Fate/You Died.   作:助兵衛

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第31話 勝利の代償

 誠は──見上げた。

 

 赤黒い夜が、ひときわ深く沈んだ。

 キャスターの狂い火に押しつぶされかけていた世界の天蓋が、今、その中心から“割れて”いた。

 

 黒い縦の線。

 それは最初、稲妻の残光のようだった。

 

 だが違う。

 

 影だ。

 影が落ちてくる。

 

 遥か上空──

 赤月のすぐ下。

 一人の影が真っ逆さまに降下していた。

 

 誠は息を呑む。

 

「あれ……アサシン……?」

 

 空気が震える。

 風が引き絞られる。

 

 影が徐々に輪郭を帯び、人型へ。

 そして“忍びの装束”へと変わっていく。

 

 彼は逆さまの体勢のまま、まるで落下ではなく“狙って降りてくる”ような静けさで──

 

 背中の刀へ、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 カチリ、と音がした。

 

 抜刀。

 刀身が鞘の闇を裂く音。

 

 赤黒い霧が揺れた。

 

 次の瞬間──

 抜き放たれた刀が、夜の底で鈍い光を吐いた。

 

 光では、ない。

 

 瘴気だった。

 

 刀身から滲み出る止めどない黒。

 夜の色より暗く、血の色より深い。

 熱も冷気もなく──ただ、死の層だけを含んだ異質な空気。

 

 誠の皮膚が引きつる。

 呼吸の中に細い刃を差し込まれたような、乾いた痛み。

 

 刀の周囲に立ちこめた瘴気が、まるで意志を持つ生き物のようにざわめきはじめる。

 

「……なんだ、あれ……」

 

 誠の声は震えていた。

 理央も、言葉にならない息だけを漏らしている。

 

 アサシンは落下の姿勢を、微かに調整した。

 頭から地表へ向かうその体勢のまま、

 刀を片手で斜めに構える。

 

 構えに応じるように──

 

 瘴気が、形を変えた。

 

 刀身の輪郭をなぞるように伸び、

 細い刃を二回り、三回り大きく包み込み、

 実体の十倍に迫る“黒い大太刀”を形成していく。

 

 瘴気は揺らぎながらも、決して崩れない。

 刀の動きと完全に同期している。

 

 アサシン自身よりも巨大な、禍々しい“影の刃”。

 

 それが、落下速度と共に伸び続けていた。

 

 誠は理解する。

 

 あれは──

 斬るための構えだ。

 

 この世界ごと。

 燃え狂うキャスターごと。

 死すべきものを、ただ死すべき形へ戻すための──

 

 静かで、冷たい、殺意の構え。

 

 赤黒い夜の中、アサシンは沈黙のまま落ちていく。

 

 音もなく。

 炎にも押されず。

 狂気にも呑まれず。

 

 ただ一振りの刀とともに、世界へ“死”を降らせるために。

 

 キャスターの巨体が──

 はじめて、上を見た。

 

 炉心を砕かれ、胸腔を穿たれ、

 なお噴き上がろうとする呪詛の炎が揺らめく。

 

 その揺らぎの奥で、キャスターの“眼”が震えた。

 

 理解したのだ。

 

 天より落ちてくるのは、

 炎でも、風でも、雷でもなく──

 “死そのもの”だと。

 

 だから、迎え撃つしかなかった。

 

 狂い火が肩口で弾け、巨人の腕が、焔と呪詛の奔流をまとって伸び上がる。

 

 空を掴むための、いや、落下してくるアサシンをひねり潰すための獄焔の腕。

 

 その熱量はLOADER4ですら近寄れぬ灼熱の壁。

 あらゆる物理構造を溶断し、天をも焼き切る、殺し尽くす握力。

 

 だが──

 

 遅かった。

 

 ただ遅いだけではない。

 

 “手段を間違えている”のだ。

 

 アサシンの刀が揺れる。

 落下速度に乗った、ただの一閃。

 

 だが、それに合わせて瘴気が“実体の刃”の形を保ちながら、振り下ろされる軌道へ沿って、爆発的に延びた。

 

 黒い刃が、夜を裂く。

 

 距離が詰まる速度は、もはや視認できない。

 

 誠は思わず息を止めた。

 

「来る……!」

 

 キャスターの焔の腕が、アサシンへ届く直前──

 黒い刃が形を決めた。

 

 その瞬間、世界に音が消えた。

 

 刃と焔が衝突する。

 

 衝突した──はずだった。

 

 だが、結果は衝突ではなかった。

 

 “両断”だった。

 

 焔の腕は抵抗すらできず、

 空間ごと切り裂かれた。

 

 火花も、爆炎もない。

 ただ、静かに線が引かれたように、存在が切断されていく。

 

