Fate/You Died.   作:助兵衛

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第23話 普通の生活を

 バーサーカーとキャスター。

 火と鋼がぶつかる音が、夜気を震わせる。

 遠くで何かが爆ぜ、遅れて熱波が街路を駆け抜けた。

 屋根瓦が跳ね、風が灰を巻き上げる。

 

「くそっ……この距離でもこれか……」

 

 誠は腕で顔を庇いながら、秀則を振り返る。

 

 秀則はライダーを背負ったまま、よろめくように走っていた。

 少女の白い包帯が灰に濡れ、ところどころ黒く染まっている。

 それでも彼女は微動だにせず、ただ背中にしがみついていた。

 

「紫村! そのまままっすぐ行け!」

 

 誠が叫ぶ。

 秀則は息を切らしながら振り向いた。

 

「ひぃ……ひぃ……!」

 

 誠は背後を一瞥した。

 公園の方向が、赤黒い光で明滅している。

 建物の影が歪み、空が焦げていた。

 それでも──バーサーカーは、まだ立っていた。

 

 炎の壁の向こうで、銀の影が跳ねる。

 鋸鉈の火花が閃き、続いて銃声が夜を裂いた。

 その一瞬だけ、世界が静止したように見えた。

 

 秀則の肩が上下している。

 背に負ったライダーは、まるで人形のように身じろぎひとつしない。

 彼の息は荒く、喉の奥で何度も咳き込みながらも、足を止めなかった。

 

「灰原氏……!」

 

 呼ばれて、誠は振り向く。

 灰が舞い込み、視界が滲む。

 

「──どこに、逃げます?」

 

 その問いは、あまりにも現実的で、あまりにも重かった。

 どこに。

 何を避けて。

 どこまで逃げれば、この夜が終わるのか。

 

 誠は息を吸い込もうとしたが、肺が焼けて言葉にならない。

 思考が灰に沈むように鈍く、ただ視界の端に赤い光がちらつく。

 公園の方向──まだ燃えている。

 バーサーカーの影が、炎の中で跳ねたように見えた。

 

「灰原氏!」

 

 秀則の声が再び届く。

 その声音には焦りよりも、確かめるような響きがあった。

 それでも誠は、首を振るしかできなかった。

 

「……わからない」

 

 かすれた声が、自分でも聞き取れないほど小さく漏れた。

 どこへ逃げるべきかなど、考えたこともない。

 今はただ──走ることだけが、生きている証のように思えた。

 

「……とにかく、離れる!」

 

 誠は叫ぶように言い、足を強く踏み出した。

 灰が舞い上がり、視界を覆う。

 焼け焦げた街路樹の影が歪み、遠くの灯が揺らぐ。

 

 秀則は頷き、ライダーを背負い直した。

 

「ええ、離れますとも──どこまでも!」

 

 二人の靴音が、夜の底で響いた。

 灰を踏みしめる音、呼吸の乱れる音、遠くで爆ぜる音。

 

「──っ、紫村、ちょっと待て!」

 

 舗道の向こう、灰の帳が風に散る。

 そこに、何かが立っていた。

 

 その輪郭が街灯の下に浮かんだ瞬間、誠は息を呑んだ。

 かぼちゃの兜。

 それは記憶の底から這い上がってくる悪夢だった。

 

 以前、学校を襲撃した時に現れた“それ”。

 セイバーが切り伏せ、バーサーカーが嬲り殺したあの異形。

 だが今、その両者はいない。

 

 鈍色の甲冑が軋みを上げ、かぼちゃのような頭部の内部でくぐもった笑い声が響く。

 動くたびに鉄の継ぎ目が鳴り、地面が低く震えた。

 

 秀則が息を呑んだ。

 

「あれは!? いや、見るからに敵ですな!」

 

 誠は答えず、拳を握りしめた。

 

 その瞬間、空気が裂けた。

 かぼちゃ頭の大男が、足を一歩踏み出す。

 アスファルトが砕け、破片が灰の中に散る。

 その動作は、巨体に似合わぬほど静かだった。

 

「くそっ……なんでここに……!」

 

 誠が吐き捨てる。

 だが理由は明白だった。

 キャスターが生み出した使い魔──主が戦う場所から離れた敵を、逃さないための“狩り犬”。

 

 バーサーカーは今、キャスター本人と相対している。

 この怪物を止められる者は、もう誰もいない。

 

 ライダーを背負った秀則が、荒い息の合間に問うた。

 

