アイヌの美少女と赤毛の少女が出会ったのは今から4年前の事だった。
父を亡くし、一緒に育ったレタラと言う狼と別れて悲しみの底にいた時、70くらいの和人と見られる爺様と一緒に彼女のコタンにやって来た。
アンと名乗った娘は痩せっぽっちだが、赤い髪の毛に茶色い瞳、肌は薄汚れていたもののきれいにすれば色白で、まるで西洋人のようだとアシリパは思った。
祖母や叔父のマカナックルによると彼女らは血は繋がっていないが父子らしく、事実、赤毛の娘は祖父くらいの養父に非常に懐いていた。彼らは北海道各地の山を転々として生活しているようで、生活手段として茣蓙や蓑を作ってそれを売ったり、狩猟や採集をしているらしい。
叔父は彼らの事を『山窩』と呼んでいた。
アシリパにはよく分からないが、彼らはアイヌでもなく和人とも少し違うみたいだ。
「北海道にもいたんだな。」
叔父がしみじみと言っていたので、彼らの一族は北海道には珍しいのだな、とアシリパは考えた。アシリパは父に“新しいアイヌの女になりなさい”と教えられて育っている。
ーー新しい文化や珍しい話を知りたい。
謎の父子に興味が湧いた。
取り敢えず、年が近い赤毛の娘に話しかけた。アイヌ語が通じるか不安だったが、赤毛の娘はアイヌ語を少しだけ喋れるらしく、分からないアイヌ語に関してはその場の雰囲気や相手の様子を見ながら内容を判断しているらしい。
「かしこい!!」
アシリパは思わず赤毛の娘にそう伝えると、彼女ははにかんだ笑顔を見せた。
しかし翌日、アシリパが仕掛けた幾つかの罠の餌を、盗み取って食べようとして失敗した挙げ句に怪我をした赤毛の娘が、養父に連れられてアシリパのチセに謝罪に来た。大好きな養父にしこたま叱られたらしく目が赤く腫れていた。
泣きじゃくりながら謝る、知性の欠片も見られ無い赤毛の娘の姿にアシリパは驚いて、笑いながら言った。
「まぬけ!」
この年上の少女は物知りで賢いが、どこか間抜けで食いしん坊のようだった。しかしこの間抜けの一言が赤毛の娘の心に火をつけたらしい。
毎晩夕飯時に来ては、アシリパの家のご飯をたらふく食べながら本で知った異国の話や宗教の話を面白おかしく話してくれた。残念ながら夕食が終わると片付けを手伝って、そそくさと養父の元に帰って行くのだが、彼女の話はアシリパの毎晩の楽しみだった。
しかし赤毛の娘とその養父は半月程で次の土地に移動してしまった。
アシリパは別れの時に涙したが、半年後また父子はやって来て赤毛の娘は夕食を食べながらアシリパに新しく仕入れた話をしてくれた。
この頃には“あぁ、ウチの夕食目当てだな”とは分かっていたが、赤毛の娘の話の面白さに負けて黙って受け入れた。
叔父のマカナックルは赤毛の娘の将来を心配していた。今のところ養父は元気だが高齢、近い将来彼女は一人になるだろう。今でさえ父子は食べて行くのが精一杯なのに、不器用そうなあの娘は1人で生きて行けるのだろうか、フチにそうボヤいていたのをアシリパは聞いていた。
アイヌは和人の孤児を引き取って育てる事もあるので、赤毛の娘にもいずれはこのコタンで暮らし婿を取る様に勧めたらしいが、“実父のいるイギリスに行って貴族と結婚して金持ちになる!”と夢物語の様な事を言って断られたようだ。叔父は笑っていた。
「アンはどうしてお金持ちになりたがるんだ?」
アシリパが叔父に聞くと、彼は苦笑いしながら答えてくれた。
「今まで苦労し過ぎたんだろうな。何処かで人生を思い切りひっくり返したいのだろう。あの年なら尚更か。」
幼いアシリパには分からなかった。
