Fate/You Died.   作:助兵衛

66 / 93
第66話 地元のツレに、今のノリを見られると気まずい

 ランサーは、美桜のぐったりした身体を一瞥すると、肩を竦めた。

 

「じゃ、行くか」

 

 そう言って、ひょいと美桜を抱え上げる。

 

 まるで荷物でも持つみたいな気安さだったが、手つき自体は乱暴ではない。

 

 頭が揺れないよう、背と膝裏へ腕を差し入れている。

 

 美桜は、うっすらと目を開けた。

 

 だが、声を出す気力もないらしい。

 

 槍を持つ騎士に抱えられているという異常だけは分かるのか、怯えたように肩を強張らせる。

 

「安心しな、マスター。食いやしねえよ」

 

 軽口。

 

 だが、美桜は安心するどころではない。

 

 ただ、か細く息を呑むだけだった。

 

 その横で、マリアは縛り上げられたセイバーの前へ立つ。

 

 鋼鉄のワイヤーで何重にも巻かれた亡者の騎士。

 

 胸を貫いた槍はすでに抜かれていたが、その穴からも血は大して流れず、ただ黒い鎧の隙間が沈んで見えるだけだ。

 

 マリアは、しゃがみ込む。

 

「さて、あなたはこちらです」

 

 そう言って、躊躇なく背を向けた。

 

 まるで大きな荷物を担ぐみたいに、セイバーの腕を取り、自分の肩へ回す。

 

 ぎしり、とワイヤーが鳴る。

 

 誠は思わず眉を寄せた。

 

「……それ、背負えるのかよ」

 

「失礼ですねぇ」

 

 マリアは振り返りもせず答える。

 

「これでも、か弱い淑女なのですが」

 

 どこがだ、と言いかけて、誠はやめた。

 

 実際、マリアはそのままセイバーを背負い上げてしまった。

 

 鎧の重みも、ワイヤーの拘束もものともせず。

 

 亡者の騎士の頭が、マリアの肩越しに垂れる。

 

 干からびた顔。

 

 黒い窪み。

 

 だが、その目は閉じてはいない。

 

 開いたまま、何かを見ている。

 

 それでも——今のところは、大人しい。

 

 暴れない。

 

 足掻かない。

 

 九郎が、霧の奥を見回す。

 

「急いだ方が良いな」

 

 低い声。

 

「妙な霧だ、何か人ならざるものが潜んでおるような」

 

 それに応じるように、遠くで何かが軋んだ。

 

 工場のどこか。

 

 鉄の骨が、重みに耐えるみたいな鈍い音。

 

 誠は、頷いた。

 

「……行こう」

 

 短く言う。

 

 それ以上、ここにいたくなかった。

 

 理央が頷き、九郎がその隣へ並ぶ。

 

 ランサーは美桜を抱えたまま先頭に立った。

 

「勘の良い坊主だな。安心しな、学校まではそう遠くない。霧の中だと距離感は狂うが、道は分かる」

 

 槍を片手に持ち替える。

 

 もう片腕には、美桜。

 

 それでも歩みに迷いはない。

 

 マリアは最後尾へ回るかと思われたが、誠の横をすり抜けて、その少し前へ出た。

 

 背にはセイバー。

 

 その異様な取り合わせが、霧の中で妙にしっくり馴染んで見えた。

 

 一行は、工業地帯を後にする。

 

 霧は相変わらず濃い。

 

 だが、来た時よりも少しだけ薄れているようにも見えた。

 

 あるいは、目が慣れただけか。

 

 足元のアスファルト。

 

 湿った鉄の匂い。

 

 遠くのクレーンの黒い影。

 

 それらを掻き分けるように、進む。

 

 やがて、霧の向こうに灯りが見え始めた。

 

 ぼんやりとした橙色。

 

 最初は遠い街灯のように見えたが、近づくにつれて数が増える。

 

 点々と。

 

 いくつも。

 

 誠は目を細めた。

 

「……灯り?」

 

 ランサーが頷く。

 

「ああ、もうすぐだ」

 

 霧が、ゆっくりと薄れていく。

 

 校門の影が浮かび上がった。

 

 見慣れた鉄柵。

 

 見慣れた門柱。

 

