Fate/You Died.   作:助兵衛

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第50話 完全なる王

 灰が降る。

 枯れ葉と灰が降り積もる地面に、紗月は押し付けられていた。

 

「動かないでくださいね、形勢逆転ですよ」

 

 紗月の肩甲骨が沈み、肺が押し潰される。

 上にいる誠の体温は高い。さっきまで血を失っていたはずの人間の熱ではない。

 

「……女の子の扱いは教わらなかったみたいだね」

 

 紗月が低く言った。

 

 言いながら、呼吸を整える。

 藍沢の血に刻まれた魔術を、最短で組み上げる。

 

 身体強化。

 瞬間出力。

 筋繊維に魔力を流し込み、骨格の支点を固定する。

 

 誠の体重程度なら、これで十分だ。

 重心を崩して──投げる。

 そういう術だ。

 

 紗月の背中、皮膚の下で魔術回路が発熱した。

 指先が冷え、視界が僅かに澄む。

 

 次の瞬間。

 

 ──バン。

 

 地面が鳴った。

 

 紗月は両腕を跳ね上げ、誠の胸を押し返す。

 関節が一気に伸び、脚力が土を抉る。

 

 通常なら、これで相手は浮く。

 胸郭が持ち上がり、重心が後ろへ流れ、身体が転がる。

 

 だが。

 

 誠は、動かなかった。

 

 押し返されるどころか、重みが“増した”ように感じる。

 紗月の術圧が、獣の肩に食い込み──それでも沈まない。

 

「……」

 

 紗月の喉から、短い声が漏れた。

 

 誠の両腕が、紗月の手首を地面へ縫い付けている。

 指の力が異常だ。骨を掴む握力。

 爪が皮膚に食い込み、痛みが走る。

 

 誠の顔が近い。

 

 目の奥が、熱で濁っている。

 焦点が合っていないのに、獲物だけを捉えている。

 人の視線ではない。

 

「……っ、灰原君!」

 

 名前で呼ぶ。

 先輩としての声。

 だが、反応は薄い。

 

 誠は、低い唸りのような息を吐いた。

 その息が、甘く鉄臭い。血の匂いだ。

 

 紗月は、歯を噛みしめる。

 

 もう一度。

 

 肘を支点に、肩甲骨を開き、瞬間的に全身を反転させる。

 

 押してくる力を、逆に捻って落とす。

 

 成人男性なら──簡単だ。

 

 紗月の腰が浮き、脚が跳ねる。

 身体が半回転し、誠の重心を“引き剥がす”動き。

 

 ──外れる。

 

 外れるはずだった。

 

 誠の腕が、紗月の動きに合わせて“ついてくる”。

 

 いや、ついてくるだけじゃない。

 

 獣が、獲物にしがみつくように。

 誠は紗月の腹の上で体勢を変え、重心を落とし、さらに低く抑え込んだ。

 

 地面が軋む。

 

 紗月の背骨に、鈍い圧がかかる。

 息が、喉で折れる。

 

「……何、それ……!」

 

 紗月が言った。

 怒りではない。

 理解できないものを前にした、短い恐怖だ。

 

 誠の力は、筋肉だけではない。

 

 関節の強度。

 筋繊維の密度。

 出力に対して壊れない、異常な整合。

 

 ──紗月のように魔術で強化している訳でもない肉体では、説明のつかない出力。

 

 紗月の視線が、誠の口元へ落ちる。

 

 唇の端に、赤い線。

 自分の血だ。

 

 それが、誠の喉へ飲み込まれた瞬間、あの左腕が戻った。

 

 紗月の胸が、冷たくなる。

 

「……バーサーカーの力、か」

 

 呟きが漏れる。

 確信ではない。

 だが、仮説としては最悪の答えだった。

 

 紗月は、手首を捻ろうとする。

 だが誠の指が、さらに締まる。

 

 骨が軋む音が、耳の奥で鳴った。

 

「っ……!」

 

 痛みで視界が白くなる。

 

 紗月は、痛みに歯を食いしばりながらも、視線を逸らさなかった。

 誠の顔を、真正面から捉える。

 

 近い。

 近すぎる距離で、彼の異変がはっきりと見える。

 

 瞳孔の開き。

 呼吸の間隔。

 力の入れ方──無駄がなく、獣的で、それでいて“借り物”の癖が混じっている。

 

「……灰原君」

 

 声を、あえて低く落とす。

 叱るでもなく、責めるでもなく──警告として。

 

「節操がないにもほどがあるよ」

 

