Fate/You Died.   作:助兵衛

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第82話 更なる混沌を

 最初に動いたのは、誠ではなかった。

 

 誰よりも早く。

 誰よりも静かに。

 だが、誰よりも明確な殺意をもって。

 

 マリアだった。

 

 誠のすぐ横から、銀の影が滑る。

 

 気まずさも。

 羞恥も。

 さっきまでの人間臭い揺らぎも。

 

 その瞬間には、もう跡形もなかった。

 

 あるのは、狩人としての反応だけだった。

 

「下がっていなさい」

 

 低い声だった。

 

 誠へ向けたのか。

 周囲全体へ向けたのか。

 判然としないほど短く、それでいて絶対に逆らわせない響きだった。

 

 次の瞬間。

 

 マリアの指先が、宙を払うように動く。

 

 白い。

 

 否。

 

 白を通り越して、青く、金に灼けた極光が走った。

 

 それは雷にも似ていた。

 炎にも似ていた。

 だが、そのどちらとも違う。

 

 凍てつくほど澄んだ光が、一直線に怪物の一体を貫いた。

 

 耳をつんざくような高音。

 遅れて爆ぜる轟音。

 光の奔流に呑まれた怪物の上半身が、まとめて焼き飛ぶ。

 

 黒い腕が消し飛び、

 肩が抉れ、

 胴の半ばまでがごっそりと消失した。

 

 さっきまでそこにいた「何か」が、光の中で形を失い、蒸発するように散る。

 

 熱風が吹き荒れた。

 

 近くにいた避難民が悲鳴を上げて身を伏せる。

 床に転がっていた担架が弾け飛び、毛布の端が焦げる。

 

「やったか!?」

 

 思わず漏れた声は、最後まで形にならなかった。

 

 十分だったはずだった。

 

 人の形などとうに失った黒い怪物の半身が、確かに消えていた。

 

 まともな生き物なら、終わりだ。

 終わっていなければおかしい。

 

 だが。

 

「……っ」

 

 マリアの目が細まる。

 

 消し飛んだ断面が、脈打った。

 

 ぬるり、と。

 

 焼失したはずの空間へ、周囲から暗い無数の何かが流れ込んでくる。

 

 煙のようで、

 虫の群れのようで、

 液体のようで、

 それでいて全部違う、あの暗いもの。

 

 床を這い。

 空中で縒り合わさり。

 裂けた傷口へ吸い込まれていく。

 

 じゅる、

 じゅっ、

 と、

 湿った再生の音がした。

 

 肩が戻る。

 腕が編み直される。

 消えたはずの輪郭が、闇そのものを素材にして再構成されていく。

 

 しかも速い。

 

 あまりにも速い。

 

 数秒もしないうちに、怪物はほとんど元の異形を取り戻していた。

 

 いや。

 

 元通りですらなかった。

 

 むしろ、さっきより膨れている。

 

 焼き払われたことを餌にしたみたいに、暗い何かの量そのものが増していた。

 

「な……」

 

 誠の喉が引きつる。

 

「再生、した……?」

 

 怪物は返答の代わりに咆哮した。

 

 その喉がまだ人の名残を留めているのかすら分からない、濁った絶叫だった。

 

 再生を終えた巨大な腕が、今度は無差別に振るわれる。

 

 近くの机が粉砕される。

 床に伏せていた男が吹き飛ばされ、横倒しになったパーテーションが弾ける。

 別の怪物が四肢を蜘蛛のように広げ、逃げ惑う人々の方へ一気に這い寄った。

 

「全員、離れなさい!」

 

 マリアの声が飛ぶ。

 

 その声音には、先ほどまでの気まずさの名残など微塵もない。

 研ぎ澄まされきった実戦の声だった。

 

 銀の髪が翻る。

 

 再び放たれた極光が、今度は床を這う怪物の脚をまとめて薙ぎ払う。

 

 黒い脚が何本も千切れ飛ぶ。

 焼けた断面から、またしても暗い無数の何かが溢れ出す。

 千切れた先から新しい脚が生えようと蠢き始める。

 

 斬っても。

 焼いても。

 止まらない。

 

 怪物たちは暴れ続ける。

 

 人を狙っているようでいて、誰彼構わず壊しているだけにも見える。

 柱を殴る。

 床を砕く。

 担架を踏み潰す。

 診療用の机を薙ぎ払い、うずくまる患者の上へまで影を落とす。

 

 避難所の中央が、瞬く間に戦場へ変わっていく。

 

