0
心臓。掌。憂鬱。腐敗。焦燥。忘失。曇天。扉。
痛みと過去は、地獄より。
1
誓って言うが、デンジは瞬きすらをもしてはいなかった。
窓の外に迫る水の壁——果てしない津波の光景に慄いた、次の瞬間。
デンジの目に映る光景は一変していた。
大地は土だった。雨が降った後のように、わずかに湿気って、生臭い。背の低い草が生えて、その隙間を、奇形の蟻が歪んだ足を引きずって歩いていた。
蝶が飛んでいる。
地平線はない。どこまでも、ただ、同じような大地が広がって——空が。
無数のドアに、塞がれていた。
「……どこだ、ここ」
すぐ近くに、ポゴがいた。彼はまだもレゼの姿をしていて、ただひたすら、呆然と変わってしまった世界を眺めている。
「ポゴ……だよな? お前、ここどこか、わかる?」
デンジが問えば、彼はやっと正気を取り戻したようで、目の焦点を合わせてデンジの方を向いた。
「……多分、地獄だ」
「地獄?」
「すべての悪魔の、故郷……」
ポゴはそれだけを言って、また呆然と——否、視線の質を変え、何かを警戒するように周りを見回し始めた。
「……クソ、一時間にはまだもうちょっとだ」
腕時計をチラリと見て、彼は舌を打つ。
周りにはまだ、何もいない——いや。
少し遠くから、眼帯の女——クァンシがやってくる。背後に二人、女を引き連れていた。二人とも、人間とは異なる特徴を持っていて、魔人であることが見て取れるが——なぜだか酷く、怯えている。
「……やあ、デンノコ男」
「俺ぁデンジって名前があるんだぜ」
「……デンジ」
「あんたは、クァンシ……でいいんだっけ?」
「そう」
先ほどまで敵同士だったとは思えないほど、和やかな接触。調子が狂うが——しかし、事態が事態だ。話が通じるもの同士で争っている場合ではない、という判断か。
「ここ、地獄らしいんだけどさ、あんたら、知ってる?」
「ピンツイから聞いた。ロンも……怯えてしまって、だめだ」
背後の二人を気にしながら、クァンシは言う。デンジは後ろ頭を掻いた。
「ここから出る方法、しらねぇか? もしくは、レゼっつー……そこの女と瓜二つの女の子について知ってたら、教えて欲しいんだけど」
「……わからない。どっちも、私は知らない。……前者についてはそもそも、方法があるのかどうかすら」
クァンシは首を振った。当てが外れ、デンジは肩をすくめる。
「……なんつーか、あれだよな」
「?」
「俺ぁ地獄ってもっと、炎とかボーボー燃えてるような、そんなイメージだったぜ」
「……ふっ」
クァンシは小さく笑う。
「そうだな。少なくとも生身で生きてられる環境なだけ、ラッキーだ」
「そーそ、ポジティブに考えなきゃな」
デンジは言って、笑う。空元気だとはわかっていたが。
なにせ——クァンシの背後の二人の、様子が様子だ。
ロン……角の生えた少女は黙り込み、全身からびっしょりと脂汗を流している。
そして、ピンツイ……頭からもう一つの『口』が生えた少女は、焦点の合わない目で震える体を掻き抱いている。
「終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ————」
小声で、永久に同じ言葉を呟きながら。
「……やばい状況、なのかな」
「おそらく。こうなってしまうより前にピンツイから聞いたけれど——私たちは『見られている』らしい」
「見られている?」
そりゃ、何に。
聞こうとして——デンジは。
それを誰に聞こうとしたのか、思い出せなくなった。
「あれ?」
今。
たった今——自分は、誰かと話していたはずではなかったか。
誰か。
誰か——いたはずだ。目の前に。
怯えた魔人二人の他に、もう一人、いたはずじゃないか。
そう思って、デンジは振り向く。
「なぁ、■■、今さ、ここに——」
振り向いた先には。
誰もいなかった。
「……え?」
確か、そう。
確か、そうだ。
自分はここに……もう一人、誰かと一緒に来たはずだ。
そうじゃなかったか。
そうじゃ——なかったか?
