ある悪人の前半生   作:土鳩

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都丹爺さんの古家(後編)

赤毛の少女の養父は医者にかからず、山の中の空き家で亡くなった。本人は医者が嫌いと言っていたが、お金が無かったと言うのが一番の理由だ。養父は病気を貰ったと言って弱々しく笑っていたが、明らかに栄養不足からの衰弱であるのがアンには分かっていた。

 

ーー自分を拾わなければ、ここまで生活に苦労しなかったろうに・・・

 

少女の実母は熱心なカトリック故にアンを捨てずに産み育て、叔父一家は世間体を保つ為にアンを引き取った。

じゃあ養父は何の為に自分を側に置いたのか・・・

 

母から『愛』と言う言葉を何度も教えられたが考えれば考える程、人間には縁の無い物としか思えなかった。

 

ーー理由や見返りを求める心があったら、それはもう『愛』じゃ無いよなァ。『欲』が絡むんだから。

 

養父に自分への『愛』があるのか聞けば良かったのだが、何か恥ずかしくて聞けず終いだった。

 

養父の骨は青森に住む彼の弟夫婦が引き取って行ったので墓参りは出来ていない。墓参りをしないとご先祖が化けて出ると聞いた事があるが、養父はどんなに会いたくなっても化けて出て来てくれない。幽霊はいないのか、もしくは養父が意外と薄情なのか・・・。

故に最初に都丹を見た時に、一瞬、墓参りしない養女を叱りに養父が化けて出て来たのかとアンは思った。

 

でも違った、養父では無かった。

しかし違う人間と思うには余りにも似ていた。

 

都丹は明後日の晩に鉱山会社関係の人間を襲う事にしたらしく、赤毛の少女もそれまでは廃旅館に逗留する事に決めた。

 

「ヤツらは恐らく屈斜路湖の温泉宿に泊まる筈だ。襲うならその時だな。」

 

都丹は手下達にそう説明している。例の手強そうな用心棒だか刺客だかを連れた、鉱山会社の関係者と思われる人間達の事の様だ。会社の大株主が現地に視察に来る、という情報から都丹は彼らの視察先への通過地点となる、屈斜路湖の温泉宿に目標を定めたのだ。

 

「ははッ、露天風呂ならアン坊の名案が活かせるな。」

 

養父そっくりな都丹が喜んでくれてアンも嬉しかったが、『アン坊』はやめて欲しいと思う。『坊』を付けて呼ぶ理由は『お嬢ちゃん』と呼ぶには余りにもジャジャ馬で、でも呼び捨ては照れ臭いと彼は言っていたのだが・・・知人にこう呼ばれている所は見せたく無いな、とアンは思った。

 

特に尾形には。

 

 

「アン坊、そりゃ何の話だい?俺には難しい話か?」

 

「ん・・・難しいというか・・・暗い話かな。」

 

溜め息を吐いて本を閉じたアンに都丹は話しかけてきた。廃旅館の暗闇の中でランタンの光で読む本は気が滅入る展開が続き、赤毛の少女は気分が沈み読むのを中断してしまったのだ。

窓を開けて換気をしようと言う提案を都丹には却下されている。襲撃に失敗した場合はここに立て籠り敵を迎え撃つつもりであり、暗闇の方が自分達にとって都合が良いとの事だった。“今回の仕事が終わればここはアン坊に返すから”と申し訳無さそうに言う都丹に対し、自称所有者で不法占拠者の少女は強く意見出来なかった。しかしこの都丹と言う男は、学が無いと自分では言ってはいるものの、決して馬鹿では無い。

アンは『じいちゃん』に似てるからと言うだけで無く、純粋に都丹自身にも興味を抱いた。

 

「都丹さんはどう感じたか教えて欲しいんだけどさ、この話はアメリカの奴隷が主人公なんだ。」

 

「ほう。」

 

「主人公は最初は良いご主人様の所で働いていたんだけど、色々あって悪いご主人様に買われてしまったんだよね。」

 

「・・・」

 