 だが、そこに掛けられているのは、普段の静かな夜の空気ではない。

 

 人の気配だった。

 

 校門をくぐる。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

「……うわ」

 

 誠が思わず声を漏らす。

 

 校庭いっぱいに、天幕が立っていた。

 

 白い布のテント。

 

 緑色の簡易天幕。

 

 ブルーシートで組まれた即席の囲い。

 

 まるで災害時の仮設キャンプみたいに、いくつも、いくつも並んでいる。

 

 ランタンの灯りが揺れる。

 

 焚き火の煙が細く立ち上る。

 

 人の影が、あちこちで動いている。

 

 避難所だった。

 

 本当に。

 

 ただし——普通の避難所ではない。

 

 校庭の端。

 

 制服姿の高校生が毛布にくるまっている。

 

 その隣では、スーツ姿の男が段ボールを枕に眠っている。

 

 子どもを抱いた母親。

 

 膝を抱えて座る老人。

 

 そこまでは、よくある光景だった。

 

 だが、その間に。

 

 奇妙なものが、混じっている。

 

 フードを深く被った、顔の見えない人物。

 

 鎧のようなものを着た、どこの時代の人間か分からない男。

 

 誠は、何も言えなかった。

 

 ランサーが肩を竦める。

 

「言ったろ」

 

 低い声。

 

「ここは、そういう場所だ」

 

 理央も、黙って周囲を見ている。

 

 表情は硬い。

 

 だが、驚きよりも——覚悟に近いものが見える。

 

 九郎は、逆に少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……なるほど」

 

 小さく呟く。

 

「ここでは、私はありふれた存在のようだな」

 

 マリアは、背中のセイバーを軽く揺らした。

 

 鎧が、かすかに鳴る。

 

「ほら、あなたも静かにしていなさい」

 

 囁く。

 

「せっかくの共同生活ですよ」

 

 亡者の騎士は、答えない。

 

 ただ、マリアの背に縛られたまま、沈黙している。

 

 校庭の中央では、簡易机が並べられていた。

 

 炊き出しだろう。

 

 大きな鍋から湯気が上がっている。

 

 その横で、毛布や水のボトルが配られていた。

 

 体育館の扉も、校舎の入口も、開きっぱなしだ。

 

 中にも人影がある。

 

 どうやら、そこも仮の寝床として開放されているらしい。

 

 そのまま歩きながら、校舎の方へ顎を向けた。

 

「先生はとりあえず中に寝かせる。医務室か、保健室か、空いてりゃいいが」

 

 ランサーは、そのまま昇降口の方へ歩きながら肩越しに振り返った。

 

「お前らはどうする」

 

 誠は一瞬考える。

 

 このまま全員で動くのも手ではある。だが、今の避難所の様子を見る限り、人の数は相当だ。美桜を休ませる場所を探すだけでも時間がかかるだろう。

 

 それに。

 

 誠は、ランサーの腕の中でぐったりしている美桜を見た。

 

「……先生は頼む」

 

 短く言う。

 

「こっちは寝られる場所を探す」

 

 ランサーは、ふっと鼻で笑った。

 

「了解」

 

 それからマリアを見る。

 

「そっちの荷物も連れてくぞ。校舎の中なら多少は目立たねえ」

 

 マリアは軽く首を傾げた。

 

「構いませんよ」

 

 背中のセイバーを少し揺する。

 

「あなたも、しばらく大人しくしていなさい」

 

 亡者の騎士は答えない。

 

 ただ、縛られたまま、静かにマリアの背に預けられている。

 

 ランサーは美桜を抱え直し、槍を肩に掛ける。

 

「じゃあな。あとでどっかで合流しようぜ」

 

 そう言って、校舎の中へ入っていった。

 

 マリアもその後に続く。

 

 背中に鎧の騎士を背負ったまま。

 

 その異様な姿に、近くの避難民がぎょっとして視線を向ける。

 

 だが、もうこの場所ではそれも長く続かない。

 

 すぐに視線は逸らされ、また各々の生活へ戻っていく。

 

 誠は、その背中を見送った。

 

 そして、小さく息を吐く。

 

「……さて」

 

 理央と九郎を見る。

 

「俺たちは寝床探しか」

 

 理央は頷いた。

 