「あれ」
視線を戻せば。
その先には——また、伽藍堂。
誰もいない。
誰も。
誰一人。
そこには、いなくて——
「あ、え?」
おかしい——な?
デンジは疑問に思う。
そう、自分は何を、疑問に思うことがあるというのだろう——
「あ——そうか」
納得したように、デンジは声を漏らす。
「俺、初めから一人だったっけ」
そんなふうに、納得をして——瞬間。
デンジは見覚えのある路地の隙間に立っていた。
タンクトップに、半ズボン。子供の頃の格好。
いや、違う。
そうだ。
自分はまだ、子供だったんだった。
背後にはドアがある。
なぜか——それを、開けてはいけないような気がして。
幼いデンジは逃げるように、前に向けて歩き始めた。
2
路地裏を抜けて、街中に出た。ひび割れたアスファルト。排ガスの匂い。吐き捨てられたガム。溢れたゴミ箱。車が通り、人が歩く。至って普通の街並み。そう、一見すれば。
奇形の蟻が、歪んだ足を引きずって歩いていた。
街を行く人々は、誰一人として顔が無かった。真っ黒い、落ち窪んだ暗闇があるばかりで、目も鼻も、口も耳も、本来人間の顔に必要なものは何一つとして存在してはいなかった。
雨もないのに傘を差して、彼らは往来を歩いている。真っ黒い傘。真っ黒い靴。真っ黒いズボン。真っ黒いシャツに、真っ黒いジャケット。ネクタイだけがただ一つ、色が抜けたように、白い。
呆然と、デンジはその場に立ち尽くす。
今見ているこの光景は、なんだ?
彼らは平然と歩いている。あるものは立ち止まり、あるものは車に乗っている。あるものは、また別のものと喋っている。デンジには理解できない、虫の羽音のような声で。
どん、と、肩に衝撃。立ち尽くしていたデンジに、通行者の足がぶつかったらしい。
「あ、すいません」
反射的に頭を下げるけれど、返事はない。ぶつかったことそのものを無視して、通り過ぎていく。
「あ、あの、すいません」
道を聞きたくて、呼び止めようとした。けれど通行者は、デンジの声など聞こえていないかのように歩き去ってしまう。
とにかく、ここを離れたい。そう思って、デンジは歩き出す。
信号は三色だった。白、黒、灰色。どの色が進めで、どの色がとまれなのかわからない。周りをそっと観察するけれど、誰も彼も、思い思いのタイミングで渡っているようにしか見えない。意を決して、デンジは信号を渡る——けれど。
パ——————
大音量で、クラクションが鳴らされる。車が発進した瞬間に、飛び出てしまったらしい。
「すいません、すいません」
謝りながら、デンジは信号を渡るけれど、車のドアが開いて、乗っていた人——あるいは、人ではない何か——が降りてくる。
彼、あるいは彼女はデンジの前に立つ。
「あの、本当に、すいません……」
卑屈に頭を下げるけれど、彼はデンジの前から動かない。そうこうするうちに、次々と車が溜まっていく。気が付けば、野次馬たちも横断歩道の両側に集まっているようだった。
「あの、行って、いいすか?」
言いながら、デンジはその場から去ろうとする。
が、その瞬間。
「——————!」
大量の羽音が輪唱する。まるで、デンジを責め立てるように。何が悪かったのか。どうすればよかったのか。何もわからない。デンジは逃げるように横断歩道を渡る。羽音の絶叫は止まらない。デンジは必死になって、路地の隙間に逃げるように転がり込んだ。
路地の隙間を、頭が二つあるコオロギが這いつくばっている。
デンジは路地の隙間を走った。表通りから遠ざかるように。
「は、は——」
なんだ、ここ。なんで、なんで?
