「皆さま」
当主と青年を見送った使用人が穏やかに話し始めた。
声は低く、柔らかい。
どこか、接客の抑揚に似ていた。
「当家にて数日お過ごしいただくにあたり、設備のご案内をいたします」
誠は思わず瞬きをした。
“設備のご案内”。
言葉だけ切り取れば、旅館のそれだ。
だがここは、磨かれた床と沈黙で人を縛る屋敷である。
老人は、四人の反応を待たない。
淡々と、しかし抜け目なく、説明を並べる。
「まず入浴でございますが、浴室は二箇所ございます。東の廊下を進み、突き当たりを左手。大浴場のように広くはございませんが、足を伸ばしていただける造りです」
「湯は常に循環しており、温度は一定に保たれております。夜間もご利用いただけますが、深夜は結界の調整が入りますゆえ……その際はご案内を差し上げます」
さらり、と。
旅館の注意事項に紛れ込ませるように、“結界”を言う。
秀則が小さく喉を鳴らした。
誠も、肩の奥が冷えるのを感じる。
「次に食事でございます。お食事は、基本的に食堂にてご用意いたします。朝は七時、昼は十二時、夜は十八時。お時間が合わぬ場合は、お部屋までお運びいたします」
老人は、視線を一度だけ理央へ向ける。
確認というより、既に把握しているものへの形式的な目配せだった。
「献立につきましては、苦手なもの、宗教上の制限、体調により避けるべきものなどございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「寝室でございますが──」
老人は、手をわずかに開き、空間の地図を示すように指先だけで方角をなぞった。
「皆さまには、西棟二階の客室をお使いいただきます。夜間は結界が稼働いたしますゆえ、外への出入りはお控えください」
紗月が、座椅子の背からわずかに身を起こし、短く息を吐く。
「……旅館みたい」
つい口から漏れた、という声だった。
老人は、表情を変えないまま、ほんの少しだけ頭を下げた。
「恐れ入ります。外界の形式に似せたほうが、皆さまの負担が軽かろうと。当家ではそのように整えております」
理央の視線が、老人の足元──床の継ぎ目のあたりへ落ちる。
何かを確かめているような眼だった。
「洗濯につきましても承ります。お召し物は、籠に入れて廊下へお出しください。夜のうちに整え、翌朝にはお戻しいたします……また、必要であれば簡素な衣類もご用意できます」
誠は、自分の服が煤と血と汗の匂いを纏っているのを思い出し、胃がきゅっと縮む。
「医薬品、救急具もございます。怪我の手当ては当家の者が行いますが、魔術的な処置が必要な場合は──」
そこで、老人の声が一段だけ低くなる。
「御当主様許可のもと、適切に手配いたします」
旅館の説明のまま、釘を刺してくる。
誠は、膝の上で手を握り直した。
この屋敷の“優しさ”は、手を差し伸べる形をして、指の一本一本にルールが刻まれている。
老人は最後に、変わらぬ恭しさで言った。
「以上が大まかなご案内でございます。これより、お部屋へお通しいたします。──どうぞこちらへ」
襖が、また静かに開かれた。
廊下の光が差し込む。
使用人の老人は先頭を歩く。
足音はほとんどしない。
畳と板張りの境目ですら、音が吸い込まれていく。
曲がり角を二度。
渡り廊下をひとつ。
外光が、格子越しに差し込む。
そこが、西棟だった。
主屋とは空気が違う。
わずかに柔らかく、しかし同時に閉じている。
長期滞在者用の“場所”だと、直感で分かる。
「こちらが西棟でございます」
老人は、立ち止まり、振り返る。
「二階が客室となっております。階段は正面をお使いください。お部屋の割り振りは、すでに済んでおります」
誠は、階段の手すりに手をかけた瞬間、自分の脚が思った以上に重いことに気づいた。
疲れている。
自覚していた以上に、深く。
気を張っていた糸が、ここに来て一気に緩み始めている。
