Fate/You Died.   作:助兵衛

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第20話 凍えた関係

 誠は無言で二人の様子を見下ろしていた。

 紫村は壁際に寄りかかり、まだ喉を押さえて咳き込んでいる。

 その隣で、包帯の少女が膝を抱えるように座り込み、何の感情もない瞳でただ前を見つめていた。

 

 ──どうする。

 この状況を、どう扱えばいい。

 

 キャスターのマスターではないと判断はついた。

 だが“マスターではある”──それも、明らかに不完全な契約状態。

 放っておくわけにもいかず、かといって敵とも味方とも決められない。

 

 思考が絡まり、答えが出ない。

 誠は短く息を吐き、こめかみを押さえた。

 

「……どうしよう」

 

 その時、階段の下の方から、二つの足音が駆け上がってきた。

 靴音が鉄の段を叩き、次の瞬間、軽く扉が開く音が響く。

 

「──灰原君!」

 

 鋭く呼ぶ声。

 振り向けば、理央が息を弾ませて立っていた。

 その後ろからは紗月が肩を並べて現れ、素早く周囲を見回す。

 

 理央の視線が誠に、そして倒れ込む紫村へと移る。

 一瞬、眉がわずかに動いた。

 

「……無事ね」

 

 低く確認するように言うと、彼女は小さく息を整えた。

 誠は頷き返し、少し遅れて状況を説明するように口を開いた。

 

「紫村がマスターだった。でも、俺たちの探しているキャスターとは無関係みたいだ」

 

「……マスター?」

 

 紗月が目を細め、紫村を一瞥する。

 

 その視線だけで、紫村はびくりと肩を震わせた。

 まるで蛇に睨まれた小動物のように、情けない笑みを浮かべる。

 

「お、お二人とも……! ち、違うんですぞ、これは、その、気づいたらこうなってて……!」

 

「はいはい、言い訳はあとにしてね」

 

 紗月はあっさりと遮り、視線を包帯の少女へ向けた。

 その赤い瞳が、彼女を正面から見返す。

 しかし少女は何も言わない。まばたきすら、ほとんどしなかった。

 

「……随分と無口なサーヴァントね」

 

 誠はしばし逡巡したのち、ゆっくりと紫村の方へ歩み寄った。

 壁際に座り込んだままの紫村は、まだ咳を引きずっている。

 喉を押さえ、苦しげに息を吐きながらも、誠の視線に気づくとおずおずと顔を上げた。

 

 誠は一度、深く息を吸い──軽く頭を下げた。

 

「……ごめん、紫村。疑ってかかって、乱暴にしてしまった」

 

 その言葉に、紫村の目が瞬く。

 しばらく口を開けたまま固まっていたが、やがて小さく笑いを漏らした。

 

「い、いやいや! 当然のことですぞ、灰原氏! あの状況で逆の立場でも、同じことをしましたとも! 多分」

 

 苦笑交じりに手を振りながら、紫村は続けた。

 

「むしろ、こっちこそ申し訳ないですな……こんなややこしい真似をして、誤解を招いてしまった。あんな風に引っ張り出したら、疑われても仕方ない……」

 

 紫村がそんな冗談めいた調子で笑うと、場の空気が少しだけ和らいだ。

 だが──理央は、その緩んだ空気を許さなかった。

 

 彼女は静かに前に出ると、紫村の正面に立ち、しゃがみ込むようにしてその顔を覗き込む。

 真紅の瞳が細められ、その冷たい光が紫村の顔を射抜いた。

 

「──あなた。紫村秀則、で間違いないわね?」

 

 紫村は一瞬ぎょっとした顔をし、慌てて頷く。

 

「そ、そうですぞ! クラス2-Bの、紫村秀則! えっと、灰原氏の後ろの席であります」

 

 理央の表情は変わらなかった。

 確信を得たように軽く頷くと、立ち上がりながら声の調子をわずかに低くした。

 

「そう……同じクラスの生徒が“マスター”だったとはね」

 