都丹は顔を顰めて何かを考え込んでいる。彼の過去は聞いていないが、狙うのが鉱山会社の人間ばかりで自分自身も仲間も盲目な所から何となく推測は出来た。おそらく彼らは鉱山会社で働いていた人間で、無茶苦茶な働き方をさせられて失明したのだろう、と。

 

「この話は『奴隷は良く無い』て言うのを伝えたかったみたいだけど、結局は奴隷としての生活に甘んじていた主人公を非難する読者もいてさ、アメリカ人の間でも意見が割れているみたいなんだ。私は非難しようとは思わないんだけど、都丹さんはどう思う?」

 

「・・・主人公の気持ちも、それを非難する人間の気持ちも分かるな。人ってのはそんな簡単には生き方を変えられねぇし、かと言ってずっと変わらずにいるってェのはマズイ場合も多い。何かに抗うのも大事だが・・・案外俺もその主人公と大差無いのかもな。」

 

暗い旅館の中で都丹の表情は読み取れなかったが、寂しげな声色は老人の気持ちを正確に少女に伝えて来た。

 

ーーこの人は絶対にイギリスに連れて行く!『じいちゃん2世』になって貰う!面倒を見る必要が出て来たら尾形と岡田のヤツらにこの人の世話をさせよう!!

 

しかしその為には彼をここで死なせるワケにはいかない。

これはアンの都丹に対する『愛』なのだろうか、いや、養父に甘えたい気持ちから動いているので『欲』なのだろう。しかしそれならそれで別に構わないのだ。

死なせない、アンはそう誓った。

 

 

鉱山会社関係者の襲撃前日、アンは都丹の襲撃の手伝いをする為に袴を脱ぎ、ダンに貰った藍色のツナギを着る事にした。荒事に参加するので動き易くする必要があるからだ。

 

ふと、尾形達は何処まで移動したのかが気になった。虫の知らせと言うヤツだろうか。強い人間ばかりだし死んでしまったなんて事は無いだろうが、あの集団には子供が2人と胸部に重そうなモノを2つも付けた女もいるのでまだまだ塘路湖の辺りからさほど動けていないと推測出来る。

 

「都丹さん、明日の晩は私も手伝うね。」

 

「良いのか、アン坊。危ないぞ?」

 

「平気だよ。動きやすい格好に着替えて、ついでに今着てる袴を洗濯するよ。」

 

天気は良く、気持ちの良い風が吹いていて絶好の洗濯日和だ。

 

「おい、お前ら!アン坊が着替えるから覗くなよ!」

 

都丹はいつもの反応し難い冗談を飛ばした。手下達は“見えないでしょうが!”等と笑っていたが・・・

 

アンは悩んだ、笑う所なのか笑ってはいけない所なのか分からなかった。しかし控え目に“フハッ”と笑うと都丹や手下達は嬉しそうにまた笑い出した。

 

夕方、洗濯した袴を干した木の枝から外していると、都丹の手下の1人に声を掛けられた。“ゲンさん”と呼ばれている盲目の男である。

 

「アン坊、都丹さんからお小遣いだ。これで今から町に行って好きな物を買ったり食べたりして来いってさ。」

 

ゲンさんの手には1円札2枚があった。

 

「え?何で?」

 

大金を渡されて純粋に嬉しい気持ちはあるが、何故昼の間にそれを言わないのかが気になった。

 

「ほら、お前は目が見えるのにずっと暗い所で我慢してただろうからって都丹さんからの気遣いだ。今夜はここに戻らずに温泉宿に泊まっておいでだってさ。」

 

アンは都丹の優しさに思わず泣きそうになったが堪え、そして決めた。彼ら全員をイギリスに連れて行って義賊集団を作ろうと。最早足を洗わせる目的は忘れてしまっている。

 

袴を畳んで2階の自室に片付けて赤毛の少女は廃旅館を出た。日が沈みかけており暗い為、油を補充したランタンを持参している。

 

「都丹さん、アン坊が出かけましたぜ。」

 

ゲンさんが旅館の入口が閉まり遠ざかる少女の足音を確認して老頭目に報告すると、都丹は安堵の溜め息を吐いた。

 

