Fate/You Died.   作:助兵衛

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第36話 覚悟の話

 窓が、開け放たれたままだった。

 

 夕方の風が畳を撫で、布団の端をわずかに持ち上げる。

 障子越しの光は斜めに伸びて、部屋の角を淡く削っていた。

 

 誠は、その窓を見ているしかできなかった。

 

 さっきまで、そこに居た。

 圧があった。

 赤い目が、こちらの奥を測っていた。

 

 なのに今は──

 

 風。

 庭の乾いた匂い。

 鳥の声の遠さ。

 

 “最初から誰もいなかった”みたいな空気だけが残っている。

 

 喉が、まだ固い。

 息を吸うと胸が痛む。

 怒鳴ったはずの口の中が、乾いてざらついている。

 

 誠は拳を握った。

 爪が掌に食い込む。

 

 動けない。

 追いかける、という発想すら遅れてくる。

 追いかけたところで──追いつける相手ではない、と身体の奥が先に理解してしまっている。

 

 夕風が、もう一度強く吹いた。

 

 その瞬間、誠の背中を冷たいものが撫でる。

 

 “良く振り撒かれておる”

 

 言葉が、耳の奥に残って離れない。

 

 振り撒く。

 狩人。

 バーサーカー。

 

 意味が繋がりそうになると、胃がねじれる。

 分からないままのほうが楽なのに、分からないせいで怖い。

 

 誠は唇を噛んだ。

 血の味が、わずかにした。

 

 ──がらり。

 

 襖が、勢いよく開いた。

 

 畳に落ちた影が、鋭く伸びる。

 

「灰原君!」

 

 理央だった。

 

 血相を変えて飛び込んできた。

 髪が少し乱れている。

 呼吸が浅い。

 

 普段なら整っているはずの所作が、今は崩れていた。

 

「今の……怒鳴り声、何が──」

 

 言いかけて、理央は言葉を切った。

 

 開け放たれた窓、壁越しに聞こえてきた怒声──

 

 

 理央は、靴下のまま畳を踏み、慎重に距離を詰める。

 

「まさか……襲撃が?」

 

 声を落とした問いだった。

 監督官の領域で“それ”が起きた可能性を、理央は一瞬で計算している。

 

 誠は、ゆっくり首を横に振った。

 

「襲撃、って訳じゃないと思う。少なくとも……殺しに来た感じじゃなかった」

 

 理央の眉が、わずかに寄る。

 

「じゃあ、何があったと言うの?」

 

 誠は一拍置いた。

 言葉を選んでいるのではない。

 出来事を、頭の中で“整理し直している”。

 

「……分からない。意味が分からない事を言っていた」

 

 理央の足が止まる。

 

「怪我は?」

 

 即座に、実務の声になる。

 

 誠の手首。

 顎。

 瞼。

 

 触れられた場所を、理央の視線が正確になぞる。

 

「増えてない?」

 

 誠は、自分の身体に意識を向ける。

 痛み。

 違和感。

 血の匂い。

 

「……ない」

 

 短く答えたあと、少し考えて付け足す。

 

「触られはしたけど、傷にはなってない」

 

 理央の口元が、ほんのわずかに引き結ばれた。

 怒りではない。

 不快感と警戒が、きっちり整理された表情だ。

 

「来たのは、何者だったか分かる? 特徴とか……」

 

 問いは短い。

 

 誠は、窓から視線を外し、理央を見る。

 

「黒野も知ってる奴だよ。今朝会った金髪のサーヴァント……っぽい人。あいつ、意味わからない事ばっかり言いやがって」

 

 理央は、誠の言葉を遮らなかった。

 

 ただ、ほんの一歩だけ近づき、声の調子を落とす。

 

「……何を言われたの?」

 

 問いは短い。

 しかし、曖昧な説明を許さない種類の静けさを帯びていた。

 

 誠は一度、息を吸う。

 喉の奥に引っかかっていた違和感を、無理やり言葉に押し出す。

 

「俺が……灰原一之進の遺作がどうとか……」

 

 言った瞬間だった。

 

 理央の動きが、ぴたりと止まる。

 

 瞬きもせず、誠を見る。

 その目は、さっきまでの警戒や焦燥とは違う。

 ──記憶を、引き当てた目だった。

 

「……続けて」

 

