Fate/You Died.   作:助兵衛

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第83話 鈍く、鉛に輝く

 腹の底から捩じ切るように絞り出された声が、冬の空気そのものを震わせる。校庭の砕けた土がびりびりと鳴り、崩れた柵の残骸がかたかたと跳ねた。

 

 赤い鬣が、炎のように逆巻く。

 

 黄金の鎧が軋む。

 

 両手の特大の双剣が、まるで暴風そのものを掴んだみたいに唸りを上げた。

 

 マレニアは、一歩も退かない。

 

 白金の義手刀を静かに構えたまま、その巨体を見上げていた。

 

 怒りがあった。

 

 警戒もあった。

 

 だが、そのどちらよりも強く見えたのは、ある種の理解だった。

 

 相手を知っている者の目だ。

 

 ただ強大な敵を前にしたのではない。

 

 もっと古く、もっと深く、もっと個人的な何かを前にした者の目だった。

 

 大男が先に踏み込む。

 

 地面が爆ぜた。

 

 誠の視界から、一瞬その巨体が消える。

 

「──っ!?」

 

 次に見えた時には、もうマレニアの眼前だった。

 

 速すぎる。

 

 あの体躯で。

 あの鎧で。

 あの双剣を振り回しながら。

 

 常識が追いつかない。

 

 右の大剣が、横薙ぎに走る。

 

 空そのものを裂くみたいな斬撃だった。風圧だけで地面の砂塵が円を描いて吹き飛ぶ。巻き込まれた木箱が、刃に触れてすらいないのに粉々に弾けた。

 

 マレニアは、その刃を受けなかった。

 

 わずかに身をずらす。

 

 紙一重。

 

 髪を掠め、

 マントの端を削ぎ、

 しかし本体には触れさせない。

 

 そのまま懐へ。

 

 白金の刃が閃く。

 

 鎧の継ぎ目──脇腹のわずかな隙間へ、寸分の狂いもなく差し込まれた。

 

 だが。

 

 浅い。

 

 大男の筋肉が、鎧ごと刃を押し返すみたいに盛り上がる。

 

 次の瞬間には、左の大剣が上から叩き落とされていた。

 

 マレニアは跳んだ。

 

 跳ぶしかなかった。

 

 轟音。

 

 さっきまで彼女のいた場所が、まるごと陥没する。土も石も、コンクリートの割れた破片も、まとめて噛み潰したみたいに沈んだ。

 

 終末だった。

 

 比喩ではなく、本当にそうとしか言いようがない。

 

 二人が剣を交えるたびに、大地が裂ける。

 建物の壁が崩れる。

 資材の山が吹き飛ぶ。

 空気そのものが、衝撃で悲鳴を上げているみたいだった。

 

「う、うわ……!」

 

 誠は反射的に数歩下がる。

 

 いや、数歩では足りない。

 

 巻き込まれては堪らないと、半ば転ぶように建物の陰から飛び出し、さらに距離を取る。

 

 だが。

 

 距離を取った先も、安全ではなかった。

 

 避難民がいた。

 

 大勢。

 

 校庭の端へ逃げてきた者たち。

 体育館の裏手へ回ろうとしている者たち。

 泣き叫ぶ子どもを抱えた母親。

 足を引きずる老人。

 誰かを支えながら走る若者。

 

 その群れへ、別の黒い獣が飛び込む。

 

「きゃああああっ!」

 

 悲鳴が上がる。

 

 男が一人、庇うように前へ出る。

 だが黒い獣の爪が振るわれた瞬間、その身体はあっけなく横へ吹き飛んだ。

 

 別の怪物が、建物の壁を殴る。

 

 ばき、と嫌な音が響いた。

 

 避難所脇の仮設小屋の一つが、横から潰される。屋根が傾き、支柱が折れ、避難民たちが中から這い出しながら咳き込んでいる。

 

 その上を、さらに別の異形が這う。

 

 誰かが転ぶ。

 誰かがそれを助けようとして止まる。

 止まったところへ、また別の獣が走り込む。

 

 混沌だった。

 

 もはや一つの戦場ではない。

 

 戦場が、いくつも同時に生まれている。

 

 しかも中心にあるのは、マレニアと大男の斬り結びだ。

 

