Fate/You Died.   作:助兵衛

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第52話 修羅対上位者

 ——ゴォン。

 

 腹の底を叩くような振動が、骨を揺らした。

 

 次いで、遅れて轟音。

 

 森の空気が押し潰され、灰と枯れ葉が一斉に跳ねる。

 

「……っ」

 

 誠の喉から、掠れた息が漏れた。

 

 瞼の裏が白い。

 耳鳴りが、世界を薄くする。

 

 それでも。

 

 次の衝撃で、意識が浮上した。

 

 頬に冷たい土。

 衣服に絡む灰。

 肺が浅く動き、胸の奥——何かが、重く据わっている感覚が残っている。

 

 

「……何、だ……」

 

 声が出たのが、自分でも意外だった。

 

 身体を起こそうとして、腕が震える。

 指先に、妙な軽さがある。

 痛みがない。代わりに、鈍い違和感だけが残っている。

 

 誠は、ふらつく視界を持ち上げた。

 

 ——山。

 

 いや、山だったもの。

 

 森の向こう、夜空を切る稜線が——あり得ない形で欠けている。

 

 山肌が、丸ごと抉り取られていた。

 

 刃物で削いだように、面が平らだ。

 岩盤が剥き出しになり、削り取られた土砂が黒い帯になって下へ流れている。

 

 その断面に、月光が刺さっていた。

 

 白い。

 

 白すぎる。

 

 火でも雷でもない光が通った痕のように、岩が焼ける前に“削られた”跡だけが残っている。

 

 誠は、口を開けたまま動けなかった。

 

 ——何を、見ている?

 

 理解が追いつかない。

 夢の続きのように、現実が滑る。

 

 遠くでまだ、地面が唸っている。

 森が、呻くように揺れる。

 

 その原因が、ここにいるのだと。

 誠の脳は、遅れて結論に辿り着いた。

 

 

 ふっと、灰が舞った。

 

 視界の端に、銀色が落ちる。

 

 誠がそちらを向く前に、影が膝をついた。

 

 ——近い。

 

 銀髪。

 血のように赤い瞳。

 煤けた中世の狩人服。

 

 知っているはずの姿なのに、今は別物に見える。

 

 彼女は、妖艶に笑っていた。

 

 口元だけではない。

 瞳の奥で、愉しげに光が揺れている。

 

 まるで、山を削いだことなど些末な戯れだと言うように。

 

「目が覚めましたか、マスター」

 

 声は柔らかい。

 丁寧で、親しげで——それが逆に怖い。

 

 誠は、喉が乾くのを感じた。

 

「……バー、サーカー……?」

 

 名を呼ぶと、彼女は小さく頷いた。

 

 頷き方に、余裕がある。

 

 誠の脈を取るでもない。

 胸を確かめるでもない。

 

 ただ、膝をつき、顔を覗き込み、笑みを深くする。

 

「ご気分は?」

 

 安否を尋ねる口調。

 だが、問いの中身は“確認”ではない。

 

 ——出来上がった玩具が、ちゃんと動くかの確認だ。

 

 誠の背筋に、冷たい汗が浮いた。

 

 胸の奥が、鈍く疼く。

 

 そこに何かがある。

 何かを——据え付けられた。

 

 呼吸をするたび、胸骨の裏側で、別の鼓動が鳴る気がした。

 

「……今の……」

 

 誠は、山を指さそうとして、指が途中で止まった。

 指先が震える。

 

「……あれ、何だよ」

 

 バーサーカーは、喉の奥でくすりと笑った。

 

 笑いが、甘い。

 

「見えましたか」

 

 言い方が、まるで褒美だ。

 

「あなたが眠っている間に、少し——掃除を」

 

 誠の視線が、もう一度山へ向かう。

 抉れた稜線は、現実としてそこにある。

 

 森の匂いが変わっている。

 土と岩の匂いに混じって、白い熱の残り香がする。

 

 誠は、ゆっくりと首を振った。

 

「……掃除……?」

 

 声が裏返る。

 

 バーサーカーは、赤い瞳を細めた。

 

 愉悦に満ちた微笑みのまま、誠の顔のすぐ近くまで身を寄せる。

 

 吐息が、耳朶を掠めた。

 

「大丈夫ですよ」

 

 囁きが、親密すぎる距離で落ちた。

 

「私が、ちゃあんと、守ってあげますからね」

 

 誠は、言葉を失ったまま、目の前の彼女を見つめていた。

 

 ——違う。

 

 姿かたちは記憶にあるものと変わらない。

 

 それなのに。

 

 纏っている空気が、まるで別物だった。

 

