Fate/You Died.   作:助兵衛

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第88話 最高位名誉勲章

 光が完全に消えたあとも、しばらくのあいだ、誰も動かなかった。

 

 そこにあったはずの重みが、ふっと抜け落ちたような静寂だけが残る。空気は変わっていないのに、確実に何かが欠けている──そんな感覚が、場にいる全員の身体にまとわりついていた。

 

 洋子は、その場に膝をついたまま動かなかった。

 

 両腕は、まだ何かを支えているかのように宙に残されている。

 

 だが、そこにはもう何もない。

 

 支えるべきものは、既に失われていた。

 

 指先が、ゆっくりと震える。

 

 それは恐怖ではない。

 

 喪失でもない。

 

 その両方を飲み込んだ後に残る、空白だった。

 

 やがて、その手が、静かに下ろされる。

 

 膝に触れ、力なく落ちる。

 

 洋子は俯いたまま、しばらく呼吸を整えるように動かない。息は浅く、乱れている。

 

 誠は声をかけなかった。

 

 かけられなかった。

 

 その背中に触れていいのかすら、判断がつかなかったからだ。

 

 沈黙が、長く続く。

 

 暫くして洋子の肩が、わずかに持ち上がった。

 無言で、そのまま立ち上がる。

 

 膝に残っていた力を押し戻し、体勢を整え、衣服の乱れを軽く払ってから、視線が誠に向く。

 

「……私は」

 

 声は落ち着いていた。

 

 震えは、もうない。

 

「これから、生き残った人たちを別の避難所へ移送する」

 

 言葉を選ぶように、わずかに間を置く。

 

「ここは、放棄する」

 

 はっきりとした宣言だった。

 

 迷いはない。

 

 判断はすでに終わっている。

 

 誠は、その言葉を受けて周囲を見渡す。

 

 瓦礫。

 

 死体。

 

 戦闘の痕跡。

 

 そして、先ほどまで“戦場の中心”だった場所。

 

 確かに。

 

 ここはもう、守る場所ではなかった。

 

 洋子は続ける。

 

「アーチャーが居ない今、防衛も維持も不可能よ、再び何かが来れば、今度は持たないわ」

 

 洋子は短く周囲を見渡し、状況を頭の中で整理し終えると、腰のポーチから無線機を取り出した。

 

 躊躇はない。

 

 指先が迷いなく操作し、次の瞬間には通信が開かれる。

 

「私よ」

 

 声は冷静で、明瞭だった。

 

 先ほどまでの感情は、完全に切り替えられている。

 

「避難所は放棄。繰り返す、放棄する。生存者は全員、別地域の避難拠点へ移送」

 

 ノイズ混じりの返答が返ってくる。

 

 それを聞きながら、洋子はすでに歩き出していた。

 

 止まらない。

 

 振り返らない。

 

「負傷者は優先的に搬送。動ける者は護衛へ回って。怪物の掃討は完了しているけど、再出現の可能性は否定できない」

 

 言葉を区切りながら、的確に指示を重ねていく。

 

 その背中は、先ほどまで膝をついていた人物と同一とは思えないほど、はっきりとした“指揮官”のものだった。

 

「移送ルートは移動しながら考えるわ」

 

 誠は、その背中を見ていた。

 

 声をかけることもできずに。

 

 ただ、見送ることしかできない。

 

 やがて。

 

 通路の手前で、洋子の足が一度だけ止まる。

 

 振り返る。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 視線が、誠を捉える。

 

 そして。

 

 静かに、告げた。

 

「……貴方の覚悟に、敬意を払うわ」

 

「お互い、やらなければいけない事を成しましょう」

 

 それ以上は言わない。

 

 余計な言葉は必要ないと、最初から分かっているように。

 

 次の瞬間、洋子は再び前を向き、歩き出す。

 

 洋子の背中が通路の奥へと消えていくのと、ほとんど同時だった。

 

 別の足音が、こちらへ近づいてくる。

 

 戦いを終えた者特有の、力を使い切った後の足取り。

 

 誠は反射的に顔を上げる。

 

 通路の暗がりから、三つの影が現れた。

 

 最初に見えたのは、マリア。

 

 その姿は、いつもと同じようで──決定的に違っていた。

 

 全身が、血に濡れている。

 

 黒く、粘ついた返り血が衣服にこびりつき、乾ききらないまままだ光を鈍く反射している。それはただ付着しているのではない。幾度も浴び、何度も重なった結果として“染み込んでいる”ように見えた。