 低い声。

 

 誠は、理央の反応に気づき、眉を寄せる。

 

「進捗を確認しに来た、とか言ってた。意味分からないだろ? 俺も何の話か分かんなくて……」

 

 そこで、誠は言葉を切る。

 

 理央が、ゆっくりと息を吐いたからだ。

 

 そして、視線を伏せる。

 畳の目を見つめるように。

 

「……そう」

 

 短い一言。

 だが、その中に、納得と覚悟が混じっていた。

 

 理央は顔を上げる。

 

「ちょうど良い、わね」

 

 その声音は、はっきりしていた。

 逃げも、濁しもない。

 

「約束通り全部話すわ」

 

 誠が息を詰める。

 

「今、ここで?」

 

「ええ」

 

 理央は頷く。

 

 そして、部屋の外へ視線を向けた。

 

「皆も呼びましょう。特に紫村君なんて、灰原君以上に何も知らないから」

 

 その言葉に、答えるように──

 

 廊下の向こうで、足音が重なった。

 

「……灰原氏?」

 

 襖の外から、秀則の声。

 

 続いて、少し遅れて、もう一人。

 

「今の声、大丈夫? あ、黒野さんも居たんだ。喧嘩でもした?」

 

 沙月だった。

 

 襖が控えめに開き、二人の顔が覗く。

 どちらも、寝起きのまま駆けてきたのが分かる。

 秀則は羽織を片手に持ち、沙月は髪をまとめる時間すらなかったらしい。

 

 理央は二人を見て、短く頷いた。

 

「ちょうど良い。二人とも、入って」

 

 声は穏やかだが、有無を言わせない。

 

 秀則と沙月は顔を見合わせ、一瞬だけ逡巡してから部屋に入る。

 

「何があったのですかな」

 

 秀則が、低く問う。

 

 理央は答えない。

 代わりに、襖を閉める。

 

 す、と。

 音もなく。

 

 四人だけの空間になる。

 

 理央は、誠の正面に立ったまま、全員を見渡した。

 

「今から話すことは」

 

 一拍。

 

「聖杯戦争のこと。灰原君のお祖父様、灰原一之進のこと。そして──」

 

 視線が、誠に戻る。

 

「灰原君、あなた自身のこと」

 

 理央は、すぐには語り出さなかった。

 

 代わりに、視線を一度だけ床へ落とし、順序を整えるように指を組む。

 

「その前に……前提を確認させて」

 

 声音は落ち着いている。

 だが、“知っているかどうか”を測る種類の静けさがあった。

 

 理央は、誠を正面に据えたまま、他の二人にも視線を配る。

 

「まず一つ目」

 

 一拍。

 

「灰原家は、かつてこの一帯を治めていた魔術の名家だった」

 

 誠の喉が、わずかに鳴る。

 

「土地の管理、霊脈の調整、結界の維持。いわば“町そのもの”を魔術的に支えていた家」

 

 理央は淡々と続ける。

 

「でも──」

 

 言葉が、少しだけ重くなる。

 

「灰原君のお祖父様、灰原一之進が行った大規模実験が失敗した」

 

 秀則が、静かに目を伏せた。

 

「霊脈は汚染され、回復に長い年月を要する状態になった。被害は局地的ではあったけれど……影響は無視できなかった」

 

 理央は、事実だけを並べる。

 

「結果として、灰原家はその責任を追及され、当主権と管理権を剥奪。実験の被害で当主灰原一乃進と、息子夫婦の両名が死亡した事もあり魔術師としては没落」

 

 誠は、何も言わない。

 かつて理央から聞かされた話から、内容は変わっていない。

 

「──ここまで、知っているわよね。あっ、紫村君、そういう事なの……ごめんなさい。また、詳しく個別に説明するわね」

 

 誠は、短く頷いた。

 秀則は何とか理解しようとしかめ面のまま、頷いた。

 

 理央はそれを確認してから、二つ目に移る。

 

「次」

 

 今度は、少しだけ言い方を変えた。

 

「黒野家と藍沢家は、元々は灰原家に付き従う立場だった」

 

 沙月が、わずかに目を細める。

 

「実務、監督、対外折衝。灰原家が“中枢”なら、黒野家は“手足”に近い役割だった。灰原家が没落した後──空白になった管理権を引き継いだのが黒野家」

 