「灰原氏……どうします!?」

 

 誠は返事をしなかった。

 頭の中が真っ白だった。

 足は止まっているのに、心臓だけが走り続けている。

 

 夜風が吹き抜け、灰が頬に当たる。

 街灯の光がその粒を照らし、銀の粉のように舞った。

 ──逃げなければ。

 それだけは分かっているのに、脚が動かない。

 

 かぼちゃ頭がゆっくりと顔を上げた。

 鉄の継ぎ目が鳴り、仄かな橙光が眼窩の奥で灯る。

 その無機質な光は、笑っているようにも見えた。

 

 秀則が背中のライダーを支え直し、歯を食いしばる。

 

「……戻りましょう! こいつを避けて、元の道に──!」

 

 誠は我に返り、頷いた。

 背後には、まだ火の海が広がっている。

 それでも、そこ以外に逃げ道はなかった。

 

 二人は息を合わせるようにして踵を返す。

 靴音が灰を蹴り上げ、夜の静寂を裂いた。

 だが、数歩と進まないうちに──。

 

「……嘘だろ」

 

 誠が声を失う。

 前方の灰の帳が、ふっと揺れた。

 そこから現れたのは、もう一体の影だった。

 

 同じ、かぼちゃ頭。

 その顔面の奥でも、同じ橙の光が脈動していた。

 

 退路は塞がれた。

 道の両端に、無言の死が立っている。

 

 灰の中で息を呑む音だけが響いた。

 秀則は肩越しに、かぼちゃ頭と誠のあいだを見比べた。

 

「……詰んだ、ですな」

 

 乾いた声が震える。

 

 かぼちゃ頭の片方が、ゆっくりと腕を上げた。

 指のような鉄の鉤爪が、灰を散らしながら誠たちを指す。

 それはまるで、「見つけた」と言っているかのようだった。

 

 しかし、次の瞬間。

 

 ──破裂音。

 

 甲高い銃声が、灰を突き抜けた。

 耳を裂く衝撃と同時に、かぼちゃ頭の右脚が弾けた。

 鉄片が飛び散り、地面に火花が散る。

 

 誠が振り返る。

 

 秀則の背中──そこに背負われたライダーが、

 いつの間にか身を起こしていた。

 その手には、見たことのない大口径の拳銃。

 包帯の隙間から覗く指が、黒い引き金を確かに握っている。

 

 照準はぶれず、煙の中で瞳が光った。

 

「……今のうちに」

 

 掠れた声。

 そして、再び銃声。

 

「み、耳がっ……」

 

 二発目が放たれ、鉄の巨体が膝をつく。

 炎と灰が風に巻かれ、夜が震えた。

 

 誠の喉が鳴る。

 

「……撃った、のか……?」

 

 ライダーは答えない。

 ただ無表情のまま、銃口をわずかに下げた。

 背負われたままのその姿勢は、不自然なほど安定していた。

 

 誠は咄嗟に叫んだ。

 

「今だ──走れッ!」

 

 秀則は即座に反応した。

 背中のライダーを支え直し、灰を蹴り上げて駆け出す。

 誠も後を追った。

 

 銃弾を受けたかぼちゃ頭の動きが鈍っている。

 膝をついたまま、軋む金属音を響かせて立ち上がろうとするが、右脚が重く沈む。

 

「こっちですぞ! 早く!」

 

 秀則が叫び、狭い側道へ身を滑り込ませる。

 ライダーの拳銃が再び光り、後方の壁を撃ち抜いた。

 跳弾が灰を弾き、鉄の巨体がわずかに怯む。

 

 その隙に、二人は走った。

 

 息が荒い。

 視界は灰と汗で滲み、灯りはぼやけて見える。

 舗道の割れ目から熱気が漏れ、遠くで火花が弾けた。

 公園の方向からはまだ、バーサーカーとキャスターの戦いの音が続いている。

 だが、その轟音も徐々に遠のいていくように感じた。

 

 どれほど走ったのか分からない。

 気づけば、灰の少ない通りへ出ていた。

 建物の影が高く、風が流れる。

 ようやく、使い魔の気配が消えていた。

 

「……ふう……」

 

 秀則が壁に片手をつき、肩で息をする。

 背中のライダーはまだ無言のまま、拳銃を握っていた。

 その黒い銃身が、月の光を受けて微かに光る。

 

