SEED:Overcomers トールのトリガー/シンの選択 作:reex
執務室のデスクには、フォローウインド作戦の暫定報告書が広げられていた。
軌道図と被害推定、作戦参加艦艇の損耗率、そしてプラント内のメディアの反応が並んでいる。
ギルバートはそれを眺めて、小さくため息を吐いた。
(……まったく、よく回るものだな。世界というのは)
誰か一人が止まれば、別の誰かが動く。
誰かの威光が落ちれば、別の権威が空白を埋めようとする。
その間隙に、失われた権威が幾らか戻ることもある。
ユーラシア連邦は大いに傷ついたが、一方でギルバートの求心力は回復の傾向を見せていた。
追悼船を向かわせたことが国内の共感を呼び、被害を受けたユーラシア部隊の穴埋めをしたことでプラントの矜持を示すことができた。
それを無理矢理にでも押し通したプラント最高評議会は民衆の支持を呼び戻すことに成功し、ファウンデーション王国残党と思われる相手と敵対したことで、ギルバートに掛かった嫌疑も幾ばくか払われた。
もっとも、一番株を上げたのはイザークであったが。
責任を分散させるため、誰が提案したか、というのを正式に明かしこそしなかったが、良きにつけ悪しきにつけ、こういうのは漏れるものだ。
(とはいえ、おかげでデスティニープランのリカバリは効きそうだな……)
フェアネスの巨大データセンターも、世相の混乱に幾らか予定を乱されはしたが、建造そのものは完了している。
アコードの存在の暴露で、民衆の間に遺伝子の優越という差別意識に対する嫌悪感は広がっているが、数年も経てば人は忘れる。
そもそもデスティニープランは優劣ではなく適不適であることもあって、ほとぼりが冷めた頃に回復したギルバートの声望をテコにして普及に努めれば、理想としていた世界が訪れるはずだ。
「……レイ。君は喜ぶだろうか。失望するだろうか、変わってしまった計画を」
レイがミネルバに乗って宇宙に出たというのは、当然ギルバートも聞き及んでいる。
なんとかタイミングを図って話したいところだった。
そんな事を考えていたタイミングで、扉の向こうで、短いざわめきが起きる。
護衛の声、秘書官の声、そして不自然な沈黙。
次に扉が開いたとき、そこに立っていたのは秘書官だった。
ただし、その目には焦点が合っていない。
表情は普段と変わらなかったが、それがかえって不気味だった。
「議長。お客様です」
「……そうか。通したまえ」
自分の声が、思ったよりも穏やかに出たことに、内心で自らを評価した。
秘書官の影から現れたのは、金髪と青髪の二人組だ。
「久しぶりだね。オルフェ、イングリッド。……大変な目にあったようだね?」
優しく、親類の子供にかけるような言葉には、トゲの付いた返答が帰ってきた。
「ご無沙汰しています、ギルバート。……貴方がちゃんと我々の手を引いてくれれば、こうはならなかったはずですが?」
プラント最高評議会議長という立場に上り詰めたにも関わらず、アコード達を政治の舞台へ引っ張り上げなかった事を言っているのだろう。
「察しはつくだろうが、私の方も色々としがらみがあってね……」
苦笑を浮かべながら立ち上がり、デスクから離れて応接用のソファへ向かう。
「まずは座りたまえ。立ち話をする内容でもないだろう」
誘うように右手を差し出すと、オルフェはピクリと眉を揺らしたが、大人しく豪奢な椅子に腰掛けた。
イングリッドも会釈しながらそれに続く。
そしてギルバートは事前に決めていたとおりに、デスクから僅かに遠い右奥の席へ座る。
──そうするだけでいい、後は考えない。
座面に仕込まれたセンサーが、そこに人が座ったことを検知した。
「ご存知でしょうが、先の戦いで我々の機体も損害を受けました。ついてはその補修と今後の物資を──」
早速オルフェが口火を開くが、ギルバートは目を鋭くして首を振る。
