ある悪人の前半生   作:土鳩

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父を知らない少女が、気が付いたら造反した尾形に巻き込まれるお話。一応恋愛小説のつもりですが、萌成分が控えめです。


赤毛の安/若き上等兵の悩み

注意書

 

pixivからの転載となります。 

乱筆、乱文お許しください。

 

・ゴールデンカムイ夢小説、もしくは二次オリ

・オリジナル女主人公、名前固定、設定てんこ盛り

・原作沿いだが、都合に合わせて時系列が変わる箇所あり

・時代考証など不勉強なためいい加減

・登場人物に独自解釈あり

・原作レベルの過激描写あり

・シャーロック・ホームズの微クロスオーバー(と言うか同じ世界線にある設定)

・登場人物複数人の救済あり

 

 

 ◇

 

 

1912年、イギリス。

牢の鍵束をズボンのベルトに引っ掛け、一人の看守が監獄の見回りを行っていた。

かつて王宮として建てられたその建物は、時代の変遷で監獄として使わられるようになり、反逆者、政治犯のみならず王族に至るまで、身分や年齢、性別問わず多くの人間が投獄されており、極秘に行われた暗殺や処刑で血が流されてきた。

その為か、投獄されてそのまま行方知れずになった幼い兄弟を見ただの、不義密通で処刑された王妃の首無しの身体が自分の頭部を探して彷徨っているだのと怪談には事欠かない。

看守はこの仕事を始めて20年以上のベテランだったがいつまでたっても夜の見回りが苦手だった。

石畳の廊下を靴を鳴らして歩くとズボンの鍵束がチャリチャリと音を立てていたが、ある囚人の独居房の前で2つの音がピタリと止む。

看守は独居房の中の人物に声をかけた。

声をかけられた囚人は先月ここに投獄された者で、罪状は詐欺及び公文書偽造。申し訳程度の裁判で死刑判決が下り執行される日が近付いていた。

 

-ーこの監獄には似つかわしくない囚人だな。

 

それがこの囚人に対する看守達の共通見解であった。

罪に対する重い刑、そして政治犯や反逆者ばかりの監獄への収監。そもそもの罪状である詐欺等がでっち上げのモノと噂されており、同情する看守もいる。

 

この見回りのベテラン看守もその一人であった。

ベテラン看守の声かけに独房から返事が返ってくる。

 

『またあなたですか。何でしょう。』

 

艶のある声だった。看守は房の扉の中を除く。

きめ細やかな白い肌、色気がありながらも気品のある整った顔立ち、意志の強そうな眼・・・。

看守は高鳴る胸を抑えて話を続ける。

 

『話相手になってくれよ。心細いだろう?しかし、なんだってお前さんみたいなのがなぁ。』

 

『死罪の事ですか?まぁ仕方ありませんね。私はそれに相応わしい人間です。』

 

冤罪と思い込んでいた死刑囚の思わぬ返答にギョッとした目をする看守。

死刑が相応しいとは、どう言う事なのだろうか。

 

囚人は看守の反応にフッと笑いながらも自らの過去を思い出し、表情に僅かに悲しみを滲ませる。

 

『まぁ貴方も真面目に見回りをするつもりもなくお暇なようですし。死ぬ前の懺悔の代わりと言ってはなんですが、私の昔の話でも聞いて頂けませんか?』

 

 ◇

 

1906年冬 北海道 小樽近郊の山にて

 

ーータァン・・・

 

三十年式小銃の発砲音が山の峰々に響く。山を越えようとして遥か上空を飛んでいた鳥の群れから一羽が離脱し、地上に向かって舞い落ちた。

 

それを見てアングリと口を開け目を見開く人間が一人。驚きを全く隠すつもりもない様子で薄汚れた頬を紅潮させ、自分の斜め後ろにいる人物に声をかける。

 

「凄いなアンタ!これで三羽目・・・百発百中じゃないか!」

 

