事務所の隅に置かれた小型テレビは、音量を上げなくても耳に刺さった。
砂嵐ではない。
映像は鮮明だ。
だからこそ、現実味が薄い。
誠と理央と秀則は、パイプ椅子を寄せるようにして画面を見ていた。食い入る、という言葉がそのまま当てはまる距離。瞬きの回数さえ減っている。
画面の左上に、赤い帯。
《緊急》
アナウンサーの声は平板で、平板だから余計に怖い。
『——繰り返します。灰原地区一帯において、複数の致命的な感染症が同時に確認されました。自治体は、感染拡大防止のため——』
テロップが切り替わる。
《灰原地区 ロックダウン宣言》
誠の喉が鳴った。
「……複数?」
声が掠れている。
理央は答えない。画面から目を逸らさない。紫村も同じだ。彼の指先が、膝の上で小さく動く。落ち着かせるための癖だ。
アナウンサーは続ける。
『外出は原則禁止。必要不可欠な物資の配給は、順次——』
映像が変わる。
駅前の空撮。
道路に並ぶパトカーと規制線。
防護服の人影。
黒いビニールで覆われた何か。
誠は背中に冷たい汗が浮くのを感じた。
『なお、感染経路については現在調査中であり——』
次の瞬間、画面の下に別の速報が割り込む。
《凶悪犯罪 件数急増》
理央の眉が、わずかに動いた。
秀則が小さく息を吸う。
アナウンサーの声が、ほんの僅かに硬くなる。
『また、灰原地区では凶悪犯罪が急増しています。強盗、放火、傷害事件が相次ぎ——警察は対応に追われ、現場の治安維持が困難な状況となっています』
映像が、スマホで撮られたような揺れる夜間の街に切り替わる。
火が上がっている。
逃げる人。
叫び声。
遠くでサイレン。
しかし、そのサイレンは近づかない。近づけないように見える。
『——現地では警察機能が事実上機能不全に陥っているとの情報もあり——』
誠の指が、無意識に椅子の縁を掴む。
“灰原地区”。
自分の名字と同じ地名が、赤い帯で何度も繰り返される。
映像が、切り替わる。
何の前触れもなく。
ぶつ切りの現実が、次々と流れ込んでくる。
『——こちら、臨時の医療施設です』
白いテントの中。
担架。
床に敷かれたシート。
その上で、男が体を反らせていた。
喉の奥から、音が漏れている。
言葉ではない。
低く、濁った——唸り。
まるで、獣のような。
抑えつける腕。
暴れる脚。
白衣の誰かが、何かを叫んでいるが、音声は拾われない。
次の瞬間、映像が跳ぶ。
『——別の病院では——』
廊下。
壁にもたれた女。
激しく咳き込んでいる。
乾いた音ではない。
湿った、深いところから引きずり出すような咳。
血。
白い床に散る。
膝が崩れる。
そのまま倒れ込む。
動かない。
誰も、すぐには近づけない。
距離がある。
恐れている。
また、切り替わる。
『——原因は依然として不明で——』
空撮。
山。
見慣れたはずの輪郭が、どこか歪んでいる。
斜面の一部が、色を失っている。
いや、違う。
失っているのではない。
染まっている。
腐ったような、濁った朱。
生々しい色が、斑に広がっている。
植物が枯れているのではない。
土が、何かに侵食されているように見える。
画面の端に、測定値。
意味の分からない数値が、赤で点滅している。
さらに、切り替わる。
空。
昼。
なのに、暗い。
太陽の位置に、円がある。
黒い円。
その周囲を縁取る、炎の輪。
日食。
——に、似ている。
だが違う。
光を遮っているのではない。
そこに、燃えている。
リング状の炎が、静かに、確かに、空に存在している。
揺らめいている。
消えない。
『——現在、天文台はこの現象について——』
アナウンサーの声が、わずかに遅れる。
説明が、追いついていない。
