──ダダダダダダダッ!!
容赦のない連射音が、なおも校庭を引き裂いていた。
火花が散る。
土が抉れる。
砕けた壁材が、弾かれた破片と一緒になって跳ね回る。
621は一切の無駄なく撃ち続けていた。
ギルガメッシュの立っていた一帯は、完全に煙と火花に呑み込まれている。
見えない。
だが見えないからこそ、621は止めない。
逃がさないために。
近づかせないために。
土煙の中に王の輪郭が残っているかもしれない一点へ、圧倒的な面制圧を叩き込み続ける。
秀則は思わず息を呑み、誠は地に伏せたまま顔だけを上げた。
銃弾の嵐は、まだ続く。
まだ終わらない。
そう思った、その時だった。
音が、変わった。
それまで絶え間なく唸っていた連射音の密度が、ほんのわずかに落ちる。
──ダダダッ、ダ、ダダッ!
火器の吐き出すリズムが乱れる。
621の赤い瞳が、ほんの一瞬だけ細まった。
次の瞬間。
──カチ、カチッ。
乾いた、嫌な空打ちの音が混じる。
弾幕が途切れた。
「……っ」
誠の背筋が粟立つ。
621は即座に次の手へ移ろうとした。
だが、それでもゼロではない一瞬が生まれる。
戦場では、それだけで十分すぎた。
それまで濃密に渦巻いていた土煙が、風もないのにゆっくりと裂けていく。
砕けた壁材が、からからと地面を転がる。
火花の残滓が、暗くなって落ちていく。
そして。
その中から、男が歩み出た。
ギルガメッシュだった。
平然としている。
焦げ跡一つない。
血の滲みもない。
服に裂け目すら、ほとんど見当たらない。
あれだけの弾幕を真正面から受けておきながら、まるで何事もなかったみたいな顔で、そこに立っていた。
「…………」
誠は言葉を失う。
621もまた、無言のまま銃口を維持している。
だが、その沈黙は先ほどまでとは違う。
押し切れなかった。
通らなかった。
その事実だけが、冷たく場に落ちた。
ギルガメッシュは肩口にかかった土煙を、鬱陶しげに払った。
ひと払い。
次いで袖。
胸元。
髪にかかった細かな砂塵まで、気怠げに指先で払う。
その仕草は、戦闘の余韻ではない。
ただ単に、不快だったものを取り除いているだけだ。
「……鬱陶しい」
低く呟く。
感心も怒りもない。
ただ、耳元で虫でも飛ばれた時みたいな、心底面倒そうな響きだった。
それから、鼻を鳴らす。
ふん、と。
その乾いた一音だけで、先ほどまでの制圧射撃が、彼にとっては脅威ではなく、単なる煩わしさでしかなかったのだと思い知らされる。
冬の空気が、妙に冷たくなった。
621は、わずかに銃口を下げた。
視線は逸らさない。
赤い瞳は、ギルガメッシュの輪郭を正確に捉えたまま。
数秒。
それだけで、十分だった。
「……個人火器の効果無し」
短く、淡々と告げる。
結論だった。
評価ではなく、結果の確定。
そのまま、持っていた武装を躊躇なく手放す。
肩の火器。
腕の銃。
腰の装備。
ばらばらと地面へ落ちるかと思われたそれらは、途中で形を崩した。
輪郭が解ける。
質量が失われる。
次の瞬間には、すべてが赤い粒子へと分解されていた。
細かな光の粒が、ふわりと浮き上がる。