「ええ。さすがに一晩外はきついわ」

 

 九郎も周囲を見回す。

 

「校舎の中か体育館だろうな」

 

 三人は昇降口をくぐる。

 

 中は、すでに仮設の生活空間になっていた。

 

 廊下の壁際には毛布が敷かれ、段ボールや荷物が並んでいる。

 

 教室の扉は開け放たれ、そこにも人がいる。

 

 体育館の方からはざわめきが聞こえた。

 

 ほとんど、埋まっていた。

 

 廊下を進むたびに、視線を感じる。

 

 避難民の目。

 

 疲れきったもの。

 

 警戒しているもの。

 

 ただぼんやりと空を見ているもの。

 

 誠は、何度か空いていそうな場所を覗いた。

 

 だが、どこも同じだった。

 

 毛布。

 

 荷物。

 

 人。

 

 すでに居場所が決まっている。

 

「……満員だな」

 

 誠が呟く。

 

 理央も小さく息を吐いた。

 

「これは……難しいわね」

 

 その時だった。

 

「おや」

 

 しわがれた声。

 

 三人が振り向く。

 

 廊下の端。

 

 毛布に腰掛けていた老人が、こちらを見ていた。

 

 白髪。

 

 痩せた身体。

 

 だが目は、まだしっかりしている。

 

「寝る場所を探しとるのかい」

 

 誠は少し頭を下げた。

 

「はい。空いてるところがあれば……」

 

 老人は、顎に手を当てて考える。

 

「教室は全部埋まっとるな」

 

 一拍。

 

「体育館も、もうぎゅうぎゅうじゃ」

 

 それから、ゆっくりと指を伸ばした。

 

 廊下の奥。

 

 階段の横。

 

「あそこに備品倉庫がある」

 

 三人の視線がそちらへ向く。

 

「広くはないが、今は誰も使っとらん」

 

 老人は、少し笑った。

 

「倉庫でよければ、空いておるよ」

 

 誠は、その指の先を見た。

 

 廊下の奥。

 

 階段の横に、小さな扉がある。

 

 普段なら気にも留めないような、目立たない場所だった。

 

「……ありがとうございます」

 

 誠は軽く頭を下げる。

 

 老人は手をひらひら振った。

 

「気にせんでいい。こういう時は、空いとる場所を使うのが一番じゃ」

 

 理央も小さく会釈する。

 

「助かります」

 

 三人は、言われた方へ歩き出した。

 

 廊下を進む。

 

 毛布にくるまった人々の間を縫うように。

 

 小さな声。

 

 かすかな寝息。

 

 誰かの咳。

 

 避難所の夜の音が、低く広がっている。

 

 やがて、階段の横にある扉の前へ着いた。

 

 備品倉庫。

 

 古い金属のプレートが、ドアに取り付けられている。

 

 誠は、ノブを回した。

 

 鍵は掛かっていない。

 

 きぃ、と軽く軋む音。

 

 扉を開く。

 

「……」

 

 中を覗き込む。

 

 思ったより、小さい。

 

 三畳ほどのスペースだろうか。

 

 棚はある。

 

 だが——。

 

 ほとんど、空だった。

 

 体育用のボールが入っていたらしいネット。

 

 折り畳み椅子の残骸。

 

 古いモップの柄。

 

 それくらいしか残っていない。

 

 棚の多くは空で、床もがらんとしている。

 

 おそらく、毛布やマット、簡易ベッドなどは、すでに避難所のどこかで使われているのだろう。

 

 理央が、中を見回す。

 

「……備品、ほとんど無いわね」

 

 九郎が頷いた。

 

「持ち出されたのだろう」

 

 誠は、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「でも——」

 

 床を見る。

 

「逆に、寝るスペースはあるな」

 

 理央も頷く。

 

「ええ。誰もいないのはありがたいわ」

 

 避難所の教室や廊下のように、人の視線が集まる場所ではない。

 

 この状況では、それだけでも大きかった。

 

 誠は中に入る。

 

 靴底が、わずかに埃を踏む。

 

 床は固いが、横になることはできそうだ。

 

「とりあえず、ここ使わせてもらうか」

 

 理央が静かに頷いた。

 

「そうね。今は、贅沢言ってられないわ」

 