 その戦場へ、もう一つ影が飛び込んだ。

 

 ためらいはなかった。

 

 衝立の中から、一直線に。

 

 ミリセントだった。

 

 片腕は、だらりと動かないまま下がっている。

 力が入っていないのは明らかだった。

 

 それでも。

 

 彼女は止まらない。

 

 走り込みながら、腰の鞘へ残った腕をかける。

 

 抜刀。

 

 滑らかだった。

 

 片腕とは思えないほど正確で、無駄がない。

 

 細身の西洋剣が、冷たい光を帯びて引き抜かれる。

 

「加勢する!」

 

 ちょうど、マリアが極光を放った直後だった。

 

 焼き払われ、再生しつつあるその一瞬の隙間へ。

 

 踏み込む。

 

 刃が閃く。

 

 闇で編み直されかけていた関節へ、正確に突き込まれる。

 

 ずぶり、と。

 

 手応えは奇妙だった。

 

 肉でも骨でもない。

 だが確かに「何か」を貫いている感触。

 

 そのまま、力任せではない。

 

 捻る。

 

 削ぐ。

 

 関節の構造そのものを崩すように、刃を走らせる。

 

 黒い腕が、ぐらりと歪んだ。

 

 直後、マリアの極光が重なる。

 

 裂けた部位へ、容赦なく叩き込まれる光。

 

 焼き潰す。

 

 削り飛ばす。

 

 一瞬だけ、再生の流れが遅れた。

 

「……はぁ」

 

 ミリセントが浅く息を吐く。

 

 だが、余裕はない。

 

 次の瞬間には、別の方向から伸びた暗い腕が、彼女の側頭部へ振り抜かれていた。

 

 咄嗟に身体を沈める。

 

 髪を掠めて、腕が空を裂く。

 

 そのまま地面を蹴る。

 

 転がるように距離を取る。

 

 着地と同時に、もう一度踏み込む。

 

 片腕で。

 

 それでも。

 

 動きは止まらない。

 

 明らかに不利だ。

 

 防御が足りない。

 受けが成立しない。

 

 それでも彼女は前へ出る。

 

 足を止めない。

 

 マリアの光が怪物の動きを抑える、その一瞬を拾い続ける。

 

 削る。

 

 裂く。

 

 繋ぎ目を断つ。

 

 完全には止まらない再生を、わずかでも遅らせるために。

 

 連携が成立していた。

 

 言葉はない。

 

 合図もない。

 

 だが、マリアの極光と、ミリセントの剣は、確実に同じ一点を狙っている。

 

 焼き、崩し、切り裂き、再生を乱す。

 

 それでもなお、怪物は止まらない。

 

 削られた分だけ、暗い何かが溢れ出る。

 

 むしろ、戦うほどに膨れ上がっていく。

 

 床を叩き、柱を砕き、空間そのものを侵食するみたいに、黒い影が広がっていく。

 

「にいさま」

 

 すぐ背後から声がした。

 

 振り向く間もなかった。

 

 次の瞬間。

 

 視界が持ち上がる。

 

「──うわっ!?」

 

 誠の身体が、軽々と宙へ浮いていた。

 

 マレニアだった。

 

 迷いなく、誠を担ぎ上げている。

 

 まるで荷物みたいに。

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

「ここは危険です」

 

 きっぱりとした声だった。

 

 一切の迷いがない。

 

「一旦、にいさまを安全な場所へ移動させます」

 

「いや、でも──」

 

 抗議は最後まで続かなかった。

 

 マレニアはすでに動いている。

 

 床を蹴る。

 

 人の流れを縫うどころではない。

 

 最短距離で、一直線に。

 

 瓦礫を踏み越え、

 倒れた机を飛び越え、

 逃げ遅れた人々の合間を抜けていく。

 

 その背後で。

 

 極光が閃く。

 

 黒い腕が振り下ろされる。

 

 金属のぶつかる音と、何かが砕ける音が重なる。

 

 振り返る余裕はない。

 

 体育館の出口をくぐった、その瞬間だった。

 

 空気が変わる。

 

 外気の冷たさではない。

 

 もっと、生々しいもの。

 

 焼けた臭いと、血の臭いと、濡れた土の臭いが混ざり合った、重たい空気だった。

 

「……っ」

 

 視界が開ける。

 

 そして。

 

 そこもまた、戦場だった。

 

 校庭の向こう側。

 

 仮設の隔離区画があったはずの方向から、黒煙が立ち上っている。

 

 真っ直ぐではない。

 