「へへッ、やっぱり巻き込めねぇよな。」

 

老頭目は頭を掻きながら苦笑いする。

 

「アン坊には今夜が決行だとはバレてませんよ。」

 

「そうかい、そりゃ良かった。」

 

都丹は手下達を集め、今夜の襲撃の計画を手短に説明した。

 

 

日没前の屈斜路湖の温泉街をブラブラ歩き、甘味屋を見つけて入るアン、饅頭を注文して席に座って待っている。

10席程の小さな店には自分以外には3人組の客がおり、少女から少し離れた席にいた。彼らは既に食べ終わった後だが誰かを待っているのか、しきりに店の暖簾の外を気にしている。

 

ーー変な連中だなァ・・・

 

アンは頭に被っていた赤ゲットを脱ぎ、畳みながら彼らをそれとなく観察する。

70半ば位の小柄で禿頭の着物の爺様、20代半ば位のドレスの美女、少し長い髪を後頭部で一つに括った若い男は半纏を羽織っている。年齢も服装も雰囲気も統一感皆無であった。

 

ーーあの女の人、胸に詰め物でもしているのかな?

 

アンはドレスの女の胸元に違和感を感じると同時に同情をした。あぁ、私と同じ貧トカプか・・・と。インカラマッの肉厚で服をはち切れさせそうな胸を見てしまった事で、服の下で膨らみを主張しているのが本物かどうか見抜ける様になったようだ。赤毛の少女はいつの間にか立派なトカプ鑑定士になっていた。

 

饅頭とお茶が出されたので観察を中断して久々の甘味を堪能していたのだが、ふと気が付くと偽トカプ美女と目が合った。彼女は妖艶に微笑んでこちらを見ている。

 

ーーえ?え!?

 

同席している爺様と若者を放置して偽トカプはアンの側に来て彼女の向かいの椅子に腰掛けた。

 

「綺麗な赤毛ですね。」

 

「ん?あ、どうも・・・」

 

突然初対面の美人に褒められて、赤毛の少女は動揺する。トカプは偽物だが美女の色気が凄まじく、しかも小鳥が囀る様な可愛らしい声をしている。

しかし次の瞬間、美女の口から吐き出された言葉にアンは仰天した。

 

「肌も白くて、きめが細かくて綺麗・・・食べちゃいたい。」

 

ーー!!?この女、そっちの性癖が!?

 

アンは男好きなワケでは無いが、かと言って女好きなワケでも無い。美女の好意を無碍にするのは心苦しいが自分にその気が無い以上は断らねば、と思い口を開こうとした時、美女の連れの若い男が声をかけて来た。

 

「ちょっと、家永さん駄目ですって!そっちのお嬢さんが困ってるでしょうが!」

 

「じゃあ夏太郎君でも良いわよ?若いし。」

 

「何でそうなるんですか!」

 

ーー両刀だと!?

 

目の前の家永と呼ばれた美女は男女両方イケるらしく、止めに来た若者にも粉を掛けている。生まれて初めて両刀遣いを見たアンは狼狽え、何故か“すみません、すみません”と謝りながら饅頭を咥えて慌てて店を出て行った。

 

日本と言う国は江戸時代まで同性愛に寛容だったのだが、明治に入ってからは風当たりが強くなっている。敬虔なカトリックの母に幼少期に教育されたアンは尚更だった。

“勃起”と叫ぶ猟師、四六時中盛っている強盗夫婦、雄の羆と交わる中年男、男4人の乱交、挙句には両刀遣いの美女・・・北海道はいつからソドムとゴモラのような背徳の土地になってしまったのだろうか、少女は恐ろしくなった。

 

アンが焦りながら暖簾をくぐり店の外に出て、今夜泊まる先を探していると突然後ろから声をかけられた。

 

「おや、嬢ちゃんまだ日本にいたのかい?」

 

赤毛の少女が聞き覚えのある声に驚いて振り向いた先にはかつて会った2人の男、牛山と土方がいた。

 

