ある悪人の前半生   作:土鳩

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落ちこぼれ物語

『人間としての一線を越える位なら死になさい。』

 

赤毛の少女が亡き母に言われた言葉だ。

今迄に生きて行く為の悪事は何度も働いた。罪状としては詐欺や窃盗、傷害がそれに当たるワケだが、兵舎から逃げる時には死体損壊、稲妻強盗夫婦に巻き込まれた時は強盗殺人に加担している。

仕方なかった、仕方がなかったんだ、とアンは自分に言い聞かせて来ており、それらに対する罪悪感は1日で無くなった。

しかし今回、生まれて初めて積極的に殺人を犯そうとしている。尾形と言う邪悪な男を使って。

理由も生きていく為では無い。

実父とその部下の父子に対する復讐、お前らの思い通りにはさせない、と言う気持ちからだった。

実際に手を汚すのは尾形とは言え、尾形と言う男を武器にして人を殺めるのはアン自身だ。

 

ーー私は人間としての一線を越えようとしているのだろうか。

 

アイヌは死ぬ時に何頭もの羆に囲まれてあの世に連れて行かれるらしい。

アンはアイヌでは無いが、迎えが来たと感じた。あの世があるかは不明だが、あの世の母が不出来な娘を呼んでいる、そう思えた。

 

 

今、アン達5人は何頭もの羆に囲まれている。

 

「む・・迎えがきた。尾形、アンタだけでも逃げてくれ・・・私はもう駄目だ。」

 

「何言ってるんだ、阿呆が!静かに出るぞ、羆が鹿の死体に夢中になっているウチに!」

 

一夜が明け、目が覚めた時には嵐は止んでいたのだが、代わりに羆の群がアン達の包まっている鹿の死骸を囲んでいた。

 

アンは尾形に引き摺られながらも、ソロソロと鹿から出て羆の群れから離れる。途中、白石だけがいない事に気付き慌てて後ろを確認すると白石入りの鹿が羆に運ばれていた。

 

「オギャア!」

 

羆の与えた振動からか、白石が鹿から生まれた。驚いて逃げ出す羆。

 

白石の誕生で、そういえばもうじき自分の誕生日だと言う事をアンは思い出した。

この時代生まれた日を祝う習慣は無いが、17の一年間、特に後半は散々だったので18の一年間は何事も無い事を願うが・・・目の前の邪悪な男の頭が目に入る。恐らく無理だ、と諦めた。

 

羆から逃げ切るも今度は食料難が一行を襲った。第七師団から逃げ回っている為、居場所を音で教えてしまうような銃は使えなかった。

アシリパが罠を仕掛け、アンもパチンコや鞭で猟を試みるが、碌な獲物が取れない。当初は小さな、ネズミの様な動物が獲れたがそれすらも下山するに従い数が減ってきた。

挙げ句の果てには夜中に大蛇に襲われて逃げ惑う羽目になり散々だった。

 

下山中、アシリパと杉元と3人で食べられる物を探していたら若い雄鹿の死骸を見つけた。杉元は食べようとアシリパに言ったが、アシリパは反対した。鹿の死骸の周辺に人間の足跡があり、彼女は警戒したのだ。

アンが死骸を確認すると、死後硬直が僅かにあり鹿はアシリパの言う通り数時間前に殺されたようだった。鹿の胴体には刃物で滅多刺しにした跡があり、肛門には裂傷が見られた。

 

ーー傷跡から見て、後ろから刺してる・・・。

 

何があったのかは容易に想像出来たが、年齢的にアシリパには言えなかったので杉元に耳打ちして教えた。

 

杉元はあっさりと鹿を諦めた。

 

 

『軍に戻る為の一線はもう越えてしまっただろうか。』

 

谷垣源次郎が偶に思う事だが後悔はしていない。

今迄は軍の上官の命令に従って働いた。日露戦争に従軍したのは亡き妹の仇討ちと言う目的があったワケだが、妹の死には理由があった事が分かり目的を果たせないまま、しかし故郷にも戻れずにいた。

