Fate/You Died.   作:助兵衛

54 / 93
第54話 攪拌

 駅前の雑居ビルは、灰の降下で看板の色が死んでいた。二階へ上がる外階段は濡れた灰を噛み、靴底がきゅ、と短く鳴る。

 

 簡素な事務所だった。

 

 白い壁紙。安い蛍光灯。折り畳み机が二台、パイプ椅子が四脚。角に小さな電気ポットと紙コップ。窓は半分だけブラインドが下り、外の光が細い筋になって床へ落ちている。

 

 誠は椅子に腰を下ろしても、背中を預けられなかった。火の粉の匂いがまだ鼻の奥に残っている。煤と、甘い焼灼──思い出しただけで喉が乾く。

 

 机の向こう側で、黒野理央が静かに座っていた。

 

 額の包帯は白く、そこだけが不釣り合いに清潔だった。腕にも巻かれた帯。だが姿勢は崩れていない。血の気の薄い唇が一度だけ閉じ、開いた。

 

「……まさか、敵陣営が駅前にあるなんて」

 

 声は低い。疲労を押し込めた音。

 

 紫村秀則は理央の隣に座っていた。応急処置の帯が胸元に覗き、片腕を庇うように抱えている。息はまだ浅いが、視線ははっきりしていた。

 

「そういえば、ずっと空きテナントになってましたなここ……何も入らないなとは思ってましたが、いやはや」

 

 そして、机のこちら側。

 

 マイケル・ウィルソン──アーチャーは、書類のない机に紙束を広げ、ペンを走らせていた。

 

 カリ、カリ、と音がする。

 

 誠はその音に、なぜか息が落ち着くのを感じた。

 

「……OK、改めて確認しよう」

 

 カリ、とペン先が止まる。

 

 一度だけ喉を鳴らした。

 

「……えーと、じゃ、俺から」

 

 視線が集まる。

 

 理央は無言で頷き、紫村は僅かに身を起こした。アーチャーはペンを紙の上に置いたまま、いつでも書き始められる角度で誠を見る。

 

「……攫われて、藍沢先輩と会った、と言うか戦った」

 

 理央の眉が、わずかに動いた。

 

「そう、やっぱり……」

 

「……で」

 

 誠は、そこで一瞬だけ目を閉じた。

 

 嫌な記憶を掘り起こす時の、あの感覚。

 

「……戦った」

 

 短い言葉。

 

「アサシンは、出てきたかしら」

 

 理央の問いは正確だった。

 

 誠は、首を横に振る。

 

「……いや。先輩曰く、バーサーカーの足止めをしてたらしい。一体一で戦った」

 

 理央の目が細くなる。

 

 秀則の視線が、わずかに揺れた。

 

「で、負けた」

 

 言い切る。

 

 言い訳はしない。

 

「黒野に色々教えてもらって、戦えるようになったつもりだったけど……優勢だったのは最初くらいか」

 

 短い沈黙。

 

 蛍光灯の低い唸りが、やけに耳につく。

 

 誠は、そこで一度息を吐いた。

 

 ここからが本題だと、自分でも分かっている。

 

「……で、目が覚めた時」

 

 指先に力が入る。

 

 爪が、皮膚に食い込む。

 

「……バーサーカーがいた」

 

 理央の視線が、ほんの僅かに鋭くなる。

 

 紫村が、息を潜める。

 

 アーチャーのペンが、また走り出す。

 

「いや……いた、って言い方が正しいのか分からないけど」

 

 誠は、言葉を探す。

 

 あの違和感を、そのまま出すしかない。

 

「……なんか、違った」

 

 抽象的な言い方。

 

 だが、それしかない。

 

「同じ見た目。同じ声。……でも、違う」

 

 理央の眉が、僅かに寄る。

 

「バーサーカーは、どう違ったの?」

 

 即座の問い。

 

 誠は、視線を落としたまま答える。

 

「……距離が、近い」

 

 短く。

 

「近い?」

 

「物理的にもそうだし……なんていうか」

 

 喉が、乾く。

 

「“寄り添ってる”感じが強すぎる。守るっていうより……導く、みたいな」

 

 言葉にしても、まだ足りない。

 

 誠は続ける。

 

「手、握られてた。強くはないけど……離れられない感じで」

 

 理央は、無言。

 

「あと……笑ってた」

 

 その一言で、空気が少し冷える。

 

「燃えてる屋敷見て。火の粉見て。……楽しそうに」

 

 理央の指が、机の上で止まる。

 

 紫村の呼吸が、わずかに深くなる。

 