薄汚れた人物は大声を出しながらも大仰に振り返ると、身に纏っている擦り切れてツギハギだらけの長着の裾が翻る。初雪の積もった地面を無遠慮に踏み荒らしながら、背後にいる小銃を抱えた男に近づいた。

 

「百発百中も何もまだ3発しか撃ってねェぞ。まぁ100撃ったところで一つも外しはないがな。」

 

後にいる小銃を抱えた男は一切の謙虚さを見せず得意気に、坊主頭に載せられた軍帽を抑えるような仕草をした。

男は軍人のようで、濃紺色の軍服に白い外套の凛々しい出立ち。マントからちらりと見えた肩には27の数字、袖の辺りには線が3本入っている。特徴的だが整った顔立ちだが目は暗く、何も反射しない。そして顎に生えた髭は綺麗に整えられていた。きっと几帳面な性格なのだろう。

 

一方、興奮して軍人をアンタ呼ばわりした挙句、あと97発撃つところを見せろと無茶振りする人間。

ボロボロの長着という作業着の下に、黄ばみならぬ茶ばみまくったモンペを履いている。頭には『薄くて寒いから』という理由で魔改造し、ほぼ防災頭巾に成り下がった見た目の角巻きを被っている。

洒落っ気どころか尊厳も何もない格好だが、頭に被る防災頭巾ならぬ角巻から、ボサボサの赤い髪の毛と茶色の眼を覗かせていた。

 

「動かない的ばかり撃っても鍛錬にならねぇ。たまには生きて動く物を撃たないと腕が落ちる。」そう物騒な発言をかました上で、小樽の見回り任務を後輩共に押し付け、アリバイ捏造のための口裏合わせまで完璧に行い軍人は山に入ったのだった。ウサギや鳥を仕留めるが、飽くまで鍛錬の一貫であり獲物は持ち帰るつもりはなかった。

ウサギを一羽仕留めた直後、突然薮から飛び出してきたケッタイな格好の赤毛の少女に仕留めた獲物を譲るよう懇願される。

猟師を自称するその少女は銃はおろか弓矢すら持参しておらず、あまりの見窄らしい見た目に最初は北海道にも山姥がいるのか、と軍人は思った。

警戒しながら彼女を詰問する。

“狩りをしながら北海道中を回って生活している。いつもは投石で獲物を取っているが、今日は調子が悪く当たらない。仕掛けた罠も全て空振り、昨日の夜から何も食べていない”

 

しつこく泣きつかれ、獲物を仕留める度に狙撃を褒められ、たまに“本当に当たるのか?”と煽られ・・・上手い事のせられ続けて気付いたら鹿1頭、うさぎ3羽、鳥2羽の成果となったわけである。

 

 

山に入った時は真上にあった太陽が西へ傾き山の端に触れた頃だった。

もう戻らねぇとな、と軍人は呟いた。 

彼の目の前には本日の狩猟の成果が積まれており、赤毛の少女が小刀で血抜きをしながら返答する。

 

「なぁ、やっぱり狩猟は鉄砲の方が良いのかな?私が1人で狩りをしている時はこんなに成果は出ない。」

 

「当たり前だ。」

 

「・・・一応あるにはあるんだが、古いヤツだし、まだ使えるか分からない。育ての父親のヤツなんだが、エンフィールドとか言う銃だったかな?」

 

「は!?」

 

エンフィールド銃、1853年にイギリス軍に採用された小銃。高い命中精度と飛距離を持ったことから、クリミア戦争や南北戦争などでも活躍し、幕末の日本でも使われ、明治初期の日本陸軍でも使われていた。

 

「なんだってそんな骨董品を持っているんだ。」

 

「育ての父が若い時に旧幕府軍の敗走兵から物々交換でもらったらしい。父は死ぬまで定住せず、北海道中に私を連れて移動して暮らしていたから・・・、若い頃に箱館に行った事もあるって。」

 

「見せろ。」

 

「いいけど、家にある。取りに戻らないと・・・。」

 

