ある悪人の前半生   作:土鳩

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尾形のすることはすべて良し

旭川にて軟禁なのか監禁なのかよく分からない生活が始まって1カ月半、赤毛の少女は元応接室にて眠気のあまりボンヤリと過ごしていた。原因は淀川中佐の毎晩の鼾による睡眠不足である。酷いものであった。

ある晩などは余りの五月蠅さに分厚い本の角で頭をかち割りたい衝動に駆られ、無意識のうちに実行しようとしていた所を同室の鯉登少尉に止められ、説得されて事なきを得た。見かねた鯉登は翌日他の兵卒を代わりの見張りに立て、淀川を外に連れ出して仮眠を取らせてくれたが、鯉登自身はいつ寝ているのだろうかとアンは少し心配になった。

 

 

今、その鯉登はこの部屋で寝泊まりをしていない。

 

 

2日前の事だ。

その日淀川は朝から用事があり不在だった。

 

「三島と小宮か?2人とも1カ月以上前に尾形の追跡をして山狩りに行った際に・・・。そうか、貴様はあやつらとは知人であったのだな。」

 

鯉登はアンの質問に対し答えを言い淀んでいたが、明らかに『2人は死んだ』と言っているようなものだった。雑談の中で27聯隊の近況を探ろうとしたアンは知人の思わぬ訃報に驚いた。

 

「やっぱり、・・・尾形が撃ち殺したんだな?」

 

「三島はそうだ。小宮は・・・アレもまぁ尾形が殺した様なものだな。」

 

「?」

 

「小宮は尾形に唆されて造反に加わっていたようだ。鶴見中尉殿が自ずから小宮を処刑した。」

 

この男は何を言っているのだろう、赤毛の少女は混乱した。

尾形の造反に加わっていたのは、玉井、野間、岡田、そして自分の4名だけだった筈だ。小宮はむしろ病院での尾形との密談を邪魔しに来ていた男だ、仲間なわけが無い。

強いて言うなら野間と岡田に頼まれて伝言とロザリオを自分に届けただけだ。

 

鯉登は少女の様子を気にかける様子も無く、尾形の悪口と小宮の処刑が正しかった事を自信を持って主張している。

処刑内容のえげつなさにアンは青ざめた。

 

「もし・・・間違いだったらどうするんだ。」

 

「尾形と造反して軍を脱走した二階堂が言っておったのだ、間違い無い。」

 

ーー私達のせいで・・・いや、多分私のせいだ。あの時に会話をしなければ小宮さんは疑われる事もなかったんだ。

 

逃走を諦めて従順にしていた少女の中で、鶴見中尉に対する不信感と恐怖感が未だかつて無い程に膨らんでいく。

 

「・・・ちゃんと調べなよ。あの馬鹿が付くほどの真面目でお人好しの男が、造反なんてするわけが無い。」

 

「お人好しと言うが、聯隊の、特に一等卒以上は過酷な日露戦争を生き残った者達だ。あまり甘く見るな。」

 

「それでも、だよ!!」

 

この男達は一体何をやっているのか、折角過酷な戦場から生きて母国に帰って来たのに未だに殺し合いを続けている。一部の者を除けばいずれ除隊して故郷に帰り、家庭を築いて静かに一生を終えるつもりだったろうに、やはり死ぬ迄戦い続けなければ気が済まないのだろうか。

 

ーーこんな所はもう嫌だ、軍にも金塊にももう関わりたくない!でもイギリスの夫の件は私一人じゃどうしようも無い・・・

 

取り敢えずこの頭の切れるお坊ちゃんを自分から離して暫く頭を冷そう、アンは鯉登を追い出す為に話を切り出した。

 

「鯉登、アンタ目の下の隈が凄いぞ。」

 

「・・・この部屋で寝起きしている人間でまともに寝ているのは淀川中佐殿だけだ。」

 

「仕事に障るだろ。3日くらい誰かに監視を代わって貰いなよ。中尉の大切な部下のアンタが寝不足だと金塊探しに支障をきたすし、私のイギリス行きも遅くなるんだ。」

 