 その声音は淡々としていたが、内に冷たい圧がこもっている。

 紫村の笑みが凍りつく。

 

「黒野女史! 気づいたらこの腕に……この変な模様が……! あとこの子も!」

 

「“気づいたら”ね」

 

 理央の唇がわずかに吊り上がる。

 その一言で、紫村の喉がひくりと動いた。

 

 その場の空気が、再び冷たく張り詰める。

 誠は小さく息を呑み、理央の横顔を見つめた。

 

 彼女の瞳には、容赦のない鋭さが宿っている。

 

 理央は一歩、紫村へ近づいた。

 硬い靴底が床を叩くたび、階段の鉄骨が低く鳴る。

 

「紫村秀則。あなたがマスターである以上、放置はできないわ」

 

 その声には怒りも慈悲もなかった。

 淡々と、ただ“必要な処理”を述べているだけの声音だった。

 

「ま、待ってくださいまし黒野女史! 自分は──!」

 

 紫村が慌てて両手を上げる。

 だが理央の視線は冷たく、まるで虫でも見るかのように微動だにしない。

 

「言い訳はいいわ、貴方を信用できる要素が少なすぎる。もし不死だとしたら、対処できるうちにしておいた方がいい」

 

 

 その言葉に、紫村の顔が青ざめる。

 

「ひ、ひひひ、不死ぃ!? 冗談でしょ!? 私、そんなホラー映画の登場人物みたいな……!」

 

 理央はその慌てぶりに、むしろ確信を深めたように一歩踏み込んだ。

 紅の瞳が、紫村の首筋の鼓動を正確に捉えている。

 

「確認する方法は、簡単よ」

 

「か、確認!? な、何を──」

 

「殺してみること」

 

 空気が、凍りついた。

 言葉の冷たさが刃のように空間を裂き、紫村の喉から変な音が漏れる。

 

「ひっ──」

 

 紫村は情けない悲鳴を上げて尻もちをついた。

 顔から血の気が引き、口を開けたまま言葉が出ない。

 

「も、もももももしかして、殺す気ですかな!? 本気で!?」

 

「ええ。あるいは“監禁”ね。不死性があるなら、生かしたまま拘束しておく方が効率的よ。処理を誤ればこちらに害を及ぼす」

 

 理央の声は、理屈の通った淡々としたものだった。

 まるで理科室で標本の処理手順を述べているかのように。

 

 その隣で、紗月が腕を組んだまま小さく息を吐いた。

 

「……黒野さんの言う通りだね、何が起きててもおかしくない。キャスターの陣営だとしても、別の第三勢力だとしてもあまりに危険だ」

 

 紗月は特に反論するでもなく、静かに同意の言葉を添えた。

 それが、紫村にとって最悪の追い打ちだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれましょ!? 二人して何を物騒な相談を!? 私まだ死にたくありませんぞ!? いや監禁も嫌ですぞ!! 狭いとこ苦手で!!」

 

 必死に逃げようと床を這いながら、紫村は誠の方へ助けを求めるような視線を向けた。

 その顔は涙目で、唇が震えている。

 

 誠は──もう、黙っていられなかった。

 

 理央と紗月の冷静な声が階段に反響する。

 紫村は壁に背を押しつけ、今にも泣き出しそうな顔で誠を見上げていた。

 その情けない姿が、どうしようもなく人間らしく見えた。

 

 誠は無意識のうちに、紫村の前に立っていた。

 床を踏みしめ、両腕を広げるようにして二人との間に割って入る。

 

「──やめろよ!!」

 

 声が、鋭く響いた。

 理央も紗月も一瞬だけ動きを止め、誠を見た。

 その視線を真正面から受け止め、誠は叫ぶ。

 

「何やってるんだ、二人とも……!? 紫村は、ただの生徒だ! 俺のクラスメイトで、友達なんだよ!」

 

