腹の底から捩じ切るように絞り出された声が、冬の空気そのものを震わせる。校庭の砕けた土がびりびりと鳴り、崩れた柵の残骸がかたかたと跳ねた。
赤い鬣が、炎のように逆巻く。
黄金の鎧が軋む。
両手の特大の双剣が、まるで暴風そのものを掴んだみたいに唸りを上げた。
マレニアは、一歩も退かない。
白金の義手刀を静かに構えたまま、その巨体を見上げていた。
怒りがあった。
警戒もあった。
だが、そのどちらよりも強く見えたのは、ある種の理解だった。
相手を知っている者の目だ。
ただ強大な敵を前にしたのではない。
もっと古く、もっと深く、もっと個人的な何かを前にした者の目だった。
大男が先に踏み込む。
地面が爆ぜた。
誠の視界から、一瞬その巨体が消える。
「──っ!?」
次に見えた時には、もうマレニアの眼前だった。
速すぎる。
あの体躯で。
あの鎧で。
あの双剣を振り回しながら。
常識が追いつかない。
右の大剣が、横薙ぎに走る。
空そのものを裂くみたいな斬撃だった。風圧だけで地面の砂塵が円を描いて吹き飛ぶ。巻き込まれた木箱が、刃に触れてすらいないのに粉々に弾けた。
マレニアは、その刃を受けなかった。
わずかに身をずらす。
紙一重。
髪を掠め、
マントの端を削ぎ、
しかし本体には触れさせない。
そのまま懐へ。
白金の刃が閃く。
鎧の継ぎ目──脇腹のわずかな隙間へ、寸分の狂いもなく差し込まれた。
だが。
浅い。
大男の筋肉が、鎧ごと刃を押し返すみたいに盛り上がる。
次の瞬間には、左の大剣が上から叩き落とされていた。
マレニアは跳んだ。
跳ぶしかなかった。
轟音。
さっきまで彼女のいた場所が、まるごと陥没する。土も石も、コンクリートの割れた破片も、まとめて噛み潰したみたいに沈んだ。
終末だった。
比喩ではなく、本当にそうとしか言いようがない。
二人が剣を交えるたびに、大地が裂ける。
建物の壁が崩れる。
資材の山が吹き飛ぶ。
空気そのものが、衝撃で悲鳴を上げているみたいだった。
「う、うわ……!」
誠は反射的に数歩下がる。
いや、数歩では足りない。
巻き込まれては堪らないと、半ば転ぶように建物の陰から飛び出し、さらに距離を取る。
だが。
距離を取った先も、安全ではなかった。
避難民がいた。
大勢。
校庭の端へ逃げてきた者たち。
体育館の裏手へ回ろうとしている者たち。
泣き叫ぶ子どもを抱えた母親。
足を引きずる老人。
誰かを支えながら走る若者。
その群れへ、別の黒い獣が飛び込む。
「きゃああああっ!」
悲鳴が上がる。
男が一人、庇うように前へ出る。
だが黒い獣の爪が振るわれた瞬間、その身体はあっけなく横へ吹き飛んだ。
別の怪物が、建物の壁を殴る。
ばき、と嫌な音が響いた。
避難所脇の仮設小屋の一つが、横から潰される。屋根が傾き、支柱が折れ、避難民たちが中から這い出しながら咳き込んでいる。
その上を、さらに別の異形が這う。
誰かが転ぶ。
誰かがそれを助けようとして止まる。
止まったところへ、また別の獣が走り込む。
混沌だった。
もはや一つの戦場ではない。
戦場が、いくつも同時に生まれている。
しかも中心にあるのは、マレニアと大男の斬り結びだ。
二人が激突するたび、周囲の地形ごと変わっていく。
地形が、変わる。
そのたびに。
人の流れが断たれ、
逃げ道が潰れ、
叫びが増えていく。
誠は、ただ立ち尽くしていた。
足が動かない。
どこへ行けばいいのか分からない。
何を優先すべきか分からない。
助けるべきか。
逃げるべきか。
マレニアに声をかけるべきか。
どれも正しい気がして、
どれも間違っている気がした。
思考が、追いつかない。
目に入るものが多すぎる。
右では、建物が崩れる。
左では、人が倒れる。
正面では、黒い獣が跳びかかる。
そして、そのすべての背後で。
マレニアと大男が、まだ斬り合っている。
あまりにも強すぎる二つの存在が、ただそこにあるだけで、世界の形そのものが崩れていく。
「……なんだよ、これ……」
掠れた声が、喉から漏れた。
現実感がない。
