ある悪人の前半生   作:土鳩

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楽園の蛇

 

尾形との約束の日まで残り3日、アンと稲妻夫婦、それに馬一頭は日高に入った。目指すは、日高に広大な牧場を所有するアメリカ出身の知人の元である。旧知の彼の所なら空いた馬小屋が借りられるという期待からであった。

当初の予定からかなり遅れ、お銀の体調に気を配りながらの旅は予想以上に時間がかかった。

おまけに途中で路銀が尽き、説得も失敗して再度強盗をする羽目になり稲妻に協力した。

“お前、才能あるぜ”と嬉しくも無いお褒めの言葉を強盗の大先輩に頂き、赤ゲットの少女は感極まって涙目になった。彼らに更に気に入られたようだ。

 

尚、稲妻はお銀にとっては良い夫なのかも知れないが夜の営みを一切控える様子はなく、お銀の身体に障るからと説明しても二人とも気にする様子も無い。

仕舞いには、羨ましいのかだの、アンタも加わるかだのと言われて全力で遠慮し、忠告を諦めて今に至る。

 

尾形との待ち合わせにはもうどう足掻いても間に合わない・・・アンは悲しかった。

 

「なんだい、元気が無いねぇ。」

 

「俺達夫婦の仲の良さを見ていて恋人とやらに会いたくなったんだろ。」

 

「元気をお出しよ。アンタは貧相ったいけど器量は悪く無いんだから、アンタの男もちゃんと待っててくれているさ。」

 

夜、知人の農場に向かう途中の安宿にて、まさかのお銀に慰められた。

腹が立つ事に稲妻夫婦の言っている事は1割位は正解だ。ただし会いたいのは恋人ではなく、小樽一邪悪な上等兵である。

あの邪悪な男に比べたらこの2人は凶悪かもしれないが単純だし可愛いものかも知れない、多分、きっとそうだ、そうに決まっている。

 

今夜の宿は他の部屋が全部埋まっていた為、八畳くらいの一部屋に3人で泊まった。恐らくそのうち2人とも少女に遠慮などせずに睦み合うだろう。

人間の男女だと思うから駄目なのだ。夫婦がしている行為は『オチウ』では無い、動物のする『ウコチャヌプコロ』だ、山暮らしの時に何度か見たやつだ。ーーそう考える事にした。

 

 

ーーいつ産まれるんだろう。

 

稲妻夫婦が今夜も目の前で営み始めた為、結局耐え切れずに旅館の外に出て夜空の星の観察をしながら物思いに耽るアン。

残念ながら雲が出ており、玉井座の顎には薄墨色の雲の顎髭が出来てしまっているし、野間星と岡田星は雲の中に完全に隠れてしまった。

・・・尾形座はやはり作れない。

 

ーー死んだりしてないよな・・・。

 

小樽で最後に尾形のお見舞いをした時に腹立ち紛れに“死ねばいい”と思ってしまった事を後悔した。少女は超能力など持ち合わせていないが、人が念じる事によって何かしらの結果が出る、とは聞いた事がある。

 

宇佐美は尾形を疑っていたし鶴見中尉だってそうだ。いつ造反を理由に殺されても不思議は無い。そして自分だって鶴見に狙われている。

 

そんな危険の中、少女は約束に間に合わないながらも小樽に戻ろうとしている。

少し前の彼女なら間違いなくこの時点で尾形も玉井達も放置して、北海道の僻地に逃げるか、アイヌの集落に飛び込むか、在日イギリス人あたりの家に助けを求めて国外逃亡を図っていただろう。

 

いや、やはりここは逃げるべきだろうか・・・自分の心の変化に戸惑いながらもそう考え出した時、背後からお銀に声をかけられてアンは我に返った。

 

「アンタ、何処に行ったのかと思ったらまた星を観てたのかい?ちょっとおいでよ、大事な話があるんだから。」

 

大事な話とは何だろう、赤子の名前を決める話し合いだろうか?