「それよりも、先ずは情報が欲しい」
深く腰掛けたまま、指を組んでわずかに身を乗り出す。
「アウラや他のアコードはどうなった? 君たちを罠に嵌めた敵は、何者だ?」
フォローウインド作戦で現れたのは2機。
もはや失うものもない彼らに制約はないはずだが、出てきたのはそれだけだ。
そして、アウラの
「……行動を共にしているのは、他にシュラだけです。母上を含め、他のものは……奴にやられたのだと」
酷く力なく、オルフェが口を開く。
傲岸な青年であっても、家族の死を語るときは沈痛にもなる。
その口ぶりからして直接目にしたわけではなさそうだが、裏は取ったのだろう。
ギルバートは眉を寄せて考え込む。
(アコード達の性能は圧倒的だ。裏をかかれたとしても、力付くでひっくり返すことができる。それがそこまで被害を受けるとは……。奴という言い方からして、恐らくは個人であろうに)
ギルバートの疑念を
オルフェが怒りを憎しみを込めて、その名を紡いだ。
「奴は母上の治療を受けたナチュラルです。それが、別件で手に入れたブルーコスモスの
憤怒の表情を浮かべるオルフェの肩に、イングリッドがそっと手を添える。
だがギルバートの思考は、完全に漂白されていた。
「……ラウが? 彼は、生きていたのか?」
呆然と漏れた言葉に、「奴を知っていたのですか?!」とオルフェが勢いよく身を乗り出す。
もちろん知っている。
ギルバートの、数少ない友人。
方向性は異なれど、人類の未来に絶望していた同志と言っても良い。
彼は前大戦、ヤキン・ドゥーエで死んだはずだった。
絶望の末に見つけた人類の光に瞳を灼かれ、故に人類の天敵たらんとした。
その果てに、当時のCOMPASSによって撃たれ、陽電子の光の中に消えたのだと。
だが、もし生きていたのなら。
ギルバートの頭脳が、思いもよらなかったファクターの存在を認め、すべての事象を再検証する。
アウラとの関係について、ラウには伝えていた。
ギルバートの協力は得られないと見切ったのであれば、アウラに取り入ってテロメアの回復治療に糸口を見つけ出そうというのは、充分に考えられる範囲だ。
熱烈な反コーディネイター主義者であるロード・ジブリール、そしてムルタ・アズラエルの懐に入るには、遺伝子上ナチュラルである彼の存在は都合が良かったはずだ。
彼らを操ることで世界を動かし、その成果をテコにアコードの信用を得ることも。
パトリック・ザラにすら取り入った男だ。
不可能とは言えなかった。
(そういえば、レイからの報告が……?)
オーブへの軌道降下攻撃の直前、アドゥカーフ社の工廠に現れたという、ドラグーン式の無人
てっきりアコード達が操っていたのだと思っていたが、それもラウの手腕だろうか。
閲覧したヤキン・ドゥーエでの交戦記録を見る限り、彼の空間認識能力はアコードの精神感応能力並みに人知を外れたものだった。
「……奴には、我々が開発していた兵器も奪われました。ドラグーンによる
ギルバートの思考を読んだのだろうオルフェは、それを補足するように苦々しく言葉を続けた。
食いしばった歯がギリギリを擦られるのが、ギルバートにも聞こえた。
「それで戦力の補充が必要だと、そういうことだな? ジャッジメントと言う機体の詳細について、スマンがデータを回してくれ。こちらでも対処法を考える。……ドラグーンの妨害でもできればよいのだが、難しいだろうな」
軽く聞けば、有人機と無人機の区別もつかず、それでいて相互に操ることもできるらしい。
「……しかし、ラウが何を考えているのか分からんな。糸口でもつかめれば先制攻撃もできるやもしれんが」
顎に手を当てて首をひそめる。
そのまま片眉を釣り上げて問いかけた。
「その点について言えば、君等もだ。ユニウスセブンを落下させようとしたのは君等だろう? 何故そんな事をしようとした?」
ギルバートの言葉に、オルフェは鼻で笑って皮肉げな笑みを浮かべた。