 

 それでも彼女は立っている。

 

 背筋は伸びている。

 

 だが。

 

 その目には、はっきりと疲労が浮かんでいた。

 

 あのマリアでさえ。

 

 圧倒的な力で押し切る存在でさえ、ここまで消耗している。

 

 その事実が、戦闘の苛烈さを無言で物語っていた。

 

 その後ろに続くのは、マレニア。

 

 歩みはゆっくりだが、揺らぎはない。

 

 彼女の身体もまた血に覆われているが、それは返り血だけではない。自らのものも混じっているのだろう、赤と黒が混ざり合い、鎧の隙間から乾いた跡を残している。

 

 それでも、その姿勢は崩れていない。

 

 まるで戦いの最中にあるかのような、張り詰めた気配を未だに纏っていた。

 

 最後に現れたのは、ミリセント。

 

 彼女は他の二人に比べれば軽傷に見える。

 

 だが、それでも無傷ではない。

 

 呼吸が浅く、足取りにもわずかな重さがある。衣服には無数の斬撃の跡が残り、ところどころが裂けていた。

 

 三人とも。

 

 無事ではない。

 

 それでも。

 

 立っている。

 

 その事実だけで、どれだけの戦いを潜り抜けてきたのかが分かる。

 

 誠の前まで歩み寄ると、ほんのわずかに肩の力を抜き、普段と変わらぬ調子で口を開く。

 

「……ただいま戻りました、マスター」

 

 その言葉はいつも通りだった。

 

 だが、その声音の奥にわずかに滲む疲労は、隠しきれていない。

 

 次の瞬間、彼女はふっと視線を逸らし、近くに転がっていた瓦礫へと腰を下ろした。

 

 座る、というよりは。

 

 ようやく身体を預けた、という動きだった。

 

 足を止めたままでは持たないと判断したのだろう。

 

 背筋は保っている。

 

 だが、肩がほんのわずかに落ちる。

 

 戦いの余韻が、遅れて身体にのしかかってきているのが分かる。

 

 マリアは一度、深く息を吐いた。

 

 それから、ゆっくりと周囲を見渡す。

 

 瓦礫、死体、戦闘の痕跡。

 

 消え失せた霊基の残滓。

 

 誠の胸に光る、勲章。

 

 その事実を、視線だけで確認していく。

 

「……もしや」

 

 言葉を選ぶように。

 

「アーチャーは、消えましたか」

 

 その問いに対して、誠はすぐには答えなかった。

 

 一瞬だけ、言葉を選ぶように視線を落とす。

 

 だが、逃げることはしない。

 

 ゆっくりと顔を上げ、まっすぐにマリアを見る。

 

「……そうだ」

 

 短く、はっきりと。

 

「アーチャーは死んだ」

 

 空気が、わずかに沈む。

 

 誰も動かない。

 

 誠は続ける。

 

「黒野恒一郎のサーヴァントが来てな」

 

 一拍。

 

 奥歯を噛み締める。

 

「めちゃくちゃにしていったんだよ」

 

 感情を押し殺した言い方だった。

 

 怒りとも、悔しさともつかないものが滲む。

 

 マリアは、何も言わない。

 

 ただ静かにその言葉を受け止める。

 

 マレニアの視線が、わずかに伏せられる。

 

 ミリセントもまた、沈黙を保ったまま立っている。

 

 その場に、重い現実だけが残る。

 

 誠は、小さく息を吐く。

 

 それ以上その話を引き延ばすことはしなかった。

 

 代わりに、視線をマレニアへと向ける。

 

「……そういえば」

 

 一拍。

 

「あのでかいやつは、倒せたのか」

 

「……申し訳ありません」

 

 まず、そう前置きする。

 

 その声音には、はっきりとした悔しさが滲んでいた。

 

「私一人では、決着までもっていけず」

 

 一拍。

 

 事実を認める。

 

「マリア殿に、ご助力を頂き」

 

 言い訳ではない。

 

 ただの報告でもない。

 

 己の不足を受け入れた上での、率直な言葉だった。

 

 その隣で、マリアがわずかに肩をすくめる。

 

 疲れたままの姿勢で。

 

 だが、口元にはかすかな苦笑が浮かんでいた。

 

「……少しばかり、手を貸しただけですよ」

 

 そのやり取りのあと、マレニアはゆっくりと視線を外した。

 

 誠からではない。

 

 その奥へ。

 