数日前にこの愉快な夫婦は赤子の名前を『じいざす』にするとか言い出したので、アンは全てのキリスト教徒と子供の将来を慮って決死の覚悟で止めたばかりだ。

ゲンナリしながらお銀に促されて宿の部屋に戻ったアン。

 

そこには上半身裸の稲妻がいた。

 

 

真っ直ぐに太く引かれた線、緩やかに弧を描いている線、円の中には一文字の漢字が書かれている。

坂本慶一郎の上半身と二の腕にはそれらの模様が広がっていた。

 

墨や木炭で書かれた落書きなどでは決して無い。

誰か別の人間によって彫られた刺青だ。

鶴見の執務室で見た物とは柄が異なるが同じ物ーー。

 

「これは・・・?」

 

「やっぱり見るのは初めてかい?慶さんのはアイヌの金塊の在処を示す『24枚の暗号』のウチの1つさ。」

 

稲妻の背中をまじまじと眺めるアンの後ろからお銀が答えた。

 

ーー24・・・“枚”だと?

 

『体』ではなく『枚』・・・。やはりそうなのか。

薄暗い部屋の中、アンは布団の上に胡座をかいて座る稲妻の背中、二の腕、胸、腹に入れられた刺青の全ての線を指でなぞりながら何処に繋がっているかを我を忘れて確認する。

二の腕の下、胸と腹の刺青は線が途中でズレて、否、途切れていた。

こんなにじっくりと刺青を見られたのは初めてだった様で、稲妻は僅かに狼狽えているし、お銀は夫の身体を撫でている様にも見えるアンに対して少し不機嫌になっていた。

 

「もう満足だろう?」

 

お銀が稲妻の身体にシャツを被せてアンの観察を中断させる。

 

「酷い・・、明らかに身体から皮を剥がして使うように出来ている。」

 

アンの呟いた一言に夫婦は目を丸くした。

 

「よく分かったな、その通りさ。網走の脱獄囚24人全員に彫られている。全部揃って漸く暗号が解けるらしい。」

 

「一応猟師だから獣の皮を剥ぐのが仕事だしね。正中線で線が途切れているだろう?あと、この刺青入れた奴日本人じゃないな。多分だけど大陸の人間じゃないか?」

 

「いや、『のっぺらぼう』は日本のアイヌだ。」

 

「そうなのか・・・?ん、のっぺらぼう?」

 

アンには、人間の生皮を剥いで道具とする発想なんて戦国や鎌倉ならともかく、この時代、しかも農耕民族の日本人がするとは思えなかった。殺人を忌避するアイヌにしてもそうだ。どちらかと言うとユーラシア大陸の人間、清国やロシア、ヨーロッパ、もしくはそれらの国境を荒らしていた遊牧民や少数民族などが思いついたのだが、どうやら違うらしい。

しかし『のっぺらぼう』とは何だろう。

 

「網走監獄に収監されている囚人だ。頭の皮が無いからそう呼ばれているのさ。」

 

服を着ながら答える稲妻、着替えを手伝うお銀。

一方でアンは茫然としていた。

 

玉井は油紙に映しても良いとは言っていたし、それでも問題無く暗号の一部として機能するだろう。

しかし囚人の刺青の写しを取り、その囚人を生かしておくと言う事は、原本となる囚人の身体から今後何枚でも暗号を模写できてしまう事に他ならない。

現時点で金塊を狙っていると分かっているのは鶴見中尉の第七師団、尾形が繋がっている中央政府、そしてこの稲妻夫婦ーー。他の刺青囚人達だって金塊を狙っているのがいるはずだ。

他を出し抜く為には捕まえた刺青囚人は殺して皮を剥がなければならない、『原本』を世間に放つ訳にはいかないだろう。

 

「悍ましいな、こんな物を人間に彫る発想をする奴は。」

 

赤毛の少女はそう呟いたが、しかし同時に恐ろしく頭の良い人間だと感じた。全て揃えた時の完成図が頭の中に出来上がっていて、それを時間をかけて24人の身体に分けて彫る、しかも監獄の中で・・・。

 

「悍ましいとか言う割に、アンタ笑っているじゃないか。」

 

「へ?」

 

「あぁ、笑ってるぜお前。」

 

稲妻夫婦に思わぬ指摘をされ、アンは思考を中断した。

 

ーー笑ってる?

