Fate/You Died.   作:助兵衛

59 / 93
第59話 余所者の気配

 誠は引き戸を閉めるのももどかしく、靴下のまま廊下を駆けた。

 

 木が鳴る。

 

 音を立てないように、さっきは避けた軋みを、今は踏み抜く。

 

 秀則の寝室の襖に手をかけ、一気に開けた。

 

 暗い。

 

 布団の山。

 

 そして——いびき。

 

「秀則!」

 

 誠が声を張る。

 

「……んぉ……」

 

 山が動く。

 

 だが、起きない。

 

 誠はためらいなく近づき、肩を掴んで揺すった。

 

「起きろ! お前の母さんが——公子さんが、おかしいって!」

 

「は、はぁ……?」

 

 秀則の瞼が重たそうに開く。

 

 寝起きの鈍い目が、誠の焦りを見て少しだけ鋭くなる。

 

「何事ですか……」

 

「分かんねぇ! とにかく来い!」

 

 誠は言い切って、秀則の腕を引く。

 

 秀則は舌打ちのように息を吐き、布団を跳ね上げた。

 

 足を畳に落とす。

 

「母上が……?」

 

 声のトーンが一段落ちた。

 

 寝ぼけが剥がれ、現実に戻る速度が早い。

 

 二人は廊下へ飛び出した。

 

 マリアも後ろからついてくる。

 

 足音が重なる。

 

 居間の障子の前で、誠は一瞬だけためらった。

 

 中から——咳。

 

 乾いた、肺の奥を掻くような音。

 

 続いて、何かが倒れる鈍い音。

 

「……っ!」

 

 誠が引き戸を開ける。

 

 灯りは落ちていたはずなのに、薄い光がある。

 

 月明かりだけではない。

 

 床に白い光が散っている。

 

 居間の真ん中。

 

 公子は畳の上で、身体を折り曲げるようにして震えていた。

 

 喉の奥から、湿った音が漏れる。

 

「……ごほっ……ぉ……」

 

 咳とも、息ともつかない音。

 

 呼吸が浅い。

 

 吸っても、足りない。

 

 胸が上下するたび、骨が軋むような気配があった。

 

 その熱が、離れている誠の肌にまで伝わってくるような錯覚。

 

 ——異様な熱気。

 

「母上!」

 

 秀則が膝をつく。

 

 手を伸ばしかけて——止まる。

 

 触れていいのか、判断がつかない。

 

 公子の皮膚は赤く染まっていた。

 

 火にあてられたように。

 

 汗が滲み、呼吸と共に小刻みに震えている。

 

「……触らないで」

 

 低い声。

 

 621だった。

 

 すでに公子の側に膝をついている。

 

 いつの間にか展開されていた機器が、畳の上に無機質な光を散らしていた。

 

 黒いケース。

 

 開かれた内部から、細いケーブルと透明なパッドが伸び公子の胸元、首筋、指先に貼り付けられていた。

 

 パネルに走る光の線が、呼吸に合わせて脈動する。

 

「……バイタル、異常上昇」

 

 621が淡々と告げる。

 

 声は一定。

 

 感情はない。

 

 だが、表示パネルの数値は——明らかに正常ではなかった。

 

 体温。

 

 脈拍。

 

 呼吸数。

 

 どれも、振り切れかけている。

 

「……これ、もしかしてニュースでやってた……」

 

 ただの発熱ではない。

 

 熱の質が、違う。

 

 空気が歪むような、焼けつくような熱。

 

 その時だった。

 

 公子の身体が、びくりと跳ねた。

 

「——っ、あ……!」

 

 短い声。

 

 そのまま、顔が上がる。

 

 誠は、息を止めた。

 

 目が合った。

 

 ——赤い。

 

 公子の瞳が、血のように赤く染まっている。

 

 充血ではない。

 

 光を帯びた赤。

 

 内側から滲み出るような、血の如き赤。

 

 その視線が、誰も見ていない。

 

 焦点が合っていない。

 

 なのに——

 

 何かを、探している。

 

 

「……が……」

 

 喉が鳴る。

 

 言葉にならない。

 