 瓦礫の山の向こう側へと。

 

 まるで、まだ終わっていないものがそこに残っているかのように。

 

 その視線を追うように、誠も顔を向ける。

 

 崩れた壁。

 

 折り重なったコンクリート片。

 

 抉れた床。

 

 戦闘の痕跡が最も濃く残っている場所。

 

 そして、その中心に。

 

 ──いた。

 

 大男。

 

 あの、ギルガメッシュが捕らえてきて、レニアへとけしかけた存在。

 恐らくマレニアにとって、因縁浅からぬ相手。

 

 人間の枠に収まらない巨躯は、今は瓦礫の中に半ば埋もれるようにして横たわっている。身体のあちこちが損壊し、皮膚は裂け、露出した筋肉の上に乾きかけた血がこびりついていた。

 

 だが。

 

 完全には、止まっていない。

 

 微かに、ほんの僅かに胸が上下している。

 

「……」

 

 マレニアは無言のまま、それを見つめていた。

 

 勝った、とは言い切れない。

 

 だが、倒したのは事実。

 

 その中途半端な決着が、わずかに表情へ影を落とす。

 

 しばらくのあいだ、誰も口を開かなかった。

 

 誠は、その巨体を見つめたまま小さく息を吐く。

 

 この場に留まり続ける理由は、もうなかった。アーチャーは消え、避難所は放棄され、洋子も生存者の移送へ動いている。ここで立ち尽くしていても、状況は何一つ前に進まない。

 

 胸元の勲章が、服越しに確かな重みを持ってそこにあった。

 

 誠はゆっくりと視線を戻し、周囲を見渡す。マリアは疲労を隠しきれないまま瓦礫に腰掛け、ミリセントはまだ警戒を解いておらず、マレニアはなおも大男から視線を外していない。秀則と621も無事とは言い難い。

 

 それでも。

 

 動くべきだと、分かっていた。

 

「……一旦、この場を離れよう」

 

 誠が言う。

 

 はっきりと。

 

 迷いを押し潰すように。

 

「それで、また黒野本邸を目指す」

 

 その言葉に、マリアがゆっくりと顔を上げた。疲れた目の奥で、思考が戻ってくる。ミリセントは無言のまま頷き、621も特に異を唱えない。マレニアだけが一拍遅れて視線を大男から外し、誠へと向き直った。

 

 誰も、その判断を否定しなかった。

 

 ここに留まる理由より、進む理由の方が明らかだったからだ。

 

 誠は瓦礫を踏み越えようと、一歩前へ出る。

 

 その時だった。

 

 物陰の奥で、何かが動いた。

 

 反射的に全員の気配が変わる。

 

 ミリセントの視線が鋭くなり、マレニアの身体がわずかに沈み、621が即座に秀則を庇う位置へ寄る。マリアも座ったままではあるが、すぐに立ち上がれるよう重心を前へ移していた。

 

 だが、現れた影は、怪物のものではなかった。

 

 ゆっくりと。

 

 本当にゆっくりと。

 

 瓦礫の陰から姿を見せたのは、隻腕の仏師だった。

 

 片腕を失ったその身体を引きずるように、しかし足取りそのものは妙に落ち着いている。

 

 誠は思わず目を見開く。

 

「……あんた」

 

 針の修繕を依頼していた男。

 

 この混乱の中で、もはや姿を見ることはないかと思っていた存在が、そこに立っていた。

 

 その姿を視界に収めた瞬間だった。

 

 マレニアの気配が、変わる。

 

 わずかに。

 

 だが、明確に。

 

 それまで大男へ向けていた意識が、一気に仏師へと切り替わる。

 

「……待て」

 

 低く、短い声。

 

 誠の足が止まる。

 

 ミリセントの視線も、即座に仏師へと固定される。

 

 マリアもまた、座ったままの姿勢で、ほんの僅かに目を細めた。

 

 マレニアは、一歩だけ前に出る。

 

 構えは取らない。

 

 だが、いつでも踏み込める位置。

 

 視線が、仏師の“目”に突き刺さる。

 

「……」

 

 仏師は何も言わない。

 

 ただ、そこに立っている。

 

 外見に異常はない。

 

 呼吸も、姿勢も、歩き方も。

 

 どこにも不自然な点は見当たらない。

 

 だが。

 

 その目だけが──違う。

 

 濁っているわけではない。

 

 狂っているわけでもない。

 

 むしろ、異様なほどに澄んでいる。

 