 

両手を顔に当てて顔面の筋肉の動きを確認するも、分からなかった。

 

「だからアンタの事を気に入ったんだよ。あたし達と同じ人間だってね、出会ってすぐに分かったのさ。」

 

微笑みながら話すお銀に、少女は酷く困惑した。

 

 

知人のアメリカ人牧場主のエドワード・ダン、通称エディー・ダンの牧場に到着したのは尾形との待ち合わせの日を翌々日に控えた日の昼であった。

 

この牧場主のダンと言う男、全裸になって民俗衣装を着て踊るという謎の悪癖がある以外は、極めて真っ当で典型的なアメリカ人である。

つまりは成功する事に貪欲で開拓精神が強く、薄情かと思いきや能力が高いと看做した相手には心を許す男であった。

そして先祖の母国でありかつての敵国のイギリスと言う国に対し、何かしらの強い感情を持っていた。

 

初対面はアンが知人のアイヌからタダで貰ったボロボロのアットゥシを高値で売りつけられないかと考えて彼の所に持ち込んだ時だ。

当初ダンはボロボロのアットゥシと見窄らしい赤毛の少女を一目見て鼻で笑っていたが、"イギリス人の父親に見捨てられた”と話すと一転、“これだからアイツらは”等と言いながら態度が軟化した。

同情されたのかアットゥシはそれなりの値段で買い取ってくれたし、いつか役に立つと言って英語も教えてくれ、教材として洋書もくれた。

鞭とパチンコも彼からのお下がりである。

恩人であり師匠でもある男だが、去年、少女が彼の部屋の扉を開けた瞬間に彼が全裸にアザラシの皮で作られた民俗衣装を着ているのを目撃した時は、互いに5秒間見つめ合った後にそっと扉を閉めて無かった事にした。後で彼には部屋に入る前にノックして欲しいと呟かれた。

 

ダンの牧場は広大で多くの馬が放牧されており何人もの日本人を雇ってそれらの世話をさせていた。

牧場の入り口に稲妻夫婦と赤兎馬を待たせてダンの屋敷に向かうアン、金持ちになったらこれ以上の物が欲しいな、等と思いながら歩く。

以前来た時より少し馬の数が減っている様に感じたが、ここの馬は競走馬として人気があるので売られて行ったのだろう。

だとすると馬小屋には空きもあるだろうし、稲妻夫婦の希望する『名馬を出した馬小屋』の条件にぴったりだし、色々と無理をさせてしまってかなり疲れている赤兎馬を休ませてやる事もできる。

 

ーー尾形、ごめん。少し遅くなるけど必ず小樽に行くから待っていてくれ!

 

少女はダン家の扉を叩いた。

 

 

「ダンさん。旅の途中で仲良くなった妊婦がいて今にも赤ちゃんが生まれそうなんだ。余っている馬小屋で良いから貸して下さい。お願いします!」

 

ダンの自宅の応接間にて、イギリスと日本の混血の少女は50前後くらいの白人のアメリカ人牧場主に頭を下げた。

 

「馬小屋って・・・、まさかそこで産むつもりか?クレイジー過ぎる。空いている部屋があるからそこを使いなさい。」

 

アメリカ人牧場主は親切にもそう言ってくれるが、残念ながら余計なお世話だった。

 

「馬小屋が良いんです!」

 

「・・・もしかして宗教上の理由かね?」

 

「ある意味そうです!」

 

新興宗教だろうか、ダンはそう感心しながら空いている馬小屋を貸す事を了承した。

更に好意に甘えて出産経験のある女中1人と馬の出産を詳しく書いた専門書も一冊借りる。残念ながら人間の出産に関する本は無かったのだ。

最後にダンは気になる一言を残した。

 

