……物心ついた時には、彼は一人だった。
気が付いた時には両親はおらず、ある山中で保護された彼は身元に繋がるモノは何も持っておらず、規則に従って保護施設で暮らし始めた彼は、その養護施設においても一人だった。
笑いもしなければ泣きもしない子供を気味悪がった大人や、異質な彼を薄気味悪がった施設の子供たちから孤立していたが、そんな事を彼は気にしなかった――正確には気にしている余裕が無かったのだ。
何時からか、彼の脳内には膨大な知識が流れ込んできていたのだ。
幼く未発達な彼の脳では、その膨大な知識を適切に処理する事は出来ず、彼はその膨大な情報――人間が持つ可能性や、身体の奥底に眠る強大な力――
数か月をかけてようやく知識が馴染み始めた頃には、それを悲しむような感情すら希薄になってしまった彼は、得た知識の検証を始める――長距離を歩くには不向きな幼少期には主に瞑想を行い、成長して遠出が出来るようになると、夜な夜な施設を抜け出して近くの山に行くと、実践的な訓練を行うようになった。
その頃には、感情をまったく表さない彼は孤立し、誰も彼の事を気にかけておらず、おかげで施設を抜け出す時も容易であった。
……だがさすがに一桁の子供が一人で生きていくのは難しく、朝早くには誰も気づかない内に施設に帰らなければならない事は億劫だったが、三食ありつけるのはありがたく、しばらくはこの施設で暮らしながら自分のやるべき事を探す日々が続いた。
そんな彼にも幾つかの変化があった……保護された日を誕生日として7,8歳の頃から、年下の子供が彼を見ると突然泣き出してしまう事が多くなったのだ……女性の職員が泣き出した子供を宥めながら話を聞いた所によると、どうやら彼の顔が怖くて泣き出したらしい……そういえば、年を取るにつれて目付きが鋭くなり、本人としては修行によって精悍な顔立ちになったつもりだった事もあり、若干ショックだったが感情が希薄な事もあってそのまま放置していた。
そして最大の変化は、施設においてもっとも体格が良く力も強い子供が彼に干渉してきた事だった――何を思ったか、ある日突然に完全に孤立している彼にケンカを吹っかけて来たのだ……最初は完全に無視していたが、それが子供に火を注いだようで、人気のない所に呼び出した彼に向けて子供は拳を振り上げたのだ。
体が大きく力が強いだけの子供など、夜な夜な訓練を行っている彼の敵ではなく、殴り掛かってくる子供の拳を軽く避けていると、ムキになった子供が執拗に殴り掛かってきたので、さすがに億劫になった彼は反射的に子供の足を払った。
――だが、そこで予想外の事が起こる。
夜な夜な身体の奥底に眠る強大な力――
子供の泣き声が響いた事で、職員が駆け付け――子供のケンカにしては重大な結果になり、子供は入院して彼は反省房に入れられる結果になった。
……そして彼は反省房の中で考えた。
今回の一件で彼は悪い意味で目立ってしまい、これからはこれまでの様に気軽に施設を抜け出すのは難しくなるかもしれない……そして、常人は思っていたよりも脆かった、と。
――そして、彼は施設を抜け出して姿をくらませた。
「――と。まぁ、そんな感じで俺は施設から自由の空へ飛び出した訳だ」
「……自由の空ねぇ」
東京の中心部から少し離れた港区麻布の十番街の近くに建てられた火川神社にたどり着いた市は、養父の兄を名乗る宮司 火野源一郎に誘われて住居のそばに建てられた茶室へと通された。源一郎とテーブルを挟んで向かい合わせに座った市は、年季の入った土壁と外から聞こえる獅子落としが奏でる和の空間の雰囲気を楽しみながら、改めて養父である源次郎との出会いに付いて語っていた。
――何者かによって強制的に送り込まれた概念――この大宇宙にあるもの全てが原子で出来上がっており、それは人間の身体も例外ではなく――人間もまたビッグバンで生じた小さな宇宙の一つである、という狂った概念……“何物でもない”自分を確立させる意味でも、その狂った概念に取り組み……数年の鍛錬の末に会得した
