本日二度目の更新です。
朝に更新した「第四話 2」をお読みで無い方は、そちらから先にお読みくださいませ。
5
「……驚いたな」
呟いたのはチーストカだった。彼は火のついた煙草を投げ捨てて、足で踏み潰す。
地獄。どこか死んだような静謐と、病んだ草原が広がるばかりの、天を閉ざされた空虚な世界。『こちら側』に入り込んでしまった以上、チーストカも無策では生きて帰れない。それゆえに、比較的言葉が通じる側の根源的恐怖の悪魔——『孤独の悪魔』に取引を持ちかけ、その協力を得たのだが——
「まさか、それを殺すとはね」
色のない仮面と、黒いマント。石膏でできた人体を出鱈目に組み合わせ、直立する虫を作ろうとしたような奇妙な体。地獄にて一度の死も経験したことがない、根源的恐怖の名を持つ悪魔。人ならば誰もが恐れ、また怯える『孤独』への恐怖より生まれた超越の悪魔。それが——内側からバラバラに引き裂かれ。
吹き出した真紅の血に塗れて——孤独の悪魔に囚われていたはずの面々が、地獄へと帰還していた。
レゼの姿をしたままのポゴは、驚愕に目を見開いて孤独の悪魔の死体の一部を手に取った。それはもう熱を失い、ただの肉片に成り果てている。
『狩人』——クァンシは辺りを見回し、そして状況を理解したのか、チーストカを見定めて剣を抜いた。
血に塗れたまま、ロンとピンツイ——クァンシが連れていた魔人は、呆然と地面にへたり込んでいる。まるで信じられないことが起きたとばかりに、目を見開いて——そして呟く。
「……チェンソーマン」
ヴヴン。エンジンの音色が鳴り響いている。回転する刃が火の粉を散らし、その足が孤独の悪魔の死体を踏みつける。
「本当だったんだ……」
譫言のように、ピンツイは呟く。
そう、彼こそは地獄のヒーロー、チェンソーマン。かつてこの地獄において無数の悪魔を殺戮し、数多の根源的恐怖の悪魔に立ち向かった、不死身の英雄——その心臓を受け継ぐ、新たなる伝説。
そしてその彼の隣には——爆弾の頭を持つ、異形の少女が独り。
伴侶のように、寄り添っている。
「……帰ってきたか、レゼ」
チーストカはその名を呼ぶ。
そして、両手を広げた。
「俺は嬉しいよ。ああ、レゼ……根源的恐怖の悪魔をさえ打ち倒せるほど、お前は成長したんだな。いいだろう、お前の『間違い』を、水に流そう。だから——チェンソーの心臓を連れて、こちらに来い。そして二人で、祖国に凱旋しようじゃないか」
五芒星の輝く瞳で、レゼを見つめ、彼は言う。
けれど。
「うるさい」
レゼは。
「キモいんだよ、お前。話しかけるな——このロリコン」
そう言って——指から切り離した爆弾を投げつけた。
ボン。
爆弾が——炸裂し。
「……残念だよ、本当に」
爆炎の向こうから、十人に増えたチーストカが現れる。
「仕方ない。ああ、本当に、仕方がない。面倒だが、いいさ、それが仕事というものだ。全員まとめて——俺たちが、粛清するとしよう」
全員が全員、両手に鎌と鉄鎚を構え——
戦いが、始まる。
6
最初に駆け出したのは、だからクァンシだった。
最速の踏み込み、最速の剣撃、最速の殺戮。けれど、それで殺せたのは七人目までだった。
「『粛清』」
その速さは、認めない。
がくり、とクァンシの体が鈍くなる。身体能力が下がった——というより、肉体に流れる時間が遅くなったような。
「出鱈目な」
口の中で呟いて、クァンシはため息を吐く。そこに——再び十数人に増えたチーストカが襲いかかる。それはまるで、スズメバチを圧殺するミツバチの蜂球のように。集われ、囲まれ、押し込まれ——
破裂。