なるべく優しい口調で伝え、鯉登は渋々了承した。やはり相当眠たいようだ。彼が側にいない3日の間にアンは今後どうするかを決めなくてはならない。幸いにも淀川のお陰で私物は全て手元にある。

 

 

昼頃に淀川中佐は慌ただしく元応接間を出て行った。鯉登も淀川もいないが、鯉登の代わりの兵卒が言うにはどうも網走監獄の典獄が来ているとの事だ。少し前に白石がこちらに送致されて来たらしいので、その件に関してだろう。

淀川と入れ違いに門兵の兵卒がやって来て苦々し気にアンに話しかけてきた。

 

「おい、兵営の門の所に田岡と名乗る農夫の爺さんが来ているが、お前の知り合いか?2ヶ月前に収穫した山芋を赤毛の娘に盗まれたと言っているぞ。追い払ってもしつこく食い下がって来て大騒ぎしている。」

 

「へ?」

 

2ヶ月前は確かダンの牧場にいた頃だ。食いっぱぐれは無かった時期だし、野菜泥棒などする筈が無い。

 

ーー『田岡』に『山芋』・・・まさか!?

 

赤ゲット等私物を取り纏めて慌てて部屋を出ると監視役の兵卒もついて来た。何故私物を持っているのか聞かれたが、“金が無いので物で支払いする”と伝えると疑いつつも黙って着いてくる。

元応接間のある建物を出て門に向かっていると硝子の割れる音と共に聞き覚えのある絶叫が聞こえた。

 

「俺は不死身の杉元だーーッ!!」

 

「ヒェッ!」

 

それはまるで黙示録に記載されている災厄の前に鳴らされるラッパの音だった。

赤毛の少女の頭の中に走馬灯が流れる。

雪山で4人で羆に襲われた時、兵舎の火事で焼け死にそうになった少し前、そして羆3頭に家を囲まれた時などは本人が側にいた。

アンのすぐ後ろにいる監視役の兵卒も狼狽えて辺りを見回している。

 

ーー何かが起きる!!

 

アンは『不死身恐怖症』になっているようだ。

取り敢えず門前に来ているであろう岡田の元に向かって、袴をたくし上げて無我夢中で走る。後ろから監視役が何か自分に叫びながら追いかけて来るが無視して走る。途中、何処かで発砲音がしたがそれも無視する。

建物の角を曲がると外套を目深に被った軍服の人物がこちらに気付き近付いて来た。

 

ーー捕まる!

 

慌ててパチンコを風呂敷から出して石をその人物に当てる。彼は頭に石を喰らい一瞬ふらついたが、距離があった為か気絶させられなかった様で頭を手で抑えて走って近付いて来る。

外套が僅かに血で滲んでおり、怪我をしたようだが男の足は速かった。足止めだけでも、と考えて必死に新しい石をパチンコに引っ掛け構えようとした瞬間、近づいた男に右手を石ごと掴まれた。

 

 

「久しぶりだってのに、随分とご挨拶じゃねぇか。俺もお前の頭を弾いても構わねぇか?」

 

「ヒ・・・」

 

アンの呼吸が止まった。

 

ある意味一番会いたくなかった人物だ。しかも貼り付けたような笑顔をしているが、アンの投石により出血しているのと米神に青筋が走っているのが、外套の下から見えた。

 

「お・・おがた・・・?何でここに・・・」

 

「早く来い。予定が狂ったが今回はお前のせいじゃ無い。」

 

きっちりと嫌味も忘れずに要件を伝えてくる。

 

ーーあぁ尾形だ、間違いなく尾形だ。髪があるし、猫の髭みたいな傷があるけど尾形だ!