少女の家がどこかは知らないが、いちいち取りに戻っていたら軍人が兵舎に帰る時間が遅くなる。せっかく口裏合わせたアリバイ工作が台無しだ。彼はひとまず諦める事にした。

 

「ち・・・、まぁいい。次の機会に見せてもらうぞ。アンタ、名前は?」

 

「へ?あぁ、田中・・・田中安、『安』と書いてアンだ。」

 

少女ーーアンは驚いて訊かれるがままに名乗る。

また自分に会う為に来ると言う軍人に、目を丸くしていた。

 

「田中・・・アン?あぁ、お前さん合いの子ってヤツか。来週の昼、この山の下にある沢に来い。いいな?」

 

「来週って・・・まぁ、いいけど。あ、軍人さんの名前は!?」

 

軍人は約束を取り付けて満足すると、振り返りもせずに足速に立ち去った。余程厳しい上官がいるのだろう。赤毛の少女ーーアンの疑問には無視して凄まじい勢いで立ち去る。

 

あっと言う間に2人の距離は離れていった。

 

      

 

小樽の兵舎に戻る道を歩きながら、軍人は考えていた。

 

ーーエンフィールド銃、か。気になって約束をしたが、あの小娘は北海道中を回っている、と言っていたな。利用できるかどうか・・・次に会う時に見極めるか。

 

更に日が暮れていき日没まであと僅か。

夕暮れで赤く染まった小樽の町を山の中腹から見下ろして、アンはニヤリと笑いながら呟いた。

 

「また来週、お会い致しましょう。陸軍第七師団27聯隊の尾形上等兵殿?」

 

彼女の頭の中、今まで調べ上げて来た様々な情報が錯綜している。

 

ーーあの男の上官は情報将校の鶴見中尉。尾形を使って鶴見中尉に何とか接触する!

 

全くの偶然の出会いであったが、養父の銃をネタにして再会の約束にまで漕ぎつけた。腹黒いと噂にあったがあの男、以外にチョロいと推測される。笑いが止まらない。

 

こうして愚かにも古い銃をきっかけとして、少女は全くの想定外だった金塊争奪戦に巻き込まれて行き、想定していた10倍以上の苦労をするのであった。

 

 

それから1週間が経った。件の狙撃の上手い軍人・尾形百之助は、約束通りにアンに会いに来た。少女はあまり期待していなかったのだが、再会して僅か1秒後にエンフィールド銃を要求され、思わず口をへの字に曲げる。

 

「使えそう?」

 

「いや、無理だ。あちこちが錆びついちまってる。特に銃身の中が壊滅的だ。保存状態が悪かったんだな。」

 

尾形はアンから銃を預かり、じっくりと古い銃を調べる。

眉間に皺を寄せながらアンに対して“どうして手入れをしなかった”だの“ダメにするくらいなら売っちまえば良かったのに”だの説教がはじまるが、アンからしたら小銃など何の興味もなく養父から継いだだけの嵩張るだけの負の遺産程度の認識なので、説教は全て右から左に聞き流す。

 

アンは北海道中を動いて生活しつつ、とある調べ物のついでに鶴見中尉と第七師団の情報を集めていた。

銃の取り扱いに細かい上等兵がいるだの、狙撃手をやっており銃の蘊蓄を語らせたら日が暮れるだの、山猫だの、クソ尾形だの・・・遊郭にふらりと立ち寄った第七師団の兵卒が遊女相手にそう愚痴り倒している。

尾形の人望が無さすぎて笑ってしまったが、彼女としては第七師団に繋がる為の役に立った。

 

尾形の説教は長いんだろなと思い、聞いているフリをしながら河原の岩に腰掛けてウトウトすると、頭を軽く叩かれて目が覚めた。

 

「ふぁ・・・仰る通り、どうせ使わないんなら使えなくなる前に売っぱらってしまえば良かった。」

 

あくび混じりに呟くと、尾形は廃品と判断した小銃を彼女に押し付けるように返した。

 

「まぁ、弓も小銃も使わねぇんなら放浪の狩猟生活はおしまいにしておくんだな。」

 

「・・・弓も銃も嵩張るしお金がかかるから嫌だ。」

 

「今のままだと近いうちに野垂れ死ぬぜ?まともに猟師をする気がねぇなら、身内に男でも紹介してもらってさっさと結婚でもしておけ。」

 

ーー結婚?身内?