 

土方が自分の分も奢ってくれると言った為、アンは遠慮なく彼らと甘味屋にいた3人と一緒に小料理屋に入ったのだが・・・

 

ーー圧が凄い。尾形はこの連中から比べたら子猫ちゃんみたいなモノだな・・・

 

釧路までの道中に皆から聞かされていた情報、元新撰組の土方歳三に永倉新八、そして不敗の柔道家の牛山辰馬・・・錚々たる面々だ。更に土方には個人的な人脈があり、お金には不自由していないようだ。

 

ーー人脈かァ。これもまた秘密結社みたいなモノかな?死んだイギリスの父も同じ位の人脈があると良いんだけど。

 

土方は死んだ事にされてから樺戸や網走に数十年収監されていたが人脈は健在なので、アンの父の人脈も健在であると期待が出来る。

しかし少女にとってはそれ以上に興味深い人物がいた。

 

家永親宣である。

 

尾形やアシリパから聞いてはいたが、どうせ厚化粧で誤魔化しているだけだろ、と思っていた。いざ会ってみるとちゃんとした美人になっており、医者の爺様には見えない。まるで『吸血鬼ドラキュラ』や『カーミラ』のモデルとなった、処女の生き血が大好きなハンガリー貴族、エリザベート・バートリだ。

胸の詰め物を見る限りは性別までは変えられなかったようだ。

 

「家永さんはやっぱり、処女の血の池風呂に入ったりしたんですか?」

 

好奇心が抑えられず長卓の向かいに座る家永にコッソリ尋ねると、彼は“私は食べる事が多いのですが、いつかは試してみたいですね。アンさんは処女ですか?”と逆に尋ねられてしまう。アンは、隣で聞き耳を立てた事を心の底から後悔している最中の夏太郎の背後に慌てて隠れた。

 

「アンタら、飯の最中に何ちゅう会話してるんですか!?」

 

夏太郎に叱られてしまった。

20歳かそこらの青年・奥山夏太郎は茨戸の日泥組にいたらしいが、土方に心酔して金塊争奪戦に参加したと本人から聞いている。

 

「しかし、嬢ちゃん良かったな。まだ日本にいると言う事は尾形はお玉ちゃんじゃなくて嬢ちゃんを取ったんだよな。」

 

アンの様子を見ていた牛山が話を振ってきた。平常時は紳士な男は赤毛の少女の事を気にかけていてくれた様で笑顔を見せている。しかしアンは話の辻褄合わせに苦労した。彼らが尾形やアシリパ達と合流した時、アンの立場にズレがあったら何を言われるか分からない。

 

「え、まぁ、そんな感じです。あの後第七師団に捕まっちゃって旭川にいた所を、白石と一緒に尾形達に助けられました。ワケあって今は別行動ですが、私これでも一応尾形と婚約してるんです。」

 

ついでに婚約者ネタをさりげなく付け足した。

 

「ハァ・・・尾形のヤツ、とんでもない女たらしだな。」

 

「フッ、永倉、貴様は女遊びについて人の事をどうこう言えぬだろうが。」

 

「ハハッ、アンタもでしょう、土方さん。」

 

永倉翁が憤懣やるせないといった感じで憤り、土方がそれに対して反応し2人は笑い出したのだが、アンはひたすらヒヤヒヤしていた。

 

ーー頭の皮・・剥がされ無いよな?

 

『のっぺらぼう2世』だけは勘弁して欲しかった。

 

 

アンはそのまま土方の奢りで彼らと同じ宿屋に泊まる事にした。都丹に貰った金を少しでも残して置き、お釣りを多めに返す為である。

土方達5人は網走に向かう前にもう1人仲間を加える為にここに立ち寄ったらしい。彼も土方や牛山、家永、白石と同じく網走の刺青脱獄囚との事だったが、その仲間候補者の名前を聞いてアンは仰天した。

 

「トニさん!?え・・と?目が見えない都丹さん?」

 

