Fate/You Died.   作:助兵衛

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第87話 Medal of Honor

 誠は床を蹴る。

 

 一直線に。

 

 秀則のもとへ。

 

「紫村!」

 

 声が、思ったよりも強く出る。

 

 秀則は肩を震わせ、遅れて顔を上げた。

 

 焦点が、合っていない。

 

 視線が定まらないまま、周囲を見回している。

 

「……は……?」

 

 掠れた声。

 

 理解が追いついていない。

 

 誠はすぐ目の前まで駆け寄り、肩に手をかけた。

 

「落ち着け、俺だ」

 

「灰原氏……?」

 

 名前を呼ぶ声にも、まだ実感が伴っていない。

 

 秀則の視線が、再び周囲へと流れる。

 

 壁。

 

 天井。

 

 照明。

 

 無機質なコンクリート。

 

 そして、わずかに開いた通路の先。

 

「ここは……?」

 

 呟く。

 

 次に、少し強く。

 

「荒野は……?」

 

 さらに。

 

「基地は……?」

 

 言葉が、追いつかない。

 

 頭の中で繋がらない。

 

 直前まで見ていたものと、今目にしているものが一致しない。

 

 秀則は、ゆっくりと首を振った。

 

 理解が追いつかないのか、それとも受け入れることを拒んでいるのか、自分でも分かっていないような曖昧な動きだった。

 

 その隣で、621が音もなく膝をつく。

 

 言葉はかけない。ただ状況を確認し、必要な処置へと移る。

 その一連の動作には一切の迷いがなく、まるで戦場での行動を何度も繰り返してきたかのように、手順は正確で簡潔だった。

 

 装備の一部を外し、小型の医療キットを取り出すと、出血箇所を押さえ、固定具を巻き、呼吸と反応を確認していく。

 

「むひゃひゃひゃ、くすぐったいですぞ」

 

 秀則がかすかに身じろぐが、621は手を止めない。

 

「動かないで」

 

 誠はその様子を数秒だけ見届けると、静かに視線を外し、周囲の確認へと意識を切り替える。

 

 床一面に転がっているのは、黒い塊――避難所を襲っていた怪物や獣の成れの果てだった。壁際にも、通路の途中にも、折り重なるように倒れ込んでいる。

 

 どれも動かない。呼吸も、気配も、何も残っていなかった。

 

 誠は慎重に一体へと近づき、その様子を確かめる。

 

 反応はない。

 

 完全に沈黙している。

 

 死体だった。

 

 ひとつではない。視界に入る範囲だけでも相当数が確認できる。それらすべてが同様に機能を停止しているという事実が、じわじわと実感として広がっていく。

 

「……終わった、のか」

 

――その瞬間だった。

 

 耳に、異音が走る。

 

 ひび。

 

 極めて微細な、しかし確実に現実を侵食する音。

 

 誠は反射的に顔を上げた。

 

 空間そのものに、線が入っている。

 

 最初は錯覚にしか見えなかったそれが、次の瞬間には明確な“亀裂”として視界に刻まれていた。壁でも床でもない、空間そのものに走る断層。ガラスが割れるように、しかし音は遅れて追いつく。

 

 ――ピシッ。

 

 さらに一本。

 

 そして、連鎖するように。

 

 ひび割れが広がる。

 

「気を付けて」

 

「……来るぞ」

 

 621が短く告げる。

 

 その声には、既に戦闘態勢へ移行した者の硬さがあった。

 

 誠は即座に動く。

 

 考えるより早く。

 

 秀則の腕を掴み、引き寄せる。同時に位置をずらし、自分の身体を前へ出す。621もまた無言で立ち上がり、誠と反対側へ回り込むようにして、自然と三角形の防御陣形が完成する。

 

 庇う形。

 

 中心に、秀則。

 

 外側に、二人。

 

 ひび割れは、もはや止まらない。

 

 空間が耐えきれず、音を立てて崩れ始める。

 

 そして。

 

 ――砕けた。

 