 キャスターの巨体が揺れる。

 

 理解が追いつかない。

 

 自分の炎が、力が、呪詛が──

 どれも“そこに当たってすらいない”。

 

 刃は炎よりも早く。

 熱よりも深く。

 呪詛よりも冷たく──

 

 ただ“結果だけ”を世界に残した。

 

 焔の腕は宙に舞い、巨体がきしむ。

 

 アサシンはまだ落ち続けている。

 

 刃はさらに長く、深く。

 世界の底を狙うかのように延び──

 

 次の瞬間。

 

 黒い大太刀が、

 キャスターの首筋へ吸い込まれるように走った。

 

 避けようとしたわけではない。

 避けるという概念が追いつく前に──

 

 音もなく、首が落ちた。

 

 切断面から噴き上がるはずの焔は──

 一滴も出なかった。

 

 首が離れた瞬間、

 巨体を満たしていた狂い火が、一度だけ大きく脈動し──

 

 ふっと、灯が消えるように沈んだ。

 

 赤黒い夜に燃え盛っていた“世界そのものを焼く熱”が、嘘のように引いていく。

 

 巨人の身体が、ゆっくりと後ろへ傾いだ。

 

 轟音はない。

 地響きもない。

 巨大な質量が倒れるはずの音が、どこにも生まれない。

 

 炎が完全に消えた巨体は、ただの“形だけの殻”へと変わっていた。

 

 その胸の裂け目から──

 

 砕かれた炉心が、ぽとりと落ちた。

 

 肉とも鉱石ともつかぬ、黒焦げた塊。

 内部に宿っていた暴走魔力は霧散し、ただの無力な破片へと堕ちている。

 

 同じタイミングで、キャスターの落ちゆく首も、地面へ触れた。

 

 転がる音はなかった。

 

 触れた瞬間、世界に吸い込まれるように黒い霧となり──

 跡形もなく消えていった。

 

 赤黒い霧が静かに薄れ始める。

 

 空を覆っていた紅い月が色を失い、石畳の上に広がっていた“死の夜”が、すこしずつ後退していく。

 

 その中心点に──

 アサシンが降り立った。

 

 土が沈む気配はない。

 足音もない。

 風すら乱れない。

 

 高高度から一直線に落下したというのに、その着地は“そこに最初から立っていた”かのように滑らかで無音だった。

 

 アサシンは刀を下げたまま、刃にまとわりつく瘴気を一度だけ払う。

 

 黒い靄が、ゆるく波紋を描きながら空気へ溶ける。

 

 刃は無傷。

 鞘の中の闇を思わせる静かな光沢だけをまとっている。

 

 その刀身をアサシンは、何事もなかったかのように背の鞘へと戻した。

 

 カチリ。

 

 その小さな音だけが、崩れつつある赤黒い世界に鮮明に響く。

 

 アサシンは刃を収めたのち、ようやく周囲へ視線を向けた。

 

 まず見つけたのは──

 倒壊した石畳の上で片膝をつき、呼吸を荒げているセイバーだった。

 

 鎧は煤にまみれ、返り血と焼損で原型をとどめていない。

 握る剣も刃こぼれし、立っているのが不思議なほどの満身創痍。

 

 アサシンは音もなく歩み寄り、静かに目礼した。

 

 そして──

 もうひとつの倒れた影へ目を向ける。

 

 四肢をもがれ、胴体だけになりながら、

 なお地面に爪を立てようとしている、

 獣めいた狩人──バーサーカー。

 

 彼女の周囲には、

 影の糸と血がまだ蒸気のように揺れている。

 

 アサシンはそちらへも歩み寄る。

 

「……狩人殿」

 

 動けるはずもないその体が、わずかに震え、

 赤い瞳だけがこちらを見る。

 

 アサシンは深く頭を下げた。

 

「炎の巨人をここまで弱らせたのはお主だ、感謝する」

 

 四肢のないバーサーカーは、

 それでもかすかに口角を上げた。

 

「……あら……随分……殊勝ですこと……忍びの殿方……」

 

 声は掠れ、しかし愉悦は失われていない。

 

 アサシンはそれに応えるように、再び深く礼をした。

 

 そして──

 最後に顔を上げた先。

 

 まだ赤黒い霧がわずかに揺れる戦場の奥。

 そこに、ひざまずきつつある“鉄の巨人”がいた。

 

 LOADER4。

 あまりに激しい負荷を受けたせいで、脚部のサーボが悲鳴をあげ、ゆっくりと膝をつき始めていた。

 

 背中の放熱フィンからは白煙が立ち、左腕のレーザーランスは焼き切れた金属臭を漂わせながらも、なお誇り高く天を向いている。

 

 LOADER4の残った単眼が、かすかに明滅した。

 

 まるで“礼など不要だ”と言わんばかりの、控えめな返答。

 

 しかし次の瞬間、

 機体は限界を悟ったようにゆっくりと膝をつき──

 

 プシューッ……! 