 もやもやと、蠢くみたいに空へ滲み上がる煙。

 

 その根元が、崩れている。

 

 柵が倒れ。

 テントが裂け。

 担架が投げ出され。

 

 そこから──

 

 溢れていた。

 

 獣のような影が。

 

 四肢で地面を叩きながら走るもの。

 二足で歪に立ち上がり、腕を振り回すもの。

 

 それらが、隔離区画から溢れ出し──

 

 無差別に、人へ襲いかかっていた。

 

「逃げろォ!!」

 

「こっちだ、こっち来い!」

 

「いやだ、やめて、やめてくれ──!」

 

 悲鳴が飛び交う。

 

 逃げ惑う人々が、校庭に散っている。

 

 そのうちの一体が、不意にぴたりと動きを止めた。

 

 四肢で地を掴み、低く身を沈める。

 

 黒い体表の隙間から、ぬらりとした闇が脈打つ。

 裂けた口の奥で、牙のようなものが幾重にも噛み合った。

 

 そして。

 

 そいつは、誠を見た。

 

 誠が叫ぶより早かった。

 

 獣は地面を抉るように蹴り、一気に距離を詰める。

 飛びかかるというより、砲弾だった。

 

 牙を剥き出しにした暗い塊が、まっすぐ誠の喉笛へ食らいつこうとする。

 

 だが。

 

 マレニアは一歩も退かなかった。

 

 赤いマントが翻る。

 

 担いでいた誠を僅かに持ち替えながら、空いた方──無垢金の義手を前へ出す。

 

 次の瞬間。

 

 ご、と鈍い音が鳴った。

 

 マレニアの義手が、飛びかかってきた獣の頭部を鷲掴みにしていた。

 

 完全に、正面から。

 

 勢いそのものを握り潰すように。

 

 獣の四肢が宙でばたつく。

 牙が空を噛む。

 暗い何かが、義手の隙間から煙のように噴き出した。

 

 それでも、マレニアの腕は微動だにしない。

 

 金の指が、さらに深く食い込む。

 

 めき、と。

 

 骨とも殻ともつかないものが軋む音がした。

 

 そしてそのまま。

 

 力任せに。

 

 叩きつける。

 

 地面へ。

 

 凄まじい勢いだった。

 

 校庭の土が爆ぜる。

 黒い獣の身体が、地にめり込み、痙攣する。

 

 だがマレニアは止めない。

 

 もう一度。

 

 持ち上げる。

 

 叩きつける。

 

 ごしゃ、と。

 

 今度は明確に、何かが潰れた音がした。

 

 さらに。

 

 もう一度。

 

 もう一度。

 

 もはや獣の形を留めなくなるまで、無言のまま地面へ打ち据える。

 

 最後には、そこにあったのは獣ではなく、黒い泥と砕けた殻のようなものの塊だった。

 

 それでも、闇はまだ蠢いている。

 

 再生しようとしている。

 

「……しぶといな」

 

 マレニアが低く呟く。

 

 その声は静かだったが、そこに混じる殺意は先ほどまでの比ではなかった。

 

 義手の指先に力が入る。

 

 握り潰す。

 

 金属の軋みと共に、黒い塊そのものが圧壊する。

 

 ようやく闇の脈動が止まった。

 

 誠は息を呑んだまま、言葉を失っていた。

 

 今の一瞬だけで、はっきり分かる。

 

 マレニアは強い。

 

 強いなどという言葉では足りないほどに。

 

 だが。

 

 それでも周囲を見れば、状況は最悪だった。

 

 避難所にもはや安全な場所はない。

 

 体育館の中では黒い怪物が暴れ。

 外では隔離区画から溢れた獣が人々を狩っている。

 

 どこもかしこも、戦場だ。

 

 マレニアも同じ結論に至ったらしい。

 

 彼女はほんの一瞬だけ周囲を見回し、建物の陰──体育館脇の壁際へ素早く移動した。

 

 物資の山と外壁に挟まれた、死角めいた場所だった。

 

 そこでようやく、誠を地面へ下ろす。

 

「ここから動かないでください」

 

 有無を言わせぬ声音だった。

 

「え、いや、お前は──」

 

 誠が言い終える前に、マレニアはマントの内側へ手を差し入れた。

 

 取り出したのは、もう一つの義手だった。

 

「……何だ、それ」

 

 誠は思わず目を見開く。

 

 今マレニアが付けているものと同じく、無垢金で作られた義手。

 

 だが、まるで別物だった。

 

 美しかった。

 

