実在の人物・団体とは一切の関係がありません。
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デンジくん、本当はね。
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彼は花束を抱えていた。それを受け取れなかったことだけが、ただ一つ心残りだった。
初めから好きだったわけじゃない。ずっと、騙していた。チェンソーの悪魔の心臓……それを奪うことが『レゼ』の任務。だから、そう。そのために近付いた。それだけだった。それだけのはずだった。
突然の雨に降られて。電話ボックス。偶然を装って、私はそこに滑り込んだ。全ては嘘に彩られた必然だった。彼がそこを歩くことを私は初めから知っていて、台風の悪魔に雨を降らさせた。濡れた私の侵入に、彼は驚く。そして突然泣き出した女に、彼は興味を持つ。全ては必然。必然。必然。……それじゃあ、彼が差し出した花も? 口の中から引っ張り出して、なんてマジックにしたって無茶苦茶すぎて。唾液に塗れた一輪の花。汚いだけで。嬉しくなんて一つもない。受け取ったのだって、そうする方が、きっと喜ぶだろうから。それだけ。それだけ。それだけ?
(…………この人は)
私とほとんど変わらない、年下の少年は。
(初めて会った誰かを、元気付けようと出来るんだ)
やり方はバカみたいで、どうしようもないけれど。
それでも、彼はそんなふうに……。
誰かのために、心を割くことができる。
私には、同じことが出来るだろうか?
任務なら、きっと出来る。
いくらでも、演じられる。
『レゼ』には、なんだって出来る。
でも、そう。
『私』には……。
それができるだろうか?
私は。
彼の善性が、少しだけ。
ほんの少しだけ、羨ましかった。
(…………お礼、なんて、バカみたい)
喫茶店のバイトを選んだのは、最も対象と接触しやすいからだった。店頭で取引が終わってしまうような店では、縁が薄くなりすぎる。だから、飲食店なのは必須で、そして食べる店じゃダメ。何かが満たされている時、人は欲望を感じにくい。だから、お腹がいっぱいになれるようなお店じゃいけない。だから、喫茶店……だったんだけど。
彼はびっくりするくらい子供で、コーヒーのひとつも飲めない。所詮喫茶店の、対しておいしくもないご飯に夢中。
でも、そう……それ以上に、私に夢中になってくれていた。だから、プラマイゼロ。ゼロ? ゼロ。……そのはず。
順調だ、と思った。
楽な仕事だ……って。
それだけだ。
彼は学校に行ったことがないと言った。
びっくりするくらいバカで、常識知らず。そう思ってたけど、それも当然だった。
十六歳……十六歳。まだ子供。普通なら。当たり前に学校に通って、生きるとか死ぬとか、そんなことじゃなくて、もっと……もっと別の何かに夢中な時期だ。
だから、そこを刺激した。
君が置かれてる状況はおかしいんだ、って。
君は不幸なんだ、って。
本当は。
本当は、もっと。
別の生き方だってあるはずなんだよ、って。
もちろん、全部、嘘だ。
嘘。
嘘。
嘘……。
……本当に?
本当は。
本当はそれは。
『——レゼとなら学校行きたかったかな』
夜の学校に忍び込んだ。
本当は。
私も、初めてだった。
おっかなびっくり、彼の手を引いて、間違った扉を開きませんようにって祈りながら、教室のドアを開けた。
夜の学校に、二人きり。まるで、世界に二人だけみたいで。
裸になって、プールで泳いだ。夜のプールは冷たくて、明かりもなくて、面白くもなんともなくて。でも。初めて泳ぎ方を教わる彼は、びっくりするくらい、楽しそうで。
楽しい?
楽しいって、なんだ。
私は。
私は楽しくない。
楽しくないんだ。
喜ばせる。
それだけが、役割。
夢中にさせる。
それだけが、役目。
だから。
私がどう思うとか、そんなの。
関係なくて。
『——俺ぁ都会のネズミがいーなー』
呑気に。
むかつくくらい呑気に、そんなことを言う彼を。
私はお祭りに連れて行った。
輪投げ。わたあめ。金魚掬い。
……ろくにお金もかかってない、子供のお遊び。
でも。
それをするのは、初めてで。
思えば。
彼とはたくさんの初めてを経験したんだ、って、そんなふうに、振り返って、しまって。
それは、多分。
『——こんなことすんの初めてだなー』
彼も、同じで。
私たちは。
似てるんじゃないか、なんて。
私は勝負を仕掛けた。
『仕事やめて……私と一緒に逃げない?』
手を握った。
『私がデンジくんを幸せにしてあげる。一生守ってあげる』
——お願い。
もし。
もしもあの時、それに彼が頷いていたら。
私はどうしていただろう?