 淡々と、しかし逃げない。

 

「町を治める立場に成り変わり、代わりに地位を築いた」

 

 秀則が、小さく息を吐いた。

 

「……つまり、今の秩序はそうやって出来た、と」

 

「そうよ」

 

 理央は即答した。

 

 

 部屋に、短い沈黙が落ちる。

 

 その沈黙を破ったのは、沙月だった。

 

「一応、補足していい?」

 

 理央が視線を向ける。

 

「どうぞ」

 

 沙月は、肩をすくめるように言った。

 

「私の藍沢家は、そういう“地位”にはあんまり固執しなかったから」

 

 誠と秀則が、沙月を見る。

 

「魔術の継承自体は続けたけど、管理だの支配だのは興味なかった。だから今は……まあ、一般家庭と大して変わらない生活」

 

 軽い口調だが、嘘はない。

 

「昔の付き合いが完全に切れたわけでもないけど、表に出る理由もなかった、ってだけ」

 

 理央は、静かに頷いた。

 

「ありがとう。重要な補足だわ」

 

 そして、改めて三人を見渡す。

 

「──ここまでが前提」

 

 

 静かな声だった。

 だが、部屋の空気がはっきり変わる。

 

「今行われている“聖杯戦争”は」

 

 一拍。

 

「ここ数週間や、数ヶ月で始まったものじゃない」

 

 誠の眉が、わずかに動く。

 

 秀則が、反射的に問いかけた。

 

「……どういう、意味ですかな」

 

 理央は、視線を逸らさない。

 

「言葉通りよ」

 

 淡々と、事実を並べる口調。

 

「この聖杯戦争は──灰原一之進が行った、あの“大規模実験”を起点として、ずっと続いている」

 

 畳の上に、沈黙が落ちる。

 

 誠は、息を吸った。

 胸の奥で、何かが静かに軋む。

 

「……失敗、したんじゃなかったのか」

 

 理央は、すぐには否定しなかった。

 

 

「失敗した」

 

 はっきりと認める。

 

「少なくとも、“本来目指していたもの”は、完成しなかった」

 

 誠の視線が、自然と床へ落ちる。

 

 ──聖杯。

 ──万能の願望機。

 

 理央は、言葉を選ぶように続けた。

 

「聖杯を生み出す実験は、確かに失敗したわ。完全な形の“願いを叶える器”は、あの時点では作れなかった」

 

 秀則が、低く唸る。

 

「では……何が、残ったのですかな」

 

 理央は、そこで初めて少しだけ表情を変えた。

 

 苦い、とも違う。

 覚悟を決めた顔だった。

 

「──“一部”よ」

 

 短く。

 

「万能の願望機としての機能、その“断片”。願いを直接叶えるほどの完成度はない。でも」

 

 指先を、畳に軽く触れさせる。

 

「人の欲望を集めること、魔力を循環させること、そして──犠牲を“燃料”として変換することは出来る」

 

 沙月が、思わず息を詰めた。

 

「それって……」

 

「そう」

 

 理央は、沙月の言葉を待たずに続ける。

 

「サーヴァント召喚、霊基の固定、戦闘による魔力回収。聖杯戦争の“システム”として機能する部分だけは、成立してしまった」

 

 誠の脳裏に、昨夜の光景がよぎる。

 

 血。

 爆音。

 振り撒かれた“何か”。

 

 理央は、そこで一度だけ言葉を切った。

 

 四人の間に落ちた沈黙が、畳の目を伝って広がる。

 

 夕風が、開け放たれた窓を鳴らした。

 障子が、ごく小さく震える。

 

 理央は唇を結び直し、続ける。

 

「……そして、もう一つ」

 

 視線が、誠ではなく──部屋そのものを測るように動く。

 

「今回、私が一番引っかかってるのは“英霊召喚”よ」

 

 沙月が、眉を上げた。

 

「召喚の何が?」

 

「本来、聖杯戦争の召喚は──正史に刻まれた英霊を呼ぶ」

 

 理央は、当たり前のことを確認するように言う。

 

「英雄譚。史実。神話。伝承。人の歴史に“確かに残っている”存在を、呼び出して使役する」

 

 秀則が、ゆっくり頷く。

 

「……ところが、ですな」

 