 次の瞬間。

 

「……ぅ、うぅ……」

 

 低い唸りが漏れた。

 

 人の声ではない。

 

 獣のような、喉の奥から押し出される音。

 

 空気が、一瞬で冷えた。

 

 誠の背中に、ぞわりとしたものが走る。

 

「……っ」

 

 秀則が息を呑む。

 

「母上……?」

 

 呼びかける。

 

 だが、その声は届いていない。

 

 公子の視線は、どこにも定まらず、揺れている。

 

 唇がわずかに開き、歯が見えた。

 

 呼吸のたび、かすかに唸る。

 

 その時だった。

 

 廊下の向こうから、足音がひとつ、遅れて近づいてくる。

 

 軽い。

 

 だが、確かな足取り。

 

 居間の障子が、静かに開いた。

 

「皆さんお揃いで、容態は如何ですか?」

 

 マリアだった。

 

 月光と機器の白光に照らされて、その輪郭が浮かぶ。

 

 視線は、すぐに公子へ落ちた。

 

 そして——

 

 表情が変わる。

 

 いつもの柔らかな笑みが、すっと引いた。

 

 代わりに現れたのは、静かな緊張。

 

「……なるほど」

 

 低く呟く。

 

 楽しげな調子はない。

 

 観察する者の目。

 

 マリアは躊躇なく歩み寄る。

 

 秀則の隣に膝をつき、公子の顔を覗き込んだ。

 

「少し、失礼します」

 

 確認でも許可でもない。

 

 ただの宣言。

 

 そのまま手を伸ばす。

 

 額。

 

 頬。

 

 首筋。

 

 順に触れる。

 

 指先が、わずかに止まる。

 

 熱を測るように。

 

 脈を拾うように。

 

「……どうやって紛れ込んだのやら」

 

 独り言のように言う。

 

 次に、顎に指をかける。

 

 軽く持ち上げ、目を覗き込む。

 

 赤い瞳。

 

 焦点の合わない視線。

 

 マリアの指が、下瞼をわずかに押し下げた。

 

 一度、息を吐く。

 

 視線が、621の機器へ流れる。

 

「あなたの計測は?」

 

「異常値継続。原因不明」

 

 621が即答する。

 

 マリアは、わずかに頷いた。

 

「ええ、そうでしょうね」

 

 そして、もう一度公子を見る。

 

 赤い目。

 

 唸り。

 

 異様な熱。

 

 外で見た“あれ”と、どこか似ている。

 

 だが——完全には一致しない。

 

 マリアの目が細くなる。

 

 思考の色。

 

 だが、すぐに切り替えた。

 

 そのまま、公子の頬へ手を伸ばす。

 

 指先が、そっと触れる。

 

 冷たい手ではない。

 

 だが、熱を奪うような触れ方。

 

 掌が、ぴたりと頬に収まる。

 

 その瞬間——

 

 空気が、わずかに揺れた。

 

 何かが、流れた。

 

 音もなく。

 

 見えもしない。

 

 だが、確かに。

 

 公子の呼吸が、ひとつ、大きく吐き出される。

 

「……っ、は……」

 

 さっきまでの、掻きむしるような浅さが、少しだけ緩む。

 

 胸の上下が、落ち着く。

 

 唸りも、弱くなる。

 

「……ぅ……」

 

 完全には消えない。

 

 だが、さっきよりは明らかに穏やかだ。

 

 マリアは、そのまま動かない。

 

 掌を当てたまま。

 

 目を細めて、変化を見ている。

 

「……ある程度進行を遅らせました。とはいえ、根本的な治療ではありません。皆さん、別に同室にいて感染する様な病ではありませんので、ご安心ください」

 

 その時だった。

 

 公子の身体が、かすかに揺れた。

 

 さっきまでの激しい痙攣ではない。

 

 もっと弱い、だが意思のある動き。

 

「……ぅ……」

 

 喉の奥から、掠れた声が漏れる。

 

 唸りとは違う。

 

 言葉に近い音。

 

 秀則が、はっと顔を上げた。

 

「母上……?」

 