 戦場の只中には不釣り合いなほど、装飾的で、神聖ですらある造形。

 

 細やかな紋様が表面を走り、指先から肘にかけて滑らかな黄金の曲線を描いている。

 

 そして何より異様だったのは。

 

 その義手には、剣が一体化していたことだ。

 

 拳から白金にも似た光を放つ細身の美麗な刀身が伸びている。

 別に持つのではない。

 最初から、腕そのものと繋がっている。

 

 マレニアは躊躇なく、今付けている義手の留め具へ指をかける。

 

 かち、と小さな音。

 

 接続が外れる。

 

 黄金の腕が、あまりにもあっさりと取り外された。

 

 肩口に露出した接続部は、生身とも機械ともつかない静かな冷たさを帯びている。

 

 誠は一瞬、息を止めた。

 

 だがマレニアは何事もないみたいに、新しい義手をそこへ当てる。

 

 位置を合わせる。

 

 押し込む。

 

 ごく短い金属音。

 

 次の瞬間、義手はまるで最初から身体の一部だったかのように馴染んだ。

 

 指が動く。

 刀身がわずかに持ち上がる。

 黄金の腕と美麗な剣が、一つの獣じみた機能美として完成する。

 

 赤いマントの下で、白金の刃が冷たく光る。

 

 マレニアは手首をひとつ返し、刃の重みを確かめるようにわずかに構えた。

 

「……にいさま」

 

 その横顔は、ひどく静かだった。

 

 穏やかですらある。

 

 だが、その静けさの奥にあるものを、誠はもう見誤らなかった。

 

「久々に、貴方の刃を、その冴えをお見せしましょう」

 

 義手であり、剣でもある。

 

 武器そのものを肢体へ組み込んだような代物だった。

 その声は、戦場の只中にあってなお静かだった。

 

 叫びではない。

 誇示でもない。

 

 ただ、確かな事実を告げるような響きだった。

 

 マレニアは一歩、前へ出る。

 

 その瞬間、空気が変わった。

 

 風向きが変わった、というのとは違う。

 もっと直接的に、あの周囲一帯だけが、彼女を中心として張り詰めた。

 

 白金の刀身が、かすかに傾く。

 それだけ。

 

 大仰な構えではない。

 気負いもない。

 剣を見せつけるための動きなど一つもない。

 

 あまりにも自然で、あまりにも隙がなく、むしろ何もしていないようにすら見えた。

 

 だが。

 

 それを獣たちは待たなかった。

 

 隔離区画の方から溢れ出した黒い影のうち、最も近くにいた二体が同時に唸り声を上げる。

 

 一体は四肢で地を蹴り、

 一体は人型の上体を捻じ曲げ、異様に長い腕を振り上げた。

 

 挟み込むつもりだったのだろう。

 

 左右から。

 

 異なる軌道で。

 

 同時に。

 

 だが。

 

 マレニアは、踏み込まなかった。

 

 避けもしなかった。

 

 ただ、刃が閃いた。

 

 見えたのは、そこまでだった。

 

 振ったようには見えない。

 

 大きく薙いだわけでもない。

 

 白金の線が、視界の中で一度だけ細く走る。

 

 その直後。

 

 左右から迫っていた二体が、同時に止まった。

 

「……え?」

 

 誠の口から、間の抜けた声が漏れる。

 

 怪物たちは一瞬、そのままの姿勢で静止していた。

 

 飛びかかったまま。

 腕を振り上げたまま。

 

 そして、ずるりと崩れる。

 

 真っ二つだった。

 

 黒い獣の胴が斜めに滑り落ち、

 人型の異形は胸から肩口にかけて、寸分の狂いもなく断たれていた。

 

 断面から暗い無数の何かが噴き出す。

 

 再生する。

 そのはずだった。

 

 だが、再生するより早く。

 

 マレニアが次の一歩を踏み出していた。

 

 流れるように。

 あまりにも自然に。

 崩れ落ちる二体の合間を抜ける。

 

 刃が、また走る。

 

 今度は遠く。

 

 避難民へ飛びかかろうとしていた蜘蛛じみた怪物の首が、遅れて宙を舞った。

 

 さらに。

 

 振り下ろされた巨大な黒い腕が、肘から先だけを失って地面へ落ちる。

 

 音が、遅れて追いついてくる。

 

 どしゃ。

 ずる。

 がしゃん。

 

 何かが落ちる音ばかりだ。

 

 斬撃の音が、しない。

 

 それほどまでに速い。

 

 それほどまでに無駄がない。

 