夢でも悪夢でもない。
ただ、理解が追いつかないだけの現実。
その時だった。
不意に。
音が、落ちた。
完全に消えたわけではない。
悲鳴も、轟音も、まだ確かにそこにある。
だが。
それらすべての上に、別の「静けさ」が重なった。
乾いた、ひどく古びた、王座の間のような圧。
誠は反射的に顔を上げる。
目の前に。
男が立っていた。
ついさっきまで、そこには誰もいなかったはずの場所に。
黄金の髪。
真紅の瞳。
そして。
枯れ木のような、乾いた存在感。
「……っ」
誠の喉が詰まる。
ギルガメッシュは、周囲の混沌を一瞥すらしなかった。
ただ、誠だけを見ている。
その視線には、焦りも、愉悦も、ほとんどない。
あるのは、ただ冷えきった理性だけだった。
「……お前」
声が震える。
怒りか、
恐怖か、
そのどちらでもあるのか。
「何が目的なんだ」
一歩、踏み出す。
自分でも驚くほど、足に力が入っていた。
「なんで、こんな……!」
視界の端で、誰かが倒れる。
誰かが叫ぶ。
建物が崩れる。
それでも、目を逸らさない。
「なんでこんな酷い事が出来る!!」
怒鳴った。
ほとんど叫びだった。
喉が焼けるみたいに痛む。
だが。
ギルガメッシュは、動じなかった。
風に揺れる枯れ枝みたいに、ほんのわずかに視線を傾けるだけ。
「酷い、か」
低く言う。
その声音には、否定も肯定もない。
ただ、言葉の意味を確かめるような響きだけがあった。
そして。
ほんのわずかに、口の端が歪む。
「聖杯が、八割方満ちた」
唐突だった。
誠の思考が、一瞬止まる。
「……は?」
意味が繋がらない。
だがギルガメッシュは続ける。
あくまで、平然と。
あくまで、事務的に。
「ダラダラと続けても仕方あるまい」
一拍。
その真紅の瞳の奥で、乾いた火がかすかに揺れる。
「そろそろ、追い込みをかけようと思ってな」
あまりにも軽かった。
今この瞬間も、人が死んでいる。
世界が崩れている。
それを前にして。
まるで、退屈な作業の進捗でも語るみたいに。
誠の背後で、空気が裂けた。
轟音。
遅れて、衝撃。
地面が持ち上がり、土と瓦礫が波のように押し寄せる。
「──っ!」
思わず振り向く。
マレニアと大男が、再び激突していた。
白金と黄金。
細身の刃と、特大の双剣。
その一合ごとに、周囲の空間そのものが歪む。
衝撃が、直線ではなく“面”で広がる。
逃げていた避難民が巻き込まれ、地面に叩きつけられる。
仮設の壁が耐えきれずに裂け、柱が弾け飛ぶ。
「くっ……!」
マレニアが踏み込み、刃を振るう。
だが、その直後。
大男の大剣が、まるで山そのものを振り下ろすみたいに叩きつけられる。
受けられない。
避けるしかない。
彼女は横へ流れる。
だが、それで終わらない。
もう一振り。
さらにもう一振り。
連続する斬撃が、逃げ場そのものを潰していく。
地面が裂け、
空間が抉られ、
破片が嵐のように吹き荒れる。
その余波が、誠の方へまで届いた。
「……っ!」
視界が揺れる。
立っているだけで、足場が崩れそうになる。
マレニアが、こちらを見た。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
その瞳が、誠を捉える。
「にいさま──」
声が届く前に割り込まれる。
大男の影が、彼女の視界を覆い尽くした。
振り下ろされる双剣。
マレニアは、誠へ向かう進路を強引に断たれる。
踏み出せない。
踏み出せば、その瞬間に叩き潰される。
彼女は歯を食いしばる。
白金の刃が閃く。
受けるのではなく、流す。
逸らす。
最小限の動きで致命を回避しながら、それでも一歩も誠の方へは近づけない。
戦闘が、あまりにも苛烈すぎる。
割って入る余地がない。
ほんの半歩の判断の遅れが、そのまま死に直結する密度。
誠は、それを理解してしまった。
マレニアは来られない。
助けに来たくても、来られない。
その事実が、喉を締めつける。
そして。
目の前で。
ギルガメッシュが、一歩、踏み出した。
静かに。
何の気負いもなく。