誠の呼吸が止まる。
理央も、紫村も、動かない。
ただ、見ている。
理解が追いつかない。
理解しようとする思考が、途中で止まる。
画面の中の全てが、現実として繋がらない。
感染症。
暴動。
異常な患者。
腐る山。
空に浮かぶ炎の輪。
——全部が、同時に存在している。
誰も、言葉を発しない。
事務所の中にあるのは、テレビの音だけだ。
洋子は、ゆっくりと振り返った。
視線が、理央に向く。
まっすぐ。
逃げ場のない角度で。
「……これが」
低い声。
押し殺した音。
「貴方たち黒野がやったことの“結果”よ」
理央の瞳が、揺れた。
ほんの一瞬。
それでも、揺れた。
洋子は一歩、踏み出す。
ヒールが床を打つ。
乾いた音。
「聖杯戦争」
言葉が、冷たい。
「その結果がこれ。感染症も、暴動も、あの空も」
机の端に手を置く。
指先が、白くなる。
「どうしてくれるの」
問いではない。
責めだ。
逃げ場のない、直線の圧。
理央は、動かない。
視線を逸らさない。
だが、答えない。
答えられない。
誠は、息をすることすら忘れていた。
言葉を挟む余地がない。
洋子の声だけが、部屋を支配する。
「調査が進めば、これが超常の現象だと暴かれるでしょう。神秘の秘匿は完全に崩れ去るわ」
洋子の声は、そこで一段低くなった。
抑えている。
怒りではない。
もっと冷たい、現実の重さを押し込めるための声だ。
「……教会の一部からは、灰原地区一帯を封殺すべきだという過激な意見もあがっているわ」
理央の瞳が、わずかに細まる。
「……封殺?」
言葉の意味が、すぐに繋がらない。
だが、理解は遅れて追いつく。
外から閉じる、ではない。
中ごと、終わらせる。
洋子は、視線を逸らさない。
「封鎖じゃない。封殺」
はっきりと、言い直す。
「感染源、魔術的異常、神秘の露呈——全部を一括で処理する」
理央の指が、わずかに震えた。
包帯の白が、きつく締まる。
「“必要な犠牲”よ」
紫村が、小さく息を吐いた。
笑いにも、嘆きにもならない音。
「……ま、マジで言ってますか?」
誠は、何も言えない。
頭の中で、地図が浮かぶ。
灰原地区。
家。
学校。
見知った通り。
それが、ひとまとめに「処理」される光景。
想像が、途中で止まる。
止めるしかない。
洋子は、さらに一歩踏み込む。
距離が詰まる。
理央の真正面。
「時間はないの」
低く、鋭く。
「上が決めれば、すぐに動く。あなた達の都合なんて関係ない」
机に置いた手に、力が入る。
「だから聞いてるの。黒野家はどうするつもりなの、これ以上儀式を続けるつもり?」
理央は、動かない。
視線を逸らさない。
だが、答えは出ない。
——その時。
ふ、と。
何かが、空気の隙間に滑り込んだ。
誰も、扉の音を聞いていない。
気配が、遅れて届く。
誠の背中に柔らかい重みが乗り、細い腕が背後から回る。
首元に吐息がかかる。
温かい。
「……あは」
小さな笑い声。
甘くて、軽くて——場違いなほど楽しそうな声。
「バーサーカー……」
誠が低く呟いた。
「話が終わるまで、外で待機って言ってた……よな」
バーサーカーは誠の言葉を無視し、体重を預けるように頬を寄せる。
逃がさない距離。
だが、力は強くない。
優しくすらある。
「ねぇマスター。ご覧になりましたか?」
耳元で、囁く。
「酷い有様ですね、この町は。私の以前いた町に負けず劣らず、混沌として」
くすり、と笑う。
楽しんでいる。
完全に。
バーサーカーの視線は、惨劇を写し続けるテレビに釘付けになっていた。
「ほら、あの罹患者なんて今にも襲いかかって来そうではありませんか? 取材に赴いている方は、無事に帰れるでしょうかねぇ」