「……腹、減った」
ぐぅ、と腹がなった。こんな時でも、腹は減る。減ってしまう。どうしようもなくて、乾いた笑いがこぼれ落ちる。
デンジはフラフラと歩き出した。
表通りには、戻りたくなかった。時折、表通りを遠巻きに眺めながら、裏路地を通って移動する。しばらく進むと、表通りに見える光景が変わった。人が増えて、また店らしきものも増える。市場だ。
デンジは路地裏を出た。
ポケットを探る。小銭が幾許かと、紙幣が一枚。少なくとも一食分にはなるんじゃないだろうか?
デンジは思って、市場を探る。よくわからないものばかりが売られている。串に刺さった硬質な白い楕円。コールタールみたいに真っ黒で悪臭を放つスープ。魚と人の合いの子みたいな何かの、色のない活け作り。どれもこれも、食べようと思えるようなものじゃない。
低く、視線を下げながらデンジは市場を彷徨う。なんとなく、上を見上げるのが怖かった。自分が彼らのような『顔無し』でないことを悟られるのが、まずいことのような気がして。
そんな中、ふと、デンジはとある店に目を止めた。店頭に、いくつかの植物と、そして果物のような何かが置いてある。看板の文字は全く読めないけれど、多分、青果店だ。直感し、そして腹がなる。やっと、食べられそうなものを見つけた。
デンジは店頭の籠に目を向ける。白い、少し皮がゴツゴツとした果物が、籠に盛られている。匂いを嗅げば、甘い匂いがした。
「あの、これ……」
指を差しながら、デンジは金を差し出す。いくらなのかわからないから、とりあえず、全財産を。差し出すけれど——
「————!」
返るのは、虫の羽音。店主と思しきナニカは、声を荒げてズンズンとデンジの元へ近づいてくる。
「あ、すいません、やっぱ、いいで——」
まずい予感がして、デンジは身を翻す。けれど——その時。
「あ」
手を引っ掛けて、籠を倒してしまう。
バラバラと、地面に果物が転がる。
一斉に。
周りの『顔無し』がデンジの方を見た。
「あ、あの、すいません……」
デンジは謝るけれど、しかし。
「…………」
「…………」
「…………」
ヒソヒソと、周りの人々が落ちた果物の方を見て言葉を交わし合う。
「あの、あ、弁償、するんで……」
立ち尽くしていた店主に、持っていた金を差し出すけれど——その手は、無視されて。
果物を拾う店主とぶつかり、地面に紙幣と硬貨が転がる。
「あ……」
デンジを無視して、店主は果物を拾い始める。周りの『顔無し』もそれを手伝い始めた。
「あ、俺も……」
デンジもそれを手伝おうとして、落ちた果物に手を伸ばすけれど、果物は、デンジの手をすり抜けて、地面に落ちる。
グシャリと、潰れて。
「——……————」
虫の羽音のような声が、ため息を吐く。
「あの、違くて……」
何が違うのかも、わからない。ただ、デンジは譫言のように「違う」と繰り返しながら、その場を去った。
3
腰に下げたラジオを弄る。どのチャンネルに合わせても、ひび割れたノイズが流れるばかりだった。
あれからずっと。デンジは一人で生きていた。食べ物を盗むことは、うまく行かなかった。腹を空かせて、なんとか仕事をしようとして、でもどこにいっても、デンジは相手にされなかった。誰にも、何にも。
泥に塗れて土下座をした。足に縋って許しを乞うた。裸になって哀れみを誘った。そのどれもがなんの意味も齎さなかった。
デンジは独りだった。