血のような、火の粉のような、淡く揺れる赤。
それらは空中で一瞬だけ留まり、やがて風もないのにほどけるように散っていった。
あとには、何も残らない。
武装そのものが、最初から存在していなかったみたいに。
「ハンドラー、アレの相手をするにはACを用いねばならない」
「呼んでもいい?」
誠の顔が強張った。
「……ACって」
一瞬、言葉が詰まる。
だが次の瞬間、思い出したように声が跳ねた。
「ACって、あのロボットか!?」
声が大きくなる。
焦りと、はっきりとした拒絶が混じっていた。
「でもそれ使って──!」
一歩、621の方へ踏み出す。
「紫村は一回死んでるだろ!」
叫びだった。
怒鳴るつもりではなかったはずなのに、声は抑えきれなかった。
狂い火に包まれた住宅街、炎の巨人が脳裏に蘇る。
「また同じことになるかもしれないだろ……!」
誠の拳が、無意識に握られる。
拒絶だった。
理屈ではない。
感情の奥底からの、はっきりとした拒否。
秀則もまた、言葉を挟めずにいた。
ただ、621を見る。
不安そうに。
ほんのわずかに、迷いを滲ませながら。
「あの冷たくなっていく感覚は、2度も味わいたくないですが……あいや、必要なら」
声は小さい。
だが、確かに震えていた。
621は、その両方の視線を受け止める。
逸らさない。
瞬きすらほとんどしないまま、静かに口を開く。
「キャスターとなった私は」
一拍。
状況の説明ではない。
前提の提示。
「制限こそ増えたが、リソースをほぼ無制限に扱う事が出来る」
淡々としている。
誇張も、強調もない。
ただ、事実としての宣言。
誠が息を呑む。
秀則の喉が、かすかに鳴る。
621は続けた。
「ACの使用にあたり」
わずかに言葉を区切る。
重要度を示すように。
「ハンドラーの生命を脅かす事は無いと保証する」
秀則の目が、ぱっと見開かれた。
「おお!」
そのまま、ほとんど間を置かずに頷く。
「では早速!」
声はまだ震えている。
だが、その震えは恐怖だけではない。
「使いましょう、621ちゃん!」
621は短く頷いた。
「了解」
一言。
それだけで、空気が変わる。
赤い粒子が、再び周囲に現れた。
さきほど武装が分解された時とは違う。
今度は、収束する。
空気中の何かが、中心へと引き寄せられていくように。
冬の冷気が、わずかに歪む。
次の瞬間。
621が静かに告げた。
「宝具、起動」
「
空が、裂けた。
否。
正確には、空の“向こう側”が開いた。
遥か上空。
雲よりもさらに高く。
見えないはずの高度から、何かが降ってくる。
轟音。
空気を押し潰すような重い唸り。
誠が思わず顔を上げる。
「おお……!」
──来る。
空を裂く轟音が、一段低く、重くなる。
それは落下音ではない。
制御された降下。
まっすぐに、狙いを定めて、この戦場へ。
次の瞬間。
──ズドンッ!!
校庭の中央、瓦礫を押しのけるようにして巨大なコンテナが叩き込まれた。
地面が揺れる。
衝撃が波紋のように広がり、砕けた土と砂塵が一斉に跳ね上がる。
だが、それで終わらない。
続けて、二つ、三つ。
──ドォン! ドォンッ!
