ある悪人の前半生   作:土鳩

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三兵士

少女が鶴見中尉に監禁されてから2日が経った。

行方不明の玉井伍長以下3名は聯隊による捜索が続いているが、誰一人見つかっていないようだ。

 

ーー谷垣さんはどうしたんだろうか。

 

自主的に失踪したあの3人はまだしも、マタギだった谷垣が見つかっていないのは不思議だった。しかし山で死んでしまうと獣に食い荒らされて死体すら見つからない事もある。

アンは4人の捜索の進捗を知りたがったが、監禁されている為自由に聞き取りが出来ない。誰かと密かに話をする機会はと言えば朝、昼、晩の食事の配膳係からのみだが、鶴見中尉から“騙されるから決して話をするな”などと指示が出ているようで、まさしく言葉通り話にならなかった。

拳骨以外の乱暴はされていないし、用を足す時も入浴も自分から望めば逃げない様に縄をつけられたままだがさせてくれるので、そこに関しては問題はない。

しかし誰とも会話出来ないのは堪える。

監禁初日の晩は饒舌だった宇佐美ですらも次の日の晩飯の配膳時は何故か左頬を腫らして不機嫌そうにして何も喋らない。恐らく月島軍曹あたりに喋り過ぎた事がバレたのだろう、なおバラしたのはアンである。

何を話しかけても誰もウンともスンとも言わないので、彼女は心を病みそうになっていた。

 

そういう訳で彼女にとって食事以外で唯一の楽しみは盗聴である。

アンの監禁されているのは執務室の隣だ。厚く漆喰が塗られ、かつ防寒対策の取られた木の壁越しに隣室の会話内容を聞くのはかなり難しいが、稀に所々単語が聞こえるのでそれを繋げて文章にして遊んでいた。玉井達4人が見つからないと知る事が出来たのも、このおかげである。

それでも会話に勝る情報収集は無いと思い、鶴見中尉でも良いから話が出来ない物かと考えた事もあるが、盗聴した内容から出した結論によるとどうやら彼らは今『刺青妊婦集め』とやらにかなり忙しく、他は後回しとの事だ。件のアイヌの金塊とか言う眉唾の話に関する物のようで、どうやら刺青の入った妊婦を集めると金塊の場所が分かるらしい。

刺青と聞くと以前執務室の壁にあった、線や文字で構成された刺青を思い出す。鶴見はあれを豚の革だと言っていたが本当だろうか。あの刺青を入れていたのは豚などではなく妊婦だとしたら、流石のアンもドン引きである。勘違いの可能性を願うばかりだ。

 

ーー尾形にアイヌの金塊についてちゃんと説明して貰えば良かった。

 

こんな所にいつまでもいられない。

暇なので小さな窓から外を見ながら脱走出来ないか考えてみる。今までに何度も考えた事だがその度に諦めてきた。窓には鉄格子が嵌っており、多少曲げられても関節を外さない限り外に出るのは無理で、勿論そんな事は出来ない。

 

ふと頭が通るかどうか試して見たくなった。

普段なら絶対にしない事だが執務室に誰もいない時は暇すぎて、できる事は全てしたいくらいだ。

床板の木目を数えたり、夜空の星を無理矢理繋げて新しい星座を作ったり等したがすぐに飽きた。私物は本など自宅に持ち帰った物もあるがボヤ騒ぎを起こしてから手元にある私物は全て没収されており、今ここに於いて楽しんで時間を潰せる物は皆無なのだ。

格子に頭を額から通しグリグリと押し込もうとした時、背後から声がした。

 

「何をしているんだ君は!やめなさい!!」

 

振り向くと朝食の盆を持った小宮がいた。

 

「・・・私と話しをしても良いんですか?」

 

「いや、これは・・・仕方がないだろう。」

 

小宮は机の上に膳を置いて食べるよう仕草で促したので、椅子に座り食べようと箸を取った時、彼は何かを握って渡してきた。

 

「これは・・・」

 

造反組のところに預けてきた物だ。

母の顧客名簿と同じく分厚い角巻の中に隠していた物、恐らく岡田辺りが探し当てたのだろう。

 