誑かした彼を引き連れて。
私は……どこへ向かっていただろう?
あの時。
彼が頷かなくて、良かった……なんて。
どの口で。
『——デンジくんの心臓、貰うね?』
私は幸せになりたかった。
だから、そのためにならなんだってできた。
なんだって。
なんだって。
なんだって?
……私は。
生きた爆弾。
爆弾は……。
人に使われる武器。
武器が、己の意思を持ってはいけない。
人の殺し方は知っていた。
ずっと昔から、そればかりを教えられていた。
それ以外の全てを削ぎ落として。
人に嘘をつく方法を教えられた。
人に好かれる方法を教えられた。
人を誑かす方法を教えられた。
人を苦しめる方法を教えられた。
それだけあれば十分だった。それだけあれば、任務をこなすことができた。
それ以外は必要なかった。
邪魔なだけだった。
邪魔で。
苦しいだけだった。
『みんなチェンソーの心臓ばっか欲しがっちゃって! デンジーの心臓は欲しかねぇのか!?』
可哀想にな、と思った。
彼は一生、それを誰もから求められる。
私がそうしたみたいに。
『私たちの戦いかたってのを教えてあげる』
……なんで、そんなことを言ったんだったか。
戦っている時は、少しだけすっきりする。
何もかもが、壊れていく。
吹き飛んで、弾け飛んで。焼け焦げて、跡形もなくなる。
……私の嫌いなもの、全て。
そうなってしまえばいいのに、なんて。
願うには、世界って敵は強すぎる。
『だったら初めて会った時にさっさと殺しとくんだったな』
……。
…………。
………………。
そうだね。
それができていたら、きっと、良かったのかな……なんて。
嘘だよ。
『俺に泳ぎ方を教えたのは間違いだったな』
絡みつくチェーンに抱きしめられて、私たちは水底に沈んだ。
本当に。
二人きりで。
きっと、もう二度と目覚めないんだろうと思った。
それでも良かった。
それでも……良かった。
良かった、のに。
彼は。
『一緒に逃げねえ?』
……。
『全部嘘だ、っつーけど、俺に泳ぎ方教えてくれたのはホントだろ?』
…………。
『レゼ! なあ、レゼ!』
………………。
『今日の昼に、あのカフェで待ってるから!』
私は。
新幹線は、行ってしまった。
バカなことをしている、なんて……そんなことはわかっている。
そう、わかってるんだ。
わかって、いたんだ……。
私は。
私は酷い女で。
嘘つきで。
人殺しで……だから。
幸せな終わりには辿り着けない。
知っていた。
知っていた。
知っていた。
それでも……。
夢を、見てしまって。
だから、その結末は当然だった。
彼は花束を持っていた。
花なんて……逃げるのに、邪魔なだけなのに……。
バカだなぁ……。
ごめんね。
ごめん。
ごめん。
私。
私ね。
いつも、嘘ばっかり。
デンジくん。
本当はね。
私も、きみのことが好きだった。
2
「——たとえばお伽話なんかだったら物語の終わりは『めでたしめでたし』で結ばれて、そのまんま閉じられちゃうわけですけども、それってのはしかしどこまで誠実なのかな、なんてことを、最近よく考えるんですよ。人生ってもんは結局死ぬまで続き続けるしかないもんで、『めでたしめでたし』の後にだって登場人物の人生は続いていくわけで……そんなかで一瞬の『めでたさ』を切り取って、それでじゃあこの物語はハッピーエンドです、なんて語っていいもんなのか、と、そんな疑問は結構あるわけです。人生死ぬまでわかねぇだろ、みたいなことを言いたいわけではなくて、たとえば畳の上で家族に囲まれて大往生って最後でも、そこに至るまでの人生ってのはめでたいこともありゃしけたことだってあるわけで、それを終わりよければ全てよしなんて乱雑さで『めでたしめでたし』と括るなんてのは一種の冒涜でさえあるんじゃないか、と。物語の中にだって起承転結あるわけで、シンデレラだって最初はまあとてもじゃないが幸福とは言えないところからスタートして、最後には幸せをつかむわけだけれど、じゃあその最後だけ切り取ってこの物語はハッピーエンドです、って言い切っちゃうのはなんか違うんじゃないか。それまでの人生はじゃあその『ハッピーエンド』の前振りなのか。その後の人生は『ハッピーエンド』の蛇足なのか? 同様に、たとえばどうしようもなく孤独に、苦しみながら死ぬしかなかった人間だって、過去には幸せな一瞬があったかも知れないわけで、じゃあ死ぬ時一人孤独だったらそれはバッドエンドで、その人生は全部が全部しけたくだらない人生だったってことにされちまうのかよ、みたいなね……そんなことを、結構、考えるわけですよ」
低い声が聞こえて、気が付けば駅にいた。木製のベンチに、一人、座っている。
線路の上に、電車はない。人気もなく、伽藍堂のプラットホーム。人も、鳥も、鼠も、何もいない……気配すらもない。そんな空間で、だから唯一の人影は、線路を挟んで反対側のホーム。同じように置かれた、木製のベンチに座る一人の人物だけだった。
少し遠いけれど、遮るものは何もないから、その姿はよく見える。
高い背丈。細い体付き。服装は黒いスラックスに、革靴。白いシャツに、黒いネクタイ。……公安の衣装、だろうか?