 以前のバーサーカーには、常にあったもの。

 自らを縛る、ぎりぎりの理性。

 指示されなければマスターを守る事すらしない慇懃無礼な態度。

 徹底的な狩りへの執着。

 

 今、それがない。

 

 あるのは、余裕。

 そして、隠す気もない愉悦。

 

「……バーサーカー……」

 

 呼びかけは、弱々しく宙に落ちた。

 

 彼女は、それに応えなかった。

 

 すっと、膝を伸ばす。

 

 立ち上がる所作は、静かだった。

 だが、その瞬間、周囲の空気が僅かに沈む。

 

 誠の横を通り過ぎる。

 視線も寄越さず、彼女は吹き飛ばした先——戦場の跡地へと歩み出た。

 

 灰が、足元で音もなく舞う。

 

 抉れた地面。

 焼け、削れ、ねじ曲がった木々。

 岩盤には、光が走った痕跡がそのまま残っている。

 

 その中央に——

 

 倒れていた。

 

 人の形をした、黒い塊。

 

 アサシンだった。

 

 身体は歪な角度で横倒しになり、胸元には大きく穿たれた穴。

 炭化した縁から、まだ微かに煙が上がっている。

 

 赤黒い炎も、瘴気も、今は静まり返っていた。

 

 誠は、息を呑む。

 

「……死ん、で……」

 

 言葉にならない。

 

 その背後で、バーサーカーが小さく息を吐いた。

 

 呆れたように。

 退屈そうに。

 

「——下手な芝居は、お止めなさい」

 

淡々とした声だった。

 

 嘲りすら、ない。

 

 誠の心臓が、跳ねる。

 

 次の瞬間。

 

 ぐちり、と音がした。

 

 死体の胸元で、何かが蠢く。

 

 裂けていた肉が、内側から盛り上がる。

 黒く焼けた断面に、赤い筋が走り、繊維が絡み合っていく。

 

 骨が鳴る。

 筋が繋がる。

 皮膚が、引き延ばされるように再生する。

 

「……っ」

 

 誠は、声を失った。

 

 アサシンの指が、ぴくりと動く。

 

 次いで、肘。

 肩。

 

 倒れていた身体が、ぎこちなく起き上がる。

 

 胸に開いていた穴は、もうない。

 残っているのは、黒く濡れた跡と、再生の余熱だけ。

 

 アサシンは、荒い息を吐きながら、立ち上がった。

 

 首を鳴らす。

 肩を回す。

 

 その瞳が、再び獣じみた光を宿す。

 

「ふむ……周囲の生命エネルギーを動力源とした黄泉返り、といった所ですか。見たところ、復活のタイミングは任意……ですが残念、私に騙し討ちは通用いたしません」

 

言葉が終わるより早かった。

 

 アサシンの足が、地面を蹴る。

 

 ——跳躍。

 

 灰が爆ぜ、空気が裂ける。

 再生したばかりの身体とは思えない初速だった。

 

 右手の太刀が横薙ぎに走る。

 続けて、左の刃が死角から喉元を狙う。

 

 二撃。

 間髪入れず、獣の噛みつきのような連撃。

 

 だが——

 

 バーサーカーは、退かない。

 

 半歩、ずらす。

 ただそれだけで、最初の斬撃が空を切る。

 

 続く刃に対しては、肩を沈める。

 刃先が、銀髪をかすめるだけで終わった。

 

 衣服が裂ける音すらない。

 

「……おや」

 

 余裕の混じった声音。

 

 彼女は、ひらりと身を翻しながら、振り向きざまに言った。

 

「今や“狂戦士”という名は——貴方の方が、よほど相応しいですね」

 

 皮肉だった。

 澄ました調子で、確信を込めて。

 

 アサシンは、答えない。

 

 ——否。

 

 答える気がない。

 

 低く唸り、さらに踏み込む。

 二刀が、同時に唸りを上げる。

 

 斬る。

 裂く。

 抉る。

 

 技でも型でもない。

 ただ、殺すための軌道だけが洗練されている。

 

 獣の攻勢。

 

 誠は、息を詰めた。

 

 ——速い。

 ——怖い。

 

 だが。

 

 バーサーカーは、それを“受け流している”。

 

 掌で払う。

 前腕で逸らす。

 刃の腹を、指で弾く。

 

 まるで、刃が本気で当たる前提にすらしていない。

 

 数合、打ち合ったところで。

 

 バーサーカーは、小さく溜息を吐いた。

 

「……素手では、少々手に余りますね」

 

次の瞬間。

 

 彼女の右腕が——歪んだ。

 

 骨の輪郭が、消える。

 皮膚が、柔らかく波打つ。

 

