ある悪人の前半生   作:土鳩

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恋と英語のから騒ぎ

結局、赤毛の少女は年末年始を小樽付近をウロウロしたまま過ごした。先月、尾形に最後に会った時の発言が引っかかっていたのだ。

 

ーー面白いものってなんだろう。

 

あれから3週間ほど尾形には会っていない。

晴れた空の下をたった1人で静かな森の中にいる。深い雪に足を取られながらも、つい先程に自力で仕留めたエゾシカを背負い歩く。ふと、あるしょうもない言葉を思い出した。

 

『死角に入りやがった、鹿だけに。』

 

ーーウワァ、今思うと何であんなしょうもない事で吹き出してしまったのか。

 

 

昨年11月の下旬、尾形に山を案内しながら猟をさせていた時であったか、一頭のオスのエゾシカを見つけた。

尾形はすぐさま狙いを定めたが、鹿は僅かに移動して木の後ろに隠れてしまう。その瞬間に尾形がボソリと漏らした言葉である。

 

ーー今、何と?

 

アンが密かに格好が良いと思っている小銃を構えた姿勢で、こちらに背中を向けたままの傲岸不遜な態度の男が呟いたのだ。

 

ーー耳が少し赤い。

 

思わず「フハッ」と吹き出すと、尾形は目を丸くして振り返り、ニヤリと笑う。いや、別にダジャレが面白かったワケではない。

 

 

ーークソッ、つまらぬ事を思い出してしまった。

 

誰かと何でも良いから話がしたい、アンの足は早くなった。久々に会う知人の元へ向かっていたところだった。

 

 

森の中を暫く歩くと切り開かれた一区画があり、木や藁で作られた建物がいくつも並んでいた。

アイヌ民族のコタン(集落)である。

 

夕方、白く雪化粧をした山肌がほのかに赤く染まる頃、叔父と一緒に狩に出ていた12〜3歳のアイヌの少女が母方の祖母の待つコタンに帰宅する。

 

少女はアットゥシと言われるアイヌ特有の柄の入った服を身に纏い、その上から白い毛皮を羽織っている。顔立ちは凛としているが華のある美しい顔、晴れた日の深い湖を思わせる様な青い瞳が特徴的だ。耳には輪っか状の耳飾り、額にはマタンプシと言われる刺繍の入った鉢巻を巻いており、美しく長い髪が乱れないように抑えられていた。

少女は帰宅早々、高齢の祖母と会話をする客人を見て驚きの声をあげた。

 

「アン!?アンじゃないか!!1年ぶりだな!」

 

「久しぶり、アシリパ。まぁた大きくなったな。正月だから『[[rb:新年 > アシリパ]]』に会いたくなって来た。オソマちゃんトコに取ったユク(エゾシカ)を預けてあるから皆で食べよう。」

 

客人こと赤毛の少女アンは、ニヤリと笑った。

 

 

「アンは結婚しないのか?」

 

鹿肉で空腹を満たした後、日が落ちてすっかり暗くなったチセ(家)の片隅で二人並んで横になる。

アシリパのフチ(祖母)はとっくに眠ったようで、暗闇から静かな寝息が聞こえたが、アシリパはなかなか寝付けないらしく、アンの近況、特に恋のお話を聞いてくる。

アシリパの疑問に『アシリパ、お前もか。』と言いそうになったが我慢した。

 

「あー・・・、つい最近他のヤツにも同じような言われたな。」

 

「男か!?」

 

「まぁ・・・他人だ。」

 

男も男、帝国陸軍第七師団、泣く子も黙る北鎮部隊の軍人なのだが決して恋人というやつではない。金を出さない金蔓であり鶴見中尉へのパイプ役と勝手に認定している。

 

「アンはちゃんと綺麗にすれば美しくなる。そしたらいつでも結婚できるのにもったいないぞ。」

 

「結婚ってアレだろ?2人で夜に布団に入って・・・ウコチャヌプコロ、だっけ?それをして子どもを作る生活をするんだろ?興味ないよ。」

 

栄えている街に行くと男と交わることを仕事にしている女、つまり娼婦がいるのをアンは見てきた。仮初めの婚姻の行為をわざわざ金を払ってする客は独身の男が多いが、たまに結婚している男もいるらしい。

獣の群れはオス一匹が多くのメスを独占しており、人間の浮気や不倫もまぁ、そういう事なのだろう。

『人間も所詮は獣』というアンの持論の根拠の一つになっている。

 

「・・・アン、それはあってるけど間違っている。あと、人間の場合はオチウというんだ。」

 

アシリパは驚いている。好奇心から自分より年上の女の恋愛話を聞き出そうと結婚の話を振ったが、ガッカリどころか想像の斜め下の回答に唖然としている。

この赤毛の少女には正しい男女交際の教育が必要らしい。読書好きを自称している彼女だが、肝心な知識は抜け落ちている。

 

「ふぅん、あまり興味ないかな。しかし何で獣と人間で呼び方を変える?どちらも『交尾』の意味なんだろ?」

 

「アン・・・、お前また頭でゴチャゴチャ屁理屈を考えているな?こういうモノは考えるな、感じろ!」

 

アシリパは怒りながらも真剣な眼差しで見つめてくる。

アンはこの少女に真っ直ぐな瞳を向けられるのは苦手である。自分の心が酷く冷たくて薄汚いモノに見えてしまうのだ。

と言うより、何故怒られているのかがまず分からない。

 

「私がアンに相応しい男を探してやるから任せろ!心配しなくて良い。」

 

自分より五つほど幼い少女に慈しむような表情で励まされ、肩を叩かれる。アンは苦笑いするしか無かった。

 

 