そんなある日、『不死身』の捜索の為に入った山で二瓶鉄造と名乗る猟師に出会う。

勃起!勃起!!、と二瓶は谷垣に言い聞かせて来ており、二瓶と過ごした日々の中で阿仁マタギの魂が蘇り、軍に戻らずにいる罪悪感は1週間程で無くなった。

しかし後日、二瓶の死後に世話になっているアイヌのコタンに厄災が来た。尾形と二階堂と言う邪悪な男達が。

理由は自分を軍に連れ戻す為では無い。

不死身の杉元への復讐、そして行方不明の玉井達3人を探す為だった。杉元の居場所は心当たりがあるが、玉井達を殺したかの様に言われた谷垣は混乱した。更には田中と言う尾形の女を鶴見中尉に密告したかの様に言われたが、勿論知らない。尾形は冷静さを保っている様に見せているが、明らかに苛立っている。

婆ちゃん子を自称してるとは言え、尾形と言う男は人を殺めるのに抵抗がない男だ。

 

ーー俺のせいでフチやオソマに何かあったら・・・!

 

 

アイヌは死ぬ時に何頭もの羆に囲まれてあの世に連れて行かれるらしい。

谷垣はアイヌでは無いし尾形達も羆ではないが、“終わった”と感じた。

 

しかし尾形達はあっさりと帰って行った・・・と思ったら尾形に狙撃された。

 

ーー尾形達は造反だ!

 

谷垣は2人と戦う決意を固めた。

 

一夜が明け、羆の土饅頭を利用して二階堂を、そして尾形を村田銃で仕留めた。猟師の魂が勃起した瞬間だ。

谷垣は尾形達を付けて来た三島に声をかけられて、情に引き摺られる様にして軍に戻されそうになるも、実は生きていた尾形に三島が狙撃され死亡。

 

これを期に第七師団とは接触していない。

 

そして今は2人のアイヌと旅をしている。

家族のようにーー。

 

「トカプ!トカプ!」

 

お世話になったフチに孫娘のアシリパを会わせるため旅立った谷垣に、チカパシと言う孤児の少年とインカラマッと言う若い占い女が同行している。チカパシはインカラマッにべったりと甘えており、隙あらば“トカプ、トカプ”と言いながらインカラマッの胸を触っている。

何事もなく、無事にアシリパをフチの許に返したい・・・側でインカラマッが占いで荒稼ぎしているのが目に入る。恐らく彼女がいなかったら路銀は尽きていただろう、“俺はヒモでは無い”と言い続けるのはいつしか諦めた。

 

第七師団を抜け、アイヌのような格好をした谷垣はアイヌの2人と旅を続ける。所持している銃は二瓶鉄造の村田銃、軍にいた時の三十年式歩兵銃では無い、単発銃だ。

 

釧路の山中を歩いていると地元のアイヌの男に声をかけられた。村田銃の前の所有者である二瓶の知人との事で、谷垣の知らない恩人、二瓶の話を少し聞く事が出来た。

その次に出会ったのは姉畑支遁と名乗る50歳位の小柄で眼鏡をかけた男だった。彼は学者で北海道の動植物を調査しているらしい。生き物が“好きで好きでたまらないんだ”と言っていた。

人畜無害そうで、第七師団の連中とは明らかに違う綺麗な瞳、そしてチカパシがすっかり姉畑に懐いたので油断した。

姉畑に村田銃を盗まれたのだ。

 

挙げ句の果てには、盗まれた村田銃を使って『カムイを穢した』容疑で地元のアイヌに追われて逃げ惑う羽目になり散々な目に会っている・・・。

 

ーー俺は犯人では無い。

 

そう言いたいが証拠も無く、やむ無くインカラマッとチカパシと別行動を取る事にした。2人を巻き込まない様にする為だ。

 

 

ーー人間としての一線をまた越えてしまった。

 

姉畑支遁が樹木との事後、心に浮かんだ言葉だった。

かつて彼は囚人として網走監獄に収監されていた。罪状は牧場主への傷害と家畜に対する殺害であるが、人間に対して危害を加えたい気持ちは無い。

ある日網走から移送中に1人の囚人が突如暴れ出して屯田兵を殺害、皆が暴れて脱走しだした為自分も逃げ出し、以前の学者としての生活、特殊すぎる性癖を繰り返す日々に戻った。

 