 理央は頷き返す。

 

「ところが、今回呼ばれているのは、それと明らかに違う」

 

 獣と呼ばれる異形を刈り続けた狩人。

 世界そのものとも言える火を内包する騎士。

 世界を焼き溶かさんとする、狂った男。

 

「多分、聖杯が不完全なせいで正史ではなく異聞帯の英雄が召喚されてしまった」

 

 

 誠は、遅れて口を開いた。

 

「……じゃあ、俺たちのサーヴァントって」

 

 言いかけて、言葉が細る。

 

「本来、ここに来るはずじゃない誰か、ってことか」

 

「そう」

 

 理央は、短く肯定した。

 

 理央の短い肯定が、畳に落ちた。

 

 誠は、その一音のあとで妙に冷静になった。

 頭の中の霧が、言葉の輪郭だけ先に固まっていく。

 

 偶然。

 失敗。

 歪み。

 

 そういう便利な単語で片づけたくなるのに──昨夜の惨状と、あの金髪の赤い目が、それを許さない。

 

 誠は、窓の方へ一瞬だけ視線を投げた。

 開け放たれたままの闇。

 そこから入ってきた風の感触が、まだ皮膚に残っている。

 

「……でもさ」

 

 自分の声が、思ったより落ち着いていた。

 

「“不完全だから仕方ない”って話じゃない気がする」

 

 沙月が、眉をひそめる。

 

「どういうこと?」

 

 誠は言葉を選んだ。

 選んでいるのに、選ぶほど余計に確信が増えていくのが怖い。

 

「不完全なら、召喚がブレるのは分かる。適当に引っかかったのを引っ張ってきた、って」

 

 一拍。

 

「でも、ここまで“揃いすぎ”だろ」

 

 秀則が、静かに息を吐いた。

 

「……揃う、とは」

 

 誠は、理央を見る。

 理央の瞳は、促している。止めない。

 

 誠は続けた。

 

「不死者ばっかりだ」

 

 口に出した瞬間、部屋の空気がさらに冷えた。

 

「バーサーカーは何回も死んでる、セイバーとアサシンもそんな感じなんだろ? サーヴァントどころか紫村も、俺も、死んだのに生き返った」

 

「それは……」

 

「不完全で効率が悪い。七騎分じゃ足りない。だから何度も回収する必要があるんじゃないか」

 

 理央が、微かに目を細めた。

 誠の推論が、理央の説明と噛み合っていくのを見ている。

 

 誠は、拳を膝の上で握り直す。

 

「だったらさ……“死なない材料”を選ぶのが一番手っ取り早い」

 

 秀則の喉が鳴った。

 

「……選ぶ?」

 

 誠は、頷いてしまう。

 

「“なってしまった”じゃない」

 

 言葉が、喉の奥から押し出される。

 自分で言いながら、胃の底が冷える。

 

「歪なのを、逆に利用してる」

 

 誠は目を上げた。

 理央と視線が交わる。

 

「不完全で、正史の英霊を安定して呼べない。だったら──」

 

 息を吸う。

 

「異聞帯から、不死の者を呼び込んだんじゃないか」

 

 沙月が、声にならない息を漏らした。

 

「……わざと、ってこと?」

 

「わざとだろ、多分」

 

 誠は、即答してしまった。

 即答できてしまうのが、いちばん嫌だった。

 

「不完全な聖杯を満たすために、“死んでも戻るやつ”を最初から揃える。そうすれば戦争は終わらない。終わらなければ回収が続く。回収が続けば……いつか満ちる」

 

 理央が、ゆっくりと息を吐く。

 

「……その発想は、危険だけど」

 

 否定ではなかった。

 

「筋は通ってる」

 

 誠は、唇の端を引きつらせた。

 

「だって、あいつも言ってたんだ。進捗を確認しに来た、って」

 

 誠は、そこで一度だけ視線を落とした。

 

 畳の目。

 自分の拳の形。

 指先の白さ。

 

 怒りが引いたあとに残るのは、妙な虚しさだった。

 

「……もし、今の推察が当たってるならさ」

 

 声は荒れていない。

 だから余計に、言葉の棘がはっきりする。

 

「無限の殺し合いとか、馬鹿馬鹿しい」

 

 沙月が、息を止めた。

 秀則は口を開きかけて、閉じる。

 