複数の影が、間隔を置いて降下してくる。
それらは地面に激突する直前、わずかに減速し、音を殺して着地した。
重い。
だが、落下ではない。
配置だ。
コンテナ群は、621の頭上を中心にして展開される。
浮かぶ。
重力に逆らい、わずかに地面から離れて。
低く唸る音。
内部機構が起動する音が、空気を震わせる。
赤い粒子──コーラルが、ゆらりとコンテナの周囲にまとわりついた。
それらは線となり、網となり、
すべてを繋ぐ。
空と地上を。
機体と戦場を。
そして──621と。
やがて。
コンテナの一つが、低く軋んだ。
装甲が、開く。
ゆっくりと。
しかし確実に。
内部から、鈍い灰色が覗く。
汎用人型兵器──AC。
621の耳元──インカムから、声が響いた。
『──シェルパコンテナ、展開完了』
よく通る、女性の声だった。
冷静で。
だがどこか軽やかで。
状況を完全に把握している者の余裕を含んだ声音。
『戦域リンク、正常』
『各ユニット接続良好』
一拍。
ほんのわずかな、笑みを含んだような調子で。
『──レイヴン、いつでもいけます』
対する王は、動かない。
腕を組み。
ただ、その光景を眺めている。
「……なるほど」
低く呟く。
興味深げに。
「少しは見応えが出てきたか」
退かない。
構えない。
ただ、待つ。
何が来るのかを。
それがどれほどのものなのかを。
見極めるために。
その静止の中で。
灰色の機体が、ゆっくりとその全貌を現していった。
コンテナの内壁を擦るように、重く、しかし妙に滑らかに。
肩部。
腕部。
逆関節でも四脚でもない、標準にして完成された輪郭。
胸部装甲の中央を走る鈍い光。
無骨な脚部。
背部の接続機構。
兵器としての合理だけで組み上げられた、飾り気のないシルエット。
だが。
その無愛想さそのものが、かえって圧を持っていた。
誠は思わず息を呑む。
「……これが」
知っている。
見たことがある。
狂い火の王と対峙した、あの時。
災厄の只中で空から現れた、人の戦いを超えた“戦争そのもの”みたいな輪郭。
灰色の機体が、完全にコンテナから解放された。
──ガシュン。
機体各部のロックが外れる。
続けて、低い駆動音。
膝がわずかに曲がり、姿勢制御が働く。
そして。
《LOADER-4》が、戦場の中央へ静かに降り立った。
着地は、爆発的ではない。
だが重い。
校庭の砕けた地面が、その脚の下で沈む。
瓦礫が押し退けられ、土煙が裾野みたいに広がる。
LOADER-4は頭部センサーをわずかに振った。
「やっぱカッコいいな……」
秀則が素直に声を漏らした。
だが感嘆している余裕は、ほとんどない。
次の瞬間、621がその手首を掴んでいた。
「乗る」
「えっ、あ、はい!」
引っ張られる。
秀則は慌てて足をもつれさせながら、621に引かれるままLOADER-4の方へ走る。
621は一切減速せず、機体脇へ辿り着くと、開いた搭乗ハッチへ迷いなく秀則を押し上げた。
「急いで」
「はいぃ!」
半ば悲鳴みたいな声を上げながら、秀則は機体へよじ登る。
誠も数歩遅れて追い、見上げた。
LOADER-4のコクピットは、以前と同じだった。
狭い。
硬い。
人を乗せるためではなく、戦うためだけに設計された内部。
金属の匂い。
油の匂い。
赤く点る計器光。
秀則が中へ滑り込むと、ほとんど反射のように振り返る。
あの時と同じだ。
狂い火の王と戦った時と。
「621ちゃん!」
秀則の顔が、恐怖と興奮で引きつりながらも少しだけ上向く。
「さ! やってしまいましょう!」
そのまま、操縦席の方へ身体をずらし、621を促す。
「早く! コックピット席へ」
だが。
621は、乗り込まなかった。
ただ、黙って首を横に振る。
「……621ちゃん?」
秀則が目を瞬かせる。
621は静かにコクピットの縁へ片手を置いたまま、赤い瞳で彼をまっすぐ見た。