チーストカたちは、その肉体を
弓と矢を模したような、異形の頭部を持つ魔人が、現れる。
「私の女を怯えさせやがって」
怒りの声は低く。
弓矢の悪魔。その力を宿す悪魔人間——クァンシは、怒っていた。
「ぶっ殺してやる」
「恐ろしいな」
無感動に、チーストカは呟く。
その数は今や——数千人にまで増えていた。
うじゃうじゃと、ネズミのように。地平に広がる禿頭の戦士。その数は、絶望するには十分な数。
無論、それは尋常ならばの話でしかない。
「——ギャッハハハハハハハハ————!!!!」
狂笑。
片手と両足から伸ばしたチェーンを駆りながら、デンジは殺戮の嵐となって戦場を駆ける。増えたチーストカを片っ端から刻み、切り捨て、挽肉に変え、高らかと笑いながら。そして——その片腕が抱きかかえるのは。
「死ね、死ね、死んじゃえっ! あははははっ!」
ダイナマイトを花びらのように振り撒く、爆弾の姫君。
チェーンソーと、爆発。その暴力的に鮮やかなコラボレーションが、婚姻のパレードのように戦場を駆け抜ける。
「……負けてられないな」
クァンシは呟き、そしてその両腕から矢を射出する。一度に一本なんて、しみったれたことは言わない。五本十本、百本まとめて。放たれるミサイルの如き矢が、並居るチーストカたちを穴あきチーズに変えていく。
地獄は、今や花火大会の会場だった。色とりどりの爆弾が爆発し、その輝きの中をチェーンソーの殺戮が走る。殺せば殺すだけ、チーストカは増えていく。鎌と鉄鎚が宙に舞う。そのどれもがチェーンに刻まれ、また爆弾に吹き飛ばされる。血反吐と骨片と肉飛沫が舞い、爆弾の光がそれを焼く。虹のパレードは際限なく輝きを増して、地獄をキッチュに染め上げる。
鳴り響く爆発の輪唱とチェーンソーの唸り、少年少女の笑い声が、ひと連なりの音色となって地獄を謳う。「チェンソーマン!」「チェンソーマン!」讃える声は二人の魔人のそれ。クァンシは少しだけ不機嫌になる。「私は?」問い掛ければ、二人の魔人は気まずそうに汗を流しながら「クァンシ様、サイコー!」と叫び直した。
「『狩人』、チェンソー……それに、レゼ。誰も彼も、無駄なことだ」
チェーンソーの刃に断たれ、転がったチーストカの生首の一つが、凍てついた表情のままに呟く。
「『粛清』に終わりはない。どれだけ殺そうと、殺されようと、全ては無意味だ。俺は……我々は……ソヴィエトは必ず勝利する。全ての間違いを『粛清』し、ソヴィエトは世界に、世界はソヴィエトになる」
五芒星を頂く、光のない黒い瞳が、呪詛のように言葉を吐いた。
「お前たちは、終わりだよ。地獄の底で、俺と戦い続け……そしてどうする? お前たちはいつまで戦い続けることができる? お前たちは疲れないか。眠くはならないか。腹は減らないか。心は病まないか? 俺は、我々は、ソヴィエトは、無限だ。俺たちは疲れない。俺たちは眠らない。俺たちは飢えない。俺たちは病まない。俺はこの世の何をも、恐れない——」
「——なら、それが本当か試してみようか」
ひょい、と。
その生首が、拾われる。
線の細い少年だった。チェックのシャツに、青いスラックス。癖のある赤毛に、眼鏡。中性的で、どこか儚い顔立ち。……こんなヤツ、いたか? チーストカは思う。いや、待て。そうだ。その姿は、どこかで見たことがあるような——
「ボクは、ポゴ。ポゴ・P・ワイズ。アメリカのデビルハンターだ。あるいは——『ピエロ』と呼ばれることもある」
ピエロ。それはアメリカにおける特記戦力。国家において最強と看做されるデビルハンター。