 

岡田に会おうとしたら尾形が出て来た。名前は似てるのにどうしてこうも圧と恐怖感が違うのだろうか。

 

「嫌だ!行かない!!」

 

慌てて掴まれた右手を解こうとするが痛い位に握られており、解けなかった。

 

「お前な・・・」

 

「私じゃアンタの邪魔になる。アンタまで死ぬのを見たく無い!」

 

「何を言って・・・」

 

尾形が少女を無理矢理引っ張ろうとした瞬間、彼女は逆方向から左手を引っ張られた。

 

「田中、貴様逃げるつもりじゃ無いだろうな!!」

 

監視役の兵士だった。

 

 

まるで落語の大岡裁きの『子争い』いや、清国や欧州の処刑方法『車裂き』であった。

 

2人のそれなりに屈強な男が互いに罵り合いながら両側から赤毛の少女の腕を引っ張っている。片方は上官に叱られたくない為に、もう片方(尾形)は・・・最早理由が分からないが手を離す様子は無い。

 

「痛い!痛いってば!!」

 

その瞬間、監視兵の右肩から血が飛び散って直後に発砲音がした。

着弾と発砲音のズレから何処か離れた場所から狙撃された様だが、お陰で咄嗟に自分の肩を押さえた監視兵から少女の左手は解放された。

尾形はそのままアンの右手を引っ張って走る。

 

「今のは誰が?」

 

「岡田だな。アイツもそれなりに遠距離の狙撃は出来る。俺なら頭を撃つが。」

 

「そうだ、岡田が門の前で待ってるんだ!行かないと。」

 

アンは手を振り解こうとしたがやはり無理だった。

 

「岡田なら門にはいない、山芋爺さんはお前を誘き出す為にアイツが雇った乞食だ。お前が俺達の方に来る事は昨日のウチに岡田と話をつけてある。」

 

「!?」

 

何という勝手な男だろう、少女の意志は丸きり無視している。

 

「い、嫌だ・・・私なんか別に役に立たないだろう。博士とか土方さんとかいるじゃないか、もう放っておいてよ・・・」

 

「・・・お前をここに残せば玉井伍長達の身が危ねぇだろうが。来ないなら頭を弾き飛ばすぞ。」

 

「・・・!」

 

ーーあんまりだ、コイツの身をずっと案じていたのに所詮は手駒でしかなかった。しかも裏切って網走に玉井さん達がいる事を第七師団に喋ると思われている!

 

尾形の言い分は理解できるが納得は出来ない。しかし抵抗も出来ず、アンは黙って尾形に引っ張られるまま走り続けた。

 

少し走ると目の前に見知った男達の姿があった。2人共アンと目が合い唖然としている。

 

「白石に不死身の杉元・・・」

 

「ハッ、知り合いかよ。紹介の手間が省けたな。」

 

杉元は痛々しい程の出血をしており、白石に抱えられながら走るも弱音を吐いているが、尾形は彼らに声をかけて逃げる方向を指図している。

 

ーーそうか、杉元は捕らえられた白石を助けに来たんだ!でもアシリパとキロランケさんは何処に?それに尾形と杉元はいつの間に仲間に?殺し合いまでして仲間になれるものなのか!?

 

アンはワケがわからなかったが、それは杉元達も同じ様で“何でここにいるんだ”と言いたげな顔をしている。

 

混乱しながら走り続けると目の前の広場に浮かぶ謎の巨大な物体が目に入った。物体の周りには第七師団の軍人がゾロゾロいてその様子を見守っておりこちらにはまだ気付いていない。

 

「何だありゃあ!!」

 

「気球隊の試作機だ!!」

 

「あれだッ、あれを奪うぞ!!」

 

同行する3人の男達の好き勝手な発言に、赤毛の少女は卒倒しそうになった。

 

 

目の前で暴走する3人の男達、その内2人は規律の厳しい陸軍に所属し、ロシアでお国の為に戦った(元)軍人である。それが銃を突き付けて北鎮部隊を脅し、武器と乗り物を奪っている・・・それも脱獄王と共に。奪わせまいと気球にしがみ付く哀れな兵隊達も尾形と杉元に殴られている。

“試作機だろ?これ試作機って言ったよね!?大丈夫なのか!?”と言ったアンに対して尾形は“大丈夫だ、問題無い”と何の根拠もなく手短かに説得、アンは絶望したまま尾形に無理矢理に気球に乗せられて空に浮かんだ。

 

しかし・・・

 

「白石ーーー!田中ーーーッ!!」

 

側の3人の男達よりは常識のありそうな男の声が聞こえ、少女は我に返った。

 

鯉登が走ってやって来た。

 

初めて彼が王子様に見えた瞬間だった。

 

ーー助けてくれ、鯉登!

