SEED:Overcomers トールのトリガー/シンの選択 作:reex
2026/3/12:若干改稿。
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CCE71/1/25
まだ、いつも通りのヘリオポリスだった。
人工太陽の眩しさが、トールのまぶたを無理やりこじ開ける。
胸の中で不安と興奮がどろどろと渦を巻き、昨夜はろくに寝付けなかった。
最後には睡眠導入剤に頼る羽目になったが、おかげで体が鈍っている。
(でも、今日は体力が大事だからな……)
軋む体を目覚めさせるように、念入りにストレッチを行う。
余裕があればシャワーでも浴びてスッキリしたいところだが、流石にそこまでの時間はない。
リビングへ向かうと、いつも通り両親が朝食をとっていた。
「おはよう」と短く告げ、用意されていたパンをかじる。
やけに神経が過敏になっているのか、ミルクを飲み込む己の「ゴクリ」という音が、ひどく大きく耳に響いた。
家を出る際、トールは両親の背中に声を掛けた。
「シェルターへの避難経路、ちゃんと確認しといてよ」
母は笑って「わかってるわ」と返し、父は情報端末に目を落としたまま親指を立ててみせた。
二人の足元には、トールが用意させた防災バッグが置かれている。
それでも彼らが事前の避難を行わなかったのは、トール自身がいつも通りにカレッジへ向かうからだろう。
記憶の通りに事が運べば、両親とはオーブで無事に再会できる。
だが、ヘリオポリス崩壊時にはいくつかのシェルターがデブリで破壊されるし、市街地の被害に巻き込まれて命を落とす住民も少なくなかった。
最後は運だ。
そして今日、その運命の糸を手繰り寄せる力は、今のトールにはない。
(またキラに、重い負担をかけちまうな……)
玄関先から踏み出した一歩は、己の無力さを噛み殺すように、固く地面を蹴った。
いつものようにミリアリアと合流する。
「なんか今日、表情固くない? 何かあったの?」
「ちょっと寝不足なだけだよ」
トールは誤魔化すように眉間を揉んだ。
(今はまだ、力を入れるタイミングじゃない)
知らず知らずのうちに、全身の筋肉が強張ってしまっていたようだ。
フーっと深呼吸して、意識的にリラックスを心がける。
隣を歩くミリアリアの小さな手を握ると、不思議と肩の力が抜けた。
カレッジの中庭に着くと、情報端末を食い入るように見つめるキラを見つけた。
「おはよ、キラ。……カオシュン、落ちちまったみたいだな」
「トール……。そうだね、先週であの状況じゃあ……」
沈痛な面持ちでニュース映像を見つめるキラ。
画面の中では、カオシュン宇宙港におけるザフト軍の圧倒的な制圧劇が報じられている。
小康状態を保っていた戦局は、再び大きく動き出そうとしていた。
「カオシュンって、本土に結構近いじゃない? 地球軍、大丈夫なのかな」
不安げに見上げてくるミリアリアに、トールは腕を組んで答える。
「カオシュンが落ちたってことは、今の地球連合が地上に持ってるマスドライバーはパナマだけだ。南アフリカのビクトリア宇宙港の状況を考えれば……カグヤを持ってるオーブに、連合が強引な脅しを入れてくる可能性は十分にある」
そもそもパナマ基地自体、開戦当初に中立を宣言した南アメリカ共和国に地球連合が武力侵攻し、強奪したものだ。
オーブがその二の舞いとなる可能性は、決してゼロではない。
「もしかして、そういう裏事情があるから、オーブは連合に協力したのかな」
「かもな。内密に味方しておけば、突然の宣戦布告って事態は避けられるだろ」
周囲に聞こえないよう、小声でキラとトールは言葉を交わす。
ミリアリアは二人のきな臭い会話についていけない様子で、「パナマ?」と小さく首を傾げていた。
せっかく出席した授業の内容も、今日のトールにとっては右から左へ通り抜けるだけだ。
明らかに上の空でサボっているトールに対し、ミリアリアは厳しい視線を向けてきたが、今日ばかりは真面目を取り繕う余裕もなかった。