 誠は息をすることを忘れたみたいに、ただ見ていた。

 

 マリアの極光は凄まじい。

 

 圧倒的だ。

 あれは間違いなくサーヴァントの力だと理解できる。

 

 だが、今目の前で起きているものは、別の意味で異様だった。

 

 力任せではない。

 規模でもない。

 

 技だ。

 

 純粋な技だけで、異形の暴威を上回っている。

 

 飛びかかる獣を。

 伸びる腕を。

 膨れ上がる黒い塊を。

 

 すべて。

 

 一刀で切り伏せていく。

 

 再生の起点ごと。

 繋がりごと。

 闇の流れそのものごと。

 

 断っている。

 

 怪物が吠える。

 長大な腕を三本同時に伸ばし、マレニアを囲うように叩きつける。

 

 逃げ場はないように見えた。

 

 だが次の瞬間には、腕の方が落ちていた。

 

 根元から。

 

 輪切りにされたみたいに。

 

 断たれた三本の先が、別々の方向へずれ、土煙を上げて崩れる。

 

 その中心で、マレニアはほとんど姿勢すら変えていない。

 

 踏み込みは小さい。

 肩も揺れない。

 刃筋だけが、狂いなく通っている。

 

「……なんだ、あれ」

 

 誠は呟いた。

 

 自分の声だと分からないほど、かすれていた。

 

 凄い、では足りない。

 

 強い、でも足りない。

 

 恐ろしかった。

 

 味方であることを忘れそうになるほど。

 

 斬られた怪物たちは、再生しようとする。

 

 暗い何かが、断面から溢れ、縒り合わさり、元へ戻ろうと蠢く。

 

 だがマレニアの剣は、それすら許さない。

 

 再生が形になる、ほんの手前。

 

 最も弱い繋ぎ目を。

 

 最も脆い流れを。

 

 見えているとしか思えない精度で、さらに一刀を重ねる。

 

 結果。

 

 怪物は膨れ上がるどころか、逆に崩れていく。

 

 維持できない。

 まとまれない。

 再構成のたびに、必要な要所を断たれている。

 

 まるで。

 

 怪物の方が、マレニアにとっては既に解体された構造物でしかないみたいだった。

 

 誠の背筋に、ぞくりとしたものが走る。

 

 マリアに匹敵する。

 

 いや。

 

 少なくとも、技の冴えという一点においては──

 

 圧倒しているのではないか。

 

 そんな考えが、戦慄と共に胸をよぎった。

 

 サーヴァントではない。

 それなのに。

 それでもなお。

 

 あの銀の狩人と並び立つどころか、別種の完成に達しているように見える。

 

 だが。

 

 マレニアは、そこで初めて足を止めた。

 

 ただ斬るためではない。

 ただ壊すためでもない。

 

 白金の刃を下げぬまま、赤い瞳が戦場全体をゆっくりと走る。

 

 獣が一体、校庭の中央で倒れていた男へ飛びかかる。

 その直前で、別の避難民が悲鳴を上げて横へ逃げる。

 すると獣は、倒れている男よりも、その悲鳴に引かれたように軌道を変えた。

 

 別の黒い怪物が、物資の山を叩き潰す。

 意味のない破壊に見えた。

 だが、その崩落で通路が塞がれ、逃げていた人々が二手に分断される。

 

 さらにその向こう。

 隔離区画から這い出た獣じみたものが、最も近い人間へ飛びつくかと思えば、寸前で横へ外れ、わざわざ別の群れの中へ突っ込んでいく。

 

 結果、誰かが転び、

 誰かがそれに巻き込まれ、

 叫びが増える。

 

 混乱が広がる。

 

 マレニアの眉が、わずかに寄った。

 

「小癪な」

 

 誠は息を詰めたまま、彼女を見る。

 

 マレニアは刃先を下げず、なおも黒い獣と怪物たちの動きを追っている。

 

 ただ本能で暴れているのではない。

 ただ腹を空かせた獣みたいに、人肉へ飛びついているのでもない。

 

 そう見せかけて。

 

 より悲鳴が上がる場所へ。

 より人の流れがぶつかる場所へ。

 より逃げ道が塞がる位置へ。

 

 意図的に動いている。

 

 統率されている、というほど明確ではない。

 だが、少なくとも偶然ではなかった。

 

 混乱そのものを加速させるように。

 恐慌そのものを広げるように。

 

 怪物と獣たちは、戦場を“作って”いる。

 

「にいさま」

 

 マレニアの声が一段低くなった。

 