かつて一度だけ……不鮮明な白黒の写真で、チーストカは見たことがあった。
周辺住人二百八十七人を極めて残虐な方法で殺害し、死刑判決を受けながらもその能力の優秀さから司法取引により無罪となり、国家に飼われることとなったデビルハンター、通称『ピエロ』のことを。
「ボクが契約したのは、『道化師の悪魔』。契約によって授かった力はとても単純で、ボクは『何にでも変身できる』。変身できる対象は一時間に一回しか選べないって制約はあるけれど、ボクは本当に、
たとえば自分の国の大統領にでも。
たとえば見ず知らずの女の子にでも。
たとえば地を這うネズミにでも。
たとえば野に咲く花にでも。
たとえば空を流れる風にでも。
たとえば人の心に巣食う恐怖にでも。
「ちょうど、あれから一時間だ」
腕時計を見て、彼は微笑んだ。
五芒星を頂く真っ黒い瞳。それが——闇そのもののような。どこまでも暗い、光すらも黒く飲み込むような、暗黒星のような瞳に、映される。
「君には、何が見える?」
暗い、暗い、どこまでも、暗い。光のない、暗黒。
その向こうに。
チーストカは己の顔を見た。
「あ」
いいや、それは。
それは己の顔では無い。
気が付けば。
チーストカは暗い部屋の中に立っていた。
「あ」
ドアが開いている。
背後から、罰のように光が差していた。
「あ、あ」
振り向けない。
振り向くことが——できない。
かたかたと。体が——震える。
「スィーン」
ぴたり、と。
体の動きが、止まる。
それは恐怖が治ったから——では、ない。
体を少しでも、動かせば。
自分がどんな目に合うかわかっているから。
だから、チーストカは。チーストカと呼ばれる前の少年は、動けない。
「スィーン。こちらを向きなさい」
ぎ、と。
軋む首を、無理やりに、捻る。
「スィーン」
呼びかける、声は。
凍てつくように、冷たくて。
「お前はまた人を殴ったんだね」
首が。
首が、軋んで。
「お前はどうしてそうなんだ、スィーン」
うまく、回らなくて。
「言って聞かせたはずだ」
声が。
「『間違い』は、正されなくてはならない」
声が。
「お前は『間違え』た」
声が。
「——教育の時間だ、
ぼくを、呼んでいる。
「……お父さん」
正気を失ったチーストカの生首が、ポゴの腕の中で虚に呟く。
「——地獄の悪魔よ。ぼくの全てを捧げます。ここにいるみんなを、元の世界に帰してください」
言葉は契約となり、それは確かに履行される。
六本の指。痩せた手のひら。それが代償を掴み取れば。
地獄は終わり。
門は、閉じる。
7
空港は壊滅していた。あれだけの津波に巻き込まれたのだから当たり前の話で、建物は波にさらわれて跡形もなくなっていた。基礎となる人工島が残ったのは奇跡的だと言う他にない。
更地同然。塩水に塗れた瓦礫が広がる生臭いそこへ、デンジたちは帰ってきた。隣には、レゼがいる。デンジの腕は、まだ彼女を抱いたままだった。その重みが、心地いい。
ポゴ——今はもうレゼの姿をしていない彼は、腕のうちにチーストカの生首を抱えたまま、そんなデンジに語りかける。
「や、お二人さん。一応聞くんだけどさ、ボクと一緒にアメリカ来る気、ない?」
言われ、二人は顔を見合わせる。
「……悪いけど、もうない。アメリカは危ないみたいだしね」
「ってわけだ。悪いが、ねぇな」
レゼの言葉に追従して、デンジは肩をすくめる。
「だよねー」
からからと笑って、ポゴは生首をポンポンとボールのように手の内で弄ぶ。
「ま、今のボクは『教官』の恐怖にしかなれないし……また一時間、間を持たせるってのも無理そうだ。とりあえず『教官』の首を取れたってだけでも十分だろうし……これを手土産に帰ることにしようかな」