 理央は、黙って誠を見ている。

 止めもしない。否定もしない。

 

 誠は続けた。

 

「死んでも戻る。戻ったらまた殺せ。回収が足りるまで繰り返せ」

 

 喉の奥が苦くなる。

 

「そんなの、戦争じゃない。作業だろ」

 

 窓の外で、枝が擦れた。

 さっきまでそこにいた“監督官のサーヴァント”の気配は、もうどこにもない。

 

 誠は、そこでようやく息を吐いた。

 

「……だったらさ。逆に、やれることは一つしかない」

 

 理央の眉が、微かに動いた。

 

「灰原君?」

 

「聖杯戦争を、立ち行かなくすればいい」

 

 言い切ると、部屋の空気が一段硬くなった。

 

 沙月が、素直な驚きで口を開く。

 

「どうやって? 相手は監督官だよ?」

 

「分かってる」

 

 誠は頷く。恐怖がないわけじゃない。

 ただ、怖いまま放っておくほうが、もっと嫌だった。

 

「キャスターみたいに狂ってる奴が敵なら、話は通じない。ああいうのは、どうしようもない」

 

 昨夜の、焼ける匂いが蘇る。

 理屈より先に、体が拒絶する類の存在。

 

「でも、残りの二人に話が通じるなら」

 

 誠は、理央と沙月、秀則を順に見る。

 

「結託できる。全員で、壊す方向に動ける」

 

 秀則が、低く唸る。

 

「……“全員”とは、マスターも含めて、ですかな」

 

「当然」

 

 誠は即答した。

 

「勝って願いを叶えるとか、どうでもいい。そもそも、その“願い”が燃料として搾り取られるための餌なら」

 

 言葉が、少しだけ震えた。

 怒りじゃない。悔しさだ。

 

「俺たちが戦い続ける限り、向こうの思う壺だ」

 

 理央が、静かに口を開いた。

 

「……まだ会ってない2人のマスターとも協定を結んで、戦闘を避ける。魔力回収を止める。システムを空回りさせる」

 

 誠は頷く。

 

「そう。殺し合いを“しない”って選択肢を、こっちが本気で取る」

 

 沙月が、唇を尖らせるように言った。

 

「でも、向こうが強制してきたら? 」

 

「だから、そこも含めて“立ち行かなくする”」

 

 窓の外の風は、さっきよりも少し穏やかで、部屋の空気に一瞬だけ余白が生まれる。

 

 いまなら、変えられるかもしれない。

 

 そんな錯覚が、四人の間に差し込んだ──そのとき。

 

「……ねえ」

 

 沙月の声が、冷たく切り込んだ。

 

 誠が顔を上げるより先に、沙月は続ける。

 息を吸って吐く、その間に怒りが整えられていくのが分かる。

 

「監督官のサーヴァントを見た後で、よくそんな悠長なこと言えるね」

 

 部屋の温度が、目に見えないまま下がった。

 

 理央が、わずかに眉を動かす。

 

「藍沢先輩……」

 

「だって、そうでしょ?」

 

 言葉が、短く刻まれる。

 

「ここ、“監督官の領域”だよ。あいつが出入りして、好き勝手に覗いて、好き勝手に言い捨てて消える場所」

 

 沙月は、開け放たれた窓を一度だけ見た。

 そこに残る風の感触を、怒りで踏み潰すみたいに。

 

「この小休止だって、どうせ何かしら悪巧みのための拘束に決まってるよ」

 

 秀則が、喉を鳴らした。

 

「……拘束、とな」

 

「そう。優しくして、整えて、気を緩ませて」

 

 沙月の声が、少しだけ震える。

 だが、引かない。

 

「その間に準備するんだよ。次に“回収”しやすい状況をね」

 

 理央が口を開こうとして、閉じた。

 否定できない、という沈黙だった。

 

 誠は、唇を結び直す。

 沙月の言い方が刺さるのではない。

 刺さるだけの現実味が、そこにある。

 

 沙月は、畳に置いた手をぎゅっと握り、言い切った。

 

「それより、手っ取り早い手段があるよ」

 

 空気が、ぴんと張る。

 

 

 誠は眉を寄せたまま、沙月を見る。

 

「……手っ取り早い?」

 