 先ほどまでとは別種の危機感が混じっている。

 

「これは、ただの暴走ではありません」

 

「……どういう意味だよ」

 

 誠の喉は乾いていた。

 

 自分でも情けないほど、声が掠れる。

 

 マレニアは即答しなかった。

 

 だが、その瞳は確信を深めるように細まっていく。

 

「奴らは、人を殺すことそのものより──」

 

 一拍。

 

「人を乱し、場を崩すことを優先しています」

 

 その言葉の直後だった。

 

 校庭の向こうで、黒い怪物の一体が、逃げる親子へは飛びかからず、その脇に積まれていた資材を薙ぎ払った。

 

 鉄パイプと木板が崩れ落ちる。

 悲鳴が連鎖する。

 別の方向へ逃げていた群れとぶつかる。

 さらに黒い獣がそこへ飛び込む。

 

 地獄だった。

 

 殺戮そのものより、

 崩壊を広げることを目的としている。

 

 そうとしか見えない。

 

 マレニアは、白金の刃を一度だけ振るい、迫ってきた黒い腕を切り落とすと、すぐに誠の側へ戻ってきた。

 

 戻り方が速すぎて、誠には一瞬、彼女が初めからそこにいたみたいにすら見えた。

 

「ここも長くは持ちません」

 

 きっぱりと言う。

 

「早急に」

 

 そこまでだった。

 

 不意に。

 

 空気が変わった。

 

 黒煙とも、

 血臭とも、

 怪物の咆哮とも違う。

 

 もっと乾いた、

 もっと鋭い、

 ひどく古びた王座の間のような、場違いな圧が、唐突にその場へ落ちてくる。

 

 誠は反射的に顔を上げた。

 

 建物の陰。

 

 マレニアのすぐ脇。

 ついさっきまで、誰もいなかったはずの場所に。

 

 男が立っていた。

 

 誠は一瞬、呼吸を忘れる。

 

 黄金の髪。

 そして、真紅の瞳。

 

 だがその姿は、絢爛というよりむしろ逆だった。

 枯れ木じみていた。

 

 男は腕を組み、目の前の戦場ではなく、まずマレニアを見た。

 

 そして。

 

 口の端を、わずかに吊り上げる。

 

「ほう」

 

 その声は低い。

 

 乾いている。

 だが、ひどくよく通った。

 

「見事だ、女」

 

 あまりにも不遜な調子だった。

 

 礼賛しているのに、褒めているのに、どこまでも上からで、どこまでも当然のように尊大だった。

 

 まるで王が、たまたま目に留まった優れた剣を気まぐれに認めてやるみたいに。

 

「異なる世界の神々よ、お前の刃は美しい」

 

 誠の顔色が、さっと変わった。

 

「……お前、黒野恒一郎の……!」

 

 声は怒気と、驚愕と、確信の入り混じったものだった。

 

「これはお前の仕業なのか!」

 

 校庭のあちこちで、なおも悲鳴が上がっている。

 

 黒い獣が柵を踏み砕き、

 怪物が倒れた人間の上を跨ぎ、

 煙と土埃が、冬の光を濁らせていた。

 

 その只中で。

 

 ギルガメッシュは、まるで庭先の騒ぎでも眺めるように、静かに誠を見返した。

 

 激昂もない。

 興奮もない。

 ただ乾ききった理性だけが、その真紅の瞳の奥で冷たく燃えている。

 

「仕業、か」

 

 口の端が、わずかに歪む。

 

「浅いな」

 

 その声音には嘲りすら薄い。

 ただ、事実として切って捨てる冷たさだけがあった。

 

「これは人の業である」

 

 一拍。

 

 黒煙の立つ隔離区画へ、顎先だけで示す。

 

「澱み、積もり、腐り、形を得た」

 

「人類が育てたものだ」

 

 誠の歯が、ぎり、と鳴る。

 

「ふざけるな……!」

 

「戯れなものか」

 

 ギルガメッシュはあくまで冷静だった。

 

 その落ち着きが、かえって苛立たしい。

 

「人は常に、自らの底へ落ちる因を抱えている」

 

「恐怖も、執着も、怨嗟も、喪失もな」

 

 そこで初めて、ほんのわずかに愉悦が混じる。

 

「まあ、確かに」

 

 一拍。

 

「少しつついてはやったがな」

 

 誠の視界が、熱を帯びた。

 

「……っ!」

 

 今すぐ殴りかかりたくなる衝動が、喉元まで込み上げる。

 

 だがその前に。

 

 す、と。

 