 アーチャーのペンが、紙を擦る音だけが響く。

 

「前から……変なやつだとは思ってたけど、あれは違う。正直、別人だって思う」

 

 誠は、はっきりと言った。

 

「今までは聖杯戦争とか、マスターである俺の事ですらどうでもいいって感じだったのに」

 

 静寂。

 

 秀則も遠慮がちに口を開いた。

 

「自分のライダーちゃんも、ライダーさんになったと言いますか。見ての通り、立派なレディになってしまいました、あいや、なってしまったというと失礼ですな」

 

 誠は、あの視線を思い出す。

 

 静かで、揺れない瞳。

 

「落ち着いてた。……落ち着きすぎてた」

 

 言葉を選ぶ。

 

「前の危ういバランスとは違って、なんていうか、“完成してる”感じ」

 

 紫村は、同意して腹を揺らす。

 

「確かに! ですが、バーサーカー女史のような別人じみた言動かと言われればそうでもなく……あー、あの子の10年後はこんな感じなんだろうなーって、感じでしたな」

 

 誠は頷く。

 

「それで……バーサーカーと、ライダーが話してた」

 

 アーチャーのペンが、止まる。

 

 重要な部分だと、全員が理解する。

 

「“裏返った”とか、“並行世界”とか、“あり得たもしもの姿”とか」

 

 理央の目が、はっきりと細まる。

 

 紫村が、視線を落とす。

 

 アーチャーのペンが、ゆっくりと動き出す。

 

 今度は、少し時間をかけて書いている。

 

 誠は続けた。

 

「正直、意味分かんない。でも……あの場では、あいつらはそれで納得してた」

 

 短い沈黙。

 

 誠は、最後に言った。

 

「……全部が、おかしい」

 

 言葉が、机の上に落ちる。

 

「バーサーカーも、ライダーも……多分、アサシンも」

 

 誠は、そこで言葉を切った。

 

 口の中が乾いている。舌が上顎に貼りつくような感覚が、ふいに強まった。

 

 ——一体、何人の名前を口にした? 

 

 アサシン。バーサーカー。ライダー。

 そして、アーチャー。

 

 誠の視線が、机の上を彷徨う。

 

 足りない。

 

 当然、足りない。

 

 当たり前のことが、今になってようやく脳に届いた。

 

「……セイバーは?」

 

 

 声が、自分でも驚くほど低かった。

 

 その一言で、部屋の空気が変わる。

 

 理央の表情が、ほんの一瞬で硬くなる。紫村が目を伏せ、唇を引き結ぶ。アーチャーはペン先を紙に置いたまま、動きを止めた。

 

 全員が、一様に——苦い顔をした。

 

 誠の背筋に、冷たいものが這う。

 

「……黒野?」

 

 沈黙を破ったのは、アーチャーだった。

 

 ペンを置き、指先で紙束を軽く押さえる。言葉を選ぶというより、結論だけを落とす声。

 

「まさに彼こそが——私が停戦を申し出た理由なのだ」

 

 理央の睫毛が、わずかに揺れた。

 

 紫村が、低く息を吐く。

 

 誠は、喉の奥で何かが引っかかるのを感じた。

 

「……セイバーが?」

 

 アーチャーは頷き、続ける前に一度だけ眉間を押さえた。難しい案件の書類に向き合う時の仕草。

 

 理央が、先に言った。

 

 声は落ち着いている。だが、落ち着きすぎている。押し込めたものが、行間から滲んでいた。

 

「……突然、苦しんだの」

 

 理央の指が、無意識に自分の包帯の端を撫でる。

 

「咳き込むとか、痛がるとか、そういう“人間の苦しみ”じゃない。……もっと、内側から削られるみたいな」

 

 誠は息を呑んだ。

 

 理央は続ける。

 

「膝をついたかと思ったら、次の瞬間、目が……」

 

 言葉が止まる。

 

 理央は一度、目を閉じた。思い出すだけで不快な映像が浮かぶのだと分かる。

 

「……敵味方関係なく、攻撃し始めた」

 

 一拍。

 

「私自身も」

 

 紫村が、喉を鳴らした。

 

「……あれは、正気ではありませんでしたな。以前戦ったキャスターの様な、恐ろしい狂気を感じました」

 

 誠は、机の縁を指で掴んだ。

 

「一通り暴れて、何処かへ消えていったわ。マスターの私も、痕跡は辿れない」

 

 指先が冷たい。

 

「……なんで」

 

 声が掠れる。

 

「セイバーが、そんな……」

 

 理央は、答えない。

 