ただ歩くだけ。
それだけなのに。
距離が、致命的に縮まる。
「──来るな」
反射的に、声が出た。
だが足は動かない。
後退しようとする。
しかし背後には瓦礫と、倒れた人々と、崩れた壁。
逃げ場がない。
ギルガメッシュは止まらない。
その真紅の瞳は、ただ誠だけを見ている。
評価するように。
測るように。
値踏みするように。
さらに一歩。
距離が、詰まる。
誠の喉がひきつった。
逃げ場はない。
ならば──
「……来るなって、言ってるだろ……!」
前に出した掌が、震えていた。
恐怖で。
怒りで。
理解の追いつかない現実そのものに対する拒絶で。
掌の中で、火が生まれる。
赤ではない。
橙でもない。
もっと原初的で、
もっと乾いていて、
それでいて世界そのものを侵食するような色。
──始まりの火。
炎が、噴き上がった。
ば、と。
空間を塞ぐように、壁が立ち上がる。
轟、と低く唸る音。
熱が爆ぜ、空気が歪み、周囲の瓦礫が一瞬で赤熱する。
近づいていた黒い獣が、炎に触れた瞬間、形を保てず崩れ落ちた。
焼けるというより、存在そのものが解ける。
誠は荒く息を吐いた。
震える掌を、なお前へ突き出したまま。
「……これ以上、来るな……!」
炎の向こう側。
ギルガメッシュが、足を止めた。
ほんの一歩分の距離を隔てて。
その火を、見ている。
真紅の瞳が、わずかに細められる。
興味。
評価。
そして。
ほんの僅かな、確認。
「ほう、これが……」
その声音は、初めてわずかに色を帯びていた。
だが。
次の瞬間。
彼は、何の躊躇もなく、踏み込んだ。
炎の中へ。
「──っ!?」
誠の目が見開かれる。
炎は、確かに燃えている。
空気を焼き、
瓦礫を溶かし、
近づくものを拒絶する壁。
だが。
ギルガメッシュは、止まらない。
歩く。
ただ歩く。
炎が、その身体を包む。
衣服の裾を舐め、髪を撫で、その存在そのものを焼き尽くそうとする。
だが。
焼けない。
侵さない。
まるで、炎の方が彼を避けているみたいに。
熱はある。
光もある。
だが、それだけだ。
彼にとって、それはただの現象でしかない。
数歩。
それだけで、炎の壁を抜けた。
ぱち、と。
ギルガメッシュは、肩を軽く払う。
衣服に付着した、わずかな煤を指先で叩き落とす。
それだけの仕草。
それだけの動作。
まるで、埃でも払うみたいに。
「世界創世の炎……稀有な性質だ、悪くない」
低く言う。
評価だった。
称賛ですらない。
ただ、事実としての認識。
「だが」
一歩、さらに近づく。
もう、手を伸ばせば届く距離。
炎は、背後でまだ燃えている。
だが、もう意味をなしていない。
誠の呼吸が、止まる。
「出力は今一つか」
ギルガメッシュは、煤を払った指先をそのまま誠へ向けた。
まるで品定めでもするみたいに。
真紅の瞳は冷えきっているのに、その奥には乾いた愉悦がわずかに灯っていた。
「次は」
一拍。
「全てバーサーカーにでもしてみるか」
あまりにも軽い声音だった。
試しに駒の色を変えてみる、くらいの調子。
誠の背筋に、氷を流し込まれたみたいな悪寒が走る。
「……っ」
意味は、完全には分からない。
だが、分からなくても十分だった。
それが碌でもないことだけは、骨の髄まで理解できた。
ギルガメッシュが、手を伸ばす。
ゆっくりと。
急ぎもせず。
気負いもなく。
ただ、必ず届くと知っている者の動きで。
誠は動けなかった。
逃げなければならない。
その手に触れられてはいけない。
頭では分かっているのに、身体が凍りついている。
恐怖だった。
単なる死の恐怖ではない。
もっと曖昧で、もっと根源的な、自分そのものを何か別のものへ書き換えられるような恐怖。
喉が鳴る。
息が浅くなる。
視界の端で、なおもマレニアと大男が激突している。
白金と黄金がぶつかり合うたび、土煙が上がり、地面が裂ける。
だが、その戦場は遠かった。
今の誠にとって世界は、目の前のその手だけに縮んでいた。
指先が、もう届く。
その時だった。
乾いた空気を、鋭い破裂音が裂いた。
──パンッ!