 

ムスッとして赤毛の前髪を指でクルクルと弄びながらアンは自らの複雑な家庭の事情を話す。

 

「ご覧の見た目通り、私の父親は外国人だ。小樽で通訳をしていた母親を孕ませた後、自分の国に帰ってしまったらしい。母が亡くなった後親戚に引き取られたが、不満があって家出した。どこかの山中で行き倒れていたところを天涯孤独だった養父が見つけて育ててくれたが、その養父ももういない。すなわち男を紹介してくれる身内などいないし嫁の貰い手もない。」

 

世間では悲惨とされて同情や侮蔑されがちな過去を淡々かつ一気に白状した後、アンは無表情で尾形の顔色を伺った。

 

ーー同情したか、それともドン引きか。

 

尾形は最初こそ驚いた顔を見せたが、すぐにニヤリと笑って軍帽を撫でる仕草をする。

 

「ハハァ、そいつは終わってんな。」

 

同情でも嫌悪でもなくまさかの笑顔。

 

ーーまったく、噂通りに性格悪い。

 

しかし不思議と不愉快じゃない。

アンも思わずニヤリとして応える。

 

「そうなんだよ、詰んでるんだよ。」

 

 

あれから1ヶ月、尾形は休暇や小樽市中の見回りのたびにアンに会いに来ている。

鶴見中尉へのパイプ役にしたいと企むアンには有り難いはずだが、何故か無性に不安になった。

 

見すぼらしい見た目、痩せて女らしさのない身体、色気皆無の言動。そして尾形本人から受ける雑な扱い。明らかに色恋的な意味での好意はない。

今までそんなモノを誰かから向けられた事は無いが、それなら彼は何の為にわざわざ自分に会いに来るのだろうか・・・

 

「尾形は暇なのか?えらいマメに来るが、何か企んでるんじゃないだろうな?」

 

不安に駆られたある日、彼女は馬鹿正直に聞いてしまった。ジトっとした目で男を睨む。

 

一方で、突然のアンの発言に目を見開いてピタリと固まった後、大爆笑する尾形。

 

「金もねぇ、色気もねぇ、清潔感すらねぇ尋常小学校中退の礼儀知らずのガキ相手に何を企む?強いて言うなら無駄に逞しいところと恥知らずなところは評価できるがな。」

 

「最後の!褒めてないだろ、それ!」

 

「俺は単に山に詳しいヤツの案内付きで狩りが出来れば良いだけだ。現にお前の案内で近道を使えたり、狩猟用の罠を避けられたりしている。お前だって俺の仕留めた獲物をタダで手に入れている。損はないはずだ。」

 

「まぁ、そりゃ・・・」

 

正論である。アンは黙った。

実際にこの辺りには自分も付き合いのあるアイヌの集落があり、彼らが罠を仕掛ける場所も大体把握している。尾形の狩猟で食に困らなくなったし、余らせた分は売って現金に換え、かなりゆとりができた。

 

ーー性悪だが、こいつなりに私の境遇に同情してくれているんだろう。うん、多分そうだ。

 

何とも言えない違和感を胸にジワリと感じたが、気のせいと自身に言い聞かせる事にした。

 

 

1906年12月、寒さもだいぶ厳しくなり世間が年越しの準備に追われている頃ーーアンは尾形に誘われ、小樽の街に下りて居酒屋に行く。

 

「しばらく忙しくなるから狩猟の手伝いはできない。

奢ってやるから今日のウチにたらふく食って貧相な体を太らせて冬籠りにそなえておけ。」

 

「ゴチソウになります、尾形上等兵殿!」

 