 次の瞬間。

 

 公子の指が、畳を掴んだ。

 

 ぎ、と爪が引っかかる。

 

 震える腕に、力が入る。

 

 上半身が、ゆっくりと持ち上がる。

 

「っ、無理をなさらないでください!」

 

 秀則が慌てて手を差し出す。

 

 支えるように、背中に腕を回す。

 

 触れるのを躊躇っていた手が、今は迷わない。

 

 公子の身体は熱い。

 

 異様なほどに。

 

 だが、確かに“自分で動いている”。

 

「……は、ぁ……」

 

 荒い呼吸。

 

 だが、さっきよりも“繋がっている”。

 

 公子は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 赤い瞳。

 

 だが——ほんのわずかに、焦点が戻り始めている。

 

 揺れながらも、目の前の存在を捉えようとしている。

 

「……秀則……?」

 

 かすれた声。

 

 名前。

 

 秀則の顔が、歪む。

 

「母上……! 大丈夫ですか!」

 

 公子は、わずかに笑った。

 

 弱い。

 

 だが、いつもの笑い方だった。

 

「ごめんね……心配、かけちゃって……」

 

 息を吐くたびに、言葉が途切れる。

 

 それでも、無理やり繋げる。

 

 母親の声。

 

 秀則は言葉を失った。

 

 喉が詰まる。

 

「……いいえ、そんな……!」

 

 返す言葉が、揺れる。

 

 公子は、ゆっくりと視線を下げた。

 

 自分の手。

 

 震えている。

 

 それを見て、ほんの一瞬だけ目を細める。

 

 そして——

 

「……秀則」

 

 呼ぶ。

 

 さっきより、少しだけはっきりと。

 

「……はい」

 

「薬箱……持ってきてくれる?」

 

 静かな声。

 

 いつもの調子に近づけようとしているのが分かる。

 

 秀則は一瞬だけ固まった。

 

 だが、すぐに頷く。

 

「……分かりました!」

 

 立ち上がる。

 

 ほとんど走るように、居間を出る。

 

 足音が廊下へ消えていく。

 

 誠は、その背中を見送った。

 

 そして、公子へ視線を戻す。

 

 まだ、赤い目。

 

 呼吸も不安定。

 

 だが——さっきの“それ”とは違う。

 

 理性が、ある。

 

 戻ろうとしている。

 

 数秒。

 

 やけに長く感じる時間。

 

 やがて、足音が戻ってくる。

 

 障子が開く。

 

「母上!」

 

 秀則が戻ってくる。

 

 手には、小さな木箱。

 

 使い込まれた薬箱。

 

 畳の上に膝をつき、すぐに差し出す。

 

「こちらです!」

 

 公子は、震える手でそれを受け取った。

 

 指先が、うまく動かない。

 

 秀則が、そっと支える。

 

 蓋が開く。

 

 中には、いくつかの薬瓶。

 

 包み紙。

 

 古びた、だが整えられた中身。

 

 公子の手が、その中から一つを選ぶ。

 

 小さな、ガラスの瓶。

 

 微かに濁った液体で満たされたそれは、わずかに光を反射する。

 

 公子はそれを見て——

 

 ほんの少しだけ、安堵の息を吐いた。

 

「……これ」

 

 瓶を持つ手は、まだ震えている。

 

 だが、その動きには迷いがない。

 

「これさえ飲めば……大丈夫だから」

 

 公子が小瓶の蓋に指をかけた、その瞬間だった。

 

「──お待ちなさい」

 

 声は低く、短い。

 

 止めるというより、奪うための声だった。

 

 マリアの手が滑り込む。

 

 公子の指先から小瓶を引き剥がすように取り上げ、反射で一歩引いた。

 

「え……?」

 

 秀則が目を見開く。

 

「何を──」

 

 公子が言いかけたが、マリアは答えない。

 

 小瓶を、まじまじと見る。

 

 月明かりと、621の機器の白光にかざして。

 

 角度を変え、揺らし、液の粘りと沈殿の具合を確かめる。

 

 ラベルの端。

 

 印字。

 

 封緘の癖。

 

