重苦しい沈黙が落ちた。
誠は拳を握ったまま、ただ呆然としていた。
──灰原家が元凶。
──祖父が引き起こした魔術災害。
──そして、その影響は今も続いている。
頭の奥で何かが軋む音がした。自分の家のことなのに、知らないことだらけだ。いや──知らされていなかっただけだ。
「そんな、馬鹿な……俺の家が……」
乾いた声が漏れる。思考が追いつかない。自分の生い立ちに、そんな背景があったなんて──。
視界の端で、紗月は静かにそれを見つめていた。その瞳には同情も嘲りもない。ただ事実を告げる者の澄んだ光。
誠は顔を上げ、震える息を整えながら問いかけた。
「……じゃあ、先輩は……その理由で俺を殺そうとした。──それは、わかりました」
言葉を切り、まっすぐに紗月を見据える。
「──今でも、俺を殺そうと思ってるんですか」
理央が静かに横目で誠を見た。その黒い瞳の奥に、ほんの僅かな緊張が再び宿る。
紗月は一拍置き、真っ直ぐに誠を見返した。
「──いいや。もう、そのつもりはないよ」
誠はわずかに息を呑んだ。
紗月は続ける。
「そもそも──意味がないからね」
「意味が、ない……?」
「ああ。だって君──死んでも生き返るでしょ」
部屋の空気が揺れた。誠は息を呑み、理央の表情が鋭くなる。バーサーカーは微動だにせず傍観している。
彼女はゆっくりと視線を横へ滑らせた。──バーサーカーへ。
「その理由は、たぶん君のサーヴァントにある。なにかしら“死を巻き戻す”か“死を否定する”類の能力を持っているんだろう?」
誠は息を呑む。バーサーカーは──表情を変えなかった。ただ、わずかに瞳の奥が揺れた。
紗月は続ける。
「厳密にいえば“蘇生”ではないのかな? 原理はまったく分からないけど」
紗月は淡々と続けた。
「だけど──君だけじゃない。私のアサシンも同じだよ」
その言葉に、理央が眉を動かした。
「……何の話?」
「言葉の通り。私のサーヴァント、アサシンも死なない。あるいは、死んでも戻る。“何度でも”ね」
さらりと、とんでもないことを告げた。
理央の表情が険しくなる。
「それが本当だとして……その性質が、マスターであるあなたにも適用される可能性は?」
紗月は肩を竦めた。
「──さあね。試す気にはなれなかったよ」
「……試す気に、って」
「だって、“死なない”って本当に自分にまで適用されているかは──実際に死ななきゃ確かめようがないだろう? でも、私はわざわざ自分の首を刎ねて検証するような真似はしない。そこまで狂ってない」
それは冗談とも本音ともつかない響きだったが、不思議と説得力があった。
紗月はゆっくりと首を横に振り、言葉を締めくくった。
「──だから私は、君をもう殺そうとは思わない。理由は二つ」
右手の指を二本、拘束された鎖の下で軽く立てる。
「一つ──君は死んでも戻る。“不死のマスター”を殺す意味はない」
そして──
「もう一つ。私も同じだ。“不死のサーヴァント”と“死なない可能性のあるマスター”の組み合わせを持ってる。──そんな者同士で、魔力が尽きるまで延々と殺し合うなんて、まっぴらごめんだね」
紗月は、そこで一息つき、軽く息を吐いた。
「……まあ、これは私の“勘”に過ぎないけどね」
誠が眉をひそめる。理央は表情を変えず、ただ静かにその言葉の続きを待っていた。
「君たち──黒野理央とセイバーも、たぶん同じ類の“異常”を抱えてる」
その言葉に、理央の黒い瞳がわずかに細くなる。セイバーは静かに身じろぎもせず、その場に立っていた。
「……どういう意味?」
「キャスター戦で、セイバーは霊基に致命的なダメージを受けた。キャスターの炎は、多分命とか存在を焼き尽くす概念的な炎だから。あの状況で無傷で帰ってくるなんて普通じゃない。今朝なんて魔力の損耗も霊体の崩壊も、まるで起きていなかった」
淡々と、しかしどこか確信を持った声音だった。
「ぶっちゃけ根拠は──ない。ただタフなだけど言われたらそれでおしまい。あとはアサシンの勘よ。彼、そういうのは当たるから」
理央はわずかに眉を寄せたが、何も言わなかった。肯定も否定もせず、沈黙のまま。