 裂け目の向こう側は、何もない空間ではなかった。

 

 “別の場所”だ。

 

 風が吹き込む。

 

 焼けた空気。

 

 血と鉄の匂い。

 

 戦場の残滓。

 

 その中から。

 

 ゆっくりと。

 

 一歩。

 

 踏み出す影。

 

 黄金。

 

 赤い瞳。

 

 揺るがぬ威圧。

 

 ギルガメッシュ。

 

 誠の全身が、無意識に強張る。

 

 だが。

 

 その視線は――通り過ぎた。

 

 誠を見ない。

 

 621を見ない。

 

 秀則も。

 

 まるでそこに存在していないかのように、関心を向けない。

 

「……」

 

 沈黙。

 

 ただ一瞬。

 

 そして。

 

 ギルガメッシュの腕が、無造作に動く。

 

 何かを“持っている”。

 

 次の瞬間。

 

 それは投げられた。

 

 ――ドサッ。

 

 重い音と共に、何かが床に叩きつけられる。

 

 誠の視線が、反射的に落ちる。

 

 そこにあったのは――

 

「……っ」

 

 息が詰まる。

 

 アーチャーだった。

 

 原形は保っている。

 

 だが、それだけだ。

 

 衣服は裂け、全身が血に濡れ、呼吸は浅く、不規則で、今にも途切れそうだった。先ほどまで見せていた余裕も、皮肉も、何も残っていない。ただ“戦い切った後”の残骸のように、そこに横たわっている。

 

 その惨状を一瞥しただけで、ギルガメッシュは興味を失ったように視線を外した。

 

 誠たちには、もはや価値がないとでも言うように。

 

 そして、わずかに顎を上げる。

 

「……最低限の目的は達した」

 

 静かな声音だった。

 

 勝利の誇示でもなければ、余韻に浸る響きでもない。ただ結果を確認するだけの、あまりにも簡潔な宣言。

 

 次の瞬間、彼の背後に再び黄金のゲートが開く。

 

 先ほどまでとは違い、それは攻撃のためのものではない。どこか“帰還”を思わせる、静かな輝きだった。

 

 ギルガメッシュは振り返りもせず、そのまま一歩踏み出す。

 

 空間の裂け目と黄金の門が重なり合い、境界が曖昧になる。

 

 そして――

 

 消えた。

 

 あまりにもあっさりと。

 

 嵐が過ぎ去るようにではない。

 

 ただ、そこに居る必要がなくなったから去った。

 

 それだけだった。

 

 裂けていた空間も、ゆっくりと閉じていく。

 

 ひびは収束し、やがて何事もなかったかのように元の形へ戻る。

 

 静寂だけが残る。

 

 誠は、しばらく動けなかった。

 

 視線は、床に落ちたままのアーチャーへと固定されている。

 

 頭では理解している。

 

 終わったこと。

 

 去ったこと。

 

 だが、感覚が追いつかない。

 

「……おい、しっかりしろ」

 

 呼びかけながら、状態を確認する。

 

 だが、すぐに違和感が確信へと変わった。

 

 焼けている。

 

 ただの火傷ではない。皮膚の表面だけでなく、その内側――存在そのものが焼き潰されているかのように、輪郭が不安定になっている。黒く炭化した部分の端から、細かな粒子が崩れ落ちるように消えていく。

 

 まるで、砂が零れるように。

 

「……なんだ、これ」

 

 思わず漏れる。

 

 呼吸はある。かすかにだが、確かに。

 

 だが、それを維持している“基盤”が崩れている。

 

 誠は反射的に周囲を見回し、何か使えるものを探す。布、医療キット、止血材――だが、すぐに気づく。

 

 違う。

 

 これは、そういう問題ではない。

 

「……どうすれば」

 

 声が低くなる。

 

 人間なら分かる。出血を止める、呼吸を確保する、体温を維持する。

 

 だが――

 

 サーヴァントは違う。

 

 そもそも、どうやって“手当て”するのか。

 

