JANE DOEに花束を   作:忘旗かんばせ

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第七話 1

 

 0

 

 甦れ、ヒーロー。

 

 1

 

 確かに頭を吹き飛ばしたはずだった。

 

 命令系統を失い、力無く地に転がる無惨な死体。スターターを引くものはおらず、呼ぶ声もすでに消え。もはやヒーローは蘇らない。そのはずだった。

 

 けれど——

 

「……よう、アキ」

 

 その男は、確かにそこに立っていた。

 

 人の消えた夜の市場。引き裂かれた平穏がもたらす狂ったような静寂の中、月明かりに照らされ、輝くような赤。チェーンソーの頭を持つ、異形の少年。先ほどまでの逞しき鎧姿からすれば、見窄らしいとさえ言える半人半魔の姿に——けれどどうしてだろう? 銃の魔人は、胸の奥が酷く痛むような、奇妙な錯覚を覚えた。

 

「悪かったな、嘘吐きだなんて言っちまってよ。お前一人に、全部背負わせちまったのは俺の方だってのにな」

 

 ヴヴン。エンジンの音色と共に、その両腕からチェーンソーの刃が伸びる。ギラリと輝く、鋼。夜の闇の内側にあってさえ、何者よりも鋭利に、残酷に、勇敢に。輝き続ける、無窮の光。

 

「この一年半……ずっと、遠くで、俺のことを守ってくれてたんだろう」

 

 だから——

 

「今度は、俺の番だ」

 

 叫ぶように、チェーンソーの刃が火花を散らす。そう、それこそは楽園を守る、回転する炎の剣。かつて地獄の底に炎を灯し、遍く悪魔をその光にて滅した究極。かつて己を惨たらしく寸断したそれへの恐れか、反射的に、銃の魔人は出鱈目に弾丸を放ち——けれどその全てが切り裂かれる。

 

「殺させねぇよ、もうお前には、誰一人!」

 

 撃たれる弾丸は、尽く回転する刃に切り裂かれ霧散する。どうして——そんなことが可能だろう。先ほどの、本物のチェンソーマンとしての姿——かつて地獄において、自らを残虐にも殺戮せしめたあの姿に比べれば、肉体のスペックも、刃の強度も切れ味も、全てが見る影もなく衰えているはずで——にも関わらず。

 

 その気迫だけは、悪魔をも超えて。

 

「アキ!!」

 

 デンジは叫び、チェーンソーの刃が唸る。獣のように、人のように。神のように、悪魔のように。炎のように——勇気のように。放たれる無限の弾丸を、力によってでなく、技によってでなく、速さによってでなく、硬さによってでなく、ただ迸る意志の力のみによって切り裂いて、彼は駆ける。死と殺戮の嵐の中を、ただひたすらに、その両足で。足掻くように無様に、血反吐を吐きながら傷付き悶えて、それでも諦めることだけはなく、世界の終わりにも等しい銃弾の濁流を押し切って——その刃を、彼方へ届かせる。

 

「オオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 突き出された刃は銃の魔人の肩口に突き刺さった。獰猛に、回転するチェーンが肉を抉る。

 刻まれた傷口から吹き出した血潮が、どこまでも真紅に、輝き——ついにその腕が、切り落とされる。

 重たい肉が、地に落ちる音色。

 

「あとでくっつかなくても許してくれよ!」

 

 デンジの声を無視して、銃の魔人は残った腕を構える。乱射。乱射。乱射。火を吹くようなマズルフラッシュの連続。兎にも角にも、目の前の障害を殺さなくてはいけない。一刻も早く。一秒でも早く。そう、奴こそは地獄のヒーロー、チェンソーマン。かつて己を殺した怨敵。そして——

 

 共に暮らした、■■。

 

「アキィイイイイイイイッ!!!」

 

 不死身のヒーロー、チェンソーマン。かつて自分は、それに殺された。その姿と、目の前の見窄らしい少年の姿は、似ているようでまるで違う。そう、あのヒーローに比べれば、目の前の少年はずっとか弱く、悲しくなるくらい貧相だ。己の敵ではない。こんな相手を殺すことは簡単だ。わかっている。わかっているのに、なぜか——