赤毛の少女は驚いた。犯罪暦が長そうだな、とは思っていたが24人の刺青囚人の1人とは思わなかったのだ。姉畑の様な自由気儘にしている連中もいるだろうが、基本的に小樽に行く様に言われている筈だからだ。あの稲妻ですらそれに従って動いていたが、都丹は金塊が欲しく無いのだろうか。

土方は訝しげな顔でアンに尋ねた。

 

「知り合いかね?」

 

「はい、でも明日の晩に向けて準備で忙しいみたいなので今は会えるかどうか・・・」

 

「案内をしてくれ。」

 

有無を言わせぬ老剣士の強い眼差しに、少女は断る事は出来なかった。

 

 

眠たい目を擦りながら真夜中の屈斜路湖畔を歩くアンの後ろには、土方と牛山が続く。

 

ーー都丹さん、いきなり知り合いが来て嫌がらないかな。

 

余計な事をしているのでは、と気になったが土方がアンに都丹の過去を色々と教えてくれたのは有り難かった。やはり彼は鉱山会社に硫黄山でこき使われて失明したそうで、同じ様に働かされた囚人の中には命を落とした者もいたらしい。

 

ーー思ってたよりも酷い過去だったな。あの本の感想を聞くなんて酷な事をしちゃったかも・・・。

 

アンは反省した。

 

「土方さん、都丹さんは金塊に興味無いと思いますよ?あの人を動かしているのは鉱山会社に復讐したい気持ちです。」

 

「大丈夫だ。私の手伝いは彼奴の復讐と言う目的とも一致している。」

 

「そうですか・・・」

 

その時・・・

 

突然前方から銃の発砲音がしてアンは思わずしゃがんだ。

 

ーーこの音は・・・三八式歩兵銃に似てるような?

 

尾形がキラウシのコタンを出た直後に試し撃ちしていた三八式、“お前もやってみるか?”と言われてアンも尾形の指導の下に撃たせて貰ったが、撃った反動で上半身が反り返った挙句に弾は見当違いの方向に飛んでいった。彼は呆れていた。

 

「行くぞ、アン。急いだ方が良いだろう。」

 

「はい!」

 

土方に促され、3人は先を急ぐ。もしかしたら都丹が自分を巻き込まない様に襲撃の日を騙して教えたのかも知れない。彼なら有り得る事だった。

 

ーー都丹さんの馬鹿野郎!!

 

急いで廃旅館に向かう途中に夜が明け、朝日が山や丘の端を白く輝かせていた。道中、地べたに倒れて動かない黒づくめの人物を2人見つけた。都丹の手下で、アンが勝手に決めた未来の部下候補だ。鉱山会社の用心棒だか刺客だかに殺されたようだ。

 

ーー畜生!!ゲンさんもやられた!

 

少女に金を渡してくれた男もいる。

 

辺りは薄ぼんやりとだが、明るくなってきている。明るくなれば盲目盗賊団には不利だ。追い詰められているとすれば、廃旅館で迎え撃つ手筈だ。

 

「土方さん、あそこです、あれがそうです!ごめんなさい、先に行きます!!」

 

「こら、待ちなさい!」

 

旅館を見つけて土方達に伝えると、アンは斜面を大股で駆け上がる。袴からツナギに着替えて良かった、と少女は心底思った。

 

 

息を切らせながら廃旅館に到着すると入口は固く閉ざされていて、周りにも人の気配は無い。

 

ーー窓は内側から板で打ち付けられているから無理だ。でも、あそこなら入れるかも。

 

廃旅館の裏手に回ると裏口があり、やはりそこは開ける事が出来た。内部には都丹の舌を打ち鳴らす音が響いている。

 

ーー用心棒だか刺客だかと交戦中だ!

 

邪魔になってはいけない、アンはそう思いランタンを消して足音が鳴らない様にブーツを脱ぎ、中にそっと入り裏口を閉めた。

 

暗闇の中、盗賊団と用心棒の足音だけが響く。赤毛の少女は壁に触れながら身を屈めて壁伝いに歩いた。

 

突然少女の足裏に謎の鋭い痛みが走った。

 

「ンギャッ!!」

 

思わず声を上げて叫び倒れるアン。

直後に発砲音がして少女の頭の直ぐ上を何かが凄まじい速さで通り過ぎて行く。

アンの真後ろから何か固いモノが肉を貫く様な音と男の呻き声、倒れる音がした。

 

ーー都丹さんの手下がやられたのか!?