「それでは──」
老人は、ほんのわずかに頭を下げる。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
その言い方は、完全に旅館のそれだった。
引き留めない。
見送らない。
“ここから先は、客の時間です”と線を引く。
そして、音もなく踵を返す。
廊下の角へ。
影が曲がり。
気配が、すっと消えた。
残されたのは、四人と、西棟の静けさだけだった。
「……じゃ、上行くか」
誠はそう言って、階段に足をかけた。
正直、考える余力はもうあまり残っていない。
とにかく横になりたい。
身体を伸ばして、眠りたい。
秀則も、無言で頷き、後に続こうとする。
──そのとき。
「……待って」
控えめな声だった。
振り返ると、理央が立っている。
一歩だけ前に出て、しかし距離は詰めない。
表情は穏やかだが、どこか迷いが残っている。
言うべきかどうか、最後まで悩んだ顔だ。
「灰原君……紫村君」
理央は、一度だけ深く息を吸った。
それから──
秀則の前に立ち、迷いなく腰を折った。
深々と、謝罪する。
秀則が、ぎょっとして目を見開いた。
「……く、黒野女史?」
理央は顔を上げない。
声は低く、震えていなかった。
だが、硬かった。
「紫村君。私は──あなたを、敵対する勢力だと疑った」
「あなたが不死であるかどうかを確かめるために……殺すという選択肢を、本気で考えた」
西棟の静寂が、一段深くなる。
言葉は、飾られていない。
言い訳も、正当化もない。
「それは、魔術師としての判断だった。でも……人として、決して許されるものじゃない」
理央の指先が、わずかに震えた。
「ごめんなさい。全て謝罪する。私が間違えていた」
秀則は、しばらく何も言えなかった。
目を伏せ、服の端を握りしめる。
その指に、力が入ったり、抜けたりする。
「……あのとき」
ようやく、声が出た。
「正直に申せば……恐ろしかったですな」
理央は、まだ頭を下げたままだ。
「ですが──」
秀則は、困ったように笑った。
「こうして、頭を下げられると……どう反応してよいか、分からぬものです」
小さく息を吐く。
「構いませんぞ。あなたには責任があった、だから、仕方ありませぬ」
その言葉に、理央の肩が、ほんのわずかに落ちた。
だが、まだ終わらない。
理央は、体を起こし──今度は、誠の前に立った。
そして、同じように、深く頭を下げる。
「灰原君」
誠は、思わず背筋を伸ばした。
「私は……あなたが当事者であるにもかかわらず、十分な情報を与えなかった」
理央の声は、さっきよりも少しだけ弱い。
「守るつもりだった、と言えば聞こえはいい。でも実際には……囲い込んでいた」
言葉が、静かに落ちる。
「相談もしなかった。判断を共有もしなかった。危険の輪郭だけを曖昧にしたまま、あなたを巻き込んだ」
誠は、唇を噛んだ。
否定も、肯定もできない。
思い当たることが、あまりにも多すぎた。
「それは、信頼していなかったのと同じだと思う」
理央は、そこで初めて、ほんの一瞬だけ声を詰まらせた。
「……ごめんなさい」
誠は、すぐには口を開かなかった。
理央の頭は下がったまま。
西棟の静けさが、その姿勢を責めも庇いもしない。
誠は一度、階段から手を離した。
掌に残った木の感触が、妙に現実的だった。
「……顔、上げてくれ」
理央が、わずかに息を詰める。
それでも、すぐには動かない。
許されるかどうかを、言葉で確かめるまで、上げないつもりなのだと分かる。
誠は、軽く頭を掻いた。
「全部が全部、なかったことにできるわけじゃない」
正直な言葉だった。
「怖かったし、腹も立った」
理央の指先が、きゅっと縮む。
「でも」
誠は、息を吐く。
「ちゃんと謝っただろ。逃げなかったし、言い訳もしなかった」
一拍。
「それで、今は……それで十分だと思う」
理央の肩が、ゆっくりと下がった。