 代わりにアーチャーが口を開く。

 

「全くもって全てが不明。さて、情報は出尽くした様だが……」

 

 ペンを取り直し、紙の端に短く書き込む。

 

 カリ。

 

 カリ、カリ。

 

 書きながら、難しそうに唸った。

 

「……hmm」

 

 低く、喉の奥で鳴る音。

 

「彼は最優の騎士の名に相応しい、規律の象徴だった。自己制御の塊だ。にもかかわらず、無差別に切り始めた」

 

 ペン先で、同じ箇所を二度叩く。

 

「これは単なる精神汚染では説明がつかない。契約に干渉が入ったのか、それとも──」

 

 アーチャーは言葉を切り、紙の上に視線を落としたまま眉間を寄せた。

 

「……あの狂いっぷりは、まるでバーサーカーだ」

 

 静かな断定だった。

 

 誠は、背筋が薄く粟立つのを感じた。バーサーカー、という単語がこの場の空気を硬くする。バーサーカー本人がいないにもかかわらず。

 

 アーチャーは続ける。

 

「推論だが——セイバーは、何らかの理由で“セイバークラスではなくなった”可能性がある」

 

 理央のまつ毛が、一度だけ揺れた。

 

 秀則は口を結び、息を止めるようにして聞いている。

 

 誠は何も言えない。言葉があるなら、問いしかない。

 

 アーチャーは、紙に視線を落としたまま、慎重に言葉を選ぶ。

 

「英雄は、単一の像ではない。生前の“側面”は複数ある。——騎士であり、王であり、処刑人であり、狂信者であり……」

 

 ペン先が紙の上で一瞬止まり、次の行を押し付けるように書き足す。

 

 カリ。

 

 ——「生前別側面の表面化」。

 

「つまり」

 

 アーチャーは顔を上げない。

 

「“最優の騎士”としてのセイバーが反転し、彼の別側面が表面化した。殺戮者としての彼が」

 

 理央が、薄く息を吐く。

 

 それは肯定ではなく、受け入れざるを得ない現実への呼吸だった。

 

 秀則が、微かに首を振る。

 

「……だとしても著しい変化でしたな。まるで、生きとし生けるもの全てを殺さんとする勢いでしたぞ」

 

 

 事務所の中に、張り詰めた沈黙が落ちる。

 

 蛍光灯の唸りが、急に大きく感じられる。

 

 紙の上で、アーチャーのペンが小さく震え、止まったままになる。

 

 ——その時だ。

 

 ドン、と。

 

 乱暴な音が、薄い扉を叩き開いた。

 

 風が流れ込む。冷たい灰の匂い。外のざらつき。

 

 全員の視線が、反射的に入口へ向く。

 

 扉枠の向こうに立っていたのは、女だった。

 

 スーツ。タイトなジャケットと膝丈のスカート。髪はきっちりまとめられ、耳元に細いピアスが光る。ヒールは低めだが、歩き方が速い。駅前を走り回っても崩れない、キャリアウーマンの体幹。

 

 そして、その目。

 

 感情が薄い。だが、怒りだけは鮮明に刻まれている。

 

「——アーチャー」

 

 アーチャーが、ゆっくり顔を上げた。

 

「おかえり洋子。諸君、紹介しよう、我がマスター紺藤洋子だ」

 

「おかえりじゃない!」

 

 女は机までの距離を三歩で詰めた。紙コップが軽く揺れる。

 

「連絡もなく、勝手に各陣営をここに招き入れるなんてどういうつもり!? 」

 

 声は通る。怒鳴っているのに、言葉が濁らない。日常で部下を叱る人間の叱り方だ。

 

 理央の視線が女を測る。紫村は小さく息を漏らし、状況を飲み込もうとしている。

 

 アーチャーは、椅子から立ち上がらない。だが表情だけが微かに硬くなった。

 

「状況が緊急だった。救護と——」

 

「緊急だからこそ、手順を踏むの!」

 

 女は机の端に手を置き、身を乗り出す。爪は短く整えられている。だが圧は刃物のようだ。

 

「停戦交渉? 情報交換? これは政治じゃないのよ、大統領さん。戦争なの、聖杯戦争、殺し合いなのよ」

 

 誠の胃が、ひやりと沈む。

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 この場は薄い壁で区切られただけの小さな箱だ。守りも逃げ道も少ない。ここに敵陣営が入り乱れたら——。

 

 アーチャーが、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……君の指摘は正しい」

 

 珍しく、素直な肯定。

 

 女は眉を寄せたまま、言葉を続ける。

 

