JANE DOEに花束を   作:忘旗かんばせ

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第三話 3

 5

 

『久しぶりだね、デンジくん』

「……マキマさん」

 

 声を聞けば、胸の奥がどきりと跳ねる。けれど、そう。それは今までのような、甘いばかりの苦しみじゃなくて、どこか。

 後ろめたく、暗い。

 

『元気にしてたかな』

「……マキマさんは、どうっすか」

『私は、元気だよ。……色々と、トラブルもあったけれどね』

 

 電話口の声は、以前と何も変わらない。静かで、淑やかで、愛らしい声。けれどどこか、今は。

 少し、冷たく感じるような、気がして。

 

「……勝手に居なくなってすいません」

 

 思わず、言葉が口をついた。デンジは、マキマに恩がある。一生かかっても返しきれないような、重たい恩が。だから、先に不義理を成したのはデンジだ。たとえ——愛しい人のためであっても。

 デンジがマキマを裏切ったことには、変わりない。

 

『謝ってくれるんだね』

「悪いことをしたとは、思ってます……でも」

『でも?』

「公安にはもう、戻れません」

 

 デンジはキッパリと言った。

 道はもう、あの時に選んだのだ。

 あの日、あの路地裏で。

 デンジはマキマではなく、レゼを選んだ。

 

『困ったな』

 

 言葉とは裏腹に、微塵も揺るがぬ平坦な声で、マキマは言った。

 

『もし、デンジくんが公安に戻らず逃げ続けるなら、私たちはデンジくんを犯罪者として扱わなくちゃいけない』

「覚悟の上です」

『私たちはしつこいよ。逃げられるとは思わない方がいい。君は捕まって、そして二度と幸せな暮らしなんて出来なくなる』

「そうならないように、全力で逃げます」

『……仮に逃げられたとしても、デンジくん。デンジくんがその道を歩むなら』

 

 デンジくんと私は、敵同士になっちゃうんだよ?

 

 マキマの言葉に、デンジは——

 

「わかってます」

 

 と。

 そう答えた。

 

「それでも俺は……レゼと逃げます」

『……そっか。デンジくんは、そんなにレゼちゃんのことが好きになったんだね』

「……はい」

『私よりも』

「…………はい」

『パワーちゃんよりも?』

「え?」

 

 言われて——思考が空白になる。

 

『アキくんよりも、レゼちゃんの方が好き?』

 

 問われて。

 デンジはそれを、答えられない。

 だって、そうだ。レゼに対する好きと、アキに対する好きは全然違う。パワーに対する好きだって、もちろん。だから、その問いはデンジにとって完全に予想外のもので——

 

『アキくんは悲しむだろうね。いや、それとも怒るかな……パワーちゃんは、泣いちゃうかも』

 

 淡々と、マキマは言葉を続ける。

 

『今だって、二人はデンジくんのことを心配しているよ。今は、私が情報を止めて、デンジくんは連れ去られたってことにしている。でも、デンジくんが自分から逃げたってことになったら……どうなるかな?』

 

 いつも通り、静かで淑やかな声が、鼓膜を通して、デンジの脳を揺らす。

 

『そう、そうだね。アキくんは、デンジくんの監督者だった。一緒に住んで、面倒を見ていた。それなのに……逃亡の予兆に気付かなかった。これは、明確にアキくんの責任だよね』

「……待ってくださいよ」

『いや、それだけじゃ済まないかもしれない。一緒に住んでいて、逃亡の予兆に気付かなかった……これは不自然だ。もしかしたら、アキくんはデンジくんの逃亡を幇助したのかもしれない。パワーちゃんも……知っていたのに嘘をついたのかも』

「待っ……二人は関係ないだろ!」

『私はそう信じているよ。でも、他の人がどう考えるかは、わからないよね』

「……っ、マキマさんの部下でしょう、二人とも!」

『そうだね。でも私にだって、庇える限界はある』

 

 実を言うとね。

 

『今日、アキくんをここに呼んであるんだ』

「は?」

『デンジくんの返答次第では……どうなるかな』

 

 こんこん、と。電話越しに小さく、ノックの音が聞こえる。

 

『ああ、来たみたい』

「——っ、マキマさ」

『デンジくんの口から、言ってみる?』

 

 自分の代わりに、身代わりになってくれ、って。

 

 くすり、と小さな笑い声。そして、吐息が離れていくような気配が電話越しに伝わって——

 

『やあ、こんにちは。アキくん』

『どうしたんですか、マキマさん。やっとサンタクロースの件が片付いたばっかりなのに、また急に呼び出して——』

『今。この電話、デンジくんに繋がってるんだ』

『……は?』

『でも、説得が上手くいかなくてね。……()()のアキくんの言葉なら、通じるかもしれないと思ったんだ』

『え、ちょ、共犯ってどう言う——』

『アキくん。一緒に住んでいたのに、デンジくんの逃亡に気が付かなかったっていうのは、不自然だよね』

『待ってください、マキマさん、俺は本当に何も知らな——』

『そう扱われるかどうかは、この電話にかかってる』

 