振り払うように、顔を見つめる。
男にしては長い、肩口までの髪。額の真ん中で、それを分けている。面長。整った顔立ちは、けれどどこか作り物じみたそれを感じて——目の下には、酷い隈。
「結局、それは解釈なんだろう……とは、思うんですけどね。つまり、まあ、個々人がどう思うか、ってところに、最終的には収束してしまう。幸福とか不幸とか、それって絶対的なものじゃなくて、瞬間瞬間の移ろいで……その瞬間に感じる幸不幸と、振り返ってみたときに見えてくるものってのもまた違う。人間って生き物は結局現実を直視する機能は持ち合わせちゃいないもんで、頭蓋骨の内側に閉じこもったまんま、外からのノックの音をどう言う意味だろうなって考えるしかない。ときには録音したそれを再生してみて、ああこんな意味だったのかな、あんな意味だったのかなって頭を悩ませながら、次第に元の音も思い出せなくなっていく。それが悪いことだ、って言いたいわけじゃないけれど。まあ、じゃあ何が言いたいのかって言えば——」
どうだろう。
「きみの人生は、幸せだったと言えるだろうか?」
真っ黒い瞳が、レゼの瞳を捉える。その瞬間——直感した。
あれは、人じゃない。
「……悪魔」
呟けば、「まあ」と返事が帰る。
「どうも、そう呼ばれるのは好きじゃないんですがね。一応、悪魔やらしてもらってます」
ぺこり、と冗談みたいに頭を下げる。
レゼは警戒を強める。悪魔の多くは、その見た目に人ならざる特徴を持つ。悪魔なのだから当たり前……と言う以上に、悪魔はそもそも、人が抱く恐怖を元に生まれる。台風の悪魔、銃の悪魔、爆弾の悪魔……どの悪魔も、己の司る恐怖を象徴するような見た目であり、だからこそ、まるっきり人間そのもののような姿をしたその悪魔に、レゼは警戒をする。
一体、この悪魔は何者だ? なんの恐怖から生まれた悪魔だ? 天使の悪魔のように、背中に翼が生えているということもない。まるっきり人間そのもの……。
「——それで、どうだろうか?」
「……何が?」
そっと、首元に手をやりながら問いかける。指を伸ばした先に、求めるものはなかった。爆弾の悪魔の能力は剥奪されているらしい。
「つまり、今、この瞬間から振り返ったとき、きみの人生は、幸せだっただろうか?」
「……なにそれ、皮肉?」
目を細める。苛立ちを込めたつもりだったけれど、悪魔は動じない。
「そんな意図はない。純粋に……ただ、聞きたかっただけ。けれど、そう。解釈の余地としては、あるよな、って。まあ、つまりただの確認でしかない」
悪魔は言って、指を指す。レゼを……ではない。それはホームの電光掲示板を。
「もうすぐ、電車が来る」
「え?」
「続きが欲しければ、乗るといい」
どこか、遠くから、ガタゴトと列車の走る音が聞こえてくる。
「……あなた、なんなの?」
「さて」
ホームの向こう側、悪魔は肩をすくめる。
列車は、もうすぐそこにまで迫っている。
「次は、答えが変わることを祈る」
その言葉を最後に——ホームに滑り込んできた列車が、悪魔の姿を覆い隠して。
ドアが、開く。
中は無人で、閑散としている。
ふと。
レゼは自分が、片手に小さな花を握っていることに気が付いた。
爆弾の力は剥奪されても——それは、奪われなかったらしい。
意を決して。
レゼはその列車に乗った。
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