張り詰めていた糸が、ようやく緩む。
誠は続ける。
「俺は魔術師じゃない。判断材料がなきゃ、正しい選択もできない」
視線を、まっすぐ理央に向ける。
「だから次は、ちゃんと教えてほしい。全部とは言わなくても……隠さないでほしい」
理央は、そこでようやく頭を上げた。
目は真っ直ぐだった。
逃げも、揺らぎもない。
「……分かった」
短く、はっきりとした声。
そして、もう一度だけ、今度は深くない角度で頭を下げる。
「今夜」
言葉に、覚悟が乗る。
「少し休んで、心身が落ち着いたら……私の知っていることを、全部話す」
逃げ道を残さない言い方だった。
条件も、前置きもない。
「聖杯戦争の事、灰原君のお祖父様の事、灰原君自身の事」
誠の喉が、わずかに鳴る。
「本当に、全部か?」
「うん」
理央は頷いた。
「隠したまま守るより、知った上で一緒に考えてもらう。そのほうが……ずっと誠実だと思うから」
誠は、返事の代わりに小さく頷いた。
言葉にするほどの力が残っていない。
それでも──理央の「今夜」という約束が、胸のどこかに杭みたいに打ち込まれたのが分かった。
秀則も、少し遅れて頷く。
「……承知いたしましたぞ。今宵、改めて」
理央は、短く「ありがとう」と言った。
その声が、いつもの彼女より少しだけ人間らしく聞こえた気がする。
「じゃ、ほんとに寝よう……限界だ」
誠が階段に手をかけると、身体がそれを待っていたように傾いた。
一段上がるたび、関節の奥で何かが外れていく。
秀則も、足取りが重い。
階段を上る背中が小さく見えた。
二階は、畳の匂いが濃かった。
障子越しの光が柔らかく、音がさらに吸われる。
廊下の突き当たり。
札のない襖。
誠は、教えられた通りに一つ目の部屋へ入る。
畳の上に、きちんと畳まれた布団。
枕。
白いシーツ。
旅館の整い方そのもの。
秀則は隣室へ通されたらしく、襖の向こうで衣擦れの音がした。
誠は靴下だけ脱ぎ、上着を脱ぐ気力もなく、畳に膝をつく。
布団を広げる動作さえ億劫で、用意されていた形を少し崩すだけで横になった。
背中が沈む。
その瞬間──身体の内側で張っていた糸が、ぷつんと切れた。
まぶたが落ちる。
思考が、底へ沈む。
眠る、という意識すら間に合わなかった。
──けれど。
畳の空気が、ほんの一瞬だけ変わった。
ひやりとした気配が、部屋の隅で立ち上がる。
匂いではない。
温度でもない。
“在る”という密度。
誠の意識は薄い膜の向こうに沈みかけていたが、それでも、背筋がわずかに反応した。
軋み。
床板ではない。
布と革の擦れる、乾いた微音。
バーサーカーが実体化していた。
煤けた中世の狩人服。
銀髪が、障子の淡い光を受けて鈍く光る。
血のように赤い瞳が、部屋全体を一度だけ静かに見渡し──誠へ戻る。
口調は丁寧だった。
だが、そこに温度はない。
「マスター」
誠は返事をしようとしたが、声が出ない。
喉も、舌も、眠りに引かれている。
バーサーカーはそれを咎めず、わずかに頭を下げた。
「私は適当に辺りを散策しておきます」
断り。
確認ではない。
「この屋敷の“気配”、特にあの男は気に入りません……油断できるものではない」
その言葉の端は、刃のように静かだった。
誠の視界の端で、障子がわずかに揺れる。
バーサーカーが歩く。
足音は、ほとんどしない。
襖が、す、と開き、そして閉じる。
気配が、廊下へ流れていった。
「……クソガキって言ったの忘れてない、からな」
次の瞬間。
誠は完全に、眠りへ落ちた。
隣室からも、ほどなくして音が消える。
秀則もまた、限界だったのだろう。
西棟二階は、旅館のように整った静けさの中で──四人分の呼吸だけを、薄く抱え込んでいた。
──
──ごう、と。
風の音が、耳の奥に滑り込んできた。
誠は最初、それを夢の続きだと思った。
戦闘の残響みたいに、どこか現実感が薄い。
だが、次の瞬間。