 胸の奥から突き上げるように、抑えきれない怒りが噴き出した。

 ずっと飲み込んできた言葉が、堰を切ったようにあふれ出す。

 

「確かに“マスター”とか“聖杯戦争”とか言ってるけど……そんなの、普通の人間から見たら夢みたいな話だろ!? 命を懸けて戦え? 敵味方を区別しろ? そんな現実味のない話よりも、目の前の“人間”の命のほうが大事に決まってるだろうが!!」

 

 紫村の肩がびくりと震える。

 理央は冷静な表情のまま、しかしその目の奥にわずかな戸惑いを浮かべた。

 

「灰原君……落ち着いて。私は──」

 

「落ち着けだと!?」

 

 誠の声がさらに強く跳ねた。

 その顔には怒りというよりも、積もり積もった“苛立ち”と“悲しみ”が混ざっていた。

 

「いつもそうだ、黒野……! 全部隠して、俺には何も教えずに、ただ庇って、守って、指示して──!」

 

「俺はお前の部下でも、子供でもない! 人を守るために一緒に戦ってるつもりなのに、結局、俺の意志なんて無視して……人を殺すかどうかまで勝手に決めるのかよ!」

 

 理央の紅い瞳が、一瞬だけ揺れた。

 その無表情の奥に、わずかな痛みのような色が滲む。

 しかし彼女は何も言わなかった。

 

 誠はなおも言葉を止められず、

 紫村をかばうように一歩後ろへ下がり、肩を張った。

 

「紫村は、殺させない。監禁もだ」

 

 階段に、静寂が落ちた。

 紗月は目を伏せ、何も言わなかった。

 理央は長い沈黙のあと、ほんのわずかに息を吐いた。

 

 その場の空気は重く、冷たい。

 だが──誠の背中は、確かに紫村を庇うように立っていた。

 

 誠はまだ肩を上下させながら、二人を睨みつけていた。

 理央の冷徹な視線も、紗月の落ち着いた口調も、もう聞き入れる気になれなかった。

 

「……そんなに心配なら、紫村をリタイアさせればいいだろう」

 

 静かに、しかし鋭く言い放つ。

 理央の眉が、かすかに動いた。

 

「それは……」

 

「ああ。先日、お前が言ってたじゃないか。マスターの権限は令呪の移譲で他者に渡せる、契約も破棄できるって。なら、それを紫村にやらせればいい。これで何も問題ないだろ」

 

 誠は紫村を振り返る。

 紫村はまだ怯えた様子のまま、目をぱちぱちと瞬かせていた。

 

「俺が保証する。紫村はもう戦わない。……それで十分だろ?」

 

 理央は沈黙した。

 紅の瞳がわずかに揺れ、何かを考えるように細く閉じられる。

 その沈黙に、誠はさらに続けた。

 

「……それと」

 

 喉の奥に絡みつくような息を飲み込み、彼は言葉を絞り出す。

 

「俺も──聖杯戦争から降りさせてもらう」

 

 その瞬間、理央が顔を上げた。

 

「──だめ!」

 

 声が、鋭く階段に響いた。

 理央の表情が崩れる。普段の無機質な冷静さは跡形もなく、焦りと恐怖を混ぜた人間らしい色がそこにあった。

 

「だめよ、灰原君。あなたの令呪は……譲渡してはならないの」

 

 その声には、縋るような切実さがあった。

 いつもの“黒野理央”ではない──彼女の中の、もっと脆い部分が露出していた。

 

 誠はその反応に眉をひそめる。

 

「……どうしてだよ。前にも聞いたよな。あの時も、教えてくれなかった。今度も“言えない”のか?」

 

 理央の唇が震える。

 言葉を探すように息を吸い、しかし何も出てこなかった。

 

 沈黙。

 重たい空気が、階段を満たした。

 

「……そうか」

 

 誠は低く呟き、肩を落とす。

 怒気よりも、もはや諦めに近い響きだった。

 

