揚げの温め方まで伝授してもらってます。唐揚げに関しては、今の私は無敵です。
豚こまとは別にした袋に、おじさんの唐揚げが山のように収まります。さらにおじさんは、その袋の中へ、先ほど揚げていたハムカツを入れてます。
「サービスだよ。祥鳳ちゃん、今日は誕生日だよね?」
……そんなことまで、憶えていてくれたのですか。あんまり嬉しくって、緩みっぱなしの頬をごまかしながら、おじさんの厚意をありがたく受け取ることにしました。
「おかえりなさい」
自宅に戻った私を、出迎える声がありました。上着を脱ぎ去った軍装に、エプロンを合わせる男性が、扉を開いてくれています。
私の同居人――いいえ、隠す必要なんて、ないですよね。でも、今でも少し、照れてしまいます。
彼は、弱冠二十四歳の、若き
「すみません、買い物を任せてしまって」
「いいえ。それより、基地の方はどうですか?」
「はい。今日でもう、後片付けもほとんど終わりました。来月には、解体工事が始まりますよ」
大量になった荷物を車から降ろしながら、彼は今日の一日を振り返って、私に教えてくれました。
深海棲艦との戦争が終わって、もうすぐ一年です。解体が決まった鹿屋基地は、半年ほどをかけて、艤装関連の施設、工廠関連の施設、港湾関係の施設と、設備の撤去が行われていました。数日前には、宿舎も片付けられています。そして今日、最後の設備撤去が完了して、鹿屋基地からは人も妖精もいなくなりました。あとは、解体工事を待つばかりです。
……最後まで、異動のなかった私にとっては、本当にたくさんの思い出の詰まった場所です。そこが無くなってしまうというのは……寂しくないと言えば、嘘になりますね。
でも、落ち込んでいても、仕方ありません。幸いにして鹿屋基地には、青葉さんがいましたから。思い出の一杯詰まった写真には、事欠きません。六年分積み上がったアルバムの中に、鹿屋基地の姿も、もちろん私たちの思いでも、ちゃんと収まっていますから。
「解体の日には、もう一度、挨拶に行きましょう」
彼の提案に、私はこくりと、頷くばかりでした。
そうです、終戦を機に変わったことといえばもう一つ。今私は、こうして、彼と一緒に、基地近くに家を持ちました。七駆の皆や、青葉さんも、近くのアパートを借りています。皆それぞれ、艦娘として以外の道を、歩き始めています。
ええ、とまあ、そういうわけで。今日は、皆揃っての食事会、兼、私の進水日祝いをすることになったのです。
ここ一年はバタバタとしていて、ゆっくりできたのは最近になってからですし。それにきっと、これからも、皆忙しくなるのでしょう。
ですから、今のうちに、ご飯を食べておきたいのです。
「……祥鳳さん、買い過ぎじゃないですか?」
大量の唐揚げと、おまけのハムカツを取り出しながら、彼が苦い笑みを浮かべて、私を見ます。ええ、何となくそんな気はしてました。
「は、ハムカツは、おじさんがサービスしてくれたんです」
「えっと、唐揚げは?」
「……すみません、おいしそうだったので、買っちゃいました」
正直に白状するしかありません。ううっ、財布の紐が緩くてごめんなさい。
益々笑みを深めた彼は、おもむろに唐揚げを一つ、摘まみます。それをそのまま、私の方へと、差し出しました。
差し出されるまま、私は唐揚げを一かじり。独特の衣の食感と、香りがします。少し冷めても、やっぱりおじさんの唐揚げはジューシーです。
「おいしいですか?」
「すごくおいしいです」
「おいしいなら、仕方ないですね」
彼はそう言って笑うと、かじりかけだった唐揚げを、ぱくり、一口で平らげてしまいました。
肉じゃが含め、食事会のメニューを用意していると、チャイムが鳴りました。良い具合にできてきた肉じゃがの味を確かめていた私は、魚を捌いている彼に台所を任せて、インターホンを確認します。予想通りの人物が、そこには立っていました。
がちゃり。玄関の扉を開くと、真っ先に飛びついてくる影。
「久しぶり、お姉ちゃん!」
大型犬もかくやというほどに飛びついてきたのは、瑞鳳です。三年前、第二次改装とともに横須賀へ異動になった妹とは、三か月ぶりの再会でした。
以前よりも少し大人びた雰囲気の瑞鳳は、それでも以前と変わらずに、全力で私を抱きしめます。さらさらした鳶色の髪を、私は堪らなく愛おしく撫でました。