しかし赤毛の娘がイギリスに行ってしまったら二度と会えなくなるであろう事は分かっている。その時の彼女は、これ以上の別れはもう嫌だった。
◇
「アン、もう大丈夫か?気持ち悪く無いか?」
「アシリパ・・・もう大丈夫だから、起きて良い?眠く無いしさ・・・」
宴が落ち着き、呑んだくれていたキラウシ達は寝てしまった。アンは相変わらず食欲はあまり無いが、少しだけ食べ物を口にしてボンヤリしているとアシリパが心配そうな顔で近付いて来た。
そして今、何故かアシリパの膝枕にアンは頭を乗せて横たわっている。
年上として面目丸潰れだがアシリパは起き上がるのを許してくれない。無理矢理起きあがろうとすると“やはり尾形の膝の方が良いのか?”と言われた。視界の真ん中に苦々しい顔をしている上等兵の顔が入り、アンは美少女の膝から逃げるのを諦めた。
「アンがどこか遠くに行ってしまうかと思って、心配になった。」
このコタンに来た初日に鞭を振り回して人を殺しかけた時、アシリパはそう思ったらしい。“別人に見えた”そうだ。
気のせいだ、とアシリパにはそう言ったが、アン自身我を失っていたのは分かっているので恥ずかしくなる。
「実はさ、知人が谷垣みたいな目に会った事があってね。なんか、嫌な事思い出しちゃったんだ。」
小宮に対する罪悪感と言うよりは、自分が取った行動が想定外に恐ろしい結果を招いた事が嫌だった。それも自分の預かり知らぬところで。
「なぁアシリパ、フチもアンタみたいな気持ちなのかもね。ずっと一緒だった孫が何処か遠くに行ってしまってさ。」
アシリパの旅の目的は皆から聞いた。網走監獄にいる刺青人皮の作成者『のっぺらぼう』が自分の父親の可能性があるらしい。仲間のアイヌを殺して金塊を一人で隠した男・・・。
しかし、こんな幼い娘にこんな危険な旅をさせるのはやはり如何なモノだろうか。今までに会った囚人の話を聞いてしまったら尚更だ。凶悪なだけでは無い、姉畑のような教育に悪い者だっているのだ。
尾形と目が会った。
余計な事を言うな、と言いたげな顔をしているので黙らざるを得ない。
谷垣が小樽からここまで来たのはアシリパをフチの所に連れ戻す為だ。フチがアシリパに二度と会えなくなる夢を見たらしい。
杉元も一度小樽に戻る事を提案しているが、アシリパの意志は固かった。
「子供扱いするな杉元!!私にはどうしても知りたい事がある。知るべき事を知って自分の未来の為に前に進むんだ!!」
アシリパの瞳は真っ直ぐで、本当にこの少女には敵わないなとアンは思った。杉元も嬉しそうだ。
しかしこの後、姉畑の痴態とその理由について説明を求められる。
アシリパに中途半端な説明しかしなかった無責任な男どもは、皆目を逸らして助けてくれず、“まだ知るべき事じゃ無い”と伝えるも美少女は納得してくれない。アンは彼女の膝の上で冷や汗を流した。
◇
翌日、鞭を返して貰った後にキラウシ達と分かれ、釧路の町で白石達と合流した。
嬉しそうに谷垣に駆け寄るインカラマッ。
アシリパ達3人が2人を冷やかしているそのすぐ横で、吐き疲れてくたびれた赤毛の少女の足に久しぶりに再会した『勃起犬』ことリュウがしがみつき腰を激しく振っている。何故この犬がここにいるのだろう、全く以て不可解である。
尾形はニヤニヤしながらアンを見ていた。
「お前の事をこんなに思っている相手がいるとは知らなかったぜ。俺はお前の婚約者だが、身を引かせて貰うとするよ。良かったなァ、アン。」
意地悪な上等兵は笑いながら町の中へ消えて行った。