 誠の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。

 完全な停止ではない。

 だが、押さえ込む力の“質”が変わる。

 

 紗月は、その隙を逃さない。

 

「セイバー、キャスター、そしてバーサーカー」

 

 一つずつ、言葉を積み上げる。

 

「この聖杯戦争で、君が接触したサーヴァント由来の力。異世界の歪な要素を──節操なく、取り込んでる」

 

 紗月の声が、鋭さを帯びる。

 

「そんな使い方、長く保つわけがない」

 

 押さえ込まれたまま、それでも言い切る。

 

「君のそれは──混線だよ。世界観も、肉体のルールも違う力を、無理やり一つの器に詰め込んでる。君の身に宿る聖杯を導管としているんだろうけれど、あまりに無茶だ」

 

 誠の喉から、低い息が漏れた。

 笑っているのか、唸っているのか、判別がつかない。

 

「……大丈夫です」

 

 誠が言った。

 即答だった。

 

「ちゃんと制御できてます。見ての通り、問題ない」

 

 力が、さらに強まる。

 紗月の手首が、地面に押し付けられる。

 

「馬鹿言わないで……」

 

 紗月は、思わず息を吐いた。

 苛立ちよりも、呆れに近い。

 

「……ああ、なるほど」

 

 短く、乾いた音。

 嘲りというより、見切りに近い笑いだった。

 

「自分が“扱っている”つもりになってるんだ」

 

 誠の上から向けられる圧を受けたまま、それでも視線は揺れない。

 むしろ、その目には冷静さが戻っていた。

 

「ねえ、灰原君」

 

 紗月は、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「君、自分がどれだけ未熟か分かってる?」

 

 返事を待たず、続けた。

 

「魔術師としても。器としても。ましてや──英雄たちと比べるなんて、笑えない」

 

 誠の眉が、わずかに動く。

 

「英霊はね」

 

 紗月の声が、低くなる。

 

「信仰も、憎悪も、願いも、破滅も──全部を背負って、それでもなお立ち続けた者たちだ。異聞帯とはいえ、そこは変わらない」

 

 押さえつけられたまま、胸の奥で魔力を回す。

 指先ではなく、服の内側。

 

「それを、ただ力として取り込んで……制御できてる、なんて?」

 

 紗月は、はっきりと言った。

 

「傲慢だよ。滑稽なくらいに」

 

 その瞬間。

 

 ──パチリ。

 

 乾いた音が、誠のすぐ耳元で弾けた。

 

 次の瞬間、衝撃波が炸裂する。

 

 紗月の胸元、服の内側に仕込まれていた複数の護符が、同時に発光した。

 破魔でも防御でもない。

 純粋な反発衝撃だけを叩き込む、対人用の粗暴な術式。

 

「──っ!?」

 

 誠の身体が、強制的に浮かされた。

 

 獣のような力で押さえ込んでいた重心が、一瞬で破壊される。

 視界が回転し、衝撃と共に背中から地面へ叩きつけられた。

 

 ──ドンッ!! 

 

 枯れ葉が舞い上がり、灰と土が夜気に散る。

 

 紗月は、その反動を利用して身体を転がし、距離を取った。

 すぐに立ち上がる。

 

 焼け焦げた服。

 護符の残骸が、はらりと落ちる。

 

 彼女は、それを気にも留めず、手で顔の前の灰を払った。

 

「……ふう」

 

 一息。

 

 そして、誠を見下ろす。

 

 視線は冷たい。

 だが、そこにあるのは恐怖でも怒りでもない。

 

 格付けだ。

 

「いい? 灰原君」

 

 紗月は言い放つ。

 

「私は君を“力があるから怖い”なんて思ってない」

 

 一歩、踏み出す。

 

「力を借りて、暴れてるだけの素人ほど、扱いやすいものはない」

 

 誠の前に立ち、はっきりと告げる。

 

「──今から、見せてあげる」

 

 紗月の肉体が再度、魔術によって強化されていく。

 即興ではない。

 長年、血と経験で磨き上げた体系化された魔術。

 

「魔術師としての“格”の違いを」

 

 誠は、ゆっくりと立ち上がった。

 

 その足元で、灰が渦を巻く。

 胸の奥から溢れ出すように、黄色の狂い火が身体に絡みついた。

 

 皮膚の表面をなぞるのではない。

 骨の内側、神経の裏側から──世界の縫い目を焦がす火が滲み出る。

 

「……上等だ」

 

 誠の声は低く、掠れていた。

 

