Fate/You Died.   作:助兵衛

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第66話 地元のツレに、今のノリを見られると気まずい

 ランサーはぐったりした美桜を一瞥すると、軽く肩を竦めた。

 

「じゃ、行くか」

 

 そう言うなり、背中と膝裏へ腕を差し入れ、ひょいと美桜を抱え上げる。

 荷物でも持ち上げるような気安さだったが、手つきそのものは乱暴ではなく、頭が揺れないよう慎重に支えていた。

 

 美桜は腕の中でうっすらと目を開けたものの、声を出す気力までは残っていないらしい。

 ただ、自分が槍を持った騎士に抱えられているという異常だけは理解できるのか、怯えたように肩を強張らせた。

 

「安心しな、マスター。とって食いやしねえよ」

 

 ランサーは軽口を叩いたが、美桜にそれを冗談として受け止める余裕はない。僅かに息を呑み、そのまま身を固くしていた。

 

 その傍らでは、マリアが鋼鉄のワイヤーで何重にも縛られたセイバーの前へ立っていた。

 胸を貫いていた槍はすでに抜かれている。

 だが、鎧に開いた穴から大量の血が流れることはなく、黒い隙間だけがぽっかりと沈んで見えた。

 

「さて、あなたはこちらです」

 

 マリアはそう告げると、躊躇なくセイバーへ背を向けた。

 ワイヤーに拘束された腕を取り、自分の肩へ回す。

 

 ぎしり、と鋼線が鳴った。

 

 誠は思わず眉を寄せる。

 

「……それ、背負えるのかよ」

 

「失礼ですねぇ」

 

 マリアは振り返りもしなかった。

 

「これでも、か弱い淑女なのですが」

 

 どこがだ、と言いかけて、誠は飲み込んだ。

 

 実際、マリアは次の瞬間には鎧姿のセイバーを難なく背負い上げていた。

 鎧の重量も、身体へ何重にも巻かれたワイヤーも意に介していない。

 亡者の騎士の頭がマリアの肩越しへ垂れる。

 

 干からびた黒い顔。

 深く落ち込んだ眼窩。

 瞼だけは閉じておらず、開いた目は何かを見つめ続けている。

 

 それでも今のところ抵抗する様子はなかった。

 暴れもしなければ、逃れようともしない。

 

 九郎は霧の奥へ目を凝らした。

 

「急いだ方がよいな。この霧……何か人ならざるものが潜んでいるように思える」

 

 その言葉へ応えるように、工場の奥で何かが軋んだ。

 鉄骨が重みに耐えかねたような、低く鈍い音だった。

 

 誠は小さく頷く。

 

「……行こう」

 

 それ以上、この場所に留まりたくはなかった。

 

 理央と九郎が並び、ランサーは美桜を抱えたまま先頭へ立つ。

 

「勘の良い坊主だな。安心しな、学校まではそう遠くない。霧の中だと距離感は狂うが、道は分かる」

 

 ランサーは槍を片手に持ち替え、もう片方の腕で美桜を抱えたまま歩き始めた。

 

 マリアも最後尾へ回るかと思われたが、誠の脇をすり抜けて少し前へ出る。背には拘束されたセイバー。

 

 異様な取り合わせだった。

 それなのに、この霧の中では不思議なほど違和感なく馴染んでいる。

 

 一行は工業地帯を後にした。

 霧は相変わらず濃いものの、来た時より僅かに薄れているようにも感じられた。

 単に目が慣れただけなのかもしれない。

 

 湿ったアスファルトを踏み、鉄と油の残り香の中を進んでいく。

 遠くには巨大なクレーンの影が黒く浮かんでいた。

 

 やがて、霧の向こうに淡い光が見え始める。

 

 橙色の灯り。

 最初は一つだったものが、近付くにつれて二つ、三つと増えていった。

 

「……灯りだ」

 

 誠が目を細める。

 

「ああ。もうすぐだ」

 

 ランサーが頷いた。

 

 少しずつ霧が薄れ、やがて見慣れた鉄柵と門柱の輪郭が浮かび上がってくる。

 

 学校だった。

 誠たちが普段通っている、見慣れた校門。

 しかし、その向こうにあるものは、彼の知る学校の夜景とはまるで違っていた。

 校門をくぐった瞬間、空気が変わる。

 

「……うわ」

 

 誠は思わず声を漏らした。

 