「熊が出る時期だから昼間でも戸締りだけはしっかりしておくように。」

 

アンは顔面蒼白で頷いた。

 

 

お銀に破水と陣痛が始まったのは翌々日の朝だった。

 

当初破水したお銀は“あら嫌だね、ヌルヌルしてるよ”などと呑気にしておりそのまま慶さんと致そうとしていたのを、アンは必死になって引き剥がす。

そして疲れが取れきっていない赤兎馬に跨り、半泣きになりながら無理矢理走らせてダン家の出産経験のある女中を呼びに行った。

 

その後ダンに借りた本の通りに馬の出産準備しかしていなかった少女は、ダン家の女中にしこたま叱られながら清潔な布や桶、お湯、臍の緒を切る鋏など必要そうな物を揃える。

慶さんは羆を警戒して馬小屋の周辺を散弾銃を持って歩き回っており手伝いは頼めない。偶に昼寝をしている様に見えた時もあるが少女の気の所為だろう。

 

その後は陣痛がきつくなってきたお銀を、梁から垂らした縄にしがみつかせ、膝立ちにさせる。

陣痛に苦しむお銀に罵られ、暴れられ、蹴られる。

 

馬糞の匂いが微かに残る、赤兎馬以外の馬がいない小さな馬小屋でーー

 

飛び交う怒号、

蹴られて吹き出す鼻血、

妊婦を必死に抑えて吹き出す汗、

 

それでも彼女の足側で励ましながら耐え忍び、何とか夕方過ぎに稲妻夫婦の赤ん坊は生まれた。

奇しくも尾形と待ち合わせしていた日時であった。

 

「うまれたぁ・・・」

 

魂が抜けるような声で一言呟き、よく洗った清潔な手で赤子を取り上げるアン。最早、身も心もボロボロである。

出産の指導をしてくれた女中は稲妻夫婦が苦手な様で、その後の処理と助言だけしてそそくさと屋敷に戻ってしまった。

 

「可愛いもんだな、男の子か。」

 

稲妻が嬉しそうに呟いた。

お銀は仰向けに倒れて疲れ果てて動かなかったが、赤子を手渡すと愛おしそうに抱いたので、少女が安心したのも束の間・・・

 

「じいざ・・・」

 

「その名前は駄目!!」

 

アンは慌てて止める。少女は赤子の名付け問題を忘れていたのを思い出した。

不服そうに異議申し立てをする2人に対し、赤毛の少女は疲れ切った頭を何とかブン回したが妙案は浮かばず珍案しか出せなかった。

 

「『聖徳太子』はどうだろう・・・。」

 

「誰だよそれ。」

 

「長い名前だねぇ。」

 

2人とも不服そうだし、どうやらこの人物を知らないようだ。何で『ジーザス』を知っていて『聖徳太子』を知らないんだ、と思いつつ、中途半端な知識を与えた熊岸とやらを怨みながら、アンは説明した。

 

「聖徳太子も馬小屋で生まれて日本に仏教を広めた偉い王子様だ。今じゃ彼自身が信仰の対象になっている所もある。」

 

『王子』の響きが夫婦の心に刺さったようだ。2人して無垢な赤子に一生懸命に“聖徳太子”と呼びかけている。

 

ーー知らない、私は悪くない、私の子供じゃないし。

日本人の名前が付いただけマシだ。

 

アンは真っ白になった頭でそう考えた。

 

 

尚、後日、鶴見中尉がこの赤子を一時的に引き取る事があり、赤子のおくるみの名札に『聖徳太子』の文字を見つけて酷く困惑するのだが・・・それはまた別のお話だ。

 

 

馬小屋の藁に敷かれた筵の上で、お銀は愛しそうに我が子を抱き続けていた。直ぐに飽きて赤子を放り出すだろうと考えていたアンには意外だったと同時に、何とも悲しくなった。