 二人が激突するたび、周囲の地形ごと変わっていく。

 

 地形が、変わる。

 

 そのたびに。

 

 人の流れが断たれ、

 逃げ道が潰れ、

 叫びが増えていく。

 

 誠は、ただ立ち尽くしていた。

 

 足が動かない。

 

 どこへ行けばいいのか分からない。

 何を優先すべきか分からない。

 

 助けるべきか。

 逃げるべきか。

 マレニアに声をかけるべきか。

 

 どれも正しい気がして、

 どれも間違っている気がした。

 

 思考が、追いつかない。

 

 目に入るものが多すぎる。

 

 右では、建物が崩れる。

 左では、人が倒れる。

 正面では、黒い獣が跳びかかる。

 

 そして、そのすべての背後で。

 

 マレニアと大男が、まだ斬り合っている。

 

 あまりにも強すぎる二つの存在が、ただそこにあるだけで、世界の形そのものが崩れていく。

 

「……なんだよ、これ……」

 

 掠れた声が、喉から漏れた。

 

 現実感がない。

 

 夢でも悪夢でもない。

 ただ、理解が追いつかないだけの現実。

 

 その時だった。

 

 不意に。

 

 音が、落ちた。

 

 完全に消えたわけではない。

 悲鳴も、轟音も、まだ確かにそこにある。

 

 だが。

 

 それらすべての上に、別の「静けさ」が重なった。

 

 乾いた、ひどく古びた、王座の間のような圧。

 

 誠は反射的に顔を上げる。

 

 目の前に。

 

 男が立っていた。

 

 ついさっきまで、そこには誰もいなかったはずの場所に。

 

 黄金の髪。

 真紅の瞳。

 

 そして。

 

 枯れ木のような、乾いた存在感。

 

「……っ」

 

 誠の喉が詰まる。

 

 ギルガメッシュは、周囲の混沌を一瞥すらしなかった。

 

 ただ、誠だけを見ている。

 

 その視線には、焦りも、愉悦も、ほとんどない。

 

 あるのは、ただ冷えきった理性だけだった。

 

「……お前」

 

 声が震える。

 

 怒りか、

 恐怖か、

 そのどちらでもあるのか。

 

「何が目的なんだ」

 

 一歩、踏み出す。

 

 自分でも驚くほど、足に力が入っていた。

 

「なんで、こんな……!」

 

 視界の端で、誰かが倒れる。

 誰かが叫ぶ。

 建物が崩れる。

 

 それでも、目を逸らさない。

 

「なんでこんな酷い事が出来る!!」

 

 怒鳴った。

 

 ほとんど叫びだった。

 

 喉が焼けるみたいに痛む。

 

 だが。

 

 ギルガメッシュは、動じなかった。

 

 風に揺れる枯れ枝みたいに、ほんのわずかに視線を傾けるだけ。

 

「酷い、か」

 

 低く言う。

 

 その声音には、否定も肯定もない。

 

 ただ、言葉の意味を確かめるような響きだけがあった。

 

 そして。

 

 ほんのわずかに、口の端が歪む。

 

「聖杯が、八割方満ちた」

 

 唐突だった。

 

 誠の思考が、一瞬止まる。

 

「……は?」

 

 意味が繋がらない。

 

 だがギルガメッシュは続ける。

 

 あくまで、平然と。

 

 あくまで、事務的に。

 

「ダラダラと続けても仕方あるまい」

 

 一拍。

 

 その真紅の瞳の奥で、乾いた火がかすかに揺れる。

 

「そろそろ、追い込みをかけようと思ってな」

 

 あまりにも軽かった。

 

 今この瞬間も、人が死んでいる。

 

 世界が崩れている。

 

 それを前にして。

 

 まるで、退屈な作業の進捗でも語るみたいに。

 

 誠の背後で、空気が裂けた。

 

 轟音。

 

 遅れて、衝撃。

 

 地面が持ち上がり、土と瓦礫が波のように押し寄せる。

 

「──っ!」

 

 思わず振り向く。

 

 マレニアと大男が、再び激突していた。

 

 白金と黄金。

 

 細身の刃と、特大の双剣。

 

 その一合ごとに、周囲の空間そのものが歪む。

 

 衝撃が、直線ではなく“面”で広がる。

 