翌朝、アンはアシリパのコタンを離れ帰途に着いた。

 

“必ずまた来い、次来る時までに婿に相応しい男を紹介できるようにしておく!”とありがた迷惑な事を言われ、アンは苦笑いでアシリパと別れた。

 

ーー相応しい男じゃ駄目なんだよアシリパ。

 

夜更かしして話をしたせいか、目がシパシパする。

 

ーー顔でも洗うか。

 

アンは尾形といつも待ち合わせていた沢に向かい、雪が溶けた泥濘む獣道を歩いていた。木々に掴まりながら斜面を慎重に歩いて下る。

水の流れる音が聞こえて、斜面の木々の合間から川が見えた。更に近づくと次第に大きくなる川の音ーーそれに混じって複数人の男の声が聞こえる。

 

「・・・・・アイヌの金・・・・」

「・・・津山の・・・中央は・・・」

 

ーー津山?

 

アンの頭に脱獄囚の名前が浮かぶ。

慎重に慎重に・・・もう少し声のする方へ歩み寄る。

 

「鶴見中尉は、我々27聯隊の中に造反者がいる事を勘付いているかもしれませんね。」

 

男達の会話がハッキリと聞こえ、アンの心臓がドキリと跳ねた。

 

ーー造反者!?鶴見中尉!?鶴見中尉を裏切る者が部下にいるという事か!?まさかコイツらが?

 

かなりマズイ情報じゃないか、と戸惑いながらも男達の中に知った顔がないか確認するため顔を上げる。

 

本格的な冬になる前にほぼ全ての葉を落とした針葉樹の林は、枝や幹に雪が積もっており、その隙間から声の主達を見る事ができた。

 

ーー濃紺の軍服に軍帽、外套はバラバラ、3人、おそらく全員坊主頭、こちらに背を向けている。誰かは分からない。

 

ふとスケベ心が出てくる。

 

ーー顔と・・できれば名前か階級を覚えて鶴見中尉に情報を引き渡せば中尉に恩を売れるのでは?髪型は皆坊主だが、顔の傷や髭の位置、形、濃さに多少の個性はあるはず。

 

そっと片足を急斜面に突き出た岩に載せ、体重をゆっくり載せていった、その瞬間だった。

 

足を載せていた岩が崩れてガラガラと音を立てながら、斜面の下ーー3人の男達の方に落ちていった。

 

「「誰だ!!?」」

 

3人のうち2人の男の声がした。声を上げると同時に急斜面を駆け上がって来るのが、遠目に見える。真っ青になったアンは踵を返して全速力で逃げた。

 

日露戦争二〇三高地を生き残った軍人は伊達ではない。

 

アンは半泣きになりながら欲深で間抜けな自分を呪いつつ、全速力で斜面を駆け上がる。相手を撒く為に無理目な道なき道を選んで走り抜け、体力が限界を迎える直前に、やっとたいらで少しだけ拓けた場所に出た。

 

ーーもう撒いただろう。

 

屈んで乱れた息を整え、上体を起こしながら後ろを振り向くとーー

 

僅か3メートルの距離に2人の軍人はいた。しかも腹立つ事に、彼らはあまり息が乱れていない。アンの見た目に少し戸惑う様子が見られるも、2人の抱える小銃はちゃんと自分に向けられている。

特に左頬に大きな傷のある軍人からは殺意めいたモノが伝わってきた。

このままでは確実に口を封じられる。彼らに主導権を握らせるワケにはいかないのだ。

 

ーー先手必勝!!

 

二人が何か喋り出すより先に、アンは自己紹介をした。

英語で。

 

「Hello!!」

 

「「!?」」

 

「I'm Victoria・Dan. I can't speak Japanese.」

 

日本人離れした見た目の少女の口から出て来る英語、軍人二人は狼狽えて互いに顔を見合わせている。自分に向けられた小銃の先が少しずつ下に下がっているのを見て、アンは自分の勝利を確信した。勢い付いて英語で一気に話しまくる。

 

ーー自分の父は牧場を経営しているアメリカ人。

母は日本人。

最近までアメリカの父方の祖父母に育てられたが、祖父母が亡くなったので日本に来た。

父に連れられてハイキングに来たが、自分だけ遭難して服を濡らしてしまい、通りがかりのアイヌに捨てる服を貰って着替えた。

父に会いたい、助けて下さい。ーー

 

間違いなく完璧だった。

かつて財布を忘れて甘味処に入った時も、酔っ払って道で泥酔した後に警察官に不審がられて詰問された時も、食い詰めて畑泥棒に入り農夫に見つかった時も・・・自前の赤毛と茶色い目と英語で切り抜けた。

日本語を話せないという事は、さっきの造反の話だって聞かれていても理解していないと判断されるはず。

万が一、この二人が英語を理解できたとしても自己紹介で名乗ったヴィクトリア・ダンは実在するし、その父のエディは知人である。口裏を合わせてくれるだろう。

 

ただ一つだけ見落としがあった。

 

ふと気付くと小銃を構えた二人の軍人の後ろの薮から3人目の軍人が向かって来るのが見えた。

沢で密談していた最後の1人である。

 

「「尾形上等兵殿。」」

 

二人の軍人に声をかけられ、3人目は手で満足そうに坊主頭を撫で付ける。

 

アンの背中に粘っこい油汗がブワリと吹き出す。顔面が引き攣り言葉が出て来ない。

一方で3人目こと、尾形は凄い笑顔だ。

 

「ハハァッ、田中安。久しぶりじゃねぇか。お前英語喋れるんだな、知らなかったよ。」

 

「Oh my God!!」

 

「やかましいっ」

 

少女の逃亡は失敗した。

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