 校庭いっぱいに天幕が立っている。

 白い布製のテント。

 緑色の簡易天幕。

 ブルーシートを組み合わせただけの即席の囲い。

 災害時の仮設キャンプを思わせる光景が、校庭を埋め尽くしていた。

 

 ランタンの灯りが揺れ、焚き火から細い煙が昇っている。

 その間を、多くの人影が行き交っていた。

 

 避難所。

 その言葉が、ようやく現実として目の前に現れる。

 ただし、普通の避難所ではない。

 校庭の端では制服姿の高校生が毛布に包まり、その隣ではスーツ姿の男が段ボールを枕に眠っている。

 子供を抱いた母親や、膝を抱えて座り込む老人の姿もあった。

 

 そこまでは理解できる。

 問題は、その中へ奇妙な存在が混ざっていることだった。

 深いフードで顔全体を隠した人物。

 明らかに現代の装備ではない鎧を身に着けた男。

 姿だけを見ても、どこの国の、どの時代の人間なのかさえ分からない者たち。

 

 誠は言葉を失った。

 

「言ったろ」

 

 ランサーが肩を竦める。

 

「ここは、そういう場所だ」

 

 理央も黙ったまま周囲を見渡している。

 

 表情は硬い。

 だが、驚いているというより、この光景を受け入れる覚悟を固めているようだった。

 

 一方、九郎は僅かに肩の力を抜いた。

 

「……なるほど」

 

 周囲にいる異質な人々を見回しながら、小さく呟く。

 

「ここでは、私はさほど珍しい存在でもないようだな」

 

 マリアは背負っているセイバーを軽く揺らした。

 

 鎧が小さく鳴る。

 

「ほら、あなたも静かにしていなさい」

 

 もちろん返事はなかった。

 セイバーはワイヤーで拘束されたまま、マリアの背へ身体を預けている。

 

 校庭の中央には簡易机が並べられ、その向こうでは大きな鍋から湯気が立ち上っていた。炊き出しを行っているらしい。

 

 隣では毛布や水のボトルが配られている。

 体育館の扉も校舎の入口も開け放たれ、内部にも多くの人影が見えた。

 そこも避難民の寝床として使われているのだろう。

 

 ランサーは歩きながら校舎へ顎を向ける。

 

「先生はとりあえず中に寝かせる。医務室か保健室が空いてりゃいいが」

 

 そのまま昇降口へ向かいながら、肩越しに振り返った。

 

「お前らはどうする?」

 

 誠は一瞬考えた。

 

 このまま全員でついて行くこともできる。

 だが、この避難所の人数を見る限り、美桜を休ませる場所を探すだけでも時間がかかりそうだった。

 

 誠はランサーの腕の中でぐったりしている美桜へ視線を向ける。

 

「……先生は頼む。こっちは寝られる場所を探す」

 

「了解」

 

 ランサーは鼻で軽く笑った。

 

 それからマリアを見る。

 

「そっちの荷物も連れてくぞ。校舎の中なら多少は目立たねえだろ」

 

「構いませんよ」

 

 マリアは首を傾げ、背中のセイバーを軽く揺する。

 

「あなたもしばらく大人しくしていてくださいね」

 

 亡者の騎士はやはり答えない。

 

「じゃあな。あとでどっかで合流しようぜ」

 

 ランサーは美桜を抱え直し、槍を肩へ掛けると校舎へ入っていった。

 

 マリアもセイバーを背負ったまま後に続く。

 その異様な姿に、近くにいた避難民がぎょっとして目を向けた。

 だが、その視線も長くは続かなかった。

 

 この場所では、どうやら人の背に鎧姿の亡者が括り付けられている程度では、いつまでも驚いていられないらしい。

 すぐにそれぞれの生活へ戻っていく。

 

 誠は二人の背中を見送り、小さく息を吐いた。

 

「……さて」

 

 理央と九郎へ向き直る。

 

「俺たちは寝床探しか」

 

「ええ。さすがに一晩外はきついわ」

 

 理央が頷く。

 

 三人は昇降口から校舎へ入った。

 

 内部はすでに完全な仮設生活空間へ変わっていた。

 廊下の壁際には毛布が敷かれ、段ボールや大きな荷物が並んでいる。

 教室の扉も開け放たれ、その中にも避難民の姿があった。

 

