Fate/You Died.   作:助兵衛

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第26話 世界を灼き溶かす者

 通路を覆っていた熱が、ゆっくりと退いていった。

 空気が冷え、灰がひとひら、静かに降る。

 

 セイバーは深く息をつくと、螺旋の剣を地に突き立てた。

 刀身を這う火が、名残を惜しむように明滅し──やがて静かに消える。

 残ったのは金の余燼だけだった。

 それを見届けるようにして、セイバーは膝を折り、剣を鞘に納めた。

 

 甲冑の中で、何かが軋む。

 熱に焼かれた金属が冷え、微かに音を立てた。

 

 誠の方を向く。

 黒鉄の面頬の奥で、わずかに光が揺れた。

 

「……灰原様。ご無事ですか」

 

 その声は、戦闘の時とは違っていた。

 低く、抑えられた響き。だが確かに安堵を帯びていた。

 

 誠は返事をしようとして、喉が張りついていることに気づいた。

 焦げた空気が肺に残り、言葉が出ない。

 それでも、震える息の合間にかすかに頷いた。

 

「……ああ……なんとか……」

 

 その声を聞き、セイバーはゆっくりと頷いた。

 彼の背で、まだ残る炎が細く立ち昇る。

 それは護る意志の残り火のように、静かで確かな光だった。

 

 と──。

 

 遠くから駆ける足音が響いた。

 夜の風を裂いて、硬質な靴音が近づく。

 誠が振り向くと、通路の入口から一人の影が現れる。

 

 黒いコートの裾を翻し、黒く長い髪の少女。

 その右手が、かすかに光っていた。

 

「──灰原君!」

 

 理央だった。

 息を切らしながら走り寄る。

 手の甲に刻まれた令呪は、誠が最後に見たときよりもさらに少なく。

 今や赤い線が一本だけ、皮膚の上に残るばかりだった。

 

 誠の目に、その光が焼きつく。

 理央は立ち止まり、荒い呼吸を整えながら視線をセイバーへと移した。

 

 夜気の中、彼女の瞳が静かに光を宿す。

 セイバーはわずかに膝を折り、敬意を示すように頭を下げた。

 

「マスター、指令完了。灰原様の安全を確保致しました」

 

 理央は短く頷くと、すぐに誠のもとへ歩み寄った。

 靴底が砕けた石片を踏み、かすかな音を立てる。

 その表情には、冷静さの奥に焦りが滲んでいた。

 

「……灰原君、怪我は? どこか、痛むところはない?」

 

 声は震えていた。

 普段の理央にはない、感情の揺れがあった。

 その瞳が、誠の肩や手のひら、焦げ跡の残る服を確かめるように追う。

 

 誠は一瞬、言葉を失った。

 焦げた空気の匂いの中で、理央の息づかいだけが現実を引き寄せていた。

 

「……大丈夫だ。平気だよ。ありがとう」

 

 そう答えながら、自分の声が思ったより掠れていることに気づく。

 喉が痛い。

 けれど、それ以上に胸の奥が締めつけられるように痛んだ。

 

 ──どうして、自分は。

 

 思い出す。

 学校で理央に向けて吐き捨てた言葉。

 人殺しだと罵り、距離を置こうとした。

 自分とは違う、魔術師の感性を否定した。

 

 それでも、彼女はここまで来た。

 命を削って、駆けつけてくれた。

 その手の甲に残る赤い線──たった一本。

 それは、誠を救うために使い尽くされた証だった。

 

「……黒野」

 

 声が震えた。

 何を言えばいいのか、言葉が見つからない。

 謝罪の言葉すら、薄っぺらに思えた。

 

 理央は静かに首を振った。

 そして、ほんの少しだけ微笑んだ。

 

「無事なら、それでいいの」

 

 そのとき、理央の視線がふと誠の右手に落ちた。

 まだ微かに光を宿した掌。

 金の残燼が、かすかな鼓動に合わせて呼吸するように明滅している。

 

「……それ」

 

 理央の声が、息を呑むように低く漏れた。

 

「灰原君、その火……あなたの、魔術なの?」

 

 誠は反射的に手を握りかけ、途中で止めた。

 光は消えない。むしろ、彼の躊躇いに呼応するようにわずかに強まった。

 

「……多分、そうだと思う」

 

 答えながら、自分でも確信が持てなかった。

 どうして灯ったのか。

 どうしてあの狂い火を押し返せたのか──何も分からない。

 

