赤毛の少女と玉井達は小樽を出た日の夜、札幌の藻岩山に入った。ここには少女の亡き養父が遺してくれた小樽の古家と同じ様な空き家があり、宿代の節約の為に極力宿には泊まらず野宿か空き家に泊まる事にしていた。
夜遅く、空き家から2人の男の影が出て来た。玉井と野間である。2人は空き家の外で小さな篝火を焚き見張りをしている岡田の元に近寄り、声を掛けた。
「田中が寝たぞ。」
声を掛けられた岡田は頷いた。そのまま3人で円陣を組んで座り声を顰めて話をする。
山の夜は暗く静まり返っており、偶に梟等の夜行性の鳥の鳴き声が聞こえる程度だった。案内人の赤毛の少女の耳に入らない様に注意を払いながら密談をする。
3人とも頭を抱えていた。理由は空き家に辿り着き簡単な夕食を済ませている時の会話が原因だった。
数時間前に遡る。
4人は飯盒で米を炊き、途中で立ち寄った店で購入した惣菜や甘味で軽い夕食を取っていた。
「今更だけど・・・ごめんなさい。助けてくれてありがとうございました。」
アンは恥ずかしそうに玉井、野間、岡田に謝罪と助けられた礼を言った。彼女の貯金を半分以上使い込んで馬を買った三人は一瞬言葉に詰まるも、気にするな、と返す。
「それよりお父さんの素性は分かったのかね?」
玉井が尋ねるとアンは嬉しそうに頷きながら話し出した。手には玉井と約束していたクリーム饅頭がある。
「それがですね、何と数学の博士でした!しかもイギリスでは天才と呼ばれていたらしいんです。」
「鶴見中尉に騙されてないか、それ?」
岡田が茶々を入れるも玉井は信じてくれているようで、ウン、ウン、と頷いている。野間も何か思う所があるような表情で沈黙している。
2人の反応にかなり気を良くしたアンは、“岡田も尾形と一緒に豪邸の庭師としてこき使おう”と心に決めて更に話を続けるも、それは3人からしたら突拍子も無い話であったようだ。
「フハッ・・・それがですね、教師は飽くまで表の顔だったんです。本当は悪の秘密結社の親分だったんです!残念ながら・・・だいぶ前に亡くなってしまったみたいですが。」
一瞬、3人の軍人の動きがピタリと止まった。
数秒後。
岡田が口に入れていた米粒を吹き出し、咽せながら顔を真っ赤にして大笑いしている。一方で野間は死んだ魚の様な目になりながら黙ってご飯を咀嚼していた。2人の想定外の反応に狼狽えながら玉井の顔色を伺うアン。玉井は優しく彼女に答えた。
「気にするな。誰にだってそういった事を思いたい時期はあるんだ。」
どうやら玉井も信じていないようだ。
「本当だって。だって鶴見中尉が、ほら額から、垂らしながら言ってたんだよ!?」
「ハハ・・・山芋、アレは中尉殿が興奮すると出るんだよ。嘘発見の目安にはならん。」
「山芋って言うの、止めろ!」
岡田が勝手に付けた渾名にアンは憤慨した。野間まで影響されてそう呼び出しており、玉井はそれを止める事なく部下と案内人が『仲良くなった』と連帯感を感じて嬉しそうにしている。
岡田曰く、彼女が初めて兵舎に来た日にそう呟いたらしいが、身に覚えが無い。
しかし、自分が信じている事を誰にも理解されないというのは切ないものである。アンは黙って膝を抱えてクリーム饅頭を頬張る事しか出来なかった。
ーー私からしたらアイヌの金塊の方が信じ難いんだけどな・・・。あ、もしかしたら尾形も金塊の話を初めて私にした時、こんな気持ちになったんだろうか?だから金塊の詳細をいつまでも教えてくれないんだろうな。
少女は反省した。
◇
「玉井さん、ところでアイヌの金塊について何ですが。」
「ん?」
顔を赤らめながら旅の目的を尋ねてくる少女、口の端にはクリームが付いている。
「私、尾形から具体的な事は聞かされていないんです。アイヌが隠した金塊を鶴見中尉が狙っていて、それで北海道に軍事政権を作ろうとしている。尾形が中央政府と繋がっていて、中央政府もアイヌの金塊を狙っている。その辺りしか知らないんです。」
アンは尾形が出世を狙っている事には触れなかった。それは飽くまで一個人の動機に過ぎず、金塊には関係無いだろうとの考えからだ。
「・・・そうか。」
玉井がアイヌの金塊について語り出そうとした時、野間と岡田がそれを遮った。