 体育館の方からは絶えず人のざわめきが聞こえてくる。

 ほとんど空きはないらしい。

 廊下を進むたび、多くの視線が向けられた。

 

 疲れ切った目。警戒する目。何も考えず、ぼんやりと宙を見つめている目。

 誠は何度か空いていそうな教室を覗いたが、どこも同じだった。

 

 毛布と荷物と人。

 

 すでに、それぞれの居場所が出来上がっている。

 

「……満員だな」

 

 誠が呟く。

 

「これは……難しいわね」

 

 理央も小さく息を吐いた。

 

 その時だった。

 

「おや」

 

 しわがれた声に、三人が振り返る。

 廊下の端で毛布へ腰を下ろしていた老人が、こちらを見ていた。

 白髪に痩せた身体。

 疲労は濃いものの、目だけはまだしっかりしている。

 

「寝る場所を探しとるのかい」

 

「はい。どこか空いてるところがあれば……」

 

 誠が軽く頭を下げる。

 

 老人は顎へ手を当て、少し考え込んだ。

 

「教室は全部埋まっとるな。体育館も、もうぎゅうぎゅうじゃ」

 

 それから、廊下の奥へ指を向けた。

 階段の横に、小さな扉がある。

 

「あそこに備品倉庫がある。広くはないが、今は誰も使っとらん」

 

 老人は穏やかに笑った。

 

「倉庫でよければ、空いておるよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 誠が頭を下げる。

 

「気にせんでいい。こういう時は、空いとる場所を使うのが一番じゃ」

 

「助かります」

 

 理央も小さく会釈した。

 

 三人は教えられた方へ歩き始める。

 毛布に包まった避難民の間を縫うように廊下を進む。

 

 避難所の夜特有の、低く絶え間ない生活音が広がっていた。

 やがて階段横の扉へ辿り着く。

 古い金属プレートには「備品倉庫」と書かれている。

 

 誠がノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。

 きぃ、と僅かに軋む音を立てて扉が開く。

 

「……狭いな」

 

 中は三畳程度しかなかった。

 壁沿いに棚があるものの、備品の大半はすでに持ち出されている。

 体育用ボールを入れていたらしいネットや壊れた折り畳み椅子、古びたモップの柄。

 残っているのは、その程度だった。

 

 毛布やマット、簡易ベッドといった使える物は、とっくに避難所のどこかへ回されているのだろう。

 

「……備品はほとんどないわね」

 

 理央が見回す。

 

「持ち出されたのであろう」

 

 九郎も頷いた。

 

「でも――」

 

 誠は空いた床を見た。

 

「逆に、寝るスペースはあるな」

 

「ええ。誰もいないのはありがたいわ」

 

 人の目が集まる教室や廊下と違い、この小さな空間なら多少は落ち着ける。

 今はそれだけでも十分だった。

 

「とりあえず、ここ使わせてもらうか」

 

「そうね。今は贅沢言ってられないわ」

 

 九郎も一度廊下を確認してから中へ入り、扉を閉めた。

 外のざわめきが少し遠ざかる。

 倉庫の中には、埃と古い木材の匂い、それから僅かな冷気だけが残った。

 

 誠は壁際へ腰を下ろそうとして――ふと動きを止めた。

 

「……ん?」

 

 倉庫の奥。

 棚の影に、何かがある。

 最初は荷物だと思った。

 だが、床へ掛けられている布の膨らみは、人一人分ほどの大きさがあった。

 

「黒野」

 

「なに?」

 

「奥、なんか……ある」

 

 三人の視線が同時に向く。

 

 先に動いたのは九郎だった。

 静かに奥へ進み、しゃがみ込んで布の端を摘む。

 

「……何かを隠しているようだな」

 

「避難物資?」

 

 理央が身を乗り出す。

 

「いや……」

 

 九郎は布越しの感触を確かめてから、ゆっくり引いた。

 ぱさりと布が床へ落ちる。

 

 その下にあったものを見て、三人とも言葉を失った。

 

「……人? な訳ないか」

 

 誠が思わず呟く。

 

 そこに座っていたのは、人形だった。

 椅子もない床へ静かに腰を下ろし、瞳を伏せている。

 まるで眠っているような姿だった。

 

 長い白銀の髪。陶器の様に白い肌。

 髪を彩る赤いリボン。

 黒を基調としたドレスと、細かな刺繍を施されたマント。

 頭には帽子まで被っている。

 衣服の皺も、髪の一本一本も、指先の造形も、異様なほど精巧だった。

 