大丈夫だから、大好きだから、と姉畑は相手(動植物)に言い聞かせており、穢した動植物に対する罪悪感は事後1秒で無くなった。

彼は常に性的な高揚感が落ち着いた後は、積極的に相手を殺害している。ナタと言う刃物を使って。

理由は食べていく為では無い。

自らの恥ずかしい行為の証拠隠滅、お前らの存在はあってはならないと言う気持ちからだった。

実際に殺傷するのは動植物とは言え、凶器を使って食べるワケでも無い生き物を穢して殺すのは人として学者として恥なのだが、

 

ーーこれで私が人間としての一線を越えた事を知る者はいない。

 

そう思った。

 

 

アイヌは死ぬ時に何頭もの羆に囲まれてあの世に連れて行かれるらしい。

姉畑はアイヌでは無いが羆に神性を感じていた。本当に神がいるかは不明だが、羆に呼ばれている、そう感じていた。

 

 

今、姉畑は3人の人間に囲まれ話しかけられている。

 

「あ、いや、違うのです。これは・・・クマゲラが餌をとった穴を見ていたんですね。」

 

つい先程まで傷つけていた樹木を優しく撫でながら3人に苦しい説明をする。

 

樹木との事を終えて我に返った時は高揚感は収まっていたが、証拠隠滅を実行している時にいつの間にか3人に近付かれていたのだ。

 

姉畑はチカパシと言う少年に様々な動植物の説明をして懐かれ、久方ぶりに人の群れに加わった。途中、一行の中の谷垣と言う男が村田銃と言う猟銃を持っている事に気付き、閃いた。

 

ーーアレがあれば!

 

羆と接触する事ができるかもしれない、そう考えた。勝手な男、姉畑は相手を大人しくさせて自分の身を守る術が欲しかったのだ。

 

夜、4人で火を囲み話に花を咲かせる。

谷垣と言う男が実は阿仁マタギである事が分かり、カモシカの話をされた。姉畑はカモシカとはまだ・・だったのでいずれは“味わってみたい”と思った。

シカ繋がりで熊の話になり、羆が湿地や草原に来ているのが分かった。目の前の谷垣と言う男の銃が目に入る。恐らくイケる、そう考え姉畑は諦めなかった。

 

皆が寝ている隙に村田銃を奪い、谷垣達から逃げ切るも今度は相手が掴まらないと言う事実が姉畑を襲った。彼は性的に高揚している間はその対象に愛がある為、致命傷を与えかねない銃は使いたくなかった。

 

エゾシカ、キタキツネ、イトウ、ニワトリ・・・

様々な相手に挑戦するが、失敗続きだ。若かった頃はもっと上手に出来たのに・・・姉畑は老いを感じた。

しかし神の声が男の頭の中に聞こえた・・・気がした。

 

ーー頑張れ、姉畑支遁。

 

と・・・。

 

その後山中で若い雌鹿を見つけた。姉畑は失敗が続いている事もあり迷ったが村田銃を使い、鹿を撃って怪我をさせた上で頑張った。鹿の死骸に気付いたアイヌの男に村田銃を見られたが、木の枝で殴って気絶させて逃亡した。

 

 

数日後、姉畑が村田銃を木の洞に隠して、落としてしまった眼鏡を探していると奇妙な娘に出会った。

色白の肌に赤い髪。最初は西洋人かと思ったが日本語を喋っているし、西洋人程顔立ちがくっきりとしている訳でも無い、服装も袴だ。

娘が言うにはどうやら連れの人間とはぐれてしまった様だが、眼鏡を落とした姉畑には遠くは見えず、助けてやれそうにも無い。

娘に近づいてよく見るとやはり違和感があった。

まずは瞳の色だが、赤毛の西洋人の瞳の色は青や緑が多いのだが、彼女は茶色だった。日本人とイギリス人の混血だと言っていたから、それが原因と思われた。

 

そして彼女からは僅かながらに何か普通の人間とは異なる雰囲気がした。上手くは説明出来ないが動物の様な・・・この娘は人間らしい感情があるのだろうか、あるように見えてもそう振る舞っているだけ、そう教育されて自分で思い込んでいるだけでは無いだろうか?

姉畑は疑ったが、遠くに仲間を見つけたらしく顔を綻ばせて駆け出した。

 

姉畑は初めて人間相手に高揚感を抱きそうになったが、安心しきった笑顔で仲間の元へ駆けていく娘を見てあっさりと興味が失せた。

 

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