 その奥に。

 

 はっきりとした“殺意”がある。

 

 刃のように鋭く。

 

 隠そうともしていない。

 

 だが同時に。

 

 それが、揺れている。

 

 抑え込まれている。

 

 外へ溢れ出る寸前で、必死に押し留められている。

 

 まるで、自分自身に抗っているかのように。

 

「……妙な気配だ」

 

 マレニアが呟く。

 

 その声には、明確な警戒が含まれていた。

 

 その緊張が場に広がる中で、仏師の身体がわずかに揺れる。

 

 踏み出すでもなく、退くでもなく、ただその場に縫い付けられたように立ち尽くしたまま、呼吸だけが乱れ始める。肩が上下し、指先が痙攣するように震え、何かを押し留めているのが誰の目にも分かる。

 

「……来るな」

 

 掠れた声だった。

 

 それは警告というより、懇願に近い。

 

 同時に、仏師の視線がわずかに逸れる。誠を正面から見据え続ければ、何かが決壊すると分かっているかのように。

 

 次の瞬間、彼の残った片腕がぎこちなく動く。

 

 懐から、包みを取り出す。

 

 布に包まれた、小さな塊。

 

 それを握る手が、異様なほど強く力んでいた。爪が食い込み、布が歪む。それでも手放さない──いや、手放せないようにも見える。

 

 歯を食いしばる音が、かすかに聞こえた。

 

 そして。

 

 振り払うように。

 

 投げた。

 

 一直線ではない。

 

 わずかに軌道がぶれ、それでも誠の足元へと転がる。

 

「……っ」

 

 誠は反射的にそれを拾い上げる。

 

 軽い。

 

 だが、その中に確かな重みがある。

 

 包みを開く。

 

 中から現れたのは──針だった。

 

 無垢金。

 

 歪みも、欠けもない。

 

 完全な形へと修復されたそれは、戦場の埃に塗れたこの場にあって、異質なほどに静かな輝きを放っていた。

 

 誠の指が、わずかに止まる。

 

 言葉が、自然と出かかる。

 

「……ありがとう」

 

 だが。

 

 その言葉が最後まで形になる前に、鋭い声が割り込む。

 

「近づくな」

 

 短い。

 

 だが、先ほどとは違う。

 

 明確な拒絶。

 

 仏師の目が、再び誠を捉えていた。

 

 その奥にあるものは変わらない。

 

 殺意。

 

 しかし、それは外へ向けられているのではなく、今まさに内側から溢れ出そうとしているものを、必死に押し止めているようにも見える。

 

「……それ以上、寄るな」

 

 仏師の制止が落ちたあとも、場の緊張は解けることなく、むしろじわじわと濃度を増していった。誰もが直感している──いま不用意に動けば、均衡そのものが崩れる。その確信が、空気を重く沈ませていた。

 

 誠は、針を握ったまま立ち尽くしている。

 

 視線は仏師へ向けられているはずなのに、意識の奥で、どうしても拭えない違和感が引っかかっていた。

 

 何かがおかしい。

 

 だが、それは仏師ではない。

 

 その背後。

 

 もっと奥。

 

 視界の端に、わずかに引っかかる“何か”。

 

 誠は、ゆっくりと視線をずらす。

 

 仏師の肩越しに。

 

 瓦礫の影へ。

 

 崩れた壁の向こう側へと。

 

 そして──気付く。

 

「……待て」

 

 自然と、声が漏れた。

 

 今度は誠の方からだった。

 

 マレニアがわずかに眉を動かし、視線だけを誠へ寄越すが、その意味を問うより早く、彼女自身もまた違和感の正体へと辿り着く。

 

 そこに、“いた”。

 

 最初からいたはずなのに、認識されていなかった存在が、まるで輪郭を得るように浮かび上がる。

 

 鎧武者。

 

 古風な意匠の鎧は、ただの装飾ではない。無数の戦いを潜り抜けてきた痕跡を帯びながら、それでもなお整然と保たれており、むしろ“使われ続けているもの”特有の緊張感を纏っている。

 

 そして、その背。

 

 朱色の大弓。

 

 異様なほどに鮮やかな色彩が、この瓦礫と血に塗れた空間の中で、逆に浮き上がるように際立っていた。

 

 気配は薄い。

 

 だが、消えてはいない。

 

 むしろ、そこに在ることが“当然”であるかのように、自然に溶け込んでいる。

 

 だからこそ、見逃されていた。

 