「……すげぇ」

 

 誠は思わず息を漏らす。

 

「これ、本当に人形か?」

 

 理央も隣へしゃがみ、恐る恐る顔を覗き込んだ。

 

「……精巧すぎるわね」

 

 今にもゆっくり目を開け、そのままこちらへ話し掛けてきそうだった。

 

「見事な造形だな」

 

 九郎も腕を組んで低く唸る。

 

 その時だった。

 

 理央の表情が変わった。

 

「ねえ、待って」

 

「どうした?」

 

 誠が振り向く。

 

 理央は人形の顔を凝視していた。

 眉を寄せ、信じ難いものを前にしたように目を見開いている。

 

「これ……似てない?」

 

「何が?」

 

 理央は顔を上げた。

 

「マリアに」

 

 誠はもう一度、人形を見る。

 

 どこか冷たさを感じさせるほど整った美貌に、背筋を冷たいものが這った。

 

「ほんとだ」

 

 九郎もゆっくり目を細めた。

 

「瓜二つ、だな」

 

 三人とも人形から目を離せなくなった。

 

 似ているという言葉では足りない。

 髪色も、輪郭も、睫毛が頬へ落とす影も、伏せられた瞼の形までほとんど同じだった。

 本人をそのまま写し取って作ったと言われた方が、まだ納得できる。

 

「……なんなんだよ、これ」

 

 誠の掠れた声だけが、小さな倉庫に響いた。

 

 理央も九郎も答えない。

 

 その時。

 

 背後で、きぃ、と扉が軋んだ。

 

 三人が一斉に振り返る。

 

「おや、どうしたのですか?」

 

 聞き慣れた声が後ろから響く。

 噂をすれば影という言葉そのままに、マリアが倉庫の入口から顔を覗かせていた。

 

「ちょうど良い倉庫を見つけましたね」

 

 いつも通りの調子だった。

 首を軽く傾げ、どこか人を食ったような笑みを浮かべている。

 

 美桜とセイバーを休ませる場所を確保し、こちらへ戻ってきたらしい。

 だが、すぐに三人の様子がおかしいことへ気付いた。

 誰も返事をしない。

 全員が倉庫の奥を見たまま固まっている。

 

 マリアの笑みが僅かに薄れる。

 

「……なんです?」

 

 怪訝そうに眉を寄せた。

 

「いや、その……」

 

 誠は説明しようとしたが、言葉が出てこない。

 

 理央も同じだった。

 

 結局、誰もまともな説明をしないまま、マリアは小さく息を吐いて扉をさらに開けた。

 三人の視線を追うように顔を倉庫の奥へ向け――そこで完全に止める。

 視線の先には、マリアと瓜二つの人形が人形が座っている。

 

 マリアは何も言わなかった。

 

 ほんの一瞬。

 本当に一瞬だけ、表情が完全に消えた。

 いつもの余裕も、軽口も、人を食ったような薄い笑みも、すべて音もなく剥がれ落ちた。

 

「……あー」

 

 マリアらしくない間の抜けた声が漏れる。

 

 誠は横顔を見てしまった。

 驚いた、というより凍り付いている。

 明らかに、見てはいけないものを見た人間の反応だった。

 

 ところが次の瞬間、マリアは我に返ったように視線を逸らした。

 あまりにも露骨に。

 まるで人形を見ること自体を避けるように。

 口元が僅かに引きつる。

 

 倉庫の中へ、なんとも形容し難い気まずさが広がった。

 

「……お前」

 

「私は知りませんよ」

 

 誠が口を開き切るより先に、マリアが遮った。

 まだ何も聞かれていないと言うのに、あまりにも反応が早い。

 

 理央の眉がぴくりと動いた。

 

「まだ何も言ってないけど」

 

「ああ、はい。そうですね」

 

 マリアは壁の方を見たまま答える。

 

「ですが、この状況で飛んでくる質問くらいは予想できますので、先に答えておこうかと」

 

 平静を装っているが、いつもより声音が僅かに硬い。

 

 九郎が腕を組んだまま静かに問い掛ける。

 

「……本当に、知らぬのか」

 

 マリアはすぐには答えなかった。

 ほんの短い間のはずなのに、妙に長く感じる。

 

「……さて」

 