 マキマは笑う。

 

『アキくん。そしてパワーちゃん……デンジくんが戻ってこなければ、君たちには責任をとってもらうことになる』

『っ!』

『電話に出てあげて、アキくん。デンジくんが待っているから』

 

 吐息の気配が、近づき。

 

『……デンジか?』

 

 アキの声が、聞こえる。

 

「……早パイ」

 

 喉の奥から漏れ出た声は、思ったよりもずっと小さく、情けないそれだった。

 

『……お前は、逃げるのか』

「……っ」

『全てを捨てても……あの女と一緒に居たいのか?』

 

 問われて、デンジは——それでも。

 

「ごめん、早パイ。俺は……俺はレゼと一緒に行きたい」

 

 震える声で、言う。

 それがどれほど残酷な裏切りであるのかを、わかった上で。

 だから——

 

『……そうか』

 

 応答は、静かに。

 

『なら、パワーのことは、俺に任せろ』

 

 そして、確かに。

 早川アキはそう言って、デンジに笑いかけた。

 

「……えっ?」

『こっちのことは、こっちでなんとかする。だから、デンジ。お前は()()()()、前だけ向いて——生きろ』

 

 じゃあな。

 

 その言葉を最後に、ブチリ、と。

 電話が切られる。

 デンジは。

 目を見開いて、切れた電話の画面を見つめた。

 

「……チェンソー様?」

「……ビーム」

 

 デンジはビームに、視線を向ける。

 

「無茶を承知で、頼む……アキのことを、助けてやってくれないか」

「っ、チェンソー様……」

「頼む」

 

 デンジは。

 ビームに向けて深々と、頭を下げた。

 

「わかっ、た……」

 

 ビームは。

 躊躇いながらも、それに頷く。

 

「……バイバイ、チェンソー様」

「ああ、じゃあな、ビーム」

 

 言葉を交わし合い。

 それを最後に、ビームはとぷりと、床に沈み込んだ。

 二人の道は別れ。

 そして二度と、交わらない。

 

「……あの、え? 助っ人の人、行っちゃったけど!?」

 

 別れの名残を噛み締めるデンジに、無粋にも少女が声をかける。偽レゼ……と、呼ぶのもいい加減馬鹿らしい。

 

「……お前さ、名前は?」

「え?」

「本当の名前、あるだろ?」

「えっと……ポゴ」

「じゃあ、ポゴ。お前も、どっか逃げろ。俺はこっから、本物のレゼ探さなきゃいけねぇからよ。お前のこと、守ってやれる状況じゃねぇ」

「え、ちょ、待って、待って——」

 

 ヴヴン。もう一度、スターターを引いて、エンジンを蒸し、デンジは歩き出そうとして——

 

「あっ、あーっ!」

「なんだようるせーな。俺はもう行くんだって——」

「そうじゃなくて、窓、窓!」

 

 窓? 尋常じゃない様子でポゴが指差す先に、デンジは視線を向けて——

 

「——は?」

 

 ()()を見た。

 

 6

 

 爆発を封じられるとは言っても、それは逆に言えば、相手に爆発を封殺させるためのリソースを使わせているという意味でもある。

 

「——シィッ!」

 

 鋭く息を吐きながら、蹴りを放つ。爆発。それはもちろん粛清され、この世から消え失せるが——次の爆発を。

 拳、肘、肩、膝、爪先、踵——近接格闘に合わせて爆発を振り、また時に距離を取りつつ爆弾を撒く。

 

「『粛清』」

 

 相手はそれらを全て封殺する——せざるを得ない。そう、どれだけ強力な力を持っているとしても、悪魔と契約している本人は人間なのだ。爆発に晒されれば、良くて重症、悪くて即死。必然的に、爆発には必ず『粛清』で対応しなければならない。

 

 依然として——強みを押し付けているのは、レゼの側だ。

 

 対応する側と、させる側。後者に立ち続ける限り、レゼの優位は揺るがない。

 

「なかなかいい動きをするようになった」

 

 褒め言葉ではないだろう。ただの、事実の確認。息も乱さず、チーストカは言う。

 

 肉弾戦では互角だった。悪魔としての身体能力を持つレゼに対し、ただの人間に過ぎないチーストカが互角の戦いを演じていることは驚異的だったけれど、しかし脅威的とまでは言い難い。肉弾戦に限って言えば、チーストカは『普通に強い』デビルハンターだ。その戦闘能力は、噂に聞く『狩人』のそれほど逸脱してはいない。

 

 だから——前に出る。

 鎌と鉄鎚の同時攻撃、それを恐れることもなく。

 

 狙うは首。爆発は封じられても、体を爆弾に変えることによる『硬さ』はそのままだ。首への打撃は、上手くすれば骨を折っての即死を狙え、そうでなくても、一瞬でも呼吸が止まれば大きく隙ができる。狙い、伸ばした手刀で喉を突くけれど——

 