声が、弾む。
「ね、マスタァ」
誠の呼吸が、浅くなる。
胸が、締め付けられる。
バーサーカーは、指先で誠の腕をなぞる。
落ち着かせるように。
慰めるように。
その声音に、洋子の表情が変わった。
苛立ちではない。
明確な拒絶。
「……理解できないの?」
低く、はっきりとした声。
バーサーカーに向けて放たれる。
「今、何が起きているか」
バーサーカーは、誠の背に頬を寄せたまま、ゆっくりと顔だけを洋子へ向ける。
目が合う。
笑っている。
楽しそうに。
洋子は一歩、踏み込む。
「教会は本気よ」
言葉を選ばない。
「中にいる人間も、この儀式も全て消し去るかもしれない」
一拍。
さらに、詰める。
「それでも、そんな顔でいられるの?」
バーサーカーは、少しだけ首を傾げた。
誠の肩に、柔らかな重みがかかる。
抱きしめる腕が、ほんの少しだけ強まる。
だが、それは拘束ではない。
むしろ——落ち着かせるような、動き。
「ええ」
あっさりと答えた。
笑みを崩さずに。
「心配はいりませんよ」
囁く。
誠の耳元で。
甘く、軽く。
だが、その言葉の芯だけが、妙に重い。
洋子の眉間が、さらに寄る。
「……何を根拠に」
問いは鋭い。
だが、バーサーカーは答えない。
代わりに、ゆっくりと手を持ち上げた。
誠の肩越しに。
白い指が、空中で止まる。
そして——折る。
「いち」
軽い調子。
遊びのように。
部屋の空気が、固まる。
理央の視線が、鋭くなる。
紫村が、息を止める。
アーチャーは、無言でその手を見ている。
「に」
もう一本。
折れる。
カウントは、軽い。
だが、その軽さが場違いすぎる。
「さん」
バーサーカーは、笑っている。
本当に楽しそうに。
誠の背に感じる体温が、やけに現実的だ。
洋子が、何か言おうとして——止まる。
言葉が出ない。
直感が、何かを警告している。
バーサーカーの瞳が、わずかに細くなる。
「……はい、お終い」
その瞬間。
ぷつり、と。
テレビの音が、途切れた。
消えたのではない。
断たれた。
映像が、歪む。
一瞬だけ、何かが映り込む。
ノイズ。
そして——
ざあああああああああああああああああああああああああ
砂嵐。
白と黒の粒子が、画面を埋め尽くす。
さっきまで流れていた映像は、跡形もない。
ニュースも、現地映像も、何もかも。
ただ、無機質なノイズだけが、事務所に響く。
誠の背筋に、冷たいものが走る。
「……電波障害?」
紫村の声は、確信を持たない。
理央は、テレビを睨んでいる。
洋子も、言葉を失ったまま動かない。
アーチャーだけが、静かに目を細めた。
バーサーカーは——
笑っていた。
誠の背に頬を寄せたまま。
満足そうに。
「ほら」
小さく、囁く。
「終わりましたよ。マスタァ」
アーチャーが、ゆっくりと立ち上がった。
椅子の脚が床を擦り、短い音を立てる。
視線はテレビではない。
バーサーカーの指先と、笑みの奥。
「——バーサーカー」
声は落ち着いている。
だが、硬い。
「君は、何をした?」
洋子が息を呑む。
理央も紫村も、動かない。
誠だけが、背中の温かさに縫い止められている。
バーサーカーは、誠を抱いたまま、くつりと笑った。
「何も?」
不思議そうに返す。
まるで、当然のことを言うように。
「私は、何もしていませんよ」
アーチャーの目が細くなる。
「……では、これは何だ」
砂嵐。
外界から断たれたような、無機質なノイズ。
バーサーカーは、テレビに向けて顎をしゃくる。
愉快そうに。
「ふふ」
笑い声が、妙に鮮明だった。
「タイミングをお伝えしただけですよ」
洋子が、噛みつくように言う。
「ふざけないで。電波が——遮断されたみたいじゃない」