「何度でも叩き潰してやりますよ」

 

 次の瞬間。

 大気が、歪んだ。

 

 狂い火が爆ぜる。

 熱ではない。圧でもない。

 現実の解釈そのものが、乱暴に捻じ曲げられる感覚。

 

 誠の足元から、地面が溶けるように崩れた。

 

 だが──

 

 紗月は、もうそこにいなかった。

 

 踏み込み。

 

 狂い火が膨張する、その半拍前。

 紗月は、地を擦るように距離を詰めていた。

 

 古武術の歩法。

 重心を落とし、上体を沈め、力を地面へ逃がす。

 

 同時に、身体強化の魔術。

 

「……っ!」

 

 誠が気づいた時には、もう遅い。

 

 ──一打目。

 

 紗月の掌底が、誠の鳩尾へ叩き込まれる。

 魔術で瞬間的に硬化された掌が、内臓を揺さぶる。

 

 息が、喉から抜けた。

 

 ──二打目。

 

 肘。

 鎖骨の下、神経の集束点。

 

 視界が白く弾ける。

 

 ──三打目。

 

 膝。

 腿の内側、踏み込みを殺す一点。

 

 誠の身体が、半歩遅れる。

 

「文系部での日々が懐かしいよね。私の事、文学少女だって思ってたかな」

 

 紗月の声は、冷静だった。

 

 殴り合いではない。

 力比べでもない。

 

 狩りだ。

 

 誠は、反射で距離を取ろうと跳ねた。

 

 ──その腕が、木を突く。

 

 次の瞬間。

 

 ドンッ!! 

 

 突いた木が、内側から炸裂した。

 符が刻まれていた。樹皮の下、幹の芯。

 

 クレイモアのように、前方だけを薙ぎ払う指向性爆破。

 

「──っ!!」

 

 誠は吹き飛ばされ、着地する──はずだった。

 

 だが。

 

 地面が、沈んだ。

 

 踏み込んだ瞬間、土が抜け落ちる。

 魔術で脆弱化された地層が、一気に陥没した。

 

 膝まで、腰まで、誠の身体が沈む。

 

 足が、抜けない。

 

 狂い火が揺れる。

 だが、燃やす対象がない。

 

 紗月は、少し離れた位置で立ち止まり、静かに構えを解いた。

 

「ここ一帯」

 

 淡々と告げる。

 

「君が目を覚ます前から、色々仕込ませてもらったよ」

 

 倒木。

 地面。

 岩陰。

 木々の配置。

 

 誠の視線が、初めて揺れた。

 

 狂い火が、焦燥を孕んで跳ねる。

 

 紗月は、その様子を見て、わずかに眉を寄せた。

 

「力はある。確かにね」

 

 だが、と続ける。

 

「使い方が、全部雑」

 

 次の瞬間。

 再び、距離が詰まる。

 

 拳。

 肘。

 踵。

 

 魔術で補助された古武術が、急所だけを正確に穿つ。

 

 誠の身体が、陥没した地面の中で揺れ、崩れ、立て直せない。

 

 黄色い揺らめきが紗月の肩口を撫で、空気の輪郭をひしゃげさせる。

 だが、その火は──もう「攻撃」にならなかった。

 

 紗月の打撃が、呼吸の継ぎ目を正確に断っていく。

 鳩尾。肋間。顎の付け根。

 どれも致命ではない。だが、立ち上がるための機能だけを奪う。

 

 誠の視界で、月光が二重に揺れた。

 森の輪郭が、遠のく。

 

「……っ」

 

 声にならない息が漏れる。

 膝が、陥没した土の縁を滑った。

 

 倒れる、というより。

 身体の中から力が抜け落ち、世界がそのまま暗転した。

 

 ──意識が、途切れる。

 

 紗月は、数秒だけ動かなかった。

 

 倒れた誠の胸が上下している。

 呼吸は浅いが、途切れていない。

 

 狂い火の気配も、ない。

 熱が引いた後の空気だけが、ざらついて残っている。

 

「……よし」

 

 呟きは小さく、森に吸われた。

 

 紗月は近づき、陥没した地面の縁に膝をつく。

 土は柔らかい。罠として組んだ“落とし”が、まだ形を保っている。

 

 腕を伸ばし、誠の脇の下に手を入れる。

 引き上げる。

 

 成人男性の体重は、軽くない。

 だが紗月は呼吸を乱さず、重心を落として持ち上げた。

 

 掘り出す、という表現が一番近い。

 土の縁から、誠の身体がずるりと抜ける。

 