それを会得したある日――推定年齢10才を超えたその日に、目覚めた彼が握り締めていた水晶のペンダント……一見すると普通の水晶の様に見えるが、
彼は歓喜した――つまり自分は、あの神々の戦いに――地上の覇権を巡る神々の戦いの先兵として参加する権利を得た――幼いころに無理矢理詰め込まれた知識――地上の愛と正義を守る
それから彼は、来るべき日の為により一層の鍛錬を課した――これまで鍛錬相手兼食料としていた野生動物ではなく、より強い相手を求めて彷徨い――彼はこの世の闇と遭遇した。
“それ”の存在は古来より語り継がれていた……世は人工の光に溢れるにつれて、“それ”は暗闇に紛れて記憶の彼方に消え去ろうとしていた……だが、“それ”は闇の中で確実に蠢いていた――人は、それを“怪異”と呼ぶ。
――最初に“それ”を見た時、大型の獣かと思った……だが獣にしては殺意を宿した赤い瞳と、唸り声をあげる口がいびつに歪んで鋭い犬歯を見せ――獣の存在感は周囲の空間すら歪ませ、この世のモノとはとても思えなかった。
『まともな生き物じゃねぇな――けどなぁ、やってやらぁ!』
思えばいつの間にか握り締めていた水晶――『クロストーン』を得た事で高揚感に浮かされていたのかもしれない……未知の存在に果敢に戦いを挑むも、結果は惨敗……命辛々逃げ出す羽目になってしまった。
しつこく追いかけてくる獣ども――騒ぎを聞きつけたのか、追いかけてくる獣が一匹増え、二匹目三匹目と逃げるにつれて数を増やし、何とか獣どもを撒いて近くで流れていた小川の中に身を潜めてやり過ごして、拠点にしている洞窟まで逃げ帰ると地面に大の字になって寝転がって荒い息を吐き続ける。
……おかしい、修練の末に俺は確かに
おかしい、それではまるで知識の中にある冥界の支配者『ハーデス』の先兵『
『……ならば、アレは地獄の底から這い出た悪霊か、それに類するモノか?』
……知識の中にある
『……アレなら、今の俺でも会得出来るはずだ』
ある程度回復した市は、拠点としている洞窟の中で座禅を組んで己が内面へと意識を集中する……何者かによって植え付けられた知識によれば、
とはいえ、世の中はそんなに甘くはないようだ。
目を閉じ、己が内に意識を向けてどの位経っただろうか? 湿度の高い洞窟ゆえに、ぽとりと水滴が地面に落ちる音が響くが、それが気にならない位には意識を集中しているが、“超”能力――目の前の小石が動く気配は一向にない……世の中そんなに甘くはなかったか、と焦れる気持ちを抑えて意識を集中する。
……どれほど意識を集中していただろうか、丁度集中が途切れた時に周囲の森の中が騒がしい事に気が付いた……何かあったのだろうか? 修行を行っているが成果は出ないし、周囲の状況に何か変化があったのなら、知らなければ致命的な状況に陥るかもしれない。
座禅を崩して立ち上がると市は洞窟を出て周囲を見回す……鬱蒼とした森の中はこれまでと変わらずに静けさが広がる……おかしい。いくら山奥の人の気配が皆無の場所とは言え動物の気配すらなく、異常なまでの静けさに支配されている……洞窟の中で感じた騒がしさが嘘のように静けさが広がった森を前に、戦意を高めていく市。
そんな市の前で、少し離れた繁みが揺れる――何か来たか、それとも陽動か? あの怪異どもにそこまでの頭はないと思いたいが、どのような事態に陥っても良いように腰を落として構える市の前に姿を現したのは、繁みをかき分けながら都に出して来た小さいな塊――あの獣の姿をした怪異どもか! 即座に臨戦態勢から迎撃行動に移ろうとした時、市の耳に奇妙な鳴き声と言うか、妙な声が聞こえてきた。
「――みょほほぉーい!」
「……はぁ?」