 誠の喉が、わずかに鳴る。

 

「……あんた、誰だ」

 

 誠の問いが、静かに空間へ落ちる。

 

 だが、その声に応じるような動きは、すぐには返ってこなかった。

 

 鎧武者は、しばらくのあいだ微動だにしないまま立っている。呼吸すら感じさせないその静止は、まるでそこに“在る”こと自体が目的であるかのようで、逆に周囲の緊張を一段と引き上げた。

 

 やがて。

 

 わずかに。

 

 その腕が動く。

 

 背に担いでいた大弓には触れない。

 

 代わりに、腰へと手が伸びる。

 

 刀。

 

 鞘に収まったそれを、ゆっくりと握る。

 

 音はほとんどしない。

 

 だが、その動作ひとつで、場の空気が決定的に変質する。

 

 抜刀。

 

 滑るように引き抜かれた刃が、鈍い光を帯びて現れる。

 

 その瞬間だった。

 

 仏師の身体が、びくりと大きく震える。

 

 押さえ込んでいた何かが、外へ溢れかける。

 

「……やめろ」

 

 仏師が、低く呟く。

 

 それは誰に向けたものか。

 

 目の前の誠か。

 

 それとも。

 

 背後に立つ存在か。

 

 あるいは──自分自身か。

 

 鎧武者は、その言葉に一切反応を示さない。

 

 ただ、刀を下げたまま一歩だけ前へ出ると、初めて口を開いた。

 

「俺の名は──葦名弦一郎」

 

 声は低く、よく通る。

 

 誇示するでもなく、威圧するでもなく、ただ事実として名乗るその在り方に、妙な重みがあった。

 

 弦一郎は、視線をわずかに上げる。

 

 誰を見るでもない。

 

 この場全体を見渡すように。

 

「英雄王は勝手に満足して帰った」

 

 淡々とした口調。

 

 だが、その奥には、わずかな苛立ちが滲んでいる。

 

「もう一つの目的を達さずにな」

 

 一拍。

 

 わずかに息を吐く。

 

「我が主は、それを叱ろうともしない……難儀なことだ」

 

 その言葉と同時に。

 

 弦一郎の足が、自然に仏師の背後へと寄る。

 

 あまりにも自然な動きだった。

 

 誰も、間に合わない。

 

 いや──間に合う余地すらなかった。

 

 刃が走る。

 

 鋭く、無駄なく。

 

 仏師の身体を、背から胸へ一直線に貫いた。

 

 刀が貫かれたまま、仏師の身体は不自然に引き延ばされたような姿勢で硬直していたが、その内部では確実に“何か”が変質しつつあった。

 

 異変は、静かに、しかし逃れようのない形で進行する。

 

 刃の内側から、黒く濁った気配が滲み出す。それは煙のようでもあり、液体のようでもあり、どちらとも断定できない曖昧な質を持ちながら、確かな意思を伴って仏師の内部へと流れ込んでいった。

 

 仏師の背筋が大きく反る。

 

 貫かれたままの身体が、無理やり引き起こされるように持ち上がり、関節がきしむ音がわずかに響く。

 

 声を上げようとしても喉はうまく機能せず、代わりに濁った呼気だけが漏れ出す。その様子は、苦痛というよりも、何か“書き換えられている”過程に近かった。

 

 仏師の目が変わる。

 

 先ほどまで必死に抑え込まれていた殺意は、もはや内側に留まるものではなくなり、外へ向けて形を持ち始める。

 

 同時に、それを制御していた理性の痕跡が、まるで削り取られるように薄れていった。残るのは、純化された衝動──破壊へと直結する、単純で強固な意思だけである。

 

 弦一郎は、その変化を冷静に見届けている。

 

 視線に揺らぎはなく、そこにあるのは観察というよりも、予定通りに事が進んでいることを確認する態度だった。

 

「避難所の殺戮により、この者は既に境を越えかけていた」

 

 低く、淡々とした声が落ちる。

 

 説明というよりは、事実の提示。

 

「修羅となる寸前──ゆえに、これは最後の一押しに過ぎぬ」

 

「刀を捨て、御仏を掘っても過去は捨てきれん」

 

 わずかに間を置き、言葉を続ける。

 

「少し手伝ってもらうぞ。場をかき乱すには、ちょうどよい器だ」

 

 その宣言と同時に、弦一郎の腕が静かに動いた。

 

 躊躇は一切ない。必要な工程を終えた職人が、次の作業へ移るかのような自然さで、刀を引き抜く。

 