ほとんど反射だった。
誠が目を見開くより早く、さらに二発、三発。
発砲音が横合いから連続して響く。
──パン! パンッ! パンッ!
火花が散った。
ギルガメッシュの顔の脇。
肩口。
胸元。
飛来した銃弾が、立て続けに叩き込まれる。
「……ほう」
ギルガメッシュの手が、初めて止まった。
誠は弾かれたように音のした方を見る。
瓦礫の影。
崩れた仮設壁の向こう。
白い息を荒く吐きながら、一人の男が立っていた。
紫村秀則だった。
拳銃を両手で構えている。
だが、その両腕は震えていた。
照準は辛うじてギルガメッシュへ向いているものの、指先は細かく揺れ、肩は上下し、額からは脂汗がいく筋も流れていた。顔色も悪い。
それでも。
彼は退いていない。
「灰原氏から……!」
喉を絞るような声だった。
痛みと恐怖で、声が掠れている。
だが、その言葉だけははっきり通った。
「離れなさい!」
次の瞬間。
また発砲音が裂ける。
──パンッ!
銃口が跳ねる。
秀則の身体も、その反動に持っていかれそうになる。足がもつれかける。それでも踏みとどまる。歯を食いしばり、もう一度引き金を絞る。
──パン! パンッ!
連続する銃弾が、ギルガメッシュの肩、胸、頬の脇を叩いた。
火花が散る。
服の表面が、わずかに裂ける。
だが、深くは入らない。
まるで見えない壁に阻まれているかのように、弾丸は勢いを削がれ、逸れ、弾かれていく。
それでも秀則は止めなかった。
止まれば終わりだと理解している者の、半ば意地だけで繋いだ射撃だった。
「──っ、離れろと!」
──パンッ!
「言って!」
──パンッ!
「いるのです!!」
最後の一発が、ひときわ鋭く響く。
硝煙の匂いが、冷たい空気へ広がった。
秀則は肩で息をしていた。
拳銃を突き付けたまま、今にも膝をつきそうなほど不安定に立っている。それでも銃口だけは下げない。汗で濡れた前髪の下、目だけが必死にギルガメッシュを睨んでいた。
誠は息を呑む。
「紫村……」
秀則は答えない。
答える余裕などないのだろう。呼吸は荒く、唇は青白い。それでも一歩、半歩と誠の側へ寄ろうとする。庇うつもりなのだと、見ただけで分かった。
ギルガメッシュは、そこでようやく紫村秀則へ視線を向けた。
ゆっくりと。
つまらぬ小石でも確認するような速度で。
「……ふむ」
低い声だった。
怒ってはいない。
痛がってもいない。
ただ、少しだけ興を引かれたように、秀則の姿を見定めている。
頬の脇を掠めた一発で付いた薄い焦げ跡を、親指の腹でなぞる。
そこには、血も傷も一切付着していない。
「震えながらも、前へ出るか」
その声音には皮肉とも感心ともつかぬ乾きがあった。
「身の程を知らぬ愚か者か」
一拍。
「あるいは、愚かであるがゆえに、なお尊いか」
その評価が褒め言葉なのか、侮辱なのか、彼自身にも分からなかっただろう。
ただ、目の前の怪物じみた王へ一人で対峙し続けるには、もう限界が近かった。拳銃を握る両手は震え、呼吸は浅く、視界すら滲んでいるように見える。
それでも。
彼は銃口を下ろさなかった。
むしろ、歯を食いしばり、息を詰めるみたいにして、声を絞り出す。
「……621ちゃん!」
叫びだった。
助けを求めるというより、信じて呼ぶ声。
その瞬間。
秀則のすぐ横。
崩れた仮設壁の影が、ぬるりと歪む。
空気の色が一瞬だけ変わった気がした。
次に見えた時には、そこに女がいた。
白い髪。
赤い目。
冬の光を鈍く弾く火器の数々を、まるで自分の手足みたいに装備した女。
621だった。
音もなく現れる。
だが、その存在は静かどころか、抜き身の刃のように尖っていた。
誠。
秀則。
ギルガメッシュ。
それらを赤い瞳が一撫でし、最短で答えを出す。
「伏せて」
たった一言だった。
低く。
短く。
命令として完成しきった声。
誠は反射的に動いた。
考えるより早く、身体が地面へ沈む。
崩れた壁際へ身を投げ出すようにして姿勢を低くした、その次の瞬間だった。
──ダダダダダダダッ!!