バーサーカーは肩を揺らす。
楽しそうに。
「遮断されたんですよ」
あっさりと。
その軽さが、恐ろしい。
「ただし、誰かがスイッチを切ったわけではない」
誠の腕をなぞっていた指が止まる。
代わりに、彼女はゆっくりと部屋の空気を嗅ぐみたいに息を吸った。
「ねえ、皆さん」
声が甘い。
だが、言葉は冷たい。
「さっきニュースで見たでしょう? 感染症、暴動、腐る山、空の炎の輪」
一拍。
「災厄が、たくさん」
理央の喉が、小さく鳴った。
バーサーカーは続ける。
「“異聞帯”から持ち込まれたものが、幾つも重なり合っている」
洋子が眉を寄せる。
「……異聞帯?」
バーサーカーは頷いた。
笑みは崩さない。
「あり得たはずの、あり得なかった世界。可能性の枝」
指先が、誠の肩の上で小さく弾む。
「そこから漏れた厄介ごとが、この町に落ちてきた」
アーチャーが、低く言う。
「……過剰に折り重なり、飽和したと」
「そう」
バーサーカーは、嬉しそうに肯定する。
「一つなら、まだ“事故”で済んだかもしれません」
「二つでも、まだ“災害”で済んだかもしれません」
笑っている。
数を数えるみたいに。
「でも、いくつも。いくつも。いくつも」
言葉が、ふっと軽くなる。
「——積み上がった」
砂嵐の音が、少しだけ大きく感じられた。
バーサーカーは、ようやくアーチャーを見る。
赤い瞳が、まっすぐに刺す。
「世界は異物を認めない。現実のキャパシティにも限界はありますからね」
静かな断定。
「この町と、その周辺一帯は——“異界”と化した。いえ、異聞帯というべきでしょうか?」
誠の背中が冷える。
「現実世界から、隔絶された」
洋子が、息を吸う。
「……つまり」
紫村が、絞り出すように言った。
「我々はどうなったのですか? これ、元に戻るのですか?」
バーサーカーは微笑む。
慰めるように。
残酷なほど優しく。
「知りませんよそんなの。私はただ、観察と推察を行っただけ…… “そういうもの”がよく見えてしまうタチなので」
洋子は一拍遅れて動いた。
スーツの内ポケットから携帯電話を引き抜く。指先の動きだけが異様に速い。画面を叩き、履歴を開き、どこかに発信する。
——ぷつ。
呼び出し音すら鳴らない。
画面には、無機質な表示。
《圏外》
洋子の眉間に皺が刻まれる。
もう一度。番号を変える。教会の連絡網、非常時の短縮、別回線。
——駄目。
同じだ。
圏外。圏外。圏外。
「……ふざけてる」
吐き捨てる声。
手が震えるのを、爪で抑える。
理央が、低く言った。
「本当に……外と繋がってないのね」
アーチャーは砂嵐を一瞥し、目だけで状況を測っている。
その横で。
誠の背後の温度が、ふっと弾んだ。
「ふふ」
バーサーカーが、笑う。
愉しそうに。何かの余興が始まったみたいに。
「ほら、ね」
誠の肩に頬を寄せたまま、甘く囁く。
「無理でしょう」
洋子が、携帯を握りしめたまま睨みつける。
「あなた、やっぱり——」
「私は何もしていませんって」
バーサーカーは、肩をすくめるように誠の背で笑った。
「この町が“そうなった”だけです」
洋子の口が開く。噛みつく言葉が出る、その直前。
バーサーカーが、急に朗らかな声色に変える。
「……さて」
誠の腕を、軽く引く。
抱き締めたまま、立ち上がらせようとする力。
「マスター。話は終わったみたいですし」
耳元で、柔らかく。
「帰りましょう?」
誠の喉が詰まる。
「……は?」
驚きが言葉になる前に、部屋が動いた。
理央が椅子から腰を上げる。
紫村も立ち上がりかけ、机に手をつく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいバーサーカー女史! いま帰るとかそういう——」