 キャップの溝に残った、微かな乾き。

 

 ほんの数秒。

 

 だが、空気が固まるには十分だった。

 

 マリアの表情から、さっきの「安心させる」温度が抜け落ちていく。

 

 目だけが、冷えていく。

 

「……これを」

 

 マリアは小瓶を指先で回しながら、ゆっくりと言った。

 

「どこで手に入れましたか?」

 

 

 公子は一瞬、ぽかんとした。

 

 それから、苦しそうに息を吐いて、弱く笑う。

 

「そんなに怖い顔しなくても……ただの薬よ」

 

 咳がひとつ。

 

 胸の奥を掻くような音。

 

 秀則が背中を支えると、公子は首を振って大丈夫だと示した。

 

「数日前ね……無料で配られた試供品」

 

 マリアの眉が、わずかに動く。

 

「試供品……?」

 

「ええ。ここ数日、外がああだったでしょう? 皆、不安で……」

 

 公子は息を整えながら続ける。

 

「だから、体調を崩さないようにって。『熱に効く』って言ってたわ」

 

 マリアは、小瓶から目を離さない。

 

 指先の力が、微かに強くなる。

 

「誰が配っていたのです?」

 

 公子は少し思い出すように視線を泳がせた。

 

 赤い目の奥で、焦点が揺れる。

 

 それでも、言葉は出る。

 

「女医さんよ」

 

 秀則が眉を寄せる。

 

「……女医?」

 

「ええ。穏やかな笑顔が印象的な人でね」

 

 公子は、何かを安心材料にするみたいに、わざと柔らかく言う。

 

「わざわざ家を訪ねてきて、配ってたの。『今は病院も混乱しているから、せめてこれで』って」

 

 マリアの視線が、すっと上がる。

 

 公子の顔に向けられる。

 

 だが、その目は優しくない。

 

 確認する目。

 

「その女医の特徴を、もう少し」

 

「外国の方で、……髪は……金……いえ、貴方みたいな銀色だったかしら。声は落ち着いていて、よく通る声で」

 

 公子の言葉が、かすれる。

 

 呼吸が揺れる。

 

 喉の奥で、また低い音が生まれかける。

 

 その前に。

 

「──十分です」

 

 マリアが、静かに言った。

 

 そして。

 

 躊躇なく、小瓶を握り込む。

 

「な──」

 

 秀則が声を上げるより早く。

 

 ぎ、と音がした。

 

「ないない、しましょうね」

 

 ガラスが軋む。

 

 割れる音は、しない。

 

 代わりに。

 

 マリアの掌から、光が滲んだ。

 

 極地の光のような、眩い白。

 

 冷たいはずなのに、熱を孕んでいる光。

 

 それが、指の隙間から細く漏れる。

 

「……っ」

 

 誠が、息を呑む。

 

 光は一瞬、強くなった。

 

 次の瞬間。

 

 ぱき、と乾いた音。

 

 小瓶が砕けた。

 

 だが──破片は飛び散らない。

 

 掌の中に留まったまま。

 

 そのまま。

 

 焼けた。

 

 光が、内部から噛み潰すように満ちる。

 

 液体が蒸発する音すらなく。

 

 匂いも、煙も、何も残さず。

 

 ただ、存在だけが消えていく。

 

 

 数秒。

 

 マリアが、手を開く。

 

 そこにはもう、何もなかった。

 

 破片も、粉も、痕跡すら。

 

 空白だけが、残っている。

 

 静寂。

 

 秀則が、言葉を失っている。

 

「……今のは」

 

 かすれた声。

 

 だが、マリアはそちらを見ない。

 

 ただ、まっすぐ公子を見る。

 

「その薬は、飲んではいけません」

 

 断定。

 

 余地がない。

 

「絶対に、です」

 

 言葉の重さが、居間の空気を押さえつける。

 

 公子が、わずかに息を呑む。

 

 赤い瞳が揺れる。

 

 理性と、別の何かの境界で。

 

「……どういう、こと……?」

 

 秀則の声は、震えていた。

 

 マリアは、ようやく視線を向ける。

 