 肉を裂く音は遅れて響き、血が噴き出す──はずだった。

 

 しかし、仏師の身体は崩れない。

 

 むしろ、引き抜かれた瞬間にこそ、何かに“支えられた”かのように直立を保つ。

 

 その姿勢は人間のものではない。力が抜けるべき局面で、逆に張り詰めるように固定されている。

 

 ゆっくりと。

 

 ぎこちなく。

 

 仏師の首が持ち上がる。

 

 仏師の身体が、軋む。

 

 骨が悲鳴を上げるような、乾いた音。

 

 しかし、それは破壊ではない。むしろ、再構築に近い。

 

 筋肉が膨張する。

 

 皮膚の下で、何かがうごめく。

 

 血管が浮き上がり、それがただの血流ではなく、異質な力の通路として機能していることが、視覚的にすら理解できてしまうほどに歪に脈動する。

 

 そして。

 

 裂けた。

 

 肩口から。

 

 背中から。

 

 皮膚が内側から押し広げられ、耐えきれずに裂ける。その隙間から覗いたのは肉ではない。黒く濁った何か──先ほど刀を通じて流し込まれたものが、今や仏師の“中身”そのものへと置き換わりつつあった。

 

 身長が伸びる。

 

 ゆっくりではない。

 

 一瞬ごとに、明確に。

 

 関節が再配置され、骨格が歪みながら拡張されていく。人間の比率はとうに失われ、別種の存在へと形を変えていくその過程は、あまりにも露骨で、あまりにも不可逆だった。

 

 止める言葉は、出てこない。

 

 理解が追いついているからこそ、止められないと分かってしまう。

 

 変化は続く。

 

 頭部。

 

 額が盛り上がる。

 

 内側から突き上げるように。

 

 皮膚が裂ける。

 

 血が飛ぶ。

 

 そして、そこから現れたのは──

 

 二本の角。

 

 歪に捻じれながらも、確かな質量を持って外へと伸びるそれは、まるで最初からそこに在ったかのように、頭蓋の一部として定着する。

 

 続いて、髪。

 

 いや、それはもはや髪ではない。

 

 鬣。

 

 血に濡れたような、重く粘ついた質感を持つそれが、首筋から背へと一気に広がり、呼吸に合わせて微かに揺れる。そのたびに、鉄のような臭気が周囲へと拡散した。

 

 腕。

 

 右腕は肥大し、異様なまでに発達した筋肉が皮膚を押し上げている。

 

 だが。

 

 左腕は──ない。

 

 元から存在しなかったその欠損は、変貌後もそのまま残されている。むしろ、その不完全さが、この存在の歪さをより強調していた。

 

 完全ではない。

 

 だが、それゆえに“過剰”だ。

 

 全身が完成する。

 

 いや、完成してしまう。

 

 そこに立っていたのは、もはや仏師ではない。

 

 巨大な鬼。

 

 人の面影を僅かに残しながら、それを踏み潰すように成立した、純粋な暴力の塊。

 

 その胸が、大きく上下する。

 

 一度。

 

 深く。

 

 空気を吸い込む。

 

 次の瞬間。

 

 咆哮が、爆ぜた。

 

 音というより、衝撃。

 

 空気が震え、瓦礫が跳ね、床に走る亀裂がさらに広がる。誠は思わず腕で顔を庇い、ミリセントは即座に身を低くし、マレニアは踏み込みの体勢を取る。マリアですら、座ったままではいられず、ゆっくりと立ち上がっていた。

 

 弦一郎だけが、動かない。

 

 そのすぐ目の前で、鬼が腕を振るう。

 

 無造作に。

 

 だが、圧倒的な質量と速度で。

 

 振り払う。

 

 弦一郎の身体が、横へ弾き飛ばされる。

 

 直撃ではない。

 

 かすっただけ。

 

 それでも、数メートル先の瓦礫へと叩きつけられ、石片が弾け飛ぶ。

 

 しかし。

 

 弦一郎は転がらない。

 

 着地の瞬間に体勢を整え、滑るように立ち直る。その視線は、すでに鬼へと戻っていた。

 

「……暴れろ、猩々」

 

 弦一郎のその呟きが、まるで合図だったかのように、場の均衡は一気に崩れた。

 

 鬼と化した仏師は、もはや敵味方の区別すら持たない。

 ただ目の前にあるものを叩き潰し、引き裂き、踏み荒らすためだけに存在しているようだった。

 