「今の私は、ライダーではない」
一拍。
淡々と。
事実だけを告げる声で。
「キャスターだ」
秀則の表情が固まる。
621は続けた。
「クラスに縛られ、操縦適正を失った」
その一言で、秀則の目が見開かれた。
「えっ」
「操縦は出来ない」
きっぱりと言う。
誤魔化しも、含みもない。
単純明快な現実として。
「ハンドラー、乗って」
秀則はしばらく口を開けたまま固まった。
「…………は?」
素っ頓狂な声が漏れる。
「いや、ちょっと待ってください」
指先が自分を指す。
「私ですか?」
621は頷く。
「そう」
「え、でも、いや、この機体って621ちゃんのじゃ──」
「そう、でも操縦は出来ない」
621は返事の代わりに、秀則の背を無言で押した。
「うわっ」
そのまま一段深く、コクピットの内部へ押し込まれる。
狭い。
以前と同じはずなのに、今は前よりずっと圧迫感があった。
目の前いっぱいに、モニターが灯る。
一つや二つではない。
正面。
左右。
上方。
視線を少し動かすだけで、新しい情報が次々と飛び込んでくる。
外部映像。
姿勢制御。
脚部出力。
ジェネレータ負荷。
武装状態。
索敵情報。
意味の分からない数値と略号とラインが、洪水みたいに視界へ流れ込んできた。
「うっ……」
秀則の顔が青ざめる。
「多い、多い多い多い!」
操縦桿がある。
それだけではない。
左右のレバー。
足元のペダル。
脇に並ぶスイッチ群。
指先一つで切り替えるためらしいトグル。
用途の分からないボタン。
しかも一つ一つが、いかにも「押し間違えたら死ぬ」みたいな顔をしている。
「無理です無理です無理です!」
秀則は半ば本気で後ずさろうとした。
「これ人間が咄嗟に扱う前提の量じゃないでしょう! 何ですかこの計器の数! 戦闘機より多くないですか!? いや戦闘機乗ったことないですが!」
だが621は聞いていない。
というより、聞いていてなお無視していた。
「座る」
「だから無理だと──」
「座る」
有無を言わせぬ二回目だった。
秀則の肩がびくっと跳ねる。
その隙を逃さず、621は彼の両肩を掴み、操縦席へ半ば力ずくで押し込んだ。
どさり、とシートへ落とされる。
同時に、背もたれが自動で角度を微調整した。
腰の位置が固定される。
足元のペダルが、秀則の脚長に合わせるみたいに微かに動いた。
「な、何か勝手に合わせにきた!」
「正常」
「正常じゃないです、怖いです!」
621はそのまま、胸元のハーネスを引き寄せる。
がしゃ。
金具が鳴る。
「待ってください、まだ心が乗ってません!」
「身体が先」
「そういう問題ですか!?」
がちん。
肩。
腰。
腹部。
次々とベルトが噛み合い、秀則の身体が座席へ固定されていく。
逃げられない。
文字通り、もう逃げられなかった。
秀則は顔を引きつらせる。
「621ちゃん、これ拘束具の系統では?」
「安全装置」
「言い換えが上手いだけです!」
「はい、はい」
秀則の訴えを無視して、621はさらに首元へ細い接続端子を持ってくる。
「次、同期補助」
「次、があるんですか!?」
かち、という小さな音。
耳元。
後頭部の近く。
こめかみの脇。
最低限の補助機器が、次々と取り付けられていく。
秀則の喉がひくつく。
「ひぃ……」
「ハンドラーは生身だから、補助は最低限。口頭でサポートするから頑張って」
後部席へ滑り込むように腰を下ろし、左右の補助端末へ指を走らせる。狭いコクピットの中に、乾いた操作音が立て続けに響いた。
かち。
ぴっ。
が、こん。
秀則は拘束されたまま、ぎょろぎょろと視線を泳がせる。
正面モニターの隅に並んでいた警告表示をいくつか閉じ、逆に別のウィンドウを展開する。機体各部の同期率、コーラル流量、姿勢制御系のプリセット、武装架接続状況。秀則には何一つ分からない項目が、次々と戦闘用に塗り替えられていった。