 そんな方法が存在するのかすら分からない。

 

 触れていいのか。

 

 干渉していいのか。

 

 何をすれば回復するのか。

 

 何も分からない。

 

 その無力さが、遅れて押し寄せる。

 

「……くそ」

 

 歯を食いしばる。

 

 その時だった。

 

 足音が、荒く近づいてくる。

 

 今度は迷いのない、一直線の走り。

 

 誠が顔を上げる。

 

 通路の奥から飛び込んできたのは――紺藤洋子だった。

 

 息が上がっている。

 

 だが、足は止まらない。

 

 周囲の状況を一瞬で確認し、その視線は一直線にアーチャーへと吸い寄せられる。

 

「――っ」

 

 言葉にならない音が漏れる。

 

 避難誘導を終えたばかりなのだろう。服には埃が付き、腕にはかすかな擦り傷も見える。それでも、そんなことには一切頓着していない。

 

 ただ一人の存在だけを見ている。

 

「……アーチャー」

 

 声が震える。

 

 だが、崩れない。

 

 駆け寄り、その場に膝をつく。

 

 誠がわずかに身体を引く。

 

 主を、通す。

 

 洋子の手が、迷いなくアーチャーへ伸びる。

 

 触れる。

 

 その瞬間、彼女の表情が変わった。

 

 理解したのだ。

 

 これは単なる負傷ではない。

 

 霊基そのものの損傷。

 

 存在の崩壊。

 

 回復などという次元ではない、根本的な危機であると。

 

 その張り詰めた空気の中で。

 

 わずかに、アーチャーの瞼が震えた。

 

 次の瞬間。

 

 ゆっくりと、開く。

 

 焦点は合っていない。

 

 だが、確かに意識が戻っている。

 

 誠と洋子が同時に息を呑む。

 

 その視線の先で、アーチャーはほんの僅かに口元を歪めた。

 

「……やれやれ、一張羅が煤だらけだ」

 

 掠れた声だった。

 

 それでも。

 

 どこか余裕を残している。

 

「洋子、大統領と呼びたまえ、と言っただろう」

 

 軽口。

 

 いつも通りの。

 

 それが、あまりにも場違いで。

 

 だからこそ――生きている証のように響いた。

 

「……こんな時に」

 

 洋子が思わず呟く。

 

 だが、声にはわずかに安堵が混じっていた。

 

 アーチャーは返さない。

 

 代わりに、目だけをゆっくりと動かす。

 

 周囲を確認するように。

 

 わずかな時間をかけて、状況を把握する。

 

 やがて。

 

 その視線が止まる。

 

 何かを探していたのだ。

 

 そして。

 

 見つからないことを確認する。

 

「……ふむ」

 

 小さく息を吐く。

 

「居ない、か。帰ったようだな」

 

 一拍。

 

 視線が、わずかに上を向く。

 

 思い出すように。

 

「かの王は……まさに怪物だ」

 

 その声音には、呆れが混じっていた。

 

「まさか核爆発を耐え抜き」

 

 呼吸がわずかに乱れる。

 

 それでも、言葉は止まらない。

 

「ついでに私を爆風から拾い上げるとはね」

 

 苦笑。

 

 というより、半ば愚痴に近い。

 

「合理的なのか、気まぐれなのか……判断に困る」

 

 その言葉の最中にも。

 

 アーチャーの身体は、ゆっくりと崩れ続けている。

 

 指先が、粒子となって零れる。

 

 腕の輪郭が、わずかに曖昧になる。

 

 それでも。

 

 本人は気にしていないかのように。

 

 平然と話している。

 

洋子は、その崩れゆく指先を見た瞬間、迷わなかった。

 

 言葉より先に身体が動く。

 

 アーチャーの胸元へ片手を添え、もう一方の手でその肩を支えるように抱き寄せる。目を閉じ、呼吸を整えた次の瞬間、空気がわずかに張り詰めた。見えない流れが生まれる。彼女の内にある魔力が、触れた箇所から直接アーチャーへと注ぎ込まれていくのを、誠は肌で感じた。