お銀が赤子に興味を無くして直ぐに放り出すような女だったらこんな気持ちにはならなかっただろう。

アイヌの金塊争奪戦には軍や政府が加わっており、この夫婦に勝ち目など見えない。いつか何処かで稲妻は殺されて刺青を奪われ、その時はお銀だって死ぬ。下手すれば赤子も・・・。

 

「慶さん、アンタの刺青を写させてくれないか?」

 

お銀に向かい合って赤子を眺めている稲妻に対し、アンは頭を下げた。稲妻に怒られるどころか、殺される覚悟もした上での発言である。

 

「お前は俺達と一緒に行動するんだからそんな必要は無いだろうが。」

 

呆れ顔の稲妻の返答に、少女は勘弁してくれと心の底から思いながらも話を続けた。

 

「慶さんの刺青の模写を大量に作って北海道中の目立つ所にばら撒くんだよ!そうすればアンタの刺青は価値がだだ下がり、金塊を狙っている他の奴も模写が手元にあればアンタを狙う事は無くなる・・・多分!」

 

「なるほどな。」

 

「今更無理かもしれないけど、お銀と子供の為に金塊には関わらない方が良い。出来れば何処か遠くでひっそりと静かに暮らした方が・・・。」

 

「アン、お前は俺達夫婦がそんな生き方出来ると本気で思っているのか?」

 

無理だろう、少女は言葉に詰まった。この夫婦は本当に誰かに殺されるまで今の生き方を変える事は出来ない。無理して変えようものなら、彼らにとって味気も意味も無い人生になるのが目に見えているのだから。

しかし今の生活を続けていたら間違いなく破滅する未来しか無い。

 

3人の間に沈黙が続く中、それまで黙っていたお銀が笑いながら口を挟んできた。

 

「フフッ、ガキが余計な心配をするんじゃ無いよ。あたしは慶さんと一緒に走り続けられたらそれで幸せなのさ。止まったら死んじまうよ、きっと。」

 

「ワケが分からん!!」

 

アンは憤慨しながら2人、いや3人から離れて馬小屋から出て行った。

完全に自分の意見が通らなかった故の行動だが、一応は3人を思って命懸けの交渉をしたつもりだったので子供の意見扱いされて虚しくなった。

 

夜の風に当たりながら血が上った頭を冷やす。

恐らくあの夫婦は長生きできないだろう、生き方が刹那的過ぎる。

 

ーー本当に馬鹿な連中に関わってしまった、さっさと小樽に行って尾形に会わなければ・・・

 

苦々しく思いながら小樽の街のある西の方角に顔を向けると・・・。

 

夜の闇の中、2つの光る物が見えた。

獣の目だ。

 

ーー羆!!

 

ソロソロと後ろ足で馬小屋に戻り、稲妻に羆の事を伝える。

すぐさま散弾銃に弾を込めて馬小屋から飛び出す稲妻。

 

「慶さん、あれだ!!」

 

アンが指差した先を稲妻が撃つ。

当たったのか外れたのか不明だが、獣の低く唸る声と走り去る足音が聞こえた。

 

「・・・これ以上はここに長居出来ねぇな。」

 

羆に場所を覚えられた。

アンも、奥にいるお銀も真っ青になり同意した。

 

 

「じゃあなアン、また小樽で会おうぜ。」

 

「小樽に着いたら恋人とやらを紹介して頂戴よ。4人で刺青を集めようじゃないか!」

 

翌日の昼頃、稲妻とお銀と聖徳太子はダンの牧場を出て行った。アンが牧場主から買い取った馬に3人で乗って行く。

 

少女はダンと一緒に彼らを見送った。

お銀の体調もあるから強盗は休業するように伝えたので、暫くは大人しくしているだろう。本当は子供の為を考えると、せめてあの子が成人するまで夫婦には大人しくしていて欲しい気持ちはあるが。

 