年頃の少女をヒグマのような扱いをする尾形のデリカシーはゼロを超えてマイナスな勢いだが、もう慣れてしまっている。初対面でこれを言われていたら、後ろから岩で頭を殴っていたかもしれない。

 

「忙しいって事はやっぱり年末年始は故郷に帰ったりするのか?茨城だっけ?」

 

店屋の暖簾をくぐり、尾形に指定された席に座りながらアンはたずねた。特製の角巻を外して膝の上に置く。

店は混んでいて見渡すと席はほとんど埋まっていた。

奥の方に1人で酒を呑んでいる軍服の中年らしき男がいる。

 

「いや、・・・実は軍の方でとある死刑囚を追っているんだが、それがここら辺に潜伏してるって言う情報が入った。だからこれからしばらくは見回りを抜けるのが難しくなる。」

 

尾形は軍帽と外套を脱ぎながら店の奥に背を向けて座る。

 

「津山って知っているか?」

 

「33人殺しだっけ?ってかそれ、私に喋っても良い情報なのか?」

 

津山睦男、33人を殺して網走監獄に収監されたが移送中に脱走した男だ。正直あまり陸軍の機密めいた情報に興味はない。思わずアンの眉間に皺が寄った。

 

「何か知っているか?」

 

「そいつを見かけたか、という事か?顔すら知らないよ。」

 

「そうか、ならいい。」

 

正月返上で仕事になりそうでお気の毒、とアンは思ったが、さて自分自身はこれからどうするか。移動生活を再開しようか考える。

 

ーーしばらく会えないならこの機会に小樽を離れて次の街に移動しようかな。そうだ!登別まで行って久々の温泉を堪能しようか・・・フフ、温泉で年越しか。上等兵殿のおかげでお金も貯まったから宿も取れる。

 

正月の温泉宿生活を妄想していると、突然目の前にお品書きを押し付けられた。視界を漢字や平仮名、片仮名の料理名でいっぱいに塞がれる。

 

「何をニヤついてんだ気色悪い。ちょっと煙草を買いに行って来るからコレとコレとコレを注文しておけ。お前も何か頼みたい物があれば頼め。金はここに置いていくからな。」

 

お品書きと紙幣数枚を渡し、尾形は店を出て行った。

 

 

繁盛して賑やかな居酒屋。慌ただしくするする給仕に大声で尾形に頼まれたモノと自分の分を注文し、前払いで精算を済ませる。

食事が出揃い少し経った頃、煙草を買いに出ていた尾形が戻って来た。

 

「ちゃんと注文してるじゃねぇか、感心感心。」

 

ニヤリと笑って坊主頭を撫で付けている。そして彼は卓上の料理とお品書きをチラリと見ていた。

 

「おい、釣りは?」

 

「はいこんだけ。それより尾形、戻るのが遅いぞ。」

 

「悪いな。・・・っておいアン、お前」

 

「へ?」

 

「釣り銭が足りないだろう。ネコババするなよ。」

 

「えっ?」

 

アンは慌てて注文した料理とお品書きを見比べた。

 

店側が渡すお釣りを間違えたのだろうか、お金は大事である。しかし、釣り銭の額に間違いは無かった。

 

「・・・いや、計算あってるけど。」

 

アンがジロリと尾形を見ると、“ハハァ”と笑いながら頭を撫で付けている。ワケが分からない。

 

 

あまり口数の多くない男との食事会は、周囲の喧騒の中で静かに時間が経過して行くが、決して不快でも居心地悪くも無かった。

そして空になった小鉢が下げられ、鍋が残り半分量になった頃、突然尾形から質問された。

 

「アン、お前は人を殺した事があるか?」

 

ーー食事中にする話じゃないだろ・・・。

 

酔っ払っているのかと鼻白み、思わずトックリを覗きこむ。思ったより残量があるトックリから目を離すと尾形と目が合った。

真面目な顔で返答を待っている。

 

「ないよ。だって殺したところで食べられないだろ。」

 