外ではなお、ギルガメッシュが腕を組んだまま待っている。
その向こうでは、白金と黄金が激突し、マレニアと大男の戦いが地面ごと世界を抉っていた。
ずっとは待ってくれない。
秀則もそれを理解している。
理解しているからこそ、余計に喉が渇く。
「……ほんとに自分が操縦するんですか?」
「そう、私はメインシステムの起動すら出来ない。とても残念」
621はシートの後ろから、秀則の右手を操縦桿へ、左手を補助レバーへ軽く誘導した。
「離さないで」
「は、はいぃ」
その直後、彼女は頭上の補助パネルを叩く。
重い駆動音が響いた。
──ゴウン。
開いたままだった搭乗ハッチが、ゆっくりと閉鎖を始める。
──ガギャン。
最後に一段重い音を立て、ハッチが完全に閉じる。
外界が、一気に遠のいた。
悲鳴も。
轟音も。
銃声も。
完全には消えないが、金属の殻を一枚挟んだ向こうへ押しやられる。
代わりに、機体そのものの音が前に出た。
低く唸るジェネレータ。
振動するフレーム。
点火前の獣みたいに、内部で圧を溜めている気配。
621は顔をわずかに上げ、インカムへ向けて告げた。
「エア」
一拍。
「メインシステム、戦闘モード起動」
即座に、あのよく通る女性の声が返る。
『了解。メインシステム、戦闘モードへ移行します』
その瞬間。
コクピットの表示が一斉に切り替わった。
民生用でも移動用でもない。
明確に「戦うため」の色へ。
照準ガイド。
脅威指標。
武装架ハードポイント。
周辺地形の簡略マップ。
敵性反応の自動追跡枠。
「うわっ、増えた! 情報がさらに増えましたよ!」
「これでもかなり簡略化している」
シート越しに、秀則の身体へ下から力が伝わる。
姿勢制御が自動で働く。
脚部。
腰部。
背骨に相当するフレーム。
各部がわずかに軋みながら、ゆっくりと噛み合っていく。
正面モニターの視点が、じわりと持ち上がった。
立ち上がっている。
LOADER-4が。
ゆっくりと。
だが確実に。
校庭を見下ろす高さへ、灰色の機体がその巨体を起こしていく。
足裏の接地圧が調整される。
ジャイロが細かく補正を入れる。
秀則の身体が、わずかな揺れと共に上へ持ち上がっていく。
「お、おおおお……!」
恐怖と感嘆が、同時に漏れた。
以前、外から見上げた兵器の視界へ、今は自分がいる。
その事実だけで、胃が浮きそうだった。
『姿勢制御、安定。脚部出力問題なし。いつでも交戦可能です』
エアの声は、どこまでも落ち着いている。
621は短く頷いた。
「エア」
「ライフルとシールドを」
数拍遅れて、上空のシェルパコンテナ群が反応した。
低く唸る音。
ロック解除の金属音。
次いで、空気を切る降下音。
正面モニター越しに見えた。
コンテナの下部ハッチが開き、武装ユニットが射出される。
一つは長銃身のリニアライフル。
灰色の機体に見合う、無骨で実用一点張りの火器だ。
もう一つは、まだ展開されていないパルスシールド。
畳まれたままのユニットが、鈍い光を帯びている。
それらは落ちるのではない。
導かれるように降下し、LOADER-4のハードポイントへ一直線に吸い込まれてくる。
──ガシュン。
まずライフルが右腕へ接続された。
フレームが噛み合い、給弾・制御ラインが一瞬で接続される。モニター上に即座に残弾数と照準補助が表示された。
続けて。
──ガコン。
未展開のパルスシールドが左肩へ装着される。
肩部ハードポイントに固定されたまま、必要時に展開する待機状態。
まだ開いていないのに、そこにあるだけで防御線が一枚増えたと分かる重量感があった。
エアが、少しだけ間を置いて言った。
『……シールドですか』
その声音には、ほんの僅かだが不服そうな色が混じっていた。
『貴女の戦術判断は尊重します。ハンドラーの生存性を考慮すれば妥当な判断です、しかし……いえなんでもありません。ただ、このアセンブルは彼を思い出しますね』