アンは赤兎馬の体調が戻るまでは残る、と言い張ってやっと愉快な夫婦から解放された。小樽に着いたら合流すると約束したが、勿論約束を守る気はない。

 

「あの男が例の羆を退治してくれる事を期待したんだがな・・・」

 

「例の?」

 

「あぁ、いや、何でもない。」

 

ダンの漏らした一言が気になったが、先に赤兎馬の馬小屋の変更と、ダン家の、アンが泊まる予定の部屋に荷物を移動させなければならないので気にしない事にした。

 

「ところでアン。君も小樽に行くつもりかね?」

 

深刻そうにアメリカ人牧場主は少女に質問してきた。いつもの彼とは違う雰囲気だった為、アンは答えるのに一瞬躊躇する。

 

「・・・待ち人がいますから。駄目でしょうか。」

 

「やめた方が良い。出来れば北海道・・・いや日本から出た方が良い。アメリカの私の知人の家に行かないか?ほとぼりが冷めるまでの間だけでも良いから。」

 

「ちょっ・・・え?どうして?ほとぼり?」

 

わけもわからず狼狽える赤毛の少女をダンは自宅の応接間に引っ張って行った。

 

 

「小樽に馬具の買い付けに行っていた使用人が持ち帰って来た物だ。君の事で間違いないね?」

 

ダン家の応接間にて、アンはこの家の主人から一枚の紙を渡される。それは犯罪者の人相書きで、似顔絵と名前、罪状が書かれている。赤毛の少女の白い顔は更に真っ白になり手も震えているのを見て、アメリカ人牧場主は溜め息を吐いた。

 

「何で兵舎なんかに火をつけたんだ。しかも止めに入った兵士を刺し殺すとは・・・。」

 

「違う!私じゃない!!」

 

「でも第七師団とか言う屯田兵達は君を犯人として血眼になって捜しているそうだぞ?」

 

アンは混乱している。

強盗の手伝いをした時は自分は一切疑われずに、赤ゲットの女はお銀だと思われていたのを新聞で確認した。しかし小樽の兵舎の放火殺人は関わってはいたが自分の犯行では無い。あれは、野間と岡田と謎の男による初めての共同作業であり、少女は遺体に点火を促しただけだ。

 

「捕まったら死刑は免れないだろう。ここに留まって今後の事をゆっくり考えなさい。」

 

ダンに優しく声を掛けられ少女は黙って頷いた。

 

 

二階堂浩平は陸軍第七師団歩兵27聯隊に所属する一等卒である。

彼にはつい先日まで洋平という双子の兄弟がいた。

鶴見中尉の命令で第七師団はアイヌの埋蔵金を探しているのだが、それの鍵となる網走の脱獄囚の刺青を探している男に洋平は殺されてしまったのだ。

 

その男は『不死身の杉元』と呼ばれている日露戦争にも出た元軍人である。

二階堂浩平は亡き洋平の仇を討ちたかったが、彼には中々その機会は巡ってこなかった。

 

ある日の夕方、二階堂は小樽の町外れにある飲食店に入った。

店の入口近くの二人がけの席には、彼と同じ軍服の男が座っており、卓上には男が注文したらしい料理の空になった皿があったが、何故かその向かいの空席には店の品書きには無い手付かずのアンパンが置かれている。

 

その男は軍人と言うには明らかに様子が違った。

髪型は坊主では無く、頭の上半分の毛を長く伸ばして後に流しており、他の髪の毛は刈り上げてしまっていて軍帽を被っていなかった。そして口の両端から顎にかけて痛々しい縫合跡が見られた。

 

彼は3日前の昼に病院を脱走した上等兵、尾形百之助である。

尾形は脱走前、同じく上等兵の宇佐美に仲間と恋人が死んだと揶揄われて激怒し、おまるで宇佐美を複数回殴っていたらしい。事件現場にいた、行方不明の野間にそっくりな一等卒から聞いたので間違い無いだろう。