その沈黙を、紗月は「図星」と受け取ったらしい。小さく笑って続けた。
「……ま、否定しないならそういうことにしておくよ。要は──“死なない奴ら”ばっかりが生き残ってるってこと」
その言葉が落ちた瞬間、空気がさらに冷たく張りつめた。
「正直言ってね、こんな不死者だらけの戦争じゃ、真っ当に殺し合いなんてしても意味がない。永遠に終わらないだけ」
彼女は視線をゆっくりと巡らせる。誠、理央、そしてセイバーへ。
「マスターを殺すにも、今の状況じゃ容易じゃない。監禁して令呪でサーヴァントに自害を命じるか、魔力の供給を完全に断つしかない。どちらにしても──時間がかかりすぎる」
その語調は冷静だった。現実をただ淡々と分析する声。
「そんなことしてたら、キャスターどころか、この戦争そのものが破綻する。だから──私は“別のやり方”を提案する」
紗月は、拘束された両手をわずかに動かしながら誠を見た。
「もう一度、共闘しよう。君たちと私で」
理央がわずかに目を細める。
「……」
「キャスターを放置すれば、今度こそ隠蔽し切れない被害が出る。まずはキャスターを倒す。そして、恐らく他にもいるであろう、同じ性質を持ったサーヴァントを順に排除していく」
そして、薄く笑う。
「最終的に残った君たちと、私。その三組の中から勝者を決める。それでどうかな?」
理央はしばらく紗月を見据えていた。
冷静な黒の双眸が、何かを量るように沈黙する。だがやがて、その視線はゆっくりと誠へと向けられた。
それは命令ではなかった。彼女にしては珍しい──判断を委ねるような眼差し。
「灰原君。どうするの?」
静かな問いだった。声に怒気も警戒もなく、ただ決断を促す響きだけがあった。
誠は唇を噛んだ。胸の内ではいくつもの思考が渦巻いている。
灰原家の罪、藍沢紗月の言葉、そして黒野理央の沈黙。
どれも簡単に答えが出せる問題じゃない。だが──。
「……味方は、多い方がいい」
やがて絞り出すように口を開いた。
その声には迷いがありながらも、芯の部分に確かな決意があった。
「このまま敵同士で睨み合ってても、キャスターを止められない。だったら……共闘するしかない。今は、それが一番現実的だと思います」
理央の瞳がわずかに揺れた。
それが承認の色なのか、あるいは試すような光なのか──誠には判別できなかった。
だが、次の瞬間、理央は息を吐き出すようにして小さく頷いた。
「……分かったわ。あなたがそう判断するなら、私はそれに従う」
短く、それだけ告げて理央は目を伏せる。
彼女の中にも、感情の波は確かにあった。だが理性がそれを押し沈める。
「ただし、条件を付ける」
再び顔を上げた理央の声には、冷たい緊張が戻っていた。
「情報の共有は絶対。特に“灰の聖杯”や、キャスターに関する内容を互いに隠さないこと。それが同盟の前提よ」
紗月は鎖に繋がれた手を軽く持ち上げ、静かに頷いた。
「いいよ。それくらいなら当然だ。裏切る気も、騙す気もない。私も──君たちと同じく、キャスターを止めたいだけだから」
紗月は淡々と同盟の枠組みを確認すると、ためらいなく次の要求を口にした。
「それから、もうひとつ。私も──君たちの屋敷に滞在させてほしい」
その言葉はあまりにも当然のように出てきた。部屋の空気が一瞬、歪む。
理央の目が冷たく細まる。短く、それだけを告げた。
「断るわ」
拒否は明快だった。理由を付け加える素振りもない。その決定は揺らがなかった。
「えー、だめ?」
紗月は肩を少しすくめる。声には苛立ちや驚きはない。計算ずくの静けさが滲んでいた。
「あなたは敵よ。たとえ今は手を結ぶにせよ、家の中に放っておくつもりはない。私はこの屋敷を守る責務がある。それに──」
理央の言葉が鋭く切り結ばれる。
「理不尽な危険を招くようなことはしない」
紗月はくすりと笑ったように見せてから、淡々と説明を始めた。
「藍沢家には、このお屋敷のような魔術工房も防衛設備もないんだ。普通の賃貸だしね。もしも私が単独で戻れば、君たちと同盟を結んだにも関わらず、私一人が先に潰される可能性が高い。そうなれば──情報も、戦力も、全部失われる」