 逃げていた避難民が巻き込まれ、地面に叩きつけられる。

 仮設の壁が耐えきれずに裂け、柱が弾け飛ぶ。

 

「くっ……!」

 

 マレニアが踏み込み、刃を振るう。

 

 だが、その直後。

 

 大男の大剣が、まるで山そのものを振り下ろすみたいに叩きつけられる。

 

 受けられない。

 

 避けるしかない。

 

 彼女は横へ流れる。

 

 だが、それで終わらない。

 

 もう一振り。

 

 さらにもう一振り。

 

 連続する斬撃が、逃げ場そのものを潰していく。

 

 地面が裂け、

 空間が抉られ、

 破片が嵐のように吹き荒れる。

 

 その余波が、誠の方へまで届いた。

 

「……っ!」

 

 視界が揺れる。

 

 立っているだけで、足場が崩れそうになる。

 

 マレニアが、こちらを見た。

 

 一瞬だけ。

 

 ほんの一瞬。

 

 その瞳が、誠を捉える。

 

「にいさま──」

 

 声が届く前に割り込まれる。

 

 大男の影が、彼女の視界を覆い尽くした。

 

 振り下ろされる双剣。

 

 マレニアは、誠へ向かう進路を強引に断たれる。

 

 踏み出せない。

 

 踏み出せば、その瞬間に叩き潰される。

 

 彼女は歯を食いしばる。

 

 白金の刃が閃く。

 

 受けるのではなく、流す。

 

 逸らす。

 

 最小限の動きで致命を回避しながら、それでも一歩も誠の方へは近づけない。

 

 戦闘が、あまりにも苛烈すぎる。

 

 割って入る余地がない。

 

 ほんの半歩の判断の遅れが、そのまま死に直結する密度。

 

 誠は、それを理解してしまった。

 

 マレニアは来られない。

 

 助けに来たくても、来られない。

 

 その事実が、喉を締めつける。

 

 そして。

 

 目の前で。

 

 ギルガメッシュが、一歩、踏み出した。

 

 静かに。

 

 何の気負いもなく。

 

 ただ歩くだけ。

 

 それだけなのに。

 

 距離が、致命的に縮まる。

 

「──来るな」

 

 反射的に、声が出た。

 

 だが足は動かない。

 

 後退しようとする。

 

 しかし背後には瓦礫と、倒れた人々と、崩れた壁。

 

 逃げ場がない。

 

 ギルガメッシュは止まらない。

 

 その真紅の瞳は、ただ誠だけを見ている。

 

 評価するように。

 

 測るように。

 

 値踏みするように。

 

 さらに一歩。

 

 距離が、詰まる。

 

 誠の喉がひきつった。

 

 逃げ場はない。

 

 ならば──

 

「……来るなって、言ってるだろ……!」

 

 前に出した掌が、震えていた。

 

 恐怖で。

 怒りで。

 理解の追いつかない現実そのものに対する拒絶で。

 

 掌の中で、火が生まれる。

 

 赤ではない。

 橙でもない。

 

 もっと原初的で、

 もっと乾いていて、

 それでいて世界そのものを侵食するような色。

 

 ──始まりの火。

 

 炎が、噴き上がった。

 

 ば、と。

 

 空間を塞ぐように、壁が立ち上がる。

 

 轟、と低く唸る音。

 

 熱が爆ぜ、空気が歪み、周囲の瓦礫が一瞬で赤熱する。

 

 近づいていた黒い獣が、炎に触れた瞬間、形を保てず崩れ落ちた。

 

 焼けるというより、存在そのものが解ける。

 

 誠は荒く息を吐いた。

 

 震える掌を、なお前へ突き出したまま。

 

「……これ以上、来るな……!」

 

 炎の向こう側。

 

 ギルガメッシュが、足を止めた。

 

 ほんの一歩分の距離を隔てて。

 

 その火を、見ている。

 

 真紅の瞳が、わずかに細められる。

 

 興味。

 

 評価。

 

 そして。

 

 ほんの僅かな、確認。

 

「ほう、これが……」

 

 その声音は、初めてわずかに色を帯びていた。

 

 だが。

 

 次の瞬間。

 

 彼は、何の躊躇もなく、踏み込んだ。

 