じゃあね、デンジくん。
言って、彼はその場から去って行った。
そして——
「話は終わったか、デンジ」
次に現れるのは、クァンシ。弓矢の悪魔に変身したまま、彼女はデンジの元に近づいてくる。
「……クァンシ、だっけ。あんたとはあんまり戦いたくねぇんだけどな」
「私もだ。でも……そうはいかない」
彼女は両腕の弓矢を構える。
レゼはデンジを庇うように前に出た。
「お嬢さん、悪いけれど、その男の心臓はもらっていく。怪我をしたくないなら、どいていた方がいい」
「やだね」
「……残念だ」
心底、といったふうに呟いて、彼女は両腕の弓矢を放とうと——した瞬間。
「クァンシ」
背後から、声が。
彼女に呼びかける。
その声は、低く、よく通る、彼女が聞きなれた男の声で——
「——岸辺」
振り向けば、そこには。
彼女が日本に連れてきた四人の魔人のうち、空港に入らず待機していた残りの二人。
ハロウィンとツギハギを両手に捕える、岸辺——マキマを除けば日本における最強と名高いデビルハンターがいた。
「——デンジくん!」
「おう」
その隙を見逃すデンジとレゼではない。デンジは呼びかけに応じてレゼに掴まり、そしてレゼは両足を爆弾に変身させ——爆発。
二人は高く、青空の向こうへと逃げていく。
「……ったくあいつら、古巣の上司に挨拶もなしに」
岸辺は呟きつつも、しかしクァンシから視線を逸らさない。
「で、どうする、クァンシ。ターゲットは逃げたが、まだやるか」
「……いいや、やめよう」
言って、クァンシは変身を解いた。長く、どれほど長く時を越えようとも変わらない美貌が、再び顕となる。
「……老けたな、岸辺」
「そう言うお前はいつまでも昔のままだ」
岸辺は言って、二人の魔人を捕まえたまま近場に転がる瓦礫に腰掛ける。
いや、それは瓦礫ではない。よく見れば——それは人間だ。
古風な軍服を着た、年嵩の男。
イギリスにおいて最強を誇るデビルハンター——『船長』。
その、死体だった。
「殺ったのか」
「ああ」
こともな気に、岸辺は言う。本当なら煙草を吸いたいところだったが、あいにくと両腕が塞がっている。煙もなく、岸辺は話し出した。
「クァンシ。交渉をしよう」
「……交渉?」
「マキマを殺す。手伝え」
クァンシは咄嗟に周囲を見渡すが——この惨状で、小動物など生き残っているはずもない。
「……負け戦に付き合う義理はない」
クァンシは首を振った。
かつて。
クァンシは日本にいた。
岸辺はその時のバディで、けれど。
マキマの到来が、クァンシを日本から去らせたのだ。
岸辺は小さく頷く。
「そうだな。それが本当に負け戦なら、の話だが」
「……どういう意味?」
「マキマは弱っている」
岸辺はクァンシの瞳を見つめた。
「いくつかの手駒を失い、本人も万全じゃない」
「……サンタクロースはそんなに手強かったか」
「いいや、違う」
岸辺は首を振って——言う。
「——『後悔の悪魔』が、マキマの敵に回った」
勝ち馬に乗りたくはないか、クァンシ。
問いかけられ、彼女は。
「……なあ、岸辺」
「なんだ」
「日本には、魔人が通える学校って、あるか?」
「……わからんが、探してみるよ」
「そうか」
風が吹く。命のような匂いの、潮風が。
「乗ってやる」
かくして。
かつてのバディは、今一度沓を並べる。
その先にある未来は、未だ何色か、わからずとも。
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