洋子は携帯を叩きつけるように閉じ、声を鋭くする。
「聖杯の器を連れて出る気? この状況で?」
バーサーカーは、誠の背に頬を押し当てたまま、楽しそうに笑った。
「ピーピーと五月蝿い小娘ですねえ」
さらりと。
「情報の共有は、もう充分。あとは各自、好きにすればよいのでは?」
洋子が言い返す。
「好きにすればいいで済む話じゃない!」
血の様に赤い瞳は笑っている。
「では、これからどうするつもりです?」
問いかけは丁寧だ。口調も丁寧だ。
だが、剃刀の様に鋭い。
「連絡は繋がらない。外はない。ここは異界」
一拍。
「あなた方は、ここで“何をする”おつもりです?」
沈黙が落ちる。
誰も即答できない。
その沈黙を、バーサーカーは喜ぶみたいに笑う。
「それに」
誠の肩に乗っていた手が、軽く——だが確実に力を増す。
逃がさない、と告げる圧。
声が少しだけ低くなる。
「聖杯戦争、なのでしょう?」
理央の表情が硬くなる。
紫村の喉が鳴る。
アーチャーの視線が、まっすぐに刺さる。
バーサーカーは、愉しげに続けた。
「……私が、ここから先も大人しくしている保証はありませんよ」
洋子が息を呑む。
「脅し……?」
「確認です」
バーサーカーは微笑んだ。
「紫村秀則、黒野理央はマスターのお友達だから良いとして……貴方を殺さないであげる理由が、ありませんねえ」
赤い瞳が、洋子を捉えたまま笑っている。
洋子の背筋が強張る。指先が反射で携帯を握り直す。
アーチャーが一歩、静かに前へ出た。洋子の半身を隠すように。
理央の目が細くなる。紫村が息を止める。
——誠の胸の奥で、何かが弾けた。
「やめろ!」
声が出た。
自分でも驚くほど、喉の奥から絞り出した声。
誠は腕を掴む。背後の腕。温かい腕。
握った指先が、細いのに硬い。
「バーサーカー、やめろ! 今は——今は、そういうのじゃない!」
背中の気配が、ぴたりと止まった。
バーサーカーは一瞬だけ瞬きをして、それから愉しそうに——困った子を見るみたいに笑った。
「……マスタァ」
甘い声。
だが誠は、逃げない。
心臓が暴れているのに、逃げない。
「とにかく駄目だ。そんな事しても意味なんてない」
言い切る。
言い切ってから、自分の弱さが喉に引っかかった。
——戦いたくない。けれど、ここに留まりたくもない。
誠は息を吸い、続きを吐く。
「……でも」
視線が、自然とアーチャーの陣営へ向く。
洋子と、アーチャー。
さっきまで敵だった。さっきまで殺し合っていた。今も、条件が崩れれば戻る。
誠は舌先で乾いた唇を湿らせた。
「正直、このまま一緒にいるのも怖い」
言葉が落ちると、部屋が静かになった。
アーチャーの目がわずかに動く。洋子が何か言い返そうとして、止まる。
誠は続けた。
「だから……とりあえず、バーサーカーの言う様に一旦ここから出たい」
バーサーカーの腕の力が、ふっと緩む。
それは許可のようでもあり、満足のようでもあった。
耳元で囁く。
「はーい。承知いたしました、マスタァ」
誠は目を伏せた。
出る。
じゃあ、どこへ。
頭の中に、行き先が浮かびかけて——すぐに灰になる。
黒野の屋敷。
燃えた。
あの夜の火の粉と、崩れる屋根の音が蘇る。
自分の家。
聖杯戦争が始まってすぐに焼け落ちた。帰る場所は、もうない。
誠の視線が、床を滑る。
靴底の灰。
椅子の脚。
そして——紫村秀則の膝元で止まった。
包帯の覗く胸元。片腕を庇う姿勢。それでも、どこか場に馴染む妙な雰囲気。
誠は、無意識にその顔を見た。
「……え、ええっ?」
秀則は、目を丸くする。
「紫村、お前んち……行ってもいいか?」