 理央は小さく息を吐いた。

 驚きと安堵が入り混じった表情だった。

 掌の火を見つめながら、言葉を探しているようだったが、結局何も言わなかった。

 

 代わりに、沈黙を破ったのはセイバーだった。

 

 甲冑の奥の光が、わずかに揺れる。

 セイバーはゆっくりと誠の手を見つめていた。

 その視線は、警戒でも敵意でもない。

 ──信じられないものを目の前にした、古の戦士の眼差しだった。

 

 何かを思い出すように、あるいは確かめるように。

 目の奥の光が、微かに震える。

 

 誠は、喉の奥に小さく息を詰まらせた。

 セイバーの視線はまっすぐだった。そこには畏れでも驚きでもなく、もっと深い何か──かつて見た光景を、今もう一度見ているかのような静かな確信があった。

 

「……セイバー、その……」

 

 誠は口を開く。

 何をどう言えばいいのか、自分でもわからなかった。

 けれど、尋ねなければならない気がした。

 

「この火……君には、何か……」

 

 

 そのとき──。

 

 乾いた音がした。

 ひび割れた石畳の上で、何かがずるりと動く。

 

 セイバーが一瞬で身を翻した。

 その動きに合わせ、理央も反射的に腕を上げる。

 通路の奥──金の残光が届かぬ闇の中で、黒く焦げた外套がゆらりと揺れた。

 

「……う、あぁ……」

 

 かすれた声。

 燃え尽きたはずの影が、よろめきながら立ち上がる。

 

 キャスターだった。

 

 全身が焼け爛れ、皮膚の下で光がまだ微かに蠢いている。

 髪は煤にまみれ、片腕は肘から先が崩れ落ちていた。

 それでも──彼は立っていた。

 燃え尽きる寸前の薪のように、身体の奥でわずかな火がくすぶっていた。

 

 誠は息を呑む。

 理央はその隣で、冷静にキャスターを見据えた。

 そして、低く言った。

 

「……立つのがやっとね。あの火を受けて、再生なんてできるはずがない」

 

 その声には、確信があった。

 冷たくも、揺るぎない魔術師としての判断。

 

「霊核が焼け爛れている。あそこから立ち直るには──どう足掻いても、魔力が足りないわ」

 

 彼女の言葉の通り、キャスターの身体はもはや限界だった。

 膝が震え、立っていること自体が奇跡に見える。

 それでも、焦げた唇がゆっくりと開く。

 

「……終わってなど……いない……」

 

 声はひどく掠れ、灰の中で消えかけていた。

 それでも、その目の奥には、まだ黄色の光がわずかに瞬いていた。

 

 キャスターは膝を折りそうになりながらも、壁に片手を突いて立っていた。

 骨が砕ける音がした。だが、彼は笑った。

 それは皮膚が焼け落ち、声帯が焦げついた者の笑み──もはや人のそれではなかった。

 

「……ふふ……」

 

 掠れた喉から漏れる音は、息と呻きの境界にあった。

 

 理央が一歩前に出て、セイバーの肩越しにその姿を見据える。

 

「もうやめなさい。霊核は損壊している、魔力も底をついた。貴方が不死であったとしても、戦闘の継続は不可能よ」

 

 キャスターは理央を見た。

 その眼窩の奥で、残る火がくすぶるように明滅する。

 

「おやおや、勝利宣言には……気が早いのではありませんか」

 

 嗄れた声に、微かな嗤いが混じった。

 

「こうなれば、出し惜しみは無しです。奴に対する切り札のつもりでしたが、やむを得ない」

 

 そう言って、キャスターはゆっくりと顔を上げた。

 焦げた喉から、呼吸にも似た呪文が漏れる。

 

「来い……」

 

 声は震えていたが、確かに命令だった。

 それは召喚でも通信でもない。

 ──まるで、使役していた召使を呼びつけるような声音。

 

「……“マスター”」

 

 理央が息を呑む。

 その呼び方に、明確な上下が逆転していた。

 サーヴァントがマスターを呼ぶ──ではなく、王が奴隷を呼びつけるように。

 

「馬鹿な……」

 

 理央の声が低くなる。

 

「そんな関係、成立するはずが──」

 

 その瞬間だった。

 

 空が唸った。

 地鳴りのような振動が通路を伝い、石畳が震える。

 誠が思わず顔を上げると、夜空の奥──雲の切れ間から、光のない“何か”が降りてきていた。

 

 最初は黒い影にしか見えなかった。

 だが、落下してくるうちに輪郭が露わになる。

 

 