銃声。
いや、嵐だった。
拳銃の乾いた発砲音とは、まるで別物。
重く、鋭く、容赦のない連射音が、一気に空気を引き裂いた。
621の火器が火を噴く。
肩。
腕。
腰。
複数の銃口が、ほとんど同時に閃く。
吐き出された弾丸は、もはや数えることすらできなかった。
一直線ではない。
点でもない。
面で。
壁のように。
逃げ道そのものを削り取る制圧射撃。
ギルガメッシュの周囲一帯へ、銃弾の嵐が叩き込まれる。
火花。
土煙。
砕けるコンクリート。
弾け飛ぶ瓦礫。
視界の前が、瞬く間に鉄と火薬で塗り潰された。
ギルガメッシュの足元が爆ぜる。
背後の壁が削り取られる。
肩口、胸元、頬の脇、腕、脚、全身へ絶え間なく弾丸が叩き込まれていく。
──ダダダダダダダッ!!
銃弾の嵐は、なおも止まらない。
ギルガメッシュの立つ一帯がまるごと削られていく。土煙が吹き上がり、砕けた壁材が跳ね、火花が断続的に明滅する。その全てが、誠にとっては逃げるための僅かな幕に見えた。
「……っ!」
今だ、と頭ではなく身体が叫んだ。
誠は低く伏せた姿勢のまま、一度だけギルガメッシュのいた方向を見た。煙と火花の向こうで、王の輪郭はまだ立っているようにも、消えているようにも見える。確認している暇はなかった。
地面を蹴る。
瓦礫を踏み越える。
半ば這うように、半ば転ぶように。
誠は射撃に紛れて、その場から離れた。
背後でなおも銃声が続く。
──ダダダダッ!
──ガガガガガッ!
耳が痛い。
土煙が喉に入る。
肺が焼けるように苦しい。
それでも、止まらない。
秀則の方へ。
あの震える腕で、それでも銃を向け続けていた男の方へ。
数歩。
さらに数歩。
ようやくその傍まで辿り着いた時、誠は足をもつれさせるみたいに膝をついた。
「紫村……!」
秀則はまだ拳銃を構えていた。
呼吸は荒い。
肩は大きく上下している。
額も頬も汗で濡れ、唇の色は悪い。
それでも彼は、撃ち尽くした拳銃を下ろすより先に、ギルガメッシュの方を睨み続けていた。
誠は、喉の奥に絡んだものを無理やり押しのけるようにして言う。
「紫村、その……ありがとう」
掠れていた。
だが、言わずにはいられなかった。
「俺を、助けてくれるなんて……」
秀則の肩が、ぴくりと揺れた。
ようやく彼は視線だけを誠へ向ける。
その目には、安堵も、怒りも、気まずさも、色々なものがごちゃ混ぜになっていた。
「っ、はぁ……はぁ……」
震える手で、拳銃の空弾倉を引き抜く。
すぐさま懐から新しい弾倉を引き抜こうとして、指先が汗で滑った。
「くそ……!」
一度、取り落としかける。
それでも拾い直し、無理やり差し込む。
その間も手は震えていた。
震えているくせに、止まらない。
「母上の事は……!」
唐突に、秀則が叫んだ。
弾倉を押し込みながら。
ほとんど半泣きみたいな顔で。
それでも歯を食いしばって。
「正直、許せていません!」
かち、と弾倉が収まる。
秀則の指がスライドを引く。
ぎこちない。だが、ちゃんと終える。
「ですが必要だった事も、理解してます!」
声が裏返る。
自分で言いながら、自分の感情を整理できていないのが丸分かりだった。
「いやでも、しっかり許せてはいません!」
誠は目を瞬かせた。
こんな状況だというのに、あまりにも秀則らしい。
理屈と感情が全然噛み合っていない。