 

アンは床にいくつか転がっている足の痛みの元凶を手探りで探して拾い上げ、指に鋭い物が突き刺さる痛みに耐えながらパチンコで弾き飛ばそうとしたその時、

大きな破壊音と共に誰かが激しく揉み合うような音と、口論する声が聞こえて来た。

 

ーー都丹さんの声だ!もう1人は・・杉元の声に似てる?

 

アンは頭が混乱した。

杉元がここにいるのはおかしい、ここにいるべきは見知らぬ用心棒だか刺客だかの筈だからだ。

動けぬまま固まってうずくまっていると目の前で凄まじい音を立てて廃旅館の壁が外から破壊され、暗闇の旅館の中に眩しいまでの大量の光が差し込んだ。

明るくなった目の前の床の上には大量の菱が落ちており、アンはこれを踏んで足を傷つけたようだ。靴下が僅かに血で滲んでいる。

 

「ちんぽ先生!!」

 

声が聞こえて顔を上げると明るくなった空間、視界の真ん中にアシリパがいた。

不思議だった。

何故彼女はここにいるのだろう。

旅館の壁を破壊した牛山目掛けて嬉しそうに飛びついている。

 

ふと視線を感じた。

アシリパでも牛山でも無い。

 

振り返れば尾形がいた。

 

全裸だった。

見えた。

絶叫した。

 

 

都丹は尾形達を鉱山会社からの刺客と誤解していたようだ。そして気がついたら、都丹は付き合いが長く信頼関係のある土方と手を組んでいた。網走監獄の犬童への復讐と言う共通の目的があるようだ。

赤毛の少女は大好きな爺様を色気のある爺様に奪われ、生まれて初めて爺様に対して嫉妬をした。都丹はコッソリと“アン坊すまねェな、イギリスは行けねェや。土方さんについて行きたいんだよ”と耳打ちしていたのだが、それも仕方ない気がした。

 

土方はアンを庇ってくれたのだ。

 

不思議そうにしている全裸の杉元と、不信感丸出しの全裸の尾形に対して、何故ここにいるのか理由を聞かれて目を泳がせているアン。彼女の足元にはまたリュウがしがみ付き腰を振っている。

それを見た土方はクスリと笑った後、『温泉街で赤毛の少女と偶然出会い』、『尾形の婚約者だと知っていたからそのまま合流』し、『犬ッコロに導かれて』ここが分かったと伝えてくれた。

アンと都丹が協力関係にあった事を土方は黙っており、牛山も都丹ですらしらばっくれていた。

 

ーーこの人達の養女になりたいッ!!

 

アンは危うく口から本音が出そうになった。

信じた杉元もアシリパも足の怪我を心配してくれて軽く治療してくれたのだが・・・尾形だけは騙せなかった。

 

「犬より役に立っとらんぞ、谷垣一等卒。」

 

邪悪な上等兵殿はいつもの様に生き生きと全裸の谷垣苛めをした後、アンに対して廃旅館に居残りを命じ一対一での尋問が始まった。

 

廃旅館の一室で、全裸のまま胡座をかいて座る上等兵の前で赤毛の少女はチンマリと正座している。

 

「なぁアン坊、もしかして入浴中に襲うってのはお前が都丹に発案したのか?」

 

「・・・誤解です。」

 

最悪である。都丹のアンへの耳打ちを尾形は聞き逃していなかった様だ。

 

「そうか?お前の小樽の家に源平合戦の本があった様な気がしたが?」

 

「・・・全部は読んでいません。」

 

「ははぁ、お前も『身の終わり』が欲しかったりするのか?」

 

「・・・要らないです。」

 