 ぐにゃり、と。

 

 腕が、腕であることをやめる。

 

 誠の視界が、理解を拒む。

 

 長くしなやかだった腕は、途中から形を失い、

 無数の細い“何か”に分かれていった。

 

 触手。

 

 それも、一本や二本ではない。

 束になり、絡まり、蠢きながら増えていく。

 

 軟体動物の腕のように。

 いや、それ以上に——意志を持って。

 

「——っ!?」

 

 アサシンが、反射的に距離を取ろうとする。

 

 だが、遅い。

 

 触手が、弾けた。

 

 一本が、手首を絡め取る。

 二本が、肘を縛る。

 三本、四本が胴に巻き付き、脚を捕らえる。

 

 粘つく音。

 締め上げる圧。

 

 力づく。

 

 逃げ場を潰すのではない。

 “逃げるという選択肢”そのものを潰す拘束。

 

「……っ——!」

 

 アサシンが叫ぶ。

 太刀が、触手を斬りつける。

 

 だが、斬っても斬っても、再生する。

 切断面から、ぬるりと新たな触手が伸びる。

 

 バーサーカーは、近づいた。

 

 触手に引き寄せられる形で、アサシンの目前へ。

 

 赤い瞳が、間近で細まる。

 

「衝動のままに刀を振るう貴方に、以前のような技の冴えはないようですね」

 

 囁きは、優しい。

 

「残念です、子犬ちゃん」

 

アサシンの身体が、地面へ叩き伏せられる。

 

 ——ドン。

 

 衝撃で、灰が舞い上がる。

 

 誠は、動けなかった。

 

 胸の奥で、あの“別の鼓動”が、重く脈打つ。

 

 それが、今のバーサーカーと——

 どこかで、同じリズムを刻んでいる気がして。

 

 バーサーカーは、拘束したまま、誠の方を一瞬だけ振り返った。

 

 その表情は、妖艶な微笑みのまま。

 

「マスター、もう暫くお待ちを。躾の、仕上げを行いますから、ねえ」

 

バーサーカーの触手が、地面に縫い付けたまま、アサシンを押さえ込む。

 

 黒い太刀が暴れる。

 刃が触手を裂くたび、ぬるり、と別の束が生えて埋める。

 

 無駄だと理解してなお、アサシンは噛みつくように腕を振り続けた。

 獣の執念。

 呼吸の荒さだけが、まだ“生”を主張している。

 

 バーサーカーは、それを見下ろした。

 

 愉悦の笑みが、薄く冷める。

 

「……もう、いいでしょう」

 

 言葉が落ちた瞬間、空気の温度が変わった。

 

 バーサーカーの右手——触手ではない方の手が、すっと持ち上がる。

 五指が、ゆっくりと開かれる。

 

 指先に、白が集まり始めた。

 

 光。

 火ではない。

 雷でもない。

 

 “現実の輪郭”を削り取る類の、無機質な白。

 

 灰が、その光に引かれるように宙を漂う。

 枯れ葉が、風もないのに浮き上がる。

 

バーサーカーは構えも取らない。

 狙いも定めない。

 

 ただ、指先に世界の白を溜めていく。

 

 光が、膨らむ。

 静かなのに、耳が痛い。

 視界の端が滲み、森の輪郭が薄くなる。

 

 アサシンが、なお暴れた。

 

 触手の束を裂き、身体を起こそうとする。

 だが、次の瞬間。

 

 ——揺らいだ。

 

 アサシンの輪郭が、一瞬だけ、不自然にぶれた。

 

 まるで、そこにいる“存在の座標”が、現実から外れかけたように。

 

 バーサーカーの指先が、閃光を放つ直前。

 

 アサシンの身体が——

 

 ほどける。

 

 肉も、骨も、炎も、瘴気も。

 全部が、一度に“粒”へ砕けた。

 

 光の粒子。

 

 夜の森に舞う灰とは違う。

 白く、細かく、音もなく散っていく。

 

 太刀は落ちない。

 血も落ちない。

 

 存在だけが、消える。

 

 瞬き一つぶんの間に、アサシンは跡形もなく消え失せていた。

 

 バーサーカーの指先に集まっていた白が、行き場を失ってふっと薄れる。

 

 彼女は、舌打ちすらしない。

 

 ただ——興ざめしたように、肩を落とした。

 

「……つまらない」

 

 触手が、ほどける。

 腕が、何事もなかったかのように“元の形”へ戻っていく。

 

 銀髪の女は、消えた場所を一瞥し、誠へ振り返った。

 

 赤い瞳が、退屈そうに細まる。

 