 九郎が扉の外を一度だけ確認し、それから中に入る。

 

 きぃ、と軽い音を立てて扉が閉まる。

 

 外のざわめきが、少しだけ遠くなった。

 

 倉庫の中は静かだった。

 

 埃の匂い。

 

 古い木材の匂い。

 

 そして、わずかな冷気。

 

 誠は壁際に腰を下ろしかけて——ふと足を止めた。

 

「……ん?」

 

 倉庫の奥。

 

 棚の影。

 

 何かがある。

 

 最初はただの荷物だと思った。

 

 だが。

 

 床の上に、布が掛けられている。

 

 大きさは、人ひとり分ほど。

 

 丸みのある形。

 

 誠は眉をひそめた。

 

「黒野」

 

「なにかしら」

 

「奥、なんか……」

 

 三人の視線が、そちらへ向く。

 

 

 九郎が先に歩き出した。

 

 静かな足取りで、倉庫の奥へ。

 

 しゃがみ込み、布の端を指でつまむ。

 

「……何かを隠しているようだな」

 

 理央が少し身を乗り出す。

 

「避難物資?」

 

「いや……」

 

 九郎は布の感触を確かめる。

 

 それから、ゆっくりと布を引いた。

 

 ぱさり、と布が床へ落ちる。

 

 その下にあったものを見て——

 

 三人とも、一瞬言葉を失った。

 

「……人?」

 

 誠が思わず呟く。

 

 そこに座っていたのは——

 

 人形だった。

 

 椅子も何もない床の上に、静かに座り込んでいる。

 

 瞳は伏せられている。

 

 まるで眠っているみたいに。

 

 長い白銀の髪。

 

 白い肌。

 

 赤いリボン。

 

 黒いドレスと、刺繍の施されたマント。

 

 帽子まで被っている。

 

 服の皺。

 

 髪の一本一本。

 

 指先。

 

 まるで本物の人間みたいだった。

 

 誠は、ゆっくりと息を吐く。

 

「……すげえ」

 

 思わず言葉が漏れる。

 

「これ、人形か?」

 

 理央もしゃがみ込む。

 

 恐る恐る顔を覗き込む。

 

「……精巧すぎる」

 

 本当に、今にも目を開けそうだった。

 

 肌の質感。

 

 睫毛。

 

 唇。

 

 人形というより——眠っている人間に見える。

 

 九郎も腕を組み、低く唸る。

 

「見事な造形だ」

 

 その時だった。

 

 理央の表情が、変わった。

 

 眉が寄る。

 

 目が見開く。

 

「……待って」

 

 誠が顔を上げる。

 

「どうした」

 

 理央は、人形の顔を見つめていた。

 

 まるで、信じられないものを見るみたいに。

 

「これ……」

 

 ゆっくりと、呟く。

 

「似てる」

 

「何が?」

 

 理央は顔を上げた。

 

 そして、はっきりと言う。

 

「マリアに」

 

 沈黙。

 

 誠の視線が、もう一度人形へ戻る。

 

 白銀の髪。

 

 白い顔。

 

 整った目元。

 

 静かな口元。

 

 そして——

 

 どこか冷たい、美しさ。

 

 誠の背筋に、冷たいものが走った。

 

「……おい」

 

 小さく呟く。

 

「ほんとだ」

 

 九郎も、ゆっくりと目を細める。

 

「瓜二つ、だな」

 

 倉庫の空気が、そこでぴたりと止まった。

 

 三人とも、人形から目を離せない。

 

 誠は、喉の奥がひどく乾くのを感じた。

 

 似ている、ではない。

 

 髪色も、輪郭も、睫毛の影も。

 

 静かに伏せられた瞼の形まで——あまりにも、そのままだった。

 

「……なんなんだよ、これ」

 

 掠れた声が、やけに小さく響く。

 

 理央は答えない。

 

 九郎も、ただ低く眉を寄せたまま、人形を見下ろしている。

 

 その時だった。

 

 きぃ、と。

 

 背後で、扉がまた軋んだ。

 

 三人が一斉に振り向く。

 

「おや」

 

 聞き慣れた声。

 

 噂をすれば影と言わんばかりに、マリアが倉庫の入り口に立っていた。

 

 扉を半分だけ開け、こちらを覗き込んでいる。

 