 

 それは応急処置というにはあまりにも根源的で、祈りに近い行為だった。

 

 少しでも。

 

 ほんのわずかでも。

 

 崩壊を遅らせるために。

 

 洋子の肩が、小さく震える。無理をしているのは明らかだった。それでも彼女はやめない。食いしばった歯の隙間から浅い呼吸が漏れ、額には汗が滲む。それでも、離さない。

 

「不死でもないのに、無茶して……」

 

 アーチャーの瞼が、わずかに動いた。

 目だけをゆっくりと彼女へ向ける。その視線には、痛みも衰弱もあったが、それ以上に冷静な理解があった。

 

「……やめたまえ」

 

 静かな声だった。

 

 洋子の肩がびくりと揺れる。

 

 だが、手は離さない。

 

「無駄な事はやめたまえ」

 

 かすれた声でそう言うと、わずかに息を吐く。

 

「少し、灰原君と話したい」

 

 洋子の指先が、わずかに強くなる。

 

 だが、次の瞬間には力が抜けた。

 

 ゆっくりと。

 

 名残を断つように。

 

 アーチャーから手を離す。

 

 何も言わない。

 

 ただ一度だけ、小さく頷いた。

 

 その動作に含まれているものは、誠にも分かった。

 

 譲る、というより。

 

 託す、という意思。

 

 誠は一瞬だけ言葉を失う。

 

 だが、すぐに息を吸い、前に出る。

 

 アーチャーの傍へ。

 

 そして、その場に膝をついた。

 

「……なんだよ」

 

 ぶっきらぼうな言い方になったのは、抑えきれないものがあるからだ。

 

 苛立ちではない。

 

 焦りでもない。

 

 それらが混ざり合って、形を成さないまま言葉になっている。

 

 アーチャーは、わずかに視線だけを動かして誠を見る。

 

 アーチャーは、誠を見据えたまま、ほんの僅かに息を整えるように間を置いた。

 

 その間にも、肩口から崩れた粒子が静かに零れ落ちていく。

 

 だが、その視線だけは揺るがない。

 

「……見ての通りだ」

 

 低く、しかしはっきりとした声。

 

「私は敗北した」

 

 一切の誇張も、言い訳もない。

 

 ただ事実だけを切り出す。

 

 誠は、何も言えない。

 

 分かっている。

 

 だが、それを当人の口から聞かされると、別の重さがあった。

 

 アーチャーは続ける。

 

「君に協力すると宣言しておきながら、このざまだ」

 

 わずかに苦笑する。

 

「……すまない」

 

 短い言葉だった。

 

 だが、それ以上のものが込められている。

 

 誠の喉が詰まる。

 

 何か言おうとして、言葉が出ない。

 

 否定するべきか。

 

 責めるべきか。

 

 あるいは何も言わないべきか。

 

 どれも違う気がして、結局どれも選べない。

 

「……いや、俺は――」

 

 中途半端な言葉だけが漏れる。

 

 その瞬間。

 

 アーチャーの腕が動いた。

 

 不自然な動きだった。

 

 崩れかけた身体を、無理やり引き上げる。

 

 骨格が軋むような音はしない。

 

 だが、存在そのものが悲鳴を上げているかのような違和感がある。

 

 それでも。

 

 立ち上がる。

 

 完全には立てていない。

 

 それでも、倒れたままではないという意志だけで体を支える。

 

「……っ、おい、無理すんな」

 

 誠が思わず手を伸ばす。

 

 だが、その前に。

 

 アーチャーの手が、誠の肩を掴んだ。

 

 強い。

 

 信じられないほどに。

 

 今にも崩れ落ちそうな状態でありながら、その握力だけは微塵も衰えていない。

 

 がっしりと。

 

 逃がさないように。

 

 誠の動きを止める。

 

 視線が、正面からぶつかる。

 

「……いいか、灰原君」

 