 

 引き金が、引けなくて。

 

 二本目の腕が、断たれる。

 

 吹き飛んだ腕が地面に転がるよりも早く、デンジの両手が、銃の魔人の肩を掴んだ。

 

「なあ、アキ、いるんだろう!? そこに!」

 

 もがこうとする魔人を無理やりに押さえつけて、デンジは語りかけた。

 

「聞こえるか! 俺だよ、デンジだ! 一人で逃げちまって、悪かった。謝るよ。埋め合わせなら、なんだってする。だから、戻ってこい! 戻ってきてくれ!」

 

 喉を枯らして、デンジは叫ぶ。

 銃の魔人に向けて——アキに向けて。

 己の大切な、家族へ向けて。

 

 その肩を揺さぶりながら、強く。

 その心臓の、奥底へ向けて、遥か。

 祈るように、願うように——希うように。

 声を、紡ぐ。

 

「頼む——聞こえてるだろ!? なあ! こいつを、こいつをアキに戻してやってくれ! そこにいるんだろ!? 聞いてるんだろ————()()()!」

 

 呼びかける、声に。

 心臓の奥が——震えた。

 

 2

 

 だから違和感はその赤色だった。

 

 ドアを開けた時、部屋の中は、その全てが真紅に染まるほどに強く、夥しく血に塗れていた。あまりにも——塗れすぎていた。

 

 そう、一人の人間から流れ出たとは、とても思えないくらいに。レゼ一人の血をその体から搾り尽くしたとしても絶対にあり得ないくらいに、あの部屋には血が流れ過ぎていた。

 

 そして倒れ伏したレゼの腹には、また夥しいほどの血が溜まっていた。不自然にも。まるで——中にいた赤子を、守るように。

 

『——最も目を逸らしたくなる惨憺の中にこそ、希望というものは隠れ潜んでいる』

 

 リフレイン。

 その言葉が意味するものとは、つまり——

 

 3

 

 ——ごぼり。

 銃の魔人の口の端から、血がこぼれる。

 デンジの呼びかけに応じるように。

 ごぼり、ごぼりと。

 鮮やかにすぎる、赤色が。溺れるように、溢れるように、沸き立つように、蕩けるように。

 流れて、流れて、流れて流れて流れて流れて——

 

 弾ける。

 

 そして————

 

 気が付けば。

 

 銃の魔人——それを象徴するはずの頭の銃が、消えていた。

 

 異形の頭部は、人の形に戻る。

 

 目を見開いて、口を開いて。

 驚いたように——信じられないとばかりに、顔を歪める、一人の少年の、その顔に。

 

「目、覚めたかよ、アキ」

 

 その開かれた瞳に。

 いつか見た、金髪の少年が、映る。

 

「……デンジ?」

「久しぶりだな、アキ」

 

 懐かしむように。

 穏やかに名を、呼ばれて。

 アキはようやく、自分が生きていることを信じられた。

 

 アキは何かを言おうとして、デンジに向けて口を開き——

 

「がははははははは——!」

 

 下品な笑い声に、感動をかき消される。

 

「おうおうおう、感謝せいよ、デンジ、アキ! うぬらを助けてやったのはこのわしじゃからのう!」

 

 古風な言葉遣いの、赤い角の生えた少女——血の魔人、パワーは、自慢げに語る。

 がはがはと——全裸で。

 その生白い肌を隠し立てもせず、下品に、粗野に、高らかと、笑いながら。

 

「……パワー?」

 

 なぜ、ここに。思うアキに、答えるのはデンジだった。

 

「お前の体ん中に、血になって隠れてたんだとよ。んで、お前の体の中の『銃の悪魔の血』と戦って——勝ったらしい」

「銃の悪魔だかなんだか知らんが、雑魚じゃったのぉ〜〜!」

 

 なんて、Vサインを掲げる彼女。全裸だというのが格好がつかない限りだが——しかし今だけは、そんなことも言いっこなしだ。

 

「……そうか、あの時、血を飲まされて……」

 

 アキは独りごちる。

 いつかの記憶。人形の悪魔——サンタクロースとの戦いの後に、確かに。アキはパワーの血を、体に取り込む機会があった。

 