「ちょうど良い倉庫を見つけましたね」

 

 いつもの調子だった。

 

 軽く首を傾げ、いつものようにどこか人を食った笑みを浮かべている。

 

 どうやら美桜を寝かせる場所を見つけ、ひとまず離脱してきたらしい。

 

 だが、次の瞬間。

 

 マリアは、三人の様子に気づいた。

 

 誰も返事をしない。

 

 誰も動かない。

 

 倉庫の奥を見たまま、固まっている。

 

 マリアの笑みが、わずかに薄れる。

 

「……なんです?」

 

 怪訝そうに眉をひそめる。

 

 誠が、口を開きかける。

 

 だが、言葉にならない。

 

「いや、その……」

 

 理央も、説明を探すみたいに視線を泳がせた。

 

 結局、誰も何も言えない。

 

 マリアは小さく息を吐き、扉をもう少し開けた。

 

 靴音が一つ。

 

 二つ。

 

 静かに中へ入り、三人の視線の先を追うように、倉庫の奥へ顔を向ける。

 

 そして——

 

 止まった。

 

 空気が、また一段重くなる。

 

 マリアの視線の先。

 

 布を剥がれた人形。

 

 床に静かに座り込み、瞳を伏せたままの、美しい顔。

 

 白銀の髪。

 

 黒い装い。

 

 そして、マリア自身と瓜二つの貌。

 

 マリアは、何も言わなかった。

 

 言えなかった、の方が近い。

 

 ほんの一瞬。

 

 本当に、ほんの一瞬だけ。

 

 表情が、完全に消えた。

 

 いつもの余裕も、軽口も、薄い笑みも。

 

 全部が、音もなく剥がれ落ちたみたいに。

 

「……あー」

 

 沈黙。

 

 誠は、その横顔を見てしまった。

 

 驚愕。

 

 というより、凍結に近い。

 

 見てはいけないものを見た時の顔だった。

 

 だが、次の瞬間。

 

 マリアは、はっとしたように視線を逸らした。

 

 あまりにも露骨に。

 

 まるで、人形と目を合わせることそのものを避けるみたいに。

 

 ほんのわずかに口元が引きつる。

 

 気まずい。

 

 そうとしか言いようのない空気が、倉庫いっぱいに広がった。

 

 誠が、思わず言う。

 

「……お前」

 

 マリアは、即座に遮った。

 

「知りませんよ」

 

 早い。

 

 早すぎる返答だった。

 

 聞かれてもいないのに。

 

 理央の眉がぴくりと動く。

 

「まだ何も言ってないけど」

 

「ええ、でしょうね」

 

 マリアは壁の方を見たまま答える。

 

 明らかに目を合わせない。

 

「ですが、今この場で飛んでくるであろう質問には、先に答えておこうかと」

 

 声音は平坦だったが、微妙に硬い。

 

 九郎が、腕を組んだまま低く問う。

 

「……本当に、知らぬのか」

 

 マリアは、少しだけ間を置いた。

 

 その間が、妙に長く感じられる。

 

「……さて」

 

 いつもの台詞。

 

 だが、今のそれは逃げにしか聞こえなかった。

 

 誠は、人形を見る。

 

 マリアを見る。

 

 また、人形を見る。

 

 似ているどころではない。

 

 本人を写して作った、と言われた方がまだ納得できるほどだ。

 

 理央が、静かに口を開いた。

 

「少なくとも、偶然で済ませられる顔じゃないわね」

 

 マリアは答えない。

 

 ただ、視線を外したまま、わずかに肩を竦めるだけだった。

 

 その仕草さえ、どこかぎこちない。

 

 誠は、倉庫の冷えた空気の中で、背筋を這うような違和感を覚えていた。

 

 避難所の片隅。

 

 誰も使っていない備品倉庫。

 

 その奥に、布を掛けられて隠されていた、マリアそっくりの人形。

 

 偶然であるはずがない。

 

 だが、マリアのこの反応もまた——何かを知っている者のものだった。

 

 しかも、あまり触れられたくない類の何かを。

 

 沈黙が、しばらく続いた。

 

 誰も動かない。

 

 誰も、次に何を言えばいいのか分からない。

 