 いつもの言葉だった。

 だが今ばかりは、露骨に逃げているようにしか聞こえなかった。

 

 誠は人形を見て、次いでマリアを見る。

 似ているどころではない。

 本人をそのまま型に取って作ったと言われても疑わないほどだった。

 

 理央も静かに言う。

 

「少なくとも、偶然で済ませられる顔じゃないわね。貴方がモデルの人形よこれは」

 

 マリアは答えない。

 ただ視線を逸らしたまま、僅かに肩を竦める。

 その仕草さえ、普段と違ってどこかぎこちなかった。

 

 避難所の片隅にある、誰も使っていない備品倉庫。

 その奥へ布を掛けて隠されていた、マリアと瓜二つの人形。

 偶然とは考えにくい。

 そして何より、マリア自身の反応が、何も知らない者のものではなかった。

 

 知っている。しかも、あまり触れられたくない何かを。

 

 沈黙が続いた。

 人形は瞳を伏せたまま、最初からそこにいたように静かに座っている。

 あるいは、ずっと誰かを待っていたかのように。

 

 マリアはまだそちらを見ようとしなかった。

 壁の方へ視線を逃がし、妙に整った横顔だけをこちらへ向けている。

 その態度があまりにも露骨だからこそ、何も知らないと言われても信じようがない。

 

「……おい、マリア」

 

 誠が呼び掛ける。

 

 マリアの肩が、ほんの僅かに揺れた。

 しばらくして、ようやく口を開く。

 ただし、こちらを見ないまま。

 

「……一つ、確認なのですが」

 

 声を平坦に保とうとしているのが、逆に分かってしまう。

 

「何だよ」

 

 誠が眉を寄せる。

 

 マリアは一拍置いた。

 言うべきかどうか迷ったらしい。

 

「その人形は……」

 

 そこで僅かに顎を動かす。

 しかし人形を見ることはない。

 

「何か、話しましたか?」

 

「……は?」

 

 誠は数秒、質問の意味が理解できなかった。

 

 どれほど精巧でも、ただの人形だ。

 

「いや」

 

 当然のように答える。

 

「話すわけないだろ。人形だぞ」

 

「ええ。私たちが見た時からずっとそのままよ」

 

 理央も続ける。

 

「少なくとも、自分も声など聞いておらぬ」

 

 九郎が低く付け加えた。

 

 マリアはそこで小さく瞬きをする。

 何かを確認したような。

 あるいは、確認できなかったような顔だった。

 

 そして、ひどく意味深に呟く。

 

「……あら」

 

 一拍置く。

 

「まだでしたか」

 

 誠の背筋を冷たいものが走った。

 

「まだって、何がだよ」

 

 即座に問い返す。

 

 だがマリアは首を振った。

 

「さあ」

 

 いつもの逃げ方だった。

 しかし今回は、あまりにも露骨だ。

 

「今は深く気にしない方がよろしいかと」

 

「気にするだろ、普通!」

 

 誠の声が少し大きくなり、狭い倉庫の壁へ反響する。

 

 理央も険しい目をマリアへ向けた。

 

「今の言い方で、何もないと思えっていう方が無理よ」

 

「でしょうね」

 

 マリアはあっさり認め、苦笑を浮かべる。

 だが、その笑みさえ僅かに引きつっている。

 

「ですが、説明を始めると長くなりますし、あまり……その……」

 

 珍しく言葉を濁した。

 視線が人形へ向きかけ、すぐに逸れる。

 

「今は都合が……」

 

 何の都合なのかは言わない。

 そのせいで、かえって不穏さだけが増していく。

 

 九郎が静かに問い掛けた。

 

「つまり、この人形には何かあるのだな」

 

 マリアは答えなかった。

 だが、その沈黙自体が肯定にしか見えない。

 

 誠は改めて人形を見た。

 

 閉じた瞳、整い過ぎた顔、膝の上へ静かに揃えられた両手。

 見れば見るほど、次の瞬間に唇が僅かに動いても不思議ではないような錯覚に襲われる。

 

 そんな想像をした途端、腕に鳥肌が立った。

 

「……おい」

 

 誠は低く言う。

 

「まさか、本当に動くとか言わないよな」

 

 マリアは今回も即答しなかった。

 

 少し考え、視線を逸らしたまま答える。

 

「それは、貴方たち次第ですね」

 

 誠は額を押さえた。

 

「……なんだそれ。最悪だ……」

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