どうやら杉元に難癖をつけて取り上げた三八式歩兵銃の弾を買いに行くようだ。ついでにアンも小刀が欲しかったので着いて行こうとすると、“買ってきてやるから来るな、犬と仲良くしとけ”と拒否されてしまった。
「そこの赤毛のあなた。」
尾形に置いて行かれて不貞腐れていると、巨トカプことインカラマッに声をかけられた。
ーー谷垣はこれくらいの大きさが好きなのか・・・、尾形もそうなのかな。
ボンヤリとインカラマッの胸を観察する。凄い迫力である。何を食べたらこうなるんだろう、アンは羨ましかった。
「アンちゃん、でしたっけ?私の顔はもっと上ですよ?」
インカラマッに胸を見続けた事を指摘されて慌てて顔を上げる。彼女はニコニコと笑っていた、顔も美人だ。
「あなたの事を占っておきました。」
「へ?」
初対面の時、白石が勝手にアンの事を占う様にインカラマッに依頼していた事を思い出して慌てた。基本、少女は金が無い。猟師の彼女が銃も弓も使わないのは嵩張るのは勿論だが、それ以上に必要経費がかかるからだ。罠やパチンコならその辺にあるモノを工夫してタダで使える。
占いがいくらなのかは分からないが、払えるのか不安になった。
「お・・・おいくらでしょうか?」
「お金はいりません。私があなたに興味があって勝手に占ったのですから。」
「はぁ・・・」
「船、ですね。小舟じゃない、かなり大きな船です。あなたはそこで本当に欲しかった物を手に入れます。」
インカラマッは目を瞑り何かを思い浮かべながら占い結果を教えてくれたが、生まれてこのかた大きな船等乗った事が無いので釈然としない。
「氷が見えました。」
疑い深くなっている少女に対して更に占い女は続けたが胡散臭くなるばかりだ。アンが欲しいのはお金や権力で、その為に父の組織を丸ごと乗っ取る事が目標である。船の船長と言う船上限定の権力者になりたいワケでは無い。
ーータダで良かった。
少女は安心したと同時にガッカリした。
◇
釧路の町を離れ、浜辺に到着した。
アンはアシリパに呼ばれて彼女の隣に行くと・・・
突然右手を繋がれて隣に立たせられる。左には谷垣がおり、そちらとも手を繋ぐように言われた。
アシリパ達の恒例らしく海を見ながら全員で手を繋ぎ飛び跳ねる。
ーー海か、凄く久しぶりに来たなァ。
飛び跳ねたくなる気持ちも分かる、解放感が凄いのだ。山と違って遥か遠くまで見渡せるからだろうか。
今ここには尾形はいない。
町で買い物に行ったきり戻って来ていない。一応海に行くと言う話はしていたので後から来ると思われるが、今いない事が不思議と残念だった。
アシリパ達が海亀を獲りに行っている間、アンは谷垣やインカラマッ、チカパシ、リュウと共に浜辺で待っていた。“私も行く”と言ったが、前日に吐いて倒れた事もあり、船酔いを心配されて連れて行っては貰えなかった。
仕方なく大人しく浜辺で待っていると、インカラマッに話しかけられる。
インカラマッは洗濯された谷垣の襦袢を浜辺の流木に引っ掛けて乾かしている。どうやらアンの嘔吐後、邪悪な上等兵殿は無言で、彼の着ていた襦袢で手を拭ったらしい。
ーー何てヤツだ!!
少女が必死になって近くにいる谷垣に謝るが、良くある事だから、と笑われた。岡田も言っていたが尾形に然り宇佐美に然り死んだ稲井に然り、一等、二等卒にとって『上等兵』は嫌なヤツが多いらしい。
インカラマッは浜辺で谷垣がチカパシと戯れているのを見ながら昔話をしてくれた。彼女はアシリパの父ウィルクの古い知人らしい。いや、古い知人と言うよりは・・・
ーー初恋!?
