昼。
冷たい雨の音が、傘を叩いていた。
冬弥は、傘の骨に水滴を落としながら司の家の前に立つ。
手には、コンビニのビニール袋。
中には経口補水液と冷却シート、それから司が好きそうなゼリー。
玄関には鍵がかかっていたが、両親から預かった合鍵を差し込むと、静かに開いた。
家の中はひっそりとしていて、リビングの上の吹き抜けから咳き込む声が聞こえる。
階段を登り、吹き抜けを覗き込む。
「司先輩、お見舞いに来ました。」
声をかけると、布団の上に横たわる司がこちらを振り向いた。
顔は熱のせいで赤く、いつもの大きな声もかすれている。
「……冬弥、来てくれたのか。」
「はい。司先輩のご両親から頼まれて。」
そう言って部屋に入り、荷物を机の上に置く。
冬弥はマスクを整え、濡れた手をハンカチで拭く。
椅子を持っていき、司のそばに腰を下ろした。
「……水分、取ってください。
ゼリーも買ってきました。」
「ああ、すまないな……少し寝ていたからな……。」
司はふたりと起き上がろうとして、すぐにバランスを崩した。
冬弥がとっさに支える。
その手のひら越しに、司の体温が伝わる。
思ったよりも熱い。
「っ! ……無理しないでください。」
「はは……情けないな、未来のスターであるこの天馬司が……。」
「情けなくなんかないです。
たまには、誰かに頼りましょう。」
一瞬、2人の視線がぶつかった。
司は小さく笑って、冬弥の手に自分の手を重ねる。
指先が、熱に浮かされたように少し震えていた。
「……冬弥は優しいな。」
その言葉が、なぜか冬弥の胸を締め付けた。
いつもステージや舞台の上でまっすぐな光を放つ司が、こうして弱って自分に寄りかかっている。
その現実が、妙に夢みたいに思えた。
「……寝てください。
俺はしばらくここにいますから。」
そう言って横にし、布団を掛け直すと、司が掠れた声で呟く。
「……ありがとう、冬弥。」
ふと、冬弥はその額に手を当てた。
まだ熱い。
冷却シートを替えようと立ち上がりかけた時、司がその手を掴んだ。
「……行かないでくれ、冬弥。」
その小さな声に、冬弥は動きを止めた。
そして、静かに司のそばに腰を戻す。
掴まれた手の上から、もう片方の手でそっと包む。
「……わかりました。」
数秒の沈黙のあと。
司が目を細めたまま、冬弥の指先に自分の唇を触れさせた。
かすかな、熱に浮かされたような口づけ。
驚いた冬弥は何も言えず、ただその温もりを受け止める。
「……感謝する、冬弥。」
「……寝てください。」
短くそう返して、冬弥は司の髪を撫でる。
その手が自然と司の頬に触れ、思わずそのまま、額へ、唇へと近づいた。
そっと指先で触れたのは一瞬。
それでも、2人の間の空気が静かに揺れる。
「……早く、治してくださいね。」
「……ああ、そうだな。」
司が静かに寝息を立て始めてから、数分。冬弥はその場を動けずにいた。
握られたままの手が、じんわりと温かい。
そのぬくもりを手放したくないと思ってしまったことに、冬弥自身が驚いていた。
この距離を、どこまで許されるんだろう。
そう考えて息を吸ったとき、司が小さく身じろぎをした。
目を閉じたまま、唇が静かに小さく動く。
「……冬弥……?」
かすれた声。
眠気のそこから呼ばれた名前に、冬弥の胸が一瞬で締め付けられる。
「起こしましたか?」
「……夢だと思った……まだ、冬弥がいるなど……。」
弱々しい声でそう言って、司は目を薄く開けた。
淡い金色の瞳が、薄闇の中で揺れている。
「夢なら、優しいままがいいな。」
苦笑い混じりの言葉。
冬弥は返せず、ただその髪を撫でた。
熱のせいか、柔らかい金の束が指に絡まる。
司はその手を追うように、自分の頬を冬弥の手にすり寄せた。
「……冬弥は、冷たいな。」
「司先輩が熱いだけですよ……。」
「じゃあもう少し、熱を分けてやろう。」
司がそう呟いた瞬間。
ふと、マスクが外され、また唇が触れた。
また司の方から、今度は唇同士で。
熱に浮かされたままの、少し甘い口づけ。
冬弥は目を閉じて受け入れた。
けれど、それ以上は求めなかった。
ただ静かに、司の頬を包み、額を寄せる。
「……治ったら、怒っていいからな。」
「なんでですか。」
「今の俺は、……多分、冬弥にとって、想像以上にずるい顔をしている。」
冬弥はふっと笑った。
「なら……治っても、怒れないかもしれません。」
その笑みが落ち着くと、再び眠気が司を包みこんだ。
冬弥はその頭をそっと枕に戻し、小さく囁いた。
「……おやすみなさい、司先輩。」
窓の外では、すでに止んだ雲間から夕日がのぞいていた。
淡い光がカーテンの隙間をすり抜けて、司の寝顔と、冬弥の指先を淡く照らしていた。