 その巨体がわずかに身を沈めた瞬間、マレニアが先に動いた。彼女は血に濡れた剣を引き絞るように構え直し、砕けた床を蹴って一直線に飛び出す。

 ほとんど同時に、瓦礫から立ち上がったマリアもまた、疲労を押し隠すことすらせずに前へ出た。

 

「マレニア、正面を抑えてください」

 

「承知した」

 

 短いやり取りの直後、二人の影が鬼へと殺到する。

 

 その一瞬だった。

 

 誠の視界から、弦一郎の姿が消える。

 

 消えた、と思った次の瞬間には、すでに目の前にいた。

 

 誠が息を呑む間に、弦一郎は刀を低く構えたままその前に立ち、逃げ道を塞ぐように半歩だけ踏み込んでいた。

 

 誠の背筋に、冷たいものが走る。

 

 弦一郎の目には、鬼を見ていた時と同じ冷静さが残っていた。ただ、その対象が今は誠に切り替わっただけだ。

 

「目的は果たす」

 

 弦一郎は、感情を挟まぬ声で告げる。

 

「多少の乱暴は許されている。四肢を刻んでから包み、持ち運んでやろう」

 

 その言葉に誇張はない。脅し文句として言っているのではなく、本当に必要ならそうするつもりなのだと、声音だけで分かってしまう。

 

 一拍置いて、さらに続ける。

 

「それが嫌なら、大人しく従え」

 

 誠は返事をしなかった。

 

 喉の奥までせり上がってきた恐怖を、そのまま言葉に変えてしまえば終わると分かっていたからだ。

 

 目の前にいるのは、冗談も虚勢も通じない相手である。刀を握るその姿には一切の無駄がなく、脅しの文句すら、ただ必要事項を伝えているだけに聞こえる。

 

 それでも、だからこそ、黙ったまま従う気にはなれなかった。

 

 胸元の勲章が、熱を持っている気がした。

 

 ほんの少し前までそこにいた男──最後まで軽口を崩さず、無茶苦茶な理屈で誠の背を押して消えていった大統領の姿が、ふと脳裏をよぎる。あの状況でさえ笑っていた男を思い出した瞬間、自分がここで青ざめているのが、たまらなく癪に障った。

 

 だから誠は、無理やり口角を吊り上げた。

 

「……好き勝手言うな」

 

 最初の一言は、思ったよりも普通に出た。

 

 そこから先は、半分は強がりで、半分は本心だった。

 

「俺が、大人しく連れ去られるお姫様にでも見えるか」

 

 一拍置いて、さらに言葉を継ぐ。

 

「あんたの方こそ、消し炭にしてやるよ」

 

 冗談めかした言い回しだった。

 

 実際、口にした本人が一番、それが虚勢だと分かっている。だが、虚勢でも張らなければ、この場で足が竦む。マイケル・ウィルソンなら、たぶんもっと堂々と言っただろう。ならせめて、形だけでも真似をするしかない。

 

 弦一郎は、その言葉を聞いても怒りはしなかった。

 

 ただ、ほんの微かに目を細める。

 

 その反応は侮蔑にも見えたし、あるいは相手をようやく敵として認識した合図にも見えた。

 

「……面白い」

 

 低く、静かに。

 

 しかし一切の揺らぎなく、弦一郎は刀をわずかに持ち上げる。

 

「俺は葦名の後継者。お前のような小僧一人に手間取るほど、落ちぶれてはいない」

 

 宣告のように言い切ると、切っ先がわずかに誠へ向いた。

 

「宣言通り、四肢を削ぎ、持ち帰ってやろう」

 

 その言葉が終わるのと同時に、空気がまた一段階張り詰めた。背後では、鬼と化した仏師にマリアとマレニアがぶつかり合い、瓦礫が砕け、咆哮と衝撃音が響き続けている。だが、その混乱とはまるで別の層で、誠と弦一郎のあいだだけに、鋭く細い死線が引かれていた。

 

 誠は、その死線から目を逸らさない。

 

「……やってみろよ」

 

 今度は、笑うことができた。

 

 無理やりではあるが、それでも確かに。

 

「俺だって、Medal of Honor だぜ」

 

 

 

 