 枯れ葉と灰が、衣服に貼り付いたまま。

 紗月はそれを払わず、少し平らな場所へ横たえた。

 

 首筋に指を当てた。

 脈はある。

 

 次に、瞳。

 瞼は閉じたまま、反応は薄い。

 

「……ほんと、最悪な気分」

 

 言い捨てるように呟き、立ち上がった。

 

「……アサシン。応答して」

 

 返事はない。

 

 もう一度。

 

「対象は確保。殺害手段が必要。応答して」

 

 紗月の周囲に淡い光が走る。

 だが、返ってくるのは──沈黙だけだった。

 

 小さく舌打ちし、護符を握り直す。

 

 戦闘中。

 それも、相当な規模で。

 

 繋げば繋ぐほど、こちらの位置を晒す可能性がある。

 紗月は一度だけ目を閉じ、判断を切り替えた。

 

「……まだ、か」

 

 紗月は静かに息を吐いた。

 

 誠は動かない。

 だが、完全に安全とも言えない。

 

 狂い火は沈黙しているが、あれは“消えた”わけではない。

 意識が落ちている今は、ただ潜んでいるだけだ。

 

 ──次に目を覚ました瞬間、何が起きるか分からない。

 

 紗月は立ち上がり、周囲を見渡した。

 

 倒木。

 折れた枝。

 地面に半ば埋もれた岩。

 焦げ跡の残る木々。

 

「……ロープはない。拘束符も、さっきのでだいぶ使っちゃった」

 

 呟きながら、視線を巡らせる。

 完全な拘束には、物理的な“枷”が欲しい。

 

 手頃な蔓。

 裂けにくい枝。

 最悪、衣服を裂いて縛るか──

 

 その時。

 

 ふっと。

 

 空気が、変わった。

 

 森を満たしていた湿った夜気が、一瞬だけ押し流される。

 葉擦れの音が、同時に止んだ。

 

 ──風。

 

 一陣。

 意図を持ったかのように、木々の間を抜ける風。

 

 紗月は即座に身体を強張らせ、誠の前に立つ。

 

 視線が、木陰へ跳ねた。

 

 そこに──

 

 いつの間にか、男が立っていた。

 

 金髪。

 月明かりを弾く黄金。

 そして、赤い瞳。

 

 夜の森の中でなお、はっきりと浮き上がる異質さ。

 

 年の頃は二十代前半。

 細身だが、姿勢に一切の隙がない。

 

 腕は組まれていない。

 武器も、見えない。

 

 それでも。

 

 ──不遜。

 

 そう形容するしかない立ち方だった。

 

 まるで、ここが自分の庭であるかのように。

 あるいは、すでに勝敗が決しているかのように。

 

 紗月の脳裏に、即座に映像が重なる。

 

 黒野本邸。

 応接間。

 黒野恒一郎と共にいた男。

 

「何の用?」

 

 紗月は、一歩も動かずに口を開いた。

 

 問いは短い。

 声も、冷えている。

 

 金髪の青年は、わずかに口角を上げた。

 

 笑み、と呼ぶには感情が薄い。

 確認と、侮りの中間。

 

(オレ)を相手にしたその不敬な物言い、一度は赦そう。戦いの余韻により熱っているのであろう」

 

 青年は、ゆっくりと歩き出した。

 

 枯れ葉を踏んでいるはずなのに、足音はほとんどしない。

 力を抜き切った所作。

 それでいて、近づくほどに空気が重くなる。

 

 生きている人間の気配ではない。

 だが、死者とも違う。

 

 ──枯れ木。

 

 水気を失い、折れる寸前でなお直立する、歪な存在。

 

 金髪の青年は、視線を誠から外さずに言った。

 

「アサシン──あれの魔剣ならば、不死者であろうと無傷では済まぬだろう。対不死者として、あれほどの適任もおるまい」

 

 淡々とした評価。

 誇張も、皮肉もない。

 

 事実として“認めている”声音だった。

 

「肉体再生、血肉の巻き戻し、概念寄りの修復……いずれも例外ではない」

 

 赤い瞳が、わずかに細まる。

 

「正しく当たれば、な」

 

 紗月の眉が、ぴくりと動いた。

 

「……だから、なに?」

 

 声に、怒気が滲む。

 

「貴方たち、黒野が取り仕切る聖杯戦争のルールに則って戦っているわ。なにか文句でも……」

 

 言い切る前に、青年が一歩、距離を詰めた。

 

 それだけで、空気が軋む。

 