「あふぁい」

 

 がちり。火花が散る。チーストカは伸ばされた手刀の先端に噛みつき、咬合力によって突きを受け止めた。そんなことをすれば、普通は歯がへし折れるはずだが——

 

「いい入れ歯。チタン?」

「タングステンだ。重いが、硬い」

 

 お返しのように、鉄鎚が振るわれる。生身の部分を狙って的確に。防ごうと腕を上げるが、瞬間、差し込まれるのは鎌。

 肋骨を貫いて——ヒヤリと感触。内臓に、触れている。

 

「——っ!」

 

 爆発によるリセット。それを狙おうとして、けれど当然のように粛清される。

 

「前に出たのは失策だったな」

 

 肉を抉るように、わざと出鱈目に鎌を引き抜く。噴き出た血潮が、チーストカのスーツを赤く濡らした。

 

 レゼは脇腹を抑えて、三歩、後退する。

 

「恐怖を克服するのはいいことだが、克服した気になるのは頂けない。レゼ。ああ、レゼ。教えたはずだぞ。恐怖とは立ち向かうものではなく、飼い慣らすものである、と」

 

 鎌についた血肉を振り払って、チーストカは言う。

 

「お前は俺を恐れているようだ。それはいいさ、構わない。そう、教官を恐れ敬うことは生徒の役目だ。だが、その恐れをないもののように扱おうというのは愚かなことだな。ああ、レゼ。お前はまた選択を『間違った』。俺に対する恐怖を振り払おうとするあまり、お前は必要以上に攻撃的になり、逆に致命傷を負った。レゼ、ああレゼ……残念だよ、本当に」

 

 口からこぼれ落ちる血を拭いもせずに、レゼはチーストカを見つめ続ける。

 

「……致命傷を負ったのは——」

「……?」

「——どっちかな」

 

 ぶ。

 レゼは血を吐き出し——それを爆弾に変える。サーモバリック。次世代型の気化燃料爆弾へと。

 

「『粛清』」

 

 しかし——それは無慈悲にも消滅する。そう、これまでと同じように。何か策があるのかと思えば、しかし破れかぶれの爆撃が一つ。結局は、その程度か。チーストカは失望を覚えかけ——瞬間。

 

 俄かに、チーストカのスーツが熱を帯びる。

 

 まずい。直感する。そうだ、そのスーツには、先ほど、()()()()()()()()()()——!

 

「『粛せ——』」

「遅いよ」

 

 ボン。

 服に染み込んだ血肉を爆弾に変え——爆発。チーストカの上半身が——弾け飛ぶ。

 

 人の肉が焼ける、醜悪な匂い。焼け爛れたチーストカの体が崩れ落ちてようやく、レゼはため息を吐いて、その場にへたり込んだ。

 

「いてて……」

 

 脇腹を抑え、血反吐混じりに呟く。内臓の損傷はひどい。放っておけば死ぬだろう。回復させるために、レゼは首元のピンを抜いて——

 

「————『粛清』」

 

 爆発は——しない。

 レゼは振り返った。

 

「そういえば、お前にはまだ教えていなかったな」

 

 廊下の向こう側から——その男は現れる。

 スキンヘッド。着ているスーツが軋むほどに筋肉質な体。瞳孔の開いた真っ黒い瞳に、浮かぶ五芒星。

 それが——十人。

 

「祖国ソヴィエトに於いて——粛清は、終わらないものなんだ」

 

 ゾロゾロと、現れた男たちは、ゆったりと笑う。

 

「さあ、レゼ。続きを——と」

 

 しかし——ふと。

 男たちの目が、レゼではない方を向く。その視線の先にあるのは——窓。

 

「ふむ、タイムリミットか……『船長』め。厄介なことをしてくれる」

 

 呟かれた言葉に、レゼもまた窓の方を向く。

 そして、目を見開いた。

 

 窓の向こうでは。

 海が——()()()()()()()()()

 

 高く、高く——どこまでも高い、()()()。それが、海洋に建つこの空港へと迫っていた。

 

 その津波に——どこか古風な、過剰に装飾が施された軍服を着た男が一人。無数の魚人たちを引き連れて、乗っている。

 

『船長』。本名を、ジョナサン・C・クラネス。イギリスが誇る最強のデビルハンター。公的に出回っている情報ではないが——契約した悪魔は、『津波の悪魔』。その力は陸に住む人間を海に住む魚人に変え——そして、海そのものをも操る。

 

「なるべく、これはやりたくはなかったんだがな……仕方ない」

 

 その常軌を逸した破滅の光景を見ながら、しかしすべてのチーストカは落ち着いていた。

 胸に手を当て、そして、宣言する。

 

「地獄の悪魔よ。四五九人の『俺』を代償として捧げる」

 

 現れた十人のチーストカの内——九人が自らの首に鎌の刃を突き立てる。

 そして。

 

「代わりに——この空港にいるすべての存在を、地獄へ落としてくれ」

 

 彼方より、地獄がやってくる。

 





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