ある悪人の前半生   作:土鳩

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ちんぽ博士と土方氏

日高を出た赤毛の少女は、2日後に小さな宿場町に立ち寄った。この後は茨戸、札幌、そして小樽に向かう予定である。

少し遠回りして茨戸に寄るのは、新聞記事で読んだヤクザの抗争に現れた凄腕狙撃手の存在が妙に引っかかったのだ。

 

荷馬車に乗せてくれた親切な農夫のお陰で、1日でかなりの距離が稼げた。江別の手前の小さな宿場町に到着したのは夕方頃、宿場町なので宿屋は多いがお金も無いので節約の為に野宿を考えたが、その前に向かう先の情報収集をする為に古い廓に立ち寄った。

軍人が来ている可能性があるので念の為、稲妻から貰った赤ゲットを深く被る。

小さくボロい廓の入り口では、とてつも無くガタイの良い大男と梅干のような遣り手婆が揉めていた。

 

「良い娘が揃っていると言うから来てみたら、揃いも揃って俺より年上ってどういう事だよ。」

 

「そうは言ってもねぇ、ウチの娘達は若く見えるだろ?それにお客さん、アンタ十分楽しんでたみたいじゃないか。」

 

「はぁ、わかってるよ。」

 

男はブツクサ言いながらも上着から札束を取り出して何枚か抜き、梅干しバァさんに渡した。受け取ったバァさんは紙幣に目を近づけて漢数字を確認している。

 

ーー金持ちが何でこんな寂れた町に?

 

大男は年は40くらい、背は2メートルくらいはある様に見える。洋服の上からでも筋肉がみっちりと詰まっているのが伺える素晴らしい身体つきだ。前世は旧約聖書に出て来た、ダビデ王と闘った巨人のゴリアテに違いない。ダビデは投石機で石をゴリアテの額に当てて昏倒させたが、この男は額に四角く硬そうなコブがあるのでそれは無理そうだ。

アンがパチンコで倒せないか興味本位で男の顔を観察していると、男と目が合った。

 

「婆さん、この娘はもしかしてこの店の?」

 

「へ!?いや、違・・・」

 

「ウチの看板娘だよ。」

 

「クソババァ、ボケてんのか!!」

 

赤毛の少女は口汚く遣り手婆を罵ったが、ゴリアテは嬉しそうに彼女を片手で担いで店の2階に上がって行く。しかし今までに何度も廓で聞き込みをしてきたが、客に店の娼婦と間違われたのは初めてだった。綺麗になった、とアシリパに言われたがお世辞ではなかった事がハッキリした。

しかしこのままだとアンはゴリアテによって本日二つ目の初めての体験をしてしまうのは明らかである。

 

「違う!娼婦じゃない!!」

 

「なんだ、やっぱり初めてか。初めての娘は皆そう言うんだ。」

 

溜め息を吐きながらボロ階段を軋ませて上る大男。

アンは焦った。別に『貞操を守らなければならない』みたいな価値観を少女は持ち合わせていない。

30過ぎまで男を寄せ付けず男に免疫がないまま、フラッと来たイギリスの年上男に心を奪われて身籠った母親は良い反面教師だ。

 

しかし相手が誰でも良いわけではない。

 

部屋に着くと大男はアンを畳に座らせて、自分は向かいに胡座をかいて座った。

そのまま黙って動かない。

 

ーー何もしない?

 

「俺は嫌がる女と生娘にはなるべく手を出さないようにしている。」

 

男の口から出た意外な言葉にアンは目を丸くした。

 

 

小さくて古い廓の一室にて、ゴリアテもとい牛山と名乗った男による説教が始まったのは日没前だった。

 

「男が怖いなら何でこんな仕事を始めたんだ、お母さんが泣くぞ。」

 

「別に怖くないし、母は死んだが・・・」

 

「何と?じゃあお父さんは・・・」

 

「天涯孤独ですが?」

 

「それで食い扶持を稼ぐ為に、いや、もしかして売られて来た・・・か。」

 

「いやいや、そもそも娼婦じゃ無い!さっきのバァさん、目が悪いんだよ。この町自体今日が初めてだ。」

 

訳あって旅の途中である事、会わなければならない人がいる事、小樽や茨戸の情報が欲しくて廓に来た事を伝えた。初対面の人間に喋り過ぎたとは思うが、納得させないと解放されない気がしたのだ。

 

「会わなければならない・・・男だな?」

 

「そうですね。」

 