「元気そうね、瑞鳳」
「もちろん!」
ようやく胸元から離れた瑞鳳が、それはもう、眩しいくらいの笑顔を向けてきます。本当に、姉馬鹿と言われてしまうかもしれませんが、その笑顔が可愛くて仕方ないのです。
来客は、瑞鳳だけではありません。
「お久しぶりです、祥鳳さん」
「お邪魔するぜ、祥鳳」
瑞鳳のすぐ後ろには、二人の元駆逐艦娘。海風ちゃんと江風ちゃんです。
大人びた、といえば、この二人もそうです。ややおどおどした印象の海風ちゃんと、元気が有り余った様子の江風ちゃん。二人も、瑞鳳と同じ時期に、横須賀へ異動になっていました。鹿屋基地の頃よりも、随分と頼もしくなったなというのが、しゃべり方からもわかります。
「海風ちゃん、江風ちゃんも、久しぶり。遠かったでしょう?」
「ンやー、全然。横須賀も、駅から遠いンだよ」
「むしろ、途中で色々懐かしいものが見れて、よかったです」
彼女たちも、二年ほどを過ごした鹿屋に、思い入れはたくさんあるのでしょう。穏やかな微笑みに釣られて、私も頬を緩めてしまいます。
再会を喜ぶ私たちの元へ、また新たに、人が現れます。
「およ、三人とも先についてたんだ」
ひょうきんな声とともに現れたのは、漣ちゃんでした。そのすぐ後ろから、朧ちゃん、曙ちゃん、潮ちゃんと、七駆メンバーが現れます。
海風ちゃんと江風ちゃんが、目を輝かせました。特に江風ちゃんは、一っ飛びに曙ちゃんへ抱き着きます。ふふ、こう言うところ、前から変わっていませんね。
「会いたかったぜ師匠―っ!!」
「あー、もうっ!会って早々抱き着くなってのっ!暑苦しいったら!」
そう言いながらも、満更でもない様子の、曙ちゃんでした。
「そうだ、祥鳳さん。これ、私たちからの差し入れです」
「皆で採ったタケノコで、炊き込みご飯を作ったんです」
じゃれつく曙ちゃんを一旦隅において、朧ちゃんと潮ちゃんが、大きな器を私に差し出します。掛けられた布巾を取り去ると、中にはホカホカとできたての炊き込みご飯。おいしそうな春の香りが、辺りに漂いました。
「ありがとう。いただくわね」
「結構、自信作ですっ」
ニパッと笑った朧ちゃんに同調して、潮ちゃんが何度も頷きました。これは、今からとっても、楽しみですね。
「さあ、皆上がって」
玄関で盛り上がり始めた友人たちを、私は家の中へと招きます。魚と絶賛格闘中の彼も、早く皆と会いたがっているはずです。
「はーい」
大変良い返事が、七つ重なります。いつかの鹿屋基地のように、賑やかな女の子たちの日常が、私の家にやって来ました。
「えー、では。僭越ながら、この青葉、乾杯の音頭を取らせていただきますっ!」
たくさんのお料理が並んだ机を、十人の人間が囲みます。各々の手にはグラスが握られ、ソフトドリンクやお酒が注がれていました。
あれからすぐにやって来た青葉さんが、いつもの調子でつらつらと語り始めます。これまでのこと、これからのこと。面白おかしく語る彼女に、私たちの笑みも止まりません。
「――とまあ、そういう訳でして。今日は堅苦しいことは全部忘れて、祥鳳さんの進水日を祝いましょうっ。カンパーイ!!」
「カンパーイ!」
「祥ちゃんおめでとー!!」
乾杯の声と、グラスの鳴る音。間髪を入れずに、少女たちの談笑が始まります。
「それでね、この前――」
「ぼーろ、サラダ取ってー」
「提督、ビール飲めるようになったんですねー」
賑やかな食卓に、私も混ざっています。積もる話は、いくつもあります。話したいことも、聞きたいことも、たくさんありすぎて困ってしまうくらいです。
楽しかったこと。大変だったこと。やってみたいこと。もう本当に、時間なんて、いくらあっても足りないんです。
ただきっと、これだけは、皆はっきり、言えるんです。
「提督」
「はい、なんですか?」
私、今、幸せです。皆で話せて、ご飯を食べて、笑い合って。それだけを、小声でそっと、伝えます。
はい、そうですね。と、彼が笑います。そして多分、彼と同じように、私も笑っていました。
ええ、本当に。私は今、とっても幸せですよ。
祥鳳さん進水日じゃん、急がなきゃ!と思いながら書いてました。
3年の間のお話とか、需要があれば書くかもです。個人的には、結婚式のお話書きたい。