「なに、クルーゼへの意趣返しと、愚民どもへの、せめてものはなむけですよ」
そして流暢に説明を始めた。
パニッシュメントの本来の使い道と、それを手にしたラウ・ル・クルーゼへの誘導を。
「──もっとも、グルヴェイグを暴れさせるだけ暴れさせて、奴は出てきませんでした。ハ、とんだ腰抜けだ。……もっとも、艦の自爆に巻き込まれてシュラのMSが破損したのはシャクでしたがね。……まずは機体の修復を優先したいので、物資の融通をお願いします」
依頼しているように見えて、眉を寄せながらも足を組んだ大仰な動きは命令にほかならない。
だが、ギルバートにしてみれば、それどころではなかった。
「……地球への無差別質量破壊兵器、だと? 君等はそれを使ってどうするつもりだったのだ?」
らしくもなく恐々と問いかけるギルバートに、オルフェは何でも無いように答えた。
「愚民どもに我々の統治を認めさせるには、多少の恐怖を教えてやる必要もありましょう。大規模なビーム砲等に比べて、そこに有る隕石を使える分コストパフォーマンスは圧倒的だ」
話しながら、オルフェはふと違和感を覚えたように手のひらを開閉した。
僅かに首を傾げるが、それでもまた笑みを浮かべた。
「目標を選べないのは問題では有りますが……なに、人類は増えすぎたのです。
ギルバートは、最後まで聞いた。
聞いた上で、率直な感想が胸に浮かんだ。
(……あまりにも愚かだ。手を切っておいて、本当に良かった。)
その思考が浮かんだ瞬間、オルフェの目が見開かれる。
「貴様」
次の瞬間、銃口がギルバートの胸元へ向けられていた。
「今、何を考えた」
オルフェが銃を構えたまま立ち上がる。
イングリッドは止めることもなく、警戒の色を濃くしただけだ。
ギルバートは銃口にピクリとも反応せず、僅かに逡巡した。
視界の端に時計が入ったが、意識は目の前の青年だけへ向ける。
そして、あえて余裕たっぷりに口を開いた。
「ふむ。心を完全に統制するというのは難しいものだな」
オルフェの指がわずかに震える。
「……嘘偽り無く、アコードの性能は素晴らしいものだ。コーディネイターを超える身体能力、情報処理能力に加えて、物語じみた精神干渉能力。アウラの才能の極地、という言葉すらまだ足りない。素直に称賛する」
それはギルバートの本心だった。
生物としての格、という言葉で言えば、もはやナチュラルは元よりコーディネイターすら比べ物にならない。
「だが、愚かだ。宝の持ち腐れだな」
端的に断言する。
オルフェの視線が驚愕の色に染まり、口元がわななく。
部屋の空気が、より重苦しく変わったように感じた。
鉛のように重い身体を、無理やり持ち上げて椅子の背もたれに体を任せる。
「無差別質量兵器だと? そんなものを使って何になる。敵を撃つのは良い。見せしめに使うのも、政治の手段としてはあり得る。──だが、狙いをつけることも難しい大量破壊兵器など使えば、全てが敵に回る。そうなれば数の力で圧殺されるだけだ」
わざとらしく、ため息を吐く。
「そもそも、人類を導くために作られた君達が、人を減らして何になる。民の居ない、無人の王国でも作るつもりか?」
遺伝子の適性を全てに定めるデスティニープランにおいて、無尽の可能性を示すアコードの遺伝子は、最上段に見合うものであった。
だから統治を任されるべきだと考えられ、組み込まれた。
だが、今のオルフェの言は完全に主客が逆転している。
「"優越しているから何をしても良い”とは、どうやら君たちの頭の中は、中世の封建時代で止まっているらしい……。これはアウラの教育のせいかな? 小国の王族らしい懐古趣味ではある」
そんな考えは、ギルバートの考えたデスティニープランにはない。
能力によって割り振られこそするが、あくまで政治家も、戦士も、掃除夫も、社会の機能としては等価だ。