 

 気圧差と油圧の開放音を伴って、胸部装甲がゆっくりと展開した。

 

 灼熱に耐え切ったコックピットが、赤黒い霧の薄れゆく中で開かれていく。

 

 内部から吹き出した熱気に、アサシンは思わず目を細めた。

 

 その直後だった。

 

 ──がこん。

 

 ロックの外れる、鈍い音。

 

 続いて、金属製の座席から固定具が外れる軽い衝撃が伝わり──

 コックピットの縁から、人影が一つ、前へ崩れ落ちた。

 

 誠は息を呑む。

 

「紫村!」

 

 重力に逆らえず、身体がそのまま滑り落ちる。

 受け身を取る余力すらない。

 秀則は、崩れた石畳の上にうつ伏せで転がり落ちた。

 

 骨の砕ける音はしなかった。

 ただ“空っぽの殻”が置かれたような、乾いた音だけが響く。

 

 誠は、かすかに震える胸の上下を見て──喉を詰まらせる。

 

 呼吸が浅すぎる。

 吸っているのか、吐いているのか分からないほど、細く短い。

 

「……っ」

 

 理央が思わず一歩踏み出しかけて、足を止める。

 LOADER4の胸部内部から、もう一つの影が動いたのだ。

 

 ライダーだ。

 

 座席に深くもたれ掛かるようにしていたその身体が、

 ゆっくりと身を起こす。

 

 首筋、胸、背中、両腕両脚──

 無数のケーブルが彼女の身体の各所に食い込むように接続されている。

 

 ライダーは一度、短く息を吐いた。

 

 そして、一本ずつ、

 そのケーブルを乱暴にも丁寧にも見えない手つきで引き抜いていく。

 

 ──プチッ。

 ──カチリ。

 ──シュウ、と微かな放電音。

 

 ケーブルが外されるたびに、

 LOADER4の内部パネルの光が一つ、二つと消えていく。

 

 最後のケーブルを頸から引き抜いたとき、ライダーの肩がわずかに震えた。

 

 それでも彼女は、乱れた息を整える暇もなく、ハーネスを外し、コックピットの縁へと手を掛ける。

 

 足場などほとんど残っていない装甲の上を、慎重に、しかし迷いなく降りてくる。

 

 重い一歩ごとに焼け焦げた装甲から灰がぱらぱらと落ちた。

 

 やがて、地面へ。

 

 ライダーのブーツが石畳を踏んだその場所には──

 秀則が横たわっていた。

 

 仰向けに転がされた彼の顔は、さきほど見たときよりさらに白い。

 

 喉がかすかに動く。

 しかし呼吸は浅く、途切れ途切れで、

 肺に入る空気が“足りていない”ことが、見ているだけでわかる。

 

 目はうっすらと開いている。

 しかし焦点は定まらない。

 ライダーの姿を認識しているのかどうかも怪しいほど、濁っていた。

 

 ライダーは無言で膝をついた。

 

 片膝を地につき、焦げた手袋越しに秀則の肩へそっと触れる。

 

 その瞬間──堰を切ったように、理央が駆け出す。

 

「……紫村!」

 

 誠も遅れて走る。

 まだ戻りきらない石畳の違和感を踏みしめながら、ふらつきつつ距離を詰めた。

 

 地面に膝を突くと、熱がまだ残っている。

 理央はそんな感覚を意識の外へ追いやり、秀則の顔を覗き込んだ。

 

 近くで見ると、酷さは一目瞭然だった。

 

 唇は乾ききって裂け、血の気は完全に引いている。

 瞳孔の反応も鈍い。

 

 これは、ただの魔力枯渇ではない。

 

 不足した魔力を、令呪で埋めて──

 それでも足りず、自分の“命”にまで手を付けた。

 

「……っ、馬鹿……!」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 理央は秀則の左手──手の甲を掴む。

 

 皮膚は冷たい。

 しかし、そこに刻まれた令呪はまだ完全には消えていない。

 

 赤黒い紋様は、一画はすでに完全に消え失せ、残るのは二画のみ。

 

 理央は歯を食いしばり、その手をぐいと持ち上げた。

 

 秀則の視界の前まで、無理やり引き寄せる。

 

「紫村君! これを見なさい、使い方は分かるわね!?」

 

 焦点の定まらない瞳が、かすかに動いた。

 令呪の赤が、にじむ視界の端に入る。

 

 理央は、その瞬間を逃さず、怒鳴った。

 

「今すぐ──残っている令呪を全部、自分に使いなさい!」

 

 声が石畳に反響する。

 