 炎の中へ。

 

「──っ!?」

 

 誠の目が見開かれる。

 

 炎は、確かに燃えている。

 

 空気を焼き、

 瓦礫を溶かし、

 近づくものを拒絶する壁。

 

 だが。

 

 ギルガメッシュは、止まらない。

 

 歩く。

 

 ただ歩く。

 

 炎が、その身体を包む。

 

 衣服の裾を舐め、髪を撫で、その存在そのものを焼き尽くそうとする。

 

 だが。

 

 焼けない。

 

 侵さない。

 

 まるで、炎の方が彼を避けているみたいに。

 

 熱はある。

 光もある。

 

 だが、それだけだ。

 

 彼にとって、それはただの現象でしかない。

 

 数歩。

 

 それだけで、炎の壁を抜けた。

 

 ぱち、と。

 

 ギルガメッシュは、肩を軽く払う。

 

 衣服に付着した、わずかな煤を指先で叩き落とす。

 

 それだけの仕草。

 

 それだけの動作。

 

 まるで、埃でも払うみたいに。

 

「世界創世の炎……稀有な性質だ、悪くない」

 

 低く言う。

 

 評価だった。

 

 称賛ですらない。

 

 ただ、事実としての認識。

 

「だが」

 

 一歩、さらに近づく。

 

 もう、手を伸ばせば届く距離。

 

 炎は、背後でまだ燃えている。

 

 だが、もう意味をなしていない。

 

 誠の呼吸が、止まる。

 

「出力は今一つか」

 

 ギルガメッシュは、煤を払った指先をそのまま誠へ向けた。

 

 まるで品定めでもするみたいに。

 

 真紅の瞳は冷えきっているのに、その奥には乾いた愉悦がわずかに灯っていた。

 

「次は」

 

 一拍。

 

「全てバーサーカーにでもしてみるか」

 

 あまりにも軽い声音だった。

 

 試しに駒の色を変えてみる、くらいの調子。

 

 誠の背筋に、氷を流し込まれたみたいな悪寒が走る。

 

「……っ」

 

 意味は、完全には分からない。

 

 だが、分からなくても十分だった。

 

 それが碌でもないことだけは、骨の髄まで理解できた。

 

 ギルガメッシュが、手を伸ばす。

 

 ゆっくりと。

 

 急ぎもせず。

 気負いもなく。

 ただ、必ず届くと知っている者の動きで。

 

 誠は動けなかった。

 

 逃げなければならない。

 その手に触れられてはいけない。

 

 頭では分かっているのに、身体が凍りついている。

 

 恐怖だった。

 

 単なる死の恐怖ではない。

 もっと曖昧で、もっと根源的な、自分そのものを何か別のものへ書き換えられるような恐怖。

 

 喉が鳴る。

 

 息が浅くなる。

 

 視界の端で、なおもマレニアと大男が激突している。

 

 白金と黄金がぶつかり合うたび、土煙が上がり、地面が裂ける。

 

 だが、その戦場は遠かった。

 

 今の誠にとって世界は、目の前のその手だけに縮んでいた。

 

 指先が、もう届く。

 

 その時だった。

 

 乾いた空気を、鋭い破裂音が裂いた。

 

 ──パンッ! 

 

 ほとんど反射だった。

 

 誠が目を見開くより早く、さらに二発、三発。

 

 発砲音が横合いから連続して響く。

 

 ──パン! パンッ! パンッ! 

 

 火花が散った。

 

 ギルガメッシュの顔の脇。

 肩口。

 胸元。

 

 飛来した銃弾が、立て続けに叩き込まれる。

 

「……ほう」

 

 ギルガメッシュの手が、初めて止まった。

 

 誠は弾かれたように音のした方を見る。

 

 瓦礫の影。

 

 崩れた仮設壁の向こう。

 

 白い息を荒く吐きながら、一人の男が立っていた。

 

 紫村秀則だった。

 

 拳銃を両手で構えている。

 

 だが、その両腕は震えていた。

 

 照準は辛うじてギルガメッシュへ向いているものの、指先は細かく揺れ、肩は上下し、額からは脂汗がいく筋も流れていた。顔色も悪い。

 

 それでも。

 

 彼は退いていない。

 

「灰原氏から……!」

 

 喉を絞るような声だった。

 

 痛みと恐怖で、声が掠れている。

 

 だが、その言葉だけははっきり通った。

 

「離れなさい!」

 

 次の瞬間。

 

 また発砲音が裂ける。

 

 ──パンッ! 