 白金の刃が、誠とギルガメッシュの間へ差し込まれた。

 

 マレニアだった。

 

 いつの間にか半歩前へ出ている。

 

 赤いマントが風もないのに揺れ、

 黄金の義手刀が、寸分の揺らぎもなくギルガメッシュへ向けられていた。

 

 誠はそこで初めて気づく。

 

 マレニアの表情が、先ほどまでとまた違っている。

 

 怪物や獣を見る目ではない。

 

 より深く、より慎重で、より鋭い。

 

 相手の本質そのものを見抜こうとする目だった。

 

「……なるほど」

 

 マレニアが、静かに言う。

 

 その声は低いが、よく通る。

 

「神か。その神性、我が母マリカにも匹敵する……」

 

 赤い瞳が、真っ直ぐギルガメッシュを射抜く。

 

「怖ろしき神よ、それほどの神性を保ちながら現世に干渉出来るとはな」

 

 その言葉が、この男には妙にしっくりきてしまうのが嫌だった。

 

 ギルガメッシュは、そんな評価にすら肩を揺らさない。

 

 当然だと言わんばかりに、腕を組んだまま立っている。

 

「ほう」

 

 真紅の瞳が細くなる。

 

「良い目だ、見えるか」

 

 マレニアの声に迷いはない。

 

「貴方は強敵だ」

 

 一拍。

 

「そして、にいさまに対して何かをなすために、今ここへ姿を現した」

 

 それは問いではなかった。

 断定だった。

 

 校庭の向こうで、また一つ悲鳴が上がる。

 

 だがこの場だけは、別の意味で凍りついていた。

 

 ギルガメッシュは、ほんのわずかに笑った。

 

 褒められたからではない。

 見抜かれたことが面白い、とでも言うように。

 

「ならばどうする、女」

 

 不遜に言う。

 

「刃を向けるか」

 

 マレニアは答えない。

 

 その代わり。

 

 義手刀の切っ先が、わずかに持ち上がる。

 

 宣言としては、それで十分だった。

 

「ええ」

 

 静かな声だった。

 

 だが、そこには剣よりも明確な鋭さがある。

 

「貴方がにいさまへ災いをもたらすのなら」

 

「今、この場で」

 

 一拍。

 

「私は貴様に宣戦を布告する」

 

 ギルガメッシュは、向けられた白金の刃を見た。

 

 逃げもせず。

 怒りもせず。

 ただ、静かに。

 

 その真紅の瞳の奥で、乾いた火がわずかに揺れる。

 

「良い」

 

 低く言う。

 

「実に良い」

 

 その声には、嘲りではない感銘があった。

 

 王が珍品を眺めて面白がるような軽さではない。

 もっと本質的なものだ。

 

 己へ向けられた殺気の質を、正しく味わっている声だった。

 

 マレニアは微動だにしない。

 

 視線も、義手刀の切っ先も、少しも揺れない。

 

 ギルガメッシュはそんな彼女を見つめたまま、ほんのわずかに頭を振った。

 

「しかし」

 

 一拍。

 

「残念だ」

 

 誠の眉がぴくりと動く。

 

「……何がだ」

 

 ギルガメッシュは答えず、まずマレニアへ視線を戻した。

 

「お前の相手をしつつ、目的を達するのは苦労しそうだ」

 

 それは困惑でも、弱音でもない。

 事務的な評価だった。

 

 盤上の駒を見て、手数を計算し直すような冷静さ。

 

 その無機質さが、かえってぞっとする。

 

「異界の神よ、お前に相応しい者を連れてきてやったぞ」

 

 次の瞬間だった。

 

 何もない空間が、きん、と鳴った。

 

 冬の空気を切り裂くような、高く、冷たい金属音。

 

 ギルガメッシュの背後に、光が走る。

 

 それは門のようにも、裂け目のようにも見えた。

 

 黄金だった。

 

 だが温かい金ではない。

 鋭く、神経を逆撫でするような、研ぎ澄まされた輝き。

 

 そこから。

 

 光り輝く鎖が、幾重にも溢れ出す。

 

「──っ」

 

 誠が思わず息を呑む。

 

 鎖は生き物じみていた。

 空中でうねり、きしみ、互いを噛み合わせながら前へ伸びる。

 

 まるで何か巨大なものを、無理やり向こう側から引きずり出そうとしているみたいに。

 

 地面が軋む。

 

 土が削れ、

 砕けたコンクリート片が跳ね、

 校庭の空気そのものが引き絞られる。

 