 ──球体。

 だが、ただの球ではない。

 

 その表面には、無数の“顔”が張りついていた。

 石像のように固められた人の顔。

 歪んだ目、叫ぶ口、ねじれた鼻。

 それらが互いに押し合い、潰し合い、ひとつの球を形づくっていた。

 

 球体の隙間から、微かに呻き声が漏れる。

 生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 だが確かに、苦痛と恐怖を孕んだ“声”だった。

 

「……あれが……キャスターのマスター?」

 

 誠が呟く。

 理央はその顔を強ばらせたまま、言葉を返さなかった。

 ただ、ゆっくりと頭を振る。

 

「いいえ──あれは、もはや人間じゃないわ。なんて事……」

 

 空気が軋む。

 球体がゆっくりと回転しながら、地面すれすれまで降下してくる。

 顔の一つが、苦悶に歪みながら目を開いた。

 

 そして、震えるような声で──キャスターの名を呼んだ。

 

「……キャスター……」

 

 声は、かすれた呻きのようだった。

 それは命令でも意志でもなく、壊れた祈りの残響。

 まるで自我という枠を失い、ただ声帯だけが命令を反復しているかのようだった。

 

 球体の内部で、無数の顔が微かに動く。

 石のように硬化した皮膚の下で、筋肉がぴくりと痙攣する。

 苦悶に歪んだ口々が、不協和音のように小さく開き──

 

「……レイ……ジュ……」

 

 その単語が、空気を震わせた。

 理央が目を見開く。

 通路を満たす冷気が一瞬で熱を帯び、球体の一部──顔面の群れが重なり合う中心に、赤い紋が浮かび上がる。

 

 それは、令呪だった。

 だが本来の令呪の形とは異なる。

 精密な魔術刻印ではなく、肉の裂け目に直接焼きつけられたような不定形の印。

 複数の人間の魔力が、強制的に一つの器へと押し込められた痕跡だった。

 

 球体の表面に刻まれた紋章が赤熱する。

 次の瞬間、道路全体を貫くような声が響いた。

 それは誰の声でもない。

 無数の口が同時に命を発した結果、声帯の区別が消えた“音”だった。

 

『──キャスターよ、令呪を以て命ずる』

 

 空気が震える。

 理央が歯を食いしばった。

 誠の胸が、嫌な圧迫感に締めつけられる。

 

『──身を狂い火に焚べよ』

 

 キャスターの肩がびくりと震える。

 焼け焦げた皮膚の下で、黄色の光が走った。

 

『──世界を溶かし尽くすほどに』

 

 球体の全表面が赤に染まる。

 無数の顔が苦悶に歪み、絶叫のような声が重なり合う。

 

『──燃え上がれ』

 

 その瞬間、地が爆ぜた。

 キャスターの身体から、再び炎が噴き出す。

 先ほどまで命の灯のように弱かった火は、今や嵐だった。

 黄色の狂火。

 狂気そのものが形を持って噴き上がる。

 

 誠は反射的に腕で顔を覆った。

 熱が皮膚を焼き、灰が雪のように舞う。

 

 キャスターは両腕を広げ、空を仰いだ。

 口元が笑みを形づくる。

 皮膚が裂け、内側から炎が漏れ出す。

 

「ええ、仰せのままに、マスター」

 

 炎が吼えた。

 塊と化したマスターの表面からも、同じ色の火が滲み出す。

 無数の顔が、悲鳴とも祈りともつかぬ声を上げた。

 

 球体の表面が再び波打った。

 ひとつ、ふたつと顔が崩れ、奥の方から赤い光が滲み出る。

 ひび割れの隙間で、もうひとつの令呪が形を取り始めていた。

 

 理央が息を呑む。

 

「……まさか、第二画を──!?」

 

 彼女の言葉を遮るように、塊が呻いた。

 それは人の声ではなかった。

 無数の喉が、ひとつの命令を発するために無理やり共鳴していた。

 

『続けて、令呪、第二画を以て命ずる』

 

 その声は、空気を裂くように響いた。

 球体の裂け目から、無数の赤光が脈打つように走る。

 熱が一瞬で通路全体に広がり、灰が蒸発する。

 

『──キャスターよ』

 

 キャスターの身体がびくりと跳ねた。

 全身の亀裂から光が溢れ、裂けた皮膚の下で炎が蠢く。

 

『──世界を踏み焼く巨人となれ』

 

 その言葉は呪いのように染み込み、

 空間の温度が一気に跳ね上がる。

 