 誠も膝に手をつき、荒く息を吐いた。

 肺の奥が痛い。

 灰を吸いすぎて、喉が焼けているようだった。

 

 しばらく沈黙が続いたのち、秀則がようやく口を開く。

 

「……ライダーちゃん」

 

 振り返る。

 

「その銃、いったいどこから出したんです? まさかポケットってわけでもありますまい」

 

 ライダーは首だけを僅かに傾け、答えた。

 

「これは──宝具」

 

 声は静かだった。

 包帯の隙間から覗く瞳が、微かに光を宿している。

 

「“主武装”ではない。けれど、状況に応じて形を変えられる……今は、パイロット用サイドアームの一部だけ顕現させた」

 

 秀則は思わず息を飲む。

 

「なるほど……?」

 

 誠は、ライダーの拳銃を見つめていた。

 あの静かな一撃──ほんのわずかな隙を正確に撃ち抜く、その動作。

 バーサーカーのように荒々しい力や圧倒的な膂力はない。

 だが、それでも確かに“戦っていた”。

 

 彼女はただ守られる存在ではない。

 状況を読み、敵を制し、戦場で生き延びる術を持っている。

 誠は、胸の奥で小さく息を吐いた。

 

「さっきはありがとう、おかげで助かったよ」

 

 ライダーは返事をしない。

 ただ、背中の上でゆっくりと銃の安全装置を戻す音がした。

 その静かな仕草が、かえって確かな“実力”を物語っているようだった。

 

 誠は灰に濡れた前髪をかき上げ、疲れた笑みを浮かべた。

 

「バーサーカーみたいな派手さはないけど……それでも、十分だ。これで、戦うって事になっても安心だな」

 

 その言葉に、秀則はちらりと振り向いた。

 汗と灰に汚れた顔に、どこか複雑な影が落ちている。

 

「うむ……」

 

 短い返答だった。

 歯切れが悪く、どこか引っかかるような声音。

 

 誠は訝しげに目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。

 秀則の肩はまだ上下し、ライダーの軽い体を支える手がわずかに震えている。

 無理もない。

 ここまでの逃走で、彼の体力も限界に近いはずだった。

 

 しばらくの休息を終え、三人は再び歩き出そうとしていた。

 空はまだ灰に覆われ、街の輪郭が霞んでいる。

 遠くでは、焦げた街灯が時折、ちらちらと明滅していた。

 

「……よし、行こうか」

 

 誠が低く言い、足を踏み出す。

 

 その瞬間だった。

 

 風が変わった。

 耳の奥に、金属の軋む音がかすかに響いた。

 次いで、地面が僅かに揺れる。

 まるで、重い何かが──地を這うように近づいてくる。

 

 秀則が振り返る。

 

「まさか……!」

 

 灰の帳の向こう、路地の奥で橙の光が二つ、ゆらりと灯った。

 ──かぼちゃ頭。

 脚を撃ち抜かれ、倒れたはずの使い魔が、這うようにして立ち上がっていた。

 膝を引きずり、腕を支えにして進むその姿は、人の形を保ちながらも、もはや人ではなかった。

 

「……まだ動くのかよ」

 

 誠の喉が乾く。

 音もなく、汗が頬を伝った。

 

 秀則がライダーを背負い直し、わずかに身構える。

 だが彼の表情には、明らかな疲労と恐怖が滲んでいた。

 

 誠は短く息を吸い、ライダーを見た。

 包帯の少女の掌には、すでにあの黒い拳銃。

 撃鉄に指をかけ、視線を上げた。

 

「……ライダー、また、頼めるか」」

 

 誠の声は掠れていた。

 それでも、彼女には届いたらしい。

 

 わずかな間。

 灰が一片、静かに落ちた。

 

 ライダーは答えなかった。

 だが、無言で銃を構えた。

 その動きには迷いがなかった。

 灰を吸い込む空気の中で、彼女の瞳だけが確かな光を宿していた。

 

 かぼちゃ頭が吠える。

 鉄の喉がひび割れたような音を立て、橙の光が閃いた。

 ライダーの指が、静かに引き金へとかかる。

 

 その刹那。

 秀則の手が、不意に伸びた。

 

「──ライダーちゃん」

 

 掴む。

 強引に、銃を奪い取る。

 ライダーの細い指がわずかに開き、黒い拳銃が彼の掌に収まった。

 

「紫村!? なにを──!」

 

 誠の叫びが届くより早く、秀則は構えていた。

 