 声はかすれている。

 

 だが、不思議なほどに明瞭だった。

 

 雑音が削ぎ落とされ、必要な言葉だけが残っているような響き。

 

 そして。

 

 ゆっくりと、告げる。

 

「私の残ったありったけを――君にあずける」

 

 アーチャーの手から流れ込んでくる“何か”を感じた瞬間、誠は反射的に顔を歪めた。

 

 重い。

 

 あまりにも。

 

 ただの力ではないと分かるからこそ、拒絶が先に立つ。

 

「……やめろ」

 

 低く、押し出すような声。

 

 だが、アーチャーの手は離れない。

 

 誠は歯を食いしばり、無理やりその腕を押し返そうとする。

 

「無理だ」

 

 はっきりと。

 

 今度は、言葉にして拒絶する。

 

「俺には無理だ」

 

 視線が揺れる。

 

 だが、それでも逸らさない。

 

「俺は……偽物だ」

 

 一拍。

 

「人間ですらない」

 

 言葉が、重く落ちる。

 

 自分で自分に刻み込むように。

 

「そんな俺に、あんたのそれを背負えってのかよ」

 

 苦く笑う。

 

 諦めとも、自嘲ともつかない表情で。

 

「無理に決まってるだろ」

 

 そして、最後に。

 

 はっきりと突き放す。

 

「俺は、あんたみたいな英雄じゃない」

 

 静寂が落ちる。

 

 その言葉を受けて。

 

 アーチャーの手が――さらに強く、誠の肩を掴んだ。

 

 ぐ、と。

 

 逃がさないように。

 

 否定を、押し返すように。

 

「……勘違いするな」

 

 声は弱い。

 

 だが、その芯はまったく揺らいでいない。

 

「私だって、この世界では大統領ではない」

 

 誠の目が、わずかに見開かれる。

 

 アーチャーは続ける。

 

「大統領選で投票してくれたアメリカ国民はいない」

 

 淡々と。

 

 だが、その一言一言に、確かな重みがある。

 

「私の知るアメリカは、この世界に存在しない」

 

 それは、喪失の宣言だった。

 

 自分が立っていたはずの土台が、最初から存在していなかったという事実。

 

 だが。

 

 アーチャーの瞳には、迷いがなかった。

 

「しかし――」

 

 アーチャーは、わずかに息を吸い込む。

 

 崩れ落ちる身体を意志だけで繋ぎ止めながら、それでも言葉を紡ぐ。

 

「私はアメリカ合衆国国民から信任を受けた大統領だ」

 

 矛盾している。

 

 そのはずだった。

 

 この世界には、その前提すら存在しないのだから。

 

 だが。

 

 アーチャーの瞳は、微塵も揺らがない。

 

「矛盾しているかね」

 

 一拍。

 

 わずかに口元が歪む。

 

「そうだとも」

 

 あっさりと認める。

 

 だが、そのまま言い切る。

 

「だが関係ない」

 

 断定。

 

 そこに迷いはない。

 

「私は私であり――」

 

 崩れゆく身体の中で、なお確かな輪郭を持って。

 

「マイケル・ウィルソンだ」

 

 誠は、言葉を失う。

 

 拒絶の言葉が、喉で止まる。

 

 アーチャー――マイケル・ウィルソンは、さらに続けた。

 

「灰原君」

 

 その呼びかけは、先ほどまでとは違っていた。

 

 評価でも、命令でもない。

 

 純粋な“選定”の響き。

 

「君の境遇は、あまりに複雑だ」

 

 一拍。

 

「かつ、あまりに悲惨なものだ」

 

 誠の肩を掴む手が、さらに力を帯びる。

 

 崩れかけた指が、それでも離れない。

 

「だが――」

 

 その一言で、空気が張り詰める。

 

「君になら出来る」

 

 断言。

 

 迷いも、躊躇もない。

 

 ただ事実を告げるように。

 

「私が」

 

 そして。

 

 最後の名乗りを、もう一度。

 