 だが、その表情は穏やかではない。

 

 冷静に削ぎ落とされた顔。

 

「“治す”ためのものではありません」

 

 一拍。

 

「むしろ、その逆です」

 

 誠の背中に、冷たいものが走る。

 

 外で見た光景。

 

 赤い目。

 

 あの群衆。

 

 すべてが、一瞬で繋がりかける。

 

 マリアは、すぐに話を切り替えた。

 

「……その女医は」

 

 声が、わずかに低くなる。

 

「今、どこにいますか」

 

 公子の眉が、わずかに寄る。

 

 苦しさとは別の、思い出す時の表情。

 

 呼吸を整えながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「……近くよ」

 

 かすれた声。

 

 だが、はっきりとした意思がある。

 

「この辺りを回ってるって……言ってたわ」

 

 マリアの視線が、わずかに細くなる。

 

「具体的には?」

 

 公子は一度目を閉じる。

 

 浮かび上がる記憶を掴むように。

 

「……坂を下りた先の……古い診療所……」

 

 息を吸う。

 

 胸が上下する。

 

「……今は使われてないって聞いてたけど……そこを拠点にしてるって……」

 

 誠の背筋に、冷たいものが走る。

 

 “拠点”。

 

 その言葉が、あまりにしっくり来てしまう。

 

 公子は、さらに続けた。

 

「住所……確か……」

 

 指が、畳の上で弱く動く。

 

 なぞるように。

 

「……三丁目の外れ……突き当たりの……古い木造の建物……」

 

 言い終えた途端、息が乱れる。

 

 咳が漏れそうになるのを、必死に抑える。

 

 秀則が慌てて背中を支える。

 

「もういいです、母上……!」

 

 公子は、かすかに頷いた。

 

 その様子を、マリアは一切逃さず見ていた。

 

 情報を、組み立てるように。

 

 そして——

 

「……十分です」

 

 短く言う。

 

 すでに判断は終わっている。

 

 立ち上がる。

 

 動きに迷いがない。

 

 視線が、障子の向こうへ向く。

 

 夜。

 

 静まり返った街。

 

 そこに“何か”がいる。

 

「マスター」

 

 マリアが、誠に視線を向けた。

 

 さっきまでの緊張とは違う。

 

 決定した者の目。

 

「野暮用が出来ました」

 

 一拍。

 

「数時間、留守に致します」

 

 言い終えると同時に、踵を返す。

 

 説明はしない。

 

 許可も求めない。

 

 当然のように、障子へ向かう。

 

「ちょっ……!」

 

 誠が反射で声を上げる。

 

 だが、マリアは止まらない。

 

 引き戸に手をかける。

 

 そのまま、開ける。

 

 夜の空気が流れ込む。

 

 冷たい。

 

 外の静けさが、そのまま入り込む。

 

「なるべく早く戻ります、良い子にしていて下さいね」

 

 

 次の瞬間には、もう外へ出ていた。

 

 足音が、遠ざかる。

 

 早い。

 

 迷いがない。

 

 誠は、一瞬固まる。

 

 頭が追いつかない。

 

 だが。

 

 すぐに、嫌な予感が胸を掴む。

 

「……待てよ」

 

 呟きが漏れる。

 

 そのまま、体が動く。

 

「おい!」

 

 誠は立ち上がり秀則と、そして理央に向けて声を上げる。

 

「紫村、黒野!」

 

 一瞬だけ目が合う。

 

 状況を共有する暇はない。

 

「ここ、頼んだ!」

 

 言い切る。

 

 それだけで、もう走り出していた。

 

 廊下を抜ける。

 

 引き戸を押し開ける。

 

 外へ。

 

 夜気が、肺に刺さる。

 

 冷たい。

 

 だが、構わない。

 

 目を凝らす。

 

 暗闇の中。

 

 遠くに、かすかに動く影。

 

 マリアだ。

 

 もう、かなり先にいる。

 

「……っ、待てって!」

 

 誠は、その背を追って駆け出した。

 

 静まり返った夜の中へ。

 

 音のない街へ。

 

 何かが、潜んでいる場所へ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。