 女──洋子の眉間の皺は、消える気配がなかった。

 

 机の端に置かれた指先が、苛立ちを抑えるように軽く叩く。

 

 その乾いた音に対して、アーチャーはゆっくりと両手を上げた。

 

 降参の仕草に見える。だが態度は降参ではない。

 

「事後報告になった。私の落ち度だ」

 

 声は落ち着いている。謝罪の言葉だけが先に落ちる。

 

「勝手をした。君の許可を取るべきだった。そこは詫びよう」

 

 洋子は目を細める。

 

「……珍しく素直ね」

 

 理央と紫村が、言葉を挟まずに見ている。

 

 誠も、息を殺している。

 

 アーチャーは、机に置いた紙束を指で整えた。まるで、議会の壇上で演説の資料を揃えるように。

 

 そして、続けた。

 

「だが」

 

 謝罪の次に来たのは、宣言だった。

 

「問題ない」

 

 洋子の眼差しが、さらに鋭くなる。

 

「……は?」

 

 アーチャーは肩をすくめた。

 

 大袈裟でもなく、挑発でもない。事実を述べるような動き。

 

「私はリスクとリターンを計算した上で動いた」

 

 ペンを取り、紙の端に短く線を引く。

 

 カリ、と音がした。

 

「この場に各陣営を集めるリスクは理解している。だが、情報の断絶が続けば混沌は取り返しがつかなくなり、戦争は加速する」

 

 理央が、わずかに息を吐いた。納得ではない。理解だ。

 

 アーチャーは続ける。

 

「同時に、ここは駅前だ。人通りがある。警戒が薄いようで、逆に“派手に殺し合えない”環境でもある」

 

 洋子が言い返す。

 

「覚悟の問題よ。彼らは幼くとも魔術師、そしてそのサーヴァント。立派な脅威よ」

 

 アーチャーは頷いた。

 

 洋子の指摘を否定しない。否定しないまま、別の方向へ押し切る。

 

「だからこそ、私がここにいる」

 

 言い切った。

 

「例え何かが起きても、私ならば完璧に対処してみせる。何故ならば私は──」

 

「あぁ、はいはい。大統領だものね」

 

 肩が落ちる。

 

 怒鳴る勢いが、すっと抜けた。

 

「その滅茶苦茶な論理、分かってる。あなたはいつもそう」

 

 洋子は額を押さえ、指の間からアーチャーを睨む。

 

「“自分なら何とかできる”って前提で動く。それで本当に何とかしちゃうから、さらに厄介なのよ」

 

 アーチャーは、微かに口元を緩めた。

 

 勝った笑みではない。状況が収まったことへの、短い安堵。

 

 洋子は深く息を吐き、机の脇に置かれた空いた椅子を顎で示す。

 

「……座るわ。議事録、見せて」

 

 アーチャーは紙束を差し出しながら言う。

 

「もちろんだ。君の監督が入るなら、なお良い」

 

 洋子は紙を受け取り、視線を走らせる。眉間の皺が、また少しだけ深くなる。

 

 紙を捲る音が、やけに大きく聞こえた。

 

 ぱらり、ぱらり、と指先が乾いた紙面を滑っていく。洋子の視線は速い。行を追うというより、必要な単語だけを抜き取っている。

 

 アーチャーは机の端に肘を置き、落ち着いた声で尋ねた。

 

「……何か収穫はあったか、洋子」

 

 洋子は答えず、もう一枚捲る。

 

 紙束の角が揃っていくたびに、彼女の眉間の皺が深くなる。

 

「収穫、ね」

 

 吐き捨てるように言って、また資料を捲った。

 

 誠は無意識に背筋を伸ばす。理央も紫村も黙っている。蛍光灯の白い光が、洋子の頬骨の影を硬く切り取っていた。

 

 洋子は、目を紙面から外さないまま言う。

 

「……町は酷い有様よ」

 

 声は平坦だった。感情がないわけではない。感情を入れる余地がない、という音。

 

 理央が、間を置かずに返す。

 

「酷い、とは?」

 

 洋子の指が、一枚の紙の端で止まる。

 

 そこに書かれた何かを確かめるように、視線が一度だけ下へ沈む。

 

 そして、顔を上げた。

 

 冷徹な顔だった。

 

 怒りも、焦りも、悲しみも——表に出すのをやめた顔。

 

「……世界の終わりが、幾つも重なって起こったみたい」

 

 その言葉が、事務所の空気を一段冷やした。

 

 洋子が続ける。

 

「黒野家は見事にやらかしてくれたわね。全部、貴方達のせいよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。