早く話を終えてくれと思いながら答える。

 

「男の事なら俺に聞くと良い。この間も札幌で『ちんぽ先生』と呼ばれたばかりだ。お嬢ちゃんも俺の事をそう呼びなさい。」

 

「ち・・・?」

 

それは敬称ではなく揶揄われているのでは、と思ったが誇らしげな牛山を見て黙った。しかしとんでも無く直球かつ破廉恥な呼び名である、こんな呼び名を付けたのは小さな男の子に違いない。

しかしこの男なかなかの太っ腹で、アンが今日は野宿をするつもりと言うと最近は何かと物騒だから金の事は気にせずに、ここにこのまま泊まって行け、と言ってくれた。しかも料理まで注文してくれたので迷いながらもご厚意に甘える事にした。危険なのは野宿も同じなら快適な方を選びたい。

 

「じゃあ博士に聞きますが、例えばだよ?待ち合わせをしていたのに大分遅れてしまった場合、男は女を待っていてくれるのでしょうか。」

 

『ちんぽ先生』と呼ぶのに躊躇いがあった為、最初は『先生』と読んだが牛山は納得してくれなかった。しかし試しに『博士』と呼んでみたらその響きが気に入ったのか嬉しそうにしているので、それ以降はただの『博士』で通している。

 

「そうだな、良いちんぽなら待っていてくれる。」

 

「・・・良いちん・・の見分け方はどうすれば?」

 

「残念だが経験を積むしかない。いっぱい経験を積んで見極めるのだ。」

 

牛山はアンがお酌を絶やさなかった為大分酔ってきている。これなら酔い潰れて博士との間に間違いは起こらないだろう。

 

「私を待っている男は・・・悪いちん・・かもしれない。今こうして危険を承知で小樽に向かっていますが、まだ私を待っているとは思えなくなってきました。」

 

「でも待っているかもしれない、だから小樽に向かっているのだな。」

 

「・・・はい。」

 

「俺の連れの爺さん達は小樽や茨戸からきた。もしかしたら何か情報を知っているかもな。ちょっと待ってなさい、呼んで来る。」

 

「え?」

 

まさかの思いがけぬ情報提供者の出現に、赤毛の少女はこの店に来て良かったと心の底から感じた。

 

 

10分程待っていると慌ただしい足音と共に牛山が戻って来た。1人の人物を連れてーー

 

70位の洋装の老人だ。少し細身だが背筋はシャンと伸びて肩より長い髪の毛を後ろに流している。顔立ちは整っており、若い頃はさぞかしモテたであろうと思われた。腰には高そうな日本刀を挿している。

彼は“土方”と名乗った。

 

「・・・田中です。」

 

あの新撰組鬼の副長と同じ苗字の男の色気が凄まじく、赤毛の少女はつい呆然としてしまう。

 

「遅くなって悪いな、もう2人茨戸にいたのがいるんだが、1人は寝ちまってもう1人は・・・、おい土方、アイツは何処に行ったんだ。あの茨戸でお前が拾ったヤツ。」

 

「彼奴ならいつも通りその辺をほっつき歩いている。声を掛けたが“興味無い”だと。」

 

「冷たいヤツだな、アイツ。」

 

牛山はそう呟き、勢いよく壁にもたれかかった。ボロボロの漆喰の壁にヒビが入るのが見えてアンは驚いた。

 

「もしかしてこの牛山に酒を呑ませたのはアンタかね、赤毛のお嬢さん。此奴はこの前札幌で酒に酔って見境が無くなり、ホテルを全壊させた男だ。呑ませるのはやめた方が良い。」

 

「あれは俺一人でやった訳じゃねぇよ、爺さん。」

 

「ヒェッ・・・」

 

2人の男の恐ろしい会話の遣り取りに思わず変な声が漏れた。ちょっと前に新聞で読んだ『札幌世界ホテル』の話だろうか、酔わせたのは逆効果だったようだ。

 

ーー博士もとんでも無いヤツだけど、それと対等に・・・いや、多分牛山はこの爺様に付き従っている。何者なんだコイツらは。

 

「茨戸と小樽の話が知りたい、と牛山から聞いたのだが理由を話してくれないかね、お嬢さん。」

 

土方から話を振られ、オズオズと説明を始めるアン。

 

「実は・・・小樽で人と会う約束をしてまして、約束の日時はもう大分過ぎてしまったのですがどうしても気になるのです。まだ待っているのではないか・・・と。」

 