 

 銃口が跳ねる。

 

 秀則の身体も、その反動に持っていかれそうになる。足がもつれかける。それでも踏みとどまる。歯を食いしばり、もう一度引き金を絞る。

 

 ──パン! パンッ! 

 

 連続する銃弾が、ギルガメッシュの肩、胸、頬の脇を叩いた。

 

 火花が散る。

 

 服の表面が、わずかに裂ける。

 

 だが、深くは入らない。

 

 まるで見えない壁に阻まれているかのように、弾丸は勢いを削がれ、逸れ、弾かれていく。

 

 それでも秀則は止めなかった。

 

 止まれば終わりだと理解している者の、半ば意地だけで繋いだ射撃だった。

 

「──っ、離れろと!」

 

 ──パンッ! 

 

「言って!」

 

 ──パンッ! 

 

「いるのです!!」

 

 最後の一発が、ひときわ鋭く響く。

 

 硝煙の匂いが、冷たい空気へ広がった。

 

 秀則は肩で息をしていた。

 

 拳銃を突き付けたまま、今にも膝をつきそうなほど不安定に立っている。それでも銃口だけは下げない。汗で濡れた前髪の下、目だけが必死にギルガメッシュを睨んでいた。

 

 誠は息を呑む。

 

「紫村……」

 

 秀則は答えない。

 

 答える余裕などないのだろう。呼吸は荒く、唇は青白い。それでも一歩、半歩と誠の側へ寄ろうとする。庇うつもりなのだと、見ただけで分かった。

 

 ギルガメッシュは、そこでようやく紫村秀則へ視線を向けた。

 

 ゆっくりと。

 

 つまらぬ小石でも確認するような速度で。

 

「……ふむ」

 

 低い声だった。

 

 怒ってはいない。

 

 痛がってもいない。

 

 ただ、少しだけ興を引かれたように、秀則の姿を見定めている。

 

 頬の脇を掠めた一発で付いた薄い焦げ跡を、親指の腹でなぞる。

 

 そこには、血も傷も一切付着していない。

 

「震えながらも、前へ出るか」

 

 その声音には皮肉とも感心ともつかぬ乾きがあった。

 

「身の程を知らぬ愚か者か」

 

 一拍。

 

「あるいは、愚かであるがゆえに、なお尊いか」

 

 その評価が褒め言葉なのか、侮辱なのか、彼自身にも分からなかっただろう。

 

 ただ、目の前の怪物じみた王へ一人で対峙し続けるには、もう限界が近かった。拳銃を握る両手は震え、呼吸は浅く、視界すら滲んでいるように見える。

 

 それでも。

 

 彼は銃口を下ろさなかった。

 

 むしろ、歯を食いしばり、息を詰めるみたいにして、声を絞り出す。

 

「……621ちゃん!」

 

 叫びだった。

 

 助けを求めるというより、信じて呼ぶ声。

 

 その瞬間。

 

 秀則のすぐ横。

 

 崩れた仮設壁の影が、ぬるりと歪む。

 

 空気の色が一瞬だけ変わった気がした。

 

 次に見えた時には、そこに女がいた。

 

 白い髪。

 赤い目。

 冬の光を鈍く弾く火器の数々を、まるで自分の手足みたいに装備した女。

 

 621だった。

 

 音もなく現れる。

 

 だが、その存在は静かどころか、抜き身の刃のように尖っていた。

 

 

 誠。

 秀則。

 ギルガメッシュ。

 それらを赤い瞳が一撫でし、最短で答えを出す。

 

「伏せて」

 

 たった一言だった。

 

 低く。

 短く。

 命令として完成しきった声。

 

 誠は反射的に動いた。

 

 考えるより早く、身体が地面へ沈む。

 

 崩れた壁際へ身を投げ出すようにして姿勢を低くした、その次の瞬間だった。

 

 ──ダダダダダダダッ!! 