真名:マイケル・ウィルソン
クラス:アーチャー
性別:男性
身長・体重:185cm・92kg
属性:混沌・善

筋力:B+ 耐久:A
敏捷:C 魔力:D
幸運:A 宝具:B〜A+

アメリカ合衆国第47代大統領。
元陸軍少佐、従軍時代には各地の紛争地域に赴き当時の大統領より名誉勲章、Medal of Honorを授与された経歴を持つ優秀な軍人。
近代史を出典とする英霊の為纏う神秘は弱く、本人の卓越したカリスマや身体能力で補っている。

クラススキル

対魔力:C
近代兵器主体の戦闘スタイルゆえ魔術耐性は高くないが、国家規模の加護により最低限の耐性を持つ。

単独行動:A
大統領としての権限と自己完結した戦闘能力により、マスターからの魔力供給が乏しくとも長時間の戦闘が可能。

大統領権限:A
国家意思の代行者としての特権。
戦場において「支援が存在すること」を前提に結果を補正する。
弾薬補充、兵装投下、戦術的支援などが“あるものとして扱われる”。
具体的言うと弾切れ、燃料不足、人員不足が発生しない。

保有スキル

不屈の指導者:A+
どれほどの劣勢でも士気を崩さず、自身および味方の行動成功率を底上げするカリスマスキル。
精神干渉に対する極めて高い耐性を持つ。

英雄的虚勢:A
ハッタリ、軽口、誇張された自己認識を現実へ影響させる特性。
発言内容がそのまま自己強化へと転換され、短時間だが能力値を引き上げる。

大統領式戦闘術:B+
銃火器、爆発物、近接戦闘を組み合わせた大統領的な戦闘技術。
特に制圧力と突破力に優れ、「正面から押し潰す」戦闘に特化している。政治家に戦闘技能は関係ない? 関係ある! 何故なら大統領だからだ!

名誉勲章:EX(Medal of Honor)
合衆国最高位の武勲章にして、「英雄的行為の極致」を象徴する概念スキル。
本来は個人に授与される栄誉であるが、アーチャーの場合それは単なる評価ではなく、“死地においてなお任務を遂行する意思そのもの”が形を持ったものとなっている。
発動時、アーチャーはあらゆる肉体的・霊的損壊を受けながらも、一定時間に限り戦闘継続を可能とする。
この状態では致命傷は“致命に至らない結果”へと遅延・歪曲され、行動能力が維持される。

アーチャー消滅時、このスキルは完全には消失せず、概念の一部が灰原誠へと継承された。
これは正式なスキル移譲ではなく、戦場における意思の連鎖――すなわち「最後まで立ち続けた者の在り方」を誠が受け取った結果である。
そのため誠が行使する場合、ランク・効果ともに制限されるが、
極限状況においてのみ、一時的に同種の現象を再現することが可能となる。

宝具

『特殊機動重装甲(メタル・ウルフ)』
ランク:B++
種別:対軍宝具
レンジ:0~50
最大捕捉:1(自身)

プレジデントフォースが開発した「特殊機動重装甲(Special Heavy Mobile Armor)」をベースに、大統領専用へと改修された決戦兵装。
マイケル・ウィルソンはこれを自らの肉体の延長として扱い、搭乗時には全ステータスが大幅に上昇する。

『合衆国(ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ)』
ランク:EX
種別:固有結界(対軍・対界)
レンジ:1~不明
最大捕捉:不明

マイケル・ウィルソンという存在の本質――「国家の体現」を具現化した固有結界。

展開される世界は、広大な荒野として再構築されたアメリカ合衆国そのもの。
地平線まで続く乾いた大地、軍用道路、基地、補給線が現出し、内部は完全に“アメリカの戦場”へと書き換えられる。

この結界内において、アーチャーは以下の権能を獲得する:
• アメリカ合衆国軍の無制限展開(歩兵・機甲・航空戦力を含む)
• 弾薬・兵站・エネルギーの無尽蔵供給
• 戦術支援(空爆・砲撃・衛星支援)の即時発動

これらは魔力消費による召喚ではなく、「存在しているものを呼び出している」という扱いになるため、通常のサーヴァント規模を大きく逸脱した戦力投射を可能とする。

また、この結界は単なる戦力展開に留まらず、内部の因果を“アメリカが勝利する戦場”へと緩やかに傾ける性質を持つ。
すなわち戦闘が長引くほど、物量・状況・偶然のすべてがアーチャー側へ収束していく。

ただし、この宝具は極めて高負荷であり、維持には莫大な魔力と精神力を要する。
完全展開は短時間に限られ、長期戦に移行した場合は段階的にスケールダウンされる

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