『身の終わり』とは、風呂場で父を殺された源頼朝がその犯人に対して『美濃(岐阜)・尾張(愛知西部)をくれてやる』と約束して実際には『身の終わり』をくれてやった、つまりは殺したと言う逸話だが、如何にも尾形好みの冗談だとアンは思った。

思ったが、この逸話と似たような状況下では全く笑えない。

 

「おいアン坊、何で真下を向いてんだ。人と話をする時は顔を上げろ。」

 

「無理だ阿呆!!せめて何か履いてくれ!」

 

尾形の挑発に対して思わず真っ赤になった顔を上げて反論してしまったアンの視界に、全裸尾形の股間が映り込む。

 

初心な少女は再び絶叫するが、尾形は“喧しい”と叱った。

 

「お前は俺の側を当分離れるな、何を仕出かすか全く分からねェ。」

 

「はい。」

 

尋問と説教は昼前まで続いた。

因みに、土方達に婚約者と名乗った事は今回だけは仕方無しと見逃して貰えた。

 

 

奥山夏太郎は茨戸の日泥一家と馬吉一家の抗争後、日泥に用心棒として雇われていた土方歳三に心酔して同じく日泥の若衆だった亀蔵と共に土方の手下になった。

2人は小樽の隠れ家で留守番をしていたのだが手柄を立てたい気持ちから、油問屋の東松屋商店を襲撃してそこにある刺青人皮を奪う計画を立てた。

 

彼らが店を見張っていると二人組の男女に声を掛けられた。

暗号の刺青を持つ稲妻強盗・坂本慶一郎とその妻の蝮のお銀である。2人は小樽で共犯となる誰かを待っていた様だが待ち人が来ないらしく、寂しげにするお銀を稲妻が慰めていた。

 

「仕方ねェさ。人相書が出ていたんだ、アイツも慎重になっているんだろ。」

 

人相書はいつの間にか配られなくなっていた様で、夏太郎達はそれを見ていない。

 

4人で手を組み東松屋商店を襲うが実は第七師団の罠であり、亀蔵は店で撃たれて死亡。残った3人は店から小樽運河に向かい二手に別れて逃亡した。

漸く待ち合わせ場所に到着するも、夏太郎とお銀の目の前で稲妻は第七師団の銃撃を浴びて倒れる。

 

「幸せなまま終わりにしたいの。」

 

お銀は悲しげにそう言って稲妻に駆け寄り、夏太郎の目の前で夫婦は亡くなった。

 

真贋の分からぬ刺青人皮だけが、夏太郎の手元に残された。

 

夏太郎は今、屈斜路湖の温泉宿にいる。

尊敬する土方達に連れられて協力関係のある不死身の杉元とアシリパ達の一派と合流したばかりだ。新たに加わった都丹を含めた総勢15人は、現在は同じ宿に泊まっている。

 

温泉に浸かり宿の廊下に出ると夏太郎の前に軍服の脱走兵の男が歩いていた。土方一派に用心棒として所属している男だ。

 

「尾形!!」

 

夏太郎はその男に嬉しそうに駆け寄って行く人物を見た瞬間、思わず呼吸が止まった。

 

ーーお銀!!?

 

死んだ筈のお銀が蘇ったのかと夏太郎は思った。

 

似ていた。

 

最初は同じ袴姿だったからかと夏太郎は思ったが、そうでは無い。目の前で尾形と呼ばれた男に話しかけている少女の様子が、愛しい夫に話しかけているお銀に似ている・・・そう感じた。

 

ーー昨日初めて会った時は似ているなんて全く思わなかったのに。

 

少女は赤毛で歳もお銀より10近く若いし、顔が似ているワケでも無い。話しかけられている男も稲妻のように相手の女に対して優しく振る舞う様子は無かったのだが・・・

 

「アン坊、あの着ていた青いツナギはどうした?」

 

「袴が乾いたからこっちに着替えた。ツナギは仕舞ったよ。ってか、『アン坊』って言うのを止めろ!」

 

「分かったよ、アン坊。」

 

2人は呆然とする夏太郎に気付かないまま、言い争いながら去って行った。

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