畳の上を撫でる冷気が、頬を打った。
「……っ」
喉が、痛い。
乾いている。
まぶたを持ち上げると、視界が白く滲んだ。
障子の向こうの光が、昼とも夕ともつかない色に変わっている。
夕方。
身体の芯が、重い。
それでも、眠りの底から引き上げられるには十分な違和感があった。
風が、入っている。
誠は、ゆっくりと上体を起こした。
窓。
──開いていた。
いつの間に。
自分が開けた覚えはない。
そもそも、起き上がって窓へ行く気力すらなかったはずだ。
障子ではなく、縁側側の窓が半分ほど開き、外の空気が部屋へ流れ込んでいる。
畳の匂いに混じって、冷えた木と、乾いた庭の匂いがした。
その窓の縁に──
人影が腰掛けていた。
金髪。
夕日の角度で、白金に近い光が髪の端を縁取っている。
赤い瞳。
応接間で一度だけ誠を捉え、すぐに興味を失ったはずのあの目が、
今は、まっすぐこちらを見ていた。
誠の背中に、遅れて冷汗が浮く。
青年は、気怠げだった。
片足を外へ垂らし、もう片方を膝の上に軽く折る。
背中は窓枠に預け、肩は力なく落ちている。
眠そうに見える。
退屈そうにも見える。
それなのに──不遜だった。
「そこに居て当然」とでも言うように、部屋の空気を占有している。
そして。
言いようのない圧が、じわじわと畳を沈めていた。
誠に魔力を感知する技能は無い。
殺気とも違う。
もっと根源的な、こちらの存在を軽くする重さ。
呼吸の仕方まで、相手に合わせさせられるような圧迫。
誠は、喉を鳴らした。
「……お前……」
声が掠れた。
寝起きのそれではない。
身体が本能で、音を絞っている。
青年は、まばたきひとつしない。
ただ、誠を眺める。
まるで、何かの展示を確認するみたいに。
そして、ほんの少しだけ口角を持ち上げた。
笑みではなかった。
軽い嘲りの形を借りた、余裕の表情だ。
「ようやく起きたか。まあよい、戦の後だ」
青年は、窓枠から片足をぶら下げたまま、欠伸を噛み殺すように喉を鳴らした。
「用は一つだ」
気怠げに言い捨てて、赤い瞳だけが鋭くなる。
「灰原一之進の遺作、その進捗を確認しに来た」
誠の呼吸が、一拍遅れる。
「……は?」
言葉の意味が、脳内で形になりきらない。
遺作。
進捗。
確認。
その単語の並びが、誠の中の何かを逆撫でした。
「何の話だよ。俺の──」
「煩い。
青年は声を荒げない。
なのに、その一語で空気が押し潰される。
次の瞬間。
青年は窓枠から、音もなく部屋へ降りた。
畳に足が触れたはずなのに、足音がない。
風だけが一瞬、強く流れた。
誠は布団の上で身構えようとした。
だが身体が追いつかない。
青年は、距離というものを無視して来る。
す、と視界が近づいた。
「……っ」
誠が顔を引いた瞬間には、もう遅い。
冷たい指先が、無遠慮に顎へ触れた。
掴む、というより「固定」する。
骨の角度を決めるみたいに。
「やめ──」
声が出る前に、もう片方の手が頬を押さえた。
指が、頬骨に沿って滑る。
肌に触れられているだけなのに、触感のほうが現実を奪う。
誠は反射的に手を上げる。
青年の手首を掴もうとした。
掴めた──はずだった。
だが、掴んだ感触が、薄い。
硬いのに、熱がない。
人間の筋肉のしなりがない。
誠の指が、握り込む前に力が逃げる。
青年は淡々と言って、誠の顔をさらに近づけた。
そして、指が──瞼にかかる。
「……やめろ!」
誠が叫ぶ。
青年は答えない。
親指と人差し指で、誠の上瞼を摘まむ。
痛みはない。だが、容赦がない。
無理矢理に、瞼を持ち上げた。
「っ──!」
眩しさで視界が裂ける。
涙が反射で滲む。
青年の赤い瞳が、異様な近さで迫る。
誠の瞳孔を覗き込むように、角度を変える。
左右。
上下。
まるで、器の底を確かめるみたいに。
「なんだ、まるで満ちておらんではないか。昨夜はあれほど派手に戦っていたというのに、無駄な事を。もっと効率良く殺し合わんか」