秀則は、その言葉に反応しかけて──止まった。
「……え」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
今の一言。
内容そのものではない。
声音だった。
これまでインカム越しに響いていた女の声は、冷静で、よく通って、状況を過不足なく伝えるものだった。だから勝手に、秀則はそれを機体のシステム音声かなにかだと思い込んでいた。
だが今のは違う。
不服そうだった。
明らかに、感情が存在している。
秀則は操縦桿を握ったまま、恐る恐る口を開く。
「……あの」
一拍。
「もしかして、貴女……機械じゃないんですか?」
インカムの向こうで、ほんのわずかに間があいた。
その間そのものが、秀則には妙に人間臭く感じられた。
続いて返ってきた声は、先ほどまでと同じようによく通る、だが今度は明確に“対話”の声だった。
『はい』
簡潔に。
だが、冷たくはない。
『私は、Cパルス変異波形──エア』
その名乗りは静かだった。
自慢もなく。
気負いもなく。
ただ、自分が何であるかを告げる者の落ち着きだけがあった。
モニターの隅で、赤い粒子の流れを示すラインが一瞬だけ強く明滅する。
まるでその名乗りに応じるように。
『システム面で、貴方のサポートをさせていただきます』
秀則は目をぱちぱちさせた。
「さ、サポート……」
喉がひくつく。
「いや、ええと……よろしくお願いします?」
自分でも何を言っているのかよく分からない挨拶だった。
だが、エアは気にした様子もなく、むしろわずかに柔らかい調子で返す。
『はい。ハンドラー・ヒデノリ。安心してください』
だが、そのやり取りの最中にも、LOADER-4は重々しく武装を携え、戦場の中央へその輪郭を固定しつつあった。
リニアライフルを備えた右腕。
肩部に待機するパルスシールド。
灰色の装甲越しに走る低い振動。
それらはすべて、「準備完了」の一言へ収束していく。
そして、外。
正面モニターの向こうで。
ギルガメッシュが、そこで初めて腕を解いた。
組んでいた両腕が、するりと外れる。
その動作はゆっくりだった。
焦っていない。
待たされたことに苛立っている様子もない。
ただ、武装を手にした灰色の機体を見上げ、その準備がようやく整ったと判断しただけだった。
「……ほう」
低く呟く。
真紅の瞳が、LOADER-4のライフルと肩部シールドを順に舐めるように見た。
「ようやく準備を終えたか、待った甲斐があれば良いが」
乾いた声だった。
だが先ほどまでの“見物人”の声音とは、わずかに違う。
退屈しのぎではなくなった。
少なくとも、対峙すべき対象として認める程度には、目の前の灰色の兵器へ意識を向け始めている。
王は一歩、前へ出た。
土煙を踏み。
砕けた瓦礫を鳴らしながら。
見上げる。
灰色の機体を。
その中にいる人間を。
そして、その奥に繋がっている異物の気配までも。
「良い」
口の端が、わずかに吊り上がる。
「ならば見せてみよ」
一拍。
「鋼の棺に籠った上で、なお余の前に立つ価値があるのかをな」
その言葉と同時に、秀則の背中へ冷たい汗が伝った。
だが、今度はさっきまでと少し違う。
怖い。
無論、怖い。
けれど。
操縦桿の先には、灰色の巨体がある。
耳元には、621の静かな気配がある。
インカムには、エアという“誰か”がいる。
一人ではない。
少なくとも、それだけは確かだった。
621が、後部席から静かに告げる。
「ハンドラー」
「前方、敵性個体を固定」
エアがすぐに続ける。
『照準補助を開始します。深呼吸を一つ』
秀則は乾いた唇を舐め、震える喉で息を吸った。
正面モニターいっぱいに、ギルガメッシュの姿が映る。
黄金の髪。
真紅の瞳。
枯れ木めいた王。
その怪物じみた男を前にして、灰色のAC《LOADER-4》は、低く唸りながら照準を合わせ始めた。