 

 銃声。

 

 いや、嵐だった。

 

 拳銃の乾いた発砲音とは、まるで別物。

 

 重く、鋭く、容赦のない連射音が、一気に空気を引き裂いた。

 

 621の火器が火を噴く。

 

 肩。

 腕。

 腰。

 複数の銃口が、ほとんど同時に閃く。

 

 吐き出された弾丸は、もはや数えることすらできなかった。

 

 一直線ではない。

 点でもない。

 

 面で。

 壁のように。

 逃げ道そのものを削り取る制圧射撃。

 

 ギルガメッシュの周囲一帯へ、銃弾の嵐が叩き込まれる。

 

 火花。

 土煙。

 砕けるコンクリート。

 弾け飛ぶ瓦礫。

 

 視界の前が、瞬く間に鉄と火薬で塗り潰された。

 

 ギルガメッシュの足元が爆ぜる。

 背後の壁が削り取られる。

 肩口、胸元、頬の脇、腕、脚、全身へ絶え間なく弾丸が叩き込まれていく。

 

 ──ダダダダダダダッ!! 

 

 銃弾の嵐は、なおも止まらない。

 

 ギルガメッシュの立つ一帯がまるごと削られていく。土煙が吹き上がり、砕けた壁材が跳ね、火花が断続的に明滅する。その全てが、誠にとっては逃げるための僅かな幕に見えた。

 

「……っ!」

 

 今だ、と頭ではなく身体が叫んだ。

 

 誠は低く伏せた姿勢のまま、一度だけギルガメッシュのいた方向を見た。煙と火花の向こうで、王の輪郭はまだ立っているようにも、消えているようにも見える。確認している暇はなかった。

 

 地面を蹴る。

 

 瓦礫を踏み越える。

 

 半ば這うように、半ば転ぶように。

 

 誠は射撃に紛れて、その場から離れた。

 

 背後でなおも銃声が続く。

 

 ──ダダダダッ! 

 ──ガガガガガッ! 

 

 耳が痛い。

 土煙が喉に入る。

 肺が焼けるように苦しい。

 

 それでも、止まらない。

 

 秀則の方へ。

 

 あの震える腕で、それでも銃を向け続けていた男の方へ。

 

 数歩。

 さらに数歩。

 

 ようやくその傍まで辿り着いた時、誠は足をもつれさせるみたいに膝をついた。

 

「紫村……!」

 

 秀則はまだ拳銃を構えていた。

 

 呼吸は荒い。

 肩は大きく上下している。

 額も頬も汗で濡れ、唇の色は悪い。

 

 それでも彼は、撃ち尽くした拳銃を下ろすより先に、ギルガメッシュの方を睨み続けていた。

 

 誠は、喉の奥に絡んだものを無理やり押しのけるようにして言う。

 

「紫村、その……ありがとう」

 

 掠れていた。

 

 だが、言わずにはいられなかった。

 

「俺を、助けてくれるなんて……」

 

 秀則の肩が、ぴくりと揺れた。

 

 ようやく彼は視線だけを誠へ向ける。

 

 その目には、安堵も、怒りも、気まずさも、色々なものがごちゃ混ぜになっていた。

 

「っ、はぁ……はぁ……」

 

 震える手で、拳銃の空弾倉を引き抜く。

 

 すぐさま懐から新しい弾倉を引き抜こうとして、指先が汗で滑った。

 

「くそ……!」

 

 一度、取り落としかける。

 それでも拾い直し、無理やり差し込む。

 

 その間も手は震えていた。

 

 震えているくせに、止まらない。

 

「母上の事は……!」

 

 唐突に、秀則が叫んだ。

 

 弾倉を押し込みながら。

 ほとんど半泣きみたいな顔で。

 それでも歯を食いしばって。

 

「正直、許せていません!」

 

 かち、と弾倉が収まる。

 

 秀則の指がスライドを引く。

 ぎこちない。だが、ちゃんと終える。

 

「ですが必要だった事も、理解してます!」

 

 声が裏返る。

 

 自分で言いながら、自分の感情を整理できていないのが丸分かりだった。

 

「いやでも、しっかり許せてはいません!」

 

 誠は目を瞬かせた。

 

 こんな状況だというのに、あまりにも秀則らしい。

 

 理屈と感情が全然噛み合っていない。

 なのに、そのどっちも本気なのが分かる。

 