なのに、そのどっちも本気なのが分かる。
「でも、助けるでしょう!」
叫ぶ。
もう泣きそうな声だった。
「友達だから!」
一歩、誠へ寄る。
「困ってたら、ほっとけないから、許せてはないけど!」
そこまで一気に言い切って。
「紫村……許してくれなくたって構わない、俺は──」
秀則は弾倉交換を終えた拳銃を片手に持ち替え、空いた方の拳で──
どすっ。
誠の胸を殴った。
「ぐっ」
大して威力はない。
だが、不意打ちだった。
誠が目を白黒させる間に、もう一発。
どすっ。
「お、おい……!」
どすっ。
秀則は容赦なく、もう一度誠の胸を殴った。
「痛っ……!」
「貴方の!」
どすっ。
「そういう!」
どすっ。
「スカした所が!」
どすっ。
「嫌いなんですよ!!」
今度はさっきより少し強かった。
誠は胸を押さえて半歩よろける。
「ちょ、ちょっと待て紫村!」
「うるさーい!」
秀則は肩で息をしながら叫ぶ。拳銃を持つ手はまだ震えているのに、空いた方の拳だけは妙に元気だった。
そしてまた、ぼすっ、と胸を叩く。
「前から思ってましたけど!」
ぼすっ。
「特に魔術を修めてから!」
ぼすっ。
「厨二に拍車がかかってるなって!」
ぼすっ。
「ずっと思ってました!!」
誠は唖然とした。
「はぁ!?」
こんな地獄みたいな戦場のど真ん中で、何を言い出すんだこいつは、と本気で思った。
だが秀則は止まらない。
半ばやけくそみたいに、だが間違いなく本音で続ける。
「いやでも、何だか悪くて指摘できなかったんです!」
叫ぶ。
「掌から火とか出すようになってから余計にです!」
さらに叫ぶ。
「なんか、こう……本人すごく真面目にやってるのに、横から“それちょっと厨二っぽいですよ”って言うのは、あまりにも、その……!」
言葉に詰まり、秀則は顔をしかめた。
「言いづらかったんですよ!」
誠の顔が、かっと熱くなる。
「お、おま……!」
今度は誠の方が言葉に詰まった。
頭の中で、自分のこれまでの言動が嫌な勢いで蘇る。
世界創世の炎。
世界を冒す狂い火。
罪とか、罰とか。
そういう諸々。
「……っ」
自覚がないわけじゃなかった。
だが、改めて他人に面と向かって言われると破壊力が違う。
耳まで熱くなる。
誠は思わず目を逸らしかけたが、そこで変な意地が湧いた。
「し、仕方ないだろ!」
反射的に言い返す。
「お前だって掌から炎出してみろ!」
秀則が一瞬ぽかんとする。
誠は顔を真っ赤にしたまま、だがもう止まれなかった。
「厨二にだってなるだろうが!」
「だとしてもスカしすぎなんですよ!」
二人の声が、銃声と悲鳴と轟音の狭間で、妙に情けなくぶつかり合った。
その瞬間だけ、戦場の只中にあって、ひどく間の抜けた空気が生まれる。
だがもちろん、そんな時間が長く続くはずもない。
──ダダダダダダダッ!!
621の制圧射撃が、再び一段高く唸った。
火花と土煙の向こうで、ギルガメッシュの影がなお立っている。
そしてそのさらに奥では、マレニアと大男の斬り結びが一瞬たりとも緩んでいない。白金と黄金が噛み合うたび、地面が裂け、空気が悲鳴を上げる。
秀則はようやく拳を止め、荒い呼吸のまま誠を睨んだ。
「……でも」
その声は、さっきより少し低かった。
「友達だから、これ以上は勘弁してやるぜ。一緒に戦いましょう」