「勘違いするな、小娘」

 

 低い声。

 乾いているのに、異様に通る。

 

 青年は、誠の傍らに立つ。

 倒れ伏す身体を、見下ろすようでいて──見ていない。

 

 視線は、もっと奥。

 誠の内側、その“歪み”へ向いていた。

 

 わずかに、首を振る。

 

「灰原誠を、今ここで殺すことは赦さん」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 

 紗月の中で、何かが弾けた。

 

「……は?」

 

 一歩、踏み出す。

 魔力が、自然と立ち上がる。

 

「何様のつもり?」

 

 声は低い。

 だが、完全に怒っていた。

 

「監督官のサーヴァント、あなたに何の権限があるって言うの?」

 

 迎撃の構え。

 間合いに入れば、即座に打つ。

 

 ──その瞬間。

 

 青年が、ほんの僅かに眉を動かした。

 

「黙れ」

 

 たった、それだけ。

 

 声を張ったわけでもない。

 威圧したわけでもない。

 

 それなのに。

 

 紗月の喉が、強制的に閉じた。

 

 言葉が──止まる。

 

 魔力の流れが、一瞬、乱れる。

 符が、空中で意味を失い、落ちた。

 

「……っ」

 

 歯を噛みしめるが、身体が動かない。

 

 青年は、紗月を見た。

 

 見下ろすのではない。

 対等ですらない。

 

 まるで、枯れ木が若木を見下ろすような──

 生の密度そのものが違う視線。

 

「不敬だな」

 

 静かな断定。

 

「力を振るった直後で、感情が先走るのは理解する」

 

 赤い瞳が、冷たく光る。

 

「だが、それでも言葉を選べ。我に向ける声ではない」

 

 紗月の拳が、震える。

 

 屈辱。

 怒り。

 だが、それ以上に──理解不能な“格差”。

 

「……何者なの、一体何が目的だっていうの」

 

 絞り出すように言う。

 

 青年は、ようやく小さく笑った。

 

 それは、嘲りではない。

 諦観に近い、枯れた笑み。

 

 それが、王の所作だった。

 

「よかろう」

 

 乾いた声が、森に落ちる。

 

(オレ)は──ギルガメッシュ」

 

 その名が発せられた瞬間、紗月の背中を冷たいものが走った。

 

 世界最古の物語、ギルガメッシュ叙事詩に記された王。

 古代ウルクを統治した半神半人の英雄王。

 

 だが、眼前の存在は──知識の中のそれと一致しない。

 

 金の輝きに、熱がない。

 王者の傲慢に、生命の湿りがない。

 枯れ木のように落ち着き、黄金のように不遜で、そして歪だ。

 

 青年は、間を置かずに言い足した。

 

「しかし、お前の知る正史の存在ではない」

 

 赤い瞳が、わずかに細まる。

 面白がっているわけではない。

 “当然の事実”を告げる目だ。

 

「食い殺してやったのだ、不敬な蛇をな」

 

 言葉が、淡く刺さる。

 

「完全なる世界線──死を超越した王」

 

 紗月の呼吸が、一拍遅れた。

 

 魔術師として積み上げた理解が、頭の中で組み替わる。

 世界線。異聞。分岐。

 理屈は立つ。前例なら、既に身近に何人もいる。

 

「……最初の、不死者……?」

 

 呆然とした声が漏れる。

 自分が、そんな声を出したことに紗月自身が一番驚く。

 

 青年──ギルガメッシュは、その反応を気にも留めなかった。

 

 興味がないのだ。

 紗月の驚きも、怒りも、理解も。

 

 彼にとって重要なのは、目の前の“器”だけ。

 

 ギルガメッシュは踵を返し、誠の方へ歩いた。

 

 灰を踏む。

 枯れ葉を踏む。

 けれど、音は薄いまま。

 

「……待て!」

 

 紗月が叫ぶ。

 喉がきしむ。無理やり声だけを通した。

 

「触るな!」

 

 しかし、ギルガメッシュは止まらない。

 まるで、虫の鳴き声でも聞き流すように。

 

 誠の傍に膝をつく。

 横たわる身体の上に、月光が斑に落ちる。

 

 ギルガメッシュは、誠の首元──血が滲んだ痕跡へ視線を落とした。

 次に、腕。

 再生した左腕の皮膚の色。筋の走り。指先の微かな痙攣。

 

「……滑稽だな」

 

 それは、紗月へではない。

 誠へでもない。

 

「お前には、まだまだ働いて貰わねばならん」

 

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