 構え──などというものではない。

 両手は震え、狙いもつかない。

 それでも、彼は引き金を引いた。

 

 ──パンッ。

 乾いた音。

 銃口が跳ね、火花が夜を裂いた。

 弾丸は、遠くの壁を穿ち、灰の中に消える。

 

 二発目。外れ。

 三発目。外れ。

 四発目──火花だけが散り、かぼちゃ頭の肩をかすめた。

 

「くそっ……むずかしい!」

 

 五発目。

 今度こそ、と言わんばかりに息を止め、引き金を引いた。

 ──命中。

 鉛弾が鉄の胸板を叩き、甲冑が軋む。

 巨体が一歩よろめき、火花を散らしながら膝をついた。

 

 誠は思わず叫んだ。

 

「なんでお前が撃ってるんだよ!」

 

 秀則は深く息を吐き、銃を握る手を見つめていた。

 その顔には、疲労と焦燥、そして何か別の──強い意志の影があった。

 

 秀則は、静かにライダーを背負い直した。

 その瞳の奥は、どこか遠くを見ていた。

 まるで、今この場にいながら別の景色を見ているようだった。

 

「……普通の、生活……」

 

 ぽつりと、呟いた。

 それは、誰に向けた言葉でもなかった。

 自分の胸の奥に沈めていたものが、ふいに漏れたような声。

 

 誠は眉をひそめる。

 秀則は続けた。

 

「この子が、聖杯に望む物は……普通の生活です」

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 背中のライダーは、相変わらず無表情のままだった。

 

「“普通の生活”。そう言ってたんです」

 

 秀則の声は、かすれていた。

 

 拳銃を握る指がわずかに強張る。

 

「……だから、気づいたら、奪っておりました」

 

 彼は苦笑のような表情を浮かべた。

 

「戦わせたくなかった。そんな子に、もう一度銃を握らせたくありません」

 

 誠は、灰を吸い込みながら、秀則の言葉を聞いていた。

 

「普通の生活」──その響きが、焼け焦げた夜の空気の中で、あまりにも場違いに思えた。

 

「……なに、綺麗事を言ってるんだよ」

 

 声は低く、押し殺すようだった。

 だが、胸の奥に溜め込んでいた怒りが、その一言に滲んでいた。

 

「バーサーカーが命を賭けて戦って、キャスターがあの地獄を作ってる最中だ。そんな中で“普通の生活”だって? そんなの、どうやったって無理だ!」

 

 誠が一歩踏み出す。

 足元の灰がざりと鳴った。

 秀則は動かない。

 ただ、静かに誠を見返していた。

 

「……それでも、です」

 

 短く、しかしはっきりとした声だった。

 秀則は拳銃を下ろし、背中の少女を支え直した。

 

「この子には戦わせない。自分はそう決めました」

 

 その言葉に、誠の目が見開かれる。

 

「なに言ってる……それじゃお前、自分が死ぬぞ。英霊なんだぞ、こいつは! お前なんかよりずっと強い、戦うために呼ばれた存在だ!」

 

「ええ、そうでしょうな」

 

 秀則は頷いた。

 

「だが、灰原氏。あなたも、あのとき自分を庇いましたな。普通の感性で。『人を殺すな』と言ってくれた」

 

 誠は言葉を失った。

 

「自分にもあるのです、そういう“普通”が」

 

 秀則の声は、静かで、どこか澄んでいた。

 

「この子の願いを尊重したい。戦うことよりも、生きることを選ばせてやりたいのです。ウォルターさんとやらが、この子に託した願いです」

 

 風が灰を運び、二人の間を通り抜けた。

 月光のように白い灰が、ライダーの包帯に積もっていく。

 

 誠は唇を噛んだ。

 怒鳴りたかった。

 理屈を突きつけてでも否定したかった。

 

 だが、何も言えなかった。

 

 ──普通。

 

 その言葉が、胸の奥で重く響く。

 

 焼け落ちた街の中で、それでも誰かを守ろうとする「普通の人間」。

 

 秀則は静かに言った。

 

「灰原氏。あなたが“正しさ”を選んだように、自分は“普通”を選びます」

 

 誠は、息を呑む。

 その瞬間、夜が音を失ったように感じた。

 灰がゆっくりと降り続け、遠くの爆音さえ届かない。

 ──そして誠は気づく。

 彼が今、真正面から向かい合っているのは、信念でも理屈でもなく、

 ただの“人間”そのものだった。

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