椎茸を喰みながら答えてやると、尾形は呆れた様子で溜め息をついた。

 

「ハァ・・・そうじゃなくてーーいや、やっぱり・・・」

 

アンは椎茸をゴクリと飲み込み、もう一度返答する。

 

「今まで人を殺した事はない。・・・でもこの先は正直わからない。」

 

陸軍第七師団は日露戦争に従軍していた。恐らく戦場で無茶無謀な作戦の下、彼は生きる為に敵兵を何十人と殺して来たんだろう。

 

ーー心に傷を負うような人間には見えないが、そう見せかけているヤツほど案外繊細だったりする、らしいな。

 

本で読んだ事だった。

33人殺しの津山も周りが事情を理解できないだけで、本人からしたら生きる為だったりするのだろうか。

思索に耽りながら、空になったトンスイに新たに鍋の具を入れようと顔を上げると尾形と目が合った。

 

ーー笑っている。

 

短い付き合いとはいえ、見た事もないような笑顔だった。笑顔なのに恐ろしくて、恐ろしいのに目が離せない。

 

「アン、暫く小樽を離れるな。面白い物を見せてやれるかもしれねぇぞ。」

 

 ◇

 

尾形は暗い夜道を一人歩く。

食後、“送り狼は勘弁”と遠慮する赤毛の少女に、“俺だって誰でも勃つってわけじゃねぇよ”というセクハラ回答で安全性を約束、とりあえず憤慨するアンを寝床にしている小屋の近くまで送り届けた後、そのまま兵舎に戻るかと思いきや先程まで呑み食いしていた店屋に入った。

 

「玉井伍長殿、ご確認頂けましたかな?」

 

尾形は店奥でチビリチビリと酒を呑んでいる軍服の中年男に声をかけ、向かいの席に座った。

玉井伍長と呼ばれた男は顔を上げて尾形と目を合わせる。

 

「まだ子供みたいなモンじゃないか、大丈夫なのか?」

 

「歳は17だそうです。分別が付かないような年じゃないし、あの若さで一人で生きている。トンチキなナリですが、勘が良いし頭も悪くない。体も健康です。」

 

「尋常小も出てないんだろう?」

 

「アイツが中退したのは赤毛をからかってきた悪童に暴力を奮った為です。成績が理由じゃない。」

 

でも、と続ける玉井を手のひらを翳して制し、店のお品書きを見せた。

 

「俺はあの娘に、品名を言わずに指差しで三つの料理を指定しました。この店は混み合う時間に給仕が注文を聞きに来る事は殆どない。客は席から料理名を叫ばないと注文できない。」

 

「あぁ、確かにあの娘はそうしていたな。」

 

「読み書きができなきゃ、お品書きの『鮟鱇鍋』の文字は読めない。」

 

尾形はあまり期待せずにアンに注文を任せていたが、外から戻って来た時に好物が既に用意されていた光景を思い出した。

 

「他の品名だってそうです。お釣りの暗算も素早く完璧にしていた。最低限の教養は独学で勉強したのでしょう。」

 

「むぅ。」

 

「あの娘は養父が存命のうちから北海道中を旅して生活している。案内役として使うのには悪くない。

アレは金払いさえ良ければ大体の事は手伝ってくれる人間です。」

 

ーーそれに

 

「幸いあの娘は親族がいないそうです。最悪協力が得られず、・・・消してしまっても探す者はいません。」

 

ーー俺と同じだな。

 

皮肉過ぎて思わず呟いたが、玉井の耳には入らなかったようだ。

 

「厄介な男に目をつけられたものだな。」

 

苦笑いしながらも玉井は部下の案を承諾した。

 

ただ、尾形は一点だけ気になる事があったのだが、大したことでもないし自分の気のせいにも思えた。 

 

ーーまた後日、アンに確認すれば良い。

 

しかしその機会は中々訪れず、スッキリしない気持ちを抱えたまま大晦日を迎えて年は明けた。

 

 

 

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