いつのまにか、だんだんと。デンジは腹が減らなくなっていた。最初のうちにあった飢えは、今はもうずっと昔の思い出だった。
腹が減らないと思えば、減らないんだ。デンジはそれを学んだ。それからは、時が経つのは早かった。
本屋に忍び込んだ。どれもこれも読めない文字ばかりで、どれだけ頑張っても、意味を理解することはできなかった。
道端の人に話しかけた。誰の言葉も分からなくて、しまいには誰も。デンジに返事をしてくれなくなった。
服を脱いだ。裸で歩いた。誰も彼も、何もデンジに言わなかった。
デンジは独りだった。
あれから。
十年の時が経っていた。
「……死んじまおうかな」
ふと。
言葉が口を突いた。
十年間。
この世界を彷徨った。
どこへいっても、デンジはよそ者で、外れものだった。
誰にも、言葉は通じない。
誰にも、意図は通じない。
誰にも、何も——求められない。
デンジは独り、爪弾きものだった。
多分。
世界が狂っているわけでは、ないのだろう。
十年間、経って。
デンジはとっくに、それを理解していた。
狂ってるのは、きっと、俺だ。
俺だけが独り。
この世界で——異物。
言葉は通じず。
意図は通じず。
誰にも、何も、求められず。
ひたすらに、独り。
誰もいない世界を、歩く。
なんのためにか、わからなかった。
十年。その数字も、本当か嘘かわからない。でももう、随分と長く歩いていた。デンジの手足は伸びて、大人の形になっていた。それでもデンジは独りだった。
どこか遠くの街に行けば、なにか居場所があるんじゃないかって。夢を見て、進んで、裏切られて。
どこでも。誰にも。デンジは受け入れられなかった。
なんのために、生きているんだろう? それがもう、わからなくなった。
あるいはずっと前から。
それはわからないままだったのかもしれなくて。
気が付けば、デンジは砂漠を歩いていた。
中天に、熱のない白い太陽が浮かんでいる。砂は白く、灰のように軋む。色のない世界で、だからただ独り、デンジだけが仲間外れだった。
背後には、扉がある。
それはずっと昔からそうだった。
『普通』の人間が暮らす『正しい』世界に、デンジの居場所はない。
そう。
だって。
自分は——
人殺しだから。
音を立てて、ドアが開いた。
その向こうで、人が死んでいる。
それはデンジの父親だった。
昔。
デンジは彼を、殺したのだ。
この世界は公平にはできていない。そんなことは初めからわかっていた。
普通に生きてる奴らが恨めしかった。そいつらはデンジとは違っていい服を着て、いい車に乗って、いい人生を送っていた。
人なんか殺さなくても生きていける連中。
正しいまま、身綺麗に生きていける連中。
横断歩道を、当たり前のように渡れる連中。
それらとデンジは、異種だった。
彼らからすれば、デンジは理解不能のバケモノだ。
そう、初めからそうなのだ。生まれつき、デンジと彼らは、すべてが違う。
話す言葉も、浮かべる表情も、着る服も、食べるものも、従うルールも、住む世界も。
全て違って、だからデンジは独りなのだ。
それがようやく、わかった。
わかって——だから。
全てが虚しくなった。
たとえば。
デンジのような人間が死んだとして、それを悲しんでくれる人がどれだけいるだろうか。
デンジのような——人殺しが。
死んだところで、悲しまれるようなことが、あるだろうか。
あるいは。
デンジのような人間が——生きていた、ところで。
それが喜ばれることなんて、あり得るのだろうか?