 

尾形と鯉登が戦うのは見たくは無いし、このまま第七師団の預りになるのも嫌だが、空と金塊の旅に付き合うのはもっと御免である。

 

小麦色の肌の王子様は、気球にしがみついたまま塔のように縦に連なった兵卒達を足場にして駆け上がり、跳躍、気球の足場にしがみ付いた。

ラプンツェルの王子もこんな感じだったのだろうか、鯉登がここまでするのは少女への愛では無く、鶴見中尉への愛ゆえなのだが、アンからしたら取り敢えず髪を垂らして助けてやりたくもなるものだ。

しかしながらなんと言う非常識な身体能力だろう、アンは驚愕した。

 

気球は地上から大分離れてしまった。

足場は骨組みだけで視線を落とすと地上が丸見えな為、意識して顔を上げる。

落ちて地面に叩き付けられたら命は無いだろう。鯉登は気球の足場に上り、兵卒から奪った軍刀を構えて尾形達3人に向かい合った。

 

幅の狭い足場なので一対一でしか戦えない。鯉登に対するは杉元、自ら“やる”と言い出して尾形から銃剣を拝借する。

 

瞬間、鯉登が脱走兵尾形の存在に気が付いた。

 

「尾形百之助、貴様・・・」

 

その後に続く言葉は相変わらず早口な薩摩弁でサッパリ聞き取れないが間違いなく尾形を罵倒しており、尾形は飄々とした口調で語尾に『モス』を付けて鯉登を揶揄っている。

 

遂に猿叫を上げて杉元に軍刀を振り下ろす鯉登。

尾形に“受けるな”と言われるも慌てて受け止める杉元。

2人が暴れる度に細い足場が揺れて情け無い声を漏らすアン。

無表情で2人の戦う様子を見ている尾形。

 

ーーもう、どうでも良いから暴れるのを止めてくれ・・・。

 

いたいけな少女の願いが叶ったのか・・・

突如地上から放たれた矢に驚いて鯉登に隙ができた瞬間、腰に縄を結び跳躍した白石が鯉登を蹴飛ばして足場から弾き出した。

 

鯉登は“田中ァァ”と叫びながら落下して行く。

そしてアンが尾形から逃げる可能性はこれで潰えた。

 

鯉登は大丈夫だろうか、アンは少し心配になったが確認する術もない。薩摩隼人の彼は恐らく仏教徒なので“南無阿弥陀”と唱えながら両手を合わせて冥福を祈ってやる。

取り敢えず気球の足場に結えた縄からぶら下がった白石を引き揚げるべく、杉元と一緒に縄に近づく。

 

「「あ」」

 

ぶら下がっている白石が木に突っ込んだ。

白石も仏教徒だろうか、アンが悩んでいると白石が逆さにひっくり返って木から出てきており、誰かがそれに掴まっているのに気が付いた。

 

「アシリパさん!!」

 

横の杉元が嬉しそうに叫んだ。

 

 

気球の狭く細長い足場、そこではアシリパにより杉元の傷が治療され、揉めていたらしい杉元と白石が和解している心温まる光景が繰り広げられていた。

しかし一方、その少し離れたところで北鎮部隊上等兵による民間人少女への尋問が行われていた。

 

「ハァ、暫く会わねぇウチに随分と嫌われたものだな。」

 

「いや、そういうわけでは・・無いです・・・」

 

「あー・・・頭が痛ぇ、まさかいきなり石をぶつけられるとはな。」

 

「・・・すみませんでした。」

 