「お前は案内人だろう?知らなくても良い。」
「玉井伍長殿、コイツには話さない方が良いと思われます。それを知ったらこの娘は何を仕出かすか分かったものではありません。尾形上等兵殿が具体的に説明していないのは、そこら辺が理由ではないでしょうか。」
やっと詳細が聞けると思ってたのに思わぬ邪魔が入り不満を抱く赤毛の少女だったが、野間と岡田は実は親切心から発言している。それを知らぬアンは、慌てて2人を指差しながら玉井に耳打ちした。
「呂布様、此奴らは董卓様の回し者です。彼らの妄言を聞いてはなりません。貂蝉は悲しゅうございます。」
「誰が回し者だ。」
「三国志ごっこは止めろ。」
「むぅ・・・」
呂布様もとい玉井は暫く考え込んでいたがふと思い立ち、貂蝉こと赤毛の少女に質問した。
「田中は長い事兵舎で生活していたが、ほら、他の誰かからアイヌの金塊に関する話は聞いていないのか?三島とか小宮とか、よく話をしていた人間が何人かいるだろう?」
「う・・・えぇと、盗み聞きですが一応あります。」
軍人3人は“盗み聞き”と聞いて危機感を覚えた。こんなお転婆娘には絶対に詳細を教えられない。
玉井は彼女に盗み聞きの内容を尋ね、少女は答えた。
「確か刺青妊婦を集めるんですよね。えぇと、確か24人?そうすれば金塊のある場所が分かる・・・だったような・・・」
ーー妊婦!?
自分の聞き間違いだろうか、玉井は動揺した。向かいに座っている部下2人に視線を送ると2人とも明らかに唖然としている。聞き間違いでは無いようだ。
少女は3人の様子を気にかける事もなく、ブツブツと考え込みながら喋り出す。
「あ、そういえば第七師団が追っていた網走の脱獄囚も24人でしたよね。刺青と言えば囚人の方がしっくりくるんだけどなぁ。ほら、江戸時代とかだと囚人に刺青入れて・・・」
「網走の囚人は男だけだぞ!!」
「男が妊娠するわけ無いだろう!」
「あってる!刺青妊婦であってるぞ、田中!」
あっていない、寧ろ間違っている。
正しくは『刺青人皮』、第七師団が移送中に逃げられてしまった、網走監獄の脱獄囚24人の上半身に彫られた刺青の皮である。
しかしそれをこの少女が知れば、どうなるか。
相手は死刑囚ばかりの脱獄囚であり、凶悪犯。それにチョッカイをかければ彼女の命の保証は無い。網走から小樽に戻る時は少女は単独行動になるのだ。
必死過ぎる3人の反応をアンは訝しんだが、彼らは自分の言った事を肯定してくれているので違和感を感じつつも深くは追及し辛い。
「・・・やっぱりアレですか?妊婦の刺青を手に入れる為に皮を剥ぐのでしょうか。」
「い、いや。そんな事しなくても大丈夫だ。油紙か何かに写しを取るだけでも問題ない筈だと聞いている。」
少女の不審な者を見る様な目に慌てながらも玉井は答えた。やはり妊婦の皮を剥ぐというのは同じ女として嫌悪感があるようだ。
一方で玉井の発言を聞いたアンは執務室の壁にあった刺青を思い出している。玉井がそう言うならばあれは本当に豚の皮の芸術作品だったのかもしれない、そうであって欲しいと。
◇
玉井が夕食の片付けをするように声を掛けると、全員で動き出して火の始末や片付けを行う。
夜間は念の為に古屋の外で玉井、野間、岡田の3人が交代しながら見張りに立つとの事だった。少女は自分も見張りをすると主張したが、育ち盛りは寝てろ、と言われて甘える事にした。
分厚い角巻を半分に折って枕がわりにし、古屋の中に置きっ放しにしていた蓑を被って横になる。
角巻の中に隠しておいたロザリオが頬に当たり寝心地が悪いので、一度起き上がって位置の調整をしていると少し離れて横になっている野間が声を掛けて来た。
「あの十字架のヤツか?何で首に掛けずにそんな所に仕舞っている?」
「私がクリスチャンじゃないからだよ。母の形見だから持っているだけ・・・」
野間はまだ何か言いたそうだったがアンは気付かない振りをして横になった。
『人間としての一線を越えるくらいなら死になさい。』
喧嘩をする度に実母にロザリオを握らせられながら言われた言葉を思い出し、赤毛の少女は苦々しい気持ちになり呟いた。
「分かってるよ・・・。」
◇
アンが眠ったのを見計らい、3人は話し合っている。