「令呪ですね」

 

 淡々とした報告。

 

「藍沢紗月。離脱したマスターが、回収したのでしょう」

 

 誠の喉が鳴った。

 

「……回収……?」

 

 バーサーカーは、答えを噛み砕く気がない。

 

「呼び戻し。あるいは強制退去」

 

 彼女は、指先を軽く振る。

 白い残滓が、空に溶ける。

 

「死なせるより、惜しいと判断したのでしょう。あの歪んだ状態でも、駒にはなる」

 

 それから、にやりと笑った。

 

 妖艶なまま、しかし温度がない笑み。

 

「……逃げたのですよ。あなたを殺す“計画”ごと」

 

 誠の背中に、冷たいものが走る。

 

 森は静まり返っている。

 灰だけが降り続ける。

 

 その静けさの中で、バーサーカーの声だけが妙に鮮明だった。

 

「さて」

 

 彼女は、ゆっくりと誠の方へ歩み寄る。

 

 さっきのように膝をつくのではない。

 立ったまま、覗き込む。

 

「マスター。お立ちになれますか?」

 

 問いは丁寧。

 だが、断りを許さない調子。

 

 誠は、差し出された手を見た。

 

 白い指。

 細く、しなやかで、血の気が薄い。

 

 それが、先ほどまで山を削り、英霊を消し飛ばしていた“同じ手”だという事実を、頭が拒む。

 

「……立てる、とは思うけど……」

 

 自分の声が、ひどく遠く聞こえた。

 

 次の瞬間、考えるより早く——その手が、誠の手首を取った。

 

 強くはない。

 だが、迷いがない。

 

 引かれる。

 

 誠の身体が、自然と前へ起き上がった。

 膝に力が入らないはずなのに、倒れない。

 

 ——支えられている。

 

 それも、必要以上に近い距離で。

 

「無理をなさらずに」

 

 耳元で、囁く声。

 

 いつの間にか、バーサーカーは誠のすぐ隣に立っていた。

 肩が触れそうな距離。

 いや、触れている。

 

 腕が絡め取られるわけでもない。

 抱き寄せられるわけでもない。

 

 ただ——逃げ場がないほど、自然に寄り添っている。

 

 誠は、一歩踏み出した。

 

 次の一歩も、問題なく出る。

 

 足元の灰が、静かに鳴る。

 

「……え?」

 

 違和感に、声が漏れる。

 

以前なら。

 バーサーカーは、呼ばなければ現れなかった。

 

 命令しなければ、守ることすらしなかった。

 常に距離を保ち、必要最低限の関与しかしなかったはずだ。

 

 それが今は。

 

 半歩も離れない。

 視線を外さない。

 歩調すら、完全に合わせてくる。

 

 まるで——

 

 護衛ではなく、エスコートだ。

 

 森を抜ける道すがら、バーサーカーは一度も誠の手を離さなかった。

 枝を避ける時も、段差を越える時も、自然に体重を支える。

 

 そのたび、誠の胸の奥の“別の鼓動”が、こつり、と応じる。

 

 気付かないふりをするしかなかった。

 

 やがて、木々の向こうに——屋敷が見えた。

 

 いや。

 

 屋敷だったもの、だ。

 

「……っ」

 

 誠の足が、止まる。

 

 黒野の屋敷は、半壊していた。

 

 正面の壁は崩れ落ち、梁がむき出しになっている。

 屋根の一部は吹き飛び、内部が夜気に晒されていた。

 

 残った箇所からも、火の手が上がっている。

 赤い舌が、闇を舐めるように揺れていた。

 

 焦げた木材の匂い。

 魔術的な焼灼の残滓。

 

 ——戦場の跡。

 

「……うそ、だろ……」

 

 呟きが、震えた。

 

 生活の痕跡。

 戻る場所。

 “日常”と呼べたもの。

 

 それらが、一つの夜で壊されている。

 

 バーサーカーは、誠の隣で立ち止まった。

 

 屋敷を見て、眉一つ動かさない。

 後悔も、驚きも、ない。

 

 ただ、状況を受け入れる者の目。

 

「……どうやら、こちらでも中々派手に戦っていたようですね」

 

 誠は、燃え上がる屋敷を見つめたまま、答えられなかった。

 

 その横で、バーサーカーは一歩前に出る。

 まるで、瓦礫と炎から誠を庇うように。

 

「さあ、参りましょう」

 

 火の粉が舞う中で、彼女は微笑んだ。

 

「ここはもう、安全とは言えませんから」

 

 誠は、無言で頷くしかなかった。

 

 その背を、彼女の影が——

 ぴたりと、覆っていた。

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