本当の母の形見、ロザリオである。

 

「・・・君はクリスチャンなのか?」

 

小宮がボソボソと喋った。

 

「違います。」

 

“喋って良いのか”とも思ったが、この男は昨日の朝から何か言いたそうにしていたので一昨日あたりに例の3人組の誰かから預かったのだろう。

 

「それは野間と岡田からだ。“無理はするな、心配もするな”と言ってた。」

 

「・・・そうですか。」

 

これ以上会話をするのはお互いの為にならないだろうと考え、黙ったまま朝飯を食べる。

 

ーー無理はするな、心配もするな・・・か。

 

恐らく『拷問等されそうになったら喋っても良い、自分達は勝手に網走に行くから大丈夫』という意味だろう。

食べ終わった食器が載った盆を小宮に渡し、彼が退室しようとした時、アンは思わず心細さから声をかけてしまった。

 

「小宮・・・さん、ありがとうございます。」

 

小宮はびっくりして振り向き、照れ臭そうに笑いながら退室した。施錠された扉の向こうで小宮が誰かと話す声がしたが、どうやら同期の人間らしく気安い調子で何か話している。

 

溜め息を吐いた。

 

ーー案内人の癖に3人に置いていかれてしまった。私は役立たずだ。

 

置いていかれても仕方がない。しかし伝言の意味を悟ると、酷く寂しく惨めになった。

 

 

その日の昼頃の事、執務室に大勢が出入りする音と声がした。

 

ーーやった!誰か来た!!

 

アンは暇潰しでしていた壁の木目の面積比べを急遽中断し、仮眠室の壁に耳を付けた。趣味の盗聴の時間である。

相変わらず執務室の人間達が何を言っているのか殆ど分からないが、どうやら外部の人間がいるようだ。『公園の・・・団子』の単語からみたらし団子を振る舞われていると思われる。羨ましい限りだ。

病院で尾形に半分奪われたみたらし団子を思い出した。造反3人組が無事に小樽を出たのかも気になるが、身動きできない尾形も疑われている以上少しは心配になる。

執務室にいる人間は鶴見中尉以外には来客の男と思われる声の人物、数人の兵卒だ。

暫く話をしていたようでボソボソと声がするが聞き取れる単語は無く、来客はすぐに出て行ってしまった。足音の様子から数人に無理矢理連れて行かれる様な感じを受ける。執務室隣の自身のいる仮眠室前を通り過ぎて離れた部屋に半ば無理矢理押し込まれる様な足音と、扉が閉まる音がした。

 

ーー誰だろう?第七師団が捕まえようと躍起になってる網走の囚人かな?

 

囚人だとすると死刑囚ばかりなのに直ぐに殺さずにいるとは不可解である。

まさか噂の『刺青妊婦』か、とも思ったが来訪者、いや、連行されて行ったのは穏やかな声の若い男であった。

 

ーー何処かで聞いたような声だったな。

 

脱走できる機会があれば彼も助け出してやりたいものだが、まぁ無理だろう。

 

その日は何事も無く終わるも、翌日の晩に事件は起きた。

 

 

「俺は不死身の杉元だーッ!!」

 

「ヒェッ!?」

 

深夜の兵舎に響き渡る謎の自己紹介の声で、熟睡していたアンは目を覚ました。時間的にも気分的にも最悪の目覚めである。

 

ーー何!何なんだ!?

 

慌てて執務室側の壁に耳をぴったりと着けるも隣室は静かなので、廊下側の壁に走り寄り耳をあてる。

誰かが激しく暴れる音、廊下を兵士が走る音、扉が開く音、誰かが泣き叫ぶ声・・・。

 

方向からして昨日に連行された若い男と見られる者が入れられた部屋からだ。

昨日の執務室でみたらし団子を振る舞われていたのは『不死身の杉元』だったのだろうか。

 

ーー尾形を襲ったヤツか?一目で良いから見たい!