それを成立させるために、人にあらざるAIといった手段を組み合わせている。
デスティニープランのことも、既にアコードのような強権的な導き手が不要なことも、言葉にはしない。
ここで明確にすべきなのは、プラントの議長がアコードの選民思想を拒絶したという事実だけだ。
だがオルフェには、言葉にしなかった部分まで伝わっている。
それが、何より彼を傷つけているのだろう。
オルフェどころかイングリッドまで血走った目でギルバートを睨めつけていた。
稚拙な時間稼ぎも、ここまではうまくはまったらしい。
だが、それも限界だろうか。
「所詮、君らはアウラの自己顕示欲を満たす、ただそれだけの
そもそもアコードの研究は、ヒビキ博士のスーパーコーディネイターにアウラが対抗するところから始まっている。
つまりは、最初から自己顕示欲ありきだったのだ。
それをデスティニープランに組み込もうとしたのは、後付けに過ぎない。
オルフェの顔から、血の気が引いていく。
怒りで、だ。
「私が剣を欲していたとしても、君たちの力を借りようとは思わないだろうな」
「黙れ……!」
「所詮は飾り物。……使い物に、ならないのだから」
「黙れぇっ!!」
銃声。
小さな銃弾はギルバートの胸元を抉り、椅子の背に血を散らした。
口元から血を滴らせながら、しかしギルバートは小さく微笑んだ。
なにせ、
ばら撒かれ続けた麻酔ガスが、痛みを完全に消している。
銃声に意識をリセットされたのか、はたまた身体の鈍さに気がついたのか。
イングリッドがはっと声を上げるのが聞こえる。
「……オルフェ、おかしい。体の反応が鈍いわ──オルフェ?!」
興奮が途切れたのか、ぐらりとオルフェの身体が揺らぐ。
イングリッドがとっさに肩を支えた。
(フ……。怒りで回りが早くなったか?)
動かない身体を椅子に横たわらせたまま、ギルバートはほくそ笑む。
アコードは身体能力に優れている。
多数の毒物に対する酵素も備えているし、そもそも強靭な腎臓と肝臓が粗方の化学物質をすぐさま処理してしまう。
だが、例外はある。
どれだけアコードが強靭でも、外傷を負えば外科的処理が必要になる。
例えば折れた骨を
ある特定の麻酔薬に対してのみ、アコードの耐性は常人レベルと変わらない。
ギルバートが特定の席に座れば、別室に居るイザークへ通知が回る。
情報収集のための映像と音声の記録が始まり、同時に麻酔ガスが散布される。
それは、ギルバートが身の潔白を証明するために張った罠だった。
記録に残るのは、選民思想と大量虐殺を語り、プラント最高評議会議長を撃ったオルフェの姿。
仮にここで命が喪われても、
イングリッドが何事かを短く命じると、扉の前に立っていた護衛が不自然な動きで銃口を下げた。
オルフェを抱えたイングリッドが慌てて部屋を脱出していくのを、ぼやけた視界で捉える。
せっかく時間を稼いだのだが、どうやら決着をつけるまでは行きそうにないのは残念だった。
とはいえ、これで情報は手に入った。
情報は、行動の根拠になる。
微かに動く思考をまとめていく。
(ラウ……君は、何をするつもりだ)
もし、ただ人類を滅ぼしたいだけなら、もっと単純な手を選べる。
パニッシュメントを奪った時点で、地球へ落とせばいい。
ユニウスセブンの騒ぎなど、待つ必要はない。
だが、彼はそうしなかった。
(……頼るものを失った人間が、それでも立てるかを見ているのか)
絶望をばら撒きながら、最後の最後で、人の選択を待っている。
だからこそ性質が悪い。
(ラウ。君は昔から……)
人が好きすぎる。
それきり、ギルバートの意識は途切れた。
部屋を飛び出たイングリッドの最優先は、オルフェのことだ。
とっさに脇に抱えた肉体は脱力しているが、呼吸の振動はしっかりと伝わってくる。
しかし瞳の焦点が合わず、口元はわななくだけだ。
(神経毒、と言うには状態が安定している。麻酔の類……!)