彼女の話し振りにそう言う印象を受けた。更にはこの女も少女のウチから身寄りが無く、各地を放浪して占いで生計を立てていたらしい。
ーーオジサン好きな所まで私と同じかァ。
谷垣は若いが、ソレはソレと言う事だろうか。アンは自分の境遇と重なる事もあり、“餓死しそうになった”話をいくつか面白可笑しく話すが、全く共感して貰えない。どうやら彼女は占いで儲けているらしく、赤毛の少女は猟師から占い師への転向を本気で考えそうになる。
「アン、買って来たぞ。」
突然後ろから声をかけられて赤毛の少女は驚いた。
「お・・尾形。遅かったな。」
「随分と楽しそうに話していたな。」
尾形に、頼んでいた小刀を渡されて受け取るが、よく見ると包み紙が一度開封された形跡がある。
「ん?人でも刺して来たのか?」
「良く分かったな。」
冗談で言った一言をアッサリ肯定され、慌てて小刀を鞘から抜いて確認する。
ーー血も脂も付いた形跡がない・・・。
揶揄われたと分かりムスッとした顔で尾形を睨むと、彼は笑いながら髪を撫で付けて去って行った。
「尾形は田中の前なら良く笑うな。」
「へ?」
チカパシとリュウの面倒を見ていた谷垣が一言漏らした。
「いつもあんな感じだよ?」
「軍にいた時はそうじゃ無かったが。」
「いや?入院する前からあぁだったよ。私を揶揄って遊んでた。」
「・・・そうか。」
谷垣は死んだ魚の様な目で尾形の背中を見ていた。
◇
海亀を獲ったアシリパ達が戻って来た為、アシリパのフチの15番目の妹が住むコタンに行き調理をした。
「ウグッ!」
余りの美味しさに赤毛の少女は食べながら涙が出て来た。安心しきって美味しい食事が出来るのは何日振りだろうか。冷たい男尾形は呆れ顔で自分を見ていたが、優しいアシリパは年上の少女の頭を撫でてくれた。
またしても年上の面目丸潰れである。
ーーまずいな、私はあまり役に立てていない。
夜、皆が寝静まった中、1人目が覚めたアンは考え込んでいた。
元新撰組副長・土方の率いる一派に尾形は用心棒として所属しているらしい。それに日高で会ったアシリパ達の集団が、土方達と夕張で出会い協力する事となる。そして別行動の後に合流するも、白石とアンを旭川で奪還する際にまた別行動になってしまい現在に至る・・・。
集団の構成員を聞くも、剣士やら(元)軍人、医者、柔術家、脱獄囚、道案内に長けてそうなアイヌが2人、金稼ぎの上手い巨トカプまで加わっている。
ーー私、要らなくないか!!?
今更抜ける気も無いし、でも役に立てそうにない。既に道案内はいるからだ。しかも錯乱したり暴れたり嘔吐したりする貧トカプは足手纏いだろう。チカパシくらい小さいなら笑って許されるだろうが、アンはそこまで幼く無い。
ふと横で寝ている尾形を見る。
この男は中央の回し者だ。いずれ玉井達と合流して今の集団を裏切るつもりなのだろうか。それとも中央を裏切って土方の目指す蝦夷共和国の話に乗っかっているのだろうか。
ーー私も尾形と一緒に裏切るのか?アシリパ達を?
最初から騙すつもりならまだしも、仲間と思って行動していた相手を裏切るとなると流石に抵抗がある。しかも相手は軍人ではなくアシリパだ。
「アン、眠れないのか?」
後ろからアシリパに声を掛けられてアンは心臓が跳ねる。
「あ、あぁ、ちょっとね。」
「まだ体調が悪いのか?」
「・・・いや、私は何の為にここにいるのかなぁって考えちゃってさ。ほら、役に立ててないしさ。」
ーー裏切るかも知れないしな。
「アン、アイヌの諺を覚えているか?」
「へ?」
赤毛の少女は上半身を起こしてアイヌの美少女を振り返った。
「カントオロワ ヤクサクノ アランケプ シネップ カ イサム!」
「天から役割なしに下ろされた人間はいない・・・だっけ?」
「大丈夫だ。アンが今ここにいるのもきっと意味がある!」
アシリパは真っ直ぐな瞳でアンを見ている。アンはこの娘の真っ直ぐ過ぎる瞳は苦手だ、自分が何か汚く惨めな者に思えてしまう、そう思っていた。
「フハッ、大袈裟だよアシリパ。」
何とか笑いながら美少女の頭に優しく手を置くと、彼女は“久しぶりに話を聞かせてくれ”と強請り出した。
アンは迷ったが、釧路の町で読んだ新聞で稲妻夫婦の死を知った為それに関する話をする事にした。彼らの追悼も兼ねている。
勿論名前や具体的な場所、犯罪行為等特定されそうな事や情操に悪そうな事は全て割愛したり誤魔化したり捏造する。
「馬小屋で産んだのか!?凄いなその夫婦!」
アシリパは興奮していたが、密かに起きていて聞き耳を立てていた尾形と杉元はドン引きした。