 倉庫の奥で、人形は瞳を伏せたまま座っている。

 

 まるで最初からそこにいたみたいに。

 

 まるで、ずっと待っていたみたいに。

 

 マリアは、まだそちらを見ない。

 

 壁の方へ視線を逃がしたまま、妙に綺麗な横顔だけをこちらへ見せている。

 

 その気まずさが、あまりに露骨で。

 

 逆に、何も知らないと言われても信じられない。

 

 誠は、喉を鳴らした。

 

「……おい、マリア」

 

 呼びかける。

 

 マリアの肩が、ほんのわずかに揺れた。

 

 それから、ようやく口を開く。

 

 だが、こちらを見ないまま。

 

「……一つ、確認なのですが」

 

 声音は平坦だった。

 

 平坦にしようとして、少し失敗している声だった。

 

 誠が眉をひそめる。

 

「何だよ」

 

 マリアは、そこで一拍置いた。

 

 言うべきか迷ったみたいに。

 

 あるいは、言わない方が良かったかもしれない言葉を、結局押し出すみたいに。

 

「その人形は」

 

 そこでようやく、ほんの少しだけ顎を動かす。

 

 人形の方へではない。

 

 誠の方へでもない。

 

 中途半端な角度のまま。

 

「……何か、話しましたか?」

 

 倉庫の空気が、また止まった。

 

 誠は数秒、意味が分からなかった。

 

「……は?」

 

 思わず、間の抜けた声が出る。

 

 理央も目を瞬かせる。

 

 九郎だけが、静かに目を細めた。

 

 誠は、人形を見る。

 

 伏せた瞳。

 

 閉じた唇。

 

 精巧すぎる、ただの人形。

 

 それからマリアを見る。

 

「いや」

 

 当然のように答える。

 

「話すわけないだろ。人形だぞ」

 

 理央もすぐに続けた。

 

「ええ。私たちが見た時から、ずっとそのままよ」

 

 九郎も低く言う。

 

「少なくとも、自分は声など聞いておらぬ」

 

 マリアは、そこで小さく瞬きをした。

 

 何かを確認した顔。

 

 あるいは、何かを確認できなかった顔。

 

 それから、あまりにも意味深に、ぽつりと呟く。

 

「……あら」

 

 一拍。

 

「まだでしたか」

 

 誠の背筋に、冷たいものが走った。

 

「まだって、何がだよ」

 

 すぐに問い返す。

 

 だが、マリアは首を振った。

 

「さあ」

 

 いつもの逃げ方。

 

 だが、さっきまでよりも露骨だった。

 

「今は、深く気にしない方がよろしいかと」

 

「気にするだろ、普通!」

 

 誠の声が少しだけ大きくなる。

 

 倉庫の狭い壁に反響して、余計に神経を逆撫でする。

 

 理央も、険しい目でマリアを見た。

 

「今の言い方で、何も無いと思えっていう方が無理よ」

 

 マリアは、ようやく苦笑のようなものを浮かべた。

 

 だが、その笑みもどこか引きつっている。

 

「でしょうね」

 

 あっさり認める。

 

「ですが、説明を始めると長くなりますし、あまり……その……」

 

 そこで珍しく、言葉を濁した。

 

 倉庫の奥の人形へ、ちらりと視線が行きかける。

 

 行きかけて、また逸れる。

 

「今は都合が……」

 

 何が、とは言わない。

 

 言わないままにすることで、余計に不穏になる。

 

 九郎が、静かに問う。

 

「つまり、この人形には何かあるのだな」

 

 マリアは答えない。

 

 だが、沈黙そのものが答えみたいだった。

 

 誠は、人形をもう一度見た。

 

 伏せた瞳。

 

 整いすぎた顔。

 

 静かに膝を揃えた手。

 

 今にも、唇だけがわずかに動いてもおかしくない気がしてくる。

 

 そんな想像をした瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。

 

「……おい」

 

 誠は低く言う。

 

「まさか、本当に動くとか言わないよな」

 

 マリアは、その問いにも即答しなかった。

 

 少しだけ考えて。

 

 それから、視線を外したまま言う。

 

「それは、貴方達次第ですね」

 

 また、その返事だ。

 

 誠が額を押さえる。

 

「なんだそれ、最悪だ……」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。