尾形という男は冷たい人間だと思っていたので、初めてそれを聞いた時二階堂は驚いた。

 

「またこの店に来ていたんですか、3日連続ですね。」

 

「あぁ。」

 

二階堂が話しかけると、男は愛想無く答えた。彼はどうやら3日前に恋人の田中安という赤毛の少女とここで落ち合う約束をしていたらしいが、今日も現れなかったようだ。

 

「・・・やはり死んだのか。」

 

尾形はポツリと呟いた。

 

「田中なら結局死体は見つかって無いようですよ。あの小娘、兵舎に火を付けて稲井上等兵殿を殺した疑いがかかっています。」

 

「アイツにはそこまでの事は出来ん。鶴見に監禁されていたらしいんだぜ、どうやって火をつける?稲井だってただの兵卒じゃねぇ、アンには稲井を刺し殺すなんざ無理だ。」

 

「はぁ、知りませんよ。」

 

二階堂は溜め息を吐いた。

彼は2日前に軍を脱走したばかりであり、この街をいつまでも彷徨くのは危険だ。それでもここに残っているのは、一月程前に行方不明になった捜索隊4人の情報を集める為だった。尾形曰く、4人のうち3人は自分達の味方らしい。

そして恋人の田中も実は外部の協力者だったらしい。

 

二階堂がこの奇妙な男に上官の鶴見中尉への造反をそれとなく誘われたのは3ヶ月前だった。

その時は返事を濁したが、その後双子の洋平が不死身の杉元に殺されたのに復讐の機会が得られず苦しんでいた時、病院を脱走したばかりの尾形に改めて造反に誘われた。

 

杉元を殺させてやるから協力しろ、と。

 

復讐の鬼と成り果てていた二階堂は即座に誘いに乗った。

 

「ところで新しい情報はあったのか?」

 

尾形が暗い眼を二階堂に向けながら尋ねてきた。彼の手元には灰皿があり、山盛りになった吸い殻が入っている。

間違いなく尾形は緊張しているか苛立っている、二階堂は慎重に返事をする事にした。

 

「アイヌの村に匿われていると噂の男ですが、どうやら27聯隊の人間ですね。アイヌと交流のある町の人間によると、『背が高く』て『助平な小熊ちゃんみたい』な『少しムッチリした』男だそうです。」

 

 

その瞬間、尾形の眉間に深い皺が寄った。

 

 

「玉井伍長でも野間でも岡田でもねぇ、明らかにアイツじゃねぇか。恐らくアイツが鶴見にバラしてアンは監禁されて焼け死に、玉井伍長達も・・・」

 

尾形の殺気走った目を見て二階堂は寒気がした。しかし尾形はそれにも気付かずに項垂れてブツブツと呟いている。

 

「こっちだって誰かれ構わずに誘っているワケじゃねぇんだ。漸く動き出せるって時にあの野郎のせいで・・・。」

 

二階堂は焦った。自分達兄弟が、兵舎から逃亡を図ろうとしていた少女を取り押さえた等とこの男にバレたら殺されてしまうだろう。

 

「と・・・ところで他にも造反を考えている人間はいないのですか?我々2人ではちょっと心元ないと思いますが。」

 

「・・・もう1人いる。しかし別行動だ。」

 

「そうですか。」

 

二階堂には1人だけ造反仲間の心当たりがあった。

 

ーー小宮かな?小宮のヤツ、朝飯の配膳の時にヘラヘラしながらあの娘の部屋から出て来た。ヤツに注意したら、喋って無いとは言ってたけど明らかに会話していたみたいだった。火事の時だって田中が逃げてないのを最初に気付いてたし、死体が出た時は隠れて泣いていた。

 

突如尾形は椅子から立ち上がり、亡くなったと見られる少女の陰膳代わりだったアンパンを頬張りながら、二階堂を連れて店を出る。

 

 

「行くぞ二階堂、『谷垣狩り』だぜ。」

 

「はい。」

 

山へ向かう尾形の一言に、二階堂は答えた。

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