 

施錠された仮眠室の扉を激しく叩き、開けるように叫ぶも反応が無い。どうやら皆、不死身の方に駆け付けた様だ。鶴見中尉率いる第七師団に於いて自分の重要性は杉元に劣るらしい、と思うと腹が立つ。

生活の世話をしてくれたり、高そうなドレスを着せて外食に連れて行ってくれたり、偶にお小遣いをくれたりした日があった事を思うと現状とはえらい違いだ。

 

昔話した蕎麦屋の女将の言っていた事を思い出す。『男ってのは一度手に入れたと思って安心しちゃうと、女の扱いが雑になるのよ。アナタも気を付けなさいね。』

当時は自分には関係無いと考えていたのだが、尾形にしても鶴見中尉にしても自身に対しての扱いが日々雑になっている様に感じた。

扉の向こうで余程の緊急事態が起こっているらしくかなり騒がしいが無視し、少女は拗ねて布団の中に潜り不貞寝する。どうせ誰も話をしてくれないから自分には関係無い。

“これだから男は・・・”と男性経験が皆無の少女は布団の中でブツブツ呟いている。

理不尽かもしれないが大勢の中で自分だけが独りの状況が寂しかったのだ。

しかし鶴見からしたらアイヌの金塊の件が片付かないとアンの方に着手出来ないくらい、問題児な少女の複雑な事情が悪いのだが、彼女はその事に気付いていない。

 

 

アンが次に目が覚めた時もまだ外は暗かった。

暖かく、否、暑くて目が覚めた。しかも何だか煙い。

 

ーー火事!!?

 

慌てて飛び起き部屋の中に煙が入って来ているのに絶句、窓から鉄格子越しに外を見て左右の部屋から煙が出ているのを見て再び絶句。

取り敢えず床に伏して煙を吸わない様に気を付ける。

 

ーー逃げなきゃ!!

 

慌てて扉に近づき激しく叩くも反応はない。

耳を澄ましても廊下からも人の気配はしない。

流石陸軍最強と謳われた第七師団様である、末端の兵卒まで避難訓練が行き届いているようで兵舎内には誰もいないと見られる。

あんまりだ、勝手に拘束してほぼ放置された挙句自分はここで逃げる事も出来ずに焼け死ぬのか。

監禁2日目に硝子の水差しと日の光で、見張りの交代の隙を狙って扉を燃やそうとした罰なのだろうか。扉は焦げただけだし、ちゃんと鶴見中尉の認可の下に日露帰りの軍人の拳骨を頭頂部に落とされるという罰を食らったので勘弁して欲しいものだ。

 

どうしたものかと思案していると、こちらに走って来る足音がした後、扉の向こうからガチャガチャと開錠しようとする音が聞こえた。

 

「遅くなった、今開ける!」

 

鶴見中尉に言われて来たのだろうか、廊下から鍵の束らしきジャラジャラとした音と男の声が聞こえた。

 

「助けてくれ!早く・・ゲホッ、開け・・オェッ」

 

必死に助けを求めるも煙を吸い込み声が出ない。喉奥がヒリヒリする。

 

「ガフッ!!」

 

扉の向こうから扉を開けようとしていた男の呻き声と倒れる音がする。

 

「嘘ぉ・・・」

 

まさかの助かる機会が潰えた・・・と思った時、意外な人間の声がした。

 

「おい!生きてるか!?」

 

ーー岡田?何でここに!?

 

「しまった!どの鍵か分からなくなった!」

 

ーー野間ァ!本当に何をしに来たんだ、コイツらは!?