理央は瞳をさらに細める。セイバーは剣の柄にかけた手の力を緩めることなく、静かに状況を見守っている。バーサーカーは椅子の背にもたれ、依然として本を閉じたまま表情を動かさない。
紗月は、理央の冷たい拒絶を受けても怯む様子を見せなかった。
むしろ、ふっと口元を緩め、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ふーん……なるほどね。──それとも」
その声色は妙に柔らかく、わざと間を取るように甘く響いた。
「もしかして黒野さん、灰原君を“独り占め”できなくなるのが嫌なのかな?」
その一言で、理央の身体がぴたりと硬直した。
一瞬、空気が止まる。セイバーの握る剣の柄がわずかに軋むほど、緊張が走った。
「……は?」
理央の声は低く、わずかに震えていた。
その頬に一瞬、熱が差す。けれど彼女はすぐに息を整え、冷徹な仮面を取り戻す。
「……タチの悪い冗談はやめて、藍沢先輩」
彼女は視線を逸らしもせず、まっすぐ紗月を睨む。
「滞在は許可する。ただし──怪しい行動は一切しないこと。少しでも不審な素振りを見せたら、即座に拘束を再開する。いいわね」
紗月は楽しげに目を細めた。
「はいはい、心得ましたよ。黒野さんって意外と照れ屋なんだね」
理央の眉がぴくりと動く。
だが彼女はもう反応しなかった。無言でセイバーに合図を送り、立ち上がる。
セイバーが静かに頷き、紗月の両手を拘束していた銀の手錠に指を添える。
魔術式の封印が淡く光を放ち、次の瞬間──鈍い金属音と共に、鎖が床に落ちた。
紗月は自由になった手を軽く振り、ほっと息を吐く。
「んー……開放感たまんない」
部屋の空気がようやく落ち着きを取り戻した時、
紗月はにやりと笑い、誠へ向かって軽くウインクを送った。
「よろしくね、灰原君。今日から、同じ屋根の下だ」
誠は思わず背筋を伸ばし、理央の方を見やる。
理央は目を閉じて小さく息を吐き、静かに言った。
「……好きにしなさい。ただし、忘れないで。ここは“同盟者の屋敷”であって、“友人の家”じゃないわ」
その言葉には鋭さが宿っていた。
紗月は「はいはい」と軽く受け流すように答え、
そのまま──悪戯を仕掛けた子どものように、楽しげな笑みを浮かべ続けていた。
月は腕を軽く回し、外された手首をさすりながら笑った。
「さて、と。──同盟を結んだことだし、情報共有を始めようか」
軽い口調とは裏腹に、その瞳は冴えた光を宿していた。
理央は短く頷き、静かに手を組んで言葉を継ぐ。
「いいわ。まずは、こちらから話す。キャスター戦の後の処理について」
誠と紗月、そしてセイバーとバーサーカーが視線を向ける。
理央は、黒野家の令嬢としての顔に戻ったような、冷然とした口調で語り始めた。
「先日の被害──校舎の崩落と、意識不明になった生徒と教職員たち。あれは“ガス爆発”と“ガス中毒”による事故として報道させたわ。現場の焼損も説明できるし、世間も疑わない。ニュースでは『老朽化したガス管の破裂』として処理されている」
淡々と語られるその説明に、誠は言葉を失った。
自分が見たあの光景──人が焼かれ、現実が歪み、魔力の奔流が吹き荒れた地獄が、たった一言「事故」として片付けられた事実に、何とも言えない吐き気がこみあげてくる。
「……そんな簡単に、隠せるものなのか?」
思わず漏れた問いに、理央は冷ややかに答えた。
「黒野家はこの“聖杯戦争”の監督官。隠蔽も、報道操作も──責務のうちよ。魔術の存在を世に晒す訳にはいかない。からこそ、こうしてすべての“異常”は“偶然の事故”として処理されるの」
その声音に、冷たくも揺るぎない信念があった。
彼女は淡々と、まるで義務を遂行する兵士のように語っている。
「校舎の修復と、意識不明者の搬送もすでに完了しているわ。被害者たちは今、黒野本家が管理する医療機関に移されている、命に別状はないわ」
誠は言葉を失い、紗月は腕を組んで静かに頷いた。
「なるほど。手際いいわね」
紗月は腕を組み、軽く笑みを浮かべながら言った。