──ぶつり、と。
誠の中で、何かが切れた。
青年の指が瞼を押し上げたまま、赤い瞳がこちらの奥を覗き込んでいる。
その距離の近さよりも、言葉が──刺さった。
無駄。
効率。
もっと殺し合え。
昨夜の火の匂いが、喉の奥から蘇る。
焦げたアスファルト。
割れたガラス。
爆音。
冷たくなった秀則の死体。
誠の手が動いた。
考えるより先に、青年の手首を叩き落とす。
掌の芯が、硬いものに当たる感触がした。
それでも構わない。
「触るな!!」
畳が軋む。
息が荒くなる。
青年の手は、あっさりと離れた。
抵抗ではなく、ただ「観察を終えた」みたいに。
その態度が、さらに腹の底を煮えさせた。
誠は、青年を睨みつける。
視界の端が熱い。
涙ではない。
怒りのせいで、血が頭に上っている。
「昨日は……みんな死にかけたんだよ」
声が、勝手に大きくなる。
抑えようとしても、喉が聞かない。
「俺も、みんなも──ギリギリだった!」
昨夜の光景が、言葉と一緒に溢れてくる。
瓦礫。
血の色。
動かない指先。
誠は、歯を食いしばった。
「実際、紫村は死んだ! 生き返ったけど、本当に死んだんだぞ!?」
一拍。
声が、掠れる。
「関係ない人だって……何人も死んだ」
青年は、まばたきもしない。
ただ、面倒そうに誠を見ている。
その無関心が、誠の胸をさらに焼いた。
「監督官だか何だか知らないけどさ!」
誠は怒鳴りつけた。
「滅茶苦茶言うなよ!」
拳が震える。
怖さも混じっている。
だが、今は引かない。
誠の怒鳴り声が、畳を震わせた。
喉の奥が焼ける。
頭の中に昨夜の火が蘇って、言葉が止まらない。
──止まらない、はずだった。
青年が、ほんのわずかに眉を動かした。
気怠げなまま。
面倒そうなまま。
それでも、赤い瞳の奥だけが、刃物みたいに冷たくなる。
そして、ただ一言。
「黙れ」
声は大きくない。
怒鳴ってすらいない。
なのに。
誠の肺が、ひゅっと縮む。
喉が締まり、次の言葉が噛み砕かれる前に消えた。
舌が動かない。
顎が、ほんの少し震える。
──音が出ないのではない。
出す、という選択肢が、最初から奪われたみたいだった。
誠は歯を食いしばる。
抵抗しようとして、体の内側で力を掻き集める。
だが、青年の圧は、筋力でどうにかなる種類ではない。
青年は、誠の反応を眺めたまま、淡々と言い捨てる。
「雑種が何人、何億人死のうが知れた事か」
言い捨てた直後、青年の関心はもう誠から剥がれていた。
怒りに硬直した誠の表情すら、視界の端の埃みたいに扱う。
「まぁ良い。励めよ、雑種」
青年は踵を返し、窓辺へ歩いた。
歩いた──はずなのに、畳が鳴らない。
空気だけが、背を撫でられたみたいに遅れて揺れる。
夕風が、半開きの窓から一段強く流れ込んだ。
青年は窓枠に手を掛ける。
その動作すら億劫そうで、しかしどこにも隙がない。
外へ身を乗り出す前に、ふと、思い出したように首だけをこちらへ向けた。
赤い瞳が、誠を見た。
見た、というより──値踏みの残り香を投げつけた。
「とはいえ」
気怠げな声。
だが、言葉の刃は鈍っていない。
「死んだのは九割がた狩人か。あの女をバーサーカーに据えたのは英断だったな」
誠の背筋が、遅れて冷えた。
青年は笑わない。
ただ、淡々と続ける。
「良く振り撒かれておる」
何を。
どこに。
誰が。
問いが喉まで上がるのに、声は形にならないままだった。
青年はそれを待たない。
窓枠に腰を預けるように、軽く身を浮かせ──
次の瞬間には、外へいた。
庭へ降りた音もない。
枝を踏む気配もない。
風だけが、ふっと途切れ、窓の外の夕焼けが薄く揺れた。
誠は窓を睨んだまま、しばらく動けなかった。
畳に残った圧だけが、遅れてほどけていく。
開いた窓から、冷たい空気が入り続ける。
──まるで、さっきまでそこに居たものが、最初から居なかったみたいに。