『──立て、燃えよ、すべてを焦がせ』

 

 命令の終わりと同時に、地面が炸裂した。

 キャスターの足元から炎柱が噴き上がり、通路を貫く。

 焼け崩れた肉体がひしゃげ、再び膨張を始める。

 

 骨が軋み、皮膚が破れ、筋肉の代わりに炎がその形を満たしていく。

 人の形はすでに失われていた。

 それは、燃えながら再構築される“存在”だった。

 

 やがて、建物の屋根をも越える巨体が姿を現す。

 身の丈二十メートル。

 炎の塊が人の形を模し、灼ける鉄のような皮膜を纏う。

 眼窩の奥には、狂った太陽の光が渦巻いていた。

 

 理央が震える声で呟く

 

『なんて出鱈目を……! こんなの、滅茶苦茶よ!? サーヴァントがマスターを改造して使役し、令呪を使わせるだなんて……」

 

 理央は叫ぶように命じた。

 

「セイバー、あの塊を──今すぐ破壊して!」

 

 その声は悲鳴にも似ていた。

 これ以上の令呪発動を許せば、現実そのものが焼き尽くされると、魔術師として直感していた。

 

 セイバーはゆっくりと顔を上げた。

 甲冑の中で、軋む音。

 彼は無言で頷き、螺旋の剣を再び構える。

 

 だが、動かない。

 膝がわずかに沈み、足元の石を砕く。

 跳躍しようと力を込めた瞬間、全身の鎧が鳴動し、崩れるように壁へと手をついた。

 

 重い呼吸。

 甲冑の隙間からは、白い蒸気のようなものが漏れ出していた。

 

「……く、っ……」

 

 低く漏れた声には、苦痛と焦燥が入り混じっていた。

 

 理央が息を詰める。

 

「セイバー……? どうしたの、立って──!」

 

 返答の代わりに、セイバーの肩がわずかに震える。

 その背に宿っていた金の余燼が、風に散るように消えていく。

 

「……申し訳、ありません……マスター」

 

 かすれた声。

 セイバーは壁に片腕をつき、片膝を地に落とした。

 その動作すら、金属の擦れる音を伴って重く響く。

 

「宝具の連続使用……そして、第二の宝具の起動」

 

 言葉が途切れる。

 喉の奥で、金属と火花が混ざったような音が鳴った。

 

「……あれを振るうために、貴女の令呪を使わせていただきましたが、その効力は……もう残っていません」

 

 そう言って、視線を炎の巨人へと向けた。

 

 キャスターは、崩れかけた壁に手をつくセイバーを見下ろしていた。

 その眼窩の奥で、火が蠢く。

 まるで、敗者の姿を慈しむように、ゆっくりと口角を上げた。

 

「──火継ぎの英雄よ、もう終わりにしよう」

 

 声は熱に歪み、地を伝って響く。

 足元に溜まった炎が、低く呻くように鳴った。

 

 セイバーは答えなかった。

 甲冑の奥、微かに残る光が一度だけ瞬き、やがて沈黙する。

 その様子を見て、キャスターはゆっくりと天を仰いだ。

 

 ──塊。

 空に浮かぶ、顔を繋ぎ合わせた“マスター”が、苦痛に満ちた呻きを漏らす。

 それでもキャスターは、まるで優しく諭すように語りかけた。

 

「さあ……主よ。最後の一画を」

 

 その声は穏やかだった。

 狂気と慈愛がないまぜになった、静かな死の囁き。

 

「貴方の役目は、ここで終わる。私に力を与え、私を完全としなさい」

 

 球体の中心で、赤い光が脈打つ。

 顔のひとつが引きつり、無数の口が同時に開く。

 

「……レ……イ……ジュ……」

 

 重なる言葉に応じるように、球体の中心部が裂けた。

 そこに現れた令呪は、他の二つとは違った。

 まるで血そのものが煮えたぎるように、赤黒い光を放っていた。

 

 理央が息を呑んだ。

 

「……やめて……これ以上は、本当に──!」

 

 しかし、キャスターは彼女を見ず、ただ命じた。

 

『──令呪、第三画を以て命ずる』

 

 声が重なった。

 マスターの壊れた声帯が、キャスターの声と同期する。

 

『──我がすべてを、キャスターに捧げる』

 

 空気が悲鳴を上げた。

 球体の中で、無数の顔が一斉に苦悶に歪む。

 肉と魂が引き裂かれる音が、世界の底から響くようだった。

 

『──勝利せよ』

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