「ちゃんとあの娘に刺青囚人の話をすべきだっただろうか?あの娘が刺青のある妊婦を捕まえて連れて来たらどうしたら良いのだ?」
「いや、あれで良かったと思います。」
「アイツにはまだ知らせなくても良い事です。」
玉井が頭を抱えてボヤいた一言を野間と岡田は否定した。今後単独行動を取る赤毛の少女が自ら危険な事に首を突っ込まない様に。
それに刺青を入れている妊婦などアイヌの女以外にはいない、いたとして往来ですれ違っても分からないーー3人の共通見解である。
江戸が終わり明治になり、西洋の列強諸国と肩を並べる為に日本政府は様々な施策を取った。富国強兵、廃仏毀釈、鹿鳴館の建設・・・その中で刺青は野蛮な文化として政府から問題視され規制の対象となっている。ただ皮肉な話で、それこそ鶴見中尉の言っていた様に、海外では日本の文化である刺青に興味を持つ人間は少なくない。
しかし日本人に於いてはこのご時世に刺青を入れる等まともな職業の人間ではないのは間違いなかった。刺青を入れる風習のあるアイヌの間ですら廃れつつあるのだから。
はて・・・
彼女を造反に巻き込んだのは誰だろうか。入院中の上等兵、尾形百之助であり、彼と少女はこの後に合流する予定だ。
ーー尾形上等兵がちゃんと説明してくれる筈だ。
3人の軍人は説明責任を放棄した。
◇
アイヌの金塊についてまともな説明がされないまま、軍人3人と少女1人、馬3頭は網走に到着した。
玉井達3人は騎兵ではなく歩兵である。日々の修練の中には騎馬は含まれておらず、馬に乗れない訳では無いが不慣れではあった。足腰の普段あまり使わない筋肉にかなりの負担がかかっているようで、野間でさえも筋肉痛に苦しんでいる。
それでも何とかアンと尾形が合流する日まで10日を残す事ができた。
網走に着いてからは4人とも軍服から着物に着替えた後、少女の案内で安く泊まれる木賃宿や知人の営む蕎麦屋、匿ってくれそうなアイヌの集落、郵便局等を案内した。そして野間と岡田の馬を売って金を作り3人と別れる。小樽へは行きと同じく『赤兎馬』に乗ってアンが一人で行くのだ。
「余計な事は考えず、尾形上等兵と合流する事だけを考えなさい。」
別れ際に心配そうな顔で玉井に告げられて神妙な面持ちで頷き遠ざかって行く少女。着物の下に股引きを履いて馬に一人跨っている。
3人は彼女が何事も無く小樽に着くのを願うしか出来なかった。
◇
案内人の少女と別れた翌日、網走にて早速情報収集にあたる玉井達。第七師団はまだ誰も来ていない様なので、代わりに網走の脱獄囚の情報を集めている。
夜、蕎麦屋で3人が合流した際に岡田が拾った新聞を持って来た。日付けは昨日になっているが気になる記事があったとの事だった。
卓上に広げた新聞を蕎麦が来るのを待ちながら3人で読む。
「銀行強盗か・・・。」
「まぁ、釧路の話なんですが少々気になりまして拾って来ました。」
「40くらいの男の単独犯、行員一人を射殺するも何も奪えず走って逃走・・・か。おいおい、この犯人は馬の追跡を振り切っているのか!?」
「稲妻強盗ですかね。」
野間の呟いた一言に玉井はギョッとした。
稲妻強盗こと坂本慶一郎、韋駄天に例えられる程の健脚の持ち主である。かつて樺戸集治監から脱獄した後も悪事を重ね再び捕まった後は網走刑務所に送られた。
彼の上半身にはアイヌの金塊の隠し場所を記した刺青が彫られている。
あのお転婆が騒動に巻き込まれ、いや、自ら首を突っ込まないか心配になった。『刺青妊婦』と思っている筈だが気が気では無い。
「稲妻強盗なら単独犯はおかしいだろう。お銀は何処にいったのだ。」
玉井は否定した。
稲妻強盗には妻がおり、名をお銀と言う。常に悪事を働く時には夫の坂本の側で協力をしている凶悪な女である。
「離婚でもしたんじゃないでしょうか?稲妻が網走収監中の間は会いたくても会えなかったでしょうし。」
「いや・・・」
玉井は岡田の離婚の一言を否定したい気持ちがあった。彼には故郷に残してきた妻があり、子どもこそいないものの仲睦まじくしていたのだ。脱走兵の彼は今後の計画が上手くいかなかった場合、離縁状を彼女に送らねばなるまい。
稲妻強盗でなければ良い、複雑な気持ちでそう願った。