「でも、助けるでしょう!」

 

 叫ぶ。

 

 もう泣きそうな声だった。

 

「友達だから!」

 

 一歩、誠へ寄る。

 

「困ってたら、ほっとけないから、許せてはないけど!」

 

 そこまで一気に言い切って。

 

「紫村……許してくれなくたって構わない、俺は──」

 

 秀則は弾倉交換を終えた拳銃を片手に持ち替え、空いた方の拳で──

 

 どすっ。

 

 誠の胸を殴った。

 

「ぐっ」

 

 大して威力はない。

 

 だが、不意打ちだった。

 

 誠が目を白黒させる間に、もう一発。

 

 どすっ。

 

「お、おい……!」

 

 どすっ。

 

 秀則は容赦なく、もう一度誠の胸を殴った。

 

「痛っ……!」

 

「貴方の!」

 

 どすっ。

 

「そういう!」

 

 どすっ。

 

「スカした所が!」

 

 どすっ。

 

「嫌いなんですよ!!」

 

 今度はさっきより少し強かった。

 

 誠は胸を押さえて半歩よろける。

 

「ちょ、ちょっと待て紫村!」

 

「うるさーい!」

 

 秀則は肩で息をしながら叫ぶ。拳銃を持つ手はまだ震えているのに、空いた方の拳だけは妙に元気だった。

 

 そしてまた、ぼすっ、と胸を叩く。

 

「前から思ってましたけど!」

 

 ぼすっ。

 

「特に魔術を修めてから!」

 

 ぼすっ。

 

「厨二に拍車がかかってるなって!」

 

 ぼすっ。

 

「ずっと思ってました!!」

 

 誠は唖然とした。

 

「はぁ!?」

 

 こんな地獄みたいな戦場のど真ん中で、何を言い出すんだこいつは、と本気で思った。

 

 だが秀則は止まらない。

 

 半ばやけくそみたいに、だが間違いなく本音で続ける。

 

「いやでも、何だか悪くて指摘できなかったんです!」

 

 叫ぶ。

 

「掌から火とか出すようになってから余計にです!」

 

 さらに叫ぶ。

 

「なんか、こう……本人すごく真面目にやってるのに、横から“それちょっと厨二っぽいですよ”って言うのは、あまりにも、その……!」

 

 言葉に詰まり、秀則は顔をしかめた。

 

「言いづらかったんですよ!」

 

 誠の顔が、かっと熱くなる。

 

「お、おま……!」

 

 今度は誠の方が言葉に詰まった。

 

 頭の中で、自分のこれまでの言動が嫌な勢いで蘇る。

 

 世界創世の炎。 

 世界を冒す狂い火。

 罪とか、罰とか。  

 そういう諸々。

 

「……っ」

 

 自覚がないわけじゃなかった。

 だが、改めて他人に面と向かって言われると破壊力が違う。

 

 耳まで熱くなる。

 

 誠は思わず目を逸らしかけたが、そこで変な意地が湧いた。

 

「し、仕方ないだろ!」

 

 反射的に言い返す。

 

「お前だって掌から炎出してみろ!」

 

 秀則が一瞬ぽかんとする。

 

 誠は顔を真っ赤にしたまま、だがもう止まれなかった。

 

「厨二にだってなるだろうが!」

 

「だとしてもスカしすぎなんですよ!」

 

 二人の声が、銃声と悲鳴と轟音の狭間で、妙に情けなくぶつかり合った。

 

 その瞬間だけ、戦場の只中にあって、ひどく間の抜けた空気が生まれる。

 

 だがもちろん、そんな時間が長く続くはずもない。

 

 ──ダダダダダダダッ!! 

 

 621の制圧射撃が、再び一段高く唸った。

 

 火花と土煙の向こうで、ギルガメッシュの影がなお立っている。

 

 そしてそのさらに奥では、マレニアと大男の斬り結びが一瞬たりとも緩んでいない。白金と黄金が噛み合うたび、地面が裂け、空気が悲鳴を上げる。

 

 秀則はようやく拳を止め、荒い呼吸のまま誠を睨んだ。

 

「……でも」

 

 その声は、さっきより少し低かった。

 

「友達だから、これ以上は勘弁してやるぜ。一緒に戦いましょう」

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