 ぎ、ぎ、ぎ、と。

 鎖の食い込むような音が続いた。

 

 そして。

 

 何かが、現れた。

 

 まず見えたのは、影だった。

 

 人影と呼ぶには大きすぎる。

 獣と呼ぶには輪郭が整いすぎている。

 

 次いで、その全貌が光の中から滲み出る。

 

 巨大だった。

 

 マレニアより頭一つどころではない。

 誠が見上げねばならぬほどの体躯。

 

 黄金の鎧を纏っている。

 

 それはギルガメッシュの華美な装飾とは違う。

 もっと重く、もっと武骨で、しかし神代の工芸品みたいな完成度を持った鎧だった。

 

 肩当ては獅子のごとく張り出し、

 胸甲は分厚く、

 腕と脚には、殴りつけるだけで敵を砕けそうな硬質さがある。

 

「貴様……」

 

 マレニアが、初めてわずかに目を見開く。

 

 その視線はギルガメッシュではなく、鎖に繋がれた大男へ向いていた。

 

 義手刀の切っ先は下がらない。

 だが、警戒の質が変わる。

 

 あれは怪物ではない。

 ただ巨大なだけの敵でもない。

 

 もっと別の何かだ。

 

 ギルガメッシュは、その暴れる巨体を片目で眺めながら、乾いた調子で言った。

 

「手間をかけさせる」

 

 王が苛立つというより、

 厩舎の暴れ馬を見て肩をすくめるような声音だった。

 

 黄金の鎖が、さらに締まる。

 

 大男の動きが一瞬だけ鈍る。

 

 だがその赤髪はなお猛々しく揺れ、黄金の鎧の下の筋肉は鎖を引き千切らんばかりに膨れ上がっていた。

 

 ギルガメッシュは、鎖に絡め取られた巨体を見上げた。

 

 その視線には、憐憫はない。

 侮蔑も、ほとんどない。

 

 あるのは、乾いた評価だけだった。

 

「惜しい戦士だ」

 

 低く言う。

 

 校庭に満ちる悲鳴と咆哮の中でも、その声だけは妙にはっきり通った。

 

「気が触れておらねば、このように捕らえる事は出来なかったであろうな」

 

 その言い方は、奇妙なほど率直だった。

 

 褒めている。

 確かに、褒めている。

 

 だがそれは、敵への敬意ですらなお上から見下ろす王の言葉だった。

 

 鎖に繋がれた大男が、ぐるる、と低く喉を鳴らす。

 

 赤い鬣が逆立つ。

 黄金の鎧の隙間から、獣じみた熱気が吹き出す。

 

 双剣を握ったまま、なお鎖を断ち切ろうともがくその姿は、理性を失ってなお武そのものを捨てていないように見えた。

 

 マレニアの表情が、初めて明確に変わった。

 

 怒りだった。

 

 怪物へ向ける殺意とも。

 ギルガメッシュへの警戒とも違う。

 

 もっと古く、もっと深く、もっと個人的な熱を帯びた怒り。

 

「……その者を離せ」

 

 ギルガメッシュは平然としている。

 

 口の端を、底意地悪く歪めた。

 

 枯れ木のように冷えているくせに、こういう時だけはひどく人の悪い笑みを浮かべる。

 

「言われるまでも無い」

 

 一拍。

 

「故郷の戦争、その再現でもしているがよい」

 

 次の瞬間。

 

 きぃん、と。

 

 張り詰めていた黄金の鎖が、一斉に鳴いた。

 

 誠は反射的に目を見開く。

 

「──っ!?」

 

 ギルガメッシュが、指一つ動かしたわけではない。

 ただ、王が要らぬと判断した道具を手放すみたいに、わずかに顎を引いただけだった。

 

 それだけで十分だった。

 

 光り輝く鎖が、ほどける。

 

 いや、外れるというより、獲物から牙を抜くように滑っていく。

 

 大男の片腕から。

 肩から。

 胸から。

 脚から。

 

 食い込んでいた黄金が、火花を散らしながら弾け、空中へほどけていく。

 

 解放。

 

 その一瞬、空気が爆ぜた。

 

 大男が咆哮する。

 

 それは怒声ではなかった。

 長く押し込められていた灼熱が、喉を破って溢れ出たような、猛獣じみた咆哮だった。

 

 地面が沈む。

 

 踏み込みひとつで、校庭の土がめくれ上がる。

 

 赤い鬣が激しくはためき、黄金の鎧が軋みを上げ、両手の特大の双剣が、ぎらりと冬光を反射する。

 

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