さあ、と風が吹く。色のない風が、デンジの頬を撫でることもなく、ただただ無感動に通り過ぎていく。
気が付けば、路地の隙間。
開いたドアを茫然と眺めながら、デンジは立ちすくんでいる。
ラジオはもう、ノイズすらも吐き出さない。
ただひたすらに、静か。
あの日から一度も変わっていない。濡れた血すら乾かないままの、父親の死体。その隣に、座る。
側に、ナイフが落ちていた。なんの変哲もない、安物のステンレス。デンジはそれを拾って、喉元に当てる。
その瞬間——
ピリピリと、チープな電子音が鳴り響く。
なんの音だろう? いつか、どこかで、聞いたことがあるような……。デンジはその音が鳴る根本を探して、そしてそれが己のポケットの内側であったことに気付く。
ポケットを探る。内側から現れたのは、長方形の機械。プラスチックの外装に、小さな画面。そう、これは……携帯電話だ。どうして、こんなものを持っているんだろう? 思う間も、携帯はなり続けている。
デンジは。
それに出た。
『——もしもし、デンジくん?』
声が聞こえる。それはよく知ったそれ。いつの日か、自分を地獄の底から掬い上げた女性の声。
「マキマさん……」
その名前は、なぜだかすんなりと思い出せた。もうずっと、忘れていたはずのそれなのに。
『さっきぶり、デンジくん。……ううん、デンジくんからすれば、久しぶり、なのかな。大変だったみたいだね』
マキマは語る。何度だって聞いた、穏やかな声で。
『あまり長くは話していられないから、端的に言うね。デンジくんは今、とある悪魔に囚われてる。その名を、孤独の悪魔。地獄において一度も死を経験していない、根源的恐怖の名を持つ悪魔だ』
マキマの言っていることは、半分以上よくわからない。それでも、自分の状況に理解を示そうとしてくれていることは理解できた。
『普通の手段で、孤独の悪魔から逃れることはできない。根源的恐怖……孤独の力というのはそれだけ重たく、強いんだ』
でも——
『私なら、デンジくんを助けてあげられる』
マキマは言った。
「た」
喉を詰まらせながら、デンジは電話口に縋り付く。
「助けてくれるんですか」
『うん。助けてあげる』
でもね。
『そのためには一つ、条件があるんだ』
「条件?」
『そう、条件。地獄から……孤独の悪魔からデンジくんを取り戻すためには、デンジくんが『私のもの』じゃなくちゃいけないんだ』
「……マキマさんの、もの?」
『そう。デンジくん。実はね。私は——悪魔なんだ』
デンジくん。
『私と契約をしよう。デンジくんが自分の全てを捧げてくれるなら、私はデンジくんを助けてあげる』
「……自分の、全て」
『そう。手も足も、頭も体も。脳みそも内臓も——心臓も』
全てを、私に捧げてくれるなら。
『私は、デンジくんを助けてあげる』
デンジくん。
『私に全てを捧げると言って?』
その言葉に、誘われて。
デンジは、喉奥から言葉を吐き出そうとして——
ふと。
それまで沈黙を保っていたラジオから、音が流れ出す。
ヴヴン。エンジン音を皮切りに、低いベースの音色が掻き鳴らされる。音に合わせて——歌が乗った。
〝——努力 未来 A BEAUTIFUL STAR〟
〝——努力 未来 A BEAUTIFUL STAR〟
〝——努力 未来 A BEAUTIFUL STAR〟
〝——努力 未来 A BEAUTIFUL STAR〟
繰り返されるフレーズ。それを聞いて、なぜだろう。
胸の奥が、熱くなるような。
心臓の奥が——熱くなるような。
『これは契約だ』
その声は、誰の声だっただろう?
「ああ、そうか」
そして——デンジは思い出す。
『……デンジくん?』
「悪ぃ、マキマさん。その契約は乗れねぇや」
『……それは、どうしてかな』
「だってさ」
俺の心臓は——俺のモンじゃねぇから。
「この心臓は、大事な友達からもらったモンなんだよ」
だから——誰にも渡せない。
言って、デンジは電話を切った。
そう、そうだ。
どうして忘れていたんだろう?
ずっと、孤独だと思っていた。
でも、違う。違うんだ。
デンジはずっと、独りじゃなかった。
だって——ほら。
この胸の内側にはいつだって、
「生きてる限り、俺は独りじゃねぇ」
人殺しでも。
理解不能でも。
バケモノでも。
そんな自分を肯定して——生きろ、と。
その夢を見せてくれと望んでくれた、親友がいた。
ラジオの向こうから、歌が鳴り響く。
「忘れちまってて、悪かった」
〝——幸せになりたい〟
いつからか。胸のうちにしまったまま忘れていた、スターターの先端を握る。
〝楽して生きていきたい〟
「夢の続きだぜ、ポチタ。びっくりするだろ? 俺、彼女ができたんだ」
だから、迎えに行かなきゃ。
〝この手に掴みたい〟
「また、俺に力を貸してくれ——ポチタ」
〝あなたのその胸の中——〟
ヴヴン。
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