尾形の左の額にはアンがパチンコでぶつけた石で出来た傷があり、アシリパによって治療済みだ。

尾形は双眼鏡で辺りを用心深く見渡しながらもネチネチと嫌味を言っており、大人しく聞いている少女は萎縮して小さくなっている。

 

「いつまで経っても待ち合わせの場所には来ねぇから、死んだのかと思って傷ついたよ。」

 

「・・・すみません。」

 

「どうせ美味しいモン食わせてくれるオッサンとでも出会って、俺を裏切ったんだろう?」

 

あまりにもあまりな尾形の言い方に大人しくしていたアンの我慢は思ったより早く限界を迎えた。

 

「あっ・・・アンタなぁッ!私がッ!今までッ!どんだけのッ・・・苦労をッ・・・!!」

 

頭に血が上り過ぎて言葉が上手く出て来ないが、小樽と網走間往復の美しくない思い出が脳内でぐちゃぐちゃに混ざる。

 

ーー燃える兵舎、無くなった瓶の金、刺青妊婦、強盗、聖徳太子、羆に連行される赤兎馬、人相書き、逮捕・・・

 

それでも尾形の事が心配で一日として忘れる事は無かった。尾形に牛山と土方と言う仲間が出来た事を知って寂しいながらも漸く自分の肩の荷は下りた、そう感じて邪魔にならぬように身を引いたのに・・・肝心の尾形ときたらコレである。

尾形は驚き、暫くアンを見ていたが口を開き喋り出した。

 

「山の中で一個聯隊に追い回された経験はあるか?」

 

「へ?」

 

「ヤクザの抗争で高い場所から撃ち落とされた事は?」

 

「・・・いや」

 

「炭鉱事故に巻き込まれて爆発で吹き飛ばされた事は?立ち寄った村の住人の男全員に襲われた事は?」

 

「・・・無いです。」

 

「ははぁ、俺の勝ちだな。」

 

憎たらしい上等兵は誇らしげに髪を撫で付けて笑っているが、何が勝ちなのかワケがわからない。

ただ久しぶりに会った男の見せた懐かしい仕草に、彼の入院前を思い出して少女は少し心が暖かくなった。しかし、尾形が続けて喋った言葉に一気に心が凍りつく。

 

「入院中も色々計画を考えてたんだぜ?お前が待ち合わせにちゃんと来ていればこんな苦労はしなかった筈だし、今頃は“お玉ちゃん達”と合流出来ていたのになぁ。」

 

「すッ・・すみませんでしたァ・・・」

 

アンは謝罪すると、口を固く結んで黙り込んだ。

 

「覚えておけよ、お前は金塊にも軍にも首を突っ込み過ぎたんだ。もう抜ける事は出来んぞ。」

 

「・・・はい。」

 

尾形は大人しくしている少女の尋問に飽きたらしく、嫌味ったらしく溜め息を吐くと景色を眺め出した。

 

少女もなるべく真下を見ないようにしながら、気球から高所の景色を眺める。とことん高くまで上った為か、最初の頃に感じた恐怖感は大分薄れていた。

 

いつの間にか町を離れ、夏の北海道の大自然が少女の視界に入る。木々の緑が日の光を反射して眩しかった。

ギリギリで飢えと寒さと羆に怯える生活をしていたので大自然は敵でしかなかったのだが、高みから見下ろすと何とも美しい。自分は今までこんな所で生活して来たのだなぁ、と感動しながら辺りを見回すと隣に立っている上等兵の頭が視界の端っこに入った。

 

「・・・髪型変えたんだな。」

 

「ん?」

 

尾形は怪訝な顔をして少女を見た。彼には仲の良い人間はいないと思われるので、髪型を変えた事の指摘をされた事など無いのだろう。

 

「その髪型、欧州で流行ってるヤツだよ。・・・似合ってる。」

 

「・・・そうか。」

 