「マイケル・ウィルソンが保証する」

 

 その言葉と同時に。

 

 アーチャーのもう一方の手が、ゆっくりと動いた。

 

 何かを握っている。

 

 いや――握っていたものを、形として顕現させる。

 

 光が集まる。

 

 粒子となって崩れていたはずの霊基の一部が、そこに凝縮していく。

 

 やがて、それは一つの形を取る。

 

 誠の目の前で。

 

 静かに。

 

 確かな存在として。

 

 それは――勲章だった。

 

 鈍く、しかし確かな輝きを放つそれは、ただの装飾ではない。積み重ねられた意思と、責任と、誇りを象徴するような重みを帯びている。

 

 アーチャーは、それを躊躇なく誠の胸へと押し当てた。

 

 逃げ場はない。

 

 拒む隙もない。

 

 そのまま。

 

 取り付ける。

 

 触れた瞬間、勲章はわずかに光を強め、誠の身体へと“定着”する。

 

 ただ装着されたのではない。

 

 結びついた。

 

 切り離せない形で。

 

 誠の呼吸が止まる。

 

 何かが、確かに刻まれた。

 

 その中心で。

 

 アーチャーの手が、ようやく力を失い始める。

 

 アーチャーは、最後の力を振り絞るように背筋を伸ばす。

 

 崩れゆく身体を、意志だけで引き戻す。

 

 視線は逸らさない。

 

 誠を正面から見据えたまま――

 

 静かに、しかし揺るぎない声で告げる。

 

「第47代大統領マイケル・ウィルソンの名において」

 

 一拍。

 

 その言葉が、空間に重く刻まれる。

 

「君に――Medal of Honorを授与する」

 

 宣言。

 

 それは儀式だった。

 

 戦場でも、聖杯戦争でもない。

 

 国家という概念そのものを背負った者による、絶対の承認。

 

 その瞬間。

 

 誠の胸に取り付けられた勲章が、強く輝いた。

 

 ただの光ではない。

 

 意思が、刻まれる。

 

 認められたという事実が、逃れようのない形で固定される。

 

 同時に。

 

 アーチャーの身体が、大きく揺らいだ。

 

 限界を、超えた。

 

 霊基の崩壊が、一気に加速する。

 

 肩が崩れ、腕が砕け、輪郭そのものが保てなくなる。

 

 立っていることすら、もはや不可能だった。

 

 膝が折れる。

 

 そのまま崩れ落ちる――はずだった。

 

 だが。

 

「……っ」

 

 洋子が、即座に踏み込む。

 

 両腕で、その身体を支える。

 

 崩れていく。

 

 軽くなっていく。

 

 それでも。

 

 確かに、そこにいる。

 

 その残滓を、離さない。

 

 アーチャーの身体は、洋子に預けられる形になる。

 

 だが、完全に倒れ込まない。

 

 支えられながら。

 

 それでもなお、“立っている”姿を保つ。

 

 アーチャーは、わずかに視線を横へ向ける。

 

 洋子を見る。

 

 その口元が、かすかに緩む。

 

「……助かるよ」

 

 掠れた声。

 

 それでも、確かに優しさがあった。

 

「最後まで、無様な姿は見せられない」

 

 冗談めかしている。

 

 だが、それは本心だった。

 

 崩れながらも。

 

 最後の瞬間まで。

 

 “立つ者”として在ろうとする意思。

 

 そのまま。

 

 静かに。

 

 光が、ほどけていく。

 

 粒子が舞う。

 

 一つ一つが、消えていく。

 

 肩が。

 

 腕が。

 

 輪郭が。

 

 そして。

 

 最後に残った顔が、わずかに誠へと向いた。

 

 何も言わない。

 

 だが、それだけで十分だった。

 

 次の瞬間。

 

 マイケル・ウィルソンは――

 

 完全に消失した。

 

 後には、何も残らない。

 

 ただ。

 

 誠の胸に輝く勲章だけが、その存在を証明していた。

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