 

網走に向かった筈の野間と岡田の声だった。動揺と感謝と罵倒が頭の中でごちゃ混ぜになる。

 

「仕方無い。下がってろ、山芋!!」

 

扉の向こうからの声に『山芋』とは何の事だろう、とアンが思っていると向こう側から何度も激しく扉を蹴る音がする。音に合わせて扉が軋み激しく揺れる。

漸く『山芋』が自分を指している言葉だと気付き、慌てて横に避けた瞬間ーー

とてつも無い破壊音と共に扉が吹っ飛び、向かいの小窓に激しい音と共に衝突して窓硝子が砕け散った。言葉通りに扉の真後ろに下がっていたら危なかったろう。

 

「大丈夫そうだな。」

 

アンが唖然として破壊された扉を見ていると、野間が声を掛けてきた。扉を蹴破ったのはこの男のようだ。

彼には初対面時に自宅の扉ごと吹き飛ばされたが、あの時の自分は良く死なずに済んだなと思うばかりである。この男の身体は蒸気機関で動いているに違いない。

 

「早く出るぞ。」

 

腕を掴まれて廊下に引っ張られるとそこには岡田もおり、彼の足元には倒れている軍服の男がいて床には血が流れている。ぴくり、とも動く様子が無い。

 

「その人は・・・」

 

「あー、ウチの聯隊の上等兵だ。こいつにはよく理不尽な事を言われて殴られた。気にするな。」

 

「でも・・・」

 

岡田は気にするなと言うが、彼らが殺した男は戦友と言うヤツではないのだろうか。自分を助ける為に殺したと言うのか。

 

「造反を企てた時点でこうなる事の覚悟はしている。」

 

言葉少なく野間が言った。

 

 

建物に煙が充満してあちこちに炎が見える中、突然着物の帯を解き始めたアンを見て、野間と岡田は慌てた。

 

「おいッ馬鹿、何をしてるんだ!早く逃げないと・・・。」

 

「アンタら手が空いているならそこの上等兵の軍服を脱がせてくれ!」

 

「!!」

 

何となく理由を察した岡田が慌てて死体から軍服を脱がせ、後ろ手に赤毛の少女に渡した。アンは軍服を受け取り着ていた着物を岡田に渡す。その間、野間は周りを警戒して見張りをしてくれていた。

動かぬ男に女物の着物を着せるのは大変そうだったが、何とか少女と死んだ上等兵との服の交換は終わった。

 

「おい!誰だ貴様は!!」

 

煙で視界が悪い中、野間が執務室からコソコソと出て来た男に気が付き声を上げた。

岡田は咄嗟に、アンの頭に死体から奪った軍帽を深く下向きに被せて不審な男から彼女が見えないように自分の後ろに隠す。

 

執務室から出て来た謎の軍服の男は、野間に拳銃を突きつけられてアタフタしているのが分かったが、野間と岡田、そして煙と謎の男が目深に被っている軍帽のせいで少女には顔が見えなかった。

 

「え、え〜っと・・・ほらぁ、忘れちゃった?俺だよ俺!」

 

「黙れ!貴様など知らん!」

 

「松明なんぞ持ちやがって、貴様だな!兵舎に火をつけたのは!!」

 

「えェェェ・・・」

 

野間と岡田の間から不審な男の様子を見る。2人の様子からすると第七師団の人間では無い、というより明らかに外部から来た放火犯である。

顔は見えないが男が松明以外に持っている瓶に入った液体が目に留まり、アンは思わず叫んだ。

 

「おい!そこのアンタ、それ油だろう!この着物の男の死体にそれをかけてくれ!」

 

「へ?あれ、その声って女ァ?何でこんな所に・・・」

 

不審な男が少女の声に気付き反応すると、焦った3人は口々に捲し立てた。

 

「喧しい!さっさとしろ!」

 

「かけろ!油をかけろ!」

 

「ついでに火も点けていけ!」

 

「えぇ、何なのこの人達、怖いんだけど・・・。」

 

恐慌状態の3人に脅されて不審者はブツクサと呟きながら、哀れな上等兵の遺体に油をかけ、持っていた松明で火をつける。

 

「ほらよ、これで良いのか?」

 

アン達3人にはこの男を捕まえても意味がないのでさっさと立ち去る様に促すと、男は“アバヨ”と小走りに去って行った。

これでほんの僅かの間だが、赤毛の少女が死んだと鶴見中尉に思わせる事ができる筈である。骨格の違いから直ぐにバレる事ではあるが時間稼ぎにはなりそうだ。

 