「相手が怒っているから行けない、ではなく、何らかの事情があるんだろう?」

 

「・・・はい、実は私、濡れ衣で屯田兵に追われています。最近小樽に行った人間から私の人相書が配られている、と聞きまして・・・その、行くのが怖いんですよ。」

 

「オイオイ、軍が人相書を配るなんて何をしたんだよお嬢ちゃん。」

 

酔ってホテルを全壊させたと思しき男が驚いて赤毛の少女を見た。土方は牛山を片手で制し、話を続ける。

 

「茨戸の情報が欲しい理由は?ここから小樽に行くなら遠回りだろう?」

 

「・・・新聞でヤクザの抗争の記事を見て・・・知人がいるかも知れないんです。」

 

「ふむ・・・」

 

土方は黙って腕を組み、赤毛の少女をじっと見る。嘘を吐いていないか確認しているようだが嘘ではない、多少隠している事はあるが。

 

「・・・私達がいた時、ちょうど茨戸は抗争の最中だった。日泥の親分夫婦は死に、馬吉一家も死んだ。警察署長もだ。」

 

「はい。」

 

「日泥の若衆達も大勢が死んでいる。だが住人の被害は特に無いし日泥の息子と妾は出奔した。」

 

「知ってます。」

 

ここまで話して少女の反応を見て土方は気付いた。この赤毛の娘が気にかけているのは地元の住人やヤクザでは無い、余所者だと。

 

「馬吉側についた狙撃手の事を知りたいのだな?」

 

土方はニヤリと笑って言った。あっさり見抜かれたアンは焦った。

 

自分はいつからこんなにチョロい人間になってしまったのだろう、なるべく情報は隠しながら表情も気を付けて話したつもりなのに初対面の爺様に見抜かれてしまった。

 

ーーあたまがわるくなっているかもしれない!!

 

精神的な負荷の為だろうか。

ここ半年だけでも一生分の災厄が一気に来ている。今思えばあの邪悪な男に関わってしまったのがいけなかった。あの男に出会ってから、陰謀の片棒を担がされ、羆に2度も襲われ、監禁された挙句火事にあい、貯金を失うわ、強盗と出産の手伝いをさせられるわ、濡れ衣着せられるわ・・・半分は自業自得のところがあるものの全ての切っ掛けはあの邪悪な上等兵である。良い事もあったが釣り合わなさ過ぎる。

 

「・・・何で私の聞きたい事が分かったんですか?」

 

「お嬢ちゃん、自分を責めているような顔をしてるが、そもそもこの爺さん相手に隠し事は無理だ。全部話しちまいなよ。」

 

優しく話しかける牛山に、渋々頷く赤毛の少女であった。

 

 

「新聞で読んだだろうが、実は日泥に加勢した侍達とは私ともう一人の連れの事だ。」

 

「へ?」

 

突然の告白にアンは目を白黒させた。ただ者では無いとは思っていたがやはりそうだ。新聞にあった『凄腕の爺さん侍達』だ。

 

「私らが日泥に雇われる事になった日、彼奴と初めて会ったのだ。」

 

土方は馬吉側についた狙撃手の話を始めた。

 

理髪店からケツアゴ署長の頭を掴みながら出て来て意味不明な脅迫をしながら通りを歩いていた事、出会い頭にいきなり小銃を発砲して2度も鐘楼の鐘を鳴らした事、馬吉側に付いてチンピラ共に指図しながら狙撃をしていた事、銃で撃たれながらも日泥の番屋に火を点けたこと・・・

 

「彼奴は第七師団の鶴見中尉の元から脱走してきたらしい。今は私達と一緒に行動している。」

 

ーーあぁ尾形だ、多分そうだ。ここまで破天荒な男だとは思わなかったが。

 

「名前は『尾形』って言うんじゃないですか?」

 

アンの問いかけに土方と牛山は頷いた。

 

ーーあぁ、やっぱり尾形だった。良かった、生きてた!