アコードに有効な薬物は限られているが、ギルバートであれば知っていておかしくない。
オルフェの容体を気遣う必要がないのなら、まずは脱出だ。
だが、イングリッドの身体も薬の影響で鈍い。
あと数分あれば、イングリッドも動けなくなっていただろう。
ふぅ、と息を吐き、おもむろにナイフを抜く。
そして自分の歯茎に突き刺した。
噴射位置の関係か、効きの悪かった麻酔が激しい痛みと血の味に上書きされていく。
「オルフェ、脱出するわ」
聞こえているかはわからなかったが、ナイフを収めながらそう告げると、俵抱きにするように右肩に担ぎ直す。
脱力している人体なら、こちらのほうが運びやすい。
華奢な見た目であろうと、イングリッドとてアコードだ。
人一人を担いだ程度で足は鈍らない。
そのまま全力で駆け出し、左手に持った携帯端末を操作する。
「役立つとは思わなかったけど……」
オルフェに文句を言われながらも、執務室に向かう合間に仕掛けておいた
つい先程までギルバートを味方と思ってはいたが、そもそもプラントの大半はとっくに敵なのだ。
オルフェの身の安全を第一とするイングリッドとしては、備えざるを得なかった。
駆動音を響かせて降りていく隔壁に介入し、わずかに停止させる。
オルフェへの衝撃を最小限に抑えながらスライディング。
隔壁の下を滑り抜けて、勢いのまま再び立ち上がる。
赤い非常灯が壁を染め、遠くで職員の悲鳴と退避誘導の放送が重なる。
だが、人の気配は薄い。
イングリッドはそれだけで、プラント側の判断を読んだ。
(こちらの精神干渉を警戒している。ギルバートが敵ならば当然でしょうね)
精神干渉による目標誤認は、少数対多数を一気に乱戦へ変える。
保安員で包囲することより、逃げ道を塞ぐほうが合理的──アコードが知るあの男であれば、その程度の手筈は整えているだろう。
(でも、読心でこちらに読まれれば罠は無意味。……である以上、指揮を取る数人を除けば、手足となる人間には知らされていないはず。その間隙を突けば……)
たどり着いたエレベーターは、電源が落とされたのか階層表示すら点いていない。
イングリッドは眉をひそめると、オルフェの身体をそっと床に横たえた。
両手を閉ざされた扉の隙間に差し込む。
「フッ……!」
指先に力を込めると、金属が嫌な音を立てて歪む。
人の手で開けることを想定していない扉が、無理やり左右へこじ開けられていく。
そのまま身を乗り出し、暗い昇降路を上下に確認する。
どうやらエレベーター自体は上階で止まっているようだ。
そのまま中を降れば、1階へたどり着ける。
イングリッドはオルフェを肩に担ぎ直し、躊躇なくそこへ身を投げた。
保守用のレールを蹴って速度を殺し、きっちり一階の扉前へ。
再びこじ開けようか逡巡して、耳を凝らす。
オルフェの鼓動と呼吸音の他に、扉越しに幾らかの足音。
爪先ほどしか無い足場でバランスを取りながら、再び端末を取り出す。
破裂音とともに「うぁっ?!」「どうしたっ?!」という叫び声。
システムに干渉し、エレベーターホールのスプリンクラーを起動したのだ。
端末をしまい、再び扉をこじ開ける。
混乱の最中を全力で駆け抜けてしまえば、誰の目にも止まらない。
駆け抜けたままに銃を引き抜き、周囲の小部屋に飛び込む。
幸いに人影は無かった。
「……降ろせ」
「ええ、オルフェ」
不愉快そうな言葉に応え、抱えていた腕を離せば、体幹の力で身を捩ってバッとオルフェが立ち上がる。