 沙月は、短く笑った。

 笑いというより、歯を噛みしめた音に近い。

 

「何の為に」

 

 一拍。

 

「真っ先に灰原君を殺そうとしたと思ってるの」

 

 言葉が落ちた瞬間、理央の指がぴくりと動く。

 その反応が、答えだった。

 

 秀則が、息を呑む。

 

「……藍沢女史、今、何と──」

 

「間違ってないよ」

 

 沙月は淡々と言った。

 視線は誠に向けたまま、しかし理央の存在を刺すように言葉を選ぶ。

 

「黒野さん、さっきから“前提”と“推察”ばっかり。確かに筋は通ってる。でも──」

 

 沙月の目が細くなる。

 

「不確定とはいえ、重要なことをまだ言ってない」

 

 理央が、唇を噛んだ。

 

「藍沢先輩、それは……」

 

「君は言えないんでしょ? 言うと、空気が変わるから」

 

 沙月は一歩だけ前に出る。

 畳が鳴らないのが、逆に怖かった。

 

「みんなが“協定”とか“結託”とか、まだマシな話に逃げられなくなるから」

 

 誠の背中に、冷たい汗が浮いた。

 沙月が何を言おうとしているのか──言葉になる前に、喉が固くなる。

 

 沙月は息を吸って、言い切った。

 

「その不完全な聖杯──“器”そのものは」

 

 一拍。

 

「灰原誠だよ」

 

 沙月は、誠の胸元──心臓の位置を見る。

 

「君の同意をとって、あるいは抵抗の意思が無くなるまで拷問してから、間断なくアサシンの『不死殺し』で殺し続ける。そうすれば死ぬかもしれない、死なないかもね? でも、死ねば解決する」

 

 沙月の最後の言葉が、畳に落ちたまま動かなかった。

 

 誠は、瞬きの仕方を忘れた。

 胸の奥が、ひどく静かだった。

 音が引いていく。風の擦れる音さえ、遠い。

 

「……は?」

 

 喉から出た声は、自分のものに聞こえなかった。

 

 沙月は、目を逸らさない。

 逸らさないまま、言い直すでもなく続けた。

 

「対キャスターで一時共闘はした。民間人に無駄な被害を出さない為、必要だったからやった」

 

 淡々とした口調が、逆に刃物みたいに冷える。

 

「でも、私の目的は最初から一つだけ。灰原君と同じ、聖杯戦争の終結」

 

 理央の肩が、わずかに揺れた。

 止めたいのに、止める言葉が出てこない、そんな揺れだった。

 

 沙月はそれを見て、鼻で息を吐いた。

 

「黒野さんは日和った」

 

 言葉が、真っすぐ理央に刺さる。

 

「灰原君に嫌われたくなくて。人間関係とか、信頼とか、そういう“まともなもの”を守りたくて、決定的なことを言わなかった」

 

「……藍沢先輩」

 

 理央の声は低い。

 怒りではない。必死に崩れないようにしている声だった。

 

 沙月は、理央の言い訳を待たない。

 

「でも私は、貫ける」

 

 一拍。

 

「そのためなら、何でもする」

 

 誠は、遅れて息を吸った。

 喉が痛い。乾いているのに、冷たい。

 

「……何でも、って」

 

 沙月は、視線を誠から外さずに言う。

 

「“全部終わる”なら、私が悪者になってもいい」

 

 秀則が、奥歯を噛んだ音がした。

 反射的に立ち上がりかけて、膝が畳に引っかかる。

 

「藍沢女史……っ」

 

 その声は制止だった。

 だが沙月は、聞いていない。

 

「それに」

 

 沙月は、ほんの少しだけ口元を歪める。

 

「全部終わったら、私自身も終わらせるつもり。後輩を殺しておいて、のうのうと生き長らえるつもりはない」

 

 空気が、ひとつ、固い塊になった。

 

 理央が、一歩だけ踏み出しかけて止まる。

 誠の視界の端で、その指先が震えた。

 

「……先輩、それ以上は」

 

 理央の声が、かすれる。

 

 沙月は肩をすくめた。

 

「協定の話に戻るけど、私はやめておくよ」

 

「灰原君、君を殺せれば全て終わる……かもしれない。覚えておいて、私が君の命を狙ってる事を」

 

 

 

 

 

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