 血の魔人。その能力は文字通り、血を操ること。彼女はその力によって、自ら血の一雫となり、アキの血中に潜んでいたのだ。全ては——アキを守るために。

 

 パワーのことは任せろ、なんて啖呵を切っておいて、実際には自分の方が救われてしまった。全く情けない限りだ、なんて。

 

「なんでもいいけどよ」

 

 内心自嘲するアキに、デンジは言った。

 

「また会えて嬉しいぜ、アキ」

 

 に、と。

 笑われて。

 アキはその底抜けの明るさに、かつてにも救われたことを、思い出した。

 

 情けなくて、負け続きで。

 迷惑ばかり、かけてしまって。

 それでもそんな自分を——アキは許した。

 許して、もらった。

 

 彼は小さくため息を吐いて、穏やかな顔で、「俺もだ」と答える。

 腕が残っていれば、ハイタッチのひとつでもしたいところだった。

 

「お前の嫁さんと……子供は、大丈夫だったか?」

 

 一番の心配事を、アキは問う。今でも、ない腕に嫌な感触が残って、けれどデンジはピースサインを向けた。

 

「それも、パワーが守ってくれた。今は病院で、命に別状はないってよ」

「そうか……」

 

 良かった、と、彼は胸を撫で下ろす。

 そう、本当に——良かった。

 あの日。後悔の悪魔にIFの未来を見せられて以来、ずっと。この未来にだけは辿り着かないようにと行動し続けて、それなのに——辿り着いて、しまって。

 

 それでも最悪だけは、避けられた。

 

 それはひとえに、家族のおかげだ。

 デンジが、そして、パワーが。

 アキを最悪の未来から、救ってくれた。

 

 だが——安心してばかりもいられない。

 

 今は家族との再会を、無邪気に喜んでいられるような状況では、ない。

 

 アキは横たわったまま、デンジに向き直る。

 

「デンジ。よく聞け。俺を——銃の魔人をお前に嗾けたのは、マキマさんだ」

 

 アキは、真に伝えるべきことを語る。

 

「あの人は、人じゃない。人間じゃない。その正体は悪魔で——そして、デンジ。お前のことを、狙っている」

 

 アキは語る。その言葉を、デンジはただ静かに聞いた。

 

「俺たちは……俺は、岸辺隊長と協力して、マキマさんに立ち向かって——そして敗れた。今、日本はすでにあの人の手に陥落している。岸辺隊長が中心になってレジスタンスをやっていたが、そこで銃の悪魔が現れた……ソヴィエトが、隠し持っていた切り札を切ったんだ。俺たちは銃の悪魔に対抗するために一時的にマキマさんと協力して——裏切られた」

 

 そして、この様だ。アキは語る。

 

「あの人の目的は、デンジ。お前の心臓に宿るチェンソーの悪魔だ。信じられない話だとは思うが……チェンソーの悪魔には、食べた悪魔が司る概念をこの世から消し去る力があるらしい。マキマさんは、お前とチェンソーの悪魔の契約を無理やり反故にさせて、お前をチェンソーの悪魔に戻し、それを操って、世界の在り方を変えようとしている」

 

 デンジは何も言わず、ただじっと、アキの目を見ていた。

 

「お前に、そんなことをする義理はないってのは、わかってる。だがそれでも……頼む」

 

 デンジ。

 

「マキマさんを止めてくれ」

 

 願われて。

 デンジは静かに——頷いた。

 

「任せとけ」

 

 いつの日か、過去。

 

 ポチタと契約を交わした日を思い出す。

 

 死肉と血に塗れた自分を、抱きしめてくれたその胸の柔らかさを、思い出す。

 

 初めて食べたまともな食事。

 

 初めて着せられたまともな衣服。

 

 与えられた温もりを思い出す。

 

 奪われた幸せを思い出す。

 

 デンジはかつて、マキマのことが好きだった。

 

 多分きっと、今でも好きで。

 

 でもその好きは、レゼへの好きとは違う。

 

 アキへの好きとも、パワーへの好きとも違って——だから。

 

 決着をつけなければいけない、時が来た。

 





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