その一言に、理央はわずかに視線を伏せた。
薄く笑った──けれど、それはどこか乾いた、自嘲を含んだ笑みだった。
彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「聖杯戦争の監督を行っているのは“黒野家”──ではあるけれど、それは本家の話。私は、あくまでその“分家”の人間よ」
部屋に微かな沈黙が落ちた。
理央は背筋を伸ばしたまま、静かに続けた。
「私たち分家は、本家の完全な下にある。権限も、発言力もない。ただ、命令に従うだけの立場。監督の権限を持つのは本家だけで、私たちはその庇護のもとにいる──それが“黒野家”の構造よ」
誠が眉を寄せた。
「じゃあ……黒野は監督の仕事に関わっていないってことなのか」
「ええ。一切、関わっていないわ」
理央は短く答え、薄い息を吐いた。
「報道の隠蔽も、現場の処理も──正式に指揮しているのは黒野本家。私は、ただ彼らの指示に従って動いただけ。“分家の娘”として、従属する立場でね。黒野家の外は分家本家の構造なんて知る由もないでしょうけど」
その声音には、わずかな苦みが滲んでいた。
それは怒りでも諦めでもない。ただ、長く続く枷を知る者の静かな重さ。
「……けれど、私たち分家も“参加者”として召喚を許された。本家の庇護下にありながらも、戦争に干渉できる──ただし、勝者になっても“監督官の意向”には逆らえない。結局、鎖の中で剣を振るっているようなものよ」
紗月は少し目を細め、興味深げに笑う。
「つまり、“黒野理央”って名前は有名でも──権力は本家に握られてるってわけね」
「ええ。名前だけ立派な、飾りの家系」
理央は静かに微笑んだ。その笑みは、どこか痛々しいほどに穏やかだった。
「私にできるのは、与えられた権限の範囲で“被害を隠す”こと。命令を忠実に遂行する──それが、黒野分家の務め。本家の承認があったからこそ、学校の件も“ガス事故”として処理できたのよ。あの報道操作も、私が指示したように見えるだけで、実際はすべて本家の手によるもの」
誠がわずかに目を伏せる。
理央の淡々とした語り口の中に、どうしようもない隔たりを感じ取ったのだろう。
──理央は静かに言葉を締めくくった。
その声音には、どこか疲労と、言葉にしたくない重みが滲んでいた。
誠はしばらく黙って彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
その表情には、ほんのわずかな逡巡と気遣いが浮かんでいる。
「……えっと、ごめんあんまり話したくない事だったか」
理央の肩がわずかに揺れた。
彼女はすぐに表情を整え、「別に」と短く答える。
だがその声は、いつもの冷静さの裏にかすかな陰を含んでいた。
誠はそれ以上追及しなかった。
話を変えるように、ゆっくりと姿勢を正す。
「……じゃあ、キャスターのことを考えましょう」
理央は真剣な表情で言葉を継いだ。
「キャスターはあれだけ大規模な魔術を使った。校舎を結界にして、生徒や教師を巻き込むほどの魔力を展開、いくら隠蔽されたとしても──痕跡は、必ずどこかに残っているはず」
理央が軽く頷く。
「確かに。空間歪曲の痕跡、魔力の焼け残り、結界陣の残滓……何かしらは見つかるはずね。あれほどの規模を“跡形もなく”消すなんて、本家の連中にも不可能よ」
「なら、明日から動こう」
その声音には、少し前までの動揺はなかった。
決意の光が宿っていた。
「登校します。表向きは“事故のあった学校に戻る生徒”として。でも、目的は──戦闘が起きた場所の調査。キャスターのマスターが、まだ現場に何かを残しているかもしれない」
紗月が口の端を上げた。
「キャスターが使った結界の残滓には、マスター本人の魔力波長が混じっているはず。それを辿れれば、所在を特定できる可能性もある」
「……勝手な行動はしないこと。あくまで行動方針は私が決める。いい?」
「はいはい、了解」紗月は肩をすくめて笑う。
だがその目は鋭く光っていた。
「明日が楽しみだね。──“残ってる”か、“残されてる”か、確かめようじゃない」