兵舎には大分火が回りいよいよ危険な状態になってきている。

岡田の先導で3人はひと気の無い裏の出口からコッソリと脱出し、燃え盛る兵舎を後にした。

 

 

野間と岡田の話では、街の外れで玉井が3人の戻って来るのを待っているらしい。玉井と落ち合う場所まで小走りで向かう。

近道を通ろうとすると岡田に止められた。どうやらつい先程まで師団が馬橇に乗った人間と格闘戦のような事を繰り広げていたらしく、そちらの方は危険かもしれないと。

小樽はいつからアメリカの中西部になったのだろう、そのうちガンマンやら強盗団やら武装した原住民のアパッチやらが出て来そうで大変遺憾である。

 

 

「何で助けに来てくれたんだ?」

 

建物の陰に隠れて小休止中、少女は息を整えながら2人に尋ねた。本来ならこの2人と玉井は網走に向かう途上の筈である。

 

「いや、本当はお前の事は諦めて出発しようと言う意見もあるにはあったんだがな、玉井伍長殿が渋られたんだ。徒歩なら3週間で小樽から網走を往復出来るのかも知れないが、馬を使えば大分短縮できるから様子をみようってさ。で、気付いたらあの火事だ。」

 

「いや、でもいつまでも小樽に残るのは危ないだろ!?」

 

岡田の返答にアンは反論した。彼等が見つかったら何の為に羆の前に飛び出したのか分からなくなる。

その問いに対して返したのは野間だった。

 

「・・・死んだ祖父から“女は男より弱いから守ってやらなくてはならない”と言われて育ったもんでな。」

 

「・・・」

 

周囲を警戒して見張りをしながら呟いた野間の一言に少女は驚いた。女扱いされていた事も勿論だが、関係が良好とは言い難い男の口から出た言葉が意外だった。自分の事を仲間扱いしてくれている、そう感じた。

彼は照れ臭そうに周りに注意を払いながらも頭をガシガシと掻いており、目線をアンには合わせない。岡田はそんな野間を見ながらニヤニヤ笑っている。

 

野間は誤魔化す様に呟いた。

 

「・・・お前、切支丹だったんだな。」

 

「違う。踏み絵でもしようか?」

 

野間と言う男は、体は蒸気機関でも首から上は未だ文明開化していない様である。

 

 

小休憩後、暫く走っていると目の前に人影が見えて“こっちに来い”と合図している。遠目だが玉井である事に直ぐに気付き、走る速度が上がる。

 

「大丈夫だったか、お転婆娘。」

 

怒られるかと思いきや玉井はアンに優しく声をかけてくれ、少女は思わず泣きそうに、否、泣いた。

 

「ヴェェェェ・・・」

 

「ヨシヨシ、怖かったんだな?・・・ところで岡田、田中の身体の方はどうもなかったか?着替えていると言う事は確認済みだろう?」

 

「はい。拷問されたような跡はありませんでした。」

 

ーーん?

 

玉井と岡田の遣り取りに少女は思わず涙が引っ込んだ。

 

「悪い、一応確認しなきゃならないからな。まぁ見たと言っても少しだけだし、ハハっ、そうは言ってもなぁ・・・。安心しろ、恥じる程立派な物は持ち合わせてないだろう?」

 

「・・・」

 

来世では羆に、いや、味方の誤射で顔を撃ち抜かれてしまえ、赤毛の少女は密かに念じた。

 

玉井の案内で一軒の民家に併設された馬小屋に入る3人、そこそこ立派な馬が3頭繋がれており、中でもひときわ目立つ赤毛の馬に、馬と同じく赤毛の少女は目を奪われた。

 

「玉井さん、この馬達どうしたんですか?高かったのでは?」

 

「あぁ、うん、・・・買った。近隣の農家や牧場をだな、いくつか回って・・・。」

 

何故か玉井の返事は歯切れが悪く、野間と岡田も少女と目を合わせず遠くを見ている。

アンは気付いてしまった。

 

「ま、まさか・・・。」

 

「・・・帰って来なければ好きにして良いって言ってたろう?」

 

「言ってた。」

 

「あぁ。」

 

ーー瓶の金!!!