茂みから飛び出してきたのは、奇妙な声を上げながらこちらに向けて走ってくる小さな塊……こんな山奥だと言うのに作務衣と草履と言うトンでもない姿をした白髪の老人だった……妙に丸っこい白髪の老人は、呆気に取られている市の前で大きくジャンプすると、空中で身体を捻って市の背中に張り付いた。
「――お、おいっ! 何のつもりだ!?」
「ほれ、若いの。ぐずぐずしていると、囲まれるぞ」
「はぁ? 何を――」
突然背中に張り付いてきた丸っこい爺さんに文句を言う市だったが、そんな市の抗議などどこ吹く風で自らが出てきた繁みを指差し――繁みの向こうから攻撃的な
「――じいさん!? この疫病神がぁ!!」
「ほれ、早くせんと食い殺されるぞぃ」
背中に向けて文句を言うも、背中に張り付いた疫病神は飄々と躱し、舌打ちしつつ市は疫病神を乗せたまま走り出す……未だ修行の成果は出ておらず、“超”能力に目覚めていない現状では、あの怪異どもを相手にした所で食い殺されるのがオチであった。
「とまぁ、じいさんとの初顔合わせはそんな感じだったわけだ……今にして思うと、二、三発ぶん殴ってやれば良かったよ」
ま、殴り掛かっても軽く躱されただろうけど、ずずずっと音を立てながらお茶を飲んでいる土浦 市という少年は、けっというような表情を浮かべるとそう毒づく。
ある日突然、土浦に婿養子に入った弟が亡くなった事を行政から知らされた源一郎は、弟の遺品整理を行うべく彼の住んでいた家へと向かったのだが、そこで初めて弟が養子を取った事を知った。
あの偏屈な弟が何を血迷ったか養子を取ったと言う事も驚きだったが、未成年の少年が養父である弟の葬儀の喪主を務めて恙なく送り出したと言う事に二度驚いた源一郎は、件の少年 土浦 市に自分は養父の兄であり、連絡を聞いて駆け付けた事を告げたのだ。
最初は不信感丸出しだった市少年だったが、弟の納骨を終えたその夜に起きた異変でお互いに秘密にしていた異能の力を行使して共闘する事により、異変が収まるころにはそれなりに打ち解ける事が出来たのだった。
「……なんとも、あの変わり者の弟らしいと言えばらしいが」
改めて聞くと、何をやっとるんじゃと言いたくなる源一郎だった。
眠らない街 東京―― 一千万人以上の人々が生活の場とし、様々な人々の悲喜こもごもが複雑な人間模様を織り成し、それは都会の中心から少し離れた港区麻布十番街でも同様で、麻布の街は深夜になっても行きかう人は減らず、色々な場所に繰り出す人の群れによって昼とは別の顔を見せていた。
昼に働いて疲れた身体と心を癒すべく飲み屋街に繰り出す人、夜こそが本番とでも言わんばかりに繁華街へと繰り出す人――そんな人々の喧騒を、彼はビルの屋上から見下ろしていた。
「おーおー人が多いねぇ、とっとと帰って寝ろよ。暇人どもめ」
眼下の人々に向けて悪態をついているのは、短く揃えられた黒髪と子供が見たら泣きだしそうな強面の顔(……本人はニヒルなナイスガイのつもりだった)今日この街にやって来た土浦 市であった。
養父が亡くなった後、元の根無し草の生活でも送るか、と悲壮な決を固めていた市少年であったが、彼の前に現れた養父の兄を名乗る老人の誘いに乗って、大都会である東京へとやって来たのだ。
港区は麻布の十番街の近くにある火川神社の宮司をしていると言う養父の兄を訪ねて行けば、街の中では中学生らしい少女におびえられ、やっと火川神社にたどり着けば、中々の美人だが妙に刺々しい少女にお札を投げ付けられる始末。
家の中へと通された市は、養父の兄である源一郎からこれからの事に付いて説明を受けながら孫娘の可愛さを力説する丸っこい爺さんをジト目で見ながら、お札を投げ付けるなんて俺は悪霊か、とふてくされながら世の顔面偏差値に呪詛を呟いていた。
そんな市に源一郎は、養父である源次郎と出会う前にはどんな生活をしていたのかと――源次郎の葬儀の夜に襲って来た妖魔を調伏した、あの“霊力”とは別の力は何なのかと問い掛け、少年の過酷な幼少の頃の話と、あの“霊力”とは違う力