数瞬前から、オルフェの身体に力が戻っていた。
オルフェは目にわかるほどの苛立ちを見せながらも、乱れた胸元をさっと直した。
無様な姿は、彼自身が許せないのだ。
イングリッドもまた、わずかに身だしなみを整える。
最中に、オルフェがポツリと漏らした。
「まさか、ギルバートが敵に回るなど……」
その声には、怒りだけではないものが混じっていた。
デスティニープランは、オルフェたちにとって単なる政策ではない。
自分たちが頂点に立つために用意された、運命そのものだった。
アウラがそう教えた。
自分たちは導く側であり、世界はそれを受け入れるべきものだと。
だが、その計画を掲げた男が、彼らを否定し、使い物にならないと断じた。
己の存在意義を失ったオルフェは、イングリッドの目には涙を浮かべている様に思えた。
微かに震える身体に、イングリッドはそっと手を伸ばした。
「運命を、越えるときがきたのよ。……オルフェ」
「イングリッド……?」
怪訝げにこちらを見つめるオルフェに優しく微笑むと、そのままその腰を抱く。
「運命が貴方を拒絶するなら、そんなモノ壊してしまいましょう」
耳元に落とした声は、慰めるようで、寄り添うようで、それでいて奈落を覗き込むように昏かった。
「貴方を不要と叫ぶ運命なんて、いらない。貴方を認めない世界なら、捻じ曲げてしまえば良い」
オルフェは一瞬、あっけに取られたようにイングリッドを見た。
そしてその口角が、牙を剥くように上がる。
「……ああ。そうだな。ならば壊そう。私を拒む運命など、こちらから否定してやる」
その言葉を聞いて、イングリッドは微笑んで頷いた。
二人は再び走り出した。
建物の外に出た時には、議長公邸の周囲だけでなく市街地にも警報が広がっていた。
非常放送が住民に屋内退避を命じているが、人の流れは一方向ではない。
逃げる者、家族を探す者、訳も分からず走る者、警備に止められて押し返される者。
イングリッドはオルフェの腕を取り、逃げ惑うカップルのように身を寄せた。
オルフェもすぐに意図を理解し、戸惑いの表情を取り繕って彼女の肩を抱く。
人波に紛れて通りを抜け、目に付いた無人の公園へ転がり込む。
イングリッドは、息を整えながら意識を飛ばした。
”シュラ、来なさい"
シヴァが修復中のシュラには、カルラを預けてある。
ジャンク屋の大型コンテナに偽装し、念のためアプリリウス外縁に潜ませていたのだ。
数秒後、公園の奥で轟音が弾けた。
開いた
スゥ、と長く息を吐いて、そのまま止める。
吸い出される風に吹き飛ばされるようにしてカルラの指へ飛びつくと、金属の手が二人を受け止めて
真空の宇宙の黒が、視界いっぱいに広がった。
常人なら即死と言わずとも酷く体を痛めるだろうが、アコードなら幾らか持つ。
カルラのコックピットハッチが開いている。
シュラから飛んでくる疑念の意識を受け流しながら、イングリッドはオルフェの手首を掴んだままコックピットに向かって跳ねた。
宇宙を飛びながら、今改めて思う。
想いを押し留めていた運命の軛は、ついに破られた。
オルフェ自身が、
(……愛している、オルフェのことを。使命に真っ直ぐで、押しつぶされそうになっても抗う心を。……だから)
仮に負けたとしても──二人で逝けるなら、きっと幸せだ。
ご感想・ご評価いただければ幸いです。
次は7/31の18時過ぎになります。