礼を言うでも無く、喜ぶワケでも無く、尾形は無表情のまま一言呟いて風で乱れた髪を撫で付けた。

この時代、西洋諸国では巻毛のカツラは廃れて髪を肩より長く伸ばす男性も減っている。尾形に似た髪型はアンが今迄に会った内の何人かの来日外国人がしていた物だが、頭の下半分を刈り上げるのは虱対策だと聞いている。

尾形は僅かながら機嫌が良さそうなので、アンは虱の件は黙っておく事にした。

 

「フフフ・・・」

 

突如背後からアイヌの美少女の含み笑いが聞こえ、2人は振り向いた。

2人の会話は声を抑えていた為、後ろの者達には聞こえなかった筈だが焦った。

 

 

「尾形の事だったんだな。」

 

「へ?」

 

美少女アシリパの顔は笑っている、というよりニヤついている。その両横にいる不機嫌そうな不死身と脱獄王とは偉い違いだ。

 

「婚約者。」

 

ーーしまった!!

 

アシリパの婚約者発言にアンの頭は真っ白になった。

 

「頭が良くて?狙撃が上手くて?嫌味っぽい?尾形の事じゃないか!!」

 

アシリパは生き生きとして喋っている。

 

「アンちゃん、鯉登少尉にも思われているみたいだけど・・いや、尾形ちゃんと駆け落ちしようとしたのを鯉登ちゃんに邪魔されて奪われて、尾形ちゃんは俺を取り戻す機会を生かして彼女を奪還・・・これだ!!」

 

ーー黙れシライシ!ややこしくするな!!

 

「田中さん、尾形より鯉登少尉の方がまだマシだよ?そりゃあ少尉は敵だけどさ・・・」

 

ーー杉元?お前の疑り深さは何処に行ったんだッ!?

 

尾形の顔が見れない、怖すぎる、アンは思ったが代わりに尾形の表情を確認して報告してくれたのはアシリパだった。

 

「ほら、尾形も余程嬉しいのか見た事ないくらい笑っているぞ?良かったな、アン!」

 

「ヒェ・・・」

 

アンが隣から鋭い殺気を放つ邪悪な笑顔の上等兵に怯えていると、いきなり肩を掴まれて後ろを向かされた。突き落とされるかと思いきやそんな事も無く、そのまま尾形に肩を組まれ、顔を近づけられて耳打ちされる。怖すぎて顔はまともに見られない。

 

「俺はいつの間にかお前の恋人から婚約者に格上げされてたんだな、知らなかったよ。」

 

「なっ成り行きで・・・」

 

「必要な嘘だったのか?」

 

「・・・あまり必要では無かったです。」

 

「そーか、そーか。」

 

尾形はニコニコしながらおもむろに銃剣を抜き、アンに刃の部分を見せた。銃剣に映った自分の顔と目が合う、泣きそうな顔をしていた。

 

「お前、のっぺらぼうは知っているか?」

 

「あ・・・頭の皮が無い男?」

 

「そうだ。教えて無いのによく知っているな、流石だ。」

 

「・・・いや、それ程でも?」

 

尾形はニヤリと笑いながら話を続ける。

 

「そうだな、こうしようか。もし次にまたお前が『俺の女』を騙ったら・・『のっぺらぼう2世』になるか、本当に『俺の女』になるか、好きな方を選んだら良い。」

 

「!!?」

 

ーーおそらくこの男には後者の選択肢はあり得ない。2つの選択肢を設けて心が広い振りをしているだけだ。頭の皮を剥がされる!!

 

そんなに恋人設定を嫌がらなくても良いだろう、と思いつつも怒る気持ちは分からないでも無い。

アンは赤ベコ人形の様に、無言のまま必死に縦に首を振った。

 

背後から“何を話しているんだ”と冷やかしてくるアシリパ、尾形は彼女に“将来の約束をしていただけだ”と答えており、素直に受け取ったアシリパは更にご機嫌となっている。

 

その後、アンは全員からここ迄の旅の経緯を聞かされたが、頭の皮膚の下がヒリヒリと痛む様な錯覚を覚え、あまり頭に入らなかった。

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