「何も教えないで、ただ命令するだけか……悪いけど、もう付き合いきれない。キャスターの脅威は分かってる……でも、そのマスターだって結局殺すとか監禁だとか、言うんだろう……そういうのは、俺には荷が重いよ」

 

 理央が何かを言いかけたが、誠はそれを遮るように踵を返した。

 

「行くぞ、紫村」

 

「えっ? あ、ああ、はいっ!」

 

 紫村は慌てて立ち上がり、誠の後を追う。

 理央の伸ばしかけた手が、空を切った。

 

 階段を降りていく二人の背中を、理央は何も言わず見つめていた。

 紅い瞳の奥に、言葉にできない焦燥と──ほんの僅かな、絶望の色が宿っていた。

 

 昼休みの残り時間は、あとわずかだった。

 誠と紫村は無言のまま教室に戻る。

 ざわめく昼の空気が、さっきまでの階段の緊張を嘘のようにかき消していく。

 だが誠の胸の中には、重い鉛のような疲労と苛立ちが沈殿していた。

 

 席に着いた瞬間、ようやく自分が弁当を持っていないことに気づいた。

 ──そうだ。

 あの時、理央が差し出そうとしていた弁当。

 紫村に腕を引かれ、そのまま置き去りにしてきたのだ。

 

 机の上には、何もない。

 教室のあちこちから、昼食をとる音と、軽い笑い声が聞こえてくる。

 しかし誠の腹のあたりだけが、妙に静かだった。

 

 そして──静かすぎたせいで。

 

 ぐう、と。

 

 腹の奥が、律儀に鳴った。

 

「……」

 

 時計の針が、やけに遅く動く。

 昼休みの残り二十数分が、まるで永遠のように感じられた。

 

「……腹減った……」

 

 思わず小声で呟くと、後ろの席の紫村がこそこそとこちらを振り返った。

 彼の弁当は、信じられないほどぎっしり詰まっている。

 

「……半分、いかがですかな?」

 

「ありがとう、大丈夫」

 

 即答だった。

 プライドというより、ただの意地。

 紫村は困ったように笑い、そっと蓋を閉めた。

 

 誠は頬杖をつき、窓の外を見た。

 曇った空。

 どこかで風が鳴る。

 心まで、同じように冷えていく気がした。

 

 そんな時だった。

 

 ──ガラリ。

 

 教室の扉が開く音がした。

 理央が立っていた。

 

 いつもの整った姿勢、無表情。

 けれど今日は、その肩がわずかに落ちていた。

 誠の席を見つけた瞬間、ほんの一瞬だけ、何か言いかけるように口を開いたが──すぐに閉じた。

 

 ゆっくりと歩み寄ってくる。

 その手には、小さな包み。

 白いハンカチに丁寧に包まれた、昼前に渡し損ねた弁当。

 

「あの……灰原君」

 

 小さな声だった。

 教室のざわめきの中でも、どこか沈んで聞こえた。

 

「さっきは……ごめんなさい。渡せなかったから……」

 

 理央はおずおずと、弁当箱を差し出した。

 それはまるで、罪を告白するような仕草だった。

 

 誠は、その手を見つめたまま動かなかった。

 指先がかすかに震えているのが見えた。

 

 ──受け取れば、きっとまた話すことになる。

 謝るか、説得されるか。

 それが分かっているから、誠は目をそらした。

 

「……いらない」

 

 たったそれだけの言葉。

 けれど、それは彼自身の心にも鋭く突き刺さった。

 

 理央は一瞬だけ目を見開いた。

 その瞳に、痛みが走る。

 それでも何も言わず、弁当を胸の前で抱えると、静かに席へ戻っていった。

 

 机に腰を下ろし、彼女は手を合わせた。

 食事をとるでもなく、ただ包みを見つめたまま、微かに唇を噛む。

 

 誠はその横顔を見ないように、窓の方へ顔を向けた。

 昼の鐘が鳴る。

 風が揺らしたカーテンが、冷たく彼の頬を撫でていった。

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