ごめん、と手を合わせて頭を下げる。
授業が終わり、徐々に鉛のように重くなっていく足を引きずってラボへ向かう。
エレカポートでフレイ・アルスターの姿を見つけた。サイからの手紙がどうのこうのと、ミリアリアと共に華やいだ声を上げている。
トールは正直、フレイという少女が苦手だった。
彼女の行動はサイとキラを容赦なく傷つけ、平穏だった友人関係をズタボロに破壊した。
一方で、眼の前で父親を喪った彼女の激しい焦燥や、不器用なトールたちに代わってキラの精神的な支えになってくれたという
(なんとか、うまく……していきたいな)
そんな思考に沈んでいたトールの背後から、不意に凛とした声が掛かった。
「乗らないのなら、先によろしい?」
「ハイッ、ドウゾ!!」
トールは弾かれたように背筋を伸ばし、エレカの順番を譲った。前にいたフレイたちも、その威圧感に気圧されて道を空けている。
久しぶりに、いや、トールにとっては何度も聞いたナタル・バジルールの声。
ブリッジで散々怒鳴り散らされた記憶が、反射的に身体を硬直させる。
トールにとって彼女は、理屈抜きで
そして彼女の登場は、状況があの日の通りに進んでいるという証拠でもあった。
わざわざカレッジに出てきたのも、このタイミングを見計らうためだ。
(一日でいい、ズレていてくれれば……良かったんだけどな)
今日という日でなければ、このコロニー内が連合軍とザフトの戦場になることはなかったはずだ。
拳をきつく握りしめ、できるだけ普段通りの態度を心がける。
「ゴメン、忘れ物思い出ししちゃったから、俺一回家に帰るわ。先にモルゲンレーテのラボに行っててくれよ。……ちょっとでも危ないと思ったら、ムリに外に出るなよ」
それでも、声に焦りが滲んでしまっただろうか。
ミリアリアが気遣わしげな瞳でこちらを見る。トールはなんでもないよと、安心させるように手を振った。
皆に背を向けて歩き出したトールの足取りは少しずつ早くなり、やがて視界から外れた途端、全力疾走へと変わった。
家へ飛び込んだトールは、コップに注いだ水を一息に飲み干した。
乾いたタオルをいくつかバックに放り込むと、残った一枚で汗を拭う。
自室のデスクの上には、ケーブルがむき出しになった装置が鎮座している。
静かに電源を入れると、無音のスピーカーが
ジャンクショップを巡って部品をかき集め、組み上げた地球連合軍仕様の軍用通信装置のコピー。さらには出力側を、コロニーの一部の防災スピーカーへ直接リンクさせてある。
チャンネルが分からなければただのガラクタだが、かつてMAパイロットも務めたトールは、当然のように地球連合の広域暗号コードを記憶している。もし軍の暗号回線が直結できなくても、キラの話から、G兵器が第37工場区に置かれていることは特定できていた。
普段顧みられることのない防災スピーカーにバックドアを仕込むぐらい、工業カレッジの学生であるトールにはお手の物だった。
やがて――コロニー全体の空気を震わせるような、重く鈍い振動が響いた。
人工重力が一瞬乱れ、棚の上の小物がガチャガチャと音を立てて転がり落ちる。
(来た……!)
もう一度、深く息を吸い込む。
トールはナチュラルだ。いくら特訓を重ねていようと、正規の軍事訓練を受けたわけではなく、正面からザフトに立ち向かったところで犬死にするだけだ。
それでも、今の自分にしかできないことがある。
頭の中で、宇宙要塞アルテミスで起きた出来事を思い返していた。
あのとき、ムウに促されたキラが何をしたかを。
『ザフトの
待機させていたエレカの通信装置と、周囲の防災スピーカーから響いた声に、マリュー・ラミアスはハッと息を呑んだ。
直後、上空から降ってきたジンの重突撃機銃が着弾し、隣のエレカが爆音と共に吹き飛ぶ。
爆風が肌をヒリヒリと焦がし、吹き飛ばされた連合兵の悲鳴が工場区画に木霊した。
マリューは咄嗟に地面に伏せながらも、軍人としての思考を高速で回転させた。
(しまった……! アークエンジェルに気を取られすぎた! 奴らの第一目標は艦じゃない、G兵器か!)