「紫村秀則への魔力供給と、生命の維持──そこだけに、令呪を注ぎ込みなさい!」

 

 指先に力がこもる。

 

 喉が、ごくりと動く。

 

 秀則の唇が、乾いた皮膚をこすり合わせるように、かすかに開いた。

 

「……」

 

 声にならなかった。

 

 肺が、空気を押し出す力を失っている。

 

 それでも、彼は続けようとする。

 令呪を使うための“言葉”を、どうにか紡ごうとした。

 

「……れ、い……じゅ……」

 

 舌がうまく回らない。

 息が続かない。

 

 手の甲の令呪が、かすかに赤く脈打った。

 

 理央の目が見開かれる。

 

「そう……そのまま……!」

 

 だが──そこまでだった。

 

 秀則の喉が、ひゅ、と一度だけ鳴る。

 

 そのまま、呼吸が──止まった。

 

 指先から力が抜けていった。

 

 理央の手の中で、秀則の左手が、ただの重りのように落ちる。

 

「……え?」

 

 理央の声が、素っ頓狂に上擦った。

 

 胸の上下が──止まっている。

 喉の動きもない。

 瞳孔は、もう光を追っていない。

 

 誠は、それを理解するまでに、数秒かかった。

 

 目の前で見ているのに、

 目の前の光景を、頭が“嘘だ”と弾き返し続けた。

 

「……う、そ……」

 

 ようやく、声になったのは、その一言だけだった。

 

 喉が勝手に動き、同じ言葉を繰り返す。

 

「嘘だろ……紫村……? おい、起きろよ……令呪、まだ残ってたじゃん……なあ……」

 

 返事はない。

 

 ライダーの手が、そっと秀則の胸元へ伸びる。

 耳を近づけ、微かな呼吸音を探し──見つからないことを確認して、静かに目を閉じた。

 

 彼女は何も言わない。

 ただ、短く一度だけ、瞼を伏せる。

 

 誠は、なおも認めない。

 

「紫村……紫村!」

 

 肩を掴んで揺さぶろうとして──途中で気付く。

 今、少しでも乱暴に扱えば、“二度と戻らない”という現実が、完全な形で眼前に現れると。

 

 だから、手が止まった。

 

 ただ、掴んだまま。

 震える指で、友の肩を抱くことしかできない。

 

 そのとき──

 

 背後で、低い駆動音が途切れた。

 

 LOADER4だ。

 

 魔力の供給源を失った鉄の巨人の単眼が、最後に一度だけ弱々しく瞬き──

 その光が、すっと消える。

 

 機体全体を覆っていた重装甲の輪郭が、揺らいだ。

 

 実体を持つはずの鉄板が、霧のように薄くなっていく。

 装甲の継ぎ目から、光の粒子がこぼれ落ち、それが風に散るように夜空へ溶けていく。

 

 レーザーランスの黒焦げた槍先も、焼けただれた脚部も──

 

 すべてが「もともとここになかったもの」へと戻っていった。

 

 やがて、そこには何も残らない。

 

 あるのは、焼け跡と、砕けた石畳だけ。

 

 さらに──世界が、もう一度揺らいだ。

 

 バーサーカーの宝具。

 赤黒い霧と石造りの街並みで構成された“夜の狩場”そのものが、軋みながら崩れはじめる。

 

 首をもがれた獣のように、固有結界は、維持するための支柱を失っていた。

 

 石畳にひびが入る。

 

 その隙間から、アスファルトの黒が滲み出すように現れる。

 遠くの尖塔は輪郭を失い、歪んだまま溶けていく。

 鉄格子の嵌められた窓は、元の住宅のサッシに巻き戻されるように形を変え──

 

 吊るされていた獣の影は、煙のようにほどけて消えた。

 

 空を覆っていた血の月が、じわり、とにじむように色を失っていく。

 

 赤が薄れ、鈍い灰色を経て──

 

 元の夜空が戻ってきた。

 

 街灯のオレンジ色。

 遠くを走る車のヘッドライト。

 見慣れた住宅街の輪郭。

 

 世界が、元の“日常の形”へ戻っていくその中心に──

 

 誠は、まだ秀則の肩を掴んでしゃがみ込んでいた。

 

 周囲の景色が何度変わっても、

 足もとの現実だけは変わらない。

 

 胸は動かない。

 皮膚の温度だけが、ゆっくりと“人肌”から離れていく。

 

 誠は、息をするのを忘れていた。

 

 世界が戻ってくる音──

 電線の唸り、どこかの家のテレビの音、夜風のざわめき──

 

 そのすべてが、やけに遠い。

 

 すぐ目の前にあるのは、ただひとつ。

 

 ──目の前で、友人が死んだ、という事実だけだった。

 

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