『夜の街を見てみると良いぞい。きっと面白いモノが見れるじゃろぅて』
源一郎の言葉に従った訳ではないが、昼間に十番街を歩いていた時から感じていた違和感――煌びやかな街並みから見える路地の向こう、ビルの隙間に置かれた室外機のその先に澱む、かく世の気配……この街には、この世ならざる気配が満ちていた。
「あの爺さんの言う通り、夜は別物だな――この街に隠れていた、魑魅魍魎が其処彼処に居やがる」
ソレは独特な気配を持ち、夜の街の更に暗い場所で活発に活動していた。それは邪悪な気配に満ち、悪意が凝り固まっているかのような、おぞましさを持っている――流石にこのような邪悪な存在は人として見過ごせぬ。
市は両膝を屈めると勢いを付けてビルの屋上から飛び上がり、隣のビルの屋上へと跳躍する――道路を挟んだ隣のビルまでの距離はおよそ25メートル。かなりの高さを持つビルの間を、足の伸縮のみで飛び越えるなど常人には不可能だろう。
だが彼はそれを容易く成し遂げる――それは幼い彼に流れ込んできた“知識”
解体現場に到着した市は音もなく着地すると、気配を消して重機や資材の間を移動して身を隠す――見えた。古びたビルの中層で爆発が起こり、そこから影が飛び出してくる。
最初に飛び出してきたのは、まだ幼い十代前半と思える少女だった。セーラー服をベースにしたえらく裾の短い服を纏い、長い髪を束ねるリボンと同色のリボンが胸元を飾って可愛らしさを演出している。
『くっ――何なのコイツ』
かなり高い位置から落下したというのに、彼女は空中で回転して態勢を整えて音もなく地面に着地するや、頭上を見上げながら迎撃態勢を取る。そして後を追うように中層から影が飛び出して、彼女に対峙するかのように着地する。
「……おいおい、マジかよ」
後から落ちてきた“ソレ”を見た市は、うめき声にも似た声が漏れる……闇の中で輝く宝石の如き輝きを放つ鎧に身を包み、鎧の形状から男性である事が見て取れる二メートル近いその闘士からは、己とよく似た気配――
「……あれは、まさか
幼少の頃より、市少年を苛んできた――人知を超えた力
『ちょこまかと、だがもう逃がさん』
『しつこい男は嫌われるわよ』
短く言葉を交わした少女と巨漢の男は、一気に距離を詰めると互いに拳を繰り出す……無茶だろう少女よ。相手は内に秘めた
力負けしたと悟った少女は即座に飛びのき、手を伸ばして指先を巨漢の男へと向ける。
『クレッセント・ビーム』
放出されたエネルギー波は巨漢の男に命中するが、男の纏う鎧――
『ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーン』
彼女を中心に光のチェーンが現れると、再び右手を上げて巨漢の男目がけて一気に振り下ろした――光のチェーンは彼女の指示に従って男目掛けて突き進むが、到達前に男が無造作に腕を振り払うと光のチェーンはあっさりと弾き飛ばされた。
『くかか、そんなモンが効くか』
『くっ、なんて硬さなの』
少女の放つ攻撃には
「……行くか――『クロストーン』」
覚悟を決めた市は、戦いに介入するべく胸元より一粒の水晶のペンダントを取り出して一歩踏み出す――流れ込んできた知識によれば、このペンダントには
この『クロストーン』を得てから、人里離れた山奥で獰猛な獣相手に実践的な訓練を行ってきた……故にこれが初の対人戦闘になるだろう。
まぁ、あの巨漢だけが取り柄のような男に後れを取るつもりは無いが、あの男の背後に何が居るのか分からない……もしも、正規の
こんな時に為に、東京に来る前に予め購入していたモノを懐から取り出す――これを使えば、謎のニヒルなナイスガイとして正体を隠す事が出来るだろう。
「――さて、行くか」
どうも、しがない小説書きのSOULです。
すみません、寝落ちしてしまって。
気を取り直して、では次回 第三話 美しき戦士 12/27投稿予定です。