スピーカーからも聞こえるということは、モルデンレーテ側の警備兵だろうか。
どちらにせよ、致命的なタイミングの前に知らせてくれたことに違いはない。
マリューは名も知らぬ警告者に心中で感謝を捧げ、立ち上がって叫んだ。
「運び出してある3機に起動ロックを掛けて! 初期パスワードでいい! 大丈夫、アークエンジェルのクルーは解除コードを知っているわ。
G兵器の起動ロックとは、いわゆるBIOS側のブートパスワードだ。
デバイスの読み込みやOSが立ち上がる前にかかるこの最下層のロックは、外部からのソフトウェア的なハッキングに対して滅法強い。
3回入力を間違えればシステムがロックするため、総当りで解除することも不可能。
無理やり突破しようと思えば、最低でも基板を引っ張り出して手を加える必要がある。
足止めや時間稼ぎとしては、十分な効果を発揮するはずだ。
(どうせ今のG兵器のOSは未完成……。ナチュラルである私たちの中で、まともに動かせる人間なんていやしない。このままザフトに奪われでもしたら最悪だわ)
自嘲気味に口角が上がる。
そもそも即座に戦闘に使える状態なら、とっくに起動させて迎撃に回している。
専門に訓練された正規パイロットなら動かせるのだろうが、彼らなら初期パスワードぐらい知っているから問題にならない。
マリューは腰から拳銃を抜き放ち、乱戦の気配が立ち込める工場区画へ向けて全力で駆け出した。
(ミリアリア、キラ、みんな……。大丈夫だよな?)
放送を終えたトールは、端末を防災バックに放り込み、電動スクーターのアクセルを全開にしてモルゲンレーテへと急いでいた。
崩落による瓦礫でところどころ荒れた路面を、鍛え上げた体幹の力で無理やり抑え込みながら走り続ける。
周囲を見渡しても、今のところはジン姿は目立っていない。
(思ったより市街地の被害は少ないみたいだけど……それだけで安心できる状況じゃない)
皆は無事なのか。
やはり多少強引にでも、事前にシェルターへ押し込むべきだったのではないか。そんな後悔が頭をもたげる。
モルゲンレーテまでの道すがら、皆の姿はない。
構内のゲート付近にも、見当たらない。
あるいは、既にシェルターへ逃げ込んでくれただろうか。
しかしカトウラボが入っていたビルの玄関先まで向かうと、皆が外の様子を伺っていた。
「……トール!!」
「ごめん、遅くなった。……みんな、大丈夫か!?」
泣きそうになりながら駆け寄ってくるミリアリアを抱きとめる。
そしてサイ・アーガイル、カズイ・バスカークに問いかけた。
「俺達は大丈夫、でもキラが見当たらないんだ!! アイツ、教授の客を追いかけて工場区画に行っちまった!」
サイが焦りながらそう叫んだ瞬間だった。
ガラガラと音を立てて隣の区画から飛び上がる機影があった。
(……キラ? ストライクか?)
しかし、違った。
煙の中から飛び出してきた鋭角的な機体が外に着地すると、周囲の皆も体を強張らせるが、トールはそれどころではない。
数秒の後、その機体はフェイズシフト装甲を起動させ、全身を禍々しい赤色に染め上げた。
(忘れもしない……あの機体は……っ!)
心臓がバクバクと破裂しそうな音を立て、警鐘を鳴らす。
一方で、首筋から背中にかけて、氷を押し当てられたようにヒヤリと冷えた。
思考と肉体が完全に乖離し、硬直する。
指先一つ動かせない。
記憶の底に焼き付いたフラッシュバック。
幾度も自らを砕いた、あの赤。
「ねぇトール……。私達、どうしたらいいの……?」
胸の中にしがみつくミリアリアの、震える声に、トールは辛うじて意識を引き戻された。
(……ここを生き延びるために、ここから生き続けるために努力を続けてきたんだろう、トール)
強く唇を噛み締めると、鉄の味が口内に広がった。
イージスを睨みつけていると、やがて赤い機体は空へ飛び去っていった。
その直後、隣の区画から、再び地を揺るがして飛び上がる別の機影が見えた。
その姿を見て、トールはようやく、肺の奥に溜まっていた息を吐き出すことができた。
見慣れたトリコロール──ストライクだ。