 

自分が日高でもたついている間に尾形は軍を脱走し、自力で新しい仲間を得ていた事に少女は感心した。新しい仲間も裕福で頼もしそうな連中だ。

玉井達の脱走の日から連絡が取れなかった為、きっと自分と玉井達の事も諦めているのだろう。火事もあったし、死んだと思われたかもしれない。

 

でもここの彼らに玉井達3人を加える事ができれば、かなりの戦力になるだろう。

 

 

ーー要らないのは・・・私だけだな。

 

 

「いやいや、助かりました。これで小樽にも茨戸にも行かなくて済みました!」

 

アンは努めて明るく礼を言った。

 

「尾形のヤツ、引き摺って連れて来ようか?」

 

「とんでもない!大遅刻しちゃったんで会わす顔がありません、殺されちゃいます。私は友達のお玉ちゃんと尾形さんのただの連絡係なんで!」

 

「お玉ちゃん?」

 

「尾形さんのアレですよ。お玉ちゃんと尾形さんは私なんかより付き合いが長くて深い仲です。」

 

「健気だ・・・。お嬢ちゃんにもそのうち良いちんぽが出来るさ!!」

 

牛山は何か勘違いをしたようで涙ぐんでいるが、『男』を『ちんぽ』と言い換えているのが色々と台無しである。

 

「良ければ我々と一緒に来るかね?料理や裁縫等女手が助かる事は多い。尾形はこちらで何とか説得しよう。」

 

「いえ、私は日本を出ようと思ってます。取り敢えずはアメリカに渡ってその後にイギリスに行こうかと考えているんです。父の生まれた国なんです。」

 

土方は誘ってくれたが、今更尾形に会わす顔は無かった。新しい仲間がいるなら尚更だ。

間抜けな自分はここであの邪悪な上等兵とは手を切った方が良い、お互いの為にも。

 

「その、ついでに教えて欲しいんですが・・・」

 

「何だね?」

 

「茨戸には私の人相書きは出回っていませんか?何処までが安全か把握だけでもしておきたいんです。」

 

「私がいた時は無かったと思ったが?」

 

「そうでしたか!ありがとうございます。」

 

その後しばらくは食事を囲みながら茨戸での様子や小樽の話を聞くが尾形の話が中心だった。“健気過ぎる!俺が慰めてやる!”と何か勘違いした牛山が酔った勢いで口説いてきたが、土方が庇ってくれた。平常時は紳士的に振る舞うが、酔ったら見境が無くなると言うのは本当らしい。

 

夜遅く、牛山は土方に引き摺られながら自分達の宿に帰って行った。2人には尾形に伝言を頼んである。

少女は去って行く2人を部屋の窓から見送った、

 

 

ーーダンさんの所に戻ろう。でもその前に尾形がいた茨戸の町を見てみたい。人相書が無いならきっと大丈夫だ。

 

アンは消灯して布団に潜ったが、なかなか寝付けなかった。

 

そして気が付いたら・・・泣いていた。

 

 

翌朝、赤毛の少女が泊まった廓の前には3人の男と1人の女(?)がいた。

店から出て来た『ちんぽ先生』こと『博士』こと牛山と彼らは合流する。

 

「ダメだ土方、もう出ちまったみたいだ。」

 

「そうか、まぁ仕方無いな。賢そうな娘だったから引き込めたら良かったんだが。」

 

「おいおい随分とお元気だな爺さん、牛山ならまだしもアンタまで。しかも牛山と同じ娼婦を相手にしているとは面白い。」

 

5人の中で一番若い軍服の男が土方と牛山に軽口を叩くと、揶揄われた二人は思わず舌打ちして若い男に毒吐いた。

 

「「・・・たらしめが。」」

 

「は?」

 

唖然とする若い男を放置して2人は足早に歩き出す。

 

「あ、そうだ。言伝があったな・・なんだっけ?」

 

「牛山、貴様酔ってたから覚えて無いのだな。おい、尾形!」

 

尾形と呼ばれた若い軍服の男は土方の近くに渋い顔で近付く。

 

「田中と言う赤毛の娘からの言伝だ。“お玉ちゃん達が約束した場所で待っているから、必ず会いに行け”だと。」

 

「!?」

 

「健気だ・・・。」

 

牛山の呟きを無視し、尾形は慌てて廓を振り返った。

 

「おい、アンタら!そいつは何処に行くとか言っていたか?」

 

「アメリカに行ってその後イギリスに行くらしい。」

 

違う、そうじゃ無い、牛山の発言に対して尾形はそう言いかけたがやめた。生きているがもう会う事は無いと少女が決めたのだ。

 

ーー玉井伍長達は網走にいると言う事か。

 

「しかしお玉ちゃん“達”とは何だ?1人に絞れ、この色男が!!」

 

牛山の絡みにウンザリしながらも尾形は歩く。決してもう振り返りはしない。

 

土方一行が次に向かうは夕張であった。

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