 

「安心しなさい。アイヌの金塊が見つかれば少しくらい貰ってしまえば良い。中央も理解してくれるだろう。」

 

どうやら三人共、自腹で金を返すつもりは無いようだ。

抜け殻の様になった少女の肩に優しく右手を置いて左手で『お釣り』と言う名の残金を渡した玉井は、民家の家主に礼を言った後、少女と一緒に赤毛の馬に跨り走り出す。僅かに後ろを野間と岡田がそれぞれ乗馬して後を追う。

 

「・・・玉井さん。」

 

「・・・何だね?」

 

「この馬の名前『赤兎馬』ってどうでしょうか。」

 

最早ヤケクソだった。預けた金を使い込まれても仕方がないのが分かってる故に尚更だ。せめて購入した以上は名前を付けて大事にしたい。

一方で文句を言われると思っていた玉井は安心して話に乗っかる。

 

「三国志のか!?そりゃ良いな。さしずめ私は関羽と言う所かな?」

 

「いえ、私が貂蝉をするので呂布でお願いします。」

 

目の前の馬上で突如始まった、上官と心が壊れかけた少女の三国志恋愛ごっこを冷やかに見ながら、野間と岡田も馬で走る。

 

こうして4人と3頭は明け方前に小樽を脱出した。

 

 

三島剣之助は陸軍第七師団27聯隊に所属する一等卒である。

幼い頃から周りの人間に“かわいい顔だね”と言われて育ち、驕る気持ちは無いものの自分の器量が良い事を自覚していた。クリっとした瞳に長い睫毛の彼は女と見間違われた事もある。

 

彼は今、壁際にいた。

彼を壁際に追い詰めているのは一日の殆どの時間を寝て過ごしていた筈の上等兵、尾形百之助である。

知らぬ人間が見たら顔立ちの整った怪我人の男が女顔の軍人に顔を寄せて言い寄っている様に見えるのだが、勿論違う。

その証拠に三島の顔は青ざめていた。

 

「なぁ、三島。最近アンのヤツが見舞いに来ねぇんだが、何か知ってるんだよなぁ?」

 

「い・・・いえ。」

 

「お前の身体がなんか焦げ臭いのも気になってなぁ。ははぁ、お前、自分の部屋でこっそり七輪で魚でも焼いたのか?」

 

「はっ・・・はい。」

 

「嘘吐いてんじゃねぇ!!」

 

「す・・・すみません!!」

 

三島は今にも泣き出しそうだが、尾形は気にせず尋問を続ける。

 

「悪かったな、突然怒鳴ってよ。いや、朝からお前が何か辛そうにしてるから気になってな。」

 

絶対に嘘だ、と三島は思った。この上等兵には人の心が無い、というのが彼の所見である。

 

「ほら、お前、目が腫れてるぞ。やっぱり辛い事でもあったんだろう?言ってみろ。」

 

「へ・・・兵舎が全焼しました。」

 

「は!?」

 

三島の返答に尾形は目を丸くしていた。

 

「アンは・・・」

 

「や・・・焼け跡から田中さんらしき黒焦げの遺体が・・・。後、稲井上等兵殿が見つかりません。」

 

三島の眼は潤んでいる。脅されたのもそうだが、彼は無自覚ながらも明らかに少女の死を悼んでいた。

 

「・・・」

 

尾形の真っ黒な瞳が虚ろになった、三島はそう感じた。田中と言うのは尾形の良い仲である赤毛の少女の苗字だ。彼女は数日前まで毎日尾形の見舞いに来ており、仲睦まじい様子を散々見せつけられていた。この冷たい男にも一応は情らしき物があったのか、と三島は感心する。

 

「・・・玉井伍長殿はご無事か?」

 

「無事も何もまだ見つかっていません。野間、岡田、谷垣もです。」

 

「・・・そうか。」

 

壁際の三島から離れてフラフラと寝台に戻る尾形。それを見て三